電脳日本の歴史研究会blog

日々、徒然なく語る…

2016年10月

 平成28年7月、雑誌「正論」経由で、東中野亜細亜大学教授から以下の手紙が送られてきた。
 この教授はどうやら、私が論文を発表する度に各方面へ抗議を繰り返していた事を聞き及んでいたが、ここまで腐っているとは思わなかった。
 
 内容が当初、余りにもバカバカしいので相手にする気も無かったし、この手紙を受け取る約1年前に偶然、当時の学生証を見つけて保存しており別段、こんな下らない事に対して真面目に相手にする必要性は無いと考え、気にもしていなかったが...(ところが保存場所を忘れてしまった。)
 しかしながら、驚いたことに東中野修道亜細亜大教授のこのようなデマ宣伝や噂をまともに信ずる連中が存在しており、この話を聞きビックリしたと共に、デマや噂話を意図的に流布する連中が存在し、余りにも酷いので東中野修道からの手紙を私の名誉を守るために公開する事としました。

 以前からありもしないデマやウソを流す連中の存在を知っていましたが、今回、流石に私に対するデマや噂話を垂れ流す元凶を調べて判明した事は、出鱈目な噂やデマを出版社や編集者へ垂れ流している元凶が東中野修道亜細亜大学教授が全ても元凶である事も判明しました、と共にそれを更に某社の編集者、新聞記者が同調し垂れ流していたことも確認出来ました。


 東中野修道は、出版社や雑誌社、関係団体等へ「松尾の大学への在籍が確認できないので出版や掲載を取りやめろ!」と幾度も根拠も無いデマや噂話を平然と流布し、私の出版への圧力を掛けていたことが判明しています。

 

 東中野修道、亜細亜大学教授はこうしたことを99年来行っていたことが判明しており、これを草思社の担当者や某S新聞社の記者などへも暴言や圧力を加えていたことも確認できます。


 さらに私の研究姿勢を褒めた、元大阪毎日新聞記者・故佐藤振壽さんに対して大声で罵倒してパワー・ハラスメントを行っていた事実も確認出来ています、東中野修道亜細亜大教授はこうした行為を幾度も繰り返して来ました。

 手紙も本来は個人情報なので公開する場合、慎重にしなければならないが・・・この最低・クズ人間であるこいつに対して頭に来、更には名誉を守るために、個人情報の様な公開がダメな箇所以外はすべて公開する、彼はどうやら私の写真研究を盗用しただけでは物足りない様である。


 ちなみに私は「理工学部」などと語った記憶も無く、恐らくこの質の悪い奴は誰かと勘違いしているか、思い込みが激しい人間なので、意味不明な事を主張しているのでしょう、主張に全く根拠無し。


 とりあえず、本年7月、東中野修道亜細亜大学教授から送られて来た余りにもバカげた手紙と、名誉を守るために反論の意味を込めて退学証明書も公開する事とする。

 一方的に個人情報を送って来い!等と常識では考えられない行動(悩)、如何にこの人物が思い込みが激しく、研究に適さないかが分かると思う、しかも、亜細亜大学では教授になればどんな行為でも、違法行為や名誉棄損行為でも許される様に考えられているのか?亜細亜大はこのような教育者を平然と放置する、非常識な大学なのか?何様なのかとさえ感ずる。

 人の研究である写真盗用を行い、書籍を出版しただけでは満足出来ないのか?
 私はそもそも亜細亜大の生徒でも無ければ、ましてや東中野氏に何か教わったわけでも世話になった訳でも無い、この点をそもそも勘違いしている人間が多すぎる、この人物とその周辺の者達が単に人として最低なだけである。 

 ちなみに後でわかった事だが、通州バカと呼ばれる連中も同じく、私が学歴詐称をしていると触れ回っていたことも確認できた。
 この通州バカというのは、南京事件は通州事件を隠ぺいするために作られたという珍説を主張する者たちを指す。(※画像をクリックすると拡大表示)

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 前にも書いたかもしれないが、98年の1年間、某自由主義史観研究会、元東大教授の組織に関わったことが有る。
 で、「教科書に載らない・・・」シリーズが爆発的に売れたので、その2番煎じとして歴史に影響を与えた写真の分析を行うとして、集められたのがプロパガンダ写真研究会(通称・プロ写研)であった。

 会員は総勢約40名未満、毎月1回、第二土曜日の午後13時から18時の間、東大の会議室を利用し開催。
 毎月集まっていたのは10~15名程度で、写真の検証が出来るのは、私を含めて大学生の1人と、たまに発表するのが1名程度であった、顧問の藤岡、東中野は共に検証も資料の収集すら出来無いと言うより、才能が全く無い程度であった。

 1度程、東中野修道氏は、NHK映像の世紀(日本)にて、当時のパラマウント・ニュース映画がこれは全てやらせと主張し、その根拠の無さに私は呆れた事を記憶している。
 私は2004年の著書『プロパガンダ戦「南京事件」』(光人社)にて、この映像は実際に撮影されている事を分析し、登場人物の分析をも行った。

 ちなみにこのプロ写研での発表はそれぞれ発表者の名前で分析したものを後に書籍にまとめる予定ではあったが、藤岡信勝教授の成果として勝手に講演会で発表され続けていた状態であった、無論、本人の許可など取る訳も無かった。
 それは良いとして顧問の藤岡・東中野両氏は当時から全く役に立たない上に、正直、邪魔なレベルであった。

 当時、私は山ほどの資料を全て自費で入手し、必死になって研究し、研究会では資料として提示していたが、この2名の役に立たない、だたそこに存在している教授は、丸ごと自分たちの成果として使おうと思惑で毎回役にも立たないのに来ていただけであった。
 この2名は私が退会後には、自分たちの行った汚く、陰湿な行為を隠ぺいする為に、とにかく周辺へウソやデマを流し続け、今でも人格攻撃を行っている事は周知の事実。
 
 東中野に至っては、元々能力が無いので指摘された途端に、突然キレると言った行為を繰り返し、最後には、南京学会というパクリ団体は自滅した。
 ところで突然、怒り始めるといったこういった行為は、この教授には珍しくない行為だった。

 第1回のプロ写研で私が収集し、配布した資料を許可なく水間政憲が小林よしのり氏へ渡し「戦争論1」に用いられ、制服、肩の階級章が違うと言った産経新聞の写真も私が研究会で収集・発表したものであった。
 何より、この研究会は秘密裡に研究を行い、最終的に書籍にまとめるといった方針だったものだったが、水間、茂木などルール無用のやりたい放題の連中が参加し、連中は全く何もせず、勝手に自分の成果として各方面へ発表を行うといった状態であった。

 こうした約束を守らなかった事に対して率先して行っていたのが藤岡だった。
 要するに資料を入手するためだけに、私を含めて実際に収集分析をおこなっている連中を利用するだけの目的であり、失礼な事はこの上なくされてきた。

 その後、藤岡の余りの無責任は言動や行動、その周りのえげつない連中に呆れ、会を抜けたプロ写研の2匹目のドジョウを狙ったのが、東中野の「南京学会」であったが、元々ロクに研究をしない上に、能力や調査基礎能力が無い連中ばかりが集まる烏合の衆となり、結果、東中野のパクリ体質が露見した、私の98年の写真研究盗用事件が露見して空中分解というより逃げたと言える。
 そもそも私はこの南京学会なる会へ別段、誘われなかったこともあるし、東中野の本質は自分で研究は出来ず、他人あっての発表ばかりで私は自身で研究した方がよっぽど有益と考え、一切、関わらなかった。

 むしろ、プロ写研で発表した私の研究を新聞社へ提供した際に、東中野は1時間抗議を行っている。
 新聞社の社主から突然、電話が掛かり、東中野の陰湿な性格と、「お前の研究はすべて私のモノだ」と言わんばかりの、傲慢な態度に怒りを感じたことが有った、これはその後の2005年に草思社『「南京事件」証拠写真を検証する』が最たるモノだろう。

 2005年5月25日、東中野の写真盗用書籍は流石に酷過ぎるとして、友人と共に抗議を草思社で行うと、担当の増田(副編)、担当男性なる人物が『お前の思い込みだ』などと、罵倒し、汚い言葉を吐き捨てた上に、名誉棄損だ!すら吐き捨てられた。
 ここでもう、黙ってはいらないとして裁判を友人として行うつもりでいたが、チャンネル桜の水島社長から「南京の研究の為に我慢しなさい」と言われ黙ったのが結果、この体たらくとなった。

 勘違いしている連中を多く見受けられるが98年から今に至るまで私は当たり前の当然の事しかやってきていない。
 侮辱を行って来たのは誰なのか、論ずるまでも無く、私は映画『南京』等を史料として自費配布を97年から行ってきたが、どれだけ侮辱され、酷い目に遭って来たのか知らない人も多い。

 それ以前に、研究以外でも理不尽な事は山ほどされてきた、その一例として。
 藤岡と自由史観の連中がクリオという「教科書に…」を漫画家化する際に立ち上げた会社があった、その定款に講演などの映像をCD-RやDVDに録画して配布するといった提案を行い、項目を追加した後、藤岡は私をこう評したそうだ・・・。

 「大風呂敷ひろげやがって」と罵倒している。

 今の時代、CDやDVDに映像を記録するなどう容易に出来ることは誰にでも知ってると思う。
 ところが当時、CDに記録が可能となったCD±RWベイがようやく普及を始めた頃に、CD±Rの記録が出来る5インチベイ複数をWindows98のPC等に取り付ければ、同時に大量にコピーできることを主張したが、今でも当然だが、当時から当たり前の当然の事であった。

 ところが藤岡にとって、この技術は絶対的に不可能な、妄想の様な技術と思えるらしく、CDなどに映像を記録することは。大風呂敷なのだそうだ。
 なにより不幸だったのは、自由主義史観では大越という私と比べてはるかに劣る奴がおり、こいつも全く理解出来ない人間でありながら、私の上司という立場であった。

 当時、私はこいつの無知さに呆れていた程であり、余りの無知さと能力の無さに辟易していた状態ではあったが藤岡は全面的に信頼していた。
 私は幾度も藤岡に「ホームページを改良させてくれ!」と繰り返し訴えるも、普段は役に立たない南京事件の研究には頭を突っ込むくせに、技術的な事を簡単に説明しようとしても「大越君に任せているから」と丸投げし、その大越も理解どころか、適当に誤魔化すばかりで1年近くなろうとした際に、これ以上は私と南京関連のホームページが維持できず自滅すると思い、会を抜けることにした。

 自由史観の会員の管理システムが更新しなければならない時も、私の友人にはプログラマがおり、依頼を掛けたかったが藤岡の「金を減らしたい」という一声で依頼も出来ず、事務所の仕事がオーバーワークしており水間が思いついたら適当に言い放つ状態で(この人物は何もしない上に出来もしない人に丸投げしか出来ない) 正直、地獄の1年間だった。

 先に述べたが私が自由史観に関わった最大の目的は、私のホームページや技術を使い、組織に対してすべて貢献したかっただけだが、数か月後には研究もすべて自費ですべて賄っていたが、底をつき、藤岡は南京事件の研究成果を全て自分のモノとする事しか考えておらず、適当でいい加減な連中の言動だけを信ずるようになり、挙句の果てには技術的に可能性大のモノですら理解も出来ず、明らかに水間の様な適当に忠告する様な連中の言葉を全て信ずるようになり、私はこのままでは、南京に関する研究もなにもかもダメになると考え退会を決意した。

 連中は従軍慰安婦や南京事件について真面目に考えてはいない事も分かる、要するに口先だけだ。
 99年にはマイケル・ホンダにも遭い、何とか南京を従軍慰安婦のようにすることだけは出来たが、個人では限界があるが、しかし、この連中達よりは遥かに貢献できている事を自負している。
 南京大屠殺がまさか登録されるかどうかについては、実は登録1日前に知った。

 これは、本当に自分でも情報すらなかったので悔やまれるが、これは私にしかできていない新資料を1つ1つ発見することでいずれ解決できると信じている。
 南京の最大の問題は、ロクに図書館にも行かず、適当に噂話に近いような事を自分は何もせずに「こうすればいい」と他人に丸投げする様な人間達こそが始末が一番悪い。

 これは、通州バカ達だが。 
 今や、ロクに研究もしない適当に憶測と想像とレッテル貼りで済まそうとする通州バカの連中が幅を利かす限り、いずれ南京研究も南京学会の様に停滞が始まる、これは常に繰り返されてきたバカげた慣習だ。 

 自然はいいですねぇ。

   

 意外に残っている写真報道。以下2枚UP
 ※無断使用が最近多いので画像を加工しています。

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 やっと、昭和14年11月までPDF化完了。
 朝日新聞版『支那事変画報』は35冊しかなかったのに、毎日は117冊、こりゃ相当かかるな…。
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 ※当HPからの写真の無断転載が余りにも多いので画像加工しております。 

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