週刊文春のブラック企業潜入記事読みました。

内容はかなりセンセーショナル。数年前のブラック企業として批判された時の騒ぎから、その環境が全く改善されていないということがわかります。
 
さて、このようなブラック企業の話題なると、いつもブラック企業を擁護する反応が世間で多く見られます。
そのような「ブラック企業って言うな論」にはどんなものがあるんでしょう。いくつかそのパターンをまとめてみました。

①「会社だから仕方がない」系
「厳しい競争に晒されてる」「儲けを出さなくてはならない」「中小企業では仕方がない」「会社は市場原理に乗ってるだけ」等、ブラック企業はブラック企業で正当な企業活動しているだけだと意見。

けれども社会では、市場原理が暴走しないために労基法など様々な法律が定められています。会社の都合が社会のルールを破って良いと言う理由はどこにも存在しません。

②「ブラック企業は本人の受け取り方の問題だ」系
その企業がブラック企業かどうかは個人の価値観の問題であり、ある人にとってはブラック企業でも他の人にとってはホワイト企業でもある。だからブラック企業は個人の価値観の問題で、心の持ちよう次第でブラック企業はブラック企業ではなくなる。といったタイプの意見。

日本では社会的な問題を個人の心の問題にすり替えて、問題を矮小化してしまう傾向がよく見られます。他の差別やいじめなど様々な社会問題でも同じく言えることですが、何かの問題は受け止める方の価値観だけで決まるものではなくまた加害者側とされた方の意図の問題だけでも決められるものでもありません。

被害者、加害者の判断及びに、その行為や現象が社会的にどういう文脈で解釈できるか、過去の歴史的経緯など、様々な要因を総合的に判断して、その都度ジャッジしていくもののはず。なので、問題の範囲や在り処を「本人の受け取り方」に限定してしまうのは、あまりにも狭窄的な発想でしょう。
 
「嫌なら止めろ」系の意見も、環境の問題を本人の選択の問題に矮小化している点でこれと同じです。

③「ブラック企業にもいいところはある」系
「その企業の悪いところばかりを取り上げて、ブラック企業と断罪するのは、ものの見方として偏っているのでは?いいところも見て判断しないと、公正な態度だと言えないのでは?」という、視点を変えることや他の着目点の提示によって、ブラック企業の問題から目を背けさせるという戦略です。

いいところがあったとしても、ブラック企業が行っている社会的問題は社会的問題です。そもそも、ブラック企業にいいところがあるかどうかは、最初から論点に含まれていません。ブラック企業という論点をずらそうという意図が、そこに見て取れます。


④「会社のせいにするな」系
「会社は神聖にして侵すべからず」。このような思想のもとに、会社のことを悪く言うそれ自体を許さないと言う価値観が、この社会には多く見受けられます。今まであげてきた類型も、結局は全て根本的にこの価値観が根っこにあるのではないかと思えます。
 
つまりこれは会社がある種の宗教的な存在になっていることの表れであり、そのような価値観を持つ人にとっては、自分の存在意義が会社の存在とつながっているのでしょう。

このような価値観は、なかなか根深く、それが自分のアイデンティティーにまで及んでしまっているので、なかなか建設的な議論をするのが困難です。会社が批判されると、すぐ感情的になってしまう。

しかしこのような考え方は確実に社会に害悪をもたらすでしょう。このようなブラック企業が現れても、会社の批判をしてはいけないと言う価値観があれば、どんなブラック企業も許されてしまうことになってしまいます。


と、こんな感じで、とりとめもなく書いてきました。他にも反ブラック企業批判のパターンはあると思いますが、とりあえず今回はここまでにします。
 
1つの社会問題は改善されていく際は、前進とバックラッシを繰り返しながら、しかし確実に改善する方向へと前進していくことが、健全な社会のあり方です。ブラック企業の問題も前進と後退を繰り返しはしますが、少しでも早く、少しでも多くのブラック企業が社会から淘汰され、そしてこの社会の働き方がより多くの人が幸せに働けるような変わることを願います。

ブラック企業の前に、日本の企業ってみんなブラック企業みたいなもんじゃん…」 って思う方は、こちらの本がオススメです。日本の労働慣行の背景がわかります。