パリで日本刀を買った。サン=ジェルマン通りの一角、陳腐なゲストハウスに隣接する骨董屋に、その刀はあった。イングランドの東ロンドンで生まれた私は、25の歳から5年間、仕事のため日本に滞在し、そこで洗練された日本の美に陶酔した。
 中でも私の心をくすぐったものが「日本刀」であった。遥か昔、日本人がまだ馬を食べずに乗り物にしていた時代(その当時、もしかしたらすでに食べていたのかもしれないが)、「武士」と呼ばれる階級が自らの名誉の象徴として腰に下げていたという。私たちの先祖、中世の騎士たちが帯刀していたサーベルのようなものだろう。日本に滞在していた時、ちょうど隣室に住んでおり、何かとお世話になったナカガワという日本人男性と一緒に出かけた先の美術館で、期間限定の日本刀展が催されており、そこに出展された数々の刃に私は魅せられたのだった。
 鍛え抜かれた競技選手の背のように、スッと伸びた峰。展示室の照明を一身に吸い込んで見える刀身。不思議な感覚だった。その輝きを見つめていると、思わず身を委ねたくなるような、吸い込まれるような安心感を抱いてしまうのだった。
 もう一つ、私が食指を動かされた点は、優れた日本刀(名刀という)は皆、それ自身に名前を持っているということである。浅薄な知識ながら、ナカガワが「ムラマサ」や「マサムネ」と言った代表的な名刀の名を教えてくれた。自ら研ぎ上げた刀に名を宿すという鍛冶職人の心は、異国生まれの私にとっては真に日本的な精神のように感じられ、当時の私の胸を打ったのだった。「騎士のサーベルにも『ジェイムズ』や『リチャード』なんていう名前が付いていたかどうか調べてみてくれ。」と冗談半分に彼がのたまわった発言も、我々東欧の文化にそう言った概念がないことを裏付ける寸鉄だと妙に納得してしまったことを覚えている。
 街頭で偶然妖艶な美女と知り合いになった時のように、その時から私は日本刀の妖しくも美しい姿に侵されてしまった。蠱惑的な思いに駆られるようになり、いつか自分だけの日本刀を持ちたい、そう思うようになった。
 その強い思念が数年経った今、叶ったのであった。骨董屋の店主は、体の丈夫そうなフランス人で、そのくせ英語も話せる中々の伊達男であった。この店は、主に東洋の骨董品を収集しており、呪詛的とも言える太古の仮面や、有り得ない表情をした像、その他私の理解できない範疇のエキゾチックな装飾品が所狭しと並んでいた。
 「Does this shop have a katana?」
 私がこう聞いた途端、店主の高い鉤鼻が膨らむのを私は見逃さなかった。ちょっと待っていろ、といって店主は店の奥に入って行ってしまった。店に陳列されていないものなのか、もしかしたら物凄い高価なものを売りつけられるのかもしれないと不安な気持ちになっていると、まもなく店主が古びた木箱を抱えて出てきた。箱の蓋を開けると、そこにはまるでぶどう酒を垂らしたような濃厚な紫の鞘に納められた、堂々たる一太刀が姿を現した。私はふと、その鞘に1匹の黒い蝶の紋章が刻まれているのを発見した。店主は、その蝶をわざと手で覆い隠すようにして無造作に刀を取り出し、ブルーとオレンジの混じった瞳でじっと私の目を見つめながら、鯉口を切り目にも留まらぬ速さで刀身を引き抜いて見せた。
 鞘から剥き出しになったその刀身の美しさに私は我を忘れてしまった。氷のような刃の冷たさに、店の気温が2度ほど低くなったかのような錯覚を覚えた。時が止まり、私の心臓だけがそれとは無関係に忙しく鼓動しているのが聞こえた。研ぎ澄まされたあの刃で自分が切られるところを何度も想像し、その快感を味わった。刀身がキラリと、店の照明を反射する眩しさで、私はハッと我に返った。

 「この刀は...わからないんだ。」

 店主が重々しく口を開いた。先ほどまでの血色の良い彼の顔が、今は心なしか青ざめているようだった。

 「何がわからないんですか?」

 「わからないというのは..つまり、いつこの店に入ってきたかってことさ。気づいたらこの店にあったんだ。取引先にも連絡してみたが、先方は記憶にないの一点張り。この商売をしていると、不思議なことが、たまにあるんだ。君は今、アパート暮らしか?」
  
 「ええ、そうですが。」

 「じゃあ、例えば家から帰ってきて、一息つこうと思いキッチンの冷蔵庫からワインを取り出して飲んでいたとするね、その時ふと窓の方を見ると、どこから入ってきたのか、1匹の羽虫が止まっていた。一度でも、そんな経験があるんじゃないか?」

 「ああ、ありますね。でも、それに何の関係があるんです?」

 「この刀も、それと同じなんだ。足音を立てず、舞い込んできた。まるでこの鞘に描かれている、蝶のようだ。」

 言い終わると店主は、不気味な幽霊でも見るような表情で、スラリと伸びた刀身をさっさと鞘に収めた。私は店主が話した不思議なストーリーに不気味さを感じつつも、今はこの刀を手に入れたいという所有欲が勝った。日本刀の相場を知っている私は、恐る恐る値段を伺うと、店主は何と、タダで譲るという。

 「そんなわけはないでしょう。日本刀がすごく高価なのは知っていますよね?」

 「言っただろ?この刀の由来を。偶然家の中に入ってきた蝶を、外に逃してやるだけだ。なぜ金なんかいるんだ、そうだろう?」

それでもタダという状況には気が引けた。これだけ美しい造りの日本刀を、タダでもらいました、というのも何かバツが悪い。結局これまでの手入れ代ということで、200ユーロで買い取ることになった。

 店を出る頃には、私は店主が話してくれたこの刀の由来すら最早忘れていた。自分の刀が手に入れたい、という念願が叶い、私は心の奥で小躍りしていた。刀が入った木箱を抱え、家路を急いだ。



胡蝶の夢②を読む
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