今や凋落激しい藤岡信勝とその仲間達。
 この連中達に関わると、皆ロクな事にならず、その上、他人の研究を平然と盗用し、それがバレると途端に人の責任に転嫁する藤岡信勝とその一派達。

 古くは東中野修道、茂木弘道、水間政憲、福永愼次郎こと溝口郁夫、小林進、高橋史朗等々…。
 これら一派による研究盗用、適当どころか研究を衰退させるインチキ説を垂れ流す連中だからだ。

 98年に藤岡信勝がプロパガンダ写真研究会を設立した。
 この会は私も驚くほど優秀な人材が集まり結果として当時南京事件に関して最高峰のレベルであった、しかしながらもう二度とこのレベルの人材が集まる事は無いだろう。

 これだけハイレベルな人材が集まっていたプロパガンダ写真研究会の人材や組織を意図的に貶めていたのは、何を隠そう藤岡信勝、東中野修道、呼ばれもしないのに勝手に毎回来ていた茂木弘道等等である、ちなみに水間政憲は写真については1枚たりとも判別が出来ないので、1、2回参加し、言いたい放題喋った後に担当写真すら分析できずに2度と登場しなくなった。

 藤岡の始末の悪い点は、例え優秀な人材が存在していても、能力を十分に扱うのでは無く、藤岡にとって利用するためだけに終始し、むしろ彼らの才能や能力を潰す事を無意識に行う事という本質的始末の悪さである。
 少なくともプロパガンダ写真研究会の優秀な人材らの足を引っ張っていたのは確実に、藤岡と東中野、茂木を含むこのボンクラ能無し三人衆で有った事は確実である。(谷原茂という勘違いバカも居たが...)

 更に3バカの悪質な事は最初から研究や毎回提示される史料を我が物とするためだけであり、特に自称顧問の2名は研究成果を自分の成果とし盗用する事が目的なので、優秀な研究者を決して表に出させず、しかも、さも自分たちが全てを行ったように振る舞うのが常。
 
 だからこそ東中野修道(亜細亜大)は1枚でも研究した本人が、他紙などに提供しただけで1時間もの抗議を行い、全ての成果を我が物にしようとしてきた。
 私を評価した佐藤振寿さんに大声で罵倒し、怒鳴りつける等人として問題アリの行動を幾度も起こしている。

 東中野の懇意の仲であった藤岡は、盗用後に仮に間違いが指摘された途端に責任を全て当初研究した人物へ全てを押し付ける、つまり都合の悪いことは全て他人へ転嫁するのがこの藤岡の本質的性質であった。
 ちなみに会の設立半年後には、これら3バカを排除して新たな写真研究会を設立するべきとの意見が出ていたが、藤岡はそれでは自分のものとならない事を危惧し結局、新会はとん挫した。

 こうした藤岡の能力の無さはごく最近、南京SM店のデモをチベットでの虐殺であると主張、最終的に自分で判断しておきながら間違いを指摘されると同時に、責任名を登場させ責任転嫁を行っている。
 こういった行為を幾度も何十年も繰り返してきたのが藤岡信勝という男である、だからこそ藤岡を見限る連中が大量に存在していた。

 2つ目は、人道に劣る行為を平然と繰り返す事が目の前で起きていても、理があればそれを無かったことにする人間としての下劣さである。
 これは東中野修道が98年来、実は何ら研究の基礎が出来なかったが、私の発言や研究を我が物にしようとエゲツナイ行為を繰り返す様子や、つくる会では水間政憲が裏で藤岡信勝に対して、必要も無い濤川氏との対立を煽っていた事は多くの自由史観の人達が目撃している。

 その頃は無駄な争いを避けるべきだと多くの仲間から指摘を受けていたが、藤岡信勝は詐欺師が大好きである、とにかく口が上手い連中が大好きであり、真摯に指摘や守ろうとする人物は常に信頼しない。
 詐欺師大好き藤岡は、大神源太事件、増田俊夫事件など多くの問題を起こしている。
 
 増田俊夫に関しては、私自身も幾度も注意していたが、やはり詐欺師好きの藤岡はまんまと乗せられている。
 この詐欺師や口の上手い連中が好きな藤岡信勝は今に至るまでその本質を変える事は未来永劫に絶対に無い。

 南京事件、従軍慰安婦に関して藤岡信勝は確実に、事実有った事にするために日々画策し行動している。
 こういった事を書くと不思議がる人は多いはずだが、藤岡信勝は確実に従軍慰安婦と南京事件を有った事にしようと精進している部類である。

 かつて藤岡信勝が99年に来日したマイク・ホンダに会おうとすらしなかったことは以前Webで書いた。
 これは千載一遇のチャンスであったし、ホンダ氏に会った私は南京事件に関して米国で一切取り出させないといった結果を出した。

 ところが情報を提示した藤岡信勝は一体何をしたか?何も対策すら行わず2007年に米下院で従軍慰安婦の決議を行った。
 さらに2015年10月に藤岡一派の高橋史朗は外務省の顧問と共に南京事件を世界遺産登録をむざむざと行わせた、これは単なる反論の史料すら持ちえず、理解もしていない結果であった。

 藤岡信勝を中心とする藤岡信勝一派の共通点は一切研究をしないことにある。
 基礎史料すらロクに持たない、集めない、読まない…こんな奴らが世界記憶遺産等を阻止できるわけが無い。

 藤岡信勝には戦略思考が一切無い、というより考えられない。
 南京事件や慰安婦問題は、戦略的思考が重要となるが、藤岡信勝は良くて数日程度しか思考が無い。

 だからこそ98年に栄華を誇ったつくる会、自由主義史観研究会が衰退した。
 これは藤岡の詐欺師大好き体質や、判断能力の圧倒的な欠如と劣ってる点が最大の原因である。

 98年に、詐欺師や詐欺師もどきが山ほど近づき幾度となく警鐘を鳴らしても、藤岡はそれをロクに考える力が無かった。
 中村粲教授との対立を生んだ講演会でも私は幾度も反対をし、参加してはダメだとの指摘を行った。

 それを平然と破ったのが藤岡信勝である。
 藤岡信勝には戦略的思考どころか、モノを考える力が無い、虫並みの思考力とだけ言っておく。
 
 藤岡一派が行ってきた成果と弊害を比べると良い、南京事件、慰安婦問題…藤岡一派が一気に悪化させたケースが多いことに容易に気づくだろう。
 以上、書きなぐったが藤岡信勝の始末が悪すぎる本質を以下にまとめておく。

 ① 主張は全て盗用と引用だらけ無論ソースは出さず、批判を受けると途端に人へと責任転嫁と無視を決め込む
 ② 優秀な人材を徹底的にスポイルし、詐欺師が大好き、口が上手い連中が本質的に大好きである
 ③ 研究が出来ない、分からない、伝聞が全て、致命的なミスをしても自己正当化と責任転嫁に終始
 ④ 戦略的思考が一切無い、その場限りの無責任体質、元サヨクなのでデマ、ウソを流すのは大得意

 悪いことは言わない、藤岡信勝とその一派に関わる事は絶対にやめておくべきである。
 これは散々痛い目に遭った私だからこそ断言できるし、これは間違いない、藤岡の仲間等は今でも私のデマを垂れ流し続けている事は多くの人が知るところである。