40代での結婚&高齢出産!(閉経後の更年期バトル編)

アメリカ在住歴26年、50歳。3年間のネットお見合い婚活を経て、40歳で国際結婚。すぐに妊娠するも8ヶ月目にして突然の死産!子宮筋腫開腹手術、妊娠糖尿病を経て、42歳でめでたく女児出産。『赤ちゃんのドレイ』時代を終え、育児は楽になったものの閉経後の更年期症状と戦う毎日。

占い、スピリチュアル

ドン底生活から抜け出す為の幸運を呼ぶおまじないとは?(母45歳、マメちゃん3歳のお誕生日)

他州への引越しも5月にせまり、週7日働いている場合ではなくなってきたので、
6つの仕事を、給料の安い順から徐々にけずっていく。それでもまだ4つあり、
なかなか引越しの準備までいかない。

去年は最低時給の仕事の面接にさえもこぎつけず、悶々としていた。それが、
今では惜しまれながら、こちらから辞表を提出している。

まだピンとこないのだが、これから「副学長婦人」としてダーリンと共に
いろいろな行事に出席させられる為、それなりの服装やカバンも
そろえておかなければと、数年ぶりにショッピングを重ねる今日この頃。

頭の中には映画「プリティーウーマン」のテーマが流れ、以前、
高ビーな態度をとったお店に綺麗な格好をして、ショッピングバッグを
いくつも抱えて入り、ジュリア・ロバーツのように

「Big mistake!Big! Huge!」

と店員に言って、お店を去るイメージが頭の中をよぎる。。。 

といっても長身で美人なジュリアちゃまとは程遠く、チビのアジア人の自分は
ちょいとおしゃれでお手ごろ価格のお店の冬物特売品コーナーとか、
自分の勤めていたブランドバッグ屋で社員65%割引きを使ったりと、
チープで全然レベルが違うのだが。。。


昔はおしゃれに気を使っていたつもりだったが、いつの間にかそんなこと
忘れてしまっていた。それにこの2年ちょっと、ほとんど笑顔を忘れかけていた。
でも毎日幸せいっぱいで、腹の底からマメちゃんやダーリンと笑っているし、
そうすると、笑う門には福来るで、さらに長い間連絡をとっていなかった友人から
電話やメールがあったり、臨時収入があったり、いい事ずくめなのである。


さて3月。。。ここ数年、3月はいろいろな出来事が起こった月であった。

2008年3月に、愛犬のピグニーが天国に召され、その二日後に
子宮筋腫摘出手術。2009年の3月はマメちゃんが誕生。
2011年の3月は、マメちゃんの2歳の誕生日の朝に、
17歳半のチワワのユキちゃんが眠るようにして亡くなっていた。

そして東日本の大震災。。。

あれから一年。人生にとって何が一番大切なのか常に考えさせられてきた。

人間は何も持たず、裸でおぎゃーと生まれてくるし、死ぬ時も同じだ。
物質的な何かを所有しているかということではなく、どんな経験を積んで、
何を学んだかが重要なものとして残る。

私は仕事にも恵まれ、待望の赤ちゃんも生まれて、このままずっと
50歳になっても仕事を続けていられるとタカをくくっていた。
ダーリンだってそうだ。

それで退屈して、大きな買い物、家を購入してしまった。

もちろん地域によっては家を借りるより、買ったほうが将来的にずっと
安くつくことも多い。アメリカは日本より住宅ローンの金利が高いし、
十分な頭金が払えないと、30年ローンを払い終えるまでに倍以上の金額を
結果的に払ってしまうケースもほとんどだ。

だからリサーチにリサーチをかさねて、将来的にお得な物件を探し、
ひとつの収入でも十分やりくりできるローン額の家を買うべきだった。

さらに私もダーリンもまったく家の手入れが苦手で、芝の手入れや、修理など
できないので業者に頼んで出費がかさむ。友人の旦那さん達は日曜日にすすんで
家や庭の手入れをしているというのに。。。

そして家を購入して一年も経たないうちに私が失業した。今までのようにアパート
(日本でいうマンション)にいれば管理人さんが何でもやってくれたし、ローン、
保険、家の維持費などはなく、家賃だけだったので、たとえダーリンの息子の
養育費を払っていても、ダーリンの収入だけでやりくりもできた。

そんな自らの誤った判断で抱え込んでしまって身動きがとれなくなり、
さらに震災後は、兄のライフスタイルを見ていると、これが理想的な生き方かもと
おもったものだ。

彼は東京にいるので、被災はしなかった。
大企業に勤続30年。もう20年以上も5万円代の家賃のアパートに住んでいる。
趣味は読書とラジオの基礎英語で勉強すること。PCも数年前に
自分で部品を買って組み立てた。

最近は一人5万円ずつ出し合って仲間とある山にログハウスを立て、
休日はそこに通っている。

別にケチケチ貯めるタイプではなく、それどころか両親を助けたりしながらも
そこそこ貯金はある。家も車も持っていない兄は、失うものも無く、
いたって身軽に生きている。

結婚して家族がいればまた別の人生を歩んでいただろうが、このまま
老人になっても、気の合う仲間達とログハウスで団欒していくことだろう。

私は失業してからというもの、家を購入したことを何度も後悔した。
予算オーバーというだけでなく、風水に詳しいくせに、自分のこととなると、
判断を間違えて風水的にイマイチの家を買ってしまったのだ。

家の真ん中にトイレやキッチン、階段はタブーとされているが、我が家は
まさにトイレ、階段、洗濯所が真ん中に固まっている。

玄関から裏庭に出るガラスの戸が一直線上につながっていてはいけないのに、
まさにその通り。

さらに家の中心から南側に水はタブーなのだが、その方向には池がある。。。
池は家の正面、特に北側はよいが、裏にあるとお金が流れていく。

車庫の上にある部屋も凶だが、そこはダーリンの書斎。寝室に浴室が
くっついていて、クローゼット、浴室、窓とベッドをはさんで一直線上に
つながっているのも凶。。。

これでもかというくらい風水タブーでかたまった我が家。
これってもうまっさかさまに堕ちまくって、自己破産でもするしかないのかしらん? 
などと笑うしかなかった。

もちろん家の中心の真ん中のトイレは使用せず、ドアに鏡をつけてその存在を
なくすだとか、家の中心の階段には風鈴をつけて、いつも照明で明るくしておくとか、
風水解決策もあるけれど、電気代も払うのに精一杯で、そんな電気をずっと
つけっぱなしにしておけないし、トイレだってせっかくあるのだから使わなければ。

だからそんな対策もしないまま日々が過ぎいていった。
トイレや玄関の盛り塩もしばらくすると忘れ去られたまま。。。

自動車事故、流産、ぎっくり腰、父の脳梗塞、私の失業、そしてダーリンまで
職を失いかけたところで、次は何が待っているのか半ばなげやり状態であった。

クレジットカードで食料品を買いに行く生活。。。
ママ友達はみんな裕福で、どこかに出かけても、みんながアイスクリームを
食べている中、マメちゃんも欲しいとぐずっても
指をくわえて見ているしかなかった。

貧乏暇なし、チンパンジー育児にも追われ、部屋を片付けようとしても
そのそばからマメちゃんにぐちゃぐちゃにされる。。。

こうしてドン底にいても毎日トイレ掃除したとか、
水まわりだけはきれいにしておいたとか、玄関だけはぴかぴかにしておいたとか、
そんな体験談とか、風水アドバイスを読んでもまったく実行できず。。。

しかしこのドン底から抜け出すことができたのは、いくつか簡単なことを
やっていたからなのかもしれない。

まず、去年の2月から友人にすすめられて新月の祈りと満月のお財布フリフリは毎月
続けてきた。友人も彼女の周りもどんどん臨時収入やら、いい仕事が入ってきたと
驚いているこの二つのおまじない。 

毎月、満月の日には中身を全部出したお財布を満月の光にあて、
「今月も臨時収入が入りました、お月様、ありがとうございます。」
と唱えて、お財布を3回フリフリと振るのである。

そして新月の日に自分の願いを9つ紙に「−−−−ようになりました。お月様、
ありがとうございます。」と願いがすでにかなったように書き出すのである。
2つから9つの間だったらいくつ書いても良いそうだが、みんな9つでも
足りないくらいだろう。

最後は「自分と世界の皆が幸せになりました。お月様ありがとうございます。」
と書くのである。 私は毎月、ダーリンにいい仕事が入ること、
彼が幸せになれることは書き続けてきた。もちろんじぶんの仕事や、
マメちゃんの健康、両親の問題などが解決するようにも書いた。

そう、自分や家族が幸せになることを書き忘れると、収入はあがったが、
ストレスにやられるとか、マイナスの問題が起こってしまうのである。


さらに、ボイドタイムと言う時間帯もあって、その時間は新月の日でも
避けなければいけない。私の場合、毎月携帯やメールで教えてくれる
親切な友人がいたので助かった。いろいろなウェブサイトでこの満月や
新月の日にちや時間帯を教えてくれるので、皆さんも検索してみる価値あり。


雑誌「すてきな奥さん」の2010年8月号のお財布風水の記事を読み、
お財布の寿命はせいぜい1年から3年と言うことを知り、仕事をレイオフ
されてから4ヶ月後の自分の誕生日から新しい財布を使い始めた。

色は安定や計画性をもってお金とつきあうことができるようになる紫。
(青などの寒色系もOK)

カード類やレシート、小銭はお札と一緒にしてはいけないので、お札入れの外側に
別にカード入れがついている長財布(お金がゆったりできるように。)を購入。

小銭入れは別に皮製のものを買った。豊かさのシンボルである「牛」革の財布が吉。

柄物やブランドのロゴ入りなどはお金を引き寄せる効果はあるが、散在しがちで
使いこなすのが難しいというので無地の物を買った。なるべく裏地や縫製などが
しっかりしていて、シンプルなものがよい。

セール品など値段から選ぶのではなく、自分が本当に気に入ったものを、
感じのいい店員さんのいるお店で買う。

そして付録の「斉藤一人金運お守りお札」をお財布の中に入れた。

また、ゆほびか2010年9月号で、綾小路有則のスピリチュアルアートの絵や
ポストカードを飾るようになったら運が好転したとか、病気から回復、
彼氏ができた、仕事運アップ、資産価値一億円の家を現在までのアパートと
同じ家賃で借りられるようになったという記事があって、
付録にそれらのポストカードサイズの絵がついていたので、半信半疑で
飾りはしなかったが、たまにじーっと見つめてみたものだ。

さらに別の付録のバシャールのセミナーと本田健のお話が収録されているCDを
撮影に行く途中車の中で聞いた。その帰りにダーリンから例の大学と
電話面接し、手応えがあり、すごい良い条件を提示されたという朗報があった。 

そのCDの中では、瞑想トレーニングもあって、設定は自分がある部屋に
入っていくとそこには好きな友人達が集まっていて、その部屋のドアが開くと、
5年後の自分が入ってくるという内容。
そして今の自分にこの5年間の間どんなことを経験してきたかを語ってくれ、
自分を励ましてくれる。最後にぎゅっとハグしてくれてプレゼントをくれる。
そしてその部屋から今の自分の部屋にもどってくる。
プレゼントをあけると何がはいっていたか。。。。? 

そのCDをクリスマスシーズンに友人に貸したままなので、内容ははっきり
覚えてないが、たしかそんな内容だった。

斉藤一人さんがツヤツヤの顔は幸運を引き寄せるというので、化粧水の上に
ちょっとだけワセリンを塗って顔に光沢を出したし、さりげなくラメが入っている
シャツや、マニュキュアも塗った。

一方、以前は部屋を散らかしていたダーリンだが、自分のバスルームはきれいに
するようになってきたのだ。その家の主人がトイレ掃除をすると金運がアップすると
言われているが、別に風水に詳しくもないダーリンが自発的に風呂釜や、
便器の掃除を始めたのだった。

おまじないを続けているにもかかわらず、8月から10月末まで仕事もほとんど
入ってこなくなり、ガソリン代も節約してクレージーなマメちゃんと二人で
家でどんよりしていたが、そうすると、益々運は逃げていくのだった。

とにかく毎日明け方までオンラインで最低時給の仕事の応募をしても面接にさえも
こぎつけず、自信もがた落ちで、仕事を失ってから親友と呼んでいたL子やシニアの
マブ達Nさんとも連絡を取らなくなった。というか、こちらからメールしても
留守電を残しても返事は無い。。。この10年間の親交はなんだったのかと
悲しくなるのだった。

でも独女で子供のいない彼女達からすれば、お金がないし、じっとしていられない
2歳児抱えている私とは流行のレストランにもショッピングにも行けないし、
じと〜っとしていて、会っても面白くないのである。

さらに、どこに行っても「世の中不景気ですね〜、はい、私失業しました、お宅も?」
なんて話題にばかりなるから、まさにネガテイブの相乗効果で落ちていく一方という
悪循環なのである。


一方、凶運の家の南に位置する池であるが、秋になると、裏にあった池が降水量が
少なくて干からびて一切水がなくなってしまった。
それと同時に運も上がっていったのだ!

努力の甲斐あってか、10月半ばから2社にパートで採用され、11月からは
週五日のホリデーショー、休日はブランドバッグ屋さん、週一、
カラオケステージ司会、単発のビデオやストーリーテリングの仕事など入ってきて、
じと〜っとはしていられなくなった。行く先々でいろいろな人と会って話し、
アイデアをもらい、運気も上がっていくのだった。

そして今年になって仕事6つかけもちし、ダーリンの好条件の再就職先も決まって
顔から幸せ感がみなぎっていると、10年も連絡をとっていなかった友人から急に
電話やメールがあったり、パーティーに誘われたり、こんどはポジティブの
相乗効果で、どんどん活気に満ちていくのであった。

6つの仕事のうち4つは人からの紹介でゲットした仕事であるから、
やはりじっとしていては何も始まらないということを実感した。

数年前から働いているリゾートのカラオケステージの司会の仕事だって、当時
マッチドットコムで知り合った相手がカラオケ好きということで、
たまたまディナーの後、そこに行って、私が歌ったら、
司会をしていた顔見知りの演出家がスカウトしてくれて、カンパニーの社長に
紹介してくれたのだ。

ブランドバッグ屋さんもパーティー先で知り合った女性がマネージャーを
していたので、紹介してもらった。もちろん彼女が推薦をしてくれたというだけで、
グループ面接の一次、そして店長さんとの個人面接と、2回面接があったわけだが。

さらにおいしい在宅の仕事も、他州の1,2年に一度電話で話す友人に

「私が失業した上に、ダーリンまでも仕事の危機になっちゃってさ〜。」

と、もう開き直って明るく電話で話していたら、

「そういえば、私の友人がこんな在宅の仕事やってたよ。応募してみれば。」

と応募先URLを教えてくれたのだった。それは友人の推薦状も何もなく、
自分で2ページぎっしり売り込みのカバーレターを書いて応募した結果だが、
あの時友人に電話していなかったら、そんな仕事の存在はまったく
知る機会がなかった。

ヴァケーションセールスのテレマーケテイングの仕事も役者仲間の紹介だった。

だから、とにかく自分でやれるだけのことはやって、さらにどんどん外へ出て行ったり、
古い友人と連絡を取ったりしなければ、このご時世、仕事にはありつけないのである。

そんなわけで、持って生まれた運、その年の運、家相、風水、努力など
いろいろな要素がからみあって落っこちたり上がっていったりの人生であるが、
とりあえず、これからはしばらく上昇しそうである。

さて、チワワのユキちゃんの一周忌に3歳の誕生日を迎えた
マメちゃんの成長レポートであるが、正直3歳という実感がわかない。
この前まで赤ちゃんだったマメちゃんがもう3歳?

ということは自分も3年、トシをとったわけである。 

2歳まではやれ笑った、アルファベットが読めた、こんなこと言えた、
三輪車に乗れたとかちょっとした進歩が新鮮で驚きと喜びがあったが、
最近はそんな感動も前ほどはわかない。

ある程度しゃべれて当たり前、だいぶ前から身体的にはかなり器用に
なってきていて、特に驚くほどの変化もない。

とにかく仕事の日の朝は、車のチャイルドシートに乗ってくれるまでが
気が遠くなりそうだ。

まずなんでも自分でやらないと気がすまないので時間が3倍はかかる。
そしてお誕生プレゼントのプリンセスの衣装セットをすべて身につけたり、
着替えを3回も繰り返すのでこれまた遅刻ぎりぎりになる。

車にたどり着くまで、草や木に立ち寄りのろのろ歩き、チャイルドシートに
座るまでもノロノロ、シートベルトも自分で締めなきゃ気がすまない。

これ、時間に制限がなければゆっくり時間をかけてやらせてあげたいが、
仕事に行かなきゃいけないママにとっては遅刻しそうで冷や冷やものだ。

託児所では夕方に長くお昼寝をさせてしまうようで、夜はどんなにがんばっても
午前1時近くまで寝付いてくれない(涙)
私がくたくたで眠りかけても私の目をこじ開けるマメちゃん。

遊園地に行った日や、お友達とおもちゃの取り合いをした日は興奮して夜泣きが
2,3回ある。いきなり真夜中に泣き出して、手を天井に差し出し、

「これ、マメちゃんの!これ、マメちゃんの〜!」とか、

「ママ〜〜〜!ママ〜〜〜!」と言うので、

「ママここだよ。」といって

ももをさすってあげても「ママ〜〜!」と泣き続けるのである。

ある日は託児所仲間のハーフジャパニーズのK君のことを話すマメちゃん。

「K君 pushed マメちゃん。」

と、自分の首を押してみせるマメちゃん。翌日は

「マメちゃん pushed K君」

と逆襲の告白。

シッターのSさんによると、K君はシッターさんや三つ子ちゃんみんなのことを
押すらしいが、マメちゃんはまったく穏やかで、そんな行為はしないそう。

さらに翌日、マメちゃんの背中やふくらはぎ、足の裏にマジックで
いくつもの十字架が書かれている! 「これまさか。。。?」というと、
マメちゃん、

「Yeah, K君 did it.」

と言った。お風呂に入って石鹸でごしごし洗ってもとれない。
私もおおざっぱなので、気にしないし、K君のママは友人で、
この託児所を紹介してくれた恩人でもあるので特に何も言わなかった。

シッターのSさんに苦笑しながら、

「K君、マジックでマメちゃんにいたずら書きしたんですね?」というと、

「そうなのよ。色絵ブックとマジック持参できたんだけど、
目を離したすきにマメちゃんにらく書きしちゃってさ。注意したんだけどね。
あの子のママってなんでもやらせ放題だからね。」

と、いたってのん気なSさん。衛生面や安全面ではかなり几帳面な
Sさんなので、ま、落書きくらい仕方ないか。。。

2歳3ヶ月の頃、教えたわけではないが、自分からおむつを脱いで、
トイレに行きだしたマメちゃんであるが、また託児所通いが始まったら
おむつに戻ってしまった。私と一緒の時は家や、外出先でもトイレでしてくれる。
でも託児所にいるときはまったくトイレに行かないようだ。

Sさんがマメちゃんと共に面倒を見ている姪っ子は4歳半になるのに
まだオムツをつけている!
Sさんに「おしっこと言ったらトイレに連れて行ってください」といっても
全然やる気なし。

3歳半のK君のお母さんも、一週間のヴァケーションでせっかくオムツが取れたのに、
戻ってきたらまたオムツに逆戻りしたと不満。

毎朝、ごていねいに、ドレスを着て、頭にはティアラ、そしてブレスレットと指輪に
ハイヒールシューズをはいて託児所に行くマメちゃん。車の中で

「K君 and A君 will say “Wow! Mamechan is so beautiful! “ 」

などといっている。それをSさんに話すと、

「そうなのよ、マメちゃんがドレスアップして現れると彼らそういうのよ。」

え?3歳のK君も2歳のA君もママが日本人のハーフジャパニーズであるが、
こんな年からもう西洋流ナンパ術を身につけている!

ここ3年童謡ばかり聴かされて疲れていたが、最近は「ミュージック聞く!」
とやっと童謡漬けから解放された。彼女のいうミュージックとは、
アースウィンドファイヤー、マイケルジャクソン、ブロードウェイロックミュージカル、
ジュエル、レディ・ガガなどで、足でリズムを取るマメちゃん。
でもダーリンの車では「バッハ聞く!」とクラッシックのリクエストらしい。

就寝時間は遅いが、やっと6〜7時間はまとめて寝てくれるようになった。
危険なものの区別もつくようになったし、すべてのものが高い場所に置かれて
避難所となっていたが、だいぶ所定の位置に置けるようになった。

楽になったものだ。しかし例の引越し先の広い家を下見に行ったとき、
これは広すぎて親子3人では寂しいなあと思った。そういえば、向こうで出会った
多くの人々は軽く子供4〜5人いますって人が多かった。
田舎で娯楽があまりないからどんどん作るのだろうか。

そんなことを考えていると、なんだかまた赤ちゃんが欲しくなってくるのだった。

しかし考えれば考えるほど、やめといたほうがいいと思う。何しろ私もダーリンも
子供好きではないのだ。これから飛行機で、仕事や用事でいろいろな場所に
飛ぶ可能性もあるが、マメちゃんひとりだとまだ身軽だが、もうひとりとなると、
これはかなり難しくなる。また、最近やっとおしゃれを楽しめるようになってきて、
昔のジーンズも入るようになってきたのに、また体系は崩れる。。。

妊娠、出産は相当な覚悟と努力なくしては成し遂げられない。こんな怠慢な私だが、
今思えば、マメちゃんを授かる為にあらゆる努力をした。
リスクも頭に入れながら子宮筋腫の開腹手術を実行した。事前に自己血も
採血しなきゃならなくて、2度も失格で、ステーキやほうれん草や鉄分も
たっぷりとった。そして面倒な妊娠糖尿病ダイエット。。。
今度も確実に帝王切開になる。

卵も年老いて、妊娠できるかわからないし、継続できるか、健康な子が生まれるかも
定かではない。生理は以前は四日くらいで短かったが、今回は一週間すぎても
なかなか終わってくれない。。。これも更年期障害の兆候だろうか?

去年の12月にアメリカのリアリティーTVに出演している、19人子供がいる
45歳の女性が20人目を妊娠していて、男の子か女の子かが判明する
19週目の健診の日に、医師から心拍が見つかりませんと宣告されたニュースが
あった。

自宅で悲しい産声の聞けないお産をし、名前をつけて葬儀を開いた。

その前の赤ちゃんは2,3年前に誕生した時、予定日より4ヶ月早く
未熟児として誕生した。

とにかく1988年から2009年まで毎年出産してきた多産系の彼女も
45歳と言う卵子の老化には勝てなかったと思うと、死産1、流産1の
自分にまたそんなことが起こる確率が高いのではと不安になるのだ。

といってもこのブログの読者さん達はじめ、他にも45歳で健康な赤ちゃんを
出産したという明るいニュースは結構ある。

3人プラス一人養女を抱える45歳の4児のママの友人は言った。

「子供が1歳くらいまでは妊娠や産後のホルモンで次の子が欲しくなって、
そのあとは子供が3歳になってだいぶ楽になった頃また欲しくてたまらなくなったわ。
もっとも4人目は自分の身体で生む自信がなかったから養子縁組をしたんだけど。」

新しい生活が始まってからどのような心境の変化が起こるのか
自分でも興味深いところである。

「44歳で働かなくてすむようになります」という占い師の予言 (マメちゃん初の託児所2泊3日体験!2歳10ヶ月ー11ヶ月)

30代後半くらいだったろうか、新宿と浅草の二人の占い師に言われた。

「あなたの旦那さんになる人は稼ぎがいいから44歳で働かなくてすむようになります。
それに旦那さんね〜、あなたには家にいてもらいたくなりますね。あんまり仕事して
ほしくないんじゃないかしら。まあどっちにしてもねー、あなた自身、
足と目に気をつけたほうがいいからね。
フルタイムでパフォーマーってのはなかなか続けられなくなるかもね。」

この占いは果たして当たることになるのだろうか?45歳の誕生日が近ずくにつれ、
ますますこの予言から遠ざかっている気がしていた。

まあ、足は15歳の時からのハイヒール生活がたたって軽度の外反母趾になり、
今は親指がしびれて足の専門医通い。土踏まずのサポートパッドを
靴底に入れている。目もここ数年、直射日光を浴びながらショーをやっていたら、
充血するようになって眼科通い。こんなこと長年続けていたら、将来白内障とか
緑内障になりゃしないかと心配になっていた。

しかしそれ以外の旦那の稼ぎがいいから44歳で働かなくてすむようになるという
部分には大きな疑問があった。


私がまさか11年続けたフルタイムのパフォーマーの仕事をレイオフされるとは
夢にも思わなかった2年前、二人の収入を合わせても、家のローンや維持費、
管理組合費、保険料、ダーリンの息子の養育費に学費他を引くとかなり苦しい
家計になるのに、予算オーバーのマイホームを焦って購入してしまった。

部屋が7つもあるので、家具もどっさり購入。その後、車が2台とも寿命が来て
買い替え、2台分のローン。そして私の失業。とにかく家を買った直後から、
自動車事故、父の脳梗塞、私の流産、ぎっくり腰、レイオフと続いて、
これでダーリンまで失業したら完全に家相が悪いに決まっていると思っていた。

しかしその不安は当たった。

去年ダーリンのボスであった大学の副学長がリタイアした。新しくよその大学から
副学長が就任した場合、その補佐は、彼のお気に入りを選出することが多い。
その例に漏れず、11月にダーリンは新副学長に呼び出され、宣告された。

「キミと僕は似ている点が多すぎる。同じ人間は二人いらないんだ。
だから違うタイプで、違う分野に強いパートナーを募集することにしたよ。
来年の6月でキミの任期は終わりだ。」

4年前までは大学教授であったダーリンだが、新しく就任した学長に、教授会での
活躍ぶりからアドミニストレーターとしての才能を見出され、学務総長補佐に
抜擢された。それからはカリキュラム改革や生徒数増加など、業績を上げていった
ダーリンはさらに副学長補佐に昇進したのであった。

この大学で教授のままでいれば一生失業することはないテニュア・トラック制度と
よばれる終身雇用の審査にほぼ合格が決まっていたが、 人のいい彼は、
自分のポジションを後輩に譲ってしまい、もうそのポストに戻ることは
できなくなっていた。もっともこうすればこれから逃げ道がなくなり、
もっとアドミニストレーターとしての出世を目指すモチベーションにつながると
彼は考えていたのだった。

この不況で、家を売ろうにも、買い手がみつかりにくい。そして購入にあたり、
政府からオバマ大統領景気刺激策のとしての8000ドルの補助金を
もらっていたため、購入後3年は家を売ることも、貸すことも許されず、
仮にそうした場合は罰金としてその補助金をまるまる返さなければいけないという
八方ふさがりの状態であった。

私達二人は途方にくれた。ダーリンだって14年勤めた大学をこんなにあっけなく
去ることになるなんてどうにも納得がいかなかった。
やっぱり家相が悪いのだろうか?

しかしダーリンは落ち込む暇もなく、すぐに全米のあらゆる大学に応募を始めた。
こんなご時世でいったい面接にまでこぎつける大学はあるのだろうか。。。
去年の自分の経験からいって私は悲観的だった。6月までに彼に
仕事が見つからなければ、家族3人路頭に迷ってしまう!

一方私の仕事の状況であるが、

去年を思い出すとネガテイブでじと〜っとしていて、日記を読んでいても
それがこちらに伝わってくる。

最初の半年はまだ仕事に復帰できるような期待があったものの、
いよいよ経済的に苦しくなってきて、失業手当も期限切れが迫り、
職探しを始めた8月。

しかし最低時給の仕事さえも面接までこぎつけなかった。
10月にやっと2社からパートとして採用され、11月からは週五日の
ストーリーテリングの仕事やビデオの仕事も入り出して休みなしで働いたのだった。

そしてホリデーシーズンも終わり、また暇になるなーと思っていた矢先、
風邪で寝込んでいたらいきなり転がり込んできたフルタイムの
ヴァケーションパッケージセールスの仕事。

そしてNBAプロバスケのVIPバックステージツアーガイドの仕事も始まり、
さらにバイリンガルスキルを活かした在宅の仕事も週30時間入ることになり大忙し。
ブランドバッグ屋さんの支店長さんからも、ホリデーシーズンが終わって
他の新人さんはごそっとお払い箱になったけれど、私には残って欲しいと頼まれる。

ということで、エンターテイメントカンパニーやカラオケカンパニーからもまだ
代役のお呼びが週一で入ってくるし、数えたら6つの仕事をかけもちしていたのだ!

これではまた週7日働くことになり、休みがない!なんでバランスよく入ってきて
くれないのん? でもやっぱり24時間マメちゃんのナンセンスに
つき合わされているより、仕事をして忙しい方が逆に疲れないことを実感する。
といっても私の仕事はどれもあまりストレスがたまらないからかもしれない。

ヴァケーションセールスの職場は、とてもゆったりしていて、ボスも優しいし、女性は
みんなおしゃれしてきているので、私も久しぶりにおしゃれに気を使うようになった。
フルタイムでパフォーマーをやっていた頃は、どうせ衣装に着替えるし、帰りは
汗でぐしゃぐしゃの状態なので、髪も結んだままで、ラフな格好をしていった。
でも今回はオフィスなので、伸ばしっぱなしだった髪も肩までカットし、
化粧もばっちりし、毎日服を選ぶのが楽しみになった。

電話でのセールスで、相手からののしられたり、電話を切られたりなんて
日常茶飯事だが、それも苦にならない。数えてみると、劇団に入ってから
役者業を28年やってきたが、こういう他の仕事がとても新鮮に感じるのだ。

NBAバスケのアリーナのツアーガイドでも、そのアリーナ(レディー・ガガや、
アンドレア・ボチェッリなど、歌手も使用する)建設の裏話などを学ぶのも面白いし、
一般人はのぞくことのできないVIP専用の観覧席(といってもホテルルームのように
豪華!)に入れたり、人気選手やダンサーに会って通訳したり、初めて前の席で
アメリカのプロバスケの試合を観戦することもできた。

これらのいろいろな仕事を合計しても以前エンターテイメントカンパニーに
フルタイムで勤務していた頃と比べればたいした年収ではなかった。
それでも収入には関係なく、だんだん楽しくなってきたな〜と思っていた矢先、
ダーリンからの電話。

「xxxx大学から副学長に任命されたよ。5月末にxxxxx州に引越しだね。」

え。。。。。。。?ダーリンが副学長になる?!そして12年住んだこの土地を離れ、
広大な、とうもろこし畑の広がるアメリカの田舎にお引越し。。。。?!

そうなのだ、、、、実はこの大学から招待されて、一月末に夫婦そろって面接に
行ってきたところだったのだ。

新副学長からショッキングな宣告を受けて、去年の暮れから全米の大学に応募していた
ダーリン。

やはり私とは能力や分野が違う彼に、あちこちから電話インタビューの
申し込みが殺到。その中でいち早く一校が電話インタビューを行った。
そしてその一次審査にパスすると、今度はスカイプで2時間近くの面接。
その結果めでたく最終3名の候補者の中に選ばれたダーリン。

そして妻である私にも費用は一切向こう持ちで同行するように依頼された。

こうしてマメちゃんは始めての託児所2泊3日体験をすることになった。

出発前に大学から、ダーリンとは別に私の日程表が送られてきた。日程表によると、
夕方現地に到着後は学長邸で学長夫妻と理事会メンバーと夕食。
翌日はダーリンは朝から晩まで面接攻めである。私も午前中はその面接に
同席することになっていたが、お昼からは別行動で、学長婦人が市内観光を
してくれると書いてある!ひょえーーー!学長婦人と二人きりで何話したらよいの?
そして私も審査されるということ? 

私の興味は何かと前もって聞かれていたので、シアターと、現地のプリスクールや
幼稚園も見てみたいと伝えておいた。すると午前中に教育学部の学部長さんと
30分お話のアポ。さらに市内観光の後は演劇科の教授と30分お話。
夕方はキャンパスツアー、そして副学長邸見学。しめは夫婦そろって学長と
最終面接とのこと。。。 これは凝縮された日程である。

さて当日、夫婦で早朝マメちゃんを託児所に預け、飛行機を2回乗り換え、
現地に夕方到着。

空港にはハンサムで若い政治学の教授がお出迎え。もうかなり丁重に扱ってもらって
こちらのほうが恐縮してしまった。

そして大学のアートギャラリーの建物の中にあるVIP客室に案内され、そこに荷物を
置いて着替える。なんかホテルみたいである。

それから学長さんが自らおで向かえ。ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダース
おじさんが痩せたらこんな感じになるのかもしれないといった、
人のよさそうなお方である。

そして学長宅で夕食。婦人は顔はとてもお若くて、きれいな方だが、全部白髪なので、
ひょっとしたら50代なのだろうか。。。

ワインを勧められ、大学の専門シェフさんが作ったと言うおいしいチキン料理が
メイドさんによって運ばれてくる。そしてダーリンは学長さんや理事会メンバーの
方達からいろいろと質問され始めた。私は風邪がまだ治りかけで、鼻もかみたいし、
咳が出そうで必死にこらえていた。

おいしいラズベリーチーズケーキとコーヒーの後、なんとか夕食は終わり、
学長さんに送ってもらってその日は終了。

そして翌朝7時15分からノンストップの一日であった。

朝食会では選考委員会メンバーや、各学部長から質問攻めのダーリン。
朝食に手をつける暇も無かった。しかし惚れ惚れするほど堂々と、わかりやすく
簡潔に答えていたダーリンに感心した。ダーリンの講義は聴いた事があるが、
行政関係の仕事ぶりは実際に目にしたことはなかった。
なんかキラキラとリーダーシップオーラが出ているのである。

次は会議室に移動して、別のファイナンシャル部門や、生徒のリクルート、
ビジネス部門の代表者達との質疑応答。これまたうまくこなしているダーリン。
身内でなくとも、彼に投票したくなるくらい見事だった。
出会った頃はまだ頼りなくて、ピュアでかわいかった学者のダーリンが、
今ではこんなチーフエグゼクティブの姿に変身するとは!

その後私と彼は別行動で、彼は教授達やその他の関係者の前で与えられたトピックに
関するスピーチをしなければならなかった。

ダーリンと離れてから、私は教育学部長さんと30分雑談をしたり、現地の学校の
紹介をしてもらった。

その後、学長婦人が出迎えてくださり、二人で街に繰り出したのだ。

しかし驚いたことに、彼女は5人のお子さん、そして7人のお孫さんが
いらっしゃるとのこと。そして3年前まで会計士をしておられたそうだ。
さすが共働きの国、アメリカ。旦那さんに十分すぎる収入があってもあえて働く道を
選ぶのである。まったく気取ることなく、よく気を遣ってくださり、
本当に人柄の良いお方であった。

20分ほど車で走り街に着くと、河の桟橋の上の眺めの良いレストランに入る。
少し遅れて別の教授婦人が現れる。彼女は長年中学校の美術の教師を務め、
数年前にリタイアした。この街のアートやシアターコミュニティーに詳しいとのことで、
案内をしてくださるとのこと。二人とも、私の芝居に関する経歴に興味を持ち、
いろいろ聞いてきてくれた。

楽しいランチタイム、そして市内観光がすみ、再び学長婦人と車でキャンパスに戻る。

最後に学長婦人は言った。

「新しい土地に移ることはいろいろ不安があるものよね。でも私が信じているのは、
環境が自分を幸せにするんじゃなくて、自分自身がその環境を楽しく変えていくのよ。
だから私どこにいても幸せに暮らしていく自信があるの。あなたのお話、
とても興味深く聞かせてもらったわ。またお会いできるのを楽しみにしているわね。」

なるほど。自分しだいでどこに行っても楽しく暮らしていけることは可能なのだ。
でも小学生の頃から友人と渋谷で遊び、大人になってからは大都市のニューヨークで
暮らし、その後はネオンギラギラのリゾート地で過ごした私がいきなり
とうもろこし畑が広がる田舎で暮らしていけるのだろうか。

婦人と別れた後は、演劇学科の教授とお話。好きな劇作家の話や、芝居、
ミュージカルの話で盛り上がった。生徒の卒業後の進路も気になったので、
聞いてみた。アクテイング専攻はやはりそうラッキーに仕事に就けるわけではないので、
大学院に進むらしいが、シアタービジネスや舞台美術専攻の生徒達は就職先が
見つけやすいとのこと。そして最後にきれいで大きなシアターを見せてもらった。

典型的なアメリカの広々したキャンパス見学のあと、人事部に案内され、
福利厚生についてお話をうかがう。毎月の医療保険料が今の半額に減るのはありがたい。

夕方は、もしダーリンが採用されたら住むことになる副学長邸見学。

なんと1890年に建てられたヴィクトリア調の家で、部屋が9個くらいある!
玄関からぐるりと家の周り全体を囲む白いデッキ。ロッキングチェアーとテーブルが
似合いそうである。階段の吹き抜けにはステンドグラス。地下室もあり、3階まである。
今住んでいる家も広いが、その2倍の広さである。この大きなお家に
タダで住まわせてもらえるんですか?そして光熱費も払わないでいいし、
芝生のお手入れもやってくださるそうな。
二人とも口をあんぐりあけたまま見学は終わる。。。

そして最後に学長室にて学長さんとの最終面接。

学長さんはおっしゃった。

「キミ達二人とも気に入った!ダーリン君、キミはみんなから大ヒットだったって
評判だよ。でもねキミが一人目で、あと二人面接しなきゃいけないんだ。
来週末にはすべて審査が終わるからそうしたら連絡するよ。
もしこの学校を選んでくれたら、街には引っ越さずに、キャンパスから徒歩10分の
副学長邸に住んでいてもらいたい。スポーツの試合観戦や、リサイタル、
あらゆる学校のイベントにはできるかぎり出席して欲しいし、
頻繁に家に教授たちを招いてコミュニケーションを計ってもらいたいんだ。」 

どきん。。。私、料理作っておもてなしするんですか。。。?(汗)

学長さんに別れを告げ、今度は生徒の生活指導科の職員さんたちに招かれて近所の
ダイナーで夕食。そのお店自慢のボリュームたっぷりのピザとアイスクリームを
ごちそうになる。

翌朝、元警察官であるという警備科の主任さんが車で空港まで送ってくれた。
とても礼儀正しいのだが、しゃべり方がいかにも警察官という感じで、
悪いことをしているわけでもないのにナーバスになってしまう私だった。

乗り換え地の空港での食費もすべて向こう持ちなので、ダーリンとおしゃれな
レストランで夕食。久しぶりにリッチな気分!

そしてようやく地元に戻ってきて託児所へ直行。託児所から出てきたマメちゃんは
上機嫌で車に乗り、なんだかいつもよりスイートになって帰ってきた。
シッターのTさんの話によると、全然問題も無く、元気にやっていたそうだ。
やはり第2の家族のような存在だから、マメちゃんも居心地がよかったのだろう。

この滞在を思い返してみれば、生まれてこのかた、あれほどVIPとして丁重な
おもてなしを受けたことはなく、夢のような3日間であった。
ダーリンは面接攻めで大変だったが、私は無料で観光させてもらいにいったようなものだ。

他の候補者達はきっと50代とか60代で貫禄があって、経験も積んでいるんだろうな〜。
44歳で見かけはさらに若造に見えるし、この道に入ってまだ4年足らずの
ダーリンじゃあたちうちできないか。。。とあまり期待していない私とは反対に、
彼は「僕はこの仕事、必ずゲットするよ!」と、自信満々だった。

そして2週間後、学長さんからダーリンに採用したいと電話があったのだ!

他にも面接する大学がいくつか決まっていて航空券まで購入していたが、
もうダーリンと私の心は決まっていた。そしていくつかこちらからシンプルな条件を
提示して翌日それが承認され、めでたく再就職先決定である!

大きなお家に住み、家賃も光熱費もタダ。年収大幅アップ。医療保険も半額。
ガソリン代も今までの4分の一くらいに減る。引越し費用も向こう持ち。
ダーリンの息子もマメちゃんも将来この大学か、他州にあるいくつかの提携校に
入学の場合は学費無料。これは夢なのであろうかと頬をつねりたくなった。

去年のドン底生活を経験しているので、まるで天からの贈り物のような出来事である!

そしてパーフェクトなタイミングだ。もし一年前だったら、私にはまだ長年勤めた
エンターテイメントカンパニーに未練があって、この土地を離れられなかった
かもしれない。それに、簡単に生活が豊かになったら、とんでもない買い物を
してしまってまた同じことの繰り返しだっただろう。

このポジションだって2年契約だから、毎回更新できるかわからないし、いつまでも
この生活が保障されるわけではない。幸い、私の在宅の仕事は向こうに引っ越しても
できるので、続けるつもりである。

現在暮らしている家も来年になったら売りにだすつもりだ。今後はもうマイホームは
持たないつもりだ。マイホーム購入の夢はかなったのでもう思い残すことは無い。
これからは身軽に暮らしていきたい。家を持っているがために、固定資産税の値上がりに
びくびくしたり、あちこち修理したり、ハリケーンやトルネードがくるたびに
おびえたりするのは疲れた。そしてなにかあった時の為の貯蓄は必要だ。
また、ダーリンの仕事上、次ははどの州に引っ越すことになるか見当もつかない。

正負の法則。。。何かを得れば何かを失う。何かを失えば、何かを得る。
私はせっかく入ってくるようになった仕事を捨てて、田舎に引っ越すことになる。

実は最近、まだいったことのない人気観光地のコンベンションの仕事の依頼がきた。
ペイも良いし、エージェントが現地の映画のディレクターにも紹介してくれるという。
しかし、ちょうど同じ週にダーリンは今度から勤める大学の理事会メンバーとの
ミーティングと、卒業式出席のために向こうに4泊5日の滞在予定で、
私にも同伴してほしいという。大学側でも、やはり夫婦そろっての出席を
期待しているらしい。

それに大学職員やカレッジタウンの住人達は、とにかく私達に注目していて、
妻が現れないと、なんやかやあらぬ噂が立つ可能性があるかもしれないとのこと。。。
ただでさえ、人口の大半は白人で、日本人と言うことで珍しがられているようだ。
とほほ、小さい頃からおとなりさんと顔も合わせないですむ暮らしをしてきたのに、
これからは行動を監視され、自由を奪われるのか〜〜〜〜?! 

さらに、最近ダーリンは私に仕事を辞めてもらいたくてしょうがないみたいだ。
「いつになったらかばん屋さん辞めるの〜?いつバケーションセールスの仕事辞めるの?
帰宅してキミとマメちゃんがいないとなんかほっとしないし、夕食もそろって
食べたいし。。。」と、毎日のように聞いてくるのだ。


占い、当たっているな〜。

「旦那さんはあなたに家にいてほしいので、仕事はあまりできなくなるかも
しれません。。。」

まあとにかく家族なんとか暮らしていけることになり、安心した私達であります。

*次回は、マメちゃんの成長レポートと、どん底生活でもやり続けていた
幸運とツキを呼ぶおまじないみたいなもの、ご紹介したいと思います。



占い師かりりん誕生!(マメちゃん生後8ヶ月)

またしても一ヶ月はあっという間に過ぎ、もう11月も終わろうとしている。
そしてサンクスギビング、クリスマス、年越し、お正月と
あっという間に2010年になるのであろう。



死産から2年経った。健太郎の誕生日&命日は休みを取ってダーリンと
マメちゃんとお墓参りに行ってきた。健太郎の誕生した11月6日、
午前3時13分にはダーリンと二人で病院で撮った写真を眺め、黙祷した。
お墓ではマメちゃんはじっと墓石を眺めていた。帝王切開の数日前
お参りに来たとき、マメちゃんはお腹の中で
まるでお兄ちゃんに挨拶するかのように動き回っていた。



さて、この一ヶ月は不動産探し、イベントの仕事であわただしかった。
不動産探しをして感じたのは、ネットお見合いと共通点があるということだ。
まずネットで毎週月曜に新しい物件を探し、場所や価格、条件などをチェックし、
どんどんとざるにかけていく。それで毎回期待しながら見に行くのだが、
写真と違ってがっくりとか、見かけがよくても中身がひどいとか、
条件が合わないとか、場所が僻地とか。。。。
それで大抵がくっとして帰ってくるのだ。


もういいかげん疲れた、やめたいと思いながら、まてよ、ネットお見合いで
ダーリンとめぐり合うのにも2,3年かかったんだっけ、それでやっと
疲れたところに清潔感溢れ、一緒にいてほっとする彼と出会った。
最初は大変だったけど、だんだんと落ち着いてきて、
将来性もあるということがわかってきた。


お家もそうなのかもしれない。外観、条件ばっちりでも暮らしていて
落ち着かない場合がある。あと、いくらか欠陥があっても、
重大な欠陥でない限り、ちょっとの修理で見違えるような物件になり、
将来その家や、土地の価値が上がる可能性もある。


そんな話をダーリンにしたら、笑いながら

「キミが疲れているときに出会ったから僕はラッキーだったんだね。
 でもずいぶんな褒め言葉だね。」

と言った。

こんな失礼な例えも受け入れてくれる彼は
やっぱり心が広いのかもしれない。


結局最初にダーリンと一目惚れした物件は、もう一人
申し込みをしている人がいると言われた。それで向こうの提示した金額は
教えてくれずに、いくらまでなら払えるかという事を聞かれた。
まるでポーカーのようである。向こうはツーペアか、フルハウスか?
それともロイヤルストレートフラッシュ?なんていって実は
ブタだったりして?でもあおられてやりくりできない金額を賭けてしまっては
いけないと、売りに出されている通りの数字を出したら、
向こうさんにさらわれてしまった。


2件目は、手に入りかけのところを現金を持ってきた外国人投資家らしき
人物にさらわれてしまった。


そしてまた一からやり直し。。。。

それにしてもアメリカはどうしてこうも風水的に最悪な間取りや屋根の形の家が
多いのであろうか。そんなこと気にしないダーリンは
もういちいち風水的いちゃもんをつける私にうんざりしている様子。
何十軒もマメちゃんと築3〜9年の中古物件を見に行って、最後は
写真は豪華なスパにプール付きの家が、行ってみたら外からでも悪臭の漂う
木材が腐ったような物件でげっそり。。。。


もうやめようと思ったところでこれからは新築の家にしようと決心したのである。
そして見に行ったコミュニテイー。

ゴルフ場の中にあり、レストランや、ジム、滑り台やトンネルなどがついている
子供用プールと競泳用プールがある大きなコミュニティーである。
そこで見つけた来年4月完成予定の分譲住宅が目に留まった。


金額的にもやっていけそうだし、5回も風水コンパス持参で土地と、
モデルハウスを見に行って、間取りも分析し、そこに決めたとたん、
セールスの人が、

「すみません、手違いで。。。。この土地には
 別のモデルが建てられることになっていたそうです。。。」


そのモデルは風水的に最悪な間取り!な、なめとんのか〜〜〜!!

ということでかりりんのお家探しはこれからも続くのであった。。。。


でも、最初の2軒が手に入りかけた時、なぜかむなしい気持ちに襲われた。
イギリス人である不動産屋さんは子豚ちゃんとクマさんを混ぜたような
ルックスの30代くらいのお兄さん。

人が良くていまいち頼りにならないタイプだが、彼の母親がバリバリのやり手で
この道運十年のベテラン。物件を見せてくれるのは子豚ぐま君だが、
(勝手にこう呼ばせてもらおう)契約やローンのチェックは
お母さんが責任もってやってくれる。


この子豚ぐま君と毎日電話で連絡を取り合い、休みの日にマメちゃん連れて
物件を見に行くのが結構楽しみとなっていた。子豚ぐま君には
よくしゃべるアメリカ人の奥さんと、マメちゃんと2ヶ月違いの
女の子の赤ちゃんがいる。たまにこの奥さん&ベイビーちゃんも参加して
みんなで騒ぎながらお家を見に行くのである。


家が決まったらこの楽しみもなくなるし、マイホームゲットという
ゴールもなくなる。。。芥川龍之介の「芋粥」を思い出した。
主人公の五位にとって芋粥を飽きるほど飲んでみたいと夢見ていた頃が
実は一番幸せであった。。。 


なんていってマメちゃんが生まれてからリビングもどんどんおもちゃで
占領されてきているし、レントだってこれから10年、20年とたつうちに
毎月のローンより高くなっていくのは予想がつく。やはり買えるうちに
買っといたほうがお得なのである。


さて、仕事のほうであるが、契約更新ミーティングは毎年一月に行われる
ところを、今年は11月に早まった。この不景気、失業率の増加で、
同僚の役者達は皆どきどきはらはらしていた。不動産購入にあたり、
仕事を万が一失った時の最悪のケースも想定して
毎月のやりくりを計算してみた。仕事がなくなれば、託児所やガソリン代、
高速料金もなくなるし、外食も減る。なんとかやっていけそうだった。


そして結果は。。。。めでたく契約更新できた!
これで2011年の2月まで首は持ったのだ。
これでマメちゃん、ダーリン、ダーリンの息子の医療保険を
カバーし続けることができる。
アメリカはほんと、医療保険問題が厳しいのである。


フルタイムの仕事とは別に、単発のイベントの仕事が入った。
アメリカの某ゴルフ関係の会社の重役とその奥さん達、合計50人を
接待する設定である。会場にミュージシャンは3人ほどいたが、
役者は私ひとりである。


演出家の依頼で、仙人のようなキャラでゲストのひとりひとりに
癒しをあたえてほしいとのこと。。。

J・R・R トールキンの作品解説や、中国のことわざ集を読んで
暗記するようにと言われた。たった三日しかないし、演出家自身も
どんなキャラにしたいのか定かではないようだった。。。。
英文に翻訳された中国のことわざ集を休憩時間に必死で覚え、ついでに
干支占いも暗記、筆ペンと紙も用意。(アメリカ人は名前を日本語で
書いてあげると喜ぶ。)風水コンパス盤も持参。


当日仙人のような格好をさせられ、ヘアーはヨーコ・オノみたいなカツラで
杖を持ってゲストを入り口で歓迎。えっと〜〜、演出家はことわざを詩的に
くちずさめとか言ってたけど。。。。それもなんかこの設定では不自然。


それでディナー会場に、雲の上を歩くような感じでふわふわと登場。
そこで占い師口調になってある女性に

「あなた。。。フランスに縁があります!フランス好きでしょう!」

というと彼女は驚いて

「そうなんです!フランス語を2年間習っているし、
 いつか行ってみたいんです。」

と答えた。


「そうです。いつか訪ねてみてください。あなたの前世に関係しています。」

そしてくるっと後ろを振り返り、別の女性に

「スコットランド!」

というと彼女ははっとして

「はい、祖先はスコットランド人です!」

と反射的に答え、目を潤ませながら

「他に何か見えますか?」

と聞いてきたので、

「今は大変ですが、必ず事態は好転しますから安心しなさい。」

というと手を握って

「ほんとうに。。。ありがとう。」

と涙ぐんだ。そして今度は斜め向こうに立っている女性に


「白い長いドレスを着ている姿が見えます。」


というと、

「え〜〜〜?私2週間後に結婚するんです!」

と驚かれた。その後はあるゴルファーのおじさんに

「明日バーディーを出したいんだが、力を貸してくれ。」

と言われ、手を握って気のエネルギー交換をしてあげた。

どんどんと人が集まってきて4枚の風水カードも引いてもらって、
それプラス天からのメッセージとして浮かんだ言葉を筆ペンで
紙に書いて渡した。

「あなたは人の世話が好きです。昔は看護師でした」といえば、

「実はそうでした!」と言われ、

今年末か来年はじめにはキャリアの大きな転換のチャンス到来といえば、
12月に職を変えることになっていると驚かれたり。。。

産後ボケが悩みだったが、この夜は冴えていて
いろいろヴィジョンが見えた。

こうして占い師かりりんは、最終的にイベントで大ヒットとなったのである!
後日演出家からお礼の電話がかかってきた。

「あの後、別の場所で例のグループと会ったんだけど、みんなあなたの事
 褒めていたわよ。ルックス、雰囲気からしぐさ、しゃべり方にも
 ぐっとひきこまれるし、なにしろ驚く程占いが当たっていて
 ちょっと恐くなっちゃったくらいですって。他の演出家達にも
 報告しておくわね。本当にありがとう。またよろしくね。」

本番前はどうなる事かとひやひやしたが、結果は大成功に終わってほっとした。
その翌週には今度はスペン語しか話せないメキシコ人の団体さんに
スペイン語で占いをしてくれなんて依頼まできたのだ。

結局一人手相を見てあげたりしたが、それより彼女達は踊るほうに興味があり、
一緒に踊ってくれとか、写真をとってくれという依頼のほうが多かった。
明日を心配してくよくよ悩むより、とにかく踊って楽しもう!という
陽気なメキシコ人達である。


仕事やお家探しのことばかり書いたが、マメちゃんは順調に育っている。
託児所のもう一人の赤ちゃんはこのところ気管支炎でせきや鼻水をたらしている。
その赤ちゃんを抱いた手でマメちゃんの顔を撫で回すシッターのTさん!
さらに三つ子ちゃんの一人もゲホゲホせきをしているのにマメちゃんに
何回もキス!また、熱出して寝込んでいたダーリンの息子がまだ完全に
治っていないのに我が家に泊まりに来てひやひや!

そんな環境でも風邪も引かないし、夜は9時間ぶっ通しで寝てくれる
手のかからない子だ。レストランでもおとなしくしてくれるので、
友人からもお誘いがあってありがたい。ハロウィーンは子犬の衣装を着て
レストランでバカ受けされていた。ジャパレスのオーナーさんが、

「このコって、ペコちゃんに似てますね〜!」というと、

ダーリンは帰ってから早速ペコちゃんをググっていた。


ひとりで1時間でも2時間でもおもちゃで遊び、哺乳瓶を自分でつかんで
ごくごくと飲み干しごきげんになるか、そのまま眠ったりしてしまう
自立したマメちゃん。


そんなマメちゃんが七ヶ月の終わりに4日間ほど、人が変わって
しまったかのように不機嫌になり心配した。いつもニコニコのマメちゃんが
まったく笑顔を見せずに、愚図ってばかりいるのだ。あ〜これから
本当の性格が現れてくるのだろうか。。。。今までは何もわからず
笑っていただけなのか。。。と悲しくなったところで、その原因を発見した!


そう、歯が生えてくるのに歯茎がむずむずしていたのだ。
きっと痛かったのだろう。4日したら下の歯茎になにやら固いものを感じた。
そしてその二日後、小さな歯が2本、三角形のような形で生えてきたのだ!
また二日後もっと大きくなり普通の歯の形になった。そして笑うと
何ともいえない愛嬌のある2本の歯が見えるようになった。


お医者さんから、一日2回の歯磨きを始めてくださいと言われたので、
先にブラシがついている指にはめるタイプのもので2本の歯と、
歯茎マッサージをしてあげている。


赤ちゃん用の歯磨き粉もつけているが、中にはサッカリン入りのものもあるので
要注意!それ、毎日赤ちゃんは飲み込むわけなんだから、できるだけ
自然の成分のものにしたい。

8ヶ月に入るとズリ這い&ハイハイで家中移動しまくるようになった。
もう危ないものは全部しまっておかなければならない。八ヵ月半では
つかまり立ちも半分できる様になり、腹ばいの姿勢からからお座りも
できるようになった。去年の今頃はまだ妊娠20週目で出産まで
先は長い〜〜〜!と感じていたのに、生まれてみたらその成長の早さに
驚かされ、毎日があっという間に過ぎ去ってしまって、忘れている間に
自分も年を取っていくのだろう。気が付いたら
アラフィーになっているのだろうか!?ひょえ〜〜〜!


マメちゃんも成長し、自分も年を取っていくのと同時に、
チワワのユキちゃんももう16歳。一ヶ月前の健診では血液検査の数値も
正常で、16歳とは思えないほど健康ですと獣医さんも驚いていた。


しかしここ数日突然餌を食べなくなった。いやな予感がした。
ピグニーも突然餌を食べなくなって腎不全で亡くなった。
ユキちゃんから食欲を取ったら何も残らないと言うほど食べるのが好きだった
ユキちゃんが餌を残すなんて!最近のどが渇くのか、水をごくごく飲んでいるし、
頻尿になったし、口臭もひどくなった。これって腎臓を患っている症状ではないか?


さっそく獣医さんに連れて行って血液検査と尿検査をしてもらうと。。。。
心配していた通り、腎臓が正常に機能してないとのこと。
早速腎臓のサプリ3つを与え始め、点滴バッグに塩水を入れ、
ぶっとい針を背中から皮下注射することになった。
一回5分くらいですむのだが、これを家庭で一日2回。


なかなかうまく針が刺せず、刺してからもユキちゃんが動かないように
片手で抑え、左手でスイッチを入れ、点滴バッグの目盛りを見ながらの
複雑なタスクは自分ひとりではうまくいかず神経が擦り減る。
ユキちゃんが動くと針が抜けて塩水があちこちに飛び散る。

最初の二日間はユキちゃんとの16年の思い出がフラッシュバックしてきて
涙が止まらなかった。車の中や、楽屋でしくしく泣いた。
ピグニーの最期も思い出してさらに悲しみがこみあげてきた。

失恋した時、健太郎を亡くした時、ピグニーとお別れした時、
仕事の壁にぶち当たった時、つわりで苦しかった時。。。
いつでもユキちゃんはそばにいて癒してくれた。
なのにマメちゃんが生まれてからまったくその存在を忘れかけていて、
本当に申し訳ないことをした。飼い主思いのユキちゃん、
マメちゃんが8ヶ月になって手がかからなくなるのを待っていたかにように、
ここにきてやっと病気の症状をみせた。


治療の効果があってか、二日するとユキちゃんは再び
餌を食べてくれるようになった。今までの手作りフードは食べにくいのか、
マメちゃんのベビーフードを好むようである。獣医さんもベビーフードなら
OKといっていたので、すりおろしのニンジン、いんげん、サツマイモ、
オートミール、オリーブ油、りんごと、ほんの少量だけお肉も与えている。
腎臓病の為、たんぱく質は控えるように指示されているからだ。


夜は10種類のサプリを処方されている。心臓、腎臓、肝臓のサポートだ。
西洋医学に頼る、ピグニーの時の獣医さんと違って、ユキちゃんの先生は
ハーブなど自然療法を支持している。


食欲は落ちたが、いまだに子犬のように跳ね回っていて、
外から見ると病気には見えないのが救いだ。

これからどのくらい一緒にいられるかわからないが、
残された時間を大切にしたいと思う。
ユキちゃんをたっぷり可愛がっていい思い出を作ってあげたい。

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いくら手のかからないマメちゃんといえどやっぱり赤ちゃん、夜疲れて
ぐずる時もあります。そんな時のお助けグッズはDVDの
「ベイビー・ベートーベン」と「ベイビー・モーツァルト」。

まるで催眠にかかったかのように画面を見つめたり、笑ったりします。
でもテレビやビデオは一方通行の受身になってしまって
あまり長時間はよくないとのこと。(一緒に見ながらクマさんだよ〜、
とか、赤いね〜とか話しかけたりコミュニケーションをとりながらなら
まだよいそうです。)だからぐずりがひどい時、たまに出勤前の支度で
忙しい時の15分などの最終手段としてとっておきます。

料理したい時はベイビービヨーンでおんぶしていればすぐ寝てくれます。







スペイン旅行で魂は目覚めたか?!

「一度でいいから是非スペインに行ってください!あなたの魂が目覚めます。」
と、サイキックカウンセラーの原田真裕美さんに言われてから12年。

翻訳家の山川亜希子さんのイルカセラピーじゃないけど、話が突然どんどん
進んで、飛行機代もホテル代もタダのスペイン旅行が決定し、その3週間後には
マドリード行きの飛行機の中にいた。

本当に魂が目覚めるのだろうか?なんにも感じなかったらがっくりだな。
中学時代から独学し始めたスペイン語だが、最近はさび付いてきているので
飛行機の中で8時間しっかり復習した。

その合間にデジカメのメモリーカードをチェックする。大晦日にダーリンが
落っことしてしまい、デジカメは動かなくなった。それから旅行前まで
デジカメは買わなかったので、メモリーカードは大晦日の写真で
終わっている。

スライドショーをはじめから見ていくと、妊娠中にお腹を突き出してビーチで
笑っている私の姿が出てきた。次はさらに大きくなったお腹を同じ場所で
取っている写真。

次の写真は、11月4日に、夜のバイト先で産休宣言をして、帰宅後、
ダーリンにお腹を横から取ってもらい、そのお腹をピグニーが
じっと見つめている。お腹にいる健太郎だけではなく、ピグニーまで
ダブルショット!

その後は。。。。健太郎の写真である。これは12月以来決して見る事の
出来なかった写真だ。ベビー服に身を包み、可愛い顔をしている健太郎を
暗い顔でダーリンが抱いている。次に私は職業柄か、頬はやつれ、
青い顔をしながらも、笑顔を作って彼を抱いている写真。
最後にこの写真を見たとき、涙があふれて、それ以来しばらく落ち込み、
写真を見ることはできなくなった。

しかし、飛行機の中で、何度も何度も繰り返し見た。
その後は山のような花束にカード。そして仏壇の写真。
最後はダーリンの息子のバースデーパーティーで
彼の家族が集まった大晦日のショットで終わっている。


去年の総集編である。今年に入ってからも、産後身体は本調子でなく、
愛犬ピグニーは亡くなり、不安のまま開腹手術に挑み、今後の事も悩んだまま、
まだまだ暗さの残る4ヶ月であった。


しかし今回不思議な事に健太郎の写真を見ても、大丈夫である。。。
旅行前で興奮しているからだろうか?

またスペイン語の勉強に戻り、あっという間にバラハス国際空港到着の
機内アナウンスが流れた。隣に座っているダーリンのおかげでスペイン旅行が
実現したと思うと、彼に感謝したくなった。

空港で、他の教授や生徒達と合流し、バスに5時間揺られて、バレンシア州
アリカンテ県の地中海に面する港湾都市、アリカンテに到着した。

バスを降り、生徒達はそれぞれのホームステイ先のホストファミリー達に
迎えられた。私とダーリンは二人でアパートにステイする。6階まで
汗だくになりながら、スーツケースを引きずって階段を上った。
最上階のそのアパートは、二人には広すぎる3DKのベランダ、
サンデッキ付きのアパートであった。ベッドルームが3つもあるので、
他の二つは荷物置き場に使った。

早速荷物を置いて外を散歩する事になった。地中海のビーチまで
徒歩5分である。

しかし途中の街の様子はマンハッタンの27丁目、6番街を思い出させる。
マンハッタンと違うのは、ビルの合間から不思議な形をした山が顔をのぞかせ、
その山の頂上には城跡らしきものが佇んでいることだ。街を歩いていると
妙に懐かしい感じがし、もうそこの住人になったような気がした。

翌日からはダーリンは朝一で語学学校に生徒の面倒を見に行き、私はひとりで
まずカフェで朝食をとり、それからクラスを受けに行った。学校側は
ダーリンに毎年このプログラムに参加して欲しいとのことで、ワイフの私が
気に入ればそれが実現すると考え、いたれりつくせりで、好きなだけクラスを
受けさせてくれ、週末はマドリード観光を用意してくれた。ホテルも
取ってくれて、マドリードの語学学校の先生が2時間半も市内観光ガイドを
してくれるという大サービスであった。

ただの観光には興味が無い私には、この語学研修旅行と化した旅行には
大満足であった。朝はスペイン文学のクラスや、文法クラスなどを受け、
午後は古城を散策したり、タパスやデザートのおいしい店を求めて
街を歩き回った。

中級文法クラスの初日はそれぞれ自己紹介したあと、雑談など一切無く、
ジーンズの似合うマリア先生が、早口のスペイン語で過去完了や、
未来完了の文法説明をしていき、すぐに作文。久しぶりに脳が活性化された。
アパートに帰ると夜中の2AMまでクラスの予習をしたり、フラメンコギターの
CDを聴いた。このサウンドを聞くと涙があふれてくるのだった。


マドリードに行く二日前に不思議な夢を見た。白い衣装を着た女性が仰向けに
寝ていて、その前には別の女性が立ち、丸くて大きな石をお腹の上に
落とそうとしている。

「真実を言わないと落とすよ!」

「でも知らないものは知らないんです!」

そういってその石が落ちる瞬間に目が覚めた。

二日後、マドリードのマヨール広場に着くと、地面が3D画面のように
目に飛び込んできてふらふら目まいがした。ガイドをしてくれた先生が、

「ここは昔、お芝居やお祭り、闘牛場や、処刑場にも使われたんです。」

と説明してくれた。広場の出口には夢で見たものと同じ丸い石がいくつも
飾ってあったので驚いた。

スペインでのたった一週間が、わたしには何ヶ月にも感じられるほど
充実した滞在となった。最後の夜、嬉しさ、幸せ、感動、すべての感情が
いっきにこみ上げてきて、ベッドの中で私はぼろぼろと涙を流した。

ダーリンより一週間早く帰国した私は、翌日から蒸し暑い屋外で、
直射日光に当たりながらの仕事復帰であった。

しかし家の中も、仕事場も、旅行前とは違って見えた。見える景色も違う。
心に余裕がなくなっていた私は音楽や絵画を楽しむことを忘れていた。

プラド美術館や国立ソフィア王妃芸術センターなど、マドリードで美術館
めぐりもした私は、淋しかった家の壁にも、たくさんの絵を飾りだした。

ダーリンの物置を探していて驚いたのだが、20年前に彼がスペインを
訪れた時、絵を子供の頃から習っていた彼は、スペインの風景を
いくつも描いた。その油絵がたくさんでてきたのだ。彼の絵の先生は
スペイン人で、先生が描いたドン・キホーテのスケッチも出てきた。
それらと共に、アリカンテで取った写真を額に入れ、新たに絵を買いに行き、
フラメンコギターの音楽を流し、好きなものに囲まれて幸せ気分の私である。

明日スペインに戻れと言われたらすっと荷物を詰めて飛んでいける。
何度も訪れる予感がする。次回はバルセロナはもちろん、
アンダルシア地方にも行って見たい。

スペイン行きをすすめてくれた原田真裕美さんに大感謝であるとともに、
ダーリンとめぐり合っていなかったら、こうもスムーズに、この夢のような
体験は実現しなかったと思うと、やはり運命を感じる。

そう、こうしてまさに、私の魂は目覚めたのである!

ひさびさの占い!&ピグニーの生まれ変わり?!

スペイン旅行の前は、毎日のように昔の友人から数年ぶりに
電話やメールをもらい不思議な感じがした。

また、2年前に失くしたとばかり思っていた、芸者さんが書いた本、
「祇園の課外授業」が楽屋で突然見つかり、ぱっとその本を開くと、
彼女が2歳になる目前の娘さんを亡くされたというページが出て来た。

子供を亡くした2週間後に、今度は母親を亡くすという悲しみに襲われ、
あらゆるお寺に相談しに行くが、どこも納得のいく説明はしてもらえなかった
という。

最後にやっと出会った和尚さんは、「娘さんは魂の位が高くて、この世には
戻ってくる必要の無い人です。あなたにはまだ表に出てやらなければならない
ことががいっぱいある。何の心配もしないで、お嬢さんが牛車に乗って
迎えにこられた時、この世に未練を残さずお逝きなさい。」と言われ、
やっと心が救われたそうだ。

こんなエピソードは覚えていなかった。いや、読んだのだろうが、健太郎や
ピグニーとお別れするという体験前には、へえ〜と思うくらいで、
気にもとめなかったのかもしれない。

そして健太郎を身ごもっていた時、出演したコンベンションの仕事が
7ヶ月ぶりに入ってきた。あの時は帯状疱疹だというのに、雨の中
踊りまくっていたっけ。

皆に祝福され、別の役者に

「すぐに授かったのかい?ラッキーだな〜。俺達なんか5年も不妊治療して
やっと出来たんだぜ!」

と言われた時、得意げに

「それは大変だったわね〜。」

なんて自慢した。あれから不妊治療の本を読んだり、不妊治療クリニックにも
通って、子を授かるというは当たり前ではないという事を学んだ。


このショーの最後は、臨月の妊婦さんがカラオケを歌いだすと破水し、
スタントマンがすごいスピンをしながらレースカーで登場。彼女を車にのせ、
これまた轟音を出しながら退場して幕を閉じるというシナリオだ。


ショーの前、妊婦役の子が楽屋でお腹にパットを入れている横で、
私はメイクさんにつけまつげとカツラをつけてもらっていた。
衣装さんたちは彼女がお腹のパッドを必死になって着けているのを見て、

「流産なんかしちゃダメよ〜!ハハハ!」

と笑っていた。

私が死産という経験をしなかったら、知らぬ間にそんな冗談をいって
影で涙を流している女性がいたかもしれない。あの時と同じ衣装とメイクなのに、
お腹には健太郎はいないのだ。

役に徹して悲しみも忘れ、そのショーは無事終わった。

そしてその一週間後、数年ぶりに占い師に見てもらいに行った。
きっかけは、これまた2年ぶりに友人から電話があり、結婚や死産のことなど
何も知らないのに、私に貸したい本があるということで電話してきたのだった。
それは赤ちゃんを亡くした経験のあるサイキックリーダーの書いた本である。
同じく子を亡くした親達からの相談のケースが掲載されている。

本だけではなく、ぜひ紹介したい占い師もいると友人は言い、
電話番号をくれた。

セッション当日、本屋の中のスタバで日本人占い師の彼女と待ち合わせをした。

アジア人らしき女性がテーブルに座っている。お互い目が合うと、
日本語で挨拶をした。黒髪のポニーテールに赤いラメいりのフレームの
角ばったメガネをかけた、30代後半くらいの女性である。

肌は白くてシワが無くつるつるしている。こんなに若くて大丈夫なのかと
思ったが、なんと後で年齢を知ったら、49歳であった!

住所と名前、生年月日を記入させられ、彼女は私の手相を見始めた。

「多才な方ですね〜。これからもっと花開きますよ〜。あと〜、冷え性じゃ
ありませんか〜。身体を温める食べ物をたべてくださいね〜。」

せっかくアドバイスをしてくれているのに、私の心の中では
彼女の物まねが簡単にできる!とエキサイトしているのだった。
これは一種の職業病である。

「お子さんは〜、ひとりだけですね〜。」

ドキ!ということは健太郎はカウントされるのだろうか?されるとすると、
この後は子供は出来ないという事になってしまう。事情を説明すると
彼女は言った。

「そうですか〜。私の子供も一歳と五ヶ月の時、ベビーベッドにはさまれて
亡くなったんですよ〜。でももう3回もあの子の魂と対面しました。」

そういいながら彼女は何かと交信するかのように遠くを見つめた。

「あなたのお子さんは前世であなたの師匠のような人でした。この世に
生まれてきて修行する必要の無い高い位の魂で、あなたにレッスンを
学んでもらう為に宿ったんですよ。もう十分学んだから大丈夫って
おっしゃっています。次にできる子はこの子とそっくりの顔ですが、
女の子ですね。ちょっと変わっていますけど、頭が良くて才能のある
お子さんですから、人に預けずに、仕事を休んででも自分で教育して
あげるべきです。43歳までには授かりますから、しばらく子宮を
休ませてあげて、お腹がひきつるような感覚がなくなったらお医者さんと
協力し合いながら子作りしてください。」

ふ〜む、これは本当なのだろうか。しばらく子宮を休ませている間に、
卵子がどんどん古くなり、妊娠しずらくなったらどうするのだろうか。
占いを信じすぎてもいけない。

そしてもうひとつ気になっていたこと、そう、ピグニーについて聞いてみた。

「ペットに関してもみれますか?」

「はい。亡くなったワンちゃんのことですか?」

「そ、そうです。」

「耳が茶色で垂れてる犬が見えますが。」

「いいえ、チワワですから耳は立っています。」

「そうですか〜。う〜ん。 わかりました。もう生まれ変わって
今度は茶色い垂れた耳の犬です。もう誰かのところにいます。
犬は生まれ変わるのが早くて、一週間で生まれ変わる場合も
あるくらいなんですよ。」

ほんまかいな?!

「この生まれ変わったワンちゃんには公園で会います。見かけは違っても
目を見れば分かりますよ。今回は別の飼い主のところに行きます。
あなたは赤ちゃんができるのだから、また新しく子犬を飼っている
ヒマはありませんよ。」

そんなことあるのかな〜と半信半疑で、最後の質問をした。

「スペインに旅行するのですが、何か気をつけることはありますか?」

「特にありません。カスタネットを買ってきてください。その音を普段から
聞く必要があります。フラメンコ音楽を聴いていますか?」

「ずっと好きだったんですが、引越しでなくなってしまってしばらく
聞いていません。」

「それはいけませんね〜。あなたにはその音が必要なんですよ。
あと、明るい情熱的な絵も部屋に飾ってくださいね。」

一時間ほどでセッションは終わった。当たっていても当たっていなくても、
健太郎やピグニーが今どこかで幸せにしているという事だけは信じたかった。

その数日後、L子とデイナーの約束をした。レストランに向かう直前、
L子から電話があり、V子も連れてくるという。但し赤ちゃんは義母に面倒を
見させるから大丈夫とのこと。

妊婦仲間だったV子とはずっと会えないでいた。
V子の赤ちゃんの成長の様子を周りの役者達から聞くのはつらかった。
でも今日は赤ちゃんとのご対面は抜きである。彼女から赤ちゃんの話を聞いても
大丈夫だろうか。

そして3ヶ月ぶりにV子と対面した。お互いキャーといってハグし合った。
久しぶりにお互いの近況を報告しあった。不思議な事に、周りから聞くのと違い、
V子の口から直接赤ちゃんの話を聞かされてもなんともなかった。

デイナーは楽しく進み、最後に、占い師が言った事を話した。
もちろんピグニーのことについても。

3人でレストランを出て、公園を歩いていると、30代くらいのカップルが
子犬を抱えてこちらに話しかけてきた。

「子犬要りませんか?かわいいですよ〜。ちょっと抱いてみてください。」

その子犬は。。。。茶色い耳の垂れたコッカースパニエルだった。

その犬を抱くと、ピグニーと同じ臆病な目でこちらをじーっと見つめ、
私の胸に顔をうずめた。きゅ〜んと言ってあくびもした。

その犬に話しかけた。

「おまえがピグニーかどうか知らないけど、もしそうだったら、
優しい飼い主のところにもらわれて、幸せに暮らすんだよ。」

占い師の話を聞いたばかりのV子とL子はびっくりしていた。

そしてその数日後、いよいよ魂の目覚めるという
スペインへと旅立つ私であった。

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祇園の課外授業
BY岩崎峰子

前著の「祇園の教訓」では一般にはあまり知られていない舞妓さん、
芸妓さん達の厳しい修行過程やプライベートなどを知る事ができました。

この2冊目、「祇園の課外授業」では、彼女がお座敷で出逢った各界の
大物達との会話を通して学んだことなどが載っていて、興味深いです。
彼女自身の波乱万丈な人生を乗り越えていくプロセスにも励まされます。





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半年振りに「アメリカ在住負け犬、ネットお見合い奮戦記!」配信しました。
今回は弁護士との初デートの巻です。ダーリンと出会うまで、いろいろな
男性とお見合いしましたわ〜。思い出しながら書いていると、ダーリンがかなり
まともな人に思えてきました。

「アメリカ在住負け犬、ネットお見合い奮戦記!」

http://archive.mag2.com/0000199848/20080430110000000.html



占いとスペイン

あ〜、ただいま排卵真っ只中。基礎体温も、日にちも、身体の状態も
すべて揃って排卵日のようである。

小堺先生の顔が頭の中に浮かんでくる。

「あなたの卵子は古いんですよ〜!今すぐ人口受精しなさ〜い!」

卵ちゃん、ごめんね。今回は勘弁して。


さて、話は変わるが、「自分のまわりにいいことがいっぱい起こる本」
の著者、サイキックカウンセラーの原田真裕美さんに、ラッキーにも
今から11年くらい前にセッションして頂く機会があった。

その時,過去のことなど初対面で言い当てられて驚いていたのだが、彼女が強く、

「一度でいいからスペインに行ってみてください。あなたの魂が目覚めます。
 あなたは過去にスペインにいたことがあるでしょう。」

と言っておられたのが印象的だった。今回の引越しでも、引き出しの中から
セッション中に書いてくださった占いメモが出て来て、そこには「スペイン」と
大きく書かれていた。

他の占い師にも私は前世にフラメンコダンサーだったことがあるとも言われた。

考えてみれば中学生の時になぜかスペイン語の響きが気に入ったのか、ラジオで
独学を始めた。数回の個人レッスンを受けたあとは会話ができるようになるほど
早く上達した。父の仕事の手伝いでメキシコに輸入品の仕入れに行った
こともある。街を歩いているとよくスペイン語で話しかけられることが多く、
昔はヒスパニック劇団にはいり、「ドンキホーテ」に出演した。
日本人なのにアメリカのヒスパニックタレント図鑑にも写真が載ったことがある。
どうしてこうも縁があるのだろうか。

お見合い活動中の後期に、ほとほと疲れて、ある本のアドバイスに従った。
自分が出会いたい理想の相手のチェックリストを書けというのだ。13くらい
書いたその項目のひとつにも「スペイン語と英語を話すバイリンガルな人」
とあった。すると本当にその通りのダーリンと出会った。

そうは言っても、旅行は仕事かコネクション作りの目的でしか行かない
主義の私は、スペイン観光旅行の計画など到底立てる気にはなれなかった。

シャーリー・マクレーンの本や、前世療法などの翻訳者、山川亜希子さんも
前からイルカヒーリングをすすめられていたが、イルカと泳ぎに海に
行くなんて!とまったく気が進まなかったそうだ。
しかしひょんなことから話がどんどん進み、一回行ってみたら
もう病みつきになったそうだ。その場所に行く必要がある時は、話が
トントン拍子に進むものらしい。

占いから11年、私にもとうとうスペインに行く機会がめぐって来た。
まず、ダーリンが急に仕事でスペイン行きを頼まれた。仕事といっても、
海外研修の引率者が足りず、違う分野ではあるが、スペイン語がしゃべれると
いうことで、窓口役を頼まれたのである。向こうに行っても講義をするわけでも
ないし、観光に付き添ったりする他はほとんどする事はないらしい。
そして向こうにアパートを用意してもらって2週間の滞在となる。

私もこつこつとためたマイレッジで航空券はタダ、ホテル代もいらない。
ダーリンは私にぜひ来てもらいたいと言う。しかし貧乏性の私は、
ヴァケーションに有給休暇を使うことに罪悪感を感じていた。
先月手術して休みを2週間も使ったばかりなのに、仕事の為でなく、
観光の為に使ってしまうとは。しかもまだ5月で、これからもっと
重要なことで休みが必要になるかもしれない。

しかし。。。行くべき時にはやはりトントン拍子に話は進むもので、
ステージマネージャーは、「ぜひ行っておいでよ!」と休みをくれた。
そして研修生のコは「私、ユキちゃんの面倒見ますよ。」と言ってくれる。

とうとう一週間だけ行ってみるかと、震える手でマイレッジのページに進む。
しかしぎりぎりだからか、95000マイルも使わなければならなかった。
以前はインターナショナルなら60000マイルで往復できたはずなのに。
電話で問い合わせても同じ事を言われる。しかしダーリンと違う飛行機で、
乗り継ぎやら、待ち時間が長い便にすれば75000で行ける。ここでも
ケチな私は、ダーリンとは別々の、条件の悪い飛行機に決め、その最終ボタンを
クリックしかけた瞬間、急にユキちゃんがこちらにやってきてもぞもぞしながら
私を見つめた。トイレのサインである。

仕方なく外に連れて行き、おしっこをさせ、5分後にパソコンの前に座ると、
その画面は消えていた。がっくりしながらも、最初からやり直すと、なんと
ダーリンと同じ便が75000マイルに減っていたのである。しかも帰りの
便まで、超便利な時間帯の便に変わっていた!ユキちゃんありがとう!

こうしてとうとう魂の目覚めるきっかけになるであろう、
スペイン行きが決定した!
ガイドブックを読み始めたりするとなんだかワクワクしてくる。

パフォーマンスに復帰してからのこの2週間は、一生懸命仕事して、何事にも
感謝し、すがすがしい気分で過ごしてきた。

しかし、、、スペイン行きも決まってウキウキしているはずが、
翌日には夕食中にいきなり泣き出してしまったのである。

驚いたのはダーリンだ。このところ幸せそうにしていた私が、いきなり
泣き出してしまったのだから無理も無い。彼は理由を分析しようと、私に
いろいろ聞いてきた。

答えながら思い出したのは、まず、術後一ヶ月ぶりに直射日光に当たりながら
(こちらはすでに相当暑い。)のショーで、身体を慣らすのに時間がかかった。
目は充血するし、かなり張り切りすぎていたようで、夜は身体のあちこちが痛んだ。

また、私から癒しオーラでも出ているのか、それほど親しくない人までもが、
次々と私にグチや、相談事を話してくるようになった。
休み時間やランチタイムまで逃して聞き役に徹していたのだが、それも疲れた。
身体が疲れると心も疲れてくる。

そして今週は、古くからの友人が数年ぶりにいきなり電話してきたり、
メールをくれたりの連続で不思議だった。子供について聞かれたり、
逆に健太郎の死産の数日後に出産したという報告を聞いたり。。。

さらにはL子から、例のV子と赤ちゃんと夕食をしようかと誘われた。
健太郎の遊び相手になるはずだったV子の赤ちゃんは、現在は丸々と太り、
ごくごくとミルクを飲み、すくすくと育っているという。

V子にも会いたい、しかしまだ赤ちゃんとのご対面は早すぎる。

とどめはアルバムの整理をしていて、ピグニーの写真がたくさん
出てきたのだった。お手をしているところや、おもちゃを噛んでいる
写真など。。。

結局そんなことの積み重ねで、しばらく休火山状態だった悲しみが、
急に再噴火してしまったのだ。

そして今日もまた、2年も話していない友人から久しぶりに電話があった。
私の結婚も、この5ヶ月間の出来事も何も知らない彼女だったが、昨日彼女の
友人から、亡くなった子供達の、天国からの手紙の本を借りたというのだ。
そしてなぜか今日、私の事を思い出し電話したという。さらには、
ぜひ紹介したい占い師もいるとのこと。

さっそくその占い師に電話をして、来週みてもらうことになった!
久しぶりでちょっとドキドキである。

療養中にリラックスすることを学んだと思ったら、日常生活に戻ってみれば
こうしてまた心に余裕がなくなる。

人間って忘れやすい生き物だから、3行日記でも読みかえしてみようかな。


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原田真裕美さんの著書

ブログによると、ずっとキャリアまっしぐらで来た彼女も、30代半ばから
真剣にパートナー探しを考えはじめ、必須の条件に、収入や
ルックスうんぬんより、子供のよきパパになってくれそうな人であること、
協力的な男性などをあげたそうです。そして運命のお相手と出会い結婚。
40歳で初産。

今は愛らしいお子さんの写真がいっぱいのブログですが、2005年の
記事には、40歳での妊婦生活や、結婚観、30代〜40代の女性達への
ためになるメッセージなどが載っています。

原田真裕美の魂的ブログ

http://blog.livedoor.jp/mayumiharada/








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読んだけど、なかなか言えてるな〜と思うことが書いてありました。

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