他州への引越しも5月にせまり、週7日働いている場合ではなくなってきたので、
6つの仕事を、給料の安い順から徐々にけずっていく。それでもまだ4つあり、
なかなか引越しの準備までいかない。
去年は最低時給の仕事の面接にさえもこぎつけず、悶々としていた。それが、
今では惜しまれながら、こちらから辞表を提出している。
まだピンとこないのだが、これから「副学長婦人」としてダーリンと共に
いろいろな行事に出席させられる為、それなりの服装やカバンも
そろえておかなければと、数年ぶりにショッピングを重ねる今日この頃。
頭の中には映画「プリティーウーマン」のテーマが流れ、以前、
高ビーな態度をとったお店に綺麗な格好をして、ショッピングバッグを
いくつも抱えて入り、ジュリア・ロバーツのように
「Big mistake!Big! Huge!」
と店員に言って、お店を去るイメージが頭の中をよぎる。。。
といっても長身で美人なジュリアちゃまとは程遠く、チビのアジア人の自分は
ちょいとおしゃれでお手ごろ価格のお店の冬物特売品コーナーとか、
自分の勤めていたブランドバッグ屋で社員65%割引きを使ったりと、
チープで全然レベルが違うのだが。。。
昔はおしゃれに気を使っていたつもりだったが、いつの間にかそんなこと
忘れてしまっていた。それにこの2年ちょっと、ほとんど笑顔を忘れかけていた。
でも毎日幸せいっぱいで、腹の底からマメちゃんやダーリンと笑っているし、
そうすると、笑う門には福来るで、さらに長い間連絡をとっていなかった友人から
電話やメールがあったり、臨時収入があったり、いい事ずくめなのである。
さて3月。。。ここ数年、3月はいろいろな出来事が起こった月であった。
2008年3月に、愛犬のピグニーが天国に召され、その二日後に
子宮筋腫摘出手術。2009年の3月はマメちゃんが誕生。
2011年の3月は、マメちゃんの2歳の誕生日の朝に、
17歳半のチワワのユキちゃんが眠るようにして亡くなっていた。
そして東日本の大震災。。。
あれから一年。人生にとって何が一番大切なのか常に考えさせられてきた。
人間は何も持たず、裸でおぎゃーと生まれてくるし、死ぬ時も同じだ。
物質的な何かを所有しているかということではなく、どんな経験を積んで、
何を学んだかが重要なものとして残る。
私は仕事にも恵まれ、待望の赤ちゃんも生まれて、このままずっと
50歳になっても仕事を続けていられるとタカをくくっていた。
ダーリンだってそうだ。
それで退屈して、大きな買い物、家を購入してしまった。
もちろん地域によっては家を借りるより、買ったほうが将来的にずっと
安くつくことも多い。アメリカは日本より住宅ローンの金利が高いし、
十分な頭金が払えないと、30年ローンを払い終えるまでに倍以上の金額を
結果的に払ってしまうケースもほとんどだ。
だからリサーチにリサーチをかさねて、将来的にお得な物件を探し、
ひとつの収入でも十分やりくりできるローン額の家を買うべきだった。
さらに私もダーリンもまったく家の手入れが苦手で、芝の手入れや、修理など
できないので業者に頼んで出費がかさむ。友人の旦那さん達は日曜日にすすんで
家や庭の手入れをしているというのに。。。
そして家を購入して一年も経たないうちに私が失業した。今までのようにアパート
(日本でいうマンション)にいれば管理人さんが何でもやってくれたし、ローン、
保険、家の維持費などはなく、家賃だけだったので、たとえダーリンの息子の
養育費を払っていても、ダーリンの収入だけでやりくりもできた。
そんな自らの誤った判断で抱え込んでしまって身動きがとれなくなり、
さらに震災後は、兄のライフスタイルを見ていると、これが理想的な生き方かもと
おもったものだ。
彼は東京にいるので、被災はしなかった。
大企業に勤続30年。もう20年以上も5万円代の家賃のアパートに住んでいる。
趣味は読書とラジオの基礎英語で勉強すること。PCも数年前に
自分で部品を買って組み立てた。
最近は一人5万円ずつ出し合って仲間とある山にログハウスを立て、
休日はそこに通っている。
別にケチケチ貯めるタイプではなく、それどころか両親を助けたりしながらも
そこそこ貯金はある。家も車も持っていない兄は、失うものも無く、
いたって身軽に生きている。
結婚して家族がいればまた別の人生を歩んでいただろうが、このまま
老人になっても、気の合う仲間達とログハウスで団欒していくことだろう。
私は失業してからというもの、家を購入したことを何度も後悔した。
予算オーバーというだけでなく、風水に詳しいくせに、自分のこととなると、
判断を間違えて風水的にイマイチの家を買ってしまったのだ。
家の真ん中にトイレやキッチン、階段はタブーとされているが、我が家は
まさにトイレ、階段、洗濯所が真ん中に固まっている。
玄関から裏庭に出るガラスの戸が一直線上につながっていてはいけないのに、
まさにその通り。
さらに家の中心から南側に水はタブーなのだが、その方向には池がある。。。
池は家の正面、特に北側はよいが、裏にあるとお金が流れていく。
車庫の上にある部屋も凶だが、そこはダーリンの書斎。寝室に浴室が
くっついていて、クローゼット、浴室、窓とベッドをはさんで一直線上に
つながっているのも凶。。。
これでもかというくらい風水タブーでかたまった我が家。
これってもうまっさかさまに堕ちまくって、自己破産でもするしかないのかしらん?
などと笑うしかなかった。
もちろん家の中心の真ん中のトイレは使用せず、ドアに鏡をつけてその存在を
なくすだとか、家の中心の階段には風鈴をつけて、いつも照明で明るくしておくとか、
風水解決策もあるけれど、電気代も払うのに精一杯で、そんな電気をずっと
つけっぱなしにしておけないし、トイレだってせっかくあるのだから使わなければ。
だからそんな対策もしないまま日々が過ぎいていった。
トイレや玄関の盛り塩もしばらくすると忘れ去られたまま。。。
自動車事故、流産、ぎっくり腰、父の脳梗塞、私の失業、そしてダーリンまで
職を失いかけたところで、次は何が待っているのか半ばなげやり状態であった。
クレジットカードで食料品を買いに行く生活。。。
ママ友達はみんな裕福で、どこかに出かけても、みんながアイスクリームを
食べている中、マメちゃんも欲しいとぐずっても
指をくわえて見ているしかなかった。
貧乏暇なし、チンパンジー育児にも追われ、部屋を片付けようとしても
そのそばからマメちゃんにぐちゃぐちゃにされる。。。
こうしてドン底にいても毎日トイレ掃除したとか、
水まわりだけはきれいにしておいたとか、玄関だけはぴかぴかにしておいたとか、
そんな体験談とか、風水アドバイスを読んでもまったく実行できず。。。
しかしこのドン底から抜け出すことができたのは、いくつか簡単なことを
やっていたからなのかもしれない。
まず、去年の2月から友人にすすめられて新月の祈りと満月のお財布フリフリは毎月
続けてきた。友人も彼女の周りもどんどん臨時収入やら、いい仕事が入ってきたと
驚いているこの二つのおまじない。
毎月、満月の日には中身を全部出したお財布を満月の光にあて、
「今月も臨時収入が入りました、お月様、ありがとうございます。」
と唱えて、お財布を3回フリフリと振るのである。
そして新月の日に自分の願いを9つ紙に「−−−−ようになりました。お月様、
ありがとうございます。」と願いがすでにかなったように書き出すのである。
2つから9つの間だったらいくつ書いても良いそうだが、みんな9つでも
足りないくらいだろう。
最後は「自分と世界の皆が幸せになりました。お月様ありがとうございます。」
と書くのである。 私は毎月、ダーリンにいい仕事が入ること、
彼が幸せになれることは書き続けてきた。もちろんじぶんの仕事や、
マメちゃんの健康、両親の問題などが解決するようにも書いた。
そう、自分や家族が幸せになることを書き忘れると、収入はあがったが、
ストレスにやられるとか、マイナスの問題が起こってしまうのである。
さらに、ボイドタイムと言う時間帯もあって、その時間は新月の日でも
避けなければいけない。私の場合、毎月携帯やメールで教えてくれる
親切な友人がいたので助かった。いろいろなウェブサイトでこの満月や
新月の日にちや時間帯を教えてくれるので、皆さんも検索してみる価値あり。
雑誌「すてきな奥さん」の2010年8月号のお財布風水の記事を読み、
お財布の寿命はせいぜい1年から3年と言うことを知り、仕事をレイオフ
されてから4ヶ月後の自分の誕生日から新しい財布を使い始めた。
色は安定や計画性をもってお金とつきあうことができるようになる紫。
(青などの寒色系もOK)
カード類やレシート、小銭はお札と一緒にしてはいけないので、お札入れの外側に
別にカード入れがついている長財布(お金がゆったりできるように。)を購入。
小銭入れは別に皮製のものを買った。豊かさのシンボルである「牛」革の財布が吉。
柄物やブランドのロゴ入りなどはお金を引き寄せる効果はあるが、散在しがちで
使いこなすのが難しいというので無地の物を買った。なるべく裏地や縫製などが
しっかりしていて、シンプルなものがよい。
セール品など値段から選ぶのではなく、自分が本当に気に入ったものを、
感じのいい店員さんのいるお店で買う。
そして付録の「斉藤一人金運お守りお札」をお財布の中に入れた。
また、ゆほびか2010年9月号で、綾小路有則のスピリチュアルアートの絵や
ポストカードを飾るようになったら運が好転したとか、病気から回復、
彼氏ができた、仕事運アップ、資産価値一億円の家を現在までのアパートと
同じ家賃で借りられるようになったという記事があって、
付録にそれらのポストカードサイズの絵がついていたので、半信半疑で
飾りはしなかったが、たまにじーっと見つめてみたものだ。
さらに別の付録のバシャールのセミナーと本田健のお話が収録されているCDを
撮影に行く途中車の中で聞いた。その帰りにダーリンから例の大学と
電話面接し、手応えがあり、すごい良い条件を提示されたという朗報があった。
そのCDの中では、瞑想トレーニングもあって、設定は自分がある部屋に
入っていくとそこには好きな友人達が集まっていて、その部屋のドアが開くと、
5年後の自分が入ってくるという内容。
そして今の自分にこの5年間の間どんなことを経験してきたかを語ってくれ、
自分を励ましてくれる。最後にぎゅっとハグしてくれてプレゼントをくれる。
そしてその部屋から今の自分の部屋にもどってくる。
プレゼントをあけると何がはいっていたか。。。。?
そのCDをクリスマスシーズンに友人に貸したままなので、内容ははっきり
覚えてないが、たしかそんな内容だった。
斉藤一人さんがツヤツヤの顔は幸運を引き寄せるというので、化粧水の上に
ちょっとだけワセリンを塗って顔に光沢を出したし、さりげなくラメが入っている
シャツや、マニュキュアも塗った。
一方、以前は部屋を散らかしていたダーリンだが、自分のバスルームはきれいに
するようになってきたのだ。その家の主人がトイレ掃除をすると金運がアップすると
言われているが、別に風水に詳しくもないダーリンが自発的に風呂釜や、
便器の掃除を始めたのだった。
おまじないを続けているにもかかわらず、8月から10月末まで仕事もほとんど
入ってこなくなり、ガソリン代も節約してクレージーなマメちゃんと二人で
家でどんよりしていたが、そうすると、益々運は逃げていくのだった。
とにかく毎日明け方までオンラインで最低時給の仕事の応募をしても面接にさえも
こぎつけず、自信もがた落ちで、仕事を失ってから親友と呼んでいたL子やシニアの
マブ達Nさんとも連絡を取らなくなった。というか、こちらからメールしても
留守電を残しても返事は無い。。。この10年間の親交はなんだったのかと
悲しくなるのだった。
でも独女で子供のいない彼女達からすれば、お金がないし、じっとしていられない
2歳児抱えている私とは流行のレストランにもショッピングにも行けないし、
じと〜っとしていて、会っても面白くないのである。
さらに、どこに行っても「世の中不景気ですね〜、はい、私失業しました、お宅も?」
なんて話題にばかりなるから、まさにネガテイブの相乗効果で落ちていく一方という
悪循環なのである。
一方、凶運の家の南に位置する池であるが、秋になると、裏にあった池が降水量が
少なくて干からびて一切水がなくなってしまった。
それと同時に運も上がっていったのだ!
努力の甲斐あってか、10月半ばから2社にパートで採用され、11月からは
週五日のホリデーショー、休日はブランドバッグ屋さん、週一、
カラオケステージ司会、単発のビデオやストーリーテリングの仕事など入ってきて、
じと〜っとはしていられなくなった。行く先々でいろいろな人と会って話し、
アイデアをもらい、運気も上がっていくのだった。
そして今年になって仕事6つかけもちし、ダーリンの好条件の再就職先も決まって
顔から幸せ感がみなぎっていると、10年も連絡をとっていなかった友人から急に
電話やメールがあったり、パーティーに誘われたり、こんどはポジティブの
相乗効果で、どんどん活気に満ちていくのであった。
6つの仕事のうち4つは人からの紹介でゲットした仕事であるから、
やはりじっとしていては何も始まらないということを実感した。
数年前から働いているリゾートのカラオケステージの司会の仕事だって、当時
マッチドットコムで知り合った相手がカラオケ好きということで、
たまたまディナーの後、そこに行って、私が歌ったら、
司会をしていた顔見知りの演出家がスカウトしてくれて、カンパニーの社長に
紹介してくれたのだ。
ブランドバッグ屋さんもパーティー先で知り合った女性がマネージャーを
していたので、紹介してもらった。もちろん彼女が推薦をしてくれたというだけで、
グループ面接の一次、そして店長さんとの個人面接と、2回面接があったわけだが。
さらにおいしい在宅の仕事も、他州の1,2年に一度電話で話す友人に
「私が失業した上に、ダーリンまでも仕事の危機になっちゃってさ〜。」
と、もう開き直って明るく電話で話していたら、
「そういえば、私の友人がこんな在宅の仕事やってたよ。応募してみれば。」
と応募先URLを教えてくれたのだった。それは友人の推薦状も何もなく、
自分で2ページぎっしり売り込みのカバーレターを書いて応募した結果だが、
あの時友人に電話していなかったら、そんな仕事の存在はまったく
知る機会がなかった。
ヴァケーションセールスのテレマーケテイングの仕事も役者仲間の紹介だった。
だから、とにかく自分でやれるだけのことはやって、さらにどんどん外へ出て行ったり、
古い友人と連絡を取ったりしなければ、このご時世、仕事にはありつけないのである。
そんなわけで、持って生まれた運、その年の運、家相、風水、努力など
いろいろな要素がからみあって落っこちたり上がっていったりの人生であるが、
とりあえず、これからはしばらく上昇しそうである。
さて、チワワのユキちゃんの一周忌に3歳の誕生日を迎えた
マメちゃんの成長レポートであるが、正直3歳という実感がわかない。
この前まで赤ちゃんだったマメちゃんがもう3歳?
ということは自分も3年、トシをとったわけである。
2歳まではやれ笑った、アルファベットが読めた、こんなこと言えた、
三輪車に乗れたとかちょっとした進歩が新鮮で驚きと喜びがあったが、
最近はそんな感動も前ほどはわかない。
ある程度しゃべれて当たり前、だいぶ前から身体的にはかなり器用に
なってきていて、特に驚くほどの変化もない。
とにかく仕事の日の朝は、車のチャイルドシートに乗ってくれるまでが
気が遠くなりそうだ。
まずなんでも自分でやらないと気がすまないので時間が3倍はかかる。
そしてお誕生プレゼントのプリンセスの衣装セットをすべて身につけたり、
着替えを3回も繰り返すのでこれまた遅刻ぎりぎりになる。
車にたどり着くまで、草や木に立ち寄りのろのろ歩き、チャイルドシートに
座るまでもノロノロ、シートベルトも自分で締めなきゃ気がすまない。
これ、時間に制限がなければゆっくり時間をかけてやらせてあげたいが、
仕事に行かなきゃいけないママにとっては遅刻しそうで冷や冷やものだ。
託児所では夕方に長くお昼寝をさせてしまうようで、夜はどんなにがんばっても
午前1時近くまで寝付いてくれない(涙)
私がくたくたで眠りかけても私の目をこじ開けるマメちゃん。
遊園地に行った日や、お友達とおもちゃの取り合いをした日は興奮して夜泣きが
2,3回ある。いきなり真夜中に泣き出して、手を天井に差し出し、
「これ、マメちゃんの!これ、マメちゃんの〜!」とか、
「ママ〜〜〜!ママ〜〜〜!」と言うので、
「ママここだよ。」といって
ももをさすってあげても「ママ〜〜!」と泣き続けるのである。
ある日は託児所仲間のハーフジャパニーズのK君のことを話すマメちゃん。
「K君 pushed マメちゃん。」
と、自分の首を押してみせるマメちゃん。翌日は
「マメちゃん pushed K君」
と逆襲の告白。
シッターのSさんによると、K君はシッターさんや三つ子ちゃんみんなのことを
押すらしいが、マメちゃんはまったく穏やかで、そんな行為はしないそう。
さらに翌日、マメちゃんの背中やふくらはぎ、足の裏にマジックで
いくつもの十字架が書かれている! 「これまさか。。。?」というと、
マメちゃん、
「Yeah, K君 did it.」
と言った。お風呂に入って石鹸でごしごし洗ってもとれない。
私もおおざっぱなので、気にしないし、K君のママは友人で、
この託児所を紹介してくれた恩人でもあるので特に何も言わなかった。
シッターのSさんに苦笑しながら、
「K君、マジックでマメちゃんにいたずら書きしたんですね?」というと、
「そうなのよ。色絵ブックとマジック持参できたんだけど、
目を離したすきにマメちゃんにらく書きしちゃってさ。注意したんだけどね。
あの子のママってなんでもやらせ放題だからね。」
と、いたってのん気なSさん。衛生面や安全面ではかなり几帳面な
Sさんなので、ま、落書きくらい仕方ないか。。。
2歳3ヶ月の頃、教えたわけではないが、自分からおむつを脱いで、
トイレに行きだしたマメちゃんであるが、また託児所通いが始まったら
おむつに戻ってしまった。私と一緒の時は家や、外出先でもトイレでしてくれる。
でも託児所にいるときはまったくトイレに行かないようだ。
Sさんがマメちゃんと共に面倒を見ている姪っ子は4歳半になるのに
まだオムツをつけている!
Sさんに「おしっこと言ったらトイレに連れて行ってください」といっても
全然やる気なし。
3歳半のK君のお母さんも、一週間のヴァケーションでせっかくオムツが取れたのに、
戻ってきたらまたオムツに逆戻りしたと不満。
毎朝、ごていねいに、ドレスを着て、頭にはティアラ、そしてブレスレットと指輪に
ハイヒールシューズをはいて託児所に行くマメちゃん。車の中で
「K君 and A君 will say “Wow! Mamechan is so beautiful! “ 」
などといっている。それをSさんに話すと、
「そうなのよ、マメちゃんがドレスアップして現れると彼らそういうのよ。」
え?3歳のK君も2歳のA君もママが日本人のハーフジャパニーズであるが、
こんな年からもう西洋流ナンパ術を身につけている!
ここ3年童謡ばかり聴かされて疲れていたが、最近は「ミュージック聞く!」
とやっと童謡漬けから解放された。彼女のいうミュージックとは、
アースウィンドファイヤー、マイケルジャクソン、ブロードウェイロックミュージカル、
ジュエル、レディ・ガガなどで、足でリズムを取るマメちゃん。
でもダーリンの車では「バッハ聞く!」とクラッシックのリクエストらしい。
就寝時間は遅いが、やっと6〜7時間はまとめて寝てくれるようになった。
危険なものの区別もつくようになったし、すべてのものが高い場所に置かれて
避難所となっていたが、だいぶ所定の位置に置けるようになった。
楽になったものだ。しかし例の引越し先の広い家を下見に行ったとき、
これは広すぎて親子3人では寂しいなあと思った。そういえば、向こうで出会った
多くの人々は軽く子供4〜5人いますって人が多かった。
田舎で娯楽があまりないからどんどん作るのだろうか。
そんなことを考えていると、なんだかまた赤ちゃんが欲しくなってくるのだった。
しかし考えれば考えるほど、やめといたほうがいいと思う。何しろ私もダーリンも
子供好きではないのだ。これから飛行機で、仕事や用事でいろいろな場所に
飛ぶ可能性もあるが、マメちゃんひとりだとまだ身軽だが、もうひとりとなると、
これはかなり難しくなる。また、最近やっとおしゃれを楽しめるようになってきて、
昔のジーンズも入るようになってきたのに、また体系は崩れる。。。
妊娠、出産は相当な覚悟と努力なくしては成し遂げられない。こんな怠慢な私だが、
今思えば、マメちゃんを授かる為にあらゆる努力をした。
リスクも頭に入れながら子宮筋腫の開腹手術を実行した。事前に自己血も
採血しなきゃならなくて、2度も失格で、ステーキやほうれん草や鉄分も
たっぷりとった。そして面倒な妊娠糖尿病ダイエット。。。
今度も確実に帝王切開になる。
卵も年老いて、妊娠できるかわからないし、継続できるか、健康な子が生まれるかも
定かではない。生理は以前は四日くらいで短かったが、今回は一週間すぎても
なかなか終わってくれない。。。これも更年期障害の兆候だろうか?
去年の12月にアメリカのリアリティーTVに出演している、19人子供がいる
45歳の女性が20人目を妊娠していて、男の子か女の子かが判明する
19週目の健診の日に、医師から心拍が見つかりませんと宣告されたニュースが
あった。
自宅で悲しい産声の聞けないお産をし、名前をつけて葬儀を開いた。
その前の赤ちゃんは2,3年前に誕生した時、予定日より4ヶ月早く
未熟児として誕生した。
とにかく1988年から2009年まで毎年出産してきた多産系の彼女も
45歳と言う卵子の老化には勝てなかったと思うと、死産1、流産1の
自分にまたそんなことが起こる確率が高いのではと不安になるのだ。
といってもこのブログの読者さん達はじめ、他にも45歳で健康な赤ちゃんを
出産したという明るいニュースは結構ある。
3人プラス一人養女を抱える45歳の4児のママの友人は言った。
「子供が1歳くらいまでは妊娠や産後のホルモンで次の子が欲しくなって、
そのあとは子供が3歳になってだいぶ楽になった頃また欲しくてたまらなくなったわ。
もっとも4人目は自分の身体で生む自信がなかったから養子縁組をしたんだけど。」
新しい生活が始まってからどのような心境の変化が起こるのか
自分でも興味深いところである。
6つの仕事を、給料の安い順から徐々にけずっていく。それでもまだ4つあり、
なかなか引越しの準備までいかない。
去年は最低時給の仕事の面接にさえもこぎつけず、悶々としていた。それが、
今では惜しまれながら、こちらから辞表を提出している。
まだピンとこないのだが、これから「副学長婦人」としてダーリンと共に
いろいろな行事に出席させられる為、それなりの服装やカバンも
そろえておかなければと、数年ぶりにショッピングを重ねる今日この頃。
頭の中には映画「プリティーウーマン」のテーマが流れ、以前、
高ビーな態度をとったお店に綺麗な格好をして、ショッピングバッグを
いくつも抱えて入り、ジュリア・ロバーツのように
「Big mistake!Big! Huge!」
と店員に言って、お店を去るイメージが頭の中をよぎる。。。
といっても長身で美人なジュリアちゃまとは程遠く、チビのアジア人の自分は
ちょいとおしゃれでお手ごろ価格のお店の冬物特売品コーナーとか、
自分の勤めていたブランドバッグ屋で社員65%割引きを使ったりと、
チープで全然レベルが違うのだが。。。
昔はおしゃれに気を使っていたつもりだったが、いつの間にかそんなこと
忘れてしまっていた。それにこの2年ちょっと、ほとんど笑顔を忘れかけていた。
でも毎日幸せいっぱいで、腹の底からマメちゃんやダーリンと笑っているし、
そうすると、笑う門には福来るで、さらに長い間連絡をとっていなかった友人から
電話やメールがあったり、臨時収入があったり、いい事ずくめなのである。
さて3月。。。ここ数年、3月はいろいろな出来事が起こった月であった。
2008年3月に、愛犬のピグニーが天国に召され、その二日後に
子宮筋腫摘出手術。2009年の3月はマメちゃんが誕生。
2011年の3月は、マメちゃんの2歳の誕生日の朝に、
17歳半のチワワのユキちゃんが眠るようにして亡くなっていた。
そして東日本の大震災。。。
あれから一年。人生にとって何が一番大切なのか常に考えさせられてきた。
人間は何も持たず、裸でおぎゃーと生まれてくるし、死ぬ時も同じだ。
物質的な何かを所有しているかということではなく、どんな経験を積んで、
何を学んだかが重要なものとして残る。
私は仕事にも恵まれ、待望の赤ちゃんも生まれて、このままずっと
50歳になっても仕事を続けていられるとタカをくくっていた。
ダーリンだってそうだ。
それで退屈して、大きな買い物、家を購入してしまった。
もちろん地域によっては家を借りるより、買ったほうが将来的にずっと
安くつくことも多い。アメリカは日本より住宅ローンの金利が高いし、
十分な頭金が払えないと、30年ローンを払い終えるまでに倍以上の金額を
結果的に払ってしまうケースもほとんどだ。
だからリサーチにリサーチをかさねて、将来的にお得な物件を探し、
ひとつの収入でも十分やりくりできるローン額の家を買うべきだった。
さらに私もダーリンもまったく家の手入れが苦手で、芝の手入れや、修理など
できないので業者に頼んで出費がかさむ。友人の旦那さん達は日曜日にすすんで
家や庭の手入れをしているというのに。。。
そして家を購入して一年も経たないうちに私が失業した。今までのようにアパート
(日本でいうマンション)にいれば管理人さんが何でもやってくれたし、ローン、
保険、家の維持費などはなく、家賃だけだったので、たとえダーリンの息子の
養育費を払っていても、ダーリンの収入だけでやりくりもできた。
そんな自らの誤った判断で抱え込んでしまって身動きがとれなくなり、
さらに震災後は、兄のライフスタイルを見ていると、これが理想的な生き方かもと
おもったものだ。
彼は東京にいるので、被災はしなかった。
大企業に勤続30年。もう20年以上も5万円代の家賃のアパートに住んでいる。
趣味は読書とラジオの基礎英語で勉強すること。PCも数年前に
自分で部品を買って組み立てた。
最近は一人5万円ずつ出し合って仲間とある山にログハウスを立て、
休日はそこに通っている。
別にケチケチ貯めるタイプではなく、それどころか両親を助けたりしながらも
そこそこ貯金はある。家も車も持っていない兄は、失うものも無く、
いたって身軽に生きている。
結婚して家族がいればまた別の人生を歩んでいただろうが、このまま
老人になっても、気の合う仲間達とログハウスで団欒していくことだろう。
私は失業してからというもの、家を購入したことを何度も後悔した。
予算オーバーというだけでなく、風水に詳しいくせに、自分のこととなると、
判断を間違えて風水的にイマイチの家を買ってしまったのだ。
家の真ん中にトイレやキッチン、階段はタブーとされているが、我が家は
まさにトイレ、階段、洗濯所が真ん中に固まっている。
玄関から裏庭に出るガラスの戸が一直線上につながっていてはいけないのに、
まさにその通り。
さらに家の中心から南側に水はタブーなのだが、その方向には池がある。。。
池は家の正面、特に北側はよいが、裏にあるとお金が流れていく。
車庫の上にある部屋も凶だが、そこはダーリンの書斎。寝室に浴室が
くっついていて、クローゼット、浴室、窓とベッドをはさんで一直線上に
つながっているのも凶。。。
これでもかというくらい風水タブーでかたまった我が家。
これってもうまっさかさまに堕ちまくって、自己破産でもするしかないのかしらん?
などと笑うしかなかった。
もちろん家の中心の真ん中のトイレは使用せず、ドアに鏡をつけてその存在を
なくすだとか、家の中心の階段には風鈴をつけて、いつも照明で明るくしておくとか、
風水解決策もあるけれど、電気代も払うのに精一杯で、そんな電気をずっと
つけっぱなしにしておけないし、トイレだってせっかくあるのだから使わなければ。
だからそんな対策もしないまま日々が過ぎいていった。
トイレや玄関の盛り塩もしばらくすると忘れ去られたまま。。。
自動車事故、流産、ぎっくり腰、父の脳梗塞、私の失業、そしてダーリンまで
職を失いかけたところで、次は何が待っているのか半ばなげやり状態であった。
クレジットカードで食料品を買いに行く生活。。。
ママ友達はみんな裕福で、どこかに出かけても、みんながアイスクリームを
食べている中、マメちゃんも欲しいとぐずっても
指をくわえて見ているしかなかった。
貧乏暇なし、チンパンジー育児にも追われ、部屋を片付けようとしても
そのそばからマメちゃんにぐちゃぐちゃにされる。。。
こうしてドン底にいても毎日トイレ掃除したとか、
水まわりだけはきれいにしておいたとか、玄関だけはぴかぴかにしておいたとか、
そんな体験談とか、風水アドバイスを読んでもまったく実行できず。。。
しかしこのドン底から抜け出すことができたのは、いくつか簡単なことを
やっていたからなのかもしれない。
まず、去年の2月から友人にすすめられて新月の祈りと満月のお財布フリフリは毎月
続けてきた。友人も彼女の周りもどんどん臨時収入やら、いい仕事が入ってきたと
驚いているこの二つのおまじない。
毎月、満月の日には中身を全部出したお財布を満月の光にあて、
「今月も臨時収入が入りました、お月様、ありがとうございます。」
と唱えて、お財布を3回フリフリと振るのである。
そして新月の日に自分の願いを9つ紙に「−−−−ようになりました。お月様、
ありがとうございます。」と願いがすでにかなったように書き出すのである。
2つから9つの間だったらいくつ書いても良いそうだが、みんな9つでも
足りないくらいだろう。
最後は「自分と世界の皆が幸せになりました。お月様ありがとうございます。」
と書くのである。 私は毎月、ダーリンにいい仕事が入ること、
彼が幸せになれることは書き続けてきた。もちろんじぶんの仕事や、
マメちゃんの健康、両親の問題などが解決するようにも書いた。
そう、自分や家族が幸せになることを書き忘れると、収入はあがったが、
ストレスにやられるとか、マイナスの問題が起こってしまうのである。
さらに、ボイドタイムと言う時間帯もあって、その時間は新月の日でも
避けなければいけない。私の場合、毎月携帯やメールで教えてくれる
親切な友人がいたので助かった。いろいろなウェブサイトでこの満月や
新月の日にちや時間帯を教えてくれるので、皆さんも検索してみる価値あり。
雑誌「すてきな奥さん」の2010年8月号のお財布風水の記事を読み、
お財布の寿命はせいぜい1年から3年と言うことを知り、仕事をレイオフ
されてから4ヶ月後の自分の誕生日から新しい財布を使い始めた。
色は安定や計画性をもってお金とつきあうことができるようになる紫。
(青などの寒色系もOK)
カード類やレシート、小銭はお札と一緒にしてはいけないので、お札入れの外側に
別にカード入れがついている長財布(お金がゆったりできるように。)を購入。
小銭入れは別に皮製のものを買った。豊かさのシンボルである「牛」革の財布が吉。
柄物やブランドのロゴ入りなどはお金を引き寄せる効果はあるが、散在しがちで
使いこなすのが難しいというので無地の物を買った。なるべく裏地や縫製などが
しっかりしていて、シンプルなものがよい。
セール品など値段から選ぶのではなく、自分が本当に気に入ったものを、
感じのいい店員さんのいるお店で買う。
そして付録の「斉藤一人金運お守りお札」をお財布の中に入れた。
また、ゆほびか2010年9月号で、綾小路有則のスピリチュアルアートの絵や
ポストカードを飾るようになったら運が好転したとか、病気から回復、
彼氏ができた、仕事運アップ、資産価値一億円の家を現在までのアパートと
同じ家賃で借りられるようになったという記事があって、
付録にそれらのポストカードサイズの絵がついていたので、半信半疑で
飾りはしなかったが、たまにじーっと見つめてみたものだ。
さらに別の付録のバシャールのセミナーと本田健のお話が収録されているCDを
撮影に行く途中車の中で聞いた。その帰りにダーリンから例の大学と
電話面接し、手応えがあり、すごい良い条件を提示されたという朗報があった。
そのCDの中では、瞑想トレーニングもあって、設定は自分がある部屋に
入っていくとそこには好きな友人達が集まっていて、その部屋のドアが開くと、
5年後の自分が入ってくるという内容。
そして今の自分にこの5年間の間どんなことを経験してきたかを語ってくれ、
自分を励ましてくれる。最後にぎゅっとハグしてくれてプレゼントをくれる。
そしてその部屋から今の自分の部屋にもどってくる。
プレゼントをあけると何がはいっていたか。。。。?
そのCDをクリスマスシーズンに友人に貸したままなので、内容ははっきり
覚えてないが、たしかそんな内容だった。
斉藤一人さんがツヤツヤの顔は幸運を引き寄せるというので、化粧水の上に
ちょっとだけワセリンを塗って顔に光沢を出したし、さりげなくラメが入っている
シャツや、マニュキュアも塗った。
一方、以前は部屋を散らかしていたダーリンだが、自分のバスルームはきれいに
するようになってきたのだ。その家の主人がトイレ掃除をすると金運がアップすると
言われているが、別に風水に詳しくもないダーリンが自発的に風呂釜や、
便器の掃除を始めたのだった。
おまじないを続けているにもかかわらず、8月から10月末まで仕事もほとんど
入ってこなくなり、ガソリン代も節約してクレージーなマメちゃんと二人で
家でどんよりしていたが、そうすると、益々運は逃げていくのだった。
とにかく毎日明け方までオンラインで最低時給の仕事の応募をしても面接にさえも
こぎつけず、自信もがた落ちで、仕事を失ってから親友と呼んでいたL子やシニアの
マブ達Nさんとも連絡を取らなくなった。というか、こちらからメールしても
留守電を残しても返事は無い。。。この10年間の親交はなんだったのかと
悲しくなるのだった。
でも独女で子供のいない彼女達からすれば、お金がないし、じっとしていられない
2歳児抱えている私とは流行のレストランにもショッピングにも行けないし、
じと〜っとしていて、会っても面白くないのである。
さらに、どこに行っても「世の中不景気ですね〜、はい、私失業しました、お宅も?」
なんて話題にばかりなるから、まさにネガテイブの相乗効果で落ちていく一方という
悪循環なのである。
一方、凶運の家の南に位置する池であるが、秋になると、裏にあった池が降水量が
少なくて干からびて一切水がなくなってしまった。
それと同時に運も上がっていったのだ!
努力の甲斐あってか、10月半ばから2社にパートで採用され、11月からは
週五日のホリデーショー、休日はブランドバッグ屋さん、週一、
カラオケステージ司会、単発のビデオやストーリーテリングの仕事など入ってきて、
じと〜っとはしていられなくなった。行く先々でいろいろな人と会って話し、
アイデアをもらい、運気も上がっていくのだった。
そして今年になって仕事6つかけもちし、ダーリンの好条件の再就職先も決まって
顔から幸せ感がみなぎっていると、10年も連絡をとっていなかった友人から急に
電話やメールがあったり、パーティーに誘われたり、こんどはポジティブの
相乗効果で、どんどん活気に満ちていくのであった。
6つの仕事のうち4つは人からの紹介でゲットした仕事であるから、
やはりじっとしていては何も始まらないということを実感した。
数年前から働いているリゾートのカラオケステージの司会の仕事だって、当時
マッチドットコムで知り合った相手がカラオケ好きということで、
たまたまディナーの後、そこに行って、私が歌ったら、
司会をしていた顔見知りの演出家がスカウトしてくれて、カンパニーの社長に
紹介してくれたのだ。
ブランドバッグ屋さんもパーティー先で知り合った女性がマネージャーを
していたので、紹介してもらった。もちろん彼女が推薦をしてくれたというだけで、
グループ面接の一次、そして店長さんとの個人面接と、2回面接があったわけだが。
さらにおいしい在宅の仕事も、他州の1,2年に一度電話で話す友人に
「私が失業した上に、ダーリンまでも仕事の危機になっちゃってさ〜。」
と、もう開き直って明るく電話で話していたら、
「そういえば、私の友人がこんな在宅の仕事やってたよ。応募してみれば。」
と応募先URLを教えてくれたのだった。それは友人の推薦状も何もなく、
自分で2ページぎっしり売り込みのカバーレターを書いて応募した結果だが、
あの時友人に電話していなかったら、そんな仕事の存在はまったく
知る機会がなかった。
ヴァケーションセールスのテレマーケテイングの仕事も役者仲間の紹介だった。
だから、とにかく自分でやれるだけのことはやって、さらにどんどん外へ出て行ったり、
古い友人と連絡を取ったりしなければ、このご時世、仕事にはありつけないのである。
そんなわけで、持って生まれた運、その年の運、家相、風水、努力など
いろいろな要素がからみあって落っこちたり上がっていったりの人生であるが、
とりあえず、これからはしばらく上昇しそうである。
さて、チワワのユキちゃんの一周忌に3歳の誕生日を迎えた
マメちゃんの成長レポートであるが、正直3歳という実感がわかない。
この前まで赤ちゃんだったマメちゃんがもう3歳?
ということは自分も3年、トシをとったわけである。
2歳まではやれ笑った、アルファベットが読めた、こんなこと言えた、
三輪車に乗れたとかちょっとした進歩が新鮮で驚きと喜びがあったが、
最近はそんな感動も前ほどはわかない。
ある程度しゃべれて当たり前、だいぶ前から身体的にはかなり器用に
なってきていて、特に驚くほどの変化もない。
とにかく仕事の日の朝は、車のチャイルドシートに乗ってくれるまでが
気が遠くなりそうだ。
まずなんでも自分でやらないと気がすまないので時間が3倍はかかる。
そしてお誕生プレゼントのプリンセスの衣装セットをすべて身につけたり、
着替えを3回も繰り返すのでこれまた遅刻ぎりぎりになる。
車にたどり着くまで、草や木に立ち寄りのろのろ歩き、チャイルドシートに
座るまでもノロノロ、シートベルトも自分で締めなきゃ気がすまない。
これ、時間に制限がなければゆっくり時間をかけてやらせてあげたいが、
仕事に行かなきゃいけないママにとっては遅刻しそうで冷や冷やものだ。
託児所では夕方に長くお昼寝をさせてしまうようで、夜はどんなにがんばっても
午前1時近くまで寝付いてくれない(涙)
私がくたくたで眠りかけても私の目をこじ開けるマメちゃん。
遊園地に行った日や、お友達とおもちゃの取り合いをした日は興奮して夜泣きが
2,3回ある。いきなり真夜中に泣き出して、手を天井に差し出し、
「これ、マメちゃんの!これ、マメちゃんの〜!」とか、
「ママ〜〜〜!ママ〜〜〜!」と言うので、
「ママここだよ。」といって
ももをさすってあげても「ママ〜〜!」と泣き続けるのである。
ある日は託児所仲間のハーフジャパニーズのK君のことを話すマメちゃん。
「K君 pushed マメちゃん。」
と、自分の首を押してみせるマメちゃん。翌日は
「マメちゃん pushed K君」
と逆襲の告白。
シッターのSさんによると、K君はシッターさんや三つ子ちゃんみんなのことを
押すらしいが、マメちゃんはまったく穏やかで、そんな行為はしないそう。
さらに翌日、マメちゃんの背中やふくらはぎ、足の裏にマジックで
いくつもの十字架が書かれている! 「これまさか。。。?」というと、
マメちゃん、
「Yeah, K君 did it.」
と言った。お風呂に入って石鹸でごしごし洗ってもとれない。
私もおおざっぱなので、気にしないし、K君のママは友人で、
この託児所を紹介してくれた恩人でもあるので特に何も言わなかった。
シッターのSさんに苦笑しながら、
「K君、マジックでマメちゃんにいたずら書きしたんですね?」というと、
「そうなのよ。色絵ブックとマジック持参できたんだけど、
目を離したすきにマメちゃんにらく書きしちゃってさ。注意したんだけどね。
あの子のママってなんでもやらせ放題だからね。」
と、いたってのん気なSさん。衛生面や安全面ではかなり几帳面な
Sさんなので、ま、落書きくらい仕方ないか。。。
2歳3ヶ月の頃、教えたわけではないが、自分からおむつを脱いで、
トイレに行きだしたマメちゃんであるが、また託児所通いが始まったら
おむつに戻ってしまった。私と一緒の時は家や、外出先でもトイレでしてくれる。
でも託児所にいるときはまったくトイレに行かないようだ。
Sさんがマメちゃんと共に面倒を見ている姪っ子は4歳半になるのに
まだオムツをつけている!
Sさんに「おしっこと言ったらトイレに連れて行ってください」といっても
全然やる気なし。
3歳半のK君のお母さんも、一週間のヴァケーションでせっかくオムツが取れたのに、
戻ってきたらまたオムツに逆戻りしたと不満。
毎朝、ごていねいに、ドレスを着て、頭にはティアラ、そしてブレスレットと指輪に
ハイヒールシューズをはいて託児所に行くマメちゃん。車の中で
「K君 and A君 will say “Wow! Mamechan is so beautiful! “ 」
などといっている。それをSさんに話すと、
「そうなのよ、マメちゃんがドレスアップして現れると彼らそういうのよ。」
え?3歳のK君も2歳のA君もママが日本人のハーフジャパニーズであるが、
こんな年からもう西洋流ナンパ術を身につけている!
ここ3年童謡ばかり聴かされて疲れていたが、最近は「ミュージック聞く!」
とやっと童謡漬けから解放された。彼女のいうミュージックとは、
アースウィンドファイヤー、マイケルジャクソン、ブロードウェイロックミュージカル、
ジュエル、レディ・ガガなどで、足でリズムを取るマメちゃん。
でもダーリンの車では「バッハ聞く!」とクラッシックのリクエストらしい。
就寝時間は遅いが、やっと6〜7時間はまとめて寝てくれるようになった。
危険なものの区別もつくようになったし、すべてのものが高い場所に置かれて
避難所となっていたが、だいぶ所定の位置に置けるようになった。
楽になったものだ。しかし例の引越し先の広い家を下見に行ったとき、
これは広すぎて親子3人では寂しいなあと思った。そういえば、向こうで出会った
多くの人々は軽く子供4〜5人いますって人が多かった。
田舎で娯楽があまりないからどんどん作るのだろうか。
そんなことを考えていると、なんだかまた赤ちゃんが欲しくなってくるのだった。
しかし考えれば考えるほど、やめといたほうがいいと思う。何しろ私もダーリンも
子供好きではないのだ。これから飛行機で、仕事や用事でいろいろな場所に
飛ぶ可能性もあるが、マメちゃんひとりだとまだ身軽だが、もうひとりとなると、
これはかなり難しくなる。また、最近やっとおしゃれを楽しめるようになってきて、
昔のジーンズも入るようになってきたのに、また体系は崩れる。。。
妊娠、出産は相当な覚悟と努力なくしては成し遂げられない。こんな怠慢な私だが、
今思えば、マメちゃんを授かる為にあらゆる努力をした。
リスクも頭に入れながら子宮筋腫の開腹手術を実行した。事前に自己血も
採血しなきゃならなくて、2度も失格で、ステーキやほうれん草や鉄分も
たっぷりとった。そして面倒な妊娠糖尿病ダイエット。。。
今度も確実に帝王切開になる。
卵も年老いて、妊娠できるかわからないし、継続できるか、健康な子が生まれるかも
定かではない。生理は以前は四日くらいで短かったが、今回は一週間すぎても
なかなか終わってくれない。。。これも更年期障害の兆候だろうか?
去年の12月にアメリカのリアリティーTVに出演している、19人子供がいる
45歳の女性が20人目を妊娠していて、男の子か女の子かが判明する
19週目の健診の日に、医師から心拍が見つかりませんと宣告されたニュースが
あった。
自宅で悲しい産声の聞けないお産をし、名前をつけて葬儀を開いた。
その前の赤ちゃんは2,3年前に誕生した時、予定日より4ヶ月早く
未熟児として誕生した。
とにかく1988年から2009年まで毎年出産してきた多産系の彼女も
45歳と言う卵子の老化には勝てなかったと思うと、死産1、流産1の
自分にまたそんなことが起こる確率が高いのではと不安になるのだ。
といってもこのブログの読者さん達はじめ、他にも45歳で健康な赤ちゃんを
出産したという明るいニュースは結構ある。
3人プラス一人養女を抱える45歳の4児のママの友人は言った。
「子供が1歳くらいまでは妊娠や産後のホルモンで次の子が欲しくなって、
そのあとは子供が3歳になってだいぶ楽になった頃また欲しくてたまらなくなったわ。
もっとも4人目は自分の身体で生む自信がなかったから養子縁組をしたんだけど。」
新しい生活が始まってからどのような心境の変化が起こるのか
自分でも興味深いところである。