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 千代田生命保険相互会社本社(現:目黒区総合庁舎)

 200010月、名門千代田生命が破綻した。今から20年前のことである。

 長年、財務の中枢にいて、業界トップの資産内容を築いた一人として、余命も僅かとなり、後世に教訓を残したく、本稿を記すことにした。

 19974月の日産生命を第1号として20013月までの4年間に、中堅7社が相次いで破綻し、社会に多大な損害を与えた。原因は多少の違いがあるにせよ、コストの高い資金を大量に集め、ハイリスクの運用で失敗したのは、英国エクイタブル生命も同様で、まさに生保倒産の教科書通りである。

 とりわけ、千代田生命は1904年創業、戦前は業界第2位までなった名門(財務五社会メンバー)で、19873月末の資産内容は業界トップの生保(株式含み益率402%は大手8社中トップ、日経平均4,000円まで含み益が無くならない)が倒産したことは、筆舌に尽くし難い異常事態を意味する。

 世間では、バブル崩壊で多額の不良債権を抱えて倒産したように思われているが、不良債権の償却は数千億円で倒産の第一要因ではない(株式と不動産等の含み益約2兆円で十分償却できる)。

 契約者配当はインカムゲイン原則でキャピタルゲインは配当原資に充当できない。年金、一時払い養老など高コストの資金を大量にかき集めたため(総資産が5年で3倍)、それに合わせて利回り対策⇒事実上の粉飾決算。株式特金、配当取り投信、仕組債など、多額の証券手数料を支払い、インカム収入転換のため、それ以上のキャピタルロス(含み益減)を出した。さらに急増資金で株を目一杯買ったため株式簿価が急膨張し含み益率が急低下したのである。

 それによって、株式含み益率は86年度末の大手8社中1位から2年後の88年度末には5位に急転落(バブル崩壊前から悪化)、5年後の91年度末には最下位に転落した。倒産への道は13年前から始まり、8年前に確定的になった

 財務は数字作りをするだけ。財務を熟知した人材を更迭し、資産運用も経営経済も無知の素人を財務本部長、財務部長等に登用し破綻の道を走り続けた。

 生保営業はリスクを考える必要がない(大数の法則でリスク分散、上限額、医師診査、再保険)。リスク管理能力が重要な財務とは根本的に職務の性質が異なる。

 管財人の賠償請求は神崎安太郎、上田憲之、土井亮、木多良輔の4人だが、責任は87年度以降の役員全員にある。米山令士、井原一郎、伊藤四郎、馬場英造、小林哲夫、山際昭太郎ほか。監査役と監査法人の責任も重い。

 営業では高コスト資金をかき集めて会社に損害を与えているのに昇進した。
高コスト資金集めに反対した良識派の役員は更迭された。

 財務ではリスク管理能力がなく会社に損害を与えた者、焦げ付きを多く出した者ほど評価され昇進した。
  88年度の資産運用方針が「ハイリスク・ハイリターン」だから呆れる。起案は上田取締役財務部長の部下OとM。倒産への道付け貢献により、それぞれ常務、部長、課長に昇進している。

 

 それにしても残念なのは、9011月の大蔵省検査である。

 株式含み益率が業界平均を大幅に上回っていたのに、業界平均を下回った資料を見て検査官が「株が下がったからですかねー」と。「株が下がった影響は全社一緒だ!独自のインチキ経営をしているからだ!この税金ドロボー!」と思ったものだ。インチキな利回り対策は「これはお土産として白状するが、これは隠す」という大蔵省検査対策を財務部が策定していた。

 特別勘定(変額保険など)は一般勘定と分離しなければならないが、例えば、朝寄り付きで、先物10億円売りと買いを両建て、大引けで利益が出た注文は特別勘定に、損失が出た注文は一般勘定に付けた。犯罪行為である。

 特別勘定の運用利回りは公表されるので、そうした操作をした。証券会社も手数料が入るので不正と知りながら協力した。一般勘定の資産内容は悪化するばかりであった。こんな単純な不正手口さえも検査官は見抜けなかった。

  8912月日経新聞に第一生命がワラントで儲かっているという記事を見て財務部長が「何故、うちはやらないのだ!100億円やれ」と。「リスクが高いのでやらない」と反対したが、有価証券部長は、社長側近には逆らえない。責任が持てないので「一般運用ファンドにしない」旨の文書を作成の上実行、予想通りバブルのピークであり100億円は1ヵ月で紙屑になったが、誰も責任を負うことはなかった。検査官はこれにも気付かなかった。

 891229日株価38,915円で300億円売却。運用利回り目標12%を達成し即断した。史上最高値で日本株300億円売却したのは他にいないであろう。

経済データ分析の結果、株価は歴史的大天井を打った、1万円を割れる可能性を、903月に主張したが、誰も理解できなかった。それから12年後に実際1万円を割れたが、その時すでに千代田生命はこの世に無かった。

 融資も問題先は疎開させていた。UFJ銀行では検査忌避で役員が逮捕されたが、より悪質な手口が実行された。

この時、検査官に十分な調査分析能力があれば、問題を見抜いて経営を軌道修正させ、10年後の倒産は免れたはずである

当時、ソルベンシーマージン(株式含み益等)は公表されていなかったので、外部でチェックできるのは大蔵省だけであった。国民(契約者)が収めた税金で実施する大蔵省(現金融庁)検査が何のためか、残念でならない。

 金融引き締めでバブル崩壊、膨大な焦げ付きが91年表面化したが、真相究明、経営刷新より隠蔽工作に走った経営陣と監督官庁の責任は極めて重い

 

「週刊新潮」92917日号「火がついた千代田生命 不良債権5,000億円」の記事が世間に衝撃を与えた。出所が内部告発と判明したため、幹部職員を集め、弁護士をずらっと並べ、内部告発させないよう脅しをかけた。

 それ以上の問題は、87年度以降毎年1,0002,000億円の赤字垂れ流し(逆ザヤ、タコ配、株式含み益のインカム収入転換)をしていたことである。

 千代田生命の破綻については次の著書他があるが何れも外部著者である。

 「ルポ内部告発」奥山俊宏著、朝日新聞出版社

 「経営なき破綻 平成生保危機の真実」植村信保著、日本経済新聞出版社

 倒産の真相を最も知るのは、内部者とくに財務の中枢に長年いて、業界トップの資産内容を築き、バブル崩壊、破綻の兆候にいち早く気付いた私である。

 千代田生命は「会社四季報」にも「堅実経営」と評されていた。
  日本生命さえ融資の可否を問い合わせてきたこともあった。

拙著「中小企業の審査マニュアル」に従えば、こんなことにはならない。
  「マニュアル」で融資してはならない企業の典型に自社がなっていくのは何より辛かった。

 グループで約1,000億円焦げ付いたホテルニュージャパン(横井英樹)も街金のアイチも、その質的問題から少額でも審査担当時代に断っている。

金利が高い理由で本州製紙など株の仕手戦資金と分かって出していた

 刑事被告人を銀座の高級クラブで公費接待するなど言語道断。公正たるべき審査部長まで私的飲食代を公費負担させるなど公私混同が蔓延していた。

 神崎社長と取り巻き役員幹部による倫理観の欠如、取引先等との癒着は枚挙に暇がない公益を最優先すべき相互会社において私利私欲が横行した。

 突き詰めれば、破綻の最大要因は社長、役員、幹部人事の間違い17年も君臨し、自分がしてやった役員、茶坊主ばかり。財務プロパーの良識派役員は一人もいなくなった。「事業は人なり」「類は友を呼ぶ」「自分より高い山の頂上は見えない」の諺通り。賭け麻雀で多額を貢いだ者が役員になった。支社長は会社の経費で社長に付け届けをするのが当たり前。組織腐敗の極地であった。

 

 将来、財務の柱とすべく2度留学させ、経営分析、経済分析を勉強する機会を与えられ、多くの優良企業を発掘、企業倒産、バブル崩壊をいち早く予測した私が、経営財務判断のすべてをすれば、資産内容トップを誇る中堅優良生保として生き残れた。長年の努力は何だったのか。正義が負けた人生だった。

危機を訴えたために左遷させられ、艱難辛苦を強いられた。
 幸い破綻前に大手企業の財務部長として転職できたが、第二の会社でも数十億円の損害を受け苦難を強いられた。

 経営は方向性が重要倒産に向け13年間走り続けた。経営経済無知、倫理観欠如、能天気の経営陣だった。
  更生法申請前の新規契約や基金の募集は取り込み詐欺のようなもの。もっと早く破綻していれば、契約者の損害も少なく済んだ。後継、米山社長の責任も重い。
 不正の数々、逮捕者が出なかったのが不思議でならない
 

金融庁検査と公益通報者保護法が真に機能し、このような不幸が二度と起こらないことを願って止まない。本稿が後世の教訓となれば、せめてもの救いである

2020109日 破綻20年に記す。(経済産業大臣登録 中小企業診断士)

追記:

 早期退職の際、秘密漏洩しない旨の誓約書を求められたが、「但し、会社側に不正があった場合は、この限りではない」と付記して提出した。

 同期の友人から、「管財人のヒアリングがなかったか」聞かれたが、それはなかった。当時、自ら告発することもしなかった。

 読売新聞コラム欄で『半沢直樹』に絡めて紹介されたことがあるが、トップから腐った千代田生命ではドラマのような展開になるはずもなかった。