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痛みに耐えることはかなりエネルギーを遣う。
常時感じる痛みはつらいが間欠的に襲ってくる痛みは、それ以上につらいこともある。
精神が集中できないし、疲労の度合いも大きい。
今回の腎盂炎。
薬を服用し続けているので、症状は緩和されてきているが、微熱が続いている。
それで困るのが神経痛。
声にならない声が自然と出てしまうほどでは無くなったけれども、間欠的に襲う痛みに真面目に向き合うと疲労困憊してしまう。
──できますなら痛みを和らげ、仕事ができるようにして頂きたく

痛みを押し殺し、決して表情に出すことなく、仕事を完遂させた人の話を知っている。
どこの誰だったかは定かでないが、医者がその人の病状を知って
「相当な痛みだったはずですよ」
と言ったとか。
人間、その気になればやれないことは無いのかも知れないけれども、
凡人はそういう機会に遭うことのないよう願うばかりだ。

話は飛躍しますが、
芥川龍之介の著作である「杜子春」
富を得て享楽の限りを尽くした末に無一物となった杜子春、ある老人の慈悲により再び富を得たが、放蕩は止まず、またしても散財してしまい誰からも顧みられない身の上になった。
ついに杜子春は現世に区切りをつけようと決意する。
何度か願いをかなえてくれた老人に会い、自分を仙人にして欲しいと願い出る。
老人は「これから起こることに決して声を挙げてはならない」と命じる。
声を挙げなければ仙人になれると言ったのだが・・・
杜子春の眼前に現れた幻影は悲惨なものだった。
馬の姿に変えられた両親が断末魔の悲鳴をあげている。
杜子春はついに我慢しきれなくなり、両親の名を呼んでしまった。

前置きが長くなった。
わたしがここに書きたいことは・・・
老人が述懐した言葉。
「お前が両親の怖ろしい変わり果てた姿をみて声を挙げなかったら、わたしはお前を殺すつもりだった」
つまり、杜子春はいずれにせよ仙人にはなれなかったのである。
仙人になるには杜子春のような動機ではだめだということ。
とすると、仙人になれなくてもいいけど、間欠的に襲う痛みを感じないで仕事をしたい、なんていうささやかな願ごとは聞いてもらえるのでしょうか。
でも多分だめでしょうね。
老人には「レベルが違う」と言われそう。

蛇足だが
私が若いころ「仙人になりたい」と言ったと言う話を、ち絵さんがしたことがある。
何を考えてそんなことを言ったのか、すっかり忘れてしまったが、前からそんな願望がどっかにくすぶっていたのかもしれない。
というわけで、今回の「杜子春」、そこに登場する老人(実は仙人)に「このビリビリを何とかしてくれぇ」と言いたくて、引っ張り出してきたのだが、およびじゃなかったね。