電脳日本の歴史研究会blog

日々、徒然なく語ろうかと…

2019年02月

 ここ最近、仕事に集中しており南京事件関連の史料について以前と比べかなりゆっくり手に入れる様にした。
 有難い事に今の時代、クリントン大統領による"通信スーパーハイウェー構想"の恩恵により楽に入手可能な時代になった。

 まぁ、ついてこれない連中は別として…。
 データは殆ど全てデジタル化し、大容量データも一括して保存可能であり、今や世界の裏側までホンの数秒で繋がるし、情報の共有化が可能となっている。

 つまり、世界中に散らばった南京事件関連の史料も簡単に入手できる時代に成ったという事だ。
 ところがそれについていけない連中が存在する。

 所謂、情報弱者と言う連中だ。
 こういった連中はロクに情報の精査も出来なければ、モノの本質すら理解できない。

 英語で言うところの...”ブラインド ・ストゥーピッド”という"盲目のバカ"とでもいうのか、目の前にはっきりした物体があっても、理解すら出来ない、見ようともしないという連中だ。
 まぁ当然ながらそれは藤岡信勝一派を指す。

 藤岡信勝、東中野修道、茂木弘道、水間政憲、高橋史朗と言った連中だ。
 藤岡は更に警察ざたになる様な連中すら従えて来た、大神源太、増田俊夫といった草々たるメンバー。

 慰安婦問題を悪化させる原因も作り、いわんや南京事件を世界遺産に登録させたのもこの一派である。
 素晴らしすぎて、爆笑モノだ。

 こういった藤岡の能無しぶりは1998年2月に設立されたプロパガンダ写真研究会(通称:プロ写研)でも遺憾なく発揮されていた。
 茂木弘道なる人物がバカげた発言をだらだら延々と喋る中、私が「そんな意味のない事を話すだけ無駄である!」と言うと藤岡が即座に「そんなことを言うべきではない!」等と、1か月に1回の重要な会合に対して、声を荒げて無駄な時間を過ごさせようとする。

 この時だったか、会の中心メンバーから「藤岡はもういらない!」と発言が出、私もそれに合意した。
 要するに藤岡信勝と東中野修道はプロ写研では役立たずの無能で、何一つ研究すら出来ない、しもしない存在として、半年を過ぎた頃から邪魔なだけの存在となった事はハッキリした。

 同じように藤岡一派の水間政憲は今でもそうだが写真どころか史料すらまともに入手も出来ない。
 奴の書籍は参考どころかお笑いレベルであり、1938年4月15日のミニー・ヴォートリン日記を読んでいれば、朝鮮半島版朝日新聞の記事の出所が容易に分かる。

 さらに今更語るほどでもないが南京において遺体埋葬を指揮した丸山進南京特務機関員による証言を知っていて当然の丸山進南京特務機関員の証言なども自称・南京事件研究者なら当たり前の事すら理解しておらず、2度も改ざんされている史料価値ゼロに等しい紅卍字会発表の埋葬状況を第1級史料であると宣伝する大間抜け水間政憲(無論、藤岡一派の中心的無能者の1人)。

 こんな連中がロクに基礎知識どころか、英語もわからず、手紙を海外へいきなり送り、その結果すら調査せず…実際、カナダで水間の送った手紙に現地の議員達が激怒していたのを目のあたりにして、もう呆れるしかない…と感じた。
 送った手紙どころか説得力どころかガキの「やだ、やだ、違うんだい」というような、根拠も示せずに抗議だけするといった流石に呆れた…。

 私であれば、まず現地で直接議員と話し、根拠となる史料をきちんと手渡し、さらにその後の調査まで確実に行うが、水間政憲はそう言った事を一切行ってない。(怒)
 ちなみこういったやり方は藤岡一派の1人高橋史朗も同じ様な手法をしている様だ。

 高橋史朗も中々始末の悪い。
 何しろBSフジで秦郁彦、山田朗に容易に論破される藤岡信勝のレベルとどっこいどっこいだからであり、そりゃ、こいつが国連に行っても容易に相手にもされないわな…というレベル。

 阿羅健一先生は高橋史朗を擁護するが、正直、実態を調べて分かったことは、擁護する価値も無いという事だ。
 南京事件はそれなりの能力が有れば容易に新発見や充分説得力が備わる。
 
 これは自然の流れだ…。
 藤岡信勝の様な奴が結局、1999年にはマイク・ホンダに対して何もせず2007年の米下院での決議採択がされ…その一派の仲間である高橋史朗は2015年に南京事件の世界遺産登録へ前進させる…。

 藤岡一派が如何にアホ集団であるかわかる。
 その子分の水間政憲が1793人という初期研究レベル者でも分かるような、お粗末な事を平然と言ってのける…そもそもこいつの主張を信じる連中達は別の人間から意見など聞こうともしない。

 要するに、「宗教の世界」ともいうべき「唯一絶対」「信じるのは当然」等と言ってる様な連中が、次々と慰安婦問題と南京事件を悪化させているというカラクリだ。
 ちなみに水間政憲が映像で百田尚樹氏を批判していたが、私は百田尚樹氏の南京事件に関する知識は水間政憲等圧倒しており、多少の間違いはあっても90パーセント以上は正しいと考える。

 比べて水間政憲の南京に対する知識は、恐らく3割にも満たない。
 プロ写研に当初参加していたが数回で消えたのは、水間は写真の研究どころか自分の主張が正しいというだけで、根拠すら示せないので能力が無い事がバレる前に逃亡したと認識している。

 恐らくプロ写研に参加していても茂木弘道と同じか、それと同等レベルだろう。
 藤岡信勝はこの2人を大変気に入ってたが、実際、プロ写研で研究をしていたのは私を含めた20代の数名だけであった。

 途中から藤岡信勝、東中野修道はクビにすべきとの意見が出ている。
 無論、役立たずの藤岡は新組織を作る事は反対したが…実際、藤岡達を含む役立たずの連中をクビにしておけば組織の存在はまだ続いていたかもしれない。

 長々と話したが、何が言いたいかと言えば…要するに今の時代は90年代よりも史料の発見が容易になったが、それすら分からないどころか、当時から役に立たない連中はこの体たらくという事だ。
 どうしてこいつらは、未だに多い未発表史料すら見つけられないのか?

 通州事件の犠牲者の写真を未だに発見出来ないというのが不思議でならない。
 恐らく藤岡一派と関わる連中だと思うが、通州事件の犠牲者の写真か?と名前も提示せずに聞いてきた失礼な奴がいたので適当にあしらったが、軽く調べてみると恐らく所蔵先らしき場所がある。

 私は通州事件など興味も無いし、すでに写真以外は全て充実しているので、ほっといてるが未だに見つけ出せない様子。
 心底、藤岡一派ってアホ・バカが多い様だ、呆れる。

 1998年にその兆候がすでにあったから仕方ないか…。
 これからも無能な連中は藤岡に期待して裏切られていくんだろうなぁと、もうすでにそれは十分過ぎる程に分かるはずなんだが”ブラインド・ストゥーピッド”はつらいね。


 1937(昭和12)年8月13日に発生した、第二次上海事変へ司令官として予備役であったにもかかわらず、現役に復帰し従軍した松井石根大将による『陣中日誌』は有名。
 
 しかし、松井石根大将は筆まめであり、この陣中日誌を読んだことが有る人は不思議に感じたはずだ。他に「日記は無いのか?」と…。
 それは松井石根大将が東京裁判において、巣鴨プリズンに収監されていた際に日記を書いているはずではと常識的に考えるはずだ。

 私は故・田中正明先生と出会った際に、先生の著作の中で松井石根大将による陣中日誌と、獄中記の存在がある事を知り、幾度も「松井石根大将の獄中記はどこにあるのでしょうか?」と質問を、記憶の限りでは1996年~2000年頃まで幾度も質問した記憶がある。

 田中先生からは「さぁ、どこにあったかなぁ?」と覚えていなかった。
 ところが偶然、私は数年前にこれを発見する事が出来た。
  
 田中先生が体調を壊し入院するまでの96年から2003年までの間、ほぼ1週間に最低数回は訪ねていた私は、幾度も貴重な話を聞けた。
 その中で、巣鴨プリズンに収監されていた松井大将から獄中記を受け取っていた事、東京裁判での判決後の松井大将が処刑された後、松井文子夫人から貴重な資料を受け取っていた事も聞いた。その内容は以下。

 ・GHQから送られてきた松井大将への東京裁判への収監状
 ・松井石根大将が巣鴨プリズンに収監されていた際の獄中記
 ・マタイス弁護人から松井文子夫人への手紙(私信)等

 これら貴重な史料について、アパホテル・勝兵塾にて講演を行っている際に簡単に述べた。(約10分程度)
 少なくともこうした貴重な史料を発表する機会があれば、行うつもりだが、なぜ、他の自称研究者たちはこうした事が出来ないのか?考えすら至らないのか?

 ましてや、南京事件に関する史料において未発見史料は未だに多い事すらわからないのだろうか?
 と、言うより、能力が無い自称・研究者達(藤岡一派)にとっては、他人の研究を盗用するか、意味が分からずとも、とにかく言っとけ…という連中なのでそれは仕方ないのだろうが、余りにも情けなさすぎるが一番悪質なのはこうした無能な一派を信ずる連中達こそ南京事件の解明を妨害する最大の弊害と言えよう。

 なお、『松井石根大将 獄中記』の手紙や収監状等は、発表後に図書館又は歴史記録を保存できそうなところへ寄贈しようと考えている。

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