電脳日本の歴史研究会blog

日々、徒然なく語る…

2016年03月

 昨年、春だったと記憶しているが、映画『アンブロークン』が反日映画だと大騒ぎする話があった。

 私はこの話に関して当初から公開もされていないのに、なぜか最初から否定する連中ばかりで、疑問符を持っていたが、夏の休暇時に飛行機上で公開されていたので見た。
 見た体験から結論をすれば・・・『これのどこが反日映画なのだ?』としか思えなかった。

 映画としては、素晴らしい映画であり、テーマは主人公が不屈の精神を持って困難を乗り越えるという素晴らしいテーマで、日本軍の捕虜は単なる人生のエピソードでしかないということだ。
 映画の最後のシーンでは日本で聖火ランナーとして走る主人公が、沿道で手を振って応援する日本人の観衆に対して、笑顔で手を振るシーンが涙が出そうだった。

 映画自体を見ない人達による批評が「反日映画」とレッテルを貼ったのだと思う。
 ちなみに原作が酷いとの話は確かに聞いている、だが、私はそれを読んでいないし、もし仮に酷いとしたら日本政府、つまり外務省からキチンと申し入れをすべきであり、抗議すべきだ。

 それは有ったのだろうか?調べても出てこない。
 それは良いとして、論より証拠、まず映画を見て欲しい、ちなみに昨年の機上で見た映画『フューリー』の方が私はひどいと感じた、これが戦争なのだと。

 監督のアンジェリーナ・ジョリーは、看守役のMIYABIにこういったそうです。

「ルーイ(ザンペリーニ)の人生を通じて、どれだけ人間が強くあれるか、ゆるせるかというメッセージを届けたい。そのためには軍曹の役が必要。すごくセンシティブだけれども、そこを乗り越えたメッセージを日本の人にも伝えたい」。


 映画『アンブロークン』 ※ 全編英語なのでご注意下さい。

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  読み物としての南京事件に関する、話題としてはよろしいのではないでしょうか?
  “研究” としては、どこかで聞いたことがあるなぁ...というものが多いので、研究の参考書としては違うかもしれません。
  別に、私が呼ばれなかった事に関してどうこうという気持ちはありません。
  こうした風潮が、続くことは重要な事なのです。
  
正論のリンクへ 

 ゼロ戦を崇拝する連中が多いが、私は別にゼロ戦がそれほど評価を高く見てない。
 なぜなら多くの史料を見れば、むしろ陸軍の1式戦闘機隼や海軍よりも陸軍の方が優れている点が見て取れるからだ。

 それを裏付けている、廣済堂刊『開戦前夜から玉砕敗戦まで 太平洋49の謎』(福田 護)から引用してみる。
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 謎23)不敗零戦神話に隠された致命的欠陥

 太平洋戦争にはいくつかの謎が今日まで隠されている。
 その中でも、1943年4月18日、ラバウル南東約300キロのブーゲンビル島ブイン上空における山本五十六連合艦隊司令長官の戦死は、日本軍の暗号解読による待ち伏せ説から、山本長官の前線視察スケジュールをアメリカ側に漏らしたスパイ説、ミッドウェー以来の作戦失敗を苦にした自殺的行為説まで、さまざまな説が流されているが、真相は未だ謎のままである。
 
 ただ、事実として日米両国公刊戦史が認めているのは、山本長官とその幕僚たちを乗せた一式陸攻二機が、六機の零戦を護衛として、ラバウルからブイン、ショートランドなどの前線視察に飛び立ち、ミッチェル陸軍少佐率いるロッキーP38ライトニングの待ち伏せを受けて、陸攻二機はともに撃墜されたということだけである。
 真相はどうであったかをさぐるのが問題では無い。

 問題は、六機の零戦が、なぜ山本長官機を守れなかった、ということである。
 零戦はいうまでも無く、太平洋戦争全期を通じて日本海軍の代表的戦闘機として働いたことで知られる。

 誕生したのが皇紀二六〇〇年、末尾の0をとって零式艦上戦闘機と呼ばれた。
 軽快な操縦性、増槽をつけると1800キロという、双発爆撃機並みの長大な航続力、20ミリ機関砲二門、7.7~12.7ミリ機関砲二門という強力な武装・・・。まさしく零戦はデビュー当時、史上最強であった。

 「グラマンF4FワイルドキャットやカーチスP40トマホーク(C型までを呼び、F型以降はウォーホークと呼ぶ)は論外、ロッキードP38ライトニングも相手にならない。F6Fヘルキャットでいい勝負、ノースアメリカンP51ムスタングは流石に手ごわい」などという零戦評をよく見かけ、「零戦には一機でかかるな。必ず二機単位でかかれ」という、米軍航空隊マニュアルを引用して、不敗神話が信じ込まれている。

 しかし、この評価は正確では無い。
 その証明として、一九四二年八月~十月のガダルカナル攻防戦での零戦とグラマンF4Fとの損害比率を見てみると4対1となり、アメリカ国防長官のフォレスタルをして、「ガダルカナルを救ったのはグラマンだ」と言わしめたのである。

 「零戦に二機単位でかかれ」というのも、零戦を恐れてではなく、それがアメリカ海軍及び海兵隊航空隊の”サッチ・ウェーブ戦法”と呼ばれる空戦マニュアルであった。
 論外とされるアメリカ陸軍の戦闘機カーチスP40トマホークでも、ポートモレスビー上空を守る第四十九飛行連隊は、半年間で六十四機の日本軍戦爆連合隊を撃墜。

 非撃墜機は十六機にすぎなかった。
 一般に信じられている零戦の強さを否定するのは、何もアメリカ側の資料だけではない。日本海軍歴戦のパイロットや航空艦隊参謀たちは、

 「もし我々にグラマン並みの戦闘機があったならと切歯扼腕して空を見つめた」
 「彼我の戦闘機を比較するとき、零戦の欠陥が目についた。日本のパイロットでもベテランほど、ぞっとするほどアメリカの戦闘機が嫌いであった」

 と言っている。
 具体例として、初めにふれた山本長官機の護衛零戦について考えてみたい。

 六機の護衛零戦は、当時の日本海軍の最高首脳である山本五十六とその幕僚の命をあずかるのだから、当然、腕の良いベテラン・パイロットが乗り込んでいた。
 日本側の零戦が六機に対し、アメリカ軍のP38ライトニングは十六機であるから、機数ではアメリカ軍の方が三倍弱ある。

 しかし、もし零戦が一般的に言われているほどの名機であったならば、むざむざ長官機に火を噴かせるなどという失態は演じないはずであろう。
 日米両公刊戦史を照合してみても、P38 ライトニングが、その優速を利用して一撃離脱をはかったわけではなく、空中戦に入ってから長官機を追い回したあげくの撃墜であった。

 巨大な双発戦闘機と空戦したうえで、護衛に失敗したのだから、零戦そのものに問題があったと考えざるを得ない。
 零戦について、(烈風等のテストパイロットを務めた)小福田皓文元海軍中佐がユニークな指摘をしている。

 「操縦しやすい機体で、多少ヘタクソでも乗りこなせた。特に低速操縦性がよく、離着陸時の事故も少なかったしかし、その反面として、降下加速が悪く、敵機が上方から攻撃してくるとき急速に離脱することがむずかしかった」
 「機体重量の百万分の一、すなわち2、3グラム単位で軽量化に務めた。このため防御装置がほとんどなく、被害機が激増した」(『防御無視の戦闘機が辿った道』別冊歴史読本特別増刊一九九一年冬)

 日本の戦闘機として、初めて採用した20ミリ機関砲も、数字的にはアメリカ戦闘機の12.7ミリ機関砲より威力があるように見えるが、実戦では、はるかに米12.7ミリ機関砲のほうが優秀であった。
 主翼の薄い零戦には、巨大な20ミリ機関砲の弾丸がわずか六十発しか携行できず、改造されたあとでも百二十五発ぐらいしかつめなかったからだ。

 タマ切れの戦闘機ほど悲惨なものはない、と当時のパイロットたちは異口同音に語ってくれた。
 それにスイス・エリコン社から技術導入して製造していた20ミリ機関銃は、命中すれば確かに威力は大きかったが、弾道の直進性に問題があった。

 簡単に言えば、せいぜい200メートルほどしか真っすぐ飛ばないのである。
 これに対し、コルト・ブローニング社が製造していたアメリカ機の12.7ミリ機関砲は、携行弾薬数が二百~四百発を数え、四~六門と多銃装備をしていたから、一機あたりでは、実に零戦の四~六倍の携行弾薬数となったのである。

 その上、直進性にすぐれ、1000メートルを超えていたのだから、実力的にははるかに上であった。
 日本海軍きってのエースであり、”大空のサムライ”として日米両軍に知られる坂井三郎氏も零戦について、

 「20ミリはあまり使わなかった。もっぱら7.7ミリで勝負した」と、この武装の弱点を語っている。 

   

 2016年3月15日、チャンネル桜に出演させて頂きました。
 内容は原発事故後の風評被害についてです。
 
 自分が体験したことしか話せませんが、とにかく、福島の風評被害を払拭したい。
 というより、福島の食べ物は全く問題無いのです。

 
  

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