2013年08月
2013年08月29日
◆テーマ
Email:60th@city.tenri.nara.jp
2013年08月28日
2013年08月18日
そのためには、財源の議論から逃げることなく、困難な課題を先送りすることなく、
今こそ一歩前へ、勇気を持って進めていかなければなりません。
その事を日々、考えていかなければならないと思っています。
「あなたの思いを政策に変える」その事にトコトン努力します。
首長はそれで良かったのかもしれない。
行政運営をいかにしていけばいいのか分からないのが現状のようです。
また、議会(議員各人)もしっかりと勉強をして、政策提言を成していくべきで、
それが、民意に応える議員の仕事と存じます。
最近、自治体も企業同様に「地域経営」「自治体経営」とよく言われています。
武田信玄の言葉です。至言といってよい言葉ですが、現代の経営も基本は変わらない。
『貞観政要』には
「君は舟なり、人は水なり。水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す」という古人の言葉が引かれています。
「昔の帝王の治世を調べてみると、初めは日の出の勢いにあった者でも、朝のあとに日暮れがくるように、きまって衰亡の道をたどっている。それはほかでもない、臣下に耳や目をふさがれて、政治の実態を知ることができなくなるからである。忠臣が口を閉ざし、へつらい者が幅をきかせ、しかも君主はみずからの過ちに気づかない。これが滅亡に至る原因である」
耳に逆らう言葉によく耳を傾け、人を大事にする姿勢があってこそ、繁栄につながるのであろう。
と記されています。
あす、あさっては、
環境省、観光庁(国土交通省内)、富士通総研
にて学んできます。
日々感謝、日々精進。
2013年08月13日
朝から天理大学おやさと研究所に訪問させて頂きました。
街に大学があるのは、ひとつの強みだと思っていますし、協働をしていくべきだと強く思っており、
この思いは、学長先生と共通の認識です。


この度は、ある方のお取り計らいにより、大学が休みにもかかわらず、
佐藤孝則 教授(天理市環境審議会の会長、NPO法人[環境市民ネットワーク天理]の理事長)と、
お会いさせて頂きました。
日本環境教育学会での発表など、
■山田町「虫送り」 ■福住「氷室」 ■山の辺の道 ■布留の高橋
■環境教育 ■自然学習 ■地域学習(郷土・慣習) ■道徳・心の学習
■エコ ツーリズム ■スポーツ ツーリズム
■ごみ問題 等々。
環境をテーマに色々なお話しをお聞かせいただきご教示を賜りました。
また、
「環境」と「天理市政60周年」
この2つのテーマについて、素晴らしいヒントをいただきました!
気がつけば、3時間以上 話し込んでいまいました(^^;;
佐藤先生、貴重なお時間ありがとうございました。
「布留の高橋」と「高橋さん」
全国の「高橋さん」全員集合!
2013年08月09日
九日の長崎市の平和祈念式典で田上市長は、「核兵器の非人道性に関する共同声明」への不賛同やインドとの原子力協定を挙げ、国への疑念を表明。
ある言葉が心に突き刺さり、毎年『平和宣言』の全文をブログに掲載させて頂いています。
世界恒久平和の実現を心より願います。 市本貴志
2013年08月06日
広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が開かれ、早朝から多くの人が訪れ、午前8時からの平和記念式典には、被爆者や遺族ら約5万人が参列された。
海外からも過去3番目に多い70カ国の代表が参列し、そのうち核保有5大国の米英仏の代表は4年連続の参列だった。
平和宣言
「あの日」から68年目の朝が巡ってきました。1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾によりその全てを消し去られた家族がいます。「無事、男の子を出産して、家族みんなで祝っているちょうどその時、原爆が炸裂(さくれつ)。無情にも喜びと希望が、新しい『生命(いのち)』とともに一瞬にして消え去ってしまいました。」
幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。苦難と孤独、病に耐えながら生き、生涯を通じ家族を持てず、孤老となった被爆者。「生きていてよかったと思うことは一度もなかった。」と長年にわたる塗炭(とたん)の苦しみを振り返り、深い傷跡は今も消えることはありません。
生後8か月で被爆し、差別や偏見に苦しめられた女性もいます。その女性は結婚はしたものの1か月後、被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、優しかった義母に「『あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出て行けー。』と離婚させられました。」放射線の恐怖は、時に、人間の醜さや残忍さを引き出し、謂(いわ)れのない風評によって、結婚や就職、出産という人生の節目節目で、多くの被爆者を苦しめてきました。
無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛(さいな)み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。
辛く厳しい境遇の中で、被爆者は、怒りや憎しみ、悲しみなど様々な感情と葛藤(かっとう)し続けてきました。後障害に苦しみ、「健康が欲しい。人並みの健康を下さい。」と何度も涙する中で、自らが悲惨な体験をしたからこそ、ほかの誰も「私のような残酷な目にあわせてはならない。」と考えるようになってきました。被爆当時14歳の男性は訴えます。「地球を愛し、人々を愛する気持ちを世界の人々が共有するならば戦争を避けることは決して夢ではない。」
被爆者は平均年齢が78歳を超えた今も、平和への思いを訴え続け、世界の人々が、その思いを共有し、進むべき道を正しく選択するよう願っています。私たちは苦しみや悲しみを乗り越えてきた多くの被爆者の願いに応え、核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。
そのために、広島市は、平和市長会議を構成する5,700を超える加盟都市とともに、国連や志を同じくするNGOなどと連携して、2020年までの核兵器廃絶をめざし、核兵器禁止条約の早期実現に全力を尽くします。
世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず人類の未来を見据えて、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。ヒロシマは、日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、人類の進むべき道を示す地でもあります。また、北東アジアの平和と安定を考えるとき、北朝鮮の非核化と北東アジアにおける非核兵器地帯の創設に向けた関係国の更なる努力が不可欠です。
今、核兵器の非人道性を踏まえ、その廃絶を訴える国が着実に増加してきています。また、米国のオバマ大統領は核兵器の追加削減交渉をロシアに呼び掛け、核軍縮の決意を表明しました。そうした中、日本政府が進めているインドとの原子力協定交渉は、良好な経済関係の構築に役立つとしても、核兵器を廃絶する上では障害となりかねません。ヒロシマは、日本政府が核兵器廃絶をめざす国々との連携を強化することを求めます。そして、来年春に広島で開催される「軍縮・不拡散イニシアティブ」外相会合においては、NPT体制の堅持・強化を先導する役割を果たしていただきたい。また、国内外の被爆者の高齢化は着実に進んでいます。被爆者や黒い雨体験者の実態に応じた支援策の充実や「黒い雨降雨地域」の拡大を引き続き要請します。
この夏も、東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。復興の困難を知る広島市民は被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。そして、日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした責任あるエネルギー政策を早期に構築し、実行することを強く求めます。
私たちは、改めてここに68年間の先人の努力に思いを致し、「絶対悪」である核兵器の廃絶と平和な世界の実現に向け力を尽くすことを誓い、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。
平成25年(2013年)8月6日
広島市長 松井 一實
ある言葉が心に突き刺さり、毎年『平和宣言』の全文をブログに掲載させて頂いています。
世界恒久平和の実現を心より願います。 市本貴志