いち絵 にっき

果てしなく人の顔を描き続ける「はるか」と畑の野菜作りに元気な「ち絵さん」のありふれた日常の一コマを切り取った一期一‟絵‟日記

2019年02月

スマホはいいんだか悪いんだか

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スマホのことで再び。
孫のReiji は4歳。
スマホはほぼ自由にも扱える(主にゲームだが)。
例えばレゴブロックで面白いものを作ると、ち絵さんからスマホを借りると
「おじいちゃんに見せてあげて」
とパシャパシャ写真を撮って返してくれる。

普段は一時もじっとしていない活動的なReiji だが、タブレットで遊んでいる時は静かにしているので親として楽なのだが、あまり長時間は困るので、
1時間遊ぶとタイマーが働いて電源が切れるようにしている。
しかしReiji は自分で解除してしまうとのこと。
するとまた1時間遊べることになる。
「全く一方通行なのよね」
とち絵さんが嘆いている。
テレビなら会話があるが、タブレットで遊ぶアプリは、キャラクターがただしゃべっているだけなのだそうだ。
光る画面を近くで見るので、目を悪くしないかと心配になる。

7歳のYui はスマホやタブレットにあまり執着しなくなったが、それでもプリキュアだかなんだか、それらしきコスチュームを身に着けて自分で適当に振り付けた踊りを見せてくれる。
スマホから流れる音楽に合わせて、からだをクネクネと。
「おばあちゃんもいっしょに踊ろ」
とせがまれるが、ち絵さんは懸命に辞退するとのこと。

学校へ持ち込みを許可した中学校があるとのニュースを見た。
東日本大震災のときに家族に安否を知らせる手段がSNSしか無かったことがその理由とのこと。
大方は賛成のようだが、高速道路を無免許の小学生に車を運転させて走るようなものだと強く反対する意見もあった。

私はせいぜい高校生になるまでは待った方がいいと思うけど。
どうせ家に帰れば、スマホやタブレットで遊ぶのだろうし、
学校でそれを使うとしたら、授業の一環としてという目的に絞るべきだと思う。
となると機器は学校側で用意すべきとなるでしょう(現にタブレットを授業で使っている学校もあるはず)。
子どもたちがスマホやタブレット依存症にならない手立てを講じておくことは絶対に必要だと思う。

スマホが無い!

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スマホを紛失した。
いや、紛失したと思った。
昨日ガリンスタンドに行き灯油を注文し、次いで洗車を頼んだのだが、
事務所で待っている間、スマホを取り出してちょっくらブログを見てみようと思った・・・
ところが、無い!
外出するときは確かにズボンのポケットに入れたはず。
最初に立ち寄った保育所でち絵さんと孫たちを車の中で待つ間、スマホを取り出してチラと覗いてみたのは勘違いだったかな。
多分ポケットからずり落ちてしまったに違いない。

洗車が終わったので、車の中を調べてみた。
やはり無い。
どうにも腑に落ちない。
帰宅してから懐中電灯を持って、もう一度車の中を調べてみた。
運転席の座席の下、奥の方にあった!
ほっと胸をなでおろした。
それから記憶を呼び起こしながら、どこで失くしたか考えてみた。
そうだ、スマホをズボンのポケットからコートのポケットに移したんだ。
コートのポケットはあまり深くなかったので、その時に滑り落ちたのかな。

気持ちに余裕ができると、捜しものをするときに決定的に重要なことは何だろうと考えた。
「失くしたものを最後に確認したのがいつ、どこでか」だと思った。
それが明確だと捜し易い。
いやはや、今回はそれがちょっとあやふやだった。
先日、ち絵さんが車のキーを紛失したときは肝心のそれが全く記憶になく、見つかるまであちこち捜したり尋ねたりして時間がかかった。
気を付けよう。

いつものパターンで、何気なく手足を動かしているのが危ない。
大事なものは不用意にポケットに放り込むのではなく、きちんとカバンに入れ、
「よし、ここに入れたぞ」と“認識する”。
などと今更ながら気持ちを引き締めた次第。

果てしなく聴く音楽は

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ち絵さんが突然訊く。
「『もしもし ベンチでささやくおふたりさん』って歌知ってる?」
その歌は良く知っている。
ち絵さんが歌い始めた。
でも、どうも歌詞が良く分からない。
「違うよ、『日が暮れる』だよ」
などと私が知ったかぶりをしたのだが・・・。

歌っているのはだれだったろう。
「三橋美智也かな」
「曽根史郎だったと思うよ」
YouTube で調べてみた。
私の記憶はてんであやふやだった。

‟若いお巡りさん”(昭和31年)
制服姿で曽根史郎が歌っている。
やさしいメロディと語りかけるようで自然な歌詞がとても心地いい。
「懐メロだね」
「こんな歌は全く出てこなくなったね」

いまメディアを通じて聞こえてくる歌のほとんどはメロディがあるようで無いような、歌詞は‟こころ”を伝えようとしているが、悲しみも苦しみも孤独も、どこか乾いていて潤いが無く感じられる。
そんな風に感じるのは自分が‟古い人間”であることは百も承知している。
しかし、どんなに歳を重ねても、時代が変わっても、心打つ音楽がある。

私にとってヴォーカルは数年も聴いていると飽きが来てしまう。
半世紀を過ぎているにも関わらず、聴くたびに心が和むのはシンセサイザーだ。
一日とて聴かない日はない。
その曲に出会えた幸せを感じながら、今日も聴こう。

整理で日が暮れる

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     〈入祭の歌が始まる〉

銅版画作品の整理はまず整理棚を作ることから始めた。
その棚が完成したので、あちこちに分散して収納してある作品を引っ張り出し、中身を確認し残しておきたいものを選んだ。
良くもまあこんなに刷ったものだとあきれるほど枚数の多いものもあれば、数枚しか無いものもあった。
良く刷れている2枚だけを残し、他は廃棄することにした。

思い入れのあるものはやや多めに残したが、これは例外。
制作番号で50番単位に整理棚に入れた。
クリアシートに入れ制作番号をつけた。
50番の中では順序はランダム。
ともかくこれでいい。

廃棄することになったものが大量に出た。
大きめの紙に印刷したものは、余白部分があるので、何かもったいない。
余白部分を切り取って小さなスケッチブックを作ってみようと思っている。
これはまだ仕掛中。

刷った作品と作品の間には‟間紙”と称して吸収性の良い紙を挟んでいる。
間に合わせでコピー紙を使ったが、そのコピー紙がまた大量に発生した。
ところどころインクがにじんだりしているから、コピー紙としては使えない。
メモ用紙にでもするしかないが、Yui ちゃんの「お絵描き帳」にしようか。
絵を描くのが好きなYui は喜ぶだろう。

さて刷った作品はこれで何とか整理という格好がついたが、問題はスケッチや下絵だ。
これがまた膨大!
先ほどの間紙に使ったコピー紙の再利用の一つとしてスケッチ類を貼る台紙にしている。
台紙に貼ってファイルに綴じる。
ファイルは結構な数になるが、モチーフ別にインデックスを付ければ、見栄えは立派なもの。
こちらもまだまだ作業進行中。
あと何日かかるやら。
別に急ぐ仕事ではないが、部屋や作業テーブルの上がテンヤワンヤだから、やっぱり早く終わらせたい。

それは良かったねという話

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良く晴れた気持ちのいい朝だ。
ち絵さんが私の朝食がほとんど終わったころ起きてきて、最敬礼した。
「おはようございます」
ぐっすり眠れたようだ。
食卓に着くとすぐに話し始めた。
一昨日とんでもなく心を傷つけられた出来事があって、夜は眠れなかったそうだが、昨日それが良い結末に変わり、ほっと胸をなでおろしたとのこと。
心の傷が癒えたようだ。

聞けばその出来事とは、知人のKさんから常識のある人間のすることかと思うほどのひどい扱いを受けたのだが、それに対して反撃できなかったとのこと。
しかし私が
「そんなことをされたら、文句を言わなきゃあダメじゃないの」
と言ったのだが、その言葉は更にち絵さんを傷つけたかも知れない。
私はアウトサイダーだ。
ち絵さんとしてもどうすべきだったかは百も承知していたのだが、「やめてください」とは言えなかったとのこと。

残念で悔しく思うのだが、そういったケースは至る所で起こる。
私とて反論できずに悶々とすることを何度も経験している。
まあ、何とか良い方向に転がったことに喜びを見つけ、明る気持ちになれたのなら、それでいいんじゃないの。
「やっとおとうさんに話できる気持ちになったから話すんだけど」
という訳で、ち絵さんの話はしばらく淀みなく続いた。

「うるい」という植物

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郷里の義兄から宅配便が届いた。
いろんな物の詰め合わせだったが、その中に旬の野菜が入っていた。
「うるい」と書いてある。
初めて見る野菜だ。
どうやって食べるのだろう。

ち絵さんがお礼がてら義兄に電話して、調理法を聞いたところ、
「なんでもい(良)なや」
と、どうも要領を得ない。
包装を良く見ると、「天ぷら、おひたし、浅漬けにして」とあった。
形がどっかで見た覚えがある。
ち絵さんも何か思い出したようで、窓の外を指さしながら
「あれよ、あれあれ」
庭に植えてある植物に似ているとのことだが、名前が出てこない。
やっと出てきた。
「ギボウシにそっくり」

ギボウシは日陰に生育する植物のはず。
食べられるそうだが、何かあまり食欲をそそらない色と形だ。
ネットで調べてみると

【うるい】
オオバギボウシ
湿った場所に多くみられる多年草。長い花茎に薄紫色の花を咲かせる。庭や花壇などに多く植えられている。
若いうちに採取し、茹でたあとおひたし、和え物にする。天ぷらにも良い。
戦争中食糧不足の折に採取して食料とした。

やっぱりギボウシの仲間だった。
量が少ないので、おひたしにして食べてみようか。

不思議だなあという話

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昨日はずいぶん暖かな日だった。
4月中旬の陽気だったとのこと。
上着を1枚脱いだが、それでもまだ何となく“生あったかくて嫌な”気分。
枕草子に《冬はつとめて》とあるように、ひんやりとしたのが好きな私としては、これから落ち着かない季節になる。
(貧乏性かな、あるいは贅沢病かも)

わが家で購読している新聞には週末にクロスワード・パズルが載っている。
クロスワード・パズルは新聞以外にも定期的に届くある種の専門誌や機関紙、その他の小冊子にも良く載っている。
そういったパズルを私が目にしたときには大抵ち絵さんが書き込みをした跡が残っている。
マス目が全部埋まっていることもあるが、時間切れだったのかギブアップしたのか、途中で終わっている場合もある。

クロスワード・パズルに似たもので‟数独”というのがあり、これは数字のパズルだ。
初級と中級に分かれている。
これも殆どち絵さんが試みていて、数字が書き込まれている。
初級はすんなり解けているが、中級は難しいらしく、全部埋まっていることは滅多にない。
(私は‟数独”はてんで苦手。できません)

一方平面的な図形の分解や合成、あるいは漢字の組み合わせのパズルなどはち絵さんは苦手らしい。
そっちは私が得意。
不思議なものだ。
スマホの簡単な操作がなかなか覚えられない人が、数字のパズルが好きだなんて。
20年以上住んでいる町を車で走っていて道に迷うことがあるという人が、図形のパズルができるなんて。

霧に抱かれて

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霧の朝。
(“霧の摩周湖”を歌いたくなりそう)。
今日は日中の気温がかなり高くなるとの予報だった。
地表は冷えているのに、空気が温かったためだろうか。
昨日雨が降って湿度が高かったことも影響したかも知れない。
「ホワイトアウト」とまではいかなくても、こんな時の車での走行は注意しなくちゃ。
東北道では一部スピード制限が出たり、閉鎖されたインターチェンジもあるらしい。
でも午前9時を過ぎると霧はすっかり晴れて、青空が見えてきた。
ゴミ出しに行ったち絵さんが驚いた顔で戻ってきた。
「スノータイヤを(ノーマルに)交換しなくちゃね」
そうだね。もう雪が降ることは無いだろう。

そろそろ桜の開花時期が話題になる頃だし。
いやそれ以上に気になるのは花粉の飛散だ。
「今日はマスクして出たほうが良いよ」
外出の予定があるち絵さんにアドバイスすると、ち絵さんは素直に了解した。

花粉症と言えば、K家のYui はどうも花粉症らしい。
昨日から「グシュングシュン」とやっていたそうだ。
花粉症の煩わしさは私には判らないから、アレルギーのある人に「気を付けたほうがいいよ」と言うだけだが。
しかし私とて急に花粉症になることもあり得るのだから、人ごとだと思ってちゃいけない。
何のきっかけも無いのに、どでかいくしゃみが立て続けに出ることもあるし。
あ、これは「老人性突発咽喉異常」ですね。

旋盤は面白い

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子どもの頃家族に「ぼっこし大工」と言われた。
大工は物を作るが私はぶっ壊すのが専門の大工というわけである。
しかし壊してばかりいたわけではないのだが、なぜそんな不名誉な名で呼ばれたのかは良くわからない。
工作が大好きで、学校が休みになるとノコギリやカンナで何かしら作っていた。
外で遊び回ることも嫌いではなかったのだが。
夏休みや冬休みの間に作ったものを休み明けに先生に提出する。
宿題ではないけれど楽しいことだった。

まあ、指先が器用な人間だったのだろう。
大きくなってからもその性格は変わっていない。
そんな私が工作機械の中で手掛けたことのない領域がある。
機械を使った金属の加工だ。
万力やカナノコ、電動ドリルは持っているが、ボール盤や帯ノコ、グラインダーなどは扱ったことはあるが機械は持っていない。
そういった工作機械を所有すると言うことは、十分な空間と遮音を考えた部屋が必要になる。
いつかは金属を加工する機械を備えた工房を所有したいという夢があった。
その夢の頂点にあったのが旋盤。
旋盤を使いこなすにはそれなりの技術を習得しないといけないが、触ったこともないから、夢のまた夢だ。
今でも工作しながら金属を自由に工作出来たらいいなと思う時がある。
もう工房を持つことはできなくなったけれど。

だからせめて、YouTubeで誰かさんが旋盤で金属や木材を加工している動画を観て楽しんでいる。
いやぁしかし、今はもうすごいことになっています。
コンピューター制御で金属の塊からあっと言う間に製品が出来上がってゆくのを観ていると、もう経験豊かな技能工の世界ではないね。
ITの最先端、コンピューター・テクノロジーそのものだ。
ビックリしちゃうよ。

零細家内工場だから

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先日ち絵さんからの依頼があって「おとし」なるものを作った。
花を生ける容器だが、青銅製の壺の中に入れる。
壺でなくとも、花器に入れこしにする容器を「おとし」と称するのだとのこと。
なぜ入れこしにするのかと言えば、青銅製の壺の場合、水で腐食するのが心配なため。

さて、依頼を受けた容器は0.8mmの銅板で作ることにした。
径が85mmで深さが135mmの円筒形となる。
厚さが0.8mmとなると、加工が難しい。
結構苦労した。
円筒の側面と底板のハンダ付けが思いのほか上手くゆかなかった。
でもまあ、そこは何とか技術力でカバーして、納得ゆくものに仕上げ、壺の開口部にほぼ隙間なく収まった。

ところが最終段階で、水を張った状態では容器の取り出しができなくなることに気づいた。
そこで「おとし」の上端に細い穴を開け、針金を通して取っ手にした。
これでOK、と思ったのだが、ち絵さんは取っ手は不要だと言う。
小型のポンプ(灯油の手押しポンプ)で水を吸い出してから「おとし」を取り出すとのこと。
急遽取っ手を外した。
その作業で少しばかり傷がついてしまったが、そのまま“納入”した。
ちょうど2日半を要した仕事だった。

え、材料費と報酬ですか?
材料は全て在庫品を使いました。
報酬と言うか、手間賃はもらっていません。
請求するのもナンだし、今までこういった仕事で請求したことはありませんから。
ち絵さんがいけばなの展示会で、仲間の作品をバシャバシャ撮ってきて、それをプリントしてあげることは良くありますが、そういう場合は結構お金がかかってるんだけど、それでももらってませんよ。
言えばもらえますけどね。
たまに向こうから出してくれることはあります。
ごくたまに。

最大公約数的調理方法

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朝起きると、ち絵さんが何やらつぶやいているような叫んでいるような・・・
ときどきそんなことがあるから、さほど気にはしないのだが、黙っているのもおかしいし、空気を読んであげないと悪い気もして、声を掛けた。
「なんだかしょわしねの」
騒々しいぞ、という意味だ。
すると、ち絵さんが応えて言うことにゃ、
「寒い朝はこうやって声を出して、内側から温めるのよ」
だと。
そして一段と大きな声で、
「ヨシ! 今日もガンバルぞ !!」
でお終いになった。

空は晴れているが風が強い。
「う~っ、寒いねえ」
ち絵さんが畑からハクサイとダイコンを収穫してきた。
ハクサイは最後の一玉だそうだ。
ダイコンも残り数本となった。
どちらも生育はすこぶる良好だが、わが家ではどうやって調理するか、食事担当は悩むところがある。
しっかり漬けこんで冬の間中少しずつ食べるのが一般的だが、わが家ではそういう食べ方は向かない。
調理する本人が浅漬けにしてサクサク、バリバリ食べたいと思っても、他の家族2人の嗜好はまるで違うからだ。
「作る本人が食べたいように作る」のが鉄則とは言え、食べ残しが増えては仕方がない。
しかし、そこはそれ、じーっと考えれば最大公約数的な調理方法が浮かんでくる。

さて、今日はハクサイに付いて考えてみようか。

プライドが高く怒りやすい

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             〈ヴェロニカ〉

子どもの心はちょっとしたことで揺れ動く。
昨日保育所に子どもたちを迎えに行った時、Reiji (4歳) の姿が現れるのに時間がかかった。
何が原因なのかReiji が怒っていて、ち絵さんの言うことを聞こうとしなかったとのこと。
ち絵さんは手を焼いて、ともかくも無理やりに連れ出した。

後になって判明したのだが、その原因は次のようなことだった。
ち絵さんがReiji と会った時、彼はまだ遊びに夢中で帰るのを嫌がったそうだ。
それを見ていた同じクラスの男の子に
「あかちゃんみたいだね」
と言われた。
それに腹を立てたらしい。

一度怒ると手におえない。
「彼はプライドが高いんだね」
私がそう言うと、ち絵さんは全く同感と言った。
しかし少し時間が経てば、すっかり気分がもとに戻る。
「ほんの一時なのよね」
怒りやすいが、後を引かない性格のようで、それは嬉しい。

井戸を枯らさないためには

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                    〈ユダのこころ〉

膨大なスケッチや下絵、習作などを整理しながら、我ながら感心したことがある。
私が制作する作品のモチーフはあくまで想像によるものだ。
いろいろ考えた末に決めたイメージを、何日もかけて膨らませ、肉付けする。
もちろん「これで良し」とするまでに短期間で済む場合と、なかなか決まらず長期間を要する場合がある。
しかし過去に描いたそれらを改めて眺めてみると、そのイメージを固定化するまでの“苦労”が偲ばれて、
「良く考えたじゃない」と思うこともある。

今の自分には表現力というか、ひらめきが足りなくなったかなという気がする。
いや、実際そうだと思う。

友人で詩人のNさんが言っていた。
『詩を作る人間は毎日井戸から「ガチャコン、ガチャコン」と水をくみ上げることを止めちゃいけないんだよ』
そうしないとたちまち水は枯れる。
つまり詩作するインスピレーションが消えてしまうということだろう。
それは痛いほど良く理解できる。

私は最近、制作の間が長くなっている。
なんだかんだ言い訳をしながら、サボっている。
古いスケッチを眺めながら、そんなことを考えていた。

どこで紛失したか思い出せないもどかしさ

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ち絵さんが捜し物をしている。
車のキーホルダーにつけてあるキーの一つが見当たらない。
ち絵さんはそれがいつ紛失したのか、全く覚えていないと言う。
私も一緒に捜してあげようにも、手掛かりがつかめないので私には捜しようがない。
ひたすらち絵さんは
車を使ったのはいつだったか、
どこに立ち寄ったか、
紛失したキーを最後に確認したのはいつだったか、
といった数日前からのことを必死になって思い出そうとしているのだが、
肝心の「いつの時点で紛失したか」が分からない。

そのキーは簡単に外せるようになっていたから、多分何かの拍子にキーホルダーから外れてしまったのに気が付かなかったのだろうと推測した。
仕方がない。翌日は立ち寄ったところ全てに問い合わせるか、出かけて訊いてみるしかないとなった。

その夜遅く、念のため調べたバッグの中からそのキーが見つかった。
良かった!
「そう言えば、あの時・・・」
と、ち絵さんはキーホルダーからそのキーを外してバッグに入れたことを思い出した。
これからはもうキーを外せないようにしようとなった。
簡単に外せるストラップをしっかりしたリングに替えた。

これで再発防止になったと思うのだが・・・
車のキーを紛失したら、それにつけてある他のキーもみんな失くなっちゃうけど。
どんなことをしようと、やっぱり気を付けるしかないかも。

浮きつ沈みつする言葉

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頭の中に浮きつ沈みつしている言葉がある。
・・・ちとうしゅんそうのゆめ・・・

「ちとう」って何だ。
「しゅんそう」って何だ。
これが良く出てくるようになったのは最近だ。
なぜ?
どういう意味?
どうも気になるから調べてみることにした。

朱熹(1130~1200)作の「偶成」と判った。
(しかしWikipediaでは真偽不明としている)
高校時代にでも習ったのだろうか。
(以下Wikipediaや個別のサイトから抜粋)

少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲

次のように読む。
少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んず可からず
未だ覚めず 池塘春草の夢
階前の梧葉 已に終声

前半の2行は良く知られている。
後半2行の現代語訳は次のようだった。
春草の萌える頃、池の堤(池塘)でまどろみの中に夢を見ていると、その夢がまだ覚めないうちに
庭先(階前)のアオギリ(梧葉)がもう秋の気配を漂わせる

なるほど、この漢詩の意味は分かったけれども、何かいまいちピンとこない。
「春の陽気でうつらうつらしているうちに秋になる」なんて、大げさすぎる。
しかし「光陰矢の如し」とも言うから、そんなに驚くことも無いのだろう。
「人生は瞬きする間」と言ってもいいほどに感じることもあるのだから。

これで頭の中にヒョコヒョコ浮かぶ言葉の意味が判ったから、もう出てこなくなればいいが。
春の陽気に誘われるのはまだ早いし。

オトシ造り

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新築祝いに義弟から頂いた銅製(多分青銅製だと思う)のツボがある。
お供えのお餅のように横幅が広い。
横幅が210mm、高さは140mm、開口部は88mm。
結構高価なものらしい。
頂いた当初は暗緑色をしていたが、経年変化で白っぽくなった。

ち絵さんはそれに花を生けたいと考えた。
しかし水を張ると中が腐食する。
オトシ(落とし)と称するコップ状の容器があれば、それをツボの中に入れて花を生けたら、外目は一切変わらない。
そこで私に注文が舞い込んだ。
銅製のオトシ造り。
ツボの中に入れる容器をオトシと言うのだそうだ。

気軽に受けたのだが、残っていた厚さ0.2mmの銅板は寸足らず。
仕方がないから銅版画用の0.8mmのものを使うことにしよう。
しかし0.2mmと0.8mmとでは加工のしやすさが天と地。
でもそれ以外に方法が無い。

注文をもらって翌日から製作開始。
2日目に完成。
水漏れテストがOKであればすぐ引き渡しになる。
書けば簡単だが、結構手間でしたね。

初めてのインド料理

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キーマカレーに挑戦。
キーマとはヒンディ語でひき肉のことだった。
ひき肉を使ったドライカレーというところか。
しかし今回のキーマカレーはひき肉の代わりに大豆を使ったもので、大豆で肉の風味を出したものだとのこと。
初めて作って上手くゆかなかったら、本来のキーマカレーに悪い印象を与えかねないが、作り方は至って簡単だったから失敗する心配はなかった。
食べてみて、ドライカレーもなかなか いいと感じた。
喉が詰まりやすい人には、やはり汁気のものが欲しくなるけど。

厄介なこと

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この世で実に厄介なこと。
・神経痛
症状は主に腰から下に出る。足が多い。ところ構わずだ。
一度出るとなかなか消えない。からだを温めるのが良さそう。医者に訊いたことがあるが、背骨がやせ細って、足の方にゆく神経を傷めているんだとか。骨粗しょう症の薬をくれた。真面目にその薬を飲んでいるが、効かないみたい。
・しもやけ
なったことのない人にはこの煩わしさは分からないだろう。温かくなるとじっとしていられないほどむずがゆくなる。思いっきり強くバシバシと平手打ちする。「♪しもやけふくれておくちがあいた」となったら悲惨。空気に触れるだけでヒリヒリとした痛みもあって始末に負えない。春が来るまで忍の一字。
・あかぎれ
指先にできるあかぎれは小さくても痛みが鋭い。軟膏を塗り包帯を巻くのが良いが、そうすると水仕事ができない。液体絆創膏を塗って固い皮膜を作るのがベスト。水仕事はOKで、数日で回復する。しかし液体絆創膏を使うとその周辺の新たな箇所にあかぎれができやすいので、イタチごっこになる。でもやめられない。
・胸やけ
水分が少なく喉が詰まる食事をしたときに出るものとは限らない。慢性食道炎の持病がある人間にとっては、胃の中が空になるとムカムカしてきて食欲などまるで無くなってしまう。食べないのがいちばんだが、そうも行かない。癪の種。
・くしゃみ
老人は食事中にむせてしまうことが多い。アジの干物の良く焼いた皮と骨が大好物だとしても、噛んで飲み込むときに喉にちょっとスレると、とたんにくしゃみが出る。そのくしゃみがとんでもなくでかく数回連続する。「おじさんくしゃみ」と言う。自分ではくしゃみのボリュームを下げられない。

雪が降ると寒いねぇ

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雪だ。
今年初めての積雪。
「雪が降ったらうちの中でおとなしくしていようね」
ち絵さんがそんなことを言っていたが、外出の予定がある。
「スノータイヤにしてあるんだから、雪も降ってもらわなくちゃ」
おや、なんか調子がいいね。

雪はわずか1センチほど積もっただけで止んでしまった。
冷え込むとの予報があったから、少し厚着をしたのだが、それでも寒い。
「やっぱり雪が降ると寒いねぇ」
北海道の氷点下10何度という寒さに比べれば、何言ってんのと言われそう。
今日は暖かくして過ごそう。

せっかちな電話

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固定電話が鳴った。
慌ててでようとしたが、ちょっともたついた。
受話器を取り上げたら「ガチャリ」。切れちゃった。
呼び出し音が5回ぐらいで切ってしまうなんて早すぎる。
最近はそんなことが多い。
「せっかちな人が多くなったね」
ち絵さんに話してみると、
「ケイタイやスマートホンに慣れた人は(すぐに出られると思っているから)、待ってられないのよ」
なるほど、そうかもしれない。

私は電話に出たときはたいてい自分の方から名乗るのだが、
たまたまその時は名乗らなかった。すると
「何か用?」
いきなりそう訊かれて、ムッとしたから「どちら様ですか」と尋ねたが、相手は名乗ろうとしない。
「電話くれたでしょ」
と言ってから、「じゃあ違ったんだね」で一方的に切ってしまった。
ずいぶん失礼な人だ。
まあその辺は“許容範囲”だけれど、固定電話で呼び出し音が鳴って早々に切ってしまうのは、もう少しなんとかならないかと思う。
焦らずに待ってもらいたい。
そんなことが度々あるから。
「本当に用事がある人は何度もかけてくるわよ」
だからすぐ切れてしまって、それっきりの電話は気にしなくていいとのこと。
そうしましょう。

春の息吹が感じられる

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庭のナツツバキ。
毎日高窓から眺めているが、たくさんの小さい芽が次第に膨らんでくるのが良く分かる。
スイセンも順調に伸びている。
「ほら、芽が出ているでしょ」
ち絵さんが教えてくれたのは、部屋の中にある鉢植えのシコンノボタン(紫紺野牡丹)。
花の色が何とも言えぬ奥ゆかしさがある。
紫紺という色はこんなにも魅力的だったのかと認識を新たにした。

一方同じ鉢植えのポトスはしょぼくれた姿。
枯れた葉が痛々しい。
冬の間は活動が休止しているから仕方がない。
鉢植えのものが長期間に及ぶと元気がなくなるので、葉を切って水に差し、根が十分出てきたら鉢に植えるのが良いとのこと。
ち絵さんに教えてもらった。

寒いのもあともう少しの辛抱だ、ガンバレと応援している。

そういうことは、あってはいけません

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たとえばキミがポテトサラダを作ろうとして、必要な材料が一つ無かったとしたら
そしてそれが決定的に不可欠なものであったとしたら、
キミはそれを求めてスーパーに行くだろう。
ボクだったらそうするもんね。

その他にポテトサラダには使わないが、冷蔵庫に常備しておくもので不足するものが幾つかあったとしたら、この際それも忘れないようにメモするだろう。
スーパーの店内ではそのメモを見ながら買い物をする。
それは至極当然の行動であって、
だからボクはそのとおりのことをしたのですよ。
いつもそうしているようにね。

レジを済ませ、帰宅したボクはハッとした。
脳ミソが飛び散ったかと思うほどの驚き。
ポテトサラダ作りに一番大事なものを買い忘れた!
メモにはちゃんと書いてあったのに!
それが必要だったからスーパーに行ったのに。
それだけを買って来れば良かったのに。
魔訶不思議な出来事。
信じられないほど悲惨で哀れな事件。
ナンタルチャ。

そんなとき、誰かさんに
「そういうことは良くあるのよ」
なんて慰められたとしたら、キミは
「そだねー」
なんて言いますか。
自己嫌悪で傷ついたボクのこころ。
ポテトサラダは作れません。

版画に対する認識

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これまで制作を続けてきた銅版画作品の制作過程で生じた試し刷りや選定外のものなど、
溜まりに溜まってうずたかい紙の山になっている。
整理にかかって2日目だが、まだ山の高さがちょっと低くなっただけ。
あと何日かかるやら。

整理していて、一枚の作品に目が留まった。
渋谷で開催された展覧会に出品したものだった。
出品したグループの中に一人の女性、Yさんがいた。
Yさんの作品は油画ではなく、確かパステル画だったと思う。
多才な人で、シャンソンのリサイタルを開いた経験がある。
Yさんは私の絵に目を留め、購入したいけれども色を変えて刷って欲しいとのこと。
自分が好みの「何とかブルー」という色で。

私は快くOKしたが、時間が経つにつれ穏やかならぬ気持になった。
いろんな思いが湧いてきた。
「Yさんは私の作品の価値を認めて購入を決めたのではない」
「そもそも版画というものに対する認識が間違っている」
「増し刷りができるのが版画の特徴とは言え、出品した作品は色の選定も作品の構成要素になっているのだから、『色を変えてくれ』という要求は作者に対する侮辱では無いか」
考えれば考えるほど悶々としてきてしまったが、結局私はYさんの要望どおりの色で刷ったものを提示し、額装で購入してもらった。
他にシャンソンのリサイタルの写真から銅版画を創作して欲しいと言う要望もあったので、写真を預かり、それを元に自分のイメージで作品を2点ほど創作し購入して頂いた。

そんな訳で、贔屓にしてもらった手前、怒りたくはなかった。
しかし、買い上げて頂いてから、私は再びそんな特注が来たら、はっきり断ろうと思った。
私が創ったYさんのシャンソン・リサイタルの作品について、Yさんから気に入ったかどうか評価は何も無かったこともあり、どうもすっきりしないものが残った。
あれ以来Yさんの消息は知らない。

車は便利なものだ

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立春。
予報どおり今日は桜が咲くころの陽気になった。
しかも怖ろしく強い風で春一番のようだ。
でも明日以降はまた寒さが戻るとのこと。
それでも桃の節句が近づいている。
「スノータイヤが役に立たなかったね」
ち絵さんはそう言うけれども、まだ安心はできない。
ただスノータイヤは柔らかいのか、擦り減るのが早いようで、先日車を車検に出した時、ディーラーに「次回は新品に交換しないといけませんね」と言われている。
その準備をしておかなければ。

それにしても思うのは、車は便利なものだといいうこと。
「モータリゼーション」の恩恵にどっぷりと浸かっている。
ち絵さんはほとんど毎日のように乗っているし、私とて回数は少ないが良く使う。
車が無いとほとんど身動きが取れないと言っても言い過ぎではない。

昨年帰省した時、兄が電気自動車に替えていた。
高価ではあったが、補助が出たので通常とほとんど変わらぬ価格で入手できたとか。
兄はあまり遠出しないので、それで十分だったのだろう。

ち絵さんの車、今回の車検が近づいた時に新車への買い替えも考えたのだが、見送った。
どういう車が欲しいかを考え、メーカーがどんな車を出しているかを充分に調べる余裕が無かった。
調査不十分のまま買い替えると失敗しやすい。
今の車はあちこち傷だらけだが、まだまだ走れる。
車検の時に、走行に支障を来す恐れがある不具合が見つかって部品を交換したため、費用がかさんだこともあり、買い替えは延期となった。

実践、整理の基本は捨てること

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制作した銅版画作品は手作りしたキャスター付きの大きな箱状の棚に押し込んでいる。
作品の大きさはA4版から畳1/3ほどのものまで様々だ。
制作過程では何度も試し刷りするが、インクの濃淡やムラなどが生じて何枚も刷ることになる。
比較的よく刷り上がったものをA級、B級に分け、A級の中から最良品を選ぶ。
それができたら、制作が終了となる。

最良品が得られるまでの過程の作品でも、後で見返すと心に残るものがあって、なかなかすぐに捨てる気にならない。
だから1作品で刷ったものがなん十枚となる。
保管棚はいつ見ても満杯。
時々整理はしているのだけれど。

何年も前から保管棚をもっと使いやすいものにしようと考えていた。
一昨日、ついにそれを実行に移した。
保管棚改修作業に着手したのだ。
棚の中に仕切りを作り、作品を小分けして入れる。
棚は計12段。
3日がかりで完了した。

1段に完成品50枚ずつ入れるとすれば、600枚収納できる。
作品には連番を付けているので、検索も容易になるだろう。
当初作品は1000点創ることを目標にしたが、とてもそれは無理と判って、500点に目標を修正した。
それでも実現は難しそう。
現在は300番台なかば。
(ここまで20年近くかかっている!)

でも目標は高くしておかないと、すぐに怠け癖が出る。
さて、手始めにランダムにA級を2枚残し、他は捨てる作業に取り掛かった。
どっさり溜まった“紙”!。
(なんでこんなに溜めこんだんだ)
下描き、試し刷りは思い切って捨てた。
それでもまだまだ仕事は始まったばかり。
腰が痛くなり、うんざりしてギブアップ。
とりあえず今日はここまで、と自分に言い聞かせ終了。
時間は十分あるのだから、新保管棚が使いやすくなるまで、じっくりやろう。

おにぎりから記憶力へ

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小1になったYui がち絵さんにおにぎりを作ってくれたとのこと。
ラップで包んで握っただけで、塩も海苔もなし。
せっかくだからと頂いたが
「胸やけがする!」
帰宅したち絵さんはすぐに味噌汁を飲み始めた。

最近、Yuiは母親が不在の時、自分と弟の食事の用意をするようになったとのこと。
ベビーシッター役のち絵さんにもおにぎりを作ってくれた。
「それがまた手早いのよ」
ご飯をよそったり、包丁でウィンナを切ったりと、かなり慣れているようだ。
母親に教わったのだろうか。
もう少しすれば、お遣いにもゆけるかもしれない。
子どもは見よう見まねで学習する。
子どもの成長を見るのは楽しい。

ところで「学習する」ことについて。
歳をとると一度教わったことを記憶にとどめておくのができなくなる。
つまり学習が難しくなる。
これはただ記憶力の問題だろうか。
脳の機能のことを論じるつもりは無いが、記憶するということは「脳に蓄える」ことと「それを呼び出す」ことの二つが揃って成り立つのだろうと思う。
ひょっとして、脳に蓄える能力が加齢により衰えるのではなく、呼び出せなくなるのではなかろうか。
ふとした時に思い出すことがあるということは、脳に蓄えられた情報は消えていないということだろう。

しからば、そこに簡単にアクセスできるようにすれば、記憶力をシャープに保つことができるのではないか。
という訳で、簡単アクセスの方法をいろいろ考えてみたのだが、
それはやっぱり、「しょっちゅうアクセスする」ことしかないようだ。
つまり、「これを見たら、これをやったらすぐに思い出せること」を自分なりに考えて、頻繁にそれを実行すること。
それ以外に有効な方法は無さそうだ。

平成に思い新た

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昨日の気象情報では関東地方の平野部でも夜は雪になるとのことだった。
「雪が降ったらじっとしていようね」
ち絵さんはそんなことを言っていたが、雪は降らずに済んだ。
今日は明るい空が広がっている。

庭のスイセンの芽が伸びている。
外気温はまだ変わらず、強い風が吹いていると言うのに、スイセンはちゃんと芽を出す時期を知っている。
不思議なものだ。

今年は平成の何年だったろうかと考えた。
手近なカレンダーを見てみたが表記されていない。
元号が変わる年なので西暦を使っているからだろう。
平成31年か。
平成元年には何があったろうか。
1989年、ベルリンの壁が崩壊し、米ソの冷戦が終結した。
翌年には東西ドイツの統一。
あれから30年が過ぎたのか。

ひと口に30年と言えば短いようだが、私の人生で大きな出来事の大半が詰まっている。
感慨もひとしおといったところ。
新しい元号が何になるにしろ、平成ほどには山あり谷あり、明あり暗ありだった中身がぎっしり詰まったものにはならないだろう。
その平成に思いを新たにしたのだった。
ギャラリー
  • 何も言わないのは美味しくできたこと
  • アモルファスの面白さ
  • 人の生きる道は様々
  • もうすぐ始まる味噌作り
  • 情報は正確なのがいちばん
  • ヒートテックを着てみたい
  • 今年の冬は雪が降るかな
  • 忙しくしていられることに感謝
  • 注射に恐怖心を与えてはいけない
  • 空を飛ぶ鳥の姿がいい
  • 懐かしいフィルムカメラ時代
  • 野菜をたくさん食べられる幸せ
  • 高圧洗浄が始まった
  • 出品作が完成
  • 冬の扇風機
  • 八つ頭
  • 力を貸してくれた方
  • またやっちゃった
  • いつもどおりができないとき
  • 足場が組まれて
  • 紫外線による劣化
  • 栗とサツマイモ
  • ギリギリの歌
  • ひょこひょこ出てくる言葉
  • 屋根と外壁の塗装を計画
  • LEDのメリットとデメリット
  • 「遥かな友に」で思い出すこと
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プロフィール

はるか

人の顔ばかり描いていて、何かいいことがあるかと言いますと、そういうことは全くありません。スクラップブックがやたらと増えるだけで、やめたいのですが、やめられません。文章も毎日つまらないことばかりですし、絵とはつながりがないので何か変ですが、これでいいんでしょうか。

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