橋下市長、大阪市音楽団に自立案の検討求める(読売新聞)

1. はじめに

公務員をそう易々とクビに出来るのだろうか等の疑問は残るが、(焼け石に水かもしれないが、)「財政が悪くなると文化への補助金が減る」という傾向は色んな国であり、致し方ない面がある。(橋下徹氏の場合は、お笑いには金を出そうとか論理が一貫していない所は気になるが、基本的に賛成だ。)本稿では、「税金が出る文化と出ない文化の境は何か」という点を中心に考える。結論だけだと身も蓋も無い話になるが、「納税者の合意があるか否か」である。

2. 外国文化に税金が出る理由

戦後から平成初頭までは、地方の文化予算は一貫して増え続けてきた。(参考:文化庁(1993)「我が国の文教政策」日本において地方自治体の文化予算は削減傾向にある。(参考文化庁(2011)「地方における文化行政の状況について」この文化予算の削減傾向が始まったのは、概ね「失われた20年」の時期に当たり、よく言われるように財政再建の一環であろう。

オーケストラとか吹奏楽団への補助金の削減の中でよく出る疑問として、「なぜ外国文化に日本の文化予算が出るのか」というものがある。日本文化も海外の文化の影響を受けながら発達してきたので、何が外国文化とかは一概には言えないが、文化行政における「補助対象の外国文化」は、多くの場合、「戦時中に冷遇されてきた文化」(多くの人が感覚的に外国文化と思っているもので概ね合っている)を指す。木村(1999)は、戦後の日本で外国文化にも積極的に支援されてきたのは、戦時中に外国文化を排斥してきた歴史の反省が込められているという。(戦前の思想弾圧の反省を経て、「信教の自由」が徹底されるようになったのと同様の構図がここにある。)

戦後以降、様々な国の文化が支援される上で貫かれたのが「文化支援の内容不干渉の原則」である。これは、根木(2003)によると、「政府や自治体が支援する文化が政治に左右されないように、政府と助成機関の間に一定の距離を持たせるというものである。ここには、ベネディクトの「文化相対主義」的な考え方も背景にある。文化相対主義は、ざっくりと言うと、「全ての文化に優劣は無い」というものである。この「内容不干渉の原則」からすれば、お笑いには助成したいという橋下市長の偏向的な考え方には問題がある。一方で、彼の行政が楽団を抱える必要はないという考え方にも一定の合理性がある。(実際、自治体が抱える芸術団体が法人化した例は多くある。)

しかし、この考え方を徹底すると別の問題が生じる。あらゆる文化の価値が等しいとすると、「何でもかんでも支援」しなければ筋が通らないからだ。実際、友岡(2005)が言うように、文化予算が潤沢なフランスのように、いわゆる「大衆文化」にまで支援の対象を広げた国も存在する。しかし、最近の日本の現状では、「予算」という制限が大きいので、「どの文化に支援するのか」という決定において線引きが必要となる。

3.そもそも何で文化に税金が出るのか

「どの文化に支援するのか」という前に、そもそも「文化への公的支援に正当性はあるのか」という疑問を持つ人が多いだろう。

文化経済学研究の中で、文化支援を根拠付けるものとして最も古典的で重要なのがボウモル&ボウエンの『舞台芸術 芸術と経済のジレンマ』(1994)である。ここでは詳細で膨大な議論が繰り広げられるが、結論だけ言うと、最も重要な論拠は「正の外部性(外部経済)」である。(他にも「ボウモル病」(所得不足)と「公平性」というものがあるが、あくまでも補強としての論拠である。)

外部性は「ある経済主体の行動が、市場を介さずに他の経済主体に影響を与えること」であり、正の外部性は所謂フリーライダー問題を生む。ボウモルらがまとめた「文化事業が持つ正の外部性」は以下の4つである。

  1. 国家の威信
  2. 経済波及効果
  3. 将来世代への遺贈
  4. 教育的貢献
これらは、文化への公的支援一般論で、少なくとも先進国では概ね同意されている理由である。これだけを見れば、「文化支援は重要だ」と早とちりする人がいるかもしれないが、外国文化への支援を正当化するには、更に突っ込んだ議論が必要である。

どの理由を重視するかは国によって異なるが、これらの理由が各国で強力に働いているのは「自国文化への支援」の場合に限ってである。例えば、中山(1997)は、英国やヨーロッパにおける文化支援の根拠は「国家の威信」が強力である事を、文化支援の長い歴史などから説明している。実際、ヨーロッパの多くの国で、西洋の音楽や美術などへの支援に力を入れる傾向が強い。自由主義路線のアメリカでは、政府による直接的な文化支援は少ないが、税制優遇等で「国民にどの文化を支援するかを選ばせる」事にしているが、この税制優遇は実質的には公的支出である。そして、主に「教育的貢献」が理由として自国の文化を中心に支援が行われる事が多い。(安田, 1998)

では、外国文化だとどうなのか。日本が「1. 国家の威信」の為に、日本文化ではなく外国文化を支援するのも素直に頷けないし、「2. 経済波及効果」や「4. 教育的貢献」を理由とすれば、それこそ前節の「内容不干渉の原則」のように、何でもかんでも支援しなければならない。「3. 将来世代への遺贈」のような「文化の保存」を理由とするなら、「外国文化は外国がやってるから日本が支援しなくても良いじゃないか」という反論が有効だろう。

4.税金が出る文化と出ない文化の境界線

ここまでで、「予算が無制限なら全ての文化に公的支援をする」のだけれども、「建前上は全ての文化は等価値であっても自国の文化への支援が有利」だし、そもそも「予算制約がある」のだから、「どこかでラインを引く必要がある」という事が分かった。では、そのラインの引き方は何か。

ボウモルらは、外部性がある事に加え、「芸術文化支援に社会的合意が存在する(納税者の合意)」を条件として提示している。要するに最後は「世論」だ。

結論が「世論」となってしまう背景には、文化支援において政府や自治体が陥りやすい「自己矛盾」を回避する目的がある。先の中山(1997)の議論を使えば、「(西洋のある国が、)自国に誇りを持って、その威信を外国に見せつける為に、自国の文化を利用したい」という意識が政府内で共有されていても、「建前上、文化に優劣を付ける事が出来ないという現状がある。だから、政府は「こういう文化を推進しようと思うがどうか」と提示した上で「世論」に判断を委ねるわけである。フランス等では、国民の強力な支持が得られているからこそ、政府による多額の文化支援を正当化出来るわけだ。(参考:文化関係予算の国際比較)この点で、去年くらいから言われている「クール・ジャパン」についても、本当に国民が求めているのかを吟味すべきである。

さて、大阪において、吹奏楽団やオーケストラへの公的助成にどの程度の「納税者の合意」が得られているのだろうかという疑問だけ述べて本稿を終えたい。

5. 主要参考文献

【書籍】
ボウモル&ボウエン(1994)『舞台芸術 芸術と経済のジレンマ』芸団協出版部

根木昭(2003)『文化政策の法的基盤―文化芸術振興基本法と文化振興条例』水曜社

【論文】
木村英亮(1999)「第二次世界大戦とアジア・太平洋戦争:その反共的性格についてのノート」『横浜国立大学教育人間科学部紀要III 社会科学』Vol.2, pp. 29-47

友岡邦之(2005)「再考の時期にきたフランスの文化政策」国際交流基金

中山夏織(1997)「英国の文化政策」『CLAIR REPORT』自治体国際化協会, Vol. 144 ←PDF直リンク
 
安田睦子(1998)「芸術のパトロンやスポンサーに関する考察」『經濟學研究=ECONOMIC STUDIES』Vol. 47(4), pp. 240-252

【ウェブサイト】
文化庁「文化行政のあらまし」

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