眠れる森の国家を超えて

2018年01月27日

ご意見ありがとうございます。

先週行われました新春合同交歓演奏会。そのプログラム挨拶文。
部活を頑張っていらっしゃる先生方へエールを送る意味で書いた文章。善意でご自分のフェイスブックに掲載してくださった方がいらっしゃいました。ありがとうございます。


そこから端を発し、SNS上で多くのご意見を頂戴致しました。誠にありがとうございます。



私の文章表現が過激な表現であったこと。また論理が飛躍していること、ご指摘を受けても弁解の余地がないことも含め、お詫び申し上げます。


部活が学校から消える→3時に中学生、高校生は放課となる→街に中学生、高校生が集まる→犯罪が増える→犯罪大国となる。
という展開のものです。


先ず1点目。
私は時間が出来た中学生、高校生=犯罪者になるなどとは考えてもいません。思ってもいません。私は30年間、中学生、高校生と向き合って生きて来ました。彼らから学ぶべきことは数多くありました。今でもそれは変わりません。
なんだ、お前、言っていることが矛盾しているじゃないか!とおっしゃる方いらっしゃると思います。ここは私のプログラム挨拶文の言葉が決定的に足りませんでした。申し訳ありませんでした。

話は少々変わりますが、
中学生、高校生も、私自身も、世の大人たちも含め、私たちの幸せ、心の安定は、相手から認められることだと考えております。このことは以前から、このblogにも書いて来ました。
私たちは相手から認められて初めて自己肯定感を持てる。自己肯定感は私たちに様々なものをプレゼントしてくれます。その代表格が、やる気。そして自信。このやる気と自信は、私たちの人生を大きく変えます。左右します。


話を部活動、いや学校に戻しましょう。戦後70年以上経った日本。受験戦争という言葉を生み出しました。受験に勝利した者は人生の成功者であるかのような教育をして来ました。随分緩和された気もしますが、残念ながらこの狭い価値観は脈々と我々日本人の中にあります。学歴詐称がその良い例です。
その価値観に猛然と歯向かう若者もいました。カミナリ族、暴走族、学園闘争(これは意味合いが違うかな)校内暴力、挙げ句の果てには家庭内暴力、引きこもり、ニート、受験は反面このように様々な問題を生んで来ました。尾崎豊という若者のカリスマも誕生しました。思えば、泉谷しげるも、吉田拓郎も同様だと思われます。
価値観は他にもある!俺たちはここで生きている!と叫んでいるようでした。


私は部活動に拘っているのではありません。学校の在り方に拘っているのです。
学校は受験勉強だけではありません。もちろん、受験勉強をしたい子はすればいい。音楽をしたい子は音楽をすればいい。サッカーをしたい子は、ロボットを作りたい子は、牛を飼育したい子は、虫を研究したい子は…義務教育だからと価値観を一つに縮めることに抵抗があります。なぜか?価値観を縮めると、自己肯定感を持てない子が必ず出て来るからです。それは悲しいことです。自己肯定感が持てないということは、その子から、やる気と自信を奪うことになりますから。
自己否定感の強い子は自分をなかなか大切に出来ません。そこに心無い大人の手が忍び寄ったら、犯罪のすぐ隣に居ても決しておかしくはありません。

部活動は学校の中で唯一自分自身の意志で決められるものです。内容で決めてもいい。先生で決めてもいい。先輩で決めてもいい。それは各自の納得にあります。しかし、それ以外の学校生活には自分で決められるものはありません。担任の先生も、クラスも、教科担当の先生も決められません。
唯一自分の意志で決められる部活動。この教育的力は大きいと思います。何の部活でもいいんです。その練習時間の長い、短いなども関係ありません。自分が納得したか、どうかが大事だと私は考えています。その納得は自己肯定感を得る第一歩になるからです。


次に
部活動を外部指導者、地域との交流に移行していく考えが世の中にはあるようですが、これは現場の教員が一番よくわかっています。何をわかっているか?
如何にそのことがナンセンスであるかを。
よくわかっています。外部指導者が入り込んだことにより、荒れた学校は少なくありません。

名前を挙げたいのですが、ご迷惑がかかるので控えます。アメリカ人の音楽家が、私に言いました。欧米には教会がある。コミュニティの中心に必ず教会がある。日本で言う部活動の役割をこの教会が担っている。日本にはない。日本には子どもを育てるだけの地域コミュニティがない。その役割を担っているのが、日本の場合、学校であり部活動であると。欧米の教会を中心とした日本で言う部活動のようなもので救われている子どもは大勢いると。もしそれが崩壊したら、犯罪が増えてしまうだろうと、話されていました。日本も同様。欧米の教会によるサークル活動、それは日本では部活動。消えたら、日本でも同じように犯罪は増えるだろうと話されていました。子どもたちがすぐに犯罪者になるという意味ではなく、心無い大人が近寄り、気付くと犯罪の隣に居るということになりかねないということです。その危険が増すということです。これは困ったことです。



私は、吹奏楽部の活動の中心軸を生徒の自己肯定感に置いています。ですから、コンクールメンバーをオーディションで決めることなどしたことがありません。3年生は、どんなに不器用な生徒でも出演できます。

私はオーディションに全く意味を感じていません。



一つだけハッキリと言わせてください。日本の学校教育。
部活動の力により成り立っている面は誰が何と言おうと揺るぎない事実としてあります。その部活動が、外部指導者へ移行したり、地域へ移行したりというのは、これもハッキリと言わせてもらいます。

不可能です。


家庭が安定している子はいいんです。何をしても、親が守ってくれる。そうではない子たち、世の中には親からDVを受けて来て自己否定感しか持てない子が如何に多いことか、そういう不安定な子たちの成長の一翼を担っている面が部活動にはあることもハッキリと述べさせていただきます。もちろん部活動だけではありません。学校生活の中にはあります。パーセントとして多いということです。




この度は貴重な数多くのご意見、ありがとうございました。大変勉強になりました。

最後に教え子で教師になった方からメールをいただきました。掲載させていただきます。





夜分遅くに大変申し訳ありません。
お久しぶりです!何事かと思い、何ヶ月?何年?ぶりにツイッターを開き、検索しました。冬コンの記事のことでしょうか?

先生と同じように、あくまで私見ですが…ネット上で色々な方が言っている意見は一理あるとは思いますが、問題はその方々に『経験がない』ことだと思うんです。市船吹奏楽部だった経験もない、恐らく教員の経験もない、部活動顧問の経験もない、という人がほとんどだと思います。
先生から教わった『経験は人を沈黙させる』という言葉を思い出しました。教わった意味とは違うかもしれませんが…市船は確かにデータだけで考えたらブラック部活と言われ、宗教だ軍隊だと言われてもしょうがないと思いますが、OGにとってはその長い時間の中で得た生きる力みたいなものはかけがえのないものです。それを経験のない人に言葉で伝えるのは残念ながら難しいです。伝えようとも思えません。表情もないネット上で。
また、現在教員であり吹部顧問をしている身からすると、地域と外部コーチに委託とか、その意見の方が非現実的だと中学校教諭の誰もが感じています。何も見えていない人に残念ながら何も言えないな、と思います。

長くなりましたが、言いたいことは、先生含め市船吹部がブラックと言われようと、そういう面をわかっていながらも代えられない魅力を知っている人が大勢います。私はそれで十分だと思ってしまいます。なるべく沢山の人から応援されたいですが有名になる程難しいのですね。

ホール、素晴らしいもので羨ましい限りです。市船吹部と関わったことがある誰もがあのネットの荒れ具合?を見ても何とも思わないというか、何があっても守られるような気がします。

私の学校でもインフル大流行でした。私はピンピンしてます。ゆっくり休んで、また頑張ってください!
長文失礼しました。





ichifunawoct at 03:46│
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