2021-05-17 02.26.05

厚手のアルミ箔でできた小さな鍋に肉や野菜が詰まっていて、添付されているスープや調味料をかけてから更に水を加える。
それをそのままガス台に乗せて加熱する。
やがて美味しい香りが漂い、熱々の鍋料理ができる。

ち絵さんがスーパーで買ってきたのは、まさにそれ。
「2割引きだったから」
3個もだよ。
キムチ鍋だとのことだったが、良く見ればキムチ鍋うどん、すき焼き鍋うどん、ちゃんこ鍋の3種類。
夕食は手抜きも手抜き、至極簡単に3人3様の鍋料理となった。

便利ですねぇ。
美味しくいただきながらわたしの胸には去来するものがあった。
まだ子どもたちが保育園児だったころ。
仕事人間のわたしは連日帰りが遅かった。
クリスマスの夜だった。
久しぶりに早めに帰ろうとして、途中で子どもたちにクリスマスプレゼントを用意していなかったことに気付いた。
さて、どうしよう。

決めあぐねてスーパーに寄り、カップ麺を数個買い求めた。
およそクリスマスプレゼントには似つかわしくないものだが、滅多に食べたことのない美味しいカップ麺だから、子どもたちは喜ぶだろうと思った。
しかし、その思いは微塵に砕かれた。
ち絵さんに怒られたのだ。

保育士の仕事と家庭の主婦を見事に両立させていたち絵さん、
「どんなに忙しくても料理は手作りでと必死にがんばってるのに」
その思いを踏みにじるとは何事か、と。
翌日カップ麺は全て廃棄した。
子どもたちは「食べたかったなぁ」と嘆いていたが。

わが家はカップラーメンなどは以前から食べてこなかった。
夜食に鍋焼きうどんが食べたくなれば、ち絵さんが1人用の小さな土鍋で月見うどんを2つ作って子どもたちに食べさせていた。
「手作り」のコンセプトが浸みこんでいたのである。

熱湯を注いだり火にかければすぐ出来上がるものは以前から存在している。
その美味しさは学生時代の「3分間待つのだよ」で知っている。
今や種類が増え、多様性の時代になった。
ち絵さんがそれらを受け入れるようになったのは、時代が変わったからか、人間が変わったのか。
ち絵さんの気持ちが変わってきたとしても不思議はない。
「おとうさんが面倒なことをしなくていいでしょ」
ち絵さんは多分そう思ったのだろう。

だからわたしは古い昔のことを取りあげることなどしませんでしたよ。
「美味しいねぇ、これ。ずいぶん便利になったもんだね」
そう言いました。
今頃即席鍋料理が美味しいなんて、ちょっと晩生すぎますね。