いち絵 にっき

果てしなく人の顔を描き続ける「はるか」と畑の野菜作りに元気な「ち絵さん」のありふれた日常の一コマを切り取った一期一‟絵‟日記

2017年12月

良いお年をお迎えください

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           〈L147 きみともにまさば 習作〉

《ひせきにこもりて》
秘跡にこもりて われらのうちに
さかえのみ神は とどまりますよ
ぬかづきまつれば ああ心なごむ
奇しきやすけさ


とわになつかしき なぐさめぬしよ
淋しき日の友 心の糧よ
君ともにまさば 世におそれあらず
奇しきやすけさ



年末に終えなければならないことをほぼ終えることができた。
大晦日の私の気がかりは年越しそば。
本来は夕食のあとに戴くのだろうけれども、あわただしいのはやめることにして、だいぶ前から昼食をそばにすることにしている。
そばだけでは味気ないから、天ぷらも作った。
皆で美味しく完食した。

ち絵さんが作るお正月料理(お節とはちょっと違うみたいだけど)もほぼ作り終えた。
ただ今回はち絵さんのリクエストで私が筑前煮をプラスすることになった。
それもできた。

帰省中のKファミリーが年明けに来訪したときのご馳走も、ち絵さんが仕入れてきてくれた。
あまりの高額だったもので、二人して大きなため息。
それでも何とか揃えることができたことは幸せと言わねばならないだろう。

ただ一つ、重大なポカがあった。
「鏡餅、忘れた!」とち絵さん。
でも、もうじたばたするのはやめることにして、鏡餅は無しにすることにした。
去年(今年の正月)も全く同じことをやっていた。
正月飾りは早めに用意したのに、どうして鏡餅を忘れてしまうのだろう。

今日は雨の予報だったが、先刻雪がちらついただけで済んでいる。
暗い空だが穏やかな大晦日。

振り返ると悲しい出来事や不安なことがたくさんあった1年だった。
新しい年が明るいニュースいっぱいであることを祈りたい。


今夜はカレンダーを取り換える。
新しいカレンダーに、私とち絵さんが予定を書き込む。
私よりち絵さんの書き込みがはるかに多い。
多分来年もち絵さんはあちこち跳び歩くだろう。
しかし、それでいい。
私のスケジュールが増えるということは(病院関係で)、あまりいいことじゃないだろうから。


このブログを読み続けてくださっている方々、ありがとうございました。
まるで「だからどうしたの」といったどうでもいい話題を書き連ねてきました。
このスタイルは来年も続くと思いますが、少しずつ”面白く”していこうかと思っています。

それはあえて滑稽なことを書くというのではなく、私の視野を少しばかり広げ、取り上げるモチーフに新鮮味を持たせてみたいということです。
それは言うは易しで、難しいかもしれませんね。
でもやってみますよ。
引き続き読んでいただけたら、とても嬉しく思います。

良いお年をお迎えください。

やれることをやれればいいさ

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年の瀬に「私の10大ニュースは何だろう」と、ふと思った。
1年を振り返ることができるのも、余裕があるからかな。
10大ニュースとなると、トップに来る出来事が、どうも差しさわりがあるので、やめることにする(済みません)。

代わって”むかしは忙しかった”という話。
現役の頃は実際、余裕が無かった。
会社が休みに入ると、帰省しない年は、私は大掃除とまではいかないが、ガラクタの整理やらちょっとした大工仕事に精を出した。
大晦日は夕食の時間まで、トンテンカンとやっていたこともある。
日が暮れて外での仕事ができなくなって、食卓に着く。
郷土料理の納豆汁を家族で戴く。
ち絵さんがぼやいたことがあった。
「おとうさんの仕事は形に残るけど、わたしの仕事は形に残らないのよね」

棚を付けたり物置を造ったりという仕事は、”もの”として残るが、炊事や洗濯などの家事は目に見えるものとして残らないという意味。
確かにそういう見方はできるけれども、だから家庭の主婦の仕事が虚しいと思うのはどうだろうか。
目に見える形で残らないから意味が薄いと捉えてはいけないのだが、考える余裕もなく忙しく働いていると、ついそういうぼやきも出てきてしまうのだろう。
そんなわけで、今年1年を振り返ることができるのは、余裕だと思った次第。

10大ニュースに挙げるかどうかはともかく、私がこの1年で強く感じたことを挙げるとすれば・・・
体力の低下だ。
ひどい痛みを伴っているわけではないが、ジワジワ来ている変化が急に速度を増したことを実感している。

話が跳んで、Aさんのこと。
ち絵さんが白菜を2玉抱えてきた。
「Aさんから頂いたの。Aさんがね、『膝が痛くて、来年は畑仕事ができなくなりそうだ』って」
奥さんと二人で毎日のように畑仕事に精を出しているAさん。
寄る年波を実感しているようだ。

心細い話になったが、落ち込んでばかりもいられない。
まだできることを、できるような方法でやればいい。
モタモタでもなんでも「やれるうちゃいいさ」で行こう。
そう思っている。

生きれ野牡丹

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ち絵さんがお気に入りのシコンノボタン(紫紺野牡丹)。
大きな素焼きの鉢に仕立ててある。
つい最近まで奥ゆかしい紫紺の花を咲かせていたのだが、寒さが厳しくなり花が全て散ってしまった。

そこでこの冬を乗り切るために、ち絵さんが鉢を私の作業部屋に取り込んだ。
と、それは良かったのだが・・・
石油ストーブの熱線を直接当ててしまったようだ。
葉がまるまり、枯れてき出した。
私の責任だ。

ストーブをうっかりしてアッチムケホイに置いたせいだ。
このままではすっかりダメになる。
ち絵さんの了解を得て、枝を切り詰めることにした。
チンチクリンになった。
ち絵さんが見てびっくりしていたが、何も言わなかった。

生き延びてくれればいいが。

床屋での一幕

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さて、年の瀬も押し詰まってきたので、ボサボサ頭で年を越すのもナンだと思い、床屋に行ったのだが、朝早めの時刻だったからそれほど待たずにやってもらえたのは良かったけれども、床屋のご夫婦、いつになくよくしゃべるしゃべるで、奥さんの膝の痛みがひどくなったから始まって、TVの”なんでも鑑定団”で、高価な屏風を鑑定した結果、とんでもない偽物だと判って仰天した人の話だとか、次々と話題が出てきて、眠くなるどころではなかったのは不幸中の幸いと言うか、苦あれば楽ありというのはちょっと違う気がするけれども、まあ、耳をふさぐ訳にもいかないから、気持ちは一生懸命聞くしかなく、ところが親父さんは早口で、聞き取りにくいったらありゃしないのだが、いちいち聞き返していられないから、「あ、そう」とか「へえー、そうなの」とか適当に相槌をうって聞いていたところ、奥さんの身内に不幸があって、明日は店を休んで葬式に参列するとの話が出たときは、少し緊張してトンチンカンな受け答えにならないように注意していたのだが、顔を剃ってもらう段になって、蒸しタオルをあてがわれるとしゃべれないから、それを察して親父さん、さすがの饒舌も一旦止むのだが、すると途端に眠気が差してきて、自分の意思に反して「グー」といびきがでてしまうのは如何ともしがたく、まあ、これは歳のせいだと思うことにして、いたづらに自分を責めないことにしているのよ。

ああ、そうだ、床屋のご夫婦、親類縁者がみな高齢になり、80歳台がウジャウジャいるそうで、これから訃報が飛び交うだろうと言っていたのは、あまりいい話ではなかったの。

薬は続くよ

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クリニックで定期的な診察を受けている。
今日は肺のCTを撮った。
痰の出がひどくなって診てもらったのは丁度1年前だった。
慢性気管支炎とのことだったが、吸入薬と抗生物質などの飲み薬を処方され、依頼毎日吸入と服用を続けてきた。
ほぼ2ケ月おきに薬をもらいに通った。

だいぶ良くなったし、そろそろお終いにしてもらおうと思って、私は医師に
「もうすっかり良くなりましたよ」
と言ったのだが、1年経ったから、CTを撮ってみましょうとなった。

医師はCTの画像を1年前のものと見比べ、
「多少恢復の兆候は見られるけど、完全に良くなることはないからね」
と言った。
「元が悪いからですよね」
と私は調子を合わせた。
(以前医師に『あんたの肺はボロボロだから』と言われたことを根に持っている)
薬はそのまま服用を続けなさいとのこと。
お終いにはならなかった。
残念。

しかし不思議なもので、気管支炎の薬を飲み始めてから風邪をひかなくなったことだ。
(もっとも1年ばかりだし、インフルエンザの予防接種はやっているけど)
まだ風邪をひかなくなったと言うのは早いかもしれないが、風邪の兆候が出るときの喉の不快さに悩まされることがないから、抵抗力が付いたのかもしれない。
いずれにしろ、薬は飲み続けなければならない。

「やっと少なくなったと思ったら、また増えたね」
とはち絵さんの言。

お正月は休もう

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クリスマスの飾りを全て片付けた。
本来なら”主の公現”まではそのままにしておきたいのだが、なかなかそうもいかない事情がある。

スーパーでは商品の陳列が既に”お正月シフト”になっていて、ごく普通のものを捜すのに苦労する。
そういうものが無くなっていることもある。

馴染みのMスーパーは年中無休だが、今年はどうなのだろう。
元日を休みにするコンビニが出てきているが、多分いつもと変わらないだろう。
元日ぐらいは休みにしたって良さそうに思うが、小さなマーケットを経営する側としては大手に負けないための方策として、年中無休という営業方針を変えないのかもしれない。
Mスーパーでは従業員をかなり採用しているようだから、勤務体制で休日返上を可能にしているのかもしれない。

ずいぶん前に旧西ドイツの町を歩いたことがある。
日曜日は店のシャッターは空いているが営業はしていない。
商品が見えるように並べてあって、ウインドウショッピングを楽しむ人が多かった。

日本を訪れる外国人は”休日なし”を素晴らしいと感じる人もいるから、全く休みにするのは難しいかもしれない。
問題は無理な勤務で、”国中が休みな時に休めない人がいる”こと。
時間を掛けて改めていくべきだと思うのだが。

クリスマスおめでとう

V338
     〈V338 讃歌 A Song of Praise〉

まだ私が信仰とは無縁だったころのクリスマス。
ツリーを飾り、家族でケーキを食べるのが楽しみだった。
サンタクロースの存在を信じていた子どもたちには、用意したプレゼントをこっそり玄関に置いて置き、
「いま、サンタさんが来たようだよ」
なぁんて言って、子どもたちにプレゼントするきっかけを作った。
長男にはプラスチック製で音と光が出る機関銃を、長女には洋服を着た人形をあげたときのことを思い出す。
もちろん二人は大喜びしていたのだが、私が悪ふざけをして長女から人形を借り、ちょっといじった拍子に首を引っこ抜いてしまった。
びっくりした長女が泣きだし、私は妻にさんざん怒られた。

クリスマスのプレゼントはそれからも長く続いた。
一時はそのプレゼントに関わることで、こころ穏やかならぬ思い出が生じてしまったこともある。
そんなこともあってプレゼントをやめることにしたのは、子どもたちがすっかり大人になってからだった。

いま、私はイエス・キリストのご生誕を”自分のこと”として受け止めている。
イエス・キリストは私のためにお生まれになったのだと。

「きよしこの夜」を歌い、
幼子を見守るマリアとヨゼフ、祝福する天使たちの絵を見る。
聖家族の絵はいつも私の心を安らかにしてくれる。

主のご降誕おめでとう!

今が旬のロメインレタス

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生で食べたら美味しくなかった野菜。
名前が分からず、ターサイだと思っていた。
炒め物にしてみた。
結構いける。

ち絵さんもトライしてみるというので、スーパーに行った。
先日買い求めたところに同じものがあった。
”ロメインレタス”と書いてある。
ターサイではなかった。

ち絵さんに報告。
「やっぱりレタスだったの」
今が旬の野菜のようだ。
しからば生にしろ炒めるにしろ、美味しく食べられるレシピを考えよう。


【ロメインレタス】
ロメイン(romaine)は”タチチシャ”とあった。
タチチシャは分からないが、”チシャ”は別名サラダナと出ている。
やはりレタスの仲間のようだ。 
〈植物園へようこそ〉から。


さて、ち絵さんはどんな調理をしてくれるかな。

ターサイを生で食べる

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ち絵さんがレジ袋を手に戻ってきた。
野菜類がいっぱい。
「どうしようか迷っちゃったけど、結局買ってきちゃった」
葉物野菜の高騰には驚くばかりだ。
こういう異常事態のときは、手に入るものを食べていればいいと思うのだが、食べたいものはどうしても買ってしまう。

かく言う私も先日誘惑に負けて失敗したことがある。
レタスが異常に高かったため、それより幾らか安くて”リーフレタス”に似たものが傍にあった。
リーフレタスなら知っている。
ところが食べてみたところが、まるで”草”だった!
ち絵さんが、それはターサイというもので、中華料理などに使うものじゃあないかと言う。
確かに生で食べる物ではなさそうだ。

ネットで調べてみた。
どうもそれらしい。
ターサイに違いない。
レシピがいろいろ出てきたので、調理してみよう。
わが家では初めての料理になるな。

厄介なことを済ませた

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窓拭きに続いて台所の掃除を終えた。
主にレンジフードと換気扇の油汚れ取り。
かなり手こずるかと思ったが、意外に早く澄んだ。
いや済ませた。

後片付けも終えてからち絵さんに提案してみた。
「来年はお金を出して、やってもらおうか」
私自身本気でそう思っていたわけではなかったのだが、ち絵さんは特に異を唱えなかった。
「今まで出来ていたことが出来なくなったんだから、しょうがないわよ」

まあ、そういう選択肢もありということです。
ち絵さんの友人で、年末の掃除を業者に委託している人がいる。
どんな状況か、詳細を尋ねてみようか。

ストリートパフォーマー

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ストリートミュージシャンの動画を良く観る。
路上でアコースティックギターを弾く人がいる。
明らかにプロと思えるのだが、立ち止まって聴く人もいないところで陶酔したように弾いている。
異国の音楽ながら、心打たれる。
時々通り過ぎる人がギターケースに小銭を投げ入れてゆく。

あるいは道端に置かれたピアノ。
古ぼけて塗装が剥げている。
弾いているのはホームレスの人のようだ。
そのメロディがまた素晴らしい。
優しくて悲しくて・・・。

それにしても、思うのだが、
向こうの国では街なかにピアノを置いているところが多くあって、道行く人が気軽に弾いている。
そしてそばを通る人が、小銭を空き箱などに投げ入れてゆく。
ストリートパフォーマンスを見せるアーティストやマジシャンなども同じ。

日本ではあまり見ない光景だ。
大道芸人にお金をあげるという行為を、”生活に苦しむ人に施しを与える”と捉えがちなのかもしれない。
お金をあげるかどうかという問題は別にして、日本でもストリートパフォーマーがたくさん増えればいいと思う。
街に出れば、感動と笑いに出会えるなんて、楽しいじゃない。

手抜きで済みません

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窓拭きを敢行。
でも今回はあきれるほどの手抜き。
あとで体のあちこちが傷まないように、
「この辺でかんべんしてもらおう」
と自分に言い聞かせつつ、簡単に済ませた。

仕上がりを見て、ち絵さんは何て言うかな。
「え~、ずいぶんあっさりだね。あまり変わりないわね」
と言うかな。それとも、
「いいのよ、これで。ご苦労さん」
と言うかな。

今年もあとわずかになった。
ひとつ一つ、やるべきことをやって行こう。
大幅に手抜きをしながら。

意思疎通を欠いたのはなぜ

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ち絵さんと車でさいたま市まで出かけた。
Nさんに会い、私は荷物を受け取り、ち絵さんはNさんにご挨拶する予定だった。
その手はずは整えてあった(つもりだった)。

道はいつになく混んでいて、イライラを抑えながら目的地に着いた。
私はNさんから荷物を受け取り、ち絵さんは・・・
黙ったまま。

帰りの車の中で私はち絵さんに、予定の行動が出なかった訳を尋ねたが、
ち絵さんの勘違いだった。
てっきり私のすることだと思っていたとのこと。
帰宅し、しばらく静かにしていたち絵さんが言った。
「Nさんにご挨拶しなかったから、がっかりして、疲れちゃった」
気落ちしている様子。

どちらに非があるかと言えば、やはりち絵さんの方だろうと思うが、ち絵さんを責める気になれない。
意思疎通を欠いた原因は事前に十分確認しなかったこちらにもあると思う。
くどいように思われても、「念には念を押して」、しっかり確認すべきだった。

最近こんなことが頻発するようになった。
二人の間でそんなちょっとした行き違いが起こる度に思うのだが、
「言った、言わない」とか「正しいのはどっち」という議論よりも、両方が穏やかに納得する方法を捜すべきなのではないかと。

この傾向は明らかに歳のせいと言うべきだろうね。

冬の夜のあれこれ

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このところ本格的な冬の寒さが続いている。
数日前、今冬はしもやけにならずに済んでいるとここに書いたのだが、
「やっぱり、とうとうなっちゃったよ」
私は手をち絵さんに見せた。
でも症状は軽いから、例年よりはましと言える。

ち絵さんが畑からダイコンを収穫してきた。
「初めての1本よ」
小振りだが形は良いし、上々の出来だ。
「ダイコンを見ると”日本昔ばなし”の『あと隠しの雪』を思い出すね」
煮ただけの熱々のダイコンは結構お腹が膨れるし、体もあったまるから、田舎ではご馳走だった。

今年は雪が降るだろうか。
「そろそろ車のタイヤをスタッドレスに替えなければならないね」
例年K君がやってきて、ジャッキを使ってやってくれる。
年末にはKファミリーは秋田に帰省することが決まっているから、もうそろそろ交換しないと。。
「今年は雪が積もるかねぇ」
スタッドレスにしたとしても、雪道の走行は注意が必要だ。

先日郷里の兄貴宅に電話したら義姉さんが出て、いろいろ近況を聞かせてくれた。
しばらく音沙汰が無かった弟の行状を聞いたが、どうも心配なことができたようだ。
「電話したほうがいいいいんじゃないの」
ち絵さんにそう言われたが、なんとなく気が重い。

「ああ、そうだ。兄貴から送られてきた”笹かまぼこ”があったっけ。食べてみようか」
義兄からは正月用の丸餅を頂いている。
「いつも1箱なのに、今年は2箱届いたのよ、お兄さんぼけちゃったのかしら」
いやいやたくさん食べなさいとの思いやりだろうと思うけど。

冬の夜は早めの夕食を摂りながら、二人の話はあちこちに飛ぶ。

「蒼穹の昴」を読む

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浅田次郎著「蒼穹の昴」(講談社文庫1~4)を読了した。

浅田次郎の著書を読み始めたのは、わが家で購読中の新聞の連載小説「おもかげ」を以前読んでからだった。
私なりに浅田次郎の小説の面白い点を挙げれば、ストーリー性と時空を超えて登場する人物が不思議に違和感なく受け止められることなどだ。
「おもかげ」は正にその特徴がはっきりと現れたもので、ただ結末は私にとってはやや満足出来ぬものがあった。

しかし、これまで買い求めた文庫本はほぼ面白く読めている。
そしてこの「蒼穹の昴」。
中国の近現代史シリーズとしてまとめられる著作のひとつで、人名、地名、社会的組織などに中国語がふんだんに出てくる。
中国語読みのルビはふられているが、とても覚えていられない。
だから物語の展開が理解されないところが少なからずあるのだ。
そういうこともあって、読後感をここに書こうとしても、うまくまとめられない。

自分でも不思議に思ったのは、読んでいて「ようわからん」ところがたくさんあるのに、先を読もうという気力が無くならないことだった。
とにかく面白いのだ。
こんな小説は初めてだ。
もっとも、これまでに読んだ浅田次郎の”軽い読み物”の部類に入ると思われるものは、途中で読むのをやめてしまったものもあるけれど。

それにしても、他の国の歴史を舞台にした物語を、これほど史実に忠実に展開できる浅田次郎と言う人の才能には、ただただ敬服するのみ。
非凡の才能というのは、これを言うのだと思った次第。

セルフのレジをトライした

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ち絵さんと一緒に”つたや”に行った。
ち絵さんはYui が欲しがっていたメタリックのカラーペンを、私は文庫本を物色した。
それぞれ買いたいものが揃って、レジへ向かった。

レジは店員が応対し会計する従来どおりのコーナーと、自分でコンピューター処理をして会計するコーナーに分かれている。
自分で会計するやり方は何となく抵抗があって、今までやったことが無かった。
従来通りのコーナーはかなり並んでいたので、この際自分で会計するやり方をやってみようとなった。

デスプレイを見ながら、指示された操作をすればいい。
ただそれだけなのに、どうも分からない。
こんな時は訊くに限る。
モタモタしているお客さん対応の店員にアシストしてもらった。
意外に簡単。
──でももう一度独りでやってみろと言われたらできないかも
お金を入れてお釣りを受け取り、万事OK。

出口付近には文庫本用のカバーが置いてあったので、必要枚数を取り、同じく備えてあったレジ袋に入れて・・・
おや、会計し忘れたものが1個あった。
気が付かずに出口を通ったらアラームが鳴るに違いない。
コワイコワイ。
もう一度レジをするのも面倒なので、それは返却することにした。

初めての経験だった。
店側では店員不足を補うシステムだろうと思うのだが、やってみればそんなに難しくはない。
通常レジに並ぶ列には若い人も結構いたけど、やっぱり最初のとっかかりが面倒に思うんだろうな。

アレンジ版ポーカラインディアン

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古い新聞の切り抜き見つけた。
メモした日付を見ると2015年6月とあった。
故井上ひさし氏の娘である井上都さんのエッセイ。
コラムのタイトルは「ごはんの時間」(著書もあるようだ)。

母親の得意料理だった”ポーカラインディアン”を30年ぶりに作ってもらったが、「その味は流れ去った過去の最高のスパイスなのだと気づいた」とあった。
”ポーカラインディアン”って何だ?
名前が一風変わっていたからかもしれない。俄然興味が湧いた。
作ってみようと思った。
しかし、その記事から読み取れるのは
・豚肉とたっぷり刻んだタマネギを炒める
・カレー粉で味をつける
・ケチャップで甘みを加える
これだけだ。

自己流でやれないことも無いが、念のため料理専門のサイトでレシピを検索してみた。
ところが出てこないのだ。
まるっきり。
どうもよく分からない。
どうやらポークを使ったインドカレーのようだが、それともまた少し違う。
・とろみはどうやって出すの
・味付けはケチャップだけ?
・豚肉以外に具はタマネギだけなの?
まるっきり分からないことだらけだ。
井上都さんに訊くわけにもいかないし。

こうなったら「じーっと考えて」作ろう。
ひょっとしてとろみの無い「野菜炒めのケチャップ味カレーもどき」なのかもしれない。
まずはチャレンジしてみることが大事なのだ。
「初めてのものは少しにしてね」
ち絵さんの失敗を怖れるアドバイスが聞こえる。
しかしそんなブレーキにひるんでいられない。
やればできるのだ。
そして・・・

できたど!
夕食のテーブル。
ち絵さんが何とも言えぬ顔で
「フライパンで作ったカレーなの?
「喉が詰まりそうね、何か汁ものがあるといいね
「生野菜のサラダが一皿欲しい感じ
などといろいろ言ったあとで、私の顔を見つめて
「オイシイ!」
──良かった、一安心

それからち絵さん、私がなぜこの料理を作ったのか訊くので、私は”アレンジ版ポーカラインディアン”誕生の経緯を話し始めた。
・古い新聞のスクラップに井上都という人が書いた記事を見つけ
・載っていた”ポーカラインディアン”を作ってみようと思ったこと
・しかしレシピをネットで調べても全く分からない
・自分流でやることにした
・具は甘みを損なわぬようニンジンを追加
・カレー粉とケチャップをドッサリ入れ、料理酒とウスターソースで味を整えた
などなど。

いつもは会話の聞き役となる私だが、今回は話す側となり、ゆっくり時間を掛けて食べたせいか、通常のカレーはあまり得意じゃあないち絵さんだったが、
見事完食。

だけど、リクエスト(また作って)はありませんでした。

ずぼらなクリスチャン

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クリスマス・リング。

今年は早めに準備したのだが、針葉樹のヒバの枝が十分でなかったためサンゴジュの葉で補った。
リングは2つ作り、玄関ドアと玄関を入ってすぐ突き当りの壁に1個ずつ下げた。
出来てすぐは見栄えがしたのだが、翌日になるとサンゴジュの葉がしおれて見苦しくなった。
2日ほどそのままにしておいたところ、どうしようもないほどみすぼらしい姿に。

ち絵さんがたまりかねて、
「ヒャッキン(100均)で何か買ってこようよ。リースや飾りがあると思うよ」
確かに、3年前に作ったようなものをぶら下げておくのは忍びない。
ち絵さんのクレームですぐに外した。

外したはいいけど、また作り直すのは厄介だ。
気持ちがしぼんでしまうと、膨らませるのは人知れぬ努力を要するものなのだ。
──今年はもう作るのをやめよう
   来年から作らなくてよくなれば、そのほうがいいや
取り外したリースはそのままうっちゃっておいた。
──ずぼらなクリスチャンだな
   そんなことでいいんですか
3年前のリースを毎日眺めていると、少しずつ気持ちが膨らんできた。
──何とかせにゃなるまい

ホームセンターに出かけ、クリスマス・グッズを物色してみたのだが、これと思うものが無い。
仕方がない。ありあわせのもので何とかしよう。
2つを1つに集約し、ピカピカの鈴やリボンをふんだんに付けて、玄関ドアに飾った。

外出から戻ったち絵さんのコメントは・・・
特にありませんでした。
Merry Christmas !

ちょっと早かったかな。

手作り味噌を仕込む

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手作り味噌を仕込む日になった。
朝食後ち絵さんと二人ですぐに作業を開始した。
米麹や大豆はネットで購入したのだが、もう何年も前から続けていることなのに、ネットで注文するたびにスッタモンダする。
今回もそのパターンになったのだが、要するに当方のメールアドレスが販売店のサイトに登録したものと違っていたのが原因だった。
販売店に電話して注文内容を確定してもらい、代金を振り込んでから品物が届いた。

米麹と大豆が各4Kgばかりの少量なのだが、わが家とK家族の半年分になる。
作業は前日にち絵さんが大豆を一晩水に漬けおき、麹は塩と混ぜておく。
翌日小分けした大豆を圧力鍋で煮て、それを私がミンサーで挽く。
それから塩きりした麹と混ぜて大きな容器に蓄える。

この一連の作業はもちろん二人がかりとなるから、ち絵さんと私のモロモロの予定を勘案して日にちを設定している。
今日は圧力鍋で煮てからミンサーで挽く作業を8回繰り返した。
半日仕事だが、結構疲れた。

後片付けもすっかり済んで、お互いに
「お疲れさまでした」

寒さが記憶を連れて来た

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中学生の頃だった。
担任の先生が冬休みの期間中何人かの生徒を選んで、自主研究をやってみるようにと勧めた。
自主研究と言っても、テーマは先生が決めていたのだが。
生徒は私を入れて4人。
テーマは・・・
水槽で金魚を飼い、水中の酸素と二酸化炭素濃度がどう変化してゆくかをしらべるものだった。

熱帯魚を飼うような水槽に何匹かの金魚を入れ、水面には流動パラフィンの層を作って空気を遮断する。
金魚を入れてから一定時間経過ごとに水槽の水をサンプリングし、酸素と二酸化炭素の濃度を調べる。
分析の原理はチンプンカンプンだったが、測定値をグラフにしてみると、水中の酸素は次第に減少し、二酸化炭素は逆に上昇してゆくことがはっきりと分かった。
金魚が水と流動パラフィンの層の境目でプカプカやり出した時、それ以上続けるのはかわいそうだったから、終了とした。

冬休みの期間中の、今で言えば部活だったのだろうか。
真面目に学校に行って、真剣に研究に没頭したかと言えば、実はそうでもない。
私を除く仲間は、体育館でバレーをやったりしていて、なかなか実験室に集まろうとしなかったから、私は気を揉んだ。

分析には蒸留水を使う。
蒸留水は20リッターも入る籐巻の大きなガラス瓶に入っている。
それが切れてしまい、先生が用務員のおじさんに購入してくるよう頼んだのだが、その用務員さん、雪道で自転車が滑り、蒸留水の入ったビンを割ってしまった。
用務員さんのしょげた顔を今でも覚えている。

ワイワイ騒ぎながらも仕事を終えて帰る時は、あたりは暗くなっていた。
先生にあいさつするため職員室に行くと、そこには石炭ストーブが赤く燃えていた。
まず体を温めてから帰れと言われ、しばらくストーブに手をかざして温まった。
一人の色白の友だちの手がしもやけで真赤に膨れていた。
ストーブで温まっても、外は吹雪いていたから、すぐに体が冷たくなった。

研究の結果は、私がどっかで発表したのだが、その辺はよく覚えていない。

今週は冷え込みが厳しくなるとの予報を聞いて、思い出したことを書いてみた。

舌を鍛えよう

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NHKのTVを観たのだろう、ち絵さんが目を輝かせながら話し始めた。
「舌を鍛えると足腰が丈夫になって、認知症の予防にもなるんだって」

”舌を鍛える”というのはどういうことなのか良く分からないが、多分”咀嚼”の事だろうと思って訊いてみると、確かにそうだった。
食事の際、よく噛まずに飲み込む人とよーく噛む人とでは、食べたものの吸収に差が出てくるわけだから筋肉の付き方が変わってくるのは当然だろう。
しかし、それ以上に大事なことは良く噛むことで脳が活性化されることだという。
ある程度それは理解していた。
ち絵さんはたくさんの症例を実際にTVで見て、ビックリしたようだ。

舌を鍛えるには会話をすることも大事。
誰とも話さず、ひとり黙りこくって食事するのは認知症になる危険性が大だという。
それもうなづける。
「一生懸命話している人の話を黙って聞いているのはダメ?」
冗談に訊いてみたらやはりダメだって。
──でも真剣に訊くんだったら、脳が活性化されるんじゃないかな

もう一つ。
手先を動かすこと、つまり工作や書き物をするのも脳に良い影響を与える。
「パソコンでキーボードを叩くのはどうなのかな」
それもいいんじゃないか、ということでした。
少し安心していいかも。

しもやけ対策

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今年はいまのところしもやけやあかぎれに悩まされずに来ている。
11月の後半あたりから手足にしもやけができる私にとっては珍しいことだ。

実はそれなりに対策してきた。
手足が冷たいと感じるようになったときに、靴下を厚いものに替えたし、風呂上りには手指のマッサージをするようにした。
このままの状態で今冬を乗り切れたらラッキーなのだが。

いちばん頭を悩ますのはあかぎれだ。
やむをえず液体絆創膏を使うのだが、一時的に楽になっても連鎖的に被害が拡大する。
だから何とかして悪循環に陥らないようにしたいと思っていた。

「母さんの歌」にあるのだが、
♪かあさんのあかぎれ痛い
 生味噌をすりこむ
なんてことをじっさいにやったのだろうか。
痛くて飛び上がるだろうに。

そんなことをぼんやり考えた。

今日は寒さが少し和らいだ。

字を上手に書きたい

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字を上手に描くには。
この場合の”上手”は決して”達筆”のことではなく、”自分の気に入った字を書く”という意味である。

仙台の手作り万年筆の老舗で買った万年筆がある。
少々高価だったが、デザインも好きだった。
しかしどうも書き味がいまいちだったので、使い続けようと思いつつ、引き出しの中に仕舞っておくようになり、そういう中途半端な持ち方が嫌になって、思い切ってち絵さんに譲った。

何年か経って、惜しくなり、買ったときの半額を払って返却してもらった。
そういういわく付きのものだからという訳ではないが、やはり使い慣れたいと思った。
インクは”Sheaffer”と指定されていて、そのインクは紙質を選ぶという曲者だ。
いろんな紙質を試してみた。
しかしどうも気に入らない。
未だ満足できるものが見つかっていない。

私が使いやすく、書いた字が”サマになっている”とうぬぼれるのは、水性ボールペンで芯径0.7ミリの青。
(芯径0.5や1.0も良く使う)
インクが顔料タイプでにじみがない。
これが最高。
数えていないが、もう何十本使ったか分からない。
字を書くだけでなく、スケッチにも使っているから、消費が早い。
文具店で買うときは5,6本まとめ買いしている。

それはそれとして、万年筆も使いたいと思って、上述のマニュアッックな打ち明け話となったのだが。
「こだわりの世界」は一見虚しくもある

粗大ゴミを捨てる

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粗大ゴミを捨てた。
通常のゴミ捨てカレンダーに従ったやりかたでは捨てられないゴミを処理施設であるクリーンセンターに持ち込んだ。
年末が近づくと込み合うので、早めの実行となった。
今回はさほど複雑なものは無かったが、いざ捨てようとすると「待った」がかかって迷ったものが幾つかあった。

最初に戸建て住宅を購入したとき、兄貴に新築祝いでもらった自筆の絵。
年月が経ち仕舞いこんだままだった。
「プレゼントは捨てられないなあ」

海外旅行用の大きなケース。
「しっかりしてて衣類を入れて仕舞っておくのにいいから、とっておこうか」

キャリーバッグ。
「同じものが二つあるから、1個捨てよう」

その他重くて使いにくい布団。来客用に取っておけば安心ではあるけど。
「迷ったら次回に回そう」
などとち絵さんと二人で検討したのだが、二転三転して結局捨てないことになったものもあった。

海外の画家が描いた絵の複製品で、額装したもは全部捨てることにした。
その中の一つ。ドガの”踊り子”。
ち絵さんが見て、
「すごい埃だね」

その絵が好きで長いこと飾ってあったことの証拠。
ちょっと感慨深かった。

見果てぬ夢

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     〈マグダラのマリア O170下絵〉

YouTubeでついつい見てしまうサイトがある。

一つは刃物を造る工程。
いわゆる鍛冶屋の仕事。
切れ味鋭い刃物は魅力的だし、それが造られる(鍛造)工程が面白い。
炉から出した真赤な鉄を叩いて延ばす。
また炉に入れ、叩いて延ばす。
何度も繰り返すその工程には不思議に惹きつけられるものがある。

もう一つは立派な工作機械が揃った工房でDIYをやっているところ。
私は子どもの頃「ボッコシ(ぶっ壊す)大工」という不名誉なあだ名をつけられたが、「ものを創る」のが好きだった。
いつか大きくなったらボール盤、バンド・ソーなどの工作機械を備えた部屋を持ちたいと思っていた。
しかしDIYの真似事は今でもやってはいるが、工作機械を揃えた工房を持つという夢はついに叶わなかった。

美術の教師を勤めた兄が退職後木彫に興味を持ち、遊び心いっぱいのおもちゃや調度品を創っていて、
時々”おもしろ木工展”と名付けた個展を開き作品を販売している。
「絵(油絵)よりこっちの方が売れる」と言っていた。
兄にもらった作品で、背もたれが”ブレーメンの音楽隊”のイスがわが家にある。
飾り物だけど。
たくさんの鳥が木に留まっている背丈ほどの大きさのものもある。
感心するのは、鳥の木彫品一つひとつのデザインがアイデアに富んでいて面白いこと。子どもが手に取って遊べる仕組みになっていることだ。
最近は一休みしているのだろうか、案内のDMが来なくなった。
兄のアトリエには私が欲しかった工作機械が幾つか置いてある。

わが家のガレージはビルトイン式で車2台分が分かれている。
今その一つが空いているので、そこをDIYの工房に改築しようと思えばできないことはない。
しかし、それをやろうと思ってもできなくなったし(体が)、そんな話をち絵さんに切り出したら、あきれ返って、何を寝ぼけたことを言うの、と言われるのがおちだ。
だから私は、空いたガレージでDIYに熱中する自分を想像するだけに留めている。

後味の悪い愚門

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恥ずかしい話になるんだが。

例えばの話。
会話の途中で「良く知っていることで決して忘れたりするはずはないこと」が一瞬分からなくなって、質問してしまったとしよう。
相手はキョトンとし、質問した人はバカなことを訊いてしまったことを後悔し、
この先のことが不安になって暗澹たる気持ちになる。
──困ったもんだ

そしてここから実話。
ち絵さんが病気治療中のMさんを自宅に見舞ったときのことを話し始めた。
Mさんはち絵さんと同じお茶の教室の仲間で、私もごくたまにだが、お付き合いはあり、親交は長い。
(私の銅版画の個展には何度も見に来ていただいている)
ち絵さんは治療中のMさんのことをほとんど毎日話題にしていると言ってもいいほど。
同じお茶の教室の生徒だから、流派は同じに決まっている。
それなのにィ、それなのにィ。
「Mさんのお茶は何派?」
と訊いてしまった!

ち絵さんは驚いたが、すぐに”真面目に”答えてくれた。
私は照れ隠しに、バカな質問をしてしまったことを、自分でも分からんと言い添えたが、
「わたしのはなしをサラーッと聞いてんでしょ、サラーッと」
と言われ、そんなことはない、真剣に聞いていると弁解したのだが、多分信じなかったろう。

世の中、様変わりは甚だしいものがあるが、こういった類の地殻変動みたいな「ズレ」は起こらないで欲しいと切実に思う。

日本語は消滅する?

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        〈風の盆 習作〉

来日して27年という米国詩人のアーサー・ビナードさんの「日本語は消滅に向かっている」という論評を新聞で読んだ。
ビナードさんは詩やエッセイで数々の文学賞を受けている。
彼が日本の文化と日本語について危惧していることは痛いほど理解できるし、本当に何とかしなければと焦る気持ちにさせられる。

指摘していることの一つは、
小学校の英語教育はそれを否定しないが、日本語は英語より劣っているという印象を子どもたちに無意識に植え付けているのではないか。
そしてまたカタカナ英語の氾濫や欧米の文化を優位に置く意識などを、「日本語消滅」の要因に挙げている。
確かにそうだ。
それは間違いないかもしれない。
しかし私は将来を肯定的に捉えたい。
「日本人は日本語を大切にし、日本の文化は長く継承されていく」だろうと。

そう思いたいのだが、私自身常日頃感じていることで、日本語が危ういと捉えられかねない「日本人の習性のようなもの」を挙げてみる。
(ビナードさんが役所に行ったら「下手な英語で話しかけられ、吐き気がした」と述べていることに通じるのだが)
日本人ならだれでも思い当たることの一つ。
外国人(のような顔をした人)に出会うと、英語で話しかけなければいけないような気持になって、どこか気持ちが引けてしまい、ついおかしな英語を口にしてしまう。
「日本に来てなんで日本語を話せないの?」という気持ちで、デンと構えることがなかなかできない。
外国では異国の人に「俺の言うことが判らないのはお前の方が悪い」といった感じで、堂々と自国語で話しかけているのに。
日本人は外国人に一瞬引けてしまうのはなぜ。

でも、それがダメなことなのだろうか。
いや、決してそうではない。
日本人は相手のことを考え、自分を譲ってでも相手を立てようとする気持ちになる(今年の流行語大賞の一つ”忖度”かな)。
それが日本人のアイデンティティーであると考え、外国人を見たら英語で話しかけようとするのは、決して日本語を劣ったものと考えているのではないのだと思う。

確かに日本語の乱れは甚だしい。
(若者が語彙不足を擬音語や擬声語の多用でカバーしたり、YouTubeに溢れるでたらめな日本語、いい年をした大人が時代を先取りしていると言った顔で若者言葉を使っていたりするのを見ると情けなくなる)

でも、正しい日本語を守ろうと考えている人は確かにいるし、日本語が消滅することは決してないと思いたい。
日本人でさえ時に「難しい」と思うほどの日本語を学ぼうとしている外国の人や日本の文化を理解しようとする人たちはたくさんいる。
日本語に精通しているビナードさんが、日本語の行く末を憂えてくださるのは嬉しいことなのだが、ここはひとつ、どっしりと腰を据えて考えよう。
そして信じよう。
「この先どんなに欧米の文化が浸透しても、日本人がこれまで日本の文化を大切にしてきたように、日本語も大事にしていくだろう」と。

クリスマス・リースを作る

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クリスマス・リースを2つ作った。
Yui にプレゼントでもらったのが1つあるので合計3つになった。
いつもなら伸び放題のチャボヒバの枝を使うのだが、今年は庭木の剪定をしたので、チャボヒバの枝は短くて用をなさない。
それでもやや伸びた枝を何とか集め、それにサンゴジュを組み合わせることにした。
サンゴジュは広葉樹。
てんで合わないのだが、やるっきゃないと。
何とか形を整えたが、やはりどうもうまくない。
貧相に見える。
今年はこれで我慢してもらおう。

クリスマスのリースを作るたびに祖父を思い出す。
年末になると、
「しょーがつ来た、しょーがつ来た」と言いながら、金紙と銀紙で仏壇に供える蓮の花を作った。
誰に頼むこともせず、自分の仕事と心得ていて、楽しんで作っていた。
私は子供心にも器用なものだと感心して見ていた。
正月を迎えると言うことが、祖父母にとっては心からの楽しみだったのだろう。

私はどうなのかな、と思う。
粗大ごみを集めて焼却場へ運ばなければならない。
窓拭きがある。
それに年賀状だ。
かなり楽しいという気分とはかけ離れている。
それらが全部処理出来たら、ほっとするけど。

動かなくなったカブト

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オスのカブトムシが1匹、ついに動かなくなった。
つがいのカブトムシを2組、飼育ケースで飼っていた夏のころ。
孫のReiji がわが家に遊びに来て、「カブトと遊びたい」とち絵おばあさんにせがんだ。
ち絵さんは牛乳パックで作った積み木で廊下の一角を仕切り、その中にカブトムシを放した。
Reiji はカブトの角をつまんでクヌギの木切れに這わせたり、割り箸につかまらせたりして遊んでいた。

ひと時が過ぎて、メスが卵を産み、幼虫がマットの中にウジャウジャいるのにびっくりした。
やがて夏が終わりに近づくと、1匹2匹と動かなくなり、
さいごの1匹になった。
それからがカブト飼育の長丁場。

秋になり、寒さがつのってきて動きがのろくなっても、今更庭に放すわけにもいかない。
甘い果物も食べなくなって、ち絵さんやM男が脱脂綿にハチミツを浸して与えた。
今日はどうかな、と角に触れてみれば、ゆっくりと体を動かす。
カブトをツンツンして
「まだ生きてる」
と確認するのが日課になった。

越冬するのかと思ったほどの生命力なのだが、正に虫の息といった感じ。
肢の先をわずかに動かすだけのカブトに、Reiji は触れてみようとはしなくなった。

そして11月の終わりに、ついに動かなくなった。
飼育ケースからその姿が消えた。
ち絵さんがどこかに埋めたようだ。

さて、幼虫がいっぱいの飼育ケース。
来年はどんな展開が始まるだろう。

ち絵さん、ツバキで熱弁をふるう

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朝食のテーブル。
食事が終わって、二人でお茶を飲んでいた。
ち絵さん、やおら立ち上がり窓際から小さな花器を持ってきて食卓に置いた。
花芽がたくさん付いたニシキギの枝と小さな白い花2輪を付けたツバキが差してあった。
それを観ながら、ち絵さんがツバキにまつわる執着と後悔の入り乱れた話を始めた。

話が次第に熱を帯び、身振り手振りが入って目が輝きだした。
まあ、その内容をここに書くのも所帯じみるというか、私小説みたいになるから詳細はやめとくけど。

何種類かの茶花に使うツバキの一つは、
何年も欲しいと思っていてやっと手に入れ、大事に育てていたが、、ようやく幹が太くなって花が付くのを楽しみにしていた。
ところが、今年の春に植木屋を呼んで庭木の剪定をしてもらったとき、コミュニケーション不足で根元からチョン切られてしまったとか。

自分が剪定した別のツバキは大きく切りすぎて花芽が一つしか付かない。
それはそれはかわいくて大事なものだったとか。
まあ、大まかにそんな話。

聞いている私はめんどうくさいなどといった顔をしないように気を付けている。
話に出てきたツバキの種類はちゃんと覚えようと思う。
ほんと。

何だったかな。
ワビスケ(侘助)
カモホンアミ(加茂本阿弥)
コチョウワビスケ(胡蝶侘助)
ヤブツバキ(藪椿)
これだけだったな。
あとはツバキじゃないがニシキギか。

しかし、ツバキが何で”侘助”や”本阿弥”なんだ。
茶道の美学かな。

気が滅入る話

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「Oさんとランチしてきます」
ち絵さんがお食事会に出かけて行った。
その予定は数日前から聞いていた。
気心の知れた友だちとのおしゃべりは、時のたつのも忘れるほど楽しいだろう。

ところが帰宅したち絵さんは浮かぬ顔、というよりしょんぼりした様子。
「レストランが思い出せなくなっちゃったのよ」
レストランを間違えたとのこと。
待ち合わせの時刻を過ぎてもOさんが姿を現さない。
そこでOさんにケータイで電話をして、自分の間違いに気づき、Oさんの待つレストランに向かったとのこと。
時間のロスはさほどではなかったが、ち絵さんの落胆は大きかった。
「この先どうなっちゃうのかしら」

何と言いましょうか。
いえいえ、わたしには何も言えません。
同じようなことをやってますから。

今日銀行に行った。
送金と預け入れの二つの”仕事”があった。
預け入れの方が重要だった。
残高が減っているから補充しなければならない。
ところが送金だけやって、帰ってきてしまった。
帰宅して通帳をみて、残高が増えていないのは不思議だなあ、なんて思って、気が付いた。
出直す気がせず、またの機会にすることにした。

──こんなことがこの先続くのかなぁ
そう思ったが、ち絵さんには黙っていた。

何と申しましょうか。
実に気が滅入る。
ギャラリー
  • ヒートテックを着てみたい
  • 今年の冬は雪が降るかな
  • 忙しくしていられることに感謝
  • 注射に恐怖心を与えてはいけない
  • 空を飛ぶ鳥の姿がいい
  • 懐かしいフィルムカメラ時代
  • 野菜をたくさん食べられる幸せ
  • 高圧洗浄が始まった
  • 出品作が完成
  • 冬の扇風機
  • 八つ頭
  • 力を貸してくれた方
  • またやっちゃった
  • いつもどおりができないとき
  • 足場が組まれて
  • 紫外線による劣化
  • 栗とサツマイモ
  • ギリギリの歌
  • ひょこひょこ出てくる言葉
  • 屋根と外壁の塗装を計画
  • LEDのメリットとデメリット
  • 「遥かな友に」で思い出すこと
  • 着物
  • おしゃべり会
  • 「子供の科学」のこと
  • 目に付きにくいのは場所のせい
  • アオムシを飼育する
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プロフィール

はるか

人の顔ばかり描いていて、何かいいことがあるかと言いますと、そういうことは全くありません。スクラップブックがやたらと増えるだけで、やめたいのですが、やめられません。文章も毎日つまらないことばかりですし、絵とはつながりがないので何か変ですが、これでいいんでしょうか。

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