-経緯-
平成3年6月9日警視庁は自称経営コンサルタントの神谷力(当時47歳)を横領罪容疑で逮捕した。だが、逮捕の目的は明らかに「トリカブト保険金殺人」であった。同年7月1日、神谷を殺人と詐欺未遂の容疑で再逮捕した。「トリカブト保険金殺人事件」とは、どのような事件であったのか経緯を振り返る。

昭和61年5月20日午後1時30分頃、神谷力の3人目の妻で利佐子(当時33歳)さんは女性友達3人と沖縄県石垣島のホテルにチェックインした。当初は元気だった利佐子さんは、友人と部屋に向かう途中から急に苦しみだし、友人等が抱きかかえるようにして部屋に運んでベットに寝かせたが容体は益々悪くなる一方だった。

そこで、ホテル側が救急車の手配をして利佐子さんを八重山病院に搬送したが、その途中に心停止状態となり午後3時4分に死亡が確認された。八重山病院では、死因が確定できず警察に連絡。警察は直ちに司法解剖を行ったが、その結果、「急性心筋梗塞」と診断した。

その間、利佐子さんの友人達は、夫である神谷を呼び寄せるため那覇空港に連絡し構内放送で神谷を呼び出した。神谷は妻の訃報を聞きつけて急遽、那覇空港から石垣島行きの飛行機で駆けつけたが、既に利佐子さんは死亡していた。

ここまでは、不幸ではあるが日常的には、ままあることである。ところが、神谷の生い立ちや利佐子さんの突然死における状況は余りにも不可思議なことが多く、その後「トリカブト保険金殺人」と呼ばれるようになる。

-3人の妻の不審死-
神谷は昭和14年に宮城県仙台市で出生。父親は東北大学の教授で知的水準の高い家庭に生まれ育った。神谷が小学校5年生の時、母親が目の前で服毒自殺するというショッキングな経験をしている。その後、東北大学の受験に失敗し神谷は上京。東京の池袋にある書店に勤めた。
それ以降、神谷は職を転々としながらも結婚を3回繰り返し、全て妻が突然死するのである。

①昭和40年2月
 看護婦の山下恭子さんと結婚。昭和56年7月、「心筋梗塞」で死亡。

②昭和58年10月
 山田なつ江さんと結婚(昭和47年から神谷となつ江さんは不倫の関係にあった)。昭和60年9月、「急性心不全」で死亡。保険金1千万円受け取り。

③昭和61年2月
 工藤利佐子さんと結婚。同年5月、石垣島のホテルで発作を起こし死亡。「急性心筋梗塞」と診断される。

-利佐子さんとの出会い-
利佐子さんは、池袋にある高級クラブに勤務していた。そこへ、紳士風の神谷が店に顔を出すようになった。昭和60年11月頃である。なつ江さんが死亡して2ヵ月後、利佐子さんと初めて会って僅か6日後に神谷は利佐子さんにプロポーズした。

利佐子さんは、優しい紳士である神谷に一目惚れし、周囲の反対を押し切って12月には大阪にアパートを借りて同居した。池袋に住んでいた神谷が突然、仕事の関係で大阪に赴任すると言い出したことも不可思議だった。

翌年の2月13日に神谷と利佐子さんは結婚した。その2ヶ月後の4月上旬までに総額1億8500万円の保険に加入する。受取人は勿論、神谷自身である。

5月になって、神谷は慣れない大阪暮らしが可哀相だと言って、利佐子さんの女性友達3人を石垣島に招待する旅行を企画をした。利佐子さんは、有頂天となった。運命の日の前日、5月19日に神谷と利佐子さんは那覇で1泊。翌日、羽田から来る友人3人と那覇空港で待ち合わせして、南西航空で石垣島に行く予定だった。

神谷は急遽、仕事ができたからという理由で、3人を空港で出迎えた後、午後の飛行機で大阪へ戻るということになった。利佐子さんと3人の友人が合流したのは、11時55分頃で南西航空の機内であった。それから2時間後に利佐子さんは突然死するのである。

-疑惑発覚-
利佐子さんの知人は突然死に不審を抱いた。そこで、知人の1人が手当たり次第に保険会社に本件の内容を連絡した。保険会社でも、3人の妻の突然死に不審を抱いたこと、利佐子さんの保険金額が常識では考えられないことから警察に相談した。

神谷は、利佐子さんの死亡から6ヵ月後の12月に加入している保険会社4社に保険金支払い請求を行った。保険会社は死亡には疑義があるとして支払いを拒否。民事裁判となった。

一審では、神谷側が勝訴したが、保険会社側が不服として控訴。平成2年10月の控訴審で、保険会社側は爆弾証言を行う。というのは、石垣島で司法解剖したA医師が、念のため利佐子さんの臓器や血液を保存していた。これを大学病院で分析した結果、「トリカブト毒による中毒である」と証言した。これに驚いた、神谷は突然、保険金支払い請求を取り下げてしまった。完全に不利と思ったのであろう。

保険会社(当時)保険金額掛け金(1ヶ月)申し込み日
住友4500万円4万9500円昭和61年3月28日
三井4500万円4万8900円同上
明治5000万円5万5000円昭和61年4月4日
安田4500万円3万2150円昭和61年4月5日
合計1億8500万円18万5550円
注)一般人が月掛け18万円の保険加入は常識では考えづらい。利佐子さんは、加入2ヵ月後に突然死した。
注)トリカブト事件(坂口拓史箸・新風舎文庫)参考

この頃から、マスメディアもスクープ合戦が始まった。このため世間で広く知れ渡り、「トリカブト保険金殺人事件」の名称が踊った。だが、神谷が主張するように、那覇空港から別れて2時間後に利佐子さんが死亡したことで、自身のアリバイがあること、仮に自分が利佐子さんに服毒させたとしても、2時間も遅効性のある猛毒など考えられないと主張した。

-不審-
捜査本部は神谷を逮捕したものの物的証拠は乏しかった。動機は十分に立証できても、死因が特定できなかった。そこで、再度、A医師が保存していた利佐子さんの心臓や血液を再検査を行った。すると民事裁判で証言したのと同様の結果、即ち血液からトリカブトの毒やフグの毒が検出された。

これを裏付けるように、福島県の植物店の主人から警察に、「神谷に゛トリカブト゛を何十鉢も販売したことがある」と連絡があった。また、東京の日暮里にある神谷のアパートの畳からトリカブト毒が検出された。

だが、神谷はトリカブトの毒は即効性があり、利佐子さんと別れてから「2時間後」に急死することはありえないと主張した。

しかし、その後の調査で遅効性のあるフグの毒をトリカブトの毒に相乗させることで時間調整が可能であるということが判明した。また、利佐子さんは神谷から滋養強壮剤をもらったと言って、しばしば友人の前で二重になった白いカプセルを飲んでいることを目撃していることから、トリカブト毒をカプセルに入れて利佐子さんに飲ませても、胃で分解され毒が体にまわる時間は2時間前後であることを解明した。

平成12年2月21日に最高裁は神谷被告の上告を棄却、無期懲役が確定した。

-トリカブト-
キンポウゲ科の多年草。沖縄県を除く全国に分布する。根子の部分に毒性の強いアルカロイド系アコチニンを含み致死量は耳掻き一杯程度。花の形が、「鳥が兜」をかぶったように見えることから、この名がついた。