40代での結婚&高齢出産!(アラフィフ自分改革編)

アメリカ在住歴24年、もうすぐ49歳。3年間のネットお見合い婚活を経て、40歳で国際結婚。すぐに妊娠するも8ヶ月目にして突然の死産!子宮筋腫開腹手術、妊娠糖尿病を経て、42歳でめでたく女児出産。『赤ちゃんのドレイ』時代を終え、肌断食、低糖質ダイエットに励む今日このごろ。。。

いよいよ来たか!閉経後の更年期トラブル!

今回は4月以来の記事更新である。妊活時代や子宮筋腫開腹手術、流産、死産後には、はっきりした目標やテーマがあり、心の叫びを記事にしたくてせっせと記事にしていた。しかし45歳くらいからのどよーんとした更年期症状や転居後の環境の変化による無気力状態からせいぜい記事も一年に一回の更新となってしまった。

しかし今回は閉経後の更年期障害にじりじりと胸を締め付けられ、身体を侵されていく(ちょっとホラー気味!?)過程の中で、それをレポートしていくことによって読者の皆様も自分だけではないと安心してもらったり、皆様からも更年期対策を教えていただいたり、参考になる情報も提供できたらと思い、こうして記事更新を決意したのである。

また、50歳と言う年齢は親の介護や死別に直面する年代でもある。私は現実から目をそむけたくて、まったく親の死後の用意など考えていなかったので、老人詐欺で全財産を失った一家がどの様に葬儀手配をし、死後の役所での手続きに追われたのかもレポートしようと思う。同じ境遇のアラフィフの方たちにも参考にして頂ければ幸いです。特に高齢出産で海外在住は日本との行き来が大変なわけで。。。

と、前置きが長くなり、一日に数個の事しかこなせない閉経後更年期老ギャル(と呼ばせてもらおう)はここまで書いた時点ですでにウルトラマンの胸のカラータイマーが鳴り始めている。だから毎回少しずつ綴って『次号へ続く』形式にしてみるしかない。そうしたら毎回達成感が少しでもプチ欝を救ってくれるかも。実は先日、主治医からマイルドな鬱だと診断され、『カウンセリングかお薬要りますか?』と聞かれた自分であった。。。

今日のテーマは更年期による関節炎と父との別れについて。

最後の生理は49歳。もう一年9ヶ月生理がないので立派に閉経である。最後の生理が終わってから10ヶ月後、私は週5日ホリデーショーで草履を履いて6週間ほどパフォーマンスをしていた。しかし毎夜帰り道に足の裏が痛むようになってきた。股関節もハイキックをした時に痛めてしまったようだ。また、歩いていてしょっちゅう躓くようになってきた。左腕もここ2年痛い。

ホリデーシーズンが終わり、冬はかなり寒い田舎の我が家に戻ったが、毎日どんよりしていてほとんど日光に当たらない生活。そして一ヶ月半後の2月、まめちゃんとチワワとジョギング中に転倒、そして左足首骨折。骨密度検査結果は骨減少症。日光にあたり、運動し、ビタミンDやカルシウムサプリを取るようにとのこと。固定ギブスブーツを2ヶ月履いて、3ヶ月後には全快した。

5月から6月にかけて日本に3週間旅行し、アメリカに帰国後は全身を使いまくる他州での演劇ワークショップに参加、ショーにも出演した。日本で参拝した神社の巫女さんと浅草の占い師さん両方に今年は厄年(例の大きな厄年とは別のもの)なので気をつけてくださいと言われる。

夏になると暑がりダーリンは家の中を冷蔵庫のようにガンガンに冷房をきかせる。私は寒がりで朝起きると、足や、手の指がこわばっていることに気がついた。足の裏が痛くて、起き上がってからしばらくびっこを引きなが歩くのだ。

7月には3週間家族でロードトリップ。ダーリンの息子の大学下見ツアーで、一日長い時は8時間ドライブして、毎日違う州の大学を見て回った。トランクもほとんどない小さい車で家族4人、後部座席には私とマメちゃんがスーツケースに押し込まれながら座っていた。今考えると足を不自然に折りたたんだような状態で何十時間ものドライブも足には良くなかったと思う。たまにヒールのないサンダルを履いていたが、その後左足の中指と薬指がいつも痙っているような痛みに襲われ、やがてそれは慢性の痛みとなった。足の裏全体も起床時だけではなく一日中痛くなってきた。

8月になっても手を結んだり開いたりがこわばっていてバキバキいう。起床時が一番ひどい。そして一日中、指も痛い。朝ベッドから起きるまで一時間かけて手足をゆっくり動かさないといけない。

8月末と9月の頭にショーがあった。身体を一杯使って広いスタジアムを走り回ったり立ったりしゃがんだりの一人芝居であった。これから5時間運転して会場に向かうという時に父が肺炎のため危篤という知らせの電話。しかし私の写真付きのポスターもパンフも配られていて、高めのギャラでスペシャルゲストとして招かれている以上、キャンセルはできない。役者は親の死に目には会えないものだと親からも言われて育ってきた。車を運転しながら涙が溢れ出た。なんとかあと4日生き延びていてくれ、と父にスピリチュアルメッセージを送り続けた。ショーは成功し、たくさんの人々に笑って楽しんで頂いた。最後のショーを終えると舞台メイクも落とさず飛行機に飛び乗り、シカゴとLAで真夜中に2回乗り継ぎ、21時間かけて早朝5時に羽田に到着。さらに羽田から空港リムジンバスに乗り、地元の駅から病院シャトルバスに乗り換え父の入院先の病院へ直行。幸い父は酸素マスクを付けてまだ息をしていた。

(次号へ続く)

すみません、胸のカラータイマーの電池切れです。次号が半年後にならないことを祈っております。でも調子のいい時また更新します。私のように若い頃から動き回るのが得意だった人間ほど更年期には怪我をしたり、昔のように飛び跳ねることができなくなるギャップで落ち込んだりでタチが悪いです(汗)今もし関節炎になっていなかったらせめて40代のうちから適度なエクササイズやストレッチはしておいてください。この状態になってからだとエクササイズも一苦労です。2週間前にせめてウオーキングくらいはと思って歩いていたら、歩いているだけで、左足首を捻挫しました。。。それでまた運動不足に逆戻りです。とほほ。仕方なく足首に負担をかけないヨガのポーズをやっています。

『なんだ、そうだったの?この不調 ー だって更年期なんだもーん』byほしばあやこ&松鳥むう
漫画入りでためになる情報も一杯で読みやすいです。
















50歳の誕生日プレゼントは足首骨折!閉経と骨密度低下。。。

またしても一年ぶりの更新となってしまった。
そしてとうとう50歳の誕生日を迎えたのである。
バースデープレゼントはなんと生まれて初めての骨折!

昨年、2016年は最初の憂鬱な2ヶ月を乗り越えた後はノリノリの年であった。数分ごとに幸せを感じる年で、仕事もパフォーマンスだけでなく、通訳、翻訳、映像の仕事とどんどん入ってきた。両親も元気で二人揃っての入院騒動もなく、無事平穏な日々を送っていたようだ。

愛犬のチワワのピグニーとユキちゃんが天国へ旅立ってから数年、もう当分ペットを飼うつもりはなかった。しかし、たまたまアニマルシェルターにマメちゃんと立ち寄った時、ダーリンが夢見ていたブルドッグを発見してしまった。ブルドッグと言ってもブルドッグソースのトレードマークのイングリッシュ・ブルドッグと違い、大型犬のアメリカンブルドッグである。マメちゃんにもここ数年ペットのおねだりをしつこいほどされ、二人共ちゃんと面倒みるのねと、まったくあてにならない約束をして飼い始めた。そしてもちろんお世話はほぼ100%私の役目である。

正直、犬好きというよりチワワ好きなのでこのアメブル、バスターの世話をするうちにどんどんユキちゃん似の短毛白チワワが飼いたくなり、8ヶ月もアニマルシェルターに申し込んだり探しまくったが、見つからず、他州で仕事を2ヶ月している時にブリーダーから白チワワを購入した。名前はミキちゃん。そんなんで久しぶりにペットとの暮らしが始まったのである。

今年に入ってからはマメちゃんとビデオヨガを毎夜したり、犬とジョギングを楽しんでいた。ある日犬の散歩をしているとどこからか動物の鳴き声のような音が聞こえた。しかしよく耳を澄ましてみると、どうやら『HELP! HELP!』という言葉が、羊の『メエーー』という鳴き声と同じ音質で聞こえてくる。鳴き声の音源をたどるとある家の植木の茂みの奥に老婦人が倒れながら助けを求めていた。一緒に散歩していたダーリンが起こそうとしても起き上がれず、その家のドアをノックするとご主人が出てきた。ご婦人は買い物に出ようとしたら段差で転倒し、一時間もの間助けを求めていたのにご主人は気が付かなかったそうだ。早速救急車を呼び、一件落着。

その翌日、また犬の散歩をしていたら、マメちゃんがいつものようにかけっこしようと言って、猛ダッシュを始めた。ミキちゃんも小型犬のくせに物凄く速い。リーシュを持っていた私も追いつこうと猛ダッシュしているうちに、足がほつれ、左足首を捻りながら転倒し、背中から着地した。そして起き上がろうにも左足が痛くてまったく体重がかけられない。後ろをバスターと散歩していたダーリンが、私が痛がっているのに、質問攻め。『どうやって転んだの?道に小石でも落ちていたの?段差があったの?』オッケー、男性が物事を分析し、解決したいのはわかりましたから、大丈夫?とか支えるとかしておくれでないかい!

なんとかダーリンに家に帰って車をここまで持ってきて私を運ぶように頼んだ。そしてダーリンは車から私を抱きかかえて居間のカウチまで運んでくれた。その夜は左足を高くして、冷やし続けた。

翌日になると足首が紫色になってゾウさんの足のように腫れあがっていた。でもまあ捻挫なら仕方ないかと思い、様子を見るつもりでいたが、ダーリンがお医者さんに行ったほうがいいよとしきりに言ったので、主治医に診てもらい、レントゲンを取るとなんと左足首を骨折していた!それでも翌日はマメちゃんのクラスで語り部をする予定になっていたので、片足で帯を締め、袴を履き、まだ松葉杖を購入していなかったので、モップを杖にして車に乗り込む。学校玄関にはキャスター付きの低学年用椅子がおいてある。許可を得て、その椅子にのり、モップの棒を船のオールにしてまるで一寸法師のように椅子を漕ぎながら教室に入場。語りは椅子に座ってギターの弾き語りを入れながら日本の昔話を落語調に英語で演じ、生徒達や先生に喜んでもらえた。

その翌日、専門医に診てもらうと、外果骨折とよばれる外くるぶしの骨折で、幸い骨はずれてはいなかったので手術をする必要はないとのこと。ギブスの働きをする重くて硬い固定ブーツを寝るときまで着用することになり、全治6週間から8週間と言われた。これを履いていれば松葉杖は要らないとおっしゃったが、左足にまったく体重をかけられないので、近所のスリフトショップで松葉杖&歩行器をマメちゃんのおもちゃや衣類と交換してもらった。いやー、不便な生活であった。入浴も一苦労。やっと湯船に浸かったと思ったら竜巻警報が来て、また時間をかけて湯船から出て、服を着て、ブーツを履いて、座りながら一段ずつ階段を降り、地下室に避難した夜もあった。

人と接していなければ落ち込んでしまうアクティブな自分がこの田舎で家族以外とはほとんどしゃべらず、さらに骨折までしてエクササイズする機会まで失ってしまうとはなんたる修行であろう!

さぞや鬱になるかと思いきや、意外にも始終ハッピーな気分でいられたのは不思議だった。あー、手が使えて、目使えて、右足も使えてありがたや〜!と感謝の気持ちでいっぱいだった。転倒したと同時に翻訳の仕事も舞い込んできたので、一ヶ月このプロジェクトで忙しく、落ち込んでいる暇はなかった。怪我から5週間後に他州でのパフォーマンスの仕事も入っていたが、ギブスブーツを袴で隠しながら語り部をしたら、好評で、来年もよろしくと言われた。

骨折後、婦人科医の健診で、骨密度を測ってもらうと、閉経後のホルモン減少による骨減少症ということで、エクササイズと、毎日カルシウムサプリ1500ミリグラム、ビタミンD750ミリグラム摂るように指示された。骨密度アップの為に筋力トレーニングもしなければ!今住んでいる地域に引っ越してからビタミンDの血中濃度がずいぶん減少したと、検査で医師から指摘された。以前は太陽のもとでパフォーマンスしていたが、冬などは今住んでいるところはあまり太陽をみることはない。春になり、やっと晴れの日も多くなってきたので、顔には日焼け止めクリームを塗り、ギブスブーツもとれたので毎日散歩をしている。

ネットでは、『君島十和子50歳で初骨折』なんてニュースもあるし、沢田亜矢子さんも50歳を超えたある日、肋骨にヒビが入ったり、足腰がギクッとして、病院に行くと測定不能なくらいの骨粗鬆症にかかっていたとか。ホルモン補充療法や、日光浴、大豆製品で回復したそうだ。

若い頃健康だと、50歳になってもそのつもりでスポーツをしたり、今までと同じ食事やライフスタイルを送ってしまいがちだ。皆さんも骨折などなさらぬように十分な栄養、睡眠をとり、適度なエクササイズをして、階段など踏み外さぬようにご注意下さいませ。(恐怖症になってしまい、前をよく見て歩くようになりました!)


『103歳になってわかったこと』 篠田桃紅

半世紀も生きてきたのに、何やってきたのかな〜と更年期も手伝ってため息をついている時はこの本を読んで心を落ち着かせます。『幸福になれるかは、この程度でちょうどいい、と思えるかどうかにある。いい事ずくめの人はいない、一生もない。』



『111歳、いつでも今から: 73歳から画家デビュー、100歳超えてニューヨークへ……笑顔のスーパーレディの絵とエッセイ』 後藤はつの




『99歳、楽しい楽しい私のシンプル「満足生活」―50歳から実践!「今」を存分に生きる箴言集』
三津田 富左子





40代最後の誕生日

なんだか色々問題が起こってばかりの2015年も終わり、新たな年に入った。
そしてもう2月。。。

去年は新宿の占い師にこう言われた。

『あらー、あなたって強い女性ですね〜。家庭に男は二人いらないんですよ。
もっと女性の面を出さないと旦那さん、息苦しくなっちゃいますよ。』

これはどの占い師にも言われる。生年月日や名前の字画などを総合して鑑定すると、男に生まれてたら強くてバリバリ成功するタイプだが、女だとその強さで幸せな家庭生活を送れないとか。。。

夫の転勤でアメリカの片田舎に小さな子供と一緒にこもりはじめてもう少しで4年!これほど人と会わない日々を送ったことがあっただろうか?子ども好きというわけではなく、家事超テキトーな主婦で、外で人と交流することによってエネルギーをもらうタイプの私にとってはものすごい修行なのであった!

『2015年は色々ブロックされて何かやろうとすると邪魔が入るでしょ?そういう年なんです。だから今年はとにかく独自のスタイルについて研究して、自分改革の年ですよ。そして来年(2016年)、再来年からもっと表に出ていくんです。
あなた、いつまでも昔のパフォーマンススタイルとかやっていたら飽きられちゃいますよ。48歳や49歳ってね、人生の分岐点なんです。私もそれまでずっとデパートの店員だったんですよ。でも占い師になろうってあなたの今の年でキャリアチェンジしたのよ。』

見た感じ50代後半だろうか、肌が輝いていて、おしゃれをして、輝く宝石を身に着けているが、それが嫌味でなくピッタリと合っている。

その鑑定を受けてから、自分のパフォーマンスに楽器を取り入れるようにした。9月には久しぶりに大きな場所で語り部をやって大好評だった。そして11月には素晴らしいアーティストのアラフィフ大先輩と交流を深めた。単身で他州に仕事に来ている時、彼女の家に3日も泊まらせてもらい、アート、文学、映画、音楽、フィットネス、仕事、結婚生活などについて明け方まで語り合った。彼女は子供はいないが、2年前に最愛のご主人を亡くされている。年越しはダーリンと、彼の息子、マメちゃんまで招待してもらい、彼女の家で新年を迎えた。彼女と知り合ったのはもう10年くらい前になるが、これほど深く話をしたのは初めてで、ワイン片手にかなりの盛り上がりようだった。


自分改革。。。

まずは肌断食を昨年の9月末から始め、お肌の調子はかなり良好である。友人に本当に何も化粧水や乳液をつけていないのかと聞かれるが、本当につけていない。空気が乾燥している時、米粒大のワセリンをちょこっと押し当てるくらいである。なのに、高い美容液や、基礎化粧品を塗っていた頃よりも肌が柔らかくて、全然乾燥しないので驚きだ。

リンスやトリートメントも一切やめたままだが、髪は艶がある。シャンプーは安物を5日に一度ほんの少量使うくらいだ。

最近の悩みは左目の瞼が重くなってきたのか、くっきり二重だったのが、左だけ奥二重になりかけてきたこと。午後になると少々マシになるが、いよいよ加齢との戦いである。

生理は去年3,4回位あったのみ。1月はホルモンバランスの崩れか、午後5時頃から7時位までの間、体の力が抜けるかのように無気力になってしまった。さらにデリケートな部分が時折、チクチクしているような不快なコンディションに気が付いた。婦人科で検査してもらったら何も異常はないが、まあ更年期症状による乾燥でしょうと言われ、女性ホルモンを補充するエストラジオール入りの軟膏を処方された。すると4ヶ月ぶりに生理があり、不快な症状は無くなった。気のせいか、クリームを塗り忘れた週は気分が落ち込みがちだが、また塗り始めると気力を取り戻していることに気が付いた。とりあえず次回の半年後の健診まで週三日小豆大を局所に塗布し続けるようにとの指示。同時に積極的に大豆製品を食べるようにして、更年期対策に取り組むようになった。

出血後、念のため超音波検診してもらったらまたしても筋腫がいくつか育っていた。画面を見ながら妊娠していた頃の思い出が蘇ってきた。当時は、あ〜、可愛い赤ちゃんがいるなーって感動していたものだったが、今ではただ筋腫の影が見えるのみ。

昨年の夏の健診で、妊娠糖尿病の後遺症からか、いよいよ糖尿病予備軍の仲間入りし、血糖値を図りながら食事療法をしている。予備軍と行ってもヘモグロビンH1C値(過去1〜2ヶ月の血糖値の平均)がアメリカでは5.7%からが予備軍とされているが、私の数値はまさにその始まりの5.7%。正常値に戻すことも今なら比較的簡単にできるらしい。しかしいったん6.4%の本物の糖尿病域になると正常に戻すのはかなり難しいとのこと。

予備軍なら血糖値上昇を緩やかにする食事法と運動を心掛けることでかなり改善される。ためしてガッテンによると、魚、野菜から食べ始めて最後にご飯を食べる順番にしただけでかなり血糖値上昇をおさえられるとのこと。砂糖不使用で、大豆粉で作ったケーキや、卵とヨーグルトと羅漢果で作ったチーズケーキもさっぱりしていて美味しい。麺類は殆ど食べず、ご飯の量を控えめにし、いつも炭水化物の量をチェックしているので、体重も減ったしお腹もへこんできた。しらたき麺のパスタや、油揚げで作るピザも美味しいし、食後血糖値は正常値で収まる。

2月1日に親子でYMCAに入会した。そして毎日通っている。マメちゃんもキッズフィットネス室でWii スポーツゲームや卓球、フィットネスバイク、トレッドミルを使いながら体を動かすのを楽しんでいるし、プールも大好きだ。私はヨガ、タバタ式エアロ、ZUMBAクラスを受けたり、フィットネスバイクに乗っている。するとどうだろう、気分が落ち込みがちで無気力になりかけていた症状がピタリと止まった。運動は鬱に効くとは聞いていたが、今まで中々重い腰を上げられなかった。しかしジム入会後はバリバリやる気が出てきて、帰りの車の中でスペイン語の語学CDを聞いたり、斎藤一人さんの成功哲学CDを聞いたりしている。

やはり身体を動かすのはいい事だ。ここ数年、本当に運動不足だった。このままずっと続けていけたらアンチエイジングになりそうだ。そしていよいよ40代最後の誕生日を迎えたのだった。


アンチエイジング本、『老けない人はやめている』著者のオーガスト・ハーゲスハイマーさんってとても53歳に見えない!お肌に塗るのは大豆油のみだそうです。


牧田式糖質オフ健康ダイエットー『これならリバウンドしない!安全に痩せられる!』
カロリーを気にせず食べていいのと、白ワインは痩せるっていうところ、気に入りました!



炭水化物の新常識ー『ごはん好きでも必ず痩せられる!』ゆるい糖質制限のコツ満載です。

肌断食

放置していたブログのPC版を久しぶりに見たら字が薄すぎて読みづらいことに気が付いた。まだ老眼鏡のお世話にはなっていないが、(ここ数年老眼鏡使用の同世代の友人が増えてきた)光に敏感になってきたし、文字の薄さに煩わされる。夜間の運転にはめっきり弱くなった。

今年は色々変化の年でもあるし、この際思い切ってブログデザインを変更してみようと決心。マメちゃんも小学校に入学し、手がかからなくなったのでこれからはアンチエイジングを心がけアラフィフなりに輝いていけたらという希望も入ったPC版のデザインである。スマホ版は好きなピンクだから選んだ

最後のブログ記事更新は去年の暮れ。今年はまあ色々あったな〜。10年ぶりのグリーンカード更新の面接の通知をダーリンがジャンクメールと間違えて私に渡さなかったのでアポをすっぽかすという恐ろしい出だしから始まり、他州で貸している家の住人が出て行ってしまったので、3ヶ月お家賃収入がなく、やっと入ってきた住人にはあちこち直せと文句を言われ修理費にお金は飛んでいった。さらに在宅の仕事はリストラされ、税務署から2013年の家賃収入に関して申告漏れがあったと日本円にして15万円もの請求書が届く。これは賃貸物件を管理している不動産業者が用意した書類が原因であった。

今までほとんど病気をしたことのない81歳の母がスーパーの駐車場で転んで大腿骨頚部骨折、その上膝の手術もし、3ヶ月の入院。しっかり者の母が、2度目の手術後、物忘れが激しくなり、簡単な計算もできなくなったりして焦った。母の入院中は5年前に脳梗塞で倒れた85歳の父が独居老人になるので4月から6月までの間に日本とアメリカを2回も往復し、航空券代にお金が消えた。さらに父まで道端で倒れての入院、そして失踪騒動!

ダーリンからは「マメちゃんが誕生してからの6年間キミにほっとかれた、そこへ職場の部下がモーションかけてきて密かに恋心を抱いてしまった(でもなにもまだ起こっていない)」などという爆弾発言で自分の中で天地がひっくり返るほど衝撃を受け傷ついた。

そんなんで数年ぶりに新宿西口の占いの館へ向かった。

と、占いの結果を書きたいのだが、長くなるので次回のお楽しみということで。これからはちょっとずつでも記事を更新し続けいくのが目標である。

さて、アラフィフの為のスキンケア・トピックだが、基礎化粧品をまったく使用しない肌断食を始めて一ヶ月が経った。朝は水洗顔のみ、夜はぬるま湯で洗顔し何もつけずに寝る。乾燥が目立つ時だけ米粒一個大のワセリンを手のひらの上で伸ばし、乾燥部分にそっと押し当てるだけ。外出時はポイントメークのみか、SPF15程度のミネラル・ルースパウダーをはたく。アイメークはワセリンを少量つけるか、蒸しタオルでこすらず押し当てて取る(宇津木式でなくこれは自己流」か、石鹸を軽く綿棒につけてこすらずにそっと落とし、ぬるま湯洗顔。

3冊も肌断食本を買うのはどうかと思ったが、どれも読みたかったので購入。宇津木先生の本は肌の構造や基礎化粧品の害について解説されていて、彼のお弟子さんである山口麻子先生の本は女性の立場からスキンケアの具体的な方法について項目ごとにわかりやすく説明してるので参考になる。ドイツ語翻訳家の平野 卿子さんは個人的な体験談を綴っているので迷った時励みになる本である。アマゾンの本のレビューでは、多くの人の体験談が載っているので興味深い。

20代前半で『あぶない化粧品』シリーズを読んだ私は肌断食を実践した。しかし30代で直射日光を浴びながらの仕事で不安になり、基礎化粧品、日焼け止めクリームにサンブロック・ファンデーションを再開。33歳から43歳まで毎日強い太陽光線を浴びて仕事し、妊娠中でさえもシミが出来なかったのは、やはり日焼け止めクリームのおかげだとは思う。一応敏感肌用のもので、紫外線吸収剤は入っていないものだった。

しかしクレンジングに関しては今思うとこれらの本でタブーなことをずっと続けていたのだ。メーク落としのクレンジングシートで顔全体を雑にこすり、そのあと石鹸でさらにダブル洗顔、強くて温度の高いシャワーに顔をあてていた!クレンジング使用、ダブル洗顔、熱めのお湯、顔をこするというのは肌断食スキンケアで最も禁じられていることである!

肌断食3日目で2年位気になっていた頬の黒ニキビがポロリとひとりでに取れた!また、5年前くらいから白ニキビが出来るようになって皮膚科に行ったら年齢的にホルモンバランスの変化からきていると言われ、ピーリング用のレチノールクリームを処方されたが皮がむけるのが怖くなってすぐに使用中止。そのまま年だからしょうがないかと諦めていたが、肌断食を初めて2週間以内にどんどんとこれらの白ニキビが消えてきた。

毛穴も前より目立たなくなったし、美白クリームなんて塗っていないのに色が白くなってきたのだ。この夏に家の中でも毎日化粧水、美容液、下地クリームの上に日焼け止めクリームを塗っていたら毛穴は開き、初めて頬骨の上にうっすらとシミ予備軍が3つも出来始めた。それが肌断食一ヶ月後には薄くなってきたのだ。ほうれい線もいくらか薄くなってきたように見える。ダーリンにも何も言っていないのに、『なんか最近肌が綺麗だね』と言われて驚く。

一方、シャンプーを使用しない湯シャンにもトライしたが、これはベタつきに耐えられないのと、髪がぺちゃんこになるので10日間で断念。かわりに髪がベタついてきたと感じたら(だいたい5日に一回)無添加のシャンプーを使用して(こちらで石鹸シャンプーが見つからないので)洗髪。リンスもトリートメントも使わないが、以前より髪がしっとりサラサラしているのに驚く。以前洗髪回数が多かった頃は、朝シャンしても夜にはもう頭皮が臭ってきたような気がするが、洗髪回数を減らすと、逆に数日臭わなくなる。ちなみにマメちゃんはシャンプーを使ったことはないが、赤ちゃんの頃からお友達の中で一番ふさふさして綺麗な髪と言われ、よく洗髪方法を聞かれた。全く汗臭くもなく、湯船に浸かりながらの湯シャンのみである。ダーリンの父親も8歳年下の弟も若くから禿げてしまったが、48歳のダーリンは今もまだフサフサしている。秘訣はシャンプーは使わず純石鹸のみの使用である。

肌断食は合う人と合わない人がいるし、基礎化粧品に長年どっぷり頼ってきた場合はお肌のデトックスに時間がかかり、数ヶ月、長いと1,2年回復にかかるとも聞く。私は元々肌に優し目の基礎化粧品を塗り、目の周り以外はファンデーションも塗っていなかったので乾燥せずすぐに効果が現れたのだと思う。また、人によっては肌断食の好転反応だと思っていたひどい症状も実は脂漏性皮膚炎で治療が必要だったというケースもあるので注意が必要だ。

肌断食だけではなく、このところ私は食生活にも気をつけ、美肌作りのゴールデンタイムに睡眠をとっている、というかマメちゃんを寝かしつけていると自分も眠くなってしまうのだ。

次号は占いの結果と、8月からのココナッツオイル、酢玉ねぎ、低糖質ダイエットで3キロ痩せた体験について触れたいと思う。

「美肌マニア」というサイトでは、各種の化粧品の成分検索ができる。無添加を謳っている化粧品でも結構いっぱい添加物が含まれていてぎょっとする。

美肌マニア

肌断食バイブルの宇津木式スキンケア 

『「肌」の悩みがすべて消えるたった1つの方法―美肌には化粧水もクリームもいりません― 』



『肌断食ースキンケアやめました』

さすが翻訳家なので文章がなかなか面白いです。でも60代半ばで肌断食実行とは勇気があります。YOUTUBEでも彼女を見られますが、とてもその年には見えない綺麗なお肌の持ち主です。



44歳でノーメイク、ノースキンケアとは思えない美肌の山口先生。ただし、レーザーなどの美容医療は勧められているようです。基礎化粧品にお金をかけなくて浮いた分をそちらにあてるとよいみたいですね。

『化粧品に頼らない素肌美人の作り方』

40代より50代の方が楽!?

このところ50代前半のアラフィフ女子達とお食事したりホットヨガを受けている。
針でも治らなかった五十肩がホットヨガで治ったという先輩達の体験談通り、
私の腰痛も一回でだいぶ楽になった。但し、水分をたっぷりとってから行かないと
途中で頭痛がしたり、気分が悪くなるそうなので要注意。

彼女達が口を揃えて言うのは、

「50代になると吹っ切れて楽になるわよ。いい意味でオバチャンになるの。
40代は体調も不安定で意味もなくイライラして辛かった。
子供達にも人が変わったようでちょっと怖かったって言われるわ。」

そしてインタビューで松田聖子さんも

「50代になると吹っ切れて楽になります」

と言っているではないか!

横森理香さんは更年期に関する著書の中で言っている。お年頃女子は疲れやすいので
用事は一日一件にしておくこと。友人との約束は午後6時などの早めの時間から始めて
短時間で切り上げる。長くなるとお互いグッタリ疲れてしまうし、
不満をたっぷり聞かされる役に回るとそれは大変な疲労度になる。
それと、同じ姿勢を30分以上とり続けないこと。これは私もパソコンに
向かっていたり、友人とおしゃべりしているとついついやってしまって
腰痛に悩まされる事がある。

他州にいる間、アメリカ人親友L子のアパートに家賃を払って居候させてもらっている。
前回はマメちゃんの世話で大忙しだったが、今回単身で気が付いたのは、
46歳のL子の会話の内容の90%は人の批判で、他人の事でイライラしまくって
いるのである。しかも同僚と同棲している彼女がだらしないとか、
友人の旦那が甘ったれているとか,自分とは全く関係ない事でどよーんと
ネガティブになっている。

同じ話を数時間、何度も聞かされ、一緒にいると重くて息が詰まった。
いけない、私だって立派なお年頃女子、生理だって80日も来ていない身なのである!
最初は我慢して聞いていたが、このままでは自分の精神状態も危なくなると懸念し、
ある日、急に「ご、ごめん、ヨガクラスの時間だから!」と家を飛び出した。
車の中で好きな音楽を聞き、ヨガクラスを受けたらすっかり楽になった。

12月で寒いというのに、アパートは冷房がかかったままだ。。。
L子はほてりで眠れないそうだが、私は逆に足が冷たくて氷布団の中で震えていた。

翌朝、また、暗い部屋で愚痴が始まったので朝日の当たる明るいベーグル屋に
誘い出した。そこで朝食を取りながら彼女に言った。

「昨日ここでコーヒー飲みながら読んだ日本の雑誌でね、アドラー心理学を
元にした漫画が載ってたんだけね、その主人公の女性は周りのことで
すごくイライラしちゃうわけ。でもアドラーによれば自分の課題が優先で、
相手の課題と自分の課題を分離し、相手と自分の間に適切な境界線を
引くべきなんだって。確かに他人の事で一日中イライラしているって
時間がもったいないものね。相手は変えられないわけだし、
自分が変わるしかないわけ。」

L子は猫を3匹飼っていたが、夏に一匹老死した。その直後に裏庭にママ猫と
子猫5匹を見つけ、自分のアパートで里親生活を始めた。それくらい優しくて
面倒見がいいのだが、それを他人にも期待してしまい、また腹を立ててしまうのだ。
誰も引き取り手がいない!みんな冷たい!ねえ、かりりん、あなたはどう?
などと言われても猫アレルギーがあって無理なのである。

私 「人とか動物を助けるのは自分がそうしたいからするのよね。
だからと言って周りも同じようにするものとか、見返りを期待していると
がっかりすることが多いよね。」

L子「確かに。。。」

その後も彼女の育った環境や、新しい職場の話など客観的に分析して話し合った。
最後にL子は涙しながら言った。

「ありがとう。なんか心が軽くなった。あなたってセラピストみたい。ご馳走させて!」

と翌朝おごってくれたのだ。根は素直で明るいL子だ。私だって独身で一人暮らし
していた頃はいつも周りの事が気になったりしたので、L子の気持ちは理解できる。
でも家庭を持つと忙しくてそれどころではなくなった。今はマメちゃんの世話を
していないが、ホリデーショーの仕事が週5日でそれプラス夜や休日は
在宅の仕事があるし、今後のキャリアや生活、家計についての計画を立てたり、
自分や家族のことで精一杯だから、L子の他人に関する愚痴に数時間も
付き合う余裕がなかった。

何しろルームメイトで一緒に暮らしているのに、別行動していても仕事帰りに
長電話してきて、L子自身も笑いながら,

「なんだか私がマメちゃんになっちゃったみたいね、ママ聞いて、ママ構って
って感じで!」

と認めていた。毎日自己啓発本で読んだ内容を彼女に聞かせていたら、彼女は
この一ヶ月半で他人に関する愚痴をまったく話さなくなったし、
もとの明るくて楽しいL子に戻った。それにしてもホルモンバランスの大変化で
揺れ動く40代後半女子の同居生活は興味深いものがあった。。。
この年代の女性達のシェアハウスのリアリティー番組があったら
すごい事になりそうである(笑)

仕事で他州にきてから一ヶ月半が経った。マメちゃんは相変わらずママなしで
元気にやっているようである。サンクスギビングの週に5日ほど私に会いにきたが、
あっけらかんとしていて、別れ際も「じゃあクリスマスにね!」
と笑顔で手を降っていた。あ、あのトイレにも行かせてもらえないくらいの
奴隷生活は一体なんだったの。。。?まあ、たっぷり構ってあげたから
愛されているという自信がついて、今のサッパリマメちゃんが
出来上がったのかもしれない。

今までマメちゃんの通うダンス教室の場所さえも知らなかったダーリンは
最初はレオタードやダンスシューズの置き場所を電話で聞いてきていたが、
先週末はダンスの発表会に参加させるくらいまで成長した。今学期は久しぶりに
授業も受け持っているので、副学長、教授、父親業と一人三役こなしていて、
よくやっていると感心する。これが私がいると、マメちゃんの事は私に
任せっきりになるし、マメちゃんも私にはたっぷり甘えてしまう。
私も自分を見つめ直すことができたし、今回の私の単身出稼ぎ(?)は
3人にとっていい学びの機会であった。









アラフィフ自分探しの旅

今年もこの季節がやってきた。去年まではマメちゃんを連れて、他州に
ホリデーショーの仕事で2ヶ月滞在し、最後はダーリンと義父母と合流して
年越しというパターンであった。ところが今年はマメちゃんを夫のもとにおいて
一人でこちらに来ている。

マメちゃんの幼稚園の先生によると、秋から(アメリカなので)日本で言う
年長さんなったばかりのマメちゃんの学力はすでに小1の終わりのレベルだそうで、
飛び級をさせようか迷ったとのこと。なので2ヶ月幼稚園を休んでも
全く問題ないと言われた。しかし夫は自分が面倒を見ると言い張るので、
私はそれならお言葉に甘えてと、ひとりで18時間運転し、他州に到着してから
はや2週間が経とうとしている。サンクスギビングの週と、クリスマスには
マメちゃんは夫とこちらに来るので、3週間に一度は会えるのだ。

5歳になるまで本当に手のかかる子だった。一歳半からそれはワイルドで、寝ない、
食べない、一日中エネルギッシュ、イヤイヤ、イタズラし放題。。。

3歳半までマメちゃんはどんなに頑張っても午前一時まで寝付けず、夜中
一時間ごとに夜泣きで起こされ、おむつを替えても替えても一時間で漏れてしまい、
ベッドはおしっこの湖。6時起床、そして昼寝なし。。。
真夏に遊園地3つかけもちしてくたびれさせようとしても効果がなかった。

夫は忙しくて面倒を見ないし、とにかくママっ子だったマメちゃん。
そんな彼女が私無しで厳しい夫とどうやって2ヶ月も生活するのだろうか。
きっと私を恋しがって途中でギブアップするだろう。夫もギブアップするだろう。
毎日ママとスカイプで話したがるだろう。

などと想像していたのに、別れてから一週間たっても電話なし。
夫は携帯メールでマメちゃんを寝かしつけているからしゃべれないとか、
私としゃべると興奮して寝付きが悪くなるからまた今度などと、スカイプはおろか、
電話トークもなしだ。それまでは私が寝かしつけで苦労していても一向に
お構い無しでその時間にわざわざ夕食とったりしていた夫なのに。

それで週末にやっとスカイプできたら、マメちゃんのお気に入りテレビが
流れていて、ママと話すよりもそちらに釘付けになっているマメちゃん。。。

ということでマメちゃんは毎日楽しく暮らしているようであるし、夫も大学の
副学長という任務で多忙なスケジュールのわりに、週2日ダンス教室にも連れて行き、
夜の大学でのイベントや、講義にもマメちゃん同伴、最近では『ミスター・マム』
というニックネームまでつけられているそうである。本人曰く、
冷徹にリストラすることで恐れられているので、優しいパパのイメージになって
いいのだとか。

私といえばここ2週間、独身時代に戻ったような錯覚に陥っている。
30代の頃のようにジムなんかも通い始めてしまったし、自己啓発本やCDなども
どっさり注文。そうなのだ、あの頃ってジム、外食、占い、自己啓発に
燃えていたな〜。さすがに結婚してからは占いはやらなくなったけど。

先日50歳の友人とランチしている時、彼女は暗い顔をしてつぶやいた。

「娘が大学行き始めて送り迎えがなくなったでしょ。(車社会のアメリカなので
高校卒業まで送り迎えあり)なんかそれで私の役目が終わったみたいな気分なの。
仕事もしていないし、これからどうしようかなって。。。
夫も海外出張で2ヶ月位家を空けることが多いし、娘は来年から遠い街の大学に
行き始めるから、私、ひとり暮らしみたいになっちゃう。」

スラリとして超美人のハーフであるお嬢さんは、ついこの間までマメちゃんくらいの
年だったような気がする。かわいいお洋服を着て「ハムノスケなのだ〜。」
なんて言っていたっけ。

さらに彼女は続けた。

「娘はママっ子だと思っていたのに、今頃になって、実は私が週1、2日の
パートの仕事している間パパと一緒にいた時のほうがとっても楽しくて、
私よりパパとの思い出のほうが多いなんていうのよ。。。」

そう言われてみれば、私も小さい頃の母との記憶があまり無い。小学校4年位まで
専業主婦で、お料理上手、洋服も手作り、面倒見が良くて、優しい母だった。
それなのになぜか私が小学校高学年になるまであまり彼女との思い出はない。
確かその頃私はレイジーのファンでコンサートに連れて行ってくれて、
肩車してくれたことくらいは覚えている。でも母の姿が大きく記憶に登場するのは
高校生くらいから始まっていて、小さい頃はたまに父親に美術館に連れて行って
もらったり、空き地ゴルフや、不動産物件を見に連れて行ってもらった
思い出のほうが多い。父親は仕事人間で、子供の話を聞くより、
新聞や本ばかり読んでいた。
だからきっとたまに一緒に出かけたのが嬉しかったのかもしれない。

マメちゃんはどんなに私が奴隷生活をしても覚えていてくれないのか。。。
そういえば私も、専業主婦の時より、パートで働き始めた母を
かっこいいなあと子供心に思っていたものだ。

ここらで自分探しの旅を始めようと思った。。。


「斎藤一人 自分さがしの旅」

前世療法なんかでそんな昔まで遡る必要はなく、今世で十分。『過去は変えられないけど未来は変えられるのではなく、過去を変えなければ未来は変わらない』というくだりが印象的だった。恥ずかしい思い出や辛い思い出は笑い話に変えて消化。そうすれば現在の自分も変わり、未来も変わるし、欠点は宝になる。



「親のこと、私のことをノートに綴る 47歳からのエンディングデザイン」

47歳とはまさに自分の年!ということで購入。なんでもキラキラ輝いて見えるバブルの絶頂期を経験した我々は、自分のカッコイイ親達がまさか病気になったり、老いたり、死に直面するなんて想像もできなかった。だが、気がつけば自分たちも50近くになり、両親の病気、介護そして死を避けて通れなくなった。両親と自分のエンディングプロデュースを今から始めようではないか。


住めば都 (マメちゃん5歳)

またしても年明けにブログを更新しようとしているうちにもう五月に突入。。。
あっという間のこの4ヶ月だったが、とても実りのあるスタートであった。
なんて、去年の一月のブログでもそう書いたっけ。
でも結局うつ気分でその後どどどーっと落ち込んでいったので、今から思えば
あれはただ表面だけポジティブになろうとしていただけだったのかもしれない。

とにかく、去年の夏からどんどん元気になっていって、今年に入ってからは
数分ごとに『あ〜、なんて幸せなんだろう、ありがたや〜、ありがたや〜』
と唱えてる、ちょっと危ない人(?)になっている。
そうすると引き寄せの法則でさらにいい事が起こって幸せになっていくのである。

去年の夏、徹底的に落ち込んでそこから行動を起こし、4歳のマメちゃんを後ろにのせ、
自力で片道20時間運転して、他州にナレーターの仕事をしに行った。
それ以来この土地に閉じ込められているという閉塞感がなくなり、
やりたい事が見つかったと前回のブログで書いた。

忘れかけていた正負の法則を思い出し、何事もあわてず受け入れようという姿勢になった。

ホリデーシーズンも毎日、健康管理に気をつけながら仕事をしているうちに
あっという間に終わった。
ダーリンの家族と共にNYで年越しして、正月にラガーディア空港から飛行機に
乗ったものの。。。悪天候のため機内で4時間待機。。。
結局ゲートまで戻され、長蛇の列に並んで翌日の便を予約、その後手荷物を受け取り、
夜の11時半ごろから空港ロビーで寝泊りするはめになった。

夜中の空港ってこんなに寒いものだとは知らなかった。
しかしまったく気にせずご機嫌のマメちゃん。
夕方5時に空港に到着したのに、飛行機が飛び立ったのは翌日の昼近くだった。
さらに直行便もキャンセルされたため、かなり遠回りして、2時間半で着くはずの
場所に二日かけて帰ってきた。それから今度は車でこれまた雪のため
ノロノロ運転で25時間もかけて家族3人で自宅に戻った。

その夜からダーリンは熱を出し、一月から三月にかけて風邪を引いてばかりいた。
マメちゃんはやっぱり丈夫で、ぴんぴんしていたし、私も風邪を引いても、
症状がかなり軽く済むので助かった。やはりマルチビタミンの他に
アシドフィルス菌とビタミンCのサプリを摂っているからかもしれない。

1月と2月は雪だけでなく、あまりの寒さに休園の日が五日間もあったので、
マメちゃんと一緒にお菓子作りに没頭。また、家計簿のつけ方を変え、
食費をおさえることにしたので、クックパッドで工夫をこらしたレシピにした結果、
ありあわせの食材で安く、しかし豪華な食卓になり、ダーリンも大喜びしていた。
今までこの副学長邸を自分の家だと感じたことはなく、ほったらかしにしていたが、
今年に入ってから、どんどん生理整頓を始めた。するとだんだんと愛着がわいてきて、
さらに掃除をするようになった。

さて、自炊や掃除も充実してきたし、ここらでタレントエージェンシー
(芸能プロダクション)探しを始めるかと決心した。実は去年の夏に検索して、
口コミを読み、ここから車で2時間半ちょっとの都会にある一番大きな
エージェンシーに目をつけていた。でも応募書類をオンラインで送ろうとしても
エラーメッセージが出てきてしまい、そのまま10月から仕事で他州に
行ったきりだった。

今年に入って、そろそろ重い腰をあげようかと、今回はダーリンのPCで応募したら
すんなり届いたようだ。

一週間経っても返事がこなかったので、まあダメだったんだなと思い、
それもいいかと気にしていなかった。そのかわり他州の大きなエージェントから
ブッキングの電話が数回あり、無理してでも行こうか悩んだが、やめといた。
今年からこの土地で頑張ろうと決心したのだ。辛抱、辛抱。
でも同じ写真使っているのに、あんなに仕事が欲しくてギラギラしていた時は
全然電話がこなかったのになんで2、3年経ってから電話があるのか不思議だった。
これって運気が上昇し始めたのだろうか?

そして2週間後、こちらの州のエージェントから遂に連絡があった。

『書類審査に合格しましたので2次審査に当社までお越しください。
日時は2月26日、午後3時15分。』 

エージェントのオフィスまで車で2時間45分。。。当日大雪だったらどうしよう。
そしてさらに

『自己紹介、コマーシャル用のモノローグ、コメデイックなモノローグ、
ドラマチックなモノローグ、計4つ用意してきてください。』

との指示。モノローグは一人で1,2分演じる独白。私の場合はアジア人で
アクセントもあるし、セリフなしの広告(こちらでは中年でも一般ピープルっぽい
タイプがモデルとしてよく使われる)モデルやセリフなしの
コマーシャルショットしかチャンスがないと思っていた。どうせダメなら長時間運転して
いっても時間とガソリンの無駄。
だからメールでその旨を書こうかと思った。
しかし逃げていてもいけないかと思い、台本探しを始めた。
フルタイムの役者生活を始める前はオーディション用のモノローグ探しや、
コーチまでつけて一生懸命練習していたっけ。
なんか20年前に戻った気分だった。

やはり土壇場にならないとやる気が出ない性分で、とうとうオーディションの
前日まで練習ができなかった。本来ならセリフ覚えを完璧にしてから
練習するべきなのに!

当日、マメちゃんをプリスクールに送り出してから車で2時間45分かけて
エージェンシーまでたどり着いた。車の中では好きな音楽を聴いたり、
セリフの練習をしていたのでそれほど長く感じなかった。

引っ越してきてから最初の一年はこんな見知らぬ都会を運転するのが恐くて、
そのど真ん中にあるエージェンシーにたどり着くのも、どこに駐車したら
いいのだろうかとか、不安があった。でも去年の長時間の運転を経験したおかげで、
もう恐いものなしだった。

早めにつき、ヴィーガン・カフェでメイクの直しと、セリフのおさらい。
そして時間より少し早めにエージェンシーのビルに到着。

17階建てのペントハウスにエージェンシーはあった。屋上テラスもあり、
見晴らしのよい清潔感あふれるオフィス。そこではたくさんのスタッフが
働いていて、こんな大きなエージェンシーはNYでも訪れたことがなかった。
もちろんハリウッドやNYのスター達をあつかっているエージェンシーは別として、
たいていのエージェンシーなんて、一人で、役者の写真が溢れかえっている
狭い事務所できりもりしているか、多くても2,3人くらいのスタッフだ。

待合室では二人のアメリカ人女性が待機していた。
一人はいかにもモデルか女優というルックスのきれいな黒人女性。
もうひとりは30代くらいのごく普通の白人。 
受付で用紙をもらい記入をし始めると、モデルチックな黒人女性が呼ばれて
部屋に入っていった。

用紙に記入もし終えたし、白人女性に話しかけてみる。この女性は舞台を
経験してきて、映像や写真はあまり経験がないとのこと。

そうこうしているうちにモデルチックな黒人女性が部屋から出てきて、
二人のエージェントらしき女性が「サンキュー」と黒人女性に手を振り、
白人女性の名前を呼んだ。

15分位して白人女性が部屋から出てきた。そしてエージェントらしき女性が

「アクティングのレッスンをとりたいのならこの人がお勧めよ。」

と廊下に置いてあったチラシを渡していた。

今度は私が名前を呼ばれた。そして部屋に通される。
そこにはビデオカメラが設置してあった。

エージェントの女性の一人が、

「カメラに向かって自己紹介、それから用意してきた3つのモノローグを
演じてください。順番はどれからやるかはあなた次第。」
 
と言ったので、とっさに質問した。

「モノローグは一つにつき、何分オーケーですか?一分ですか?」

「別にきっちり一分でなくてもいいわよ。2分くらいまでなら大丈夫。」

と言われたので、早速カメラに向かって自己紹介を始めた。

エージェントの二人は「あらまあ」とか「へえ、すごいわね!」とか感心しながら
聞いていた。べつにたいしたバックグラウンドでもないんだけどなあ。。。

そしてクッキーコマーシャルのモノローグ。次にコメディックなモノローグ。
エージェントは笑い転げていた。そして最後にお涙ちょうだいの悲劇のモノローグ。
始めると同時にスイッチがオンになったかのように私の目から涙が流れ出た。
エージェントは真剣な顔をして見入っていた。

涙を拭きながら「これでおしまいです。」とエージェントに言った。

するとエージェントは、

「すごいわ!あなたの事気に入った!悲劇も喜劇も両方得意ってなかなか珍しいのよ。
コマーシャル用の演技も自然で良かったわ。早速だけど、専属契約を結びたいわ。
あなた小さいお子さんがいるそうだけど、スケジュールはどんな感じなの?」

「昼間はデイケアに預けていますが、夜は前もってわかっていれば
夫かベビーシッターに面倒を見てもらえるかと思います。」

「それはよかった。あなた広告モデルやコマーシャルだけじゃもったいないわ。
その演技力ならテレビや映画にも売り込みたいわ。でもオーディションは
急に入るし、ここから車か列車で5時間くらいの場所に行かなきゃならないの。
日本語ナレーターもできるのね、うちは外国語ナレーションの部門もあるのよ。
なるべくあなたの負担を少なくするために、映像のオーディションは自分の
iphonカメラでビデオ撮影して、ナレーターのデモテープもiphoneで
録音してキャスティングに送ればいいわ。ナレーター部門のキムに紹介するわね、
あと、社長にも会ってもらうわ。」

もうひとりのエージェントが言った。

「あなた、今までフリーランスでエージェントにもつかず、よくここまで
キャリアを確立できたわね。すごいわ。」

え?全然たいしたことないんだけど。。。きょとんとする私。
まあ、大都市のエージェンシーではないから重宝されるんだろうけど、
今までやってきたことは無駄ではなかったんだ。

部屋をでて、まずはナレーター部門のキムさんに挨拶。そして2階で
ファッションモデルの撮影中の女社長にご挨拶。

1970年代半ばにこのエージェンシーを設立したと言うから、
年齢は60代のはずなんだろうけど、50代前半にしかみえない女社長。

「この子、かりりん。舞台の経験豊富だからすごい演技力だし、
XXXXカンパニーで11年もフルタイムの役者をやってきたんですよ。」

エージェントJさんがそう紹介すると、女社長は商品のチェックでも
するかのようにニヤリとして私の頭のてっぺんから足の先までじっくり眺めた。
そして手を差し出し、私達は握手を交わした。

「じゃあ後日専属タレントとしての契約書を送るからサインして送り返してね。
それから新しいタレントのオリエンテーションにも参加してもらいます。」

そういわれ、他の役者達が座っている待合室を後にした。

こんなに気持ち良くオーディションが出来たのは何年ぶりだろうか?つくづく思った、
逃げないでよかった。過去にもオーディションから逃げなかったおかげで
人生ががらりと変わった経験がある。

私がフルタイムの役者として10年以上も働くきっかけとなったオーディションは
31歳の時だった。マンハッタンで明け方まで働いて帰ってきて、ふっと目にした
全米オーディション広告。今から4時間後にタイムズスクエアでオーディション。
眠いしやめとこうかと思ったがなんとなく行ってみる気になった。
5役あるうちのひとつはパントマイムの役。これならアジア人で、訛りがあったって
大丈夫かも。楽譜はいらないな。動きだけだけだろうから。

数時間仮眠してアパートを出ようととドアの前に立ったとき、なんとなく
楽譜を持っていったほうがいい予感がした。自分の部屋に戻り、
楽譜をカバンに入れて会場へと出発。
会場は何百人というアメリカ人の役者であふれかえっていた。かなり長い時間
待たされたあと、係員の人が大きな声でアナウンス。

「これはシンガー用のオーディションです。楽譜を持ってこなかった人は
帰ってください。」

ざわめきがおこり、しぶしぶ会場を出ていく役者達。
あー、楽譜を持ってきてよかった。

そんなんで、数時間後、キャスティングディレクター達がずらりと並ぶ部屋に
通され、歌のオーディション。一分以下の制限のなかで、マイム力、歌唱力、
演技力を見せられる曲を選んだ。意表をついて小柄のアジア人がグラマーブロンド娘の
嘆きの唄を歌ったのでキャスティング側は大受け。キャスティングディレクターから

『明日、2次の演技審査にこられる?』

と聞かれた!やったー、一時審査合格!

翌日はモノローグの演技審査、そしてまた別の歌唱審査。
今度は1938年の古いミュージカルのアップテンポのナンバーを歌った。
それから身体のサイズを測った。サイズを測るというのはかなり見込みがあるということだ!

他の役者達から

「あのカンパニーはすごい競争率だから運よく合格したとしても空き待ちで
半年から2年経ってやっと電話もらえるかもしれないって感じだから、
期待しない方がいいわよ」

と言われた。でもなんと4日後に採用の電話をもらったのだ。
そして別の土地に引っ越して、ダーリンと出会い、マメちゃんも生まれた。
だからあの時オーディションから逃げていたら、楽譜を用意していなかったら、
ダーリンとも出会っていなかったし、マメちゃんも生まれていなかったのだ。
人生はすべて直感、決断、そしてタイミングの組み合わせかもしれない。

話は現在に戻り、今年2月末にオーディションを受けた翌日、エージェントから
メールで正式に専属タレント契約書が送られてきた。それからは毎日エージェントからの
指示を受けて、新しく履歴書作り、ビデオオーデイションの練習、売り込み用写真の
撮影、映画、テレビ俳優組合再加入の手続き(ここ十数年シアター専門だったので、
映像の組合は休会届けを出していた。)オリエンテーション、名刺作り、
ウェブサイト作りなどで、もうマメちゃんが保育園に通っている間は
ずっと作業に追われている。そうなのだ、フルタイムのライブステージパフォーマーを
十数年やってきて、すっかり忘れていたが、フリーランス役者は毎日が準備。
キャストされるまでの準備も仕事のひとつなのである。

とにかくエージェンシーのスタッフは全員礼儀正しく、優しく、質問のメールを
送ればすぐに返事がきて丁寧すぎるくらい説明をしてくれる。
そして最高の褒め言葉で、私に自信を与えてくれる。
新人タレントオリエンテーションでは、業界豆知識、撮影所でのマナー、
メイクの仕方、お肌の手入れの方法などまで女社長とスタイリストが
無料で3時間たっぷり講義してくれた。専属タレントになって
一週間も経たないうちに看護師トレーニングビデオの仕事が来て、
看護師の役を演じた。映像の俳優組合と提携している仕事だったので、
食事や、休憩時間、ギャラなど、条件がよくてありがたかった。

こんなお宝エージェントがこの土地に隠れていたとは!失業して住み慣れた土地を
離れなければならなかったけど、それには意味があったんだ!
エンターテイメントカンパニーよ、あの時ショーをクローズしてくれて、
クビにしてくれてありがとう!と、今初めて心の底から叫ぶことができる。

もうアメリカでもこの世界は23年見てきたし、だいたいこの業界がどんなものかは
わかっている。若くもないし、アジア人でハリウッド進出するような美女とは
程遠いので、テレビや映画は狙っていない。私はごく普通の一般アジア人の役で
トレーニングビデオ役者、企業パンフの中年モデル、コマーシャルの端役など
できれば大いに満足である。60歳の日系アメリカ人の役者仲間はそれでいろいろ仕事を
して楽しい生活を送っている。もっとも彼はものすごく努力家で、暇さえあれば
演技のワークショップに通い、フルタイムのセールスの仕事の合間に、
しょっちゅう車で片道4時間かけてオーデイションに通っている。

また、映像やプリントだけではなく、ライブパフォーマンスも好きなので、
このところ大学のアジアの歴史の授業にゲストとして2回ほど招かれ、
ストーリーテリングを披露した。マメちゃんのプリスクールでは日本の紙芝居セット
(あの伝統的な、木製で自転車の後ろにのっているタイプ)持参で、桃太郎を
英語で読んだ。ひとり9役、まさに吹き替えのライブステージ版のようで、
やりがいがあった。その後、子供達は興奮して、午後からの保育園の授業で、先生にずっと
『マメちゃんママの紙芝居』の話をしていたそうである。保育園の先生は、

「みんな興奮している中で、一人だけ冷めていたのはマメちゃんなんですよ。(笑)
マメちゃんのママすごいねっていったら、『ああ、ママね、パフォーマーだから
いつもあんな感じなのよ。』ですって!ねえ、うちの園にも来てもらえないかしら?」

と頼まれた。

マメちゃんの5歳のお誕生会は我が家で開き、私は自分をエンターテイナーとして
雇った(笑)こちらのバースデーパーティーは、子供広場や施設を予約して、
かぶりものキャラクターやディズニープリンセスそっくりさんをよんだり、
派手なものが多い。しかし、近所のクラスメイト達を招いたので、
(親御さんたちも入れたら30人)雪になる可能性も考慮に入れ、徒歩でもOKな
我が家に決定。

衣裳部屋をチェックし、ハロウィンで去年使ったラガディ・アン人形の格好を
することに決めた。バースデーケーキは2段になっていて、お城と
3人のディズニープリンセス人形付きの豪華版。

すっかり、コスチュームとメイクばっちりでキャラになりきってゲストを我が家に
向かえ入れ、(もちろんBGMは童謡メドレー!)ピザやスナックを食べながら
歓談してもらい、司会を始めた。

まず、私のキーボード演奏でマメちゃんにソロで歌を披露させ、その後は子供達にも
「幸せなら手をたたこう」の英語版を歌わせる。
それからマメちゃんに関するクイズ大会(景品付き)。
そしてアメリカ版福笑いや、目隠ししてお菓子入りのクス球を割るピニャータなどの
ゲーム大会。女の子はお城、男の子は消防車の形をしたクス球。
ゲーム大会の後はバースデーソングと共にバースデーケーキのろうそく吹き消し。
最後はプレゼント公開。親御さんたちからは「うちの子の誕生会に雇いたいわ!」
と言われた。

海外からの留学生を招いてのパーティー、ボランテイアに参加した大学生達のパーティー、
学科別の教授達のミーティングなど、この4ヶ月の間に7回くらい我が家を
会場として提供した。毎回準備に追われたが、それも苦にならなかった。

この土地に引っ越してきて、初めてママ友もできた。デパートの子供広場で知り合ったのだが、
2歳の男の子を持つ35歳のイラン人女性で、エリート大学で生体工学の修士号を
取得後、成績優秀だったので研究室に残るように教授から頼まれたが、妊娠中に
旦那さんがこの州に転勤したためやむなく断念。出産後は人口甘味料製造会社の研究室に
フルタイムで働いていたが、またしても旦那さんの転勤で退職。

その彼女がパートの仕事を探しているというので、ダーリンに紹介して、大学の非常勤講師の
ポジションの面接のアポを取りつけた。彼女の経歴や人柄は素晴らしいと、
早速夏から採用のオファーが来た。でもやはり子育てとの両立は難しいということで、泣く泣く断り、
かわりに小学校から高校までの代用教員を始めた。
これなら自分の都合のいい時にオンラインで予約を入れるか、
朝、電話で依頼があったとき、行きたくないなら断ればいいのだ。
彼女の旦那さんの仕事はとても忙しいし、託児所も空き待ち
ということで、フルタイムの仕事に就くのは難しいそうだ。

2歳児にふりまわされてげっそりしている彼女に、『あと1,2年で楽になるわよ』
とアドバイスできるようになったことが嬉しい。白人がほとんどのこの町で、
お互い外国人として共感がもて、マメちゃんと、彼女のお宅によくお邪魔している。
マメちゃんはすっかりお姉さんになって、辛抱強くワイルドな2歳児の男の子の
相手をしてあげている。

というわけで、この土地に引っ越してきて悶々と涙しながら暮らしていた
あの一年は吹っ飛んでしまった今日この頃なのである。

それにはもちろんマメちゃんが5歳になって手がかからなくなったということも
大きい。とにかく1歳半から4歳になるまでワイルドな子だったので、
今では毎日感謝の気持ちで一杯だ。あの状態から、よくぞこんなに
素直でいい子に育ってくれた。一時間ごとに起こされ、ミルクくれー、
暗闇で絵本を読めーとか、何をしても収まらない夜泣きの日々。。。

4歳くらいまで自由にトイレや2階にも行かせてもらえなかった。
(引越しや旅行続きで不安だったのかもしれない)睡眠不足と奴隷生活で思考能力も低下、
さらに失業、流産、父の病気、環境の変化などなど、つらい数年だった。。。

だからこそ今、幸せを何倍も大きく感じることができるのだ。

先輩ママさん達が、、子供が5歳になったらまた自分の時間ができるわよと
アドバイスをくれていた意味が今わかった。

今までは、好きなことを仕事にすると趣味ではなくなるので、だんだん義務になって
本当に芝居や音楽が好きなのかわからなくなっていた。音楽鑑賞、観劇など
すべて勉強のためだったが、最近は、好きな音楽やミュージカルのCDを
マメちゃんと聴くのが趣味だし、バッグは好みのブランドもみつかった。
おしゃれやメイクも楽しくなった。
好きなものをみつけ、好きなものに囲まれて生活する。。。
これは長年忘れていたことだ。

頭も久しぶりに冴えてきたし、これからまた本来のかりりんに戻りたいと思う。

さて、40代ブログとしては欠かせない美容健康ネタであるが、去年の10月から
基礎化粧品をがらりと変えた事についてレポートしたいと思う。

今住んでいる土地は冬は寒くて、とても乾燥する。脂性肌のダーリンまで初めて
乾燥のため湿疹ができ、皮膚科に行ったほどだった。だから37歳から
ずっと使用してきた基礎化粧品ではお肌が乾燥して硬く、ガビガビで、
湿疹やちりめん皺が出来てきた。
もちろん47歳という数回目のお肌の曲がり角にも突入している。

だから藁にもすがる思いで、あのニベアガッテン塗りを試してみた。

もう半年以上、ニベアガッテン塗りを続けているが、肌は柔らかくなり、
なんとかシワも食い止めているようだ。ニベアを塗る前に化粧水も試してみたが、
私には化粧水なしの方が乾燥しないようである。実際番組では水分補給してから
保湿クリームで蓋をすることと、専門家が言っていたらしいが、どんどんブレて、
ニベアをそのまま塗るという情報になってしまったようだ。
でも私には合っているのでそれが一番。手で温めてから伸ばすようにしている。
友人はスクワランオイルをニベアの中に数滴たらして伸ばしているとか。




夜はホホバ油でメイクを落とし、蒸しタオルで優しく顔を拭い、
Kiss My Face olive oil bar の固形石鹸を泡立て、
洗顔後にニベアを塗るのみ。ホホバ油と普通の固形石鹸の組み合わせは
なんとなくベタベタした感じで洗顔後のすっきり感がない。でも普通の洗顔料を使用したやり方では
お肌が乾燥して、粉をふき、ちりめん皺が出てきてしまうのだ。。。







それから、日焼け止めクリームも変えた。これも40代美容ブログで見つけた
乾燥しない日焼け止めクリーム特集の記事で見つけたものだ。私は結構日焼け止めクリームで
肌が荒れてしまうほうだが、この二つの日焼け止めは今のところ問題ない。
乾燥しないといってもやはり夕方になると多少は乾燥してくる。他のサンスクリーンよりは
刺激が少なく、乾燥しない。


LA ROCHE-POSAY MELT-IN BB CREAM SPF50をネットで注文。
化粧下地・日焼け止め乳液のBBクリームである。
肌色なので、ファンデは必要ない。ただし、目の周りは避けて、別のクリームファンデを使用している。




色なしの日なら、KISS MY FACE face + neck face factor SPF 50の
ウオータープルーフタイプを塗っている。これはアメリカのアマゾンの口コミで、
乾燥しないし、日焼け止め効果抜群という感想を読んで購入した。香料、ナノ粒子、防腐剤のパラベン
は不使用だが、ちょっとラベンダーチックな匂いがきついかもしれない。以前まで、私には合わなかった
紫外線吸収剤のAvobenzoneが3%入っているが、今回何も肌荒れをおこさなかった。
同じシリーズでAvobenzoneなしのものもあるようだ。




乾燥しやすい目の下はクリニークの下地クリーム。
CLINIQUE moisture surge intense skin fortifying hydratorを塗っている。

鼻のかみすぎで鼻周辺が白く皮がむけてしまった時、ワセリンでは効果なかったが、
このクリニークのクリームは効果があった。



目の周りはクリニークのリキッドファンデーション。
CLINIQUE repairwear laser focus SPF15入り。



そしてUVカットのサングラスかメガネで目の周りを紫外線から守る。

目の下のクマ隠しは
REVLON AGE DEFYING with DNA ADVANTAGE CONCEALER
(コンシーラーだけど乾燥しないで結構1日ベタベタするくらいなので
上からパウダーをはたく)

HARD CANDY Glamoflauge (アメリカのネット上美容ランキングで上位だった。
$6と安いけどカバー力あり。TATOO隠しにもよいとか。ペンシルタイプとセットで
売っていたので併用。)

NYX Above & Beyond Full Coverage Concealer (エージェントの女社長さん推薦。
写真撮影の時などに効果的でカバー力あり。ただすこし乾燥するかも。)

*注意 これらのスキンケアは、オイリー肌の人には不向き。、また、これから夏になるので、
全て実行するとニキビが出てきてしまう可能性あり。

若々しくしようと水色、ピンク、パープルなどのパール系シャドウにしがちだったが、
逆にブラウン系で、落ち着いたメークにしたら若く見られるようになった。

ダイエットや運動をしていないのに体重が減った。ふと考えてみたら納豆を
毎日食べ初めて一週間がたっていた。ジーンズはゆるくなって落ちてくるが、
ブラのカップは大きくなったので買い替えた。

生理は2ヶ月近く来ていない。。。でも体調はとってもいいので気にしていない。
もうすぐ婦人科健診なので、聞いてみるつもり。

40代後半になったら何事にも開き直りの精神で行くのが
ハッピーに過ごす秘訣なのかもしれない。



ワクワクする仕事み〜つけた!

すっかり更新を怠っていたまま今年も終わりに近ずいてしまった。

ある出来事をきっかけに、7月から私の中で明らかに何かが変わったということを
記録に残して、今年最後の日記として締めくくりたいと思う。

楽しいはずの日本旅行中に落ち込むということは初めてで、これはかなり
まずいのではないかと感じながらもアメリカに戻ってきたのは6月末。

それから独立記念日をはさんだ一週間はダーリンの家族と共にワシントンDCに
集まってお祝いをした。一ヶ月ぶりに再会したダーリンまで、幸せとはなんだろうと
考え込んでいて夫婦共に無気力になっていた。

独立記念日の花火を見終え、翌日とうもろこし畑の広がるアメリカの片田舎に
戻ってきた。久しぶりに見る副学長邸は以前にも増して大きく見えた。
こんなだだっぴろい庭と屋敷に住んでいたんだっけ。。。

翌日マメちゃんを公園で遊ばせている最中、急に胸が詰まるような感覚に襲われた。
ブランコで遊んでいるマメちゃんに、

「ママ、ちょっと胸が重いの、車に戻っていい?」

と尋ね、二人で車に乗り込んだ。

80年代のジャーニーのヒット曲をかけると、まるで薬のように少し症状が
軽くなってきたが、家に着くと、床に倒れこんでわーわーと泣いた。
ダーリンは2階で息子とスカイプで話していた。
きょとんとするマメちゃんと、iphoneでカラオケをかけ、二人で歌い始めると
涙は止まり、なんとか落ち着いた。

また、別の日は、買い物にお隣の州に向かって運転中、大きな河にかかる鉄橋を
わたっている時に、その河に車ごと飛び込んでいくような映像が頭に浮かんで
恐くなった。この土地に引っ越してきてから一年ちょっと、うつ症状は
改善されるどころか、悪化しているかのように思えた。

このままではいけない。旅行ばかりして現実逃避してきた一年。しかし気が付けば、
家計は火の車。黒人女性に一方的に車を衝突され、向こうのウソが通り、
$1000も修理費を払うことになった。さらに、健康診断に行っただけで
日本円にすると10万円以上の請求書がきて唖然とした。ダーリンの大学の
医療保険はカバーがイマイチなようで、ただ、医師と軽く自分のバックグラウンドを
話して、普通の血液検査をしただけだけだというのに
そんな大金を支払うはめになるとは!

それからダーリンの皮膚科の健診でやれ$300、マメちゃんの健診で$200、
ダーリンの息子の医療費$4000とか、なにかしら毎月請求がきて
どんどんお金が消えていくのだった。なんか、年収大幅アップしたというのに、
逆にどんどん貧乏になっていくような気がした。。。

社交的だった自分が、友達もできず、話し相手は4歳児オンリー。

これからの人生の目的もわからなくなり、無気力になっていく毎日。。。

そこで以前「お見合い道」のfee_drageeさんがお勧めしていた本で村上和雄著の
「遺伝子オンで生きる」という本を本棚から取り出した。
この本はずっと前に日本からオーダーしたものの、マメちゃんを産んでからの
奴隷生活で読む暇もなく、そのまま本棚で眠っていた。

さらにポール・マッケンナの「7日間で自分を変えよう」という本も毎朝読み始めた。

新月のお祈りも9つ書いた翌日、他州のナレーション録音スタジオから電話が
数年ぶりにかかってきた。

このスタジオでは数年前に英語でCD用ナレーションの仕事を何回かしたことが
あったが、今回初めてIT会社の研修ソフトの日本語版を制作することになったという。
クライアントは男性ナレーターを募集中ということで、誰か知らないかと聞かれた。

ここで友人の男の子を推薦すればそこでおしまいだったのだが、私の経歴を
ずらっと書いていろいろ売り込んだ。日本では声優・ナレーター養成所を卒業し、
コマーシャルや朗読などの経験を積んできたこと。アメリカでも新人の子を
スカウトして特訓し、ナレーターの仕事をさせ、自分が演出、編集を
したことなど。。。そう、自己啓発本を読んだ後だったので、
いきなりポジテイブで売り込みモードとなっていたのだ。

現在は別の州に暮らしているが、いつでも録音のためなら、スタジオに
飛んでいけるし、スカイプでの演出もできることもつけたした。

数日後、そのスタジオのディレクターJ氏からメールをもらい、その企画の
キャステイング、電話での演出を頼まれた。やったー!この田舎に住んでいながら
電話で仕事ができる。

翌日から、思いついた知り合いの候補者の男性達に電話をかけ、彼らの
ナレーションのデモテープをクライアントに送った。そしてそのうちの二人が選ばれ、
録音に参加することになった。

ダーリンにマメちゃんを公園につれてもらっている間、電話で録音に参加。
読み間違いを訂正したり、イントネーションの指示などを出した。

それから数日後に再びセッションがあった。しかし私はだんだん現地に行って
スタジオで録音に立ち会いたくなってきた。その旨をスタジオディレクターに話すと、
そんな遠くからわざわざ来てもらわなくても電話ですむことだし、
旅費もカバーできないから必要ないとの返事。

それでも押しかけ女房のごとく、マメちゃんを後部座席に乗せ、
車で片道20時間の旅に出かける決心をした。一人でアメリカの見知らぬ土地を
20時間も運転、、、しかも4歳児と二人きりで。

途中で釘でも踏んでタイヤがパンクしたらどうしよう、大きなトラックに
意地悪されたらどうしよう。。。数日間悩んだけれど、「遺伝子オンで生きる」
の中で言われている通り、本当に情熱を傾けていることには不思議な力が働き、
夢が叶うということを頭の中に描いた。きっと行った先でいいことがある!

悩んでいる時は悶々としているが、いざ決意を固めるとなんと気持ちがいいことか。
人生って悩んでいる時間の方が長いのかもしれない。

行くと決意したあと、ディレクターに連絡しても返事が返ってこなくなった。
え、いっちゃまずいのかしら?それとも誰か他に演出を見つけたのかも?
次々と不安が襲うが、行って見なければわからない。

とにかく月曜日の夜に電話でセッションをやることになっているので、その時までに
現地に着かなければいけない。土曜日の午後1時にマメちゃんと共に家を出発。

午後4時に20分ほどのトイレと食事休憩でファーストフードレストランにストップ。
マメちゃんにキッズミールを食べさせ、ガソリンを入れ、再び運転。
今夜いけるところまで行かないと、月曜のセッションに間に合わない。

ようやく夜11時頃に、ある州で一泊することに決め、子供広場のあるマクXXルドで
マメちゃんを遊ばせながら、iphoneで格安ホテルを探す。もちろん口コミを全部読み、
安全で評判の良いホテルを見つける。

それにしてもマメちゃんはまだ4歳だけれど、長時間の車での旅に慣れているので
楽だ。ipadでスペイン語や英語の語彙の勉強やゲーム、カラオケをしたりして
ずっとご機嫌。そのうち童謡CDを聴いているうちに2時間くらいお昼寝。
お腹は空かない子だし、トイレも長時間行かなくても平気で、
私のほうがよっぽどトイレが近い。

3歳半まで本当に手がかかる子だったが、今はその分楽させてもらっている。
例の2歳近くの頃の悪夢のフライトで、ミルクゲロ直撃や一時間毎にオムツが
パンパンになって私の膝にもれたり、あちこち歩き回り、泣き喚いていた
あの頃がウソのようである。

午前12時近くにホテルにチェックインして、大喜びのホテル好きマメちゃん。
興奮してなかなか寝付けなかったようで、長時間の運転で疲れている
私にはこたえた。ハンドルを通して伝わる車の振動がまだ手に残っていて
少しビリビリしていた。

翌朝ホテルの無料朝食をマメちゃんととり、チェックアウトをして、
再び高速道路へ。

夕方セルフサービスのシーフード専門レストランで夕食をとり、
また夜11時近くまで運転し続ける。あと2時間で目的地に到着だったが、
途中のホテルでもう一泊することに決めた。
翌日の録音は夕方7時からなので余裕である。

そして月曜日のランチタイムに、とうとう目的地に到着。この達成感は
なんともいえないものがあった。

ジャパレスでランチをしたあと、親友L子のコンドへ行く。

スタジオディレクターに今夜のセッションは電話でなく、直接スタジオにいって
参加してもいいかとメッセージを送ったが2時間経っても返事がこない。。。
やっぱり迷惑なのだろうか???こんな長時間かけてたどり着いたのに
やっぱり受け入れてもらえないのか。。。?

そして夕方5時にやっとディレクターから連絡。

「金曜日にはまだあんな遠くの州から電話でセッションしていたきみが、
今日はこちらの州に来ているなんて驚いたよ!ごめんね、このところ家族が
故郷から遊びに来ていてあちこち連れ回っていて連絡できなかった。
スタジオに来て直接録音に立ち会ってくれるなんて嬉しいよ!
じゃあ7時に待っているよ。」

なあんだ、そういうことだったのか。やっぱり来て正解だった。

マメちゃんをおなじみのファミリーデイケアのTさんに預け、スタジオへと向かった。

私が数年前にこの世界にスカウトして特訓した男の子はすでにスタジオ入りしていた。
経験は浅いが、マイクを通すと惚れ惚れするような美しい声質の持ち主である。
まだ彼のレベルでは言いにくいIT専門用語がぎっしりと詰まっている台本で、
録音は難航したが、なんとかその日の分は収録できた。
合計20時間分録音しなければいけないので、まだ一週間ちょっとは
かかる予定だった。

そして脇役が必要ということになり、ディレクターが、

「そうだ、キミがせっかく来ているんだからキミにやってもらおう。
キミならひとり何役も出来るよね。」

ということで、私の3種類の声も録音することに!これだけでも来た価値があった。

さらに数日後、デイレクターから連絡があり、

「また別のプロジェクトが入ってきたよ!クライアントは男性ナレーターが
いいといってるんだけど、ボクとしてはキミにお願いしたい。
これからさらに2週間かかるけど滞在を延長できるかな?
主役のナレーターで20時間分の録音だ。」

と、主役ナレーターのオファー!

しかし、8月8日にダーリンがバケーションでこちらに遊びに来て、
その週末には家族全員で車で帰る予定になっていた。。。
この仕事を引き受けると、帰りは8月の3週目になってしまう。。。
恐る恐るダーリンに尋ねてみたが、iphoneのフェイスタイムで画面に映る
ダーリンの顔は硬直して恐かった。

「6月は3週間日本に行って、7月に帰ってきたと思ったらまた8月家を空けるの?」


「でも去年からナレーターの仕事が一番ワクワクすることだって
思っていたところにこんなチャンスが訪れたんだよ。絶対逃したくないの。」

「わかったよ。じゃあボクだけ飛行機で帰れって事だね。」

ここのところダーリンは暗くて、機嫌が悪い日が続いていた。

「これが最初で最後だから。。。約束する。。。」
 
と懇願すると、

「わかった。」

としぶしぶ承諾した彼であった。

ダーリンのことは気がかりだが、今回は絶対にひけない自分であった。

私が演出担当のプロジェクトが終わって、今度は主役のナレーターを担当する
別のプロジェクトが始まった。一回のスタジオセッションは二時間半、
とにかくつっかえないでノンストップで読めるところまで読むように努力した。
寝不足や空腹だと口の中が乾いてその音をマイクがひろってしまう。
一見のどに良さそうなお茶ものどが乾燥する。お水も飲みすぎると
今度はゲップがでそうになってしまう。高感度なマイクを使っているので、
とにかく注意しながら、口とマイクの距離も、姿勢もずっと一定に保ち、
台本を読み続けていく。

昔は紙の台本だったので、前もって漢字にカナをふったり、句読点を
読みやすいように打っておいたものだったが、近年ではスタジオ側が用意した
ipadを使用し、台本も翻訳者が締め切りぎりぎりに送ってくるので、
初見の台本をその場で朗読することになる。

どうやら風邪の引きはじめのようで、薬、自然療法、サプリなど、
できることは片っ端からして、それ以上進行しないように食い止めた。

せっかくこの州に戻ってきているのに、友人にも連絡せず、毎日スタジオ、託児所、
家の行き来だけで、とにかく声をセーブした。

この一年ちょっと、旅ばかりして観光地もたくさん訪れたが、それよりもこうして
毎日緊張しながらこの仕事をしているほうがずっとずっと楽しかった。
これこそ私がワクワクする仕事であった。

考えてみれば、小さい頃からテープレコーダーで一人遊びしていた自分。
漫画を一人何役も声を使い分けたり、物まねして録音を楽しんだ。
小学校4年の時初めてビデオレコーダーが我が家に登場した際は、
エースをねらえ!を録画し、セリフを書き写し、クラスメイト数人を家に招いて
それぞれに役を与えた。オリジナルの音量は消し、自分達の声で読みながら
声優ごっこをしたものだった。ちなみに私はお蝶夫人を演じた。

高校生の時には声優養成所に通って卒業時の発表会では「ど根性カエル」の
ぴょん吉の役を与えられた。セミプライベートレッスンで、
NHKのラジオドラマの元演出家について、文学作品の朗読の特訓も受けた。

今まで妊娠、出産に関してなんでも予言的中のスピリチュアルフレンドの
Sさんからは、2年前に、

「かりりんちゃんは癒しの声を持っているので、これからは
それを使ったお仕事を考えてみるといいですね。」

と言われた。これは私のショーを観に来たタレントエージェントにも言われた。
普通の話し声はなんてことないのだけれど、録音した声は、親友や親が聞いても、
絶対私ではないと言って信じてもらえない。

さて、今回の滞在中、日本人で死産経験者、43歳のママ友が、マメちゃんを
何日かお泊りに招待してくれた。彼女曰く、長い夏休み、マメちゃんが
いてくれたほうがお嬢さんと一緒に遊ばせとけばいいので楽だそうである。
私もそのうちの2日は泊まらせてもらったが、私がいると寝つきが悪く、
数年ぶりの夜泣きまで再発するというハプニング!でも私がいないと、
いい子にしてすぐ寝付くし、朝までぐっすり寝てくれるとのこと。。。
やはり私に甘えているのだ。

そのママ友は、5歳のお嬢さんを2歳の時からバレエ、音楽、体操、お絵かき、
水泳などありとあらゆる習い事をさせてきた。現在はアメリカの公文にも
通わせている。ある日、私が仕事を終えてマメちゃんを引き取りに来たら、
目を丸くしながら、

「マメちゃん、まだ4歳で、習い事もさせていないのに、なんですらすら本が
読めるんですか?うちの子は結構前から公文やモンテッソーリに通わせているのに、
まだ英単語の文字一つ一つを声に出してつなげながらやっと意味を理解できる
レベルなんですよ。マメちゃんたらこの子の宿題、あっという間に終わらせて
しまいましたよ。」

と驚いていた。でも彼女のお嬢さんはマメちゃんと違ってバレエやお絵かきが
上手だし、たまたまマメちゃんはリーディングが得意だったというだけだ。
私は怠慢ママで、知育などに力を入れずマメちゃんをほったらかしてきたけれど、
独学でよく学んでくれたものだ。これはきっとダーリンの遺伝子のおかげであろう。
なにしろダーリンの息子はまだ13歳なのに、この州で最もレベルの高い大学の
哲学中級クラスを受けていて、成績はAである。

録音も最終段階に近ずき、スタジオのディレクターと話し合い、今後の
売り込み作戦で、私のいろいろな種類の朗読デモテープも作成した。
昔話、観光ガイド、研修ビデオなどなど。。。

やっと最終録音を終了した翌日、マメちゃんを後部座席のチャイルドシートに
座らせ、田舎の副学長邸へ向けて出発。州を二つこえたあたりで渋滞にひっかかり、
その日、膀胱炎にでもかかったかのようにトイレが近かった私は、トイレに
行きたくてどうしようもなくなった。。。こんなに苦しいのは妊娠以来である。
そんな私の様子を見ながら、4歳児のマメちゃんは冷静に言った。

「ママ、大丈夫よ、妖精のことを想像してごらんなさい。そうすれば
トイレのことを忘れるから。頭に浮かべた妖精は何色の衣装を着ていると思う?
黄色?緑色?」

「き、黄色!」

と冷や汗を流しながらなんとか持ちこたえてガソリンスタンドを見つけて
トイレにかけこんだ。途中2泊ほどして、二日後の深夜に帰宅した。

その翌日は大学の新入生の歓迎パーティーを我が家で開く事になっていた。
疲れが残っていたが、朝から掃除をしまくった。

そのパーティーで新入生を引率している数学教授の女性が準備のため、
早めに我が家にやってきた。今までなら、あ〜、彼女もこの町にいる
典型的な白人で、クリスチャン、子供5人でこの町で生まれ育ち、
他州では暮らしたことがない人なんだろうな、と想定して
特に話しかけもしなかっただろう。
しかし、この夏の体験で私は元の社交的な人間に戻っていた。
彼女の経歴をたずねてみると。。。

「ポートランド出身で、その後も都会に引っ越して9年前にこの町にやってきたの。
でも最初は町にも人々にもなじめなくて落ち込んだわ。ボランティアやったり
とにかく友達を作ろうとしたの。でも年月かかったわ。
鬱で、一日中パジャマ着て家から出ず、泣き続けた日々もあったわ。」

予想していない返答だった。

「よかったら今度ランチでもしない?」

と誘われ、メールアドレスを交換した。

そんなことから、彼女と毎週火曜日、おしゃれなレストランで
ランチするようになった。お互いドレスアップして、
おいしいオーガニックレストランや、美しい川辺の風景を楽しめる
レストランで会い、その後、いろいろなアンティーク小物のお店を案内してくれた。

4歳児との会話ではなく、大人の会話ができるなんて!
音楽、本、映画、美容、人生などの話ができることを、
これほどありがたいと思ったことは久しぶりである。

そして週末は、家族3人で2時間半かけて大きな都市までプチ旅行を
楽しむようになった。そこで、ある週末に日本祭りをやっていて、
パフォーマー仲間から話だけは聞いていた、評判の大道芸人の男性が
ショーをやっていた。ショーの後、彼に話しかけると、
私のウェブサイトのURLを教えるように言われる。そうなのだ、3年も前から
作るように先輩から言われていたのに、ずっとそのままになっていた。。。

その翌日、知り合いの男の子にウェブサイト作りを依頼した。

サイト作りのため、自分の経歴、昔の写真、劇評など屋根裏部屋の箱を
ひっかきまわして探しまくった。

自分の歴史。。。集めてみると、そうか、こんなこともやっていたんだっけと
久しぶりに自分の過去を振り返る。毎日頭のなかは自分のイメージで一杯だ。
そうなると、私はただ単にダーリンの妻という存在で、自分の名前も
忘れかけていたところだったが、パフォーマーかりりんなんだと洗脳されてくる。

田舎にはいるけど、車に乗り込めば、どこの州でも一人で行ける。
電話で仕事もできるし、サイトさえあれば、どこへでも売り込むことができる。
私は別にとうもろこし畑の中の刑務所に閉じ込められているわけではなかったんだ。

この夏の経験を通して、自分でどこへでも行けるということがわかった今、
もう息苦しいという閉塞感を感じなくなった。

9月からはとうとうマメちゃんを週二日、バレエ、タップ、体操の
コンビネーションクラスに通わせるようになった。
このダンススクールは、月に何度もショッピングモール、老人ホーム、
カーニバルなどで発表会の機会があり、マメちゃんも人前で踊ることができるし、
私とダーリンも休日どこかにいく目的ができた。

ダーリンのために数日かけて、ネットで口コミを読みまくり主治医を
探してあげたら、まるでセラピストのように聞き上手で、アカデミックな職業の
患者をよく理解している医師が見つかった。サプリを処方してくれたり、
すっかり長年悩みだった足の痛みとか、背中のできものとかまで処置してもらい、
すっかり穏やかでハッピーなダーリンに戻った。近くに頼れる主治医をみつけたこと、
血液検査で健康そのものという結果を得て、それだけでも
気分が明るくなったようだ。

彼の仕事も順調で、これこそやりたかった仕事だと益々意欲を燃やしている。

あっという間に10月末になり、ホリデーショーの仕事で他州に戻ってきた。
今回はその仕事の他にエンターテイメントカンパニーから単発で英語と日本語の
ナレーターの仕事が入ってきた。やっぱり魂がウキウキする仕事だ。

年末までここで仕事をした後、年越しはダーリンの家族と共にニューヨークで
年越しをする。

ここ数ヶ月、仏教に興味を持ち、休日はアメリカ人向けに東洋哲学を教えている
クラスや、瞑想クラスを受けたり、お寺で菜食ランチなどを頂いたりしている。
偶然にも友人に誘われて通い始めたこのお寺は健太郎のお葬式を上げてくれた
お寺であった。

去年仕事で元いた州に戻ってきた時はもう感動しまくりで、やっぱりこの土地で
なければダメだ!とか騒いでいた私だが、今回、州の境界線を越えた時、
まったく落ち着いている自分がいた。

一年ぶりに屋外で1日8回のショーは身体が少々きつかったが、1日で慣れた。
こうして週五日働いてみると、フルタイムのステイタスにしがみついていた
数年前を思い出す。。。失業してからはなんとかして戻れないかともがいていた
時期もあった。最近カンパニーの状況もかわって、さりげなく、
また戻る気があるか打診されたが、もはや興味がなかった。

フリーランスとしてたまに来て仕事をしたいとは思うが、これを週五日、
年がら年中やるにはお年頃の自分にはもう限界が来ていると思う。
というか、その段階は卒業して、また新しい形で次のステップに進むべきなのだ。
何しろあと3年ちょっとで50歳の大台に乗る!

次はまたいつ更新できるかわかりませんが、
読者の皆様、どうぞ良いお年をお迎えください!








マメちゃん3度目の日本旅行!  (マメちゃん4歳3ヶ月)

五月末には家族で他州へビーチ旅行へ行った。
格安サイトで見つけたホテルは、そのエリアの中では最も安く、
あまり期待していなかったのだが、到着してびっくり。
広いバルコニー付きで、窓からエメラルドグリーンの海が一望できる。
キッチンも付いているし、ダーリンの息子も含めた4人家族でも寝られるように、
キングサイズベッドと、ソファーベッドが2つあった。

ここで3泊4日滞在し、息子を元妻の家まで送り、ダーリンは田舎の副学長邸へ戻り、
私とマメちゃんは6月の頭に日本へ向かうという予定になっていた。

他州に滞在中は、去年まで勤めていたエンターテイメントカンパニーに挨拶にいった。
カンパニーの社員通用口からIDカードで入り、コンピューターで社員用ポータルの
パスワードを変えた。セキュリティーの関係で、3ヶ月ごとにパスワードを
変えなければならないのだ。そして以前出演していたショーを観にいくと、
リーダーが私を見つけ、

「あれ?帰ってきているの?あとどれくらいいるの?今週何日か入れてあげるよ。」

といってくれた。引っ越した先では、どんよりした天候で、仕事もせずに
家にこもって、悶々とした気分で暮らしているが、こうしてこの土地に戻ってくると、
何も変わっていない。私はまだここで存在している。
それはありがたい事であると同時に、先に進めない原因でもあった。

そんなことを考えながら日本行きの飛行機にマメちゃんと乗り込んだ。

出発前夜、マメちゃんは興奮して午前3時まで眠れず、その一時間後には
ホテルを出発して空港へむかっていた。一時間しか寝ていないくせに、
いつまでたっても眠らないマメちゃん。

飛行機を2回乗り継ぎ、やっとのことで成田行きの飛行機にのった。

しかし子供番組を見たり、ゲームをしてまだ眠らないマメちゃん。
いよいよ成田到着の一時間前になってようやく睡魔が襲ってきたと見える。
わずかにぐずぐず言い出して、やっと眠りについた。それにしても機内で
映画を3本も見られたのは夢のようである。一歳十ヶ月の時の悪夢のフライトを
思い出すと、よくもあんな無謀なことをしたものだと、我ながら呆れる。

リムジンバスに揺られ、私の膝の上で眠るマメちゃん。
ああ、窓の外には日本の風景が見える。

地元の駅に着くと、あと数日で79歳になる母が迎えに来ていた。

「あ〜、お帰り〜。マメちゃん、また可愛くなったね〜。」

微笑む母。

「コンニチワ!」

と、少し英語なまりの日本語で挨拶するマメちゃん。

荷物が多いのでタクシーに乗って実家に向かう。

両親の住む団地の棟の前でタクシーを降りると、3年前に脳梗塞で倒れた
83歳の父が荷物を運びに下まで降りてきてくれた。

父は、耳が遠くなったので、声はますます大きくなっていた。
テレビの音はものすごく大きいし、さらに父の声も最大限のボリュームで、
まめちゃんは、“Too loud!!!”と耳をふさいだ。

「じっちゃん!言語聴覚士の先生にささやくようにしゃべってくださいって
 いわれたでしょ!!!もうかりりんちゃん、こんな調子の毎日で
 頭がおかしくなりそうよ。」

と嘆く母。母の足も本当に曲がってしまって杖をつきながらよっこらしょと
反動をつかって歩いている。よくこの足で父が倒れてからもせっせと
世話をしてきたものだ。母にもしものことがあったら一体私は
どうするのだろうか?兄は縁を切ったかのようにもう2年も両親と会っていない。

「それにしてもマメちゃん、おとなしくていい子になったねえ。
 泣かないじゃあないの!」

やっぱり4歳はぐっと楽になるものだ。父も母も感心している。

翌日は父とマメちゃんを連れて近所の公園に遊びに行った。
父はダーリンの仕事に興味があるようで、隣のブランコにのりながら、
いろいろと大学について聞いてきた。

3年前は医者にも見離された父であるが、今では一日中歴史の本を読んだり、
詐欺被害を訴えようと、法律の勉強もしている。

日本到着3日目には、バリキャリの50代外資系企業支社長の友人に誘われて、
マメちゃんと六本木へ。まずは六本木ヒルズで食事をし、
洋楽専門のカラオケバーに連れて行ってもらった。

4歳児連れて行っても大丈夫なのか彼女に聞いたら、

「童謡のカラオケもあるし、早めに行けば全然問題ないよ」

といわれた。独身で子供がいない彼女であるが、小さい子供のいる友人とも
食事をしてきた経験から、東京で子連れOKの場所をよく心得ている。

行くと他に誰もいなくて、2時間貸切状態だった。英語の童謡を歌ったり、
私がステージに上がるたびについてきて、一緒に歌ったり、エアーギターを
偉そうにひくふりをするマメちゃん。

9時半頃からだんだん人が入ってきたので、店を出た。

翌日は中学時代からの仲良し4人組でカラオケBOXへ。
まずはマメちゃんを駅前デパートのアンパンマンコーナーで遊ばせ、
それから駅で待ち合わせ。その頃には時差ぼけで眠そうなマメちゃんであった。

46歳〜47歳のお年頃女子が集まると、話題と言えば、自分の身体の不調や、
親の病気のことである。

「あたし、この年にして動脈硬化って診断されちゃった。

「筋腫の手術どうしようかな。」

「筋腫のことなら私に任せて!(もちろん私の発言)」

「やっぱりまだ子供を産める可能性は残しておきたいから
 子宮全摘手術っていうのは気が進まないなあ。」

「あと3年もすれば症状も軽くなるかもね。」

「親のボケが始まったみたい。。。」

二人は独身で、ひとりは中高生の2児の母。そして私は老体にムチ打つ(?)
4歳児の母。。。それぞれ状況は違えど、みんなお年頃なのである。
それを後日バツ2のシニアフレンドのNさん(アメリカ在住)に話したら、

「あら、まだ可愛いものね。私達なんてね、誰々さんが亡くなったとか、
 転んで寝たきりになったとかそんな話題ばかりよ。」

と笑った。なんでもNさんのアメリカ在住の80歳前後の独身茶飲み仲間が
日本帰国中に脳卒中で倒れ、手足の麻痺と失語症が残ったが、彼女の日本の兄妹は
世話を拒否したそうだ。結局アメリカ在住のカルチャースクール仲間 
(50代半ば、元松竹歌劇団 & キャビンアテンダント)が
わざわざ迎えに来て、向こうに連れ帰って世話をしているとのこと。

その後、この老婦人は病院で同室の患者と気が合わず、
車椅子同士で取っ組み合いのケンカになり病院を変えたばかりだという。
この世話を任された女性も介護がたたり、肩や足の手術や心労で
大変な毎日を過ごしているそうだ。

NY時代のダンサーの友人二人にも会った。
一人は去年のブログ記事にも登場したが、帰国後本を出版し、東京でフィットネス
スタジオ経営をする友人。大学の同窓会で知り合った同窓生と
44歳で出来ちゃった婚で、もうじき3歳になる男の子のママである。

新宿の小田急デパートの屋上で子供達を遊ばせる予定がどしゃぶりになり
泣く泣くランチだけで終わらせる。去年は大人しかった男の子は、
バリバリ魔の2歳児と化して、雄たけびをあげ、友人はなにも注意しなかったが、
さすがに2回目の雄たけびとなると、となりの席の老人達から注意される。

老人達は「まったく親のしつけがなっていないですな〜。」
と、こちらに聞こえるようにしゃべっている。
ボイラーとザーザーぶりの雨ががうるさい屋上のカフェだったが、
やはり人の子供の声は耳につくものらしい。そういえば、私もマメちゃんが
3歳半になるまでは奴隷で、感覚も麻痺し、マメちゃんのワイルドさが
エスカレートしないためにかなり大目に見てきた。
最近はびしっと叱り、マメちゃんも言うことをきくようになった。


もうひとりのダンサーである友人は、当時19歳くらいで真っ黒に日に焼けて、
まだまだ若くてつっぱっている感じのコだったが、16年ぶりに再会すると、
一歳半の男の子を連れて色は白くなり、ふっくらし、よく気を使ってくれて、
すっかり大人になっていた。

9.11テロでいろいろと考えさせられ、帰国を決意した彼女。
日本に帰ってきて友人に誘われ、グループでお花見をしていたら、
今の旦那さんと出会って結婚。彼女はダンスを続けるかたわら、
ダンススタジオを経営し、若手の育成に情熱をかけている。
旦那さんはテレビでもレポートされた流行りのレストランを経営していて、

「彼は、知的で、とっても尊敬できる人です。お互い仕事の話で盛り上がります。」

と言う35歳の彼女。ランチのあと、子供広場で遊ばせながらおしゃべりを楽しんだ。

最初の週は京浜伏見稲荷神社、浅草寺、水天宮をお参りした。水天宮は
移転していたとは知らず、時差ぼけバリバリマメちゃんと足の悪い母を連れて
移転先まで余分に歩かなければならなかった。

2週目は富士宮の浅間神社、静岡で従姉の子供達とマメちゃんを遊ばせ、
次は京都、大阪方面へ。 

大阪の友人には2歳と5歳の女の子がいて、3泊も招待してくれた。
以前から上の子はおとなしかったけど、下は野生のお猿さん状態で手に負えないと
話を聞いていた。彼女は東京出身なので標準語を話すが、子供達は
バリバリの関西弁である。2歳10ヶ月の女の子はかなり乱暴な言葉使いで
ドスがきいている。私が部屋の片隅でこそこそ着替えていると隣に来て、

「なにオッパイぶらぶらさせてんだよ!」

などというし、通りすがりのサラリーマンに

「お前のチンチンぶーらぶら」

とかいったそうである!幼稚園に通いだしてから
どんどん悪い言葉を覚えてくるようになったそうだ。

彼女の近所のママ友が、ハーフの子が来ている(マメちゃんのこと)と聞いたら
ぜひ生の英会話を子供に学ばせたいと、訪ねてきた。
なんでも英会話教室に姉妹で週二回通わせているのだとか。

ママさんは一生懸命、

「ほら、早く何か英語で話しかけてごらん。」

というのに、7歳と5歳の女の子達は「いやや!」といってもぞもぞしている。

「もう英会話教室、行きとうないいうて困っているんですよ。
 あたしが英語でけへんからこの子らには絶対しゃべれるようなって欲しいんです。」

というお母さん。

今回、子供英語教育熱は前より盛んになっている感じがした。
東京でも子供広場や図書館で他のママさんから話しかけられ、同じ事を言われた。
親の方が必死というのが伝わってきた。なんでも「オールアバウト」サイトの
なんでもランキングによれば、子供に習わせたいおけいこの1位が
英会話だそうである。ちなみに2位は音楽(ピアノ、バイオリンなど楽器を含む)、
3位水泳、4位バレエ、5位書道だそうだ。

マメちゃんは堂々として“What’s your name?” “How old are you?” 
と話しかけるのだが、相手の子達はもぞもぞしたままだ。

そんなんで、これはしゃあないと、職業柄、友人のピアノを借りて、
英語の歌を歌わせると、今度はみんなノリノリにのってきて、
いろいろな歌を歌いだした。友人宅は一挙に英語教室に変身!
すっかり打ち解けてみんな帰っていった。

3日もステイしていると、5歳の女の子は片言の英語を話すようになってきたし、
マメちゃんも日本語がだんだんでるようになってきた。

昔は自分も子供英会話教室の講師していたんだっけな〜。今ならもっと
いい授業できそうだな。(マメちゃんゲスト講師!?)日本は食べ物もおいしいし、
かわいいものもいっぱい売ってるし、日本に住むのって楽しいかも。。。
などとふと考えてしまった。するとそれを見透かすかのように、友人が言った。

「日本に3週間くらいいると、日本に帰ってくるのも悪くないかなって
 思っちゃうのよ。それでうっかり住み着いちゃうんだけど、
 絶対止めた方がいいよ。あたしみたいに後悔するから。
 Nちゃんもそうやって後悔してたけど、こっちでイギリス人とであって、
 結婚して今ロンドンで暮らしているよ。日本に合わなくて
 海外に出たアウトローの私たちには所詮無理なんだから。
 あ〜、あたしグリーンカードまで持っていたのに、
 なんで帰ってきちゃったんだろう。。。」


彼女はハーフのような顔立ちで、スタイルも良く、優しくて控えめで、
でも話がさりげなく面白くて、彼女といるとほっとする。
だからこの3日間の滞在はとても癒された。

彼女のご近所さんやママ友達はとてもゴシップ好きだそうで、

「お宅のご主人今朝6時に出かけられていたわね。早番?」

とか、

「誰々さんちに大きな宅急便が届いた。あれはベビーベッドに違いない!
 彼女3人目ができたのね。」

だの、

「誰々さんのお宅の洗濯物がいつもと違う。。。」

と、かんぐったり、聞いていて驚いてしまった!

また、大阪の友人も静岡の従妹も言っていたが、女の子はキャラ弁の中身で
グループ内でのランクが決まってしまうとか。。。あまり凝っていないお弁当だと
仲間はずれとか。。。それでキャラ弁禁止になった園もあるそうだ。
こ、こわすぎる。。。

最後の夜は彼女の別の50歳のママ友と共にカラオケに誘われたが、
私は風邪を引いたようで声が出にくくなっていた。このママさんも、二人目を
高齢出産で産んだそうで、6歳の女の子を連れて来ていた。
のどの調子がおかしいのに、たびたびリクエストされて、無理に歌ったら
翌日完全に声が出なくなってしまった!
フルタイムの役者時代はいつものどのケアには気を使っていたのに、
今では別に風邪をひこうが、声がでなくなろうが、関係ないなんて、
なげやりになっていた。もっとも、産後に体質が変わって
声の出なくなるタイプの風邪を引きやすくなってしまったというのもある。

パントマイムとささやき声で大阪の友人に別れを告げ、
次はおなじみのバレエの先生のお宅に向かった。

アメリカを発つ前夜にメールで関西方面行きますと知らせておいたのに、
今回は返事が3週間経ってもこなくて、お忙しいのかと思っていたら、
やっと返事が来て、お宅に招待された。おとなしくなったマメちゃんを見て、
プリマのお嬢さんと顔を見合わせ、

「なんや、ずいぶんおとなしゅうなったやないの。実はな、私ら、
 またあのサルちゃんも一緒やったらかなんなっておびえておったんや。
 でもこないええ子になったんやったらまたいつでもおいでえな。
 明日も泊まってくか?」

と告白!やっぱりそういうことでしたか、先生。。。最悪の1歳10ヶ月の時に
お言葉に甘えて連れて来てさんざんご迷惑をおかけし、それでも去年3歳半で
もう一度チャンスを頂いたものの、長旅の疲れがピークに達していたマメちゃんは
落ち着かず、先生は

「なんや、前回とあまりかわっとらんな。」

と顔をひきつらせていた。

今回はおとなしく夕食を食べ、その後はipadをいじり、しばらくすると
ソファーで眠りだしたマメちゃん。あ〜、大人しくしていてくれて助かった!

そして最後にメインの京都の伏見稲荷様のお参り!
マメちゃんをバギーにのせて山を半分登るのだが、階段になると、
まずは疲れたマメちゃんを抱っこして何十段か上り、それからバギーを
上に運ぶという繰り返し。蒸し暑いし、風邪で体調はイマイチだし、
フラフラになりながらも、なんとか登り切り、折り返し地点に到着!
このときの達成感は本当に気持ちよかった。そして思った。
一年前にダーリンの栄転でアメリカの田舎の土地に引っ越してからと言うもの、
専業主婦生活をしてきてこの達成感と言うものから遠ざかっていた。

実を言うと、今回の神社仏閣巡りでも、お祈りしたいことがなくて
呆然としていたのだ。もちろん神様に感謝することのほうが大切で、
それは始めにするのだけれど、その後願い事を頭に浮かべようとしても、
以前のようにはっきりとうかんでこないのだ!こんなことってはじめてかも?!

子供の頃からの夢であるアメリカ留学を果たし、永住権も取得し、
役者として食べていくこともできた。結婚、出産、マイホーム購入の夢もかなった。
ダーリンが出世してくれればな〜なんて思っていたら、
あっという間に副学長に就任し、年収も大幅アップ。で、前から好きだった
旅行ばかり繰り返し、でも心は満たされていなくて。。。
一体自分は何がしたいのだろう?次の夢は?目標はなんなのだろう?
何を願ったらよいのだろう?


まったく甘ったれている。贅沢病だ。。。とまた自分を責めて暗くなる。


40歳になってからいろいろありすぎて、燃え尽きてしまったのだろうか?
死産で涙を身体中からしぼり出すまで泣き、15年ー18年も家族でいてくれた
愛犬も2匹亡くなった。妊娠、出産という大きな目標を掲げてそれに向かって、
まっしぐら。 
出産後は慣れない母親業で疲れ、流産、失業、父の脳梗塞、就職活動、
環境の変化によるうつ 。。。

大好きで尊敬していた父が倒れた時もこれでもかというほど泣いた。
脳梗塞を検索して奇跡が起こった話を探しまくり、
特別介護施設も調べまくった。幸い奇跡が起こり、父は今でも失語症以外は
身体に障害も残らず、自宅で普通に暮らしている。でも昔の知的で、
話術に長けていた父は、倒れた時点で消えてしまったみたいだ。
そりゃあ脳の大部分がダメージを受けてしまったのだから、
以前と同じというわけにはいかない。

老後に投資詐欺にあって、ずっと裕福だった両親が悲惨な暮らしをしている
というのもみていて辛い。でもその辛さにも慣れてしまって
どんどん感覚が麻痺していったようだ。

そんな事が重なって、情熱や感動というものから遠のいてしまったのかもしれない。

この時点ではアメリカに戻ってから心ときめく出来事が舞い込んできて、
最高の夏になるとは予想もしていなかった。



今回、母親には 

「あんた。。。専業主婦やっているから太ったんじゃないの?
いやだ〜、あんたの腹!」

と言われ、叔母には苦笑しながら、

「あんた。。。だいぶ肥えたね。あんたのお母さんにだんだん似てきたね。」

といわれ、バレエの先生には、

「あんた姿勢悪うなったんちゃうか?家事ばっかりやっとるからやろ。
 それともオッパイが重過ぎるからか?」

と、厳しいことを言われた。そうはいわれても、体重はまだ40キロ代ではあった。
でも筋肉ではなく、贅肉、脂肪分がどんどんついてきたのだ。
しかも、日本に来た翌日から、塩分の取りすぎなのか、毎朝顔がパンパンにはれて
むくみ、目も半分くらい細くなっているので、母とびっくりしたものだった。
それプラス、日本のおいしいお菓子をパクパク食べまくり、
さらに太っていくのだった。

帰国して2週間、3週間と経つうちにどんどん気分がダウンしてきて、
無気力でどよよ〜んと胸が重くなってきた。日本にくると、何もかも輝いて見えて、
楽しくて、アメリカに帰ってからもしばらくその余韻が残って、明るい気分で
過ごせたものだったが、今回は違った。

日本へきてもこれじゃあ救いようがないなあ。そう思いながら、
最後の週にアメリカの自分の電話の留守電をチェックすると
クリニックからメッセージが入っていた。

「あなたの乳がん健診の結果についてドクターがお話したいそうなので
 電話をください。」

え〜〜〜〜〜〜!? 5月に受けた健診で、異常がなければ
そのまま郵送で結果が届き、異常がある場合はクリニックから連絡があると
言われていた。。。 ということは、まさか??????

NYの友人が40歳の時乳がんで抗癌剤を服用していて、つらそうだという話を
共通の友人から聞いていた。さらに、元彼の奥さんがステージ3の乳がん
ということも知っている。

死産もそうとう辛かったけど、今度はまさか乳がん?やっぱりこんなに贅沢いって
甘えていたから神様が試練を与えようとしているのか? 
ブログの次のテーマは「乳がんとの闘い」か?

時差があるので、2時間はクリニックと連絡がとれず、母と二人で想像をめぐらし、
最悪のシナリオまで考えた。そして隣にいるマメちゃんを見て、
「こんな小さくて可愛い子を残して死ねない!」
と、初めてそんな母親らしいセリフを口にしたのだ。

ようやく2時間経ち、アメリカのクリニックに電話がつながる。
私にメッセージを残した看護師さんは、

「えっと。。。あれ?コンピューターにあなたの情報が全然出てこないんだけど。
 おかしいわねえ。」

 って、自分であんな意味深なメッセを残しておいて、それはないでしょ?

「やっぱりまだだめね。じゃああとでかけなおすわね。」

待つこと1時間半。。。再度留守電をチェックすると、
その看護師さんからのメッセージ!!!

「ハロー。あなたの検査結果が見つかりました。結果は。。。」

どきどきする私。

「まったく問題ありません。あとで、結果を郵送しときますね。それでは」


「。。。。。。。。。。」

これって。。。ジョーク?

なんという人騒がせな!やっぱりいい加減なアメリカらしい。
でも、これにはやっぱりなにか天からのメッセージが含まれているのでは?
健康に暮らしていられるということがどれだけありがたいことか。
次のゴールとか言う前に、健康と言う土台がなければ何も始まらない。

そんな事件を経て、この日本旅行も終わりに近ずいていたのだった。

一年ぶりの健康診断の結果は? (マメちゃん4歳のお誕生日)

しばらく更新しないまま、あっという間に5月の後半に
さしかかってしまった。

とりあえず3月は仕事で一ヶ月間マメちゃんと他州に滞在した。

マメちゃんは4歳の誕生日をむかえ、昔の仲良しのお友達をよんで
お誕生会を開いた。

アメリカでは一歳の頃から結構盛大に子供のお誕生パーティーを開く。
マメちゃんは一歳の時は天使ママ友数人とその赤ちゃん達で
テーマパークやレストランでひっそりと祝った。

その後は義父母や従姉とレストランで祝うくらいだった。
しかし4歳ともなるといろいろわかってくるし、
友人のパーティーに招待されたりして、自分も祝って
もらいたくなるものらしい。

今年はいよいよ会場を借りてのお誕生パーティーデビューである。
Bounce Houseと呼ばれる、巨大ビニールハウスの中で子供たちが
ジャンプしまくる施設をかりて、赤ちゃん時代から
仲良くしてもらっている子供たちを招待した。会場内には
大きなビニールハウスが7つも8つもあり、迷路やビニール製の
柔らかいすべり台やハシゴもついていて
何時間遊んでいても飽きない。

費用は日本円にして1万5千円くらいかかっただろうか。
プライベートルームを一時間半かりて、施設側でピザとドリンクを
用意してくれる。部屋は一時間半の貸切だが、その後も子供たちは
一日中遊び続けることができる。

ケーキはスーパーのベーカリーコーナーで注文。マメちゃんの好きな
アニメキャラ、Dora The Explorer の主人公ドーラがテーマのケーキを
見本の中から選ぶ。ちなみにマメちゃんはみんなから
ドーラに似ているといわれる。不二家のペコちゃん似とも言われる。

前日に注文して、パーテイー当日の朝、日本円にして2800円くらいで、
見事なデザインの大きな長方形ケーキのできあがり。
ビーチでドーラとお猿のブーツがビーチに座っているデザインだが、
鮮やかな色の海と砂浜のデザインの上に、
ドーラとお猿さんのプラスチック製の人形と
ビーチパラソルがのっかっている。

DCから従姉と義父母がかけつけてくれて、マメちゃんも懐かしい
仲間達と再会できてとても幸せそうだった。友達と従姉の間で
マメちゃんの取り合いでケンカまで始まった。自分は姉妹のように
マメちゃんと仲がいいという親友のTちゃん。
それに対して、自分は従姉なのよ、もっと関係が深いのよと
主張する従姉。そのケンカのすきにさっさとマメちゃんは
日本人ハーフのハンサム4歳児君とハグとキス!

みんなに祝ってもらってプレゼントもどっさり頂いたマメちゃん。
今までで一番幸せな誕生パーティとなった。

一歳のお誕生日は「そっかー、生まれてから一年経ったんだ。
でもなんかめずらしく不機嫌で泣いてばっかりいるな〜」
なんて思った。

それが2歳、3歳では振り回され、へとへとで
特に感動もなくお誕生日を迎える。

しかし今回は初めて感慨深いものがあった。嬉しいような、
寂しいような。。。もう完全に赤ちゃんじゃなくなっちゃったんだ。
以前に比べるとずっと聞き分けもよくなったし、こちらの感情も
読めるようになって来た。さみしいなあ。でも楽になったな〜。
親としては複雑な気持ちの4歳の誕生日であった。

ダーリンも3月の前半と後半は一緒にホテルに滞在して過ごしたが、
あまり楽しそうではなかった。いろいろな格安DEALを利用して、
ホテルを二日ごとに変えていたので、落ち着かなかったのであろう。
私はいろいろなホテルを比べてみたい方なので、楽しかったが、
ダーリンとしては一週間移動なしでいたかったようだ。

独身L子と健ちゃん妊娠時に妊婦仲間だったV子からは
マメちゃんを甘やかしすぎとお説教され、へこんだ。
L子は以前V子のこともしつけをちゃんとしていないと批判していたし、
V子も息子君を放ったらかしだった。今はV子の息子は5歳になったので
だいぶ聞き分けがよくなったから、イヤイヤ期の頃のことは
みんな忘れてしまったのだ。

私も子供がいなかった頃はダーリンの元妻に対して育児批判を
していたものだが、実際24時間子育てしてみると、
母親だけにしかわからない事情だってある。
自分も子供を産んでからは、元妻のことも理解できるようになった。

3月は毎日友人と約束し、お食事したり、久しぶりに映画を観たり、
仕事もして、とても楽しい一ヶ月だった。3月末にダーリンが
迎えに来て、家族3人で車で二日間かけて田舎町に戻ることになった。

しかしその帰りの道中、いきなり左側を走っていたSUVが
私達の車に突っ込んできたのだ!私達の車は路肩に押されて
やっとストップできた。運転していたのはダーリンであったが、
助手席に座っていた私は、その瞬間何が起こっているのかわからず
このままどうなっていくのかと怯えた。

幸いマメちゃんも含め3人とも無事だった。
左側のサイドミラーはなくなり、左前方側面がへこんだ。
警察と保険会社に電話した後、40分ほどして
やっと警察官がやってきた。

しかし警察官の話によると、向こうの運転手が
(30代前後の黒人女性)言うには、私達の車はジグザクに
走っていて様子がおかしく、ついに路肩に停車。
そしていきなり発信して彼女の車に追突してきたと
ウソをついたのだ!

なんでそんな真っ赤なウソがつけるのか!結局私とマメちゃんという
身内以外の目撃者がいないため、警察官はニュートラルな立場で
両サイドの話を記述して、ポリスレポートを作成。
それを双方の保険会社に送るとのことだった。

それから一ヶ月半たっても、向こうの保険会社は
100%こちらの落ち度だとして、車の修理代は払わないと主張。
おかげで私の手鏡をテープでぐるぐる巻きにしたサイドミラーと
へこんだ側面の車でダーリンは大学に出勤している。

そして先日私自身もガレージの壁に車をぶつけて、左まぶたの上に
切り傷を作るという軽い事故を起こした。
こんな不注意初めてである!後部座席のマメちゃんに
何か言い聞かせていて、ギアーをパーキングモードに
したつもりがドライブのままになっていたのだ。
でもポジティブに考えれば、2回ともマメちゃんは無事だったし、
私自身にも大きな怪我もなかったので、大難が小難になったと思えば
よいのかもしれない。

4月1日にこの田舎町に帰ってきて、最初の3週間は
掃除しまくったり、リラックスしたり気分は明るかった。
しかし天気も2週間続けて雨とか、気温は低いしだんだんと
気分はどんよりしてきた。

さらに卒業式前でダーリンは超多忙。ストレスが溜まっていて
爆発寸前。

私は花粉症の症状がひどくなり、薬を服用し始めた。
それと同時に不眠症、落ち込み、涙もろくなったのだ。
無気力、身体はだるいし、生きる目的もなくなった。
何事に関しても興味がわかない。

80年代が妙になつかしくなり、30年ぶりにジャーニーなんて
聞き始める。あの頃は高校生でバンド組んで、ボーカルとして
この歌うたっていたっけな。。。青春時代だったな。。。なんて
感傷にふける。

思いっきり腹から声を出して歌ってみると気持ちはすっきりするが、
またしばらくするとどんより。。。

このままではいけないと思い、重い腰をあげて
いよいよお医者さん探し。といっても内科と産婦人科医で、
心療内科というわけではない。妊娠糖尿病経験者は出産後も
糖尿病予防のために3−6ヶ月に一度は血糖値の検査を
したほうがいいらしいし、婦人科検診も乳がん検査も
もう一年半していない。

この土地に来て一年近く経つのにまだ主治医を
探していなかった。それ自体もこの土地にまだ
馴染んでいないということだ。

しかしどの医師も新規の患者は受け付けていないと断られる。
最後に若くてNYの病院から移ってきたばかりという
女医の内科医を見つける。

婦人科はネットでの評価が他の医師より低めの
産婦人科医とやっとアポをとれた。

アメリカは医療費が高いだけでなく、初めて行く医院の場合、
最初の予約をとるだけでもかなりの時間がかかる。2,3ヶ月待ち
なんてよくあることだし、一ヵ月後に予約が取れただけでも
ラッキーだと思った。

昔、肌荒れで皮膚科の予約を取るのに、最初にファミリードクターに
見てもらわなければならず、彼の薬で治らなければ紹介状を
書いてもらい、皮膚科に電話。それから3ヶ月後に予約がとれた
頃には肌荒れは治っていたこともあった!

緊急の場合は予約不要のWalk-in クリニックという手もあるが、
あまり専門的ではないので、長期でお世話になる場所ではない。

この土地だったらとてもハイリスク出産なんて任せられなかった
ことだろう。。。

予約はやっと一ヵ月後にとれた。内科医の先生のことは
受付の事務員さんから看護師さんまでみんなが褒めていた。

まったく待たされず、時間通りに診察室に通された。

部屋に入ってきた女医さんは20代後半くらいだろうか。
イスラム教徒の民族衣装を着ている。

まず先生の自己紹介をしてくれて、それから私の話を
じっくり聞いてくれた。死産の話になったら
涙ぐむ私にテイッシュを渡してくれる先生。
彼女も5歳と2歳半のお子さんがいるそうだが、一人目は
常位胎盤早期剥離で大出血を起こし、まだ33週だったが
緊急帝王切開だったそうだ。
次の妊娠では不安でハイリスクドクターのもとで2週間ごとに
エコー検診を続けたそうだ。

「妊娠、出産ってそう簡単じゃないのよね。私も3人目欲しいけど、
もう2回も帝王切開しているしハイリスクだからあきらめているの。」

お〜、この先生も妊娠、出産の大変さを理解してくれる。
いい先生ではないか!

うつ気分だと伝えると、ひょっとしたら気候のせいで
ビタミンDが足りていないのかもしれないと、
血液検査をすすめてくれた。

結局私ひとりに一時間近くも時間をかけてくれた先生!
今までの先生ときたらドアから顔をのぞかせて忙しそうに
診察。せいぜい5分くらいしかみてくれなかった。

帰りに乳がん検査も受けてきたし、翌朝は空腹のまま
血液検査をしてもらった。その午後にはもう結果を教えてくれて、
やはり血中のビタミンDが基準値に達していないとのことで、
錠剤をとり、毎日30分日光浴するようにとの指示。
(お天気がよければの話だが。。。)
12年間毎日直射日光にさらされてショーをしていたこの私が
引っ越してきて一年以内にこんな診断を受けるとは!

さらに貧血気味らしく、生理の期間だけとっていた鉄分の錠剤も
毎日とることになった。

ビタミンバイブルという本で、役者やエネルギーが欲しい人は
ビタミンB12を飲むように書いてあったので
サプリをとっていたのだが、なんとこれは過剰摂取という結果が
出たのでやめた。このビタミンの場合は特に副作用はないみたいだが、
やはり何事も摂りすぎはよくない。
考えてみればもうフルタイムで体力使う役者を
やっているわけじゃないから不要なわけである。

それ以外は血糖値もコレステロールも問題なく、
健康体ということだった。

翌日の婦人科検診では、ブロンドのさばさばした女医さん登場。
年齢は50歳らしいが、40代前半にしかみえない。
一年前から生理周期が乱れているというと、今度筋腫の検査を
しましょうと言われた。更年期対策のホルモン関係サプリは
まだ必要ないとのこと。

2月、3月は周期が乱れたが、4月と5月はぴったり
28日周期にもどった。やはり旅をしている時は
体が環境変化で落ち着かなかったのかもしれない。

さらにネットで私が飲み始めた花粉症の薬の
口コミを検索してみると驚くべき事実を発見!
なんとうつ状態、無気力、不眠にさせるという
副作用があるそうなのだ。どうりであの薬を飲み始めてから
花粉症の症状は驚くほど消えてありがたかったものの、
うつ状態で涙もろくなっていたのはこの薬に原因があったのだ。
とにかく3時間以上眠れないし、
心臓もバクバクして、常に興奮状態でもあったっけ。

早速この薬を止めて、鉄分の錠剤を毎日取り始め、今まで飲んでいた
マルチビタミンから、先生がすすめる、ビタミンDがより多く
入っているものにかえた。

天気が良い日はすすんでお散歩をして日光浴をこころがけた。
ヨガも始めたら身体がどんどん軽くなっていった。
その結果また幸せ気分が戻ってきたのだ。

さて、マメちゃんは保育園とプリスクールの今学期最後の発表会が
2週続けてあった。さすがに舞台で一生懸命歌ったり
踊ったりしているマメちゃんをみると涙が出そうになった。
さらに問題児の男の子に後ろから突き飛ばされて
床に倒れるというハプニングが2回もあった。

それでもぱっと起き上がって笑顔で踊り続けるマメちゃん。
いつの間にこんなに成長したんだろう。

この男の子には毎日のように髪を引っ張られたり、
突き飛ばされているそうなのだが、マメちゃんだけ
仕返しをしないので、この男の子の的になっているそうだ。
ダーリンも私も決してマメちゃんには手を上げないできたし、
他の子を押したり、たたいたりしてはいけないと教えてきた。

マメちゃんはそれほど気にしているわけでもなく、「Kくんったら
まだまだ赤ちゃんなの」というくらい。

でも毎日のように続くので、いいかげん先生まで
「もうこうなったらあなたも押し返しなさい!」という始末。
後でわかったのだが、この問題児くんは先生の息子であった。。。
でもマメちゃんは仕返しをせず、先生から習った手話の動作と言葉で
その男の子に「止めなさい!」と毎回繰り返した。
その結果とうとうその男の子はマメちゃんに
手を出さなくなったそうだ。

マメちゃんの学校が終わると、今度はダーリンの大学の卒業式。
壇上で今年度の卒業生の名前を読み上げたり、優秀な教授へ
賞を与えたり大忙しのダーリン。でもスムーズにやり遂げ、
学長さんや理事長さんからもお褒めの言葉を頂いた。

教授や職員から提出された副学長としての評価表では
ダーリンへの評価はとても高く、学長さんは契約を更新したいと
言ってくれたそうだ。ということで少なくともあと2年は安泰。
しかしダーリンは近い将来、もっと大きな大学の副学長か、
小さな大学の学長ポストに応募すると、次のステップを考えている。

この一年でダーリンもマメちゃんも新しいことを学び、
驚くほど成長した。私といえば、旅行ばかりして
現実からの逃避を繰り返していたような気がする。

この夏はまた日本や他州に旅行することになるが、
7月から11月まではこの土地に腰を据えて、逃げずに
自分を向上させる方向を見つけなければと思っている。

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