40代での結婚&高齢出産!(閉経後の更年期バトル編)

アメリカ在住歴26年、50歳。3年間のネットお見合い婚活を経て、40歳で国際結婚。すぐに妊娠するも8ヶ月目にして突然の死産!子宮筋腫開腹手術、妊娠糖尿病を経て、42歳でめでたく女児出産。『赤ちゃんのドレイ』時代を終え、育児は楽になったものの閉経後の更年期症状と戦う毎日。

死産

一年ぶりの健康診断の結果は? (マメちゃん4歳のお誕生日)

しばらく更新しないまま、あっという間に5月の後半に
さしかかってしまった。

とりあえず3月は仕事で一ヶ月間マメちゃんと他州に滞在した。

マメちゃんは4歳の誕生日をむかえ、昔の仲良しのお友達をよんで
お誕生会を開いた。

アメリカでは一歳の頃から結構盛大に子供のお誕生パーティーを開く。
マメちゃんは一歳の時は天使ママ友数人とその赤ちゃん達で
テーマパークやレストランでひっそりと祝った。

その後は義父母や従姉とレストランで祝うくらいだった。
しかし4歳ともなるといろいろわかってくるし、
友人のパーティーに招待されたりして、自分も祝って
もらいたくなるものらしい。

今年はいよいよ会場を借りてのお誕生パーティーデビューである。
Bounce Houseと呼ばれる、巨大ビニールハウスの中で子供たちが
ジャンプしまくる施設をかりて、赤ちゃん時代から
仲良くしてもらっている子供たちを招待した。会場内には
大きなビニールハウスが7つも8つもあり、迷路やビニール製の
柔らかいすべり台やハシゴもついていて
何時間遊んでいても飽きない。

費用は日本円にして1万5千円くらいかかっただろうか。
プライベートルームを一時間半かりて、施設側でピザとドリンクを
用意してくれる。部屋は一時間半の貸切だが、その後も子供たちは
一日中遊び続けることができる。

ケーキはスーパーのベーカリーコーナーで注文。マメちゃんの好きな
アニメキャラ、Dora The Explorer の主人公ドーラがテーマのケーキを
見本の中から選ぶ。ちなみにマメちゃんはみんなから
ドーラに似ているといわれる。不二家のペコちゃん似とも言われる。

前日に注文して、パーテイー当日の朝、日本円にして2800円くらいで、
見事なデザインの大きな長方形ケーキのできあがり。
ビーチでドーラとお猿のブーツがビーチに座っているデザインだが、
鮮やかな色の海と砂浜のデザインの上に、
ドーラとお猿さんのプラスチック製の人形と
ビーチパラソルがのっかっている。

DCから従姉と義父母がかけつけてくれて、マメちゃんも懐かしい
仲間達と再会できてとても幸せそうだった。友達と従姉の間で
マメちゃんの取り合いでケンカまで始まった。自分は姉妹のように
マメちゃんと仲がいいという親友のTちゃん。
それに対して、自分は従姉なのよ、もっと関係が深いのよと
主張する従姉。そのケンカのすきにさっさとマメちゃんは
日本人ハーフのハンサム4歳児君とハグとキス!

みんなに祝ってもらってプレゼントもどっさり頂いたマメちゃん。
今までで一番幸せな誕生パーティとなった。

一歳のお誕生日は「そっかー、生まれてから一年経ったんだ。
でもなんかめずらしく不機嫌で泣いてばっかりいるな〜」
なんて思った。

それが2歳、3歳では振り回され、へとへとで
特に感動もなくお誕生日を迎える。

しかし今回は初めて感慨深いものがあった。嬉しいような、
寂しいような。。。もう完全に赤ちゃんじゃなくなっちゃったんだ。
以前に比べるとずっと聞き分けもよくなったし、こちらの感情も
読めるようになって来た。さみしいなあ。でも楽になったな〜。
親としては複雑な気持ちの4歳の誕生日であった。

ダーリンも3月の前半と後半は一緒にホテルに滞在して過ごしたが、
あまり楽しそうではなかった。いろいろな格安DEALを利用して、
ホテルを二日ごとに変えていたので、落ち着かなかったのであろう。
私はいろいろなホテルを比べてみたい方なので、楽しかったが、
ダーリンとしては一週間移動なしでいたかったようだ。

独身L子と健ちゃん妊娠時に妊婦仲間だったV子からは
マメちゃんを甘やかしすぎとお説教され、へこんだ。
L子は以前V子のこともしつけをちゃんとしていないと批判していたし、
V子も息子君を放ったらかしだった。今はV子の息子は5歳になったので
だいぶ聞き分けがよくなったから、イヤイヤ期の頃のことは
みんな忘れてしまったのだ。

私も子供がいなかった頃はダーリンの元妻に対して育児批判を
していたものだが、実際24時間子育てしてみると、
母親だけにしかわからない事情だってある。
自分も子供を産んでからは、元妻のことも理解できるようになった。

3月は毎日友人と約束し、お食事したり、久しぶりに映画を観たり、
仕事もして、とても楽しい一ヶ月だった。3月末にダーリンが
迎えに来て、家族3人で車で二日間かけて田舎町に戻ることになった。

しかしその帰りの道中、いきなり左側を走っていたSUVが
私達の車に突っ込んできたのだ!私達の車は路肩に押されて
やっとストップできた。運転していたのはダーリンであったが、
助手席に座っていた私は、その瞬間何が起こっているのかわからず
このままどうなっていくのかと怯えた。

幸いマメちゃんも含め3人とも無事だった。
左側のサイドミラーはなくなり、左前方側面がへこんだ。
警察と保険会社に電話した後、40分ほどして
やっと警察官がやってきた。

しかし警察官の話によると、向こうの運転手が
(30代前後の黒人女性)言うには、私達の車はジグザクに
走っていて様子がおかしく、ついに路肩に停車。
そしていきなり発信して彼女の車に追突してきたと
ウソをついたのだ!

なんでそんな真っ赤なウソがつけるのか!結局私とマメちゃんという
身内以外の目撃者がいないため、警察官はニュートラルな立場で
両サイドの話を記述して、ポリスレポートを作成。
それを双方の保険会社に送るとのことだった。

それから一ヶ月半たっても、向こうの保険会社は
100%こちらの落ち度だとして、車の修理代は払わないと主張。
おかげで私の手鏡をテープでぐるぐる巻きにしたサイドミラーと
へこんだ側面の車でダーリンは大学に出勤している。

そして先日私自身もガレージの壁に車をぶつけて、左まぶたの上に
切り傷を作るという軽い事故を起こした。
こんな不注意初めてである!後部座席のマメちゃんに
何か言い聞かせていて、ギアーをパーキングモードに
したつもりがドライブのままになっていたのだ。
でもポジティブに考えれば、2回ともマメちゃんは無事だったし、
私自身にも大きな怪我もなかったので、大難が小難になったと思えば
よいのかもしれない。

4月1日にこの田舎町に帰ってきて、最初の3週間は
掃除しまくったり、リラックスしたり気分は明るかった。
しかし天気も2週間続けて雨とか、気温は低いしだんだんと
気分はどんよりしてきた。

さらに卒業式前でダーリンは超多忙。ストレスが溜まっていて
爆発寸前。

私は花粉症の症状がひどくなり、薬を服用し始めた。
それと同時に不眠症、落ち込み、涙もろくなったのだ。
無気力、身体はだるいし、生きる目的もなくなった。
何事に関しても興味がわかない。

80年代が妙になつかしくなり、30年ぶりにジャーニーなんて
聞き始める。あの頃は高校生でバンド組んで、ボーカルとして
この歌うたっていたっけな。。。青春時代だったな。。。なんて
感傷にふける。

思いっきり腹から声を出して歌ってみると気持ちはすっきりするが、
またしばらくするとどんより。。。

このままではいけないと思い、重い腰をあげて
いよいよお医者さん探し。といっても内科と産婦人科医で、
心療内科というわけではない。妊娠糖尿病経験者は出産後も
糖尿病予防のために3−6ヶ月に一度は血糖値の検査を
したほうがいいらしいし、婦人科検診も乳がん検査も
もう一年半していない。

この土地に来て一年近く経つのにまだ主治医を
探していなかった。それ自体もこの土地にまだ
馴染んでいないということだ。

しかしどの医師も新規の患者は受け付けていないと断られる。
最後に若くてNYの病院から移ってきたばかりという
女医の内科医を見つける。

婦人科はネットでの評価が他の医師より低めの
産婦人科医とやっとアポをとれた。

アメリカは医療費が高いだけでなく、初めて行く医院の場合、
最初の予約をとるだけでもかなりの時間がかかる。2,3ヶ月待ち
なんてよくあることだし、一ヵ月後に予約が取れただけでも
ラッキーだと思った。

昔、肌荒れで皮膚科の予約を取るのに、最初にファミリードクターに
見てもらわなければならず、彼の薬で治らなければ紹介状を
書いてもらい、皮膚科に電話。それから3ヶ月後に予約がとれた
頃には肌荒れは治っていたこともあった!

緊急の場合は予約不要のWalk-in クリニックという手もあるが、
あまり専門的ではないので、長期でお世話になる場所ではない。

この土地だったらとてもハイリスク出産なんて任せられなかった
ことだろう。。。

予約はやっと一ヵ月後にとれた。内科医の先生のことは
受付の事務員さんから看護師さんまでみんなが褒めていた。

まったく待たされず、時間通りに診察室に通された。

部屋に入ってきた女医さんは20代後半くらいだろうか。
イスラム教徒の民族衣装を着ている。

まず先生の自己紹介をしてくれて、それから私の話を
じっくり聞いてくれた。死産の話になったら
涙ぐむ私にテイッシュを渡してくれる先生。
彼女も5歳と2歳半のお子さんがいるそうだが、一人目は
常位胎盤早期剥離で大出血を起こし、まだ33週だったが
緊急帝王切開だったそうだ。
次の妊娠では不安でハイリスクドクターのもとで2週間ごとに
エコー検診を続けたそうだ。

「妊娠、出産ってそう簡単じゃないのよね。私も3人目欲しいけど、
もう2回も帝王切開しているしハイリスクだからあきらめているの。」

お〜、この先生も妊娠、出産の大変さを理解してくれる。
いい先生ではないか!

うつ気分だと伝えると、ひょっとしたら気候のせいで
ビタミンDが足りていないのかもしれないと、
血液検査をすすめてくれた。

結局私ひとりに一時間近くも時間をかけてくれた先生!
今までの先生ときたらドアから顔をのぞかせて忙しそうに
診察。せいぜい5分くらいしかみてくれなかった。

帰りに乳がん検査も受けてきたし、翌朝は空腹のまま
血液検査をしてもらった。その午後にはもう結果を教えてくれて、
やはり血中のビタミンDが基準値に達していないとのことで、
錠剤をとり、毎日30分日光浴するようにとの指示。
(お天気がよければの話だが。。。)
12年間毎日直射日光にさらされてショーをしていたこの私が
引っ越してきて一年以内にこんな診断を受けるとは!

さらに貧血気味らしく、生理の期間だけとっていた鉄分の錠剤も
毎日とることになった。

ビタミンバイブルという本で、役者やエネルギーが欲しい人は
ビタミンB12を飲むように書いてあったので
サプリをとっていたのだが、なんとこれは過剰摂取という結果が
出たのでやめた。このビタミンの場合は特に副作用はないみたいだが、
やはり何事も摂りすぎはよくない。
考えてみればもうフルタイムで体力使う役者を
やっているわけじゃないから不要なわけである。

それ以外は血糖値もコレステロールも問題なく、
健康体ということだった。

翌日の婦人科検診では、ブロンドのさばさばした女医さん登場。
年齢は50歳らしいが、40代前半にしかみえない。
一年前から生理周期が乱れているというと、今度筋腫の検査を
しましょうと言われた。更年期対策のホルモン関係サプリは
まだ必要ないとのこと。

2月、3月は周期が乱れたが、4月と5月はぴったり
28日周期にもどった。やはり旅をしている時は
体が環境変化で落ち着かなかったのかもしれない。

さらにネットで私が飲み始めた花粉症の薬の
口コミを検索してみると驚くべき事実を発見!
なんとうつ状態、無気力、不眠にさせるという
副作用があるそうなのだ。どうりであの薬を飲み始めてから
花粉症の症状は驚くほど消えてありがたかったものの、
うつ状態で涙もろくなっていたのはこの薬に原因があったのだ。
とにかく3時間以上眠れないし、
心臓もバクバクして、常に興奮状態でもあったっけ。

早速この薬を止めて、鉄分の錠剤を毎日取り始め、今まで飲んでいた
マルチビタミンから、先生がすすめる、ビタミンDがより多く
入っているものにかえた。

天気が良い日はすすんでお散歩をして日光浴をこころがけた。
ヨガも始めたら身体がどんどん軽くなっていった。
その結果また幸せ気分が戻ってきたのだ。

さて、マメちゃんは保育園とプリスクールの今学期最後の発表会が
2週続けてあった。さすがに舞台で一生懸命歌ったり
踊ったりしているマメちゃんをみると涙が出そうになった。
さらに問題児の男の子に後ろから突き飛ばされて
床に倒れるというハプニングが2回もあった。

それでもぱっと起き上がって笑顔で踊り続けるマメちゃん。
いつの間にこんなに成長したんだろう。

この男の子には毎日のように髪を引っ張られたり、
突き飛ばされているそうなのだが、マメちゃんだけ
仕返しをしないので、この男の子の的になっているそうだ。
ダーリンも私も決してマメちゃんには手を上げないできたし、
他の子を押したり、たたいたりしてはいけないと教えてきた。

マメちゃんはそれほど気にしているわけでもなく、「Kくんったら
まだまだ赤ちゃんなの」というくらい。

でも毎日のように続くので、いいかげん先生まで
「もうこうなったらあなたも押し返しなさい!」という始末。
後でわかったのだが、この問題児くんは先生の息子であった。。。
でもマメちゃんは仕返しをせず、先生から習った手話の動作と言葉で
その男の子に「止めなさい!」と毎回繰り返した。
その結果とうとうその男の子はマメちゃんに
手を出さなくなったそうだ。

マメちゃんの学校が終わると、今度はダーリンの大学の卒業式。
壇上で今年度の卒業生の名前を読み上げたり、優秀な教授へ
賞を与えたり大忙しのダーリン。でもスムーズにやり遂げ、
学長さんや理事長さんからもお褒めの言葉を頂いた。

教授や職員から提出された副学長としての評価表では
ダーリンへの評価はとても高く、学長さんは契約を更新したいと
言ってくれたそうだ。ということで少なくともあと2年は安泰。
しかしダーリンは近い将来、もっと大きな大学の副学長か、
小さな大学の学長ポストに応募すると、次のステップを考えている。

この一年でダーリンもマメちゃんも新しいことを学び、
驚くほど成長した。私といえば、旅行ばかりして
現実からの逃避を繰り返していたような気がする。

この夏はまた日本や他州に旅行することになるが、
7月から11月まではこの土地に腰を据えて、逃げずに
自分を向上させる方向を見つけなければと思っている。

マメちゃんとサンディエゴ旅行&46歳の誕生日(マメちゃん3歳11ヶ月)

1月末から、カリフォルニアのディズニーランドに5泊し、その後
サンディエゴのホストマザー&ファーザーがホテルまで迎えに来てくれて、
車で一時間半のドライブの後、25年前に初めてホームステイした
サンディエゴに到着した。

私がまだ21歳の頃、渋谷でふと目にした旅行会社のホームステイプログラムの
パンフレット。思えば小学校4年の時からアメリカに留学したくて、
高校も英語教育に力を入れている学校を選んだ。小さい頃から
父の本棚で眠っていた英会話のカセットテープが好きで独学していたし、
アメリカ人留学生と積極的に友達になって生の英語を学んだ。

一年間の高校留学を夢見て、留学資金を貯めようと、高校一年のときから
ファーストフード店でアルバイトを始めたが、それはまさに私の第一次青春時代で、
遊びの方が楽しくておこずかいは全然たまらなかった。。。
たしか時給は420円からのスタートだったような?

年上の男性にあこがれて、バイト先で彼女のいる25歳のフリーター君や、
マネージャーに片思いしたり、大学生や高校生のバイト仲間から告白されたり、
ボーリング&居酒屋、カラオケ、ほとんど寝ないで朝からシフト、夏は花火大会や、
海の家へみんなで旅行など、青春真っ盛りであった。

そんなんで高校留学はできなかったが、3週間ホームステイプログラムへ
参加する費用はたまった。

説明会では、「あちらは水不足ですから、朝か、夜のどちらかだけ、お風呂に
ほんの数センチ程度の水をためてぴちゃぴちゃと身体や頭を洗ってください。」
と言われたのが印象的だった。

そしていよいよ憧れの国、アメリカへ到着。
21歳の私は、現地で他の20歳前後の参加者達と共に昼は英会話の授業を受け、
夜はホストファミリーと過ごし、週末は観光を楽しんだ。18、19歳の若い
参加者同士の間で恋が芽生えたり、貧しい家庭にステイした子は、子供たちに
お金を盗まれたり、いくつか事件はあった。

噂に聞いていたとおり、道行く人々にかなりの肥満体の人たちが多かったのも
カルチャーショックだった。ご飯の時は子供たちはガブガブと大きいグラスで
コーラを飲んでいたのにも驚いた。ホストマザーはランチに
サンドイッチとクッキー、そして真っ赤な毒々しい色のジュースパックを
包んでくれた。ある夜は「あなたの好きなごちそうよ!」といって、
カップヌードルの汁なしを、つまり麺のみをお皿に入れて出してくれた。。。(汗)

庭でのんびりマニキュアを塗る主婦、週末は映画館か、
ポップコーンを片手に家で映画鑑賞といったライフスタイルを見て、
憧れのアメリカでもこんな退屈な暮らしはノーサンキューと思った、
まだまだ野心のあった自分。

ホストマザーは当時32歳の専業主婦で、5歳と7歳の2児の母。
ハンサムでほっそりしたトラック運転手の旦那さんはとっても子煩悩だった。
兄妹とても素直で可愛いブロンドちゃん達で私によくなついてくれた。

ホームステイ最後の夜、生徒達と先生、ホストファミリー参加のお別れ会で、
私は日舞を披露したり、ピアノの伴奏をして、みんなでファミリー達に歌を捧げた。

帰国後もホストファミリーと連絡を取り合い、別の女の子がステイしていた
斜め向かいのファミリーとも仲良くなって手紙のやりとりをした。
まだPCが普及していない時代だったから、せっせと手紙を書いて、
郵送したものだった。
そのあとも数回訪れて泊めてもらったし、斜め向かいのご夫婦には
娘のように可愛がってもらうようになった。

もともと彼らの家にステイしていた女の子は、帰国後連絡がまったくなく
音信不通になってしまったらしいが、私とは定期的に連絡を取り合い、
私のニューヨークでの大学の卒業式にまで出席してくれた。

今回ディズニーランドに迎えに来てくれたのは、
その斜め向かいのご夫婦だったのだ。

72歳と67歳の彼らはリタイアして、たまに趣味で働いたり、
頻繁に旅行を楽しんでいるようだった。娘さんももう45歳で2児の母。
昔はハードロックバンドの追っかけをしていて、
私もよくライブに連れて行ってもらっていたが、そのリードボーカルと結婚した。
私が24歳の時、彼女達の豪華な船上ウェデイングに出席させてもらった。

そのシンガーの彼を支える為に、昔はけだるい感じのブロンド美女だった彼女は
一生懸命病院の事務をしながら出産に育児。
もちろん向かいに住んでいる母親が子供の面倒をみてあげていた。

当時は長髪だったリードボーカルの彼も今ではすっかりショートヘアになり、
ソフトウェア販売会社にいやいや勤めていた。
今でもバンド活動が恋しいようである。

彼らの間にできた上の女の子は今年の秋から大学生で、ナタリー・ポートマンに
そっくりである。私が勤めていたエンターテイメントカンパニーに就職するのが
夢とのことで、アドバイスが欲しいと言われたので、自宅に行って、
オーディションのコツや、俳優組合のしくみなどを教えてあげた。
やっぱりお父さんがシンガーだったので、その血を引いているのだろう。
歌も上手いし、ルックスもいいので、将来が楽しみである。

さて、私が一番最初にホームステイさせてもらったファミリーは
どうなっていたかというと、ホストマザーは旦那さんのドラッグ問題で離婚後、
彼の同僚と再婚。当時5歳と7歳だった子供たちも今では親離れして、
息子はトラック運転手として全米を走り、2児の母になった娘は、
母親を避けて遠くへ引越してしまった。。。
あの可愛かったブロンドの子供たちも大人になり変わってしまった。。。

昔は、さっぱりしていて、ユーモアのセンスがあったホストマザーは、
今ではすっかり生活につかれているようだった。再婚後、
ラブラブだった旦那さんも、歩行器を使わなくては歩けなくなるほど、
超肥満体になってしまい、うつ病にもかかり、昔専業主婦だった彼女が
フルタイムでローン会社で働いていた。夫や娘の悪口をいいまくる彼女。。。
自分の人生にも想像していなかったことが起こるように、
人の人生も様々である。。。

彼女が何回も、「もうひとり子供作れば?犬と同じで、もう一人いたほうが、
二人で遊んでくれて楽よ。」といってきたので、
死産と流産のことを話したら親身になって聞いてくれた。

マメちゃんもぐずったりいろいろ大変だったが、みんな歓迎してくれて
久しぶりのサンディエゴ訪問も楽しく終わりを迎えた。

今回の旅でも夜中や、早朝にこつこつとPCで在宅の仕事をしていた私である。

帰ってきてまもなく、私は46歳の誕生日を迎えた。
プレゼントとして待っていたものは生理不順と蕁麻疹であった!
一月末に来た生理は2週間後の旅行中に再びおとずれる!(しかし翌月は
予定日より10日も遅れるのだった。。。)
そしていきなり腕の内側や顔にかゆい蕁麻疹。これは一週間も続いた。
検索すると更年期症状の一つにあげられていた。
抗アレルギー剤と軟膏を塗ってなんとか完治した。

毎日寒くてどんよりした気候が続き、蕁麻疹には悩まされるし、
一年契約の在宅の仕事も終わり、気分がどんどんと暗くなるのだった。

本社に勤める知人から、「この会社は本社勤務の社員でも在宅ワーカーでも
スーパーバイザーより下はみんなきっかり一年契約だから、
次の仕事を探しておいた方がいいよ。」
と聞いていたが、いざ契約が終わってみると心にぽっかりと穴が開いたような
空虚感が押し寄せてきた。

翌朝目が冷めて、マメちゃんが寝ているうちに仕事をしなければと
PCの前に座ってみたが、もう社員用のポータルにログインすることができずに
はっと契約が終わったことに気がついた。そういえば、昔フルタイムだった
エンターテイメントカンパニーからレイオフされた時も、翌日もまだ出勤して
タイムカードを押しに行くような気になり、辛かったっけ。
あの時の、あ、もう社員じゃないんだという、さみしい感覚が
フラッシュバックされ、よけいに落ち込んだ。

しかし二日もすると、まるでデトックスされたように中毒症状は身体から抜けて、
すがすがしい気分が戻ってきた。考えてみれば旅行中でさえも締め切りのことが
頭の中にあってプレッシャーだった。在宅の仕事は時間的に融通が利く反面、
プライベートとの切り替えが難しいのだ。ここらで心身ともに
デトックスしてみるのも悪くないかもしれない。
一年後に再び採用される可能性もあるとのことだし。

さて、マメちゃんは1月から保育園とプリスクールに楽しく通っているが、
プリスクール初日に専門家の先生から受けたテストの診断書が、
今頃になって届けられた。

それによると、「ハイスキルです。クラスのスコアの範囲は百点満点中
72点−97点で、マメちゃんの点数は97点でした。」

(マイナス3点は「かかと」と名字を言えなかったから。
日本語で「足」だけ教えて、heel は教えていなかった。
名字は私とダーリンの名字をハイフンでつなげた
長ったらしい名前なので、まだいいかと教えなかった。)

「言葉、数、形、色の認識など、すべてにわたって
kindergarten(日本でいう公立幼稚園年長組)→5歳からで各地域の小学校に
併設されている。マメちゃんの入学は来年の9月から)への準備は
十分できています。
テスト中も従順でこちらの支持にきちんとしたがっていました。」

へ〜、これが外でのマメちゃん?第三者からきくマメちゃんの評価は
興味深いものがあった。

これからは、はさみを使っての工作や、力強く自分の名前を書けること、
住所を言えるようになれば完璧とのことだった。そういえば、
怠慢な母親の私はPCにまかせっきりで読む力はつけたけれど、
一緒にお絵かきやはさみとのりを使っての工作をしてあげなかった。。。
まあ、これから保育園でさんざんやってもらえるだろう、
とまだまだのん気な私である。

ここ1ヵ月、マメちゃんが寝る前に必ず読むのが義父母からのプレゼントである
「My Body」という身体の仕組みに関する本で、

"Hair grows on almost every part of your body.
It protects you and keeps you warm. The hair on your head grows about
6 inches a year."

"Your bones keep your body parts together and help you move.
They help protect your insides, too."

などと、自分で読んでいるで驚いた。

そして

「誰かがおーいってマメちゃん呼んだら、それが耳に入ってそして脳に伝わるの。
じーじの脳に絆創膏はったら病気治る?じーじの声、もっと小さくなる?
ねえ、食べ物は噛んで小さくなって胃にいくけど、脳にはいかないの?
なんか脳と腸って迷路みたい!」

なんて言っているから(すべて英語であるが)微笑んでしまう。

そうこうしているうちに、また他州での仕事で、
マメちゃんとの旅が始まるのであった。


マメちゃんとカリフォルニア旅行・ディズニーランド編(マメちゃん3歳11ヶ月)

「一月末にV子とアナハイムのディズニーランドに行くんだけど、
あなたとマメちゃんも一緒に行かない?」

親友L子に誘われたのは去年の12月半ば頃だった。

一人目妊娠中の時に,職場で妊婦仲間だったV子の息子が
2月1日に5歳の誕生日を迎える。予定日が近くて、
その子の成長を見ながら、健ちゃんも無事に生まれていたら
こんなに大きくなっていたんだろうなと想像してしまう。
その彼のバースデーのお祝いを、カリフォルニアの
ディズニーランドでやろうとのことだった。

役者コネクションで、リゾートホテルは60%オフ、L子と部屋をシェアすると
さらにその半額、そしてレストランや、お土産屋さんも40〜50%オフ、
パークへの入場も自分だけでなくマメちゃんまで無料なので、
格安航空券さえ用意すれば、超お得な旅である。

それにどうせディズニーランドにいくのなら、サンデイエゴまで足をのばして、
昔お世話になったホストファミリー宅を訪れるのもいいアイデアだ。

次の旅の計画があれば田舎に引っ込んでいても
心は外の世界に向いているので気分は明るくなるだろう。

しばらくの間考えたが、私よりダーリンのほうが賛成してくれて、
ようやく決心してL子に返事をした。
ホリデーシーズンの仕事が終わって、私がまたポカンとしてしまわないかと
心配してくれたダーリンであった。

1月29日に空港近くのホテルにマメちゃんと一泊して、
翌朝、余裕でLA行きの飛行機に乗った。

機内ではキンドルファイアーで遊び、大人しくしてくれているマメちゃん。

LAに降りてから、ディズニーリゾート行きのシャトルバスに乗り、
渋滞に巻き込まれながらも、夕方ホテルに到着。
部屋に着くとL子とV子と、あと数日で5歳になるJ君が歓迎してくれた。
V子は、旦那がコンベンションの裏方の仕事の出張で来ているので、
別のホテルに泊まっていた。

13階の私たちの部屋からの眺めは最高だった。
目の前にディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーがあるので、
(2001年2月に、ディズニーランドの正門前の駐車場スペースに
カリフォルニア州をテーマに作られた。)
夜になるとミッキーの観覧車や、
ジェットコースターの色とりどりのネオンが
キラキラ輝いてL子と感動した。

巨大なウォータースクリーンを使ったワールド・オブ・カラーも
部屋から見ることが出来た。

一日目はディズニーランドで遊び、翌日はカリフォルニア・アドベンチャーへ。
しかし今までいい子だったマメちゃんがどんどんぐずりだし、
数ヶ月ぶりに泣いてばかりいる3歳児に変身してしまった。
どうやらJ君だけ誕生日を祝ってもらっているのが気に入らないようであったし、
規則正しく保育園に通っている生活から、なんでもありのホテル&パーク生活で
すっかり甘ったれになってしまったマメちゃん。

L子もマメちゃんが欲しいと言うものをどんどん買い与えているし、
私がトイレに行っている間にマメちゃんにおしろいをはたいて、
リップグロスを塗っているので驚いた!
L子に聞こえよがしに、「今日だけ特別よ!」と言い聞かせた。

土曜日にはL子の友人で、テレビや映画などに出演している俳優さんが
ハリウッドを案内してくれた。途中で通行人から写真をねだられたりしていて、
この人、そんなに有名だったんだと驚いた。
HOLLYWOODのサインを背景に、カメラの前でポーズをとる、
ミニーマウスドレスを着たマメちゃん。

週末の夜には二日続けて、産婦人科医の友人と会った。彼女との付き合いは
かれこれ12年くらいになる。
初日はホテルまで来てくれて、ロビーで夜中まで語り合い、
翌日は自宅に招待してくれた。
40歳なのに30代前半にしかみえない美人の女医さんである。
本物のお嬢様であるのに、まったく気取らず、性格はいいし、話も面白いので
会っていて楽しい。

不妊治療にも力を入れていて、腹腔鏡手術もお手の物である。
私の死産や流産の時もいろいろ相談に乗ってくれた。

ダンスがプロ並みに上手くて、NYで盛大に行った結婚式では、最初から最後まで
彼女のダンスショーかと思うくらい、見事なパフォーマンスを披露していた。
ハンサムな年下の旦那様もお医者様である。

30代後半になって結婚はしたけれど、ダンスは続けたいし、子供をすぐに作るか
どうするか悩んでいた彼女。私に電話で相談してきてくれた時、
マメちゃんを追い掛け回すのに必死であまり答えてあげられなかった。

そんな彼女も今では一歳半のお嬢ちゃんを持つ母親である。
お母さんしている姿にも驚いたが、
そろそろ二人目も欲しいといっているので意外だった。
やはり一人産むと次が欲しくなるものだ。

一歳4ヶ月のハーフの可愛らしいお嬢ちゃんは、テーブルの上に
よじ登り、コーヒーやケーキを触ろうとしたり、
トレーニングカップの水を逆さに振って床にこぼしたり、
一時もじっとしていなかった。タイプ的にはマメちゃん同様
かなり芯が強い子に見えた。

旦那さんも友人も医師ではあるが、子育ては初体験であるので、

「これからが大変ですよ〜!」

とにやりとして脅しをかけると、二人とも真剣に

「え?もっと大変になるんですか?」

と顔をひきつらせていた。

その横で一人で大人しく絵本を読んでいるマメちゃんであった。
あんなにひどいイヤイヤ期のマメちゃんだったのが、
落ち着いたな〜と目の前で動き回る一歳児を見ながら感心したり、
なつかしくなったりした。

ディズニーリゾート最終日には、アメリカで初めて
ホームステイして以来25年もお付き合いを続けている
ホストマザーと旦那さんがサンディエゴから
ディズニーのリゾートホテルまで車で迎えに来てくれた。

前回会ったのは2004年で、ダーリンと初めてご対面した3日後くらいに
サンデイエゴを訪れた時だった。
その時は「その人、大丈夫なの?」とネットお見合いで知り合ったという事で
心配してくれていた。それが今回はそのダーリンとの間にできた
3歳児を連れての滞在である。

72歳のホストファザーは髪が白髪になった以外は変わっていないし、ホストマザーは
67歳とは信じられないほど若々しくて美しかった。
50代前半といっても信じてしまうだろう。
以前はアメリカ人にしてはスリムなほうだったが、すこしふっくらしたので、
その分シワが目立たなくなり、体型もグラマラスになった感じだ。
やはり年取ってからはダイエットするよりふっくらしたほうが若く見える。

迎えに来てくれたお礼にホテル一泊をプレゼントし、
パークにも招待して一緒に遊んだ。

L子達とお別れして、アナハイムから車で一時間半の
サンディエゴのホストファミリー宅へ到着した。

初めてここに来た時はまだ21歳だった。

アメリカが好きで、アメリカにどうしても行きたい!
そんなあの頃の純粋な夢を思い出すことができるのだろうか。

そんなことを考えながら、当時とあまり変わっていない彼らの家に
スーツケースを運び込んだのだった。





マメちゃんとNY、DC、ボストン二人旅&更年期うつ?!(母45歳、娘3歳3ヶ月ー4ヶ月)

ホテル滞在を終え、新居に移り、ネット回線やサテライトTV、洗濯機も
使用できるようになった2週目。 

やっと落ち着いてきたかと思いきや、突然どんよりとした気分に襲われた。

胸が重く、頑張って身体の芯の気を持ち上げないとぐぐぐぐーーっと
堕ちていってしまうような感覚。

これは一体なんなのだろう?

しかし車で20分かけて街へ繰り出したらなんとかおさまった。

気になったまま翌日から2週間の旅行。マメちゃんと二人でマンハッタン、
ワシントンDC,ボストンへ二人旅だ。

なぜ引っ越し直後の旅行を計画したか?
それはダーリンが勤務先の大学から受講料や滞在費、旅費など全額援助で
ハーバード大学で2週間の夏期講習を受けさせてもらえることになったからだ。
ついこの間までのドン底生活からすると、これまたありがたいオファー!
でも引っ越したばかりで、2週間もこんな田舎のだだっぴろい家に
マメちゃんと二人きりでお留守番する自信はなかった。

ボストンは行ったことないし、ハーバードキャンパスのすぐ隣の素敵なホテルに
ただで泊まらせてもらえるなら便乗しない手は無い。でもボストンへ行くのなら、
ついでにNYにも行って昔の友人にも会いたいし、DCではマメちゃんの
4歳の従姉の誕生パーテイーもあるので、そこにも立ち寄るべきだとの
義父母の提案。

日本にいる82歳の父の入院もあり、最悪、いつでも日本に発てるように
マメちゃんと自分二人分の荷物を詰め込んだでっかいスーツケースに、
チャイルドシート、PCケース、マザーズバッグ、バギーで
またもや悲惨な飛行機の旅。

まず始めに、マンハッタンでは、窓からセントラルパークを眺められる
広々とした義妹のアパートに泊めさせてもらった。

18歳までバレリーナ志望で、バレエ団にも所属していた義妹は
その後進路を変更し、現在は大学教授で、人類学の本まで出版している
2児の母である。

私とほとんど年が変わらない彼女は、12歳の息子と8歳の娘がいて、
フルタイムで働き、時たまリサーチに外国へ飛び、執筆活動をこなし、
ジムでワークアウト。

食材はオーガニックのものを宅配。家族の時間は大事にして、しょっちゅう
他州や外国に家族旅行もする。暇さえあれば掃除や洗濯をしている彼女。
子供好きで、マメちゃんをすごく可愛がってくれるし、自分の子供達にも
メロメロである。一体どこにそんな時間と体力があるのか不思議だ。
やっぱりニューヨークの母達は強し!

彼女の夫はフリーでテレビ、映画関係の仕事をしている。義妹がラッキーな
ところは、旦那さんが料理担当で、いつもおいしいイタリア料理を
作ってくれるということだ。ソースも手作り!彼もまた子煩悩で、
よく遊んでくれて、子供たちもパパ大好きである。

12歳の男の子はは超頭が良く、今回も、成績優秀者で表彰式に出席していた。
彼に初めて会った時、まだ4歳かそこらだったが、もくもくと紙に
12x12x12などと計算をしている姿が印象的だった。
8歳では歴代のアメリカ大統領の名前を一人残らず言えた。
かといってがり勉タイプではなく、スポーツ大好き少年でサッカーや
野球に励んでいる。

ニューヨーカーでハイメンテナンスな家族なので、6日も滞在させてもらって
神経を使った。向こうも、子供達が夏休みで、
マメちゃんと一緒にたくさん過ごしたいということで、長期間泊まらせて
くれたのだ。まあ彼らも家族で我が家に滞在したことがあるので
それはおあいこであるが。

しかし子供達の就寝タイムは8時半で、クレージーなマメちゃんの
生活リズムとは異なり、苦労した。彼らもマメちゃんが起きているので興奮して
眠れない。。。それで最終的に、私とマメちゃんははまず昼間に第一弾のおでかけ。
そして従兄妹たちがサマーキャンプから帰ってくると、3時から6時半頃まで一緒に
セントラルパークで遊ばせ夕食を共にし、それから私とマメちゃんは第2弾の
お出かけして夜11時半頃帰ってくるというパターンができあがった。

これなら義妹夫婦も夫婦水入らずで、静かな大人の時間を楽しめる。
マメちゃんは早起きしようが、昼寝なしでも、どうしても12時前には
寝てくれない子なので、この時間に帰ってきて騒がず寝てくれるので、
いとこたちを起こさずにすんだ。

一日目からマンハッタンでマメちゃんと24時間一緒。。。
しかも大人と同じ時間に寝て起きるマメちゃんなのでリラックスタイムがない。
どこのエレベーターのボタンも押したがるので、バギーごと持ち上げて
押させてあげた。

初日は肌寒くて、ジャケットが必要だったが翌日から蒸し暑くて、
汗べとべとになりながら地下鉄の階段をマメちゃんと共に昇り降りした。
ホームも臭いし、冷房が効いていないので、気持ち悪い。
独身時代住んでいた頃は便利だと思ったが、ママになった今は
暮らしにくいだろうなーと想像した。

たいがい子供ができると郊外や、ニュージャージーに引っ越す家族が多いけれど、
義妹家族はいまでもマンハッタンに住み続ける。

「給料がアパートの家賃で消えちゃうのよ。物価も税金も高いしね〜」

とため息をつく彼女。

今回すべての友人には会えなかったが、それでも20年来の
かなり親しい友人達と会うことが出来て幸せだった。

親友のゲイちゃん演出家&映画監督のLはいつの間に舞台や映画で賞をたくさん
もらっていた。俳優としてもテレビや映画に出演し、ランチをしている途中も
ベン・アフレック主演の映画のオーデイションのことでエージェントから
電話をもらっていた。彼の過去に出演した映画のビデオをみて、
キャステイングデイレクターが興味をもったとのことであった。

20年前、大学の演出クラスでシーンを共に作成するという課題がきっかけで
知り合った彼。以来お互いのアパートにいりびたり、共に失恋のたびに泣いたり、
笑ったり、彼に作品作りを助けてもらったり、彼の演出するスペイン語と
英語のバイリンガルの舞台に出演させてもらったり、本当に特別な存在だ。

死産の時も、メールで一生懸命慰めてくれて、なにか死産を題材にした作品を
捧げたいといってくれたが、それは企画倒れで終わった。

マメちゃんとのご対面は、涙を流しながら感動していた彼。彼もマメちゃんも
意気投合でお互いじゃれあっていた。ラジオから流れる曲を一緒に歌いだす
マメちゃん。何百人、いや何千人という役者をオーデイションで見てきた彼だが、
マメちゃんのことを

「彼女は将来活躍するよ。キミの延長だ。キミは彼女を通して
仕事を得るようになる。」

と、予言した。
これってスピリチュアルフレンドのSさんも同じことをいっていたっけ。

日本人の40代女友達もその後いろいろな道を歩んでいた。

渡米後、初めてお金をもらってミュージカルに出演した時、地方公演で
ルームメイトになり、以来親友になったM子と旦那のお宅にもお邪魔。
家賃が高すぎて苦しい〜〜〜〜!と嘆いている彼女だが、
おしゃれなドアマン付きのアパートにイギリス人の夫と
幸せそうに暮らしていた。
屋上にはハドソン川を一望できるデッキがあり、そこでおやつを食べた。

彼女がミュージカルのヨーロッパツアー出演後に、ふらりと立ち寄ったイギリスで
今の旦那さんと電撃的な出会い。結婚後も長い間遠距離夫婦で、
やっと数年前から一緒に暮らし始めた彼らは、子供はまだ生活が
落ち着いてからと延ばし延ばしにしているうちに
二人とも47歳になってしまった。

でも子供がいないので、旅行をしたり、マンハッタンでのおしゃれな生活を
楽しんでいるようだ。旦那さんの稼ぎがいいので、彼女は週一のバイト以外は
ダンスレッスンを受けたり、友人とお茶したり、映画のエキストラの仕事を
したり、優雅な生活を送っている。

彼ら夫婦はいまだにラブラブである。他にも子供がいない知り合い夫婦って
ラブラブカップルが多い。我が家はマメちゃん誕生を機にもう単なる
生活パートナーと化してしまった。。。
ダーリンはもっとデートを楽しんだりしたいようだが、
私にはその心の余裕が無い。それに育児方針の違いでケンカになってしまう。

別の大学時代のクラスメイトであった40代友人Y子はすっかり
キャリアウーマンに変身していて、アメリカ人夫とは仮面夫婦に
なってしまったとこぼしていた。
彼女は高校生の頃から子供はいらないと決めていたそうなので、
キャリアまっしぐらできた。昼寝から目が覚めて号泣するマメちゃんを見て、

「子供欲しいと思ったことないけど、益々欲しくなくなった!」

といって笑っていた。

また、36歳で日本人男性とできちゃった婚、42歳で二人目出産した
友人&ファミリーとカラオケにも行った。
彼女は今50歳だが若々しい。二人の息子もとても素直で
可愛い。上の子は身長が170cmくらいになっていて驚いた。

彼女の場合、実家が大金持ちで毎月たっぷりと仕送りがあるそうなので、
たとえ日本円にして家賃35万円のミッドタウンの小さいアパートに
住んでいても、生活の苦労はないようだ。でもそうすると旦那さんの働く意欲が
なくなってしまうみたいで、仕事が続かない。

彼女は何度も何度も

「二人目作りなよ〜。4人家族はいいよ〜。それに妊娠することによって
また若返るよ〜。」

と言っていた。

別の高齢出産友人のファミリーとアメリカ自然史博物館にも行った。
私より一学年上の彼女とは、20年前、ニューヨークに来てからパーティーで
知り合ったが、実は同じ中学出身であることがわかり、さらにすれ違いでは
あったが同じ演劇部出身ということも発覚し、驚いたのだった。


旦那さんがギリシャ人である彼女は37歳で出産して、二人目も欲しいとは
思ったが、育児があまりにも大変に感じ、トライはしなかったそうだ。
久しぶりに会ったお嬢さんはもうすぐ9歳で、ダンスや演劇に燃えていると言う。
彼らはマンハッタンの家賃高騰に耐えられず、ニュージャージーに
お家を買った。日本からお母さんを呼び寄せ、同居すること10年以上。

ところで私には8年交際の末、遠距離恋愛に耐えられず去っていった
元カレがいた。私より4歳年上だった。そろそろ40歳になるし、
911テロ後、(彼はワールドトレードセンターのすぐ近くに住んでいた。)
ファミリーが欲しくなったが、彼女の私は
キャリアまっしぐらで結婚どころか、ニューヨークにはとうぶん
帰ってきそうもない。それでお互い違う道を歩こうと
涙ながらに提案してきた彼。
それから当時34歳であった私のパートナー探しの「ネットお見合いの旅」
が始まったわけだが、
その元カレとこの友人夫婦が親しいので、彼のその後も教えてくれた。

元カレは、私と別れてから一年後に日系アメリカ人女性と交際し始め、
まもなく結婚。(私と出会う前の彼女歴はすべて白人ということで、
アジア人フェチではない。。。)私とはなんか合っていないな〜と感じながら
ずるずると付き合っていたが、この女性とは、金融関係の仕事という共通点や、
外出より家で何時間でもテレビを見るのが好きという、似たタイプの
二人だそうだ。お互いそろそろ結婚したくなってきた時期に出会ったし、
やっぱり結婚って相性やタイミングなのである。

ショックだったのは、郊外に家を買い、子供を二人授かったが、奥さんが
乳がんにかかってしまい、かなり進行していて、現在治療中とのこと。。。
まだお子さん達も小さいので、なんとか快復してもらいたいと祈るのみである。

昔、まだまだ留学生気分で共にマンハッタンでつるんでいた友人たちの環境は、
この10年、20年の間にがらりと変わった。私自身だって、
アメリカの片田舎に引っ越すなんて想像もしていなかった。

ダーリン家族皆で年越しや、夏に集合ということで、またニューヨークにくる
機会はあるだろうが、この次会うときは皆どうなっているのか興味深い。

そしていよいよニューヨークを発つ日が来て、マメちゃんとタクシーで
ラガーデイア空港到着。ここ数年、ラッキーにもフライトは問題なかったし、
マメちゃんもいてバタバタしてフライト状況を確認しないまま空港へ
来てしまったのは間違いだった。

到着してみると悪天候によりほとんどのフライトキャンセル!!!
違うフライト予約のためマメちゃんと3時間も列に並んで待たされる。
しかし「イェーイ、 エアポート!!!」 とはしゃぐマメちゃん、
意外にも上機嫌で待ち続ける! 

そしてやっとカウンターにたどり着くと、「明後日までフライトありません。
明日のフライトはすべて他のお客さんにブックされました。」との対応。
なに〜〜〜〜?! そこをなんとかと頼み込んでも、
ないものはないそうで。。。 泣く泣く大荷物とマメちゃん抱え、
マンハッタンの義妹宅までタクシーで戻る。

その夜電話で一時間半も待たされながら、なんとか翌日の夕方のフライトを予約。

翌日再びラガーデイア空港へ行ってカウンターに行くと。。。

「お名前がシステムに入っていません。」と言われ激怒!

「そう言われましても、昨日お客様が利用される予定だった航空会社が
フライトを変更の際に、正確にシステム入力しなかったので
私どもの責任ではありません。
あちらと連絡を取って空いているフライトに入れてもらってください。」

なんといいかげんな!

しかし涙ながらにマメちゃんをダシに、夕べ空港に幼子を連れて
4時間缶詰めであったこと、こんな大荷物とこの子を抱えて
マンハッタンと空港を往復したのに、また違う空港ターミナルまで行って交渉し、
明日のフライトに回されることになったら困ると訴えた。

するとなんとかいろいろと電話をかけてくれて、予約どおりフライトに
乗せてもらえることになった。もう心臓に悪い!

そして一時間ちょっとでDCの空港に到着。

DCでは義弟のタウンホームにステイさせてもらい、彼らの一人娘の
4歳の誕生パーテイーに参加。NYから義妹と娘も駆けつけ、義父母や
義弟の嫁ファミリーも参加して、プールサイドパーテイーは盛り上がった。

義弟のお嫁さんは35歳だが、一人目出産後それはひどい産後うつに陥り、
人格もがらりと変わり、育児放棄、仕事も3回も辞めたり、離婚騒動にまでなり、
それがこわくて二人目はトライできないといっていたのに、今回おめでた報告。

4年経った今ではで産後うつもすっかり消え、昔の彼女に戻って新しい職場で
どんどん昇進して仕事を楽しんでいるのに、また産後うつが再発しないか、
かなり心配でもある。

ここでもマメちゃんの従姉の就寝タイムは8時半なので、マメちゃんと
大人しく地下室に引っ込む。泣き叫ぶ従姉はようやく20分くらいかけて
眠りについたようである。マメちゃんが数時間後やっと寝付いたあと、
真夜中や早朝に黙々とPCで在宅の仕事をする私であった。

週末をDCで過ごし、やっとこさ、ダーリンのいるボストンへ旅立つ。

今回はちゃんとフライト状況の確認をし、問題なくボストンの空港へ到着。

ダーリンはまだ午後のクラスを受講中なので、タクシーで
ハーバードキャンパスの真横にあるホテルへ。
真ん中に天井窓から光が差し込むレストランがあり、
その周りを部屋がぐるりと囲んでいる作り。おしゃれやね〜。

マメちゃんと近辺を散歩してみるが、これがあの有名なハーバード大学か〜。
もっとでかくてすごい作りを想像していたけど、普通のレンガ作りの
建物という印象。

夕方ダーリンがクラスを終えてホテルに帰ってきて、ご対面。

でも久しぶりに見るマメちゃんのチンパンジー振りに顔をひきつらせて、
あまり再会の感動はみられず、どちらかというとフラストレーションが
たまっているように見えた。今まで一人できれいに使用していた部屋が
荒らされた〜とため息をつくダーリン。朝5時おきなのに、
なかなかマメちゃんが寝てくれないのでイライラ度が高まるダーリン。

よかった、滞在期間を最後の3日間だけにしておいて!
最終日はダーリンの誕生日なので、それに合わせてきたのもある。

翌日はボストン子供博物館でマメちゃんは大はしゃぎ。
これは子供にとって一日中楽しめる博物館だった。


エレベーターの中、電車内、駅構内、通りのサインなど、目に付く文字は
マメちゃんに全て読み上げさせられ、本人も何回か目にするうち覚えて、
"Do not lean on door", "Emergency Exit", "No smoking"
"Fire Alarm"....などなど、読めるようになってくる。

3日目はマメちゃんとダックツアーというツアーで、始めにバスで市内観光、
そしていきなりバスが河の中に入っていってボートに変身し、そのまま
水の中からの見学と言う面白いツアーにいきあたりばったりで参加。 

最初の10分の市内観光に飽きてしまったマメちゃん、歌を歌い始めると、
私が注意する前に、後ろの人にしーっとやられる。

沈黙3分間、そしていきなりわ〜〜〜〜!と泣き始めるマメちゃん。
そうだ、いつもじょうずーとおだてられる自信の歌声を否定されて傷つく
マメちゃん。ま、まずい、なんとか泣き止ませないと。
そして抱っこして太ももをなでなですること数分、マメちゃんは
すやすやと眠り始めた。そう、観光で疲れていたのだ。

そのおかげで、落ち着いて水の上の観光を楽しめた私。
起きた後、“Hey, where is the water?” と聞かれ、
びくっとしたが、他の風景でなんとか気をそらせたので一安心。

ダーリンの誕生日であったが、彼はハーバードの最後の打ち上げディナーに
参加したため、私達とは別々の夕食であった。
私は落ち着きの無いマメちゃんにひやひやしながらモールの屋台の
Mac'n cheese(マカロニのチーズソース和え)をマメちゃんと分けた。
せっかくボストンまで来ているのに、レストランでシーフード食べられないよ〜!

でも別の日にダーリンの大学の同級生が連れて行ってくれた
シーフードレストランでロブスターに挑戦。挑戦と言うのは、
マメちゃんがバギーで眠っている隙にいそいで食べるという意味である。

しかし食べ始めた頃に目を覚まし、ぎゃーっと泣き始めそうになったので、
急いで外に連れ出した。そこでなんとかなだめすかし、機嫌を直した頃に
店内に戻る。

ダーリンと同級生は昔話に花を咲かせているが、私はマメちゃんにパンを
食べさせたりする合間にすっかり冷めてしまったロブスターの殻を割って
いそいで口に放り込む。。。
まだマメちゃん連れてのロブスター注文は早すぎた。。。(涙)

そんなドタバタ珍道中も終え、最後は家族3人で一緒の飛行機に乗り、帰宅。
父は幸い退院したということで、そのまま日本へ帰らずにすんだ。

帰ってきてまた元通り片田舎での生活が始まった。
しかし、またあの旅行前日のブルーな気分がよみがえってきたのである。
その症状は日に日に重くなり、かなり辛抱強かった私も、
マメちゃんの行動に耐えられなくなって
声を荒げることもしょっちゅう。これは今までなかったことだ。

気分はどんより。家事をする気力なし。頑張っておしゃれして街へでかけると
症状が改善されるが、そこまで行動を起こすのが一苦労。

週末、某航空会社サイトでオンライン予約中エラーメッセージが続き、
チャットで係員に質問中、執拗に邪魔してくるマメちゃん。
耐えられなくなって、マメちゃんに怒鳴ってしまうのを恐れ、
ひとりで屋根裏部屋に行き、大声で意味不明の言葉で叫び続けた。

のんきにビデオでワークアウトエクササイズをしていたダーリンが心配して
声をかけてくれたが、「一人にしてちょうだい!」と叫ぶ私。しかし、


「僕あと10分でエクササイズおわるから、それまでマメちゃんの面倒
みれる?マメちゃんにまとわつかれるとエクササイズに集中できないんだ。」

と、これまたのん気な返事。そう言われると

「はいわかりました。」

といってマメちゃんと一緒に屋根裏部屋を狂ったように走り回った。
喜ぶマメちゃん。そしてカラオケマシーンでマメちゃんと大声で歌を歌い続けた。
それでなんとかその場はおさまった。

検索魔のダーリンは後日ネットでうつや更年期症状を検索したが、結論は、

「セラピストや精神科医にみてもらったほうがいいんじゃない?」

と、産後うつに襲われた時とおなじ提案。。。

そういえば45歳になってから生理は10日も続いたり、翌月は2週間も遅れて
やってきた。しかし終わったと思ったらその2週間後に夜シーツを
汚すくらいの大出血生理がやってきて鉄剤を飲んで貧血をおさえたりで
ホルモン乱れまくり。。。自分の年齢を考えると更年期うつか? 

そしてネットでいろいろ検索。

すると環境変化をきっかけに始まる更年期うつが多いことを発見。

仕事を辞めてから、引越しをしてから、両親の健康問題や介護問題、
高齢出産の育児ストレスなどなど。。。
え?ちょとまてよ、これって私に全部あてはまっている?

そして5年前は妊娠出産本を何冊も日本からオーダーしたが、
(英語の本も読んだが、やっぱり日本語の響きや語りかけって
魂にしみついていて、読んでいるだけで癒しになるのだ)
今回は更年期についての本を5冊注文! 

ついでに更年期症状に効果があるというハーブも飲み始める。
その効果やいかに!?

次回は本の紹介や私のその後の様子などご紹介したいと思います。。。





ドン底生活から抜け出す為の幸運を呼ぶおまじないとは?(母45歳、マメちゃん3歳のお誕生日)

他州への引越しも5月にせまり、週7日働いている場合ではなくなってきたので、
6つの仕事を、給料の安い順から徐々にけずっていく。それでもまだ4つあり、
なかなか引越しの準備までいかない。

去年は最低時給の仕事の面接にさえもこぎつけず、悶々としていた。それが、
今では惜しまれながら、こちらから辞表を提出している。

まだピンとこないのだが、これから「副学長婦人」としてダーリンと共に
いろいろな行事に出席させられる為、それなりの服装やカバンも
そろえておかなければと、数年ぶりにショッピングを重ねる今日この頃。

頭の中には映画「プリティーウーマン」のテーマが流れ、以前、
高ビーな態度をとったお店に綺麗な格好をして、ショッピングバッグを
いくつも抱えて入り、ジュリア・ロバーツのように

「Big mistake!Big! Huge!」

と店員に言って、お店を去るイメージが頭の中をよぎる。。。 

といっても長身で美人なジュリアちゃまとは程遠く、チビのアジア人の自分は
ちょいとおしゃれでお手ごろ価格のお店の冬物特売品コーナーとか、
自分の勤めていたブランドバッグ屋で社員65%割引きを使ったりと、
チープで全然レベルが違うのだが。。。


昔はおしゃれに気を使っていたつもりだったが、いつの間にかそんなこと
忘れてしまっていた。それにこの2年ちょっと、ほとんど笑顔を忘れかけていた。
でも毎日幸せいっぱいで、腹の底からマメちゃんやダーリンと笑っているし、
そうすると、笑う門には福来るで、さらに長い間連絡をとっていなかった友人から
電話やメールがあったり、臨時収入があったり、いい事ずくめなのである。


さて3月。。。ここ数年、3月はいろいろな出来事が起こった月であった。

2008年3月に、愛犬のピグニーが天国に召され、その二日後に
子宮筋腫摘出手術。2009年の3月はマメちゃんが誕生。
2011年の3月は、マメちゃんの2歳の誕生日の朝に、
17歳半のチワワのユキちゃんが眠るようにして亡くなっていた。

そして東日本の大震災。。。

あれから一年。人生にとって何が一番大切なのか常に考えさせられてきた。

人間は何も持たず、裸でおぎゃーと生まれてくるし、死ぬ時も同じだ。
物質的な何かを所有しているかということではなく、どんな経験を積んで、
何を学んだかが重要なものとして残る。

私は仕事にも恵まれ、待望の赤ちゃんも生まれて、このままずっと
50歳になっても仕事を続けていられるとタカをくくっていた。
ダーリンだってそうだ。

それで退屈して、大きな買い物、家を購入してしまった。

もちろん地域によっては家を借りるより、買ったほうが将来的にずっと
安くつくことも多い。アメリカは日本より住宅ローンの金利が高いし、
十分な頭金が払えないと、30年ローンを払い終えるまでに倍以上の金額を
結果的に払ってしまうケースもほとんどだ。

だからリサーチにリサーチをかさねて、将来的にお得な物件を探し、
ひとつの収入でも十分やりくりできるローン額の家を買うべきだった。

さらに私もダーリンもまったく家の手入れが苦手で、芝の手入れや、修理など
できないので業者に頼んで出費がかさむ。友人の旦那さん達は日曜日にすすんで
家や庭の手入れをしているというのに。。。

そして家を購入して一年も経たないうちに私が失業した。今までのようにアパート
(日本でいうマンション)にいれば管理人さんが何でもやってくれたし、ローン、
保険、家の維持費などはなく、家賃だけだったので、たとえダーリンの息子の
養育費を払っていても、ダーリンの収入だけでやりくりもできた。

そんな自らの誤った判断で抱え込んでしまって身動きがとれなくなり、
さらに震災後は、兄のライフスタイルを見ていると、これが理想的な生き方かもと
おもったものだ。

彼は東京にいるので、被災はしなかった。
大企業に勤続30年。もう20年以上も5万円代の家賃のアパートに住んでいる。
趣味は読書とラジオの基礎英語で勉強すること。PCも数年前に
自分で部品を買って組み立てた。

最近は一人5万円ずつ出し合って仲間とある山にログハウスを立て、
休日はそこに通っている。

別にケチケチ貯めるタイプではなく、それどころか両親を助けたりしながらも
そこそこ貯金はある。家も車も持っていない兄は、失うものも無く、
いたって身軽に生きている。

結婚して家族がいればまた別の人生を歩んでいただろうが、このまま
老人になっても、気の合う仲間達とログハウスで団欒していくことだろう。

私は失業してからというもの、家を購入したことを何度も後悔した。
予算オーバーというだけでなく、風水に詳しいくせに、自分のこととなると、
判断を間違えて風水的にイマイチの家を買ってしまったのだ。

家の真ん中にトイレやキッチン、階段はタブーとされているが、我が家は
まさにトイレ、階段、洗濯所が真ん中に固まっている。

玄関から裏庭に出るガラスの戸が一直線上につながっていてはいけないのに、
まさにその通り。

さらに家の中心から南側に水はタブーなのだが、その方向には池がある。。。
池は家の正面、特に北側はよいが、裏にあるとお金が流れていく。

車庫の上にある部屋も凶だが、そこはダーリンの書斎。寝室に浴室が
くっついていて、クローゼット、浴室、窓とベッドをはさんで一直線上に
つながっているのも凶。。。

これでもかというくらい風水タブーでかたまった我が家。
これってもうまっさかさまに堕ちまくって、自己破産でもするしかないのかしらん? 
などと笑うしかなかった。

もちろん家の中心の真ん中のトイレは使用せず、ドアに鏡をつけてその存在を
なくすだとか、家の中心の階段には風鈴をつけて、いつも照明で明るくしておくとか、
風水解決策もあるけれど、電気代も払うのに精一杯で、そんな電気をずっと
つけっぱなしにしておけないし、トイレだってせっかくあるのだから使わなければ。

だからそんな対策もしないまま日々が過ぎいていった。
トイレや玄関の盛り塩もしばらくすると忘れ去られたまま。。。

自動車事故、流産、ぎっくり腰、父の脳梗塞、私の失業、そしてダーリンまで
職を失いかけたところで、次は何が待っているのか半ばなげやり状態であった。

クレジットカードで食料品を買いに行く生活。。。
ママ友達はみんな裕福で、どこかに出かけても、みんながアイスクリームを
食べている中、マメちゃんも欲しいとぐずっても
指をくわえて見ているしかなかった。

貧乏暇なし、チンパンジー育児にも追われ、部屋を片付けようとしても
そのそばからマメちゃんにぐちゃぐちゃにされる。。。

こうしてドン底にいても毎日トイレ掃除したとか、
水まわりだけはきれいにしておいたとか、玄関だけはぴかぴかにしておいたとか、
そんな体験談とか、風水アドバイスを読んでもまったく実行できず。。。

しかしこのドン底から抜け出すことができたのは、いくつか簡単なことを
やっていたからなのかもしれない。

まず、去年の2月から友人にすすめられて新月の祈りと満月のお財布フリフリは毎月
続けてきた。友人も彼女の周りもどんどん臨時収入やら、いい仕事が入ってきたと
驚いているこの二つのおまじない。 

毎月、満月の日には中身を全部出したお財布を満月の光にあて、
「今月も臨時収入が入りました、お月様、ありがとうございます。」
と唱えて、お財布を3回フリフリと振るのである。

そして新月の日に自分の願いを9つ紙に「−−−−ようになりました。お月様、
ありがとうございます。」と願いがすでにかなったように書き出すのである。
2つから9つの間だったらいくつ書いても良いそうだが、みんな9つでも
足りないくらいだろう。

最後は「自分と世界の皆が幸せになりました。お月様ありがとうございます。」
と書くのである。 私は毎月、ダーリンにいい仕事が入ること、
彼が幸せになれることは書き続けてきた。もちろんじぶんの仕事や、
マメちゃんの健康、両親の問題などが解決するようにも書いた。

そう、自分や家族が幸せになることを書き忘れると、収入はあがったが、
ストレスにやられるとか、マイナスの問題が起こってしまうのである。


さらに、ボイドタイムと言う時間帯もあって、その時間は新月の日でも
避けなければいけない。私の場合、毎月携帯やメールで教えてくれる
親切な友人がいたので助かった。いろいろなウェブサイトでこの満月や
新月の日にちや時間帯を教えてくれるので、皆さんも検索してみる価値あり。


雑誌「すてきな奥さん」の2010年8月号のお財布風水の記事を読み、
お財布の寿命はせいぜい1年から3年と言うことを知り、仕事をレイオフ
されてから4ヶ月後の自分の誕生日から新しい財布を使い始めた。

色は安定や計画性をもってお金とつきあうことができるようになる紫。
(青などの寒色系もOK)

カード類やレシート、小銭はお札と一緒にしてはいけないので、お札入れの外側に
別にカード入れがついている長財布(お金がゆったりできるように。)を購入。

小銭入れは別に皮製のものを買った。豊かさのシンボルである「牛」革の財布が吉。

柄物やブランドのロゴ入りなどはお金を引き寄せる効果はあるが、散在しがちで
使いこなすのが難しいというので無地の物を買った。なるべく裏地や縫製などが
しっかりしていて、シンプルなものがよい。

セール品など値段から選ぶのではなく、自分が本当に気に入ったものを、
感じのいい店員さんのいるお店で買う。

そして付録の「斉藤一人金運お守りお札」をお財布の中に入れた。

また、ゆほびか2010年9月号で、綾小路有則のスピリチュアルアートの絵や
ポストカードを飾るようになったら運が好転したとか、病気から回復、
彼氏ができた、仕事運アップ、資産価値一億円の家を現在までのアパートと
同じ家賃で借りられるようになったという記事があって、
付録にそれらのポストカードサイズの絵がついていたので、半信半疑で
飾りはしなかったが、たまにじーっと見つめてみたものだ。

さらに別の付録のバシャールのセミナーと本田健のお話が収録されているCDを
撮影に行く途中車の中で聞いた。その帰りにダーリンから例の大学と
電話面接し、手応えがあり、すごい良い条件を提示されたという朗報があった。 

そのCDの中では、瞑想トレーニングもあって、設定は自分がある部屋に
入っていくとそこには好きな友人達が集まっていて、その部屋のドアが開くと、
5年後の自分が入ってくるという内容。
そして今の自分にこの5年間の間どんなことを経験してきたかを語ってくれ、
自分を励ましてくれる。最後にぎゅっとハグしてくれてプレゼントをくれる。
そしてその部屋から今の自分の部屋にもどってくる。
プレゼントをあけると何がはいっていたか。。。。? 

そのCDをクリスマスシーズンに友人に貸したままなので、内容ははっきり
覚えてないが、たしかそんな内容だった。

斉藤一人さんがツヤツヤの顔は幸運を引き寄せるというので、化粧水の上に
ちょっとだけワセリンを塗って顔に光沢を出したし、さりげなくラメが入っている
シャツや、マニュキュアも塗った。

一方、以前は部屋を散らかしていたダーリンだが、自分のバスルームはきれいに
するようになってきたのだ。その家の主人がトイレ掃除をすると金運がアップすると
言われているが、別に風水に詳しくもないダーリンが自発的に風呂釜や、
便器の掃除を始めたのだった。

おまじないを続けているにもかかわらず、8月から10月末まで仕事もほとんど
入ってこなくなり、ガソリン代も節約してクレージーなマメちゃんと二人で
家でどんよりしていたが、そうすると、益々運は逃げていくのだった。

とにかく毎日明け方までオンラインで最低時給の仕事の応募をしても面接にさえも
こぎつけず、自信もがた落ちで、仕事を失ってから親友と呼んでいたL子やシニアの
マブ達Nさんとも連絡を取らなくなった。というか、こちらからメールしても
留守電を残しても返事は無い。。。この10年間の親交はなんだったのかと
悲しくなるのだった。

でも独女で子供のいない彼女達からすれば、お金がないし、じっとしていられない
2歳児抱えている私とは流行のレストランにもショッピングにも行けないし、
じと〜っとしていて、会っても面白くないのである。

さらに、どこに行っても「世の中不景気ですね〜、はい、私失業しました、お宅も?」
なんて話題にばかりなるから、まさにネガテイブの相乗効果で落ちていく一方という
悪循環なのである。


一方、凶運の家の南に位置する池であるが、秋になると、裏にあった池が降水量が
少なくて干からびて一切水がなくなってしまった。
それと同時に運も上がっていったのだ!

努力の甲斐あってか、10月半ばから2社にパートで採用され、11月からは
週五日のホリデーショー、休日はブランドバッグ屋さん、週一、
カラオケステージ司会、単発のビデオやストーリーテリングの仕事など入ってきて、
じと〜っとはしていられなくなった。行く先々でいろいろな人と会って話し、
アイデアをもらい、運気も上がっていくのだった。

そして今年になって仕事6つかけもちし、ダーリンの好条件の再就職先も決まって
顔から幸せ感がみなぎっていると、10年も連絡をとっていなかった友人から急に
電話やメールがあったり、パーティーに誘われたり、こんどはポジティブの
相乗効果で、どんどん活気に満ちていくのであった。

6つの仕事のうち4つは人からの紹介でゲットした仕事であるから、
やはりじっとしていては何も始まらないということを実感した。

数年前から働いているリゾートのカラオケステージの司会の仕事だって、当時
マッチドットコムで知り合った相手がカラオケ好きということで、
たまたまディナーの後、そこに行って、私が歌ったら、
司会をしていた顔見知りの演出家がスカウトしてくれて、カンパニーの社長に
紹介してくれたのだ。

ブランドバッグ屋さんもパーティー先で知り合った女性がマネージャーを
していたので、紹介してもらった。もちろん彼女が推薦をしてくれたというだけで、
グループ面接の一次、そして店長さんとの個人面接と、2回面接があったわけだが。

さらにおいしい在宅の仕事も、他州の1,2年に一度電話で話す友人に

「私が失業した上に、ダーリンまでも仕事の危機になっちゃってさ〜。」

と、もう開き直って明るく電話で話していたら、

「そういえば、私の友人がこんな在宅の仕事やってたよ。応募してみれば。」

と応募先URLを教えてくれたのだった。それは友人の推薦状も何もなく、
自分で2ページぎっしり売り込みのカバーレターを書いて応募した結果だが、
あの時友人に電話していなかったら、そんな仕事の存在はまったく
知る機会がなかった。

ヴァケーションセールスのテレマーケテイングの仕事も役者仲間の紹介だった。

だから、とにかく自分でやれるだけのことはやって、さらにどんどん外へ出て行ったり、
古い友人と連絡を取ったりしなければ、このご時世、仕事にはありつけないのである。

そんなわけで、持って生まれた運、その年の運、家相、風水、努力など
いろいろな要素がからみあって落っこちたり上がっていったりの人生であるが、
とりあえず、これからはしばらく上昇しそうである。

さて、チワワのユキちゃんの一周忌に3歳の誕生日を迎えた
マメちゃんの成長レポートであるが、正直3歳という実感がわかない。
この前まで赤ちゃんだったマメちゃんがもう3歳?

ということは自分も3年、トシをとったわけである。 

2歳まではやれ笑った、アルファベットが読めた、こんなこと言えた、
三輪車に乗れたとかちょっとした進歩が新鮮で驚きと喜びがあったが、
最近はそんな感動も前ほどはわかない。

ある程度しゃべれて当たり前、だいぶ前から身体的にはかなり器用に
なってきていて、特に驚くほどの変化もない。

とにかく仕事の日の朝は、車のチャイルドシートに乗ってくれるまでが
気が遠くなりそうだ。

まずなんでも自分でやらないと気がすまないので時間が3倍はかかる。
そしてお誕生プレゼントのプリンセスの衣装セットをすべて身につけたり、
着替えを3回も繰り返すのでこれまた遅刻ぎりぎりになる。

車にたどり着くまで、草や木に立ち寄りのろのろ歩き、チャイルドシートに
座るまでもノロノロ、シートベルトも自分で締めなきゃ気がすまない。

これ、時間に制限がなければゆっくり時間をかけてやらせてあげたいが、
仕事に行かなきゃいけないママにとっては遅刻しそうで冷や冷やものだ。

託児所では夕方に長くお昼寝をさせてしまうようで、夜はどんなにがんばっても
午前1時近くまで寝付いてくれない(涙)
私がくたくたで眠りかけても私の目をこじ開けるマメちゃん。

遊園地に行った日や、お友達とおもちゃの取り合いをした日は興奮して夜泣きが
2,3回ある。いきなり真夜中に泣き出して、手を天井に差し出し、

「これ、マメちゃんの!これ、マメちゃんの〜!」とか、

「ママ〜〜〜!ママ〜〜〜!」と言うので、

「ママここだよ。」といって

ももをさすってあげても「ママ〜〜!」と泣き続けるのである。

ある日は託児所仲間のハーフジャパニーズのK君のことを話すマメちゃん。

「K君 pushed マメちゃん。」

と、自分の首を押してみせるマメちゃん。翌日は

「マメちゃん pushed K君」

と逆襲の告白。

シッターのSさんによると、K君はシッターさんや三つ子ちゃんみんなのことを
押すらしいが、マメちゃんはまったく穏やかで、そんな行為はしないそう。

さらに翌日、マメちゃんの背中やふくらはぎ、足の裏にマジックで
いくつもの十字架が書かれている! 「これまさか。。。?」というと、
マメちゃん、

「Yeah, K君 did it.」

と言った。お風呂に入って石鹸でごしごし洗ってもとれない。
私もおおざっぱなので、気にしないし、K君のママは友人で、
この託児所を紹介してくれた恩人でもあるので特に何も言わなかった。

シッターのSさんに苦笑しながら、

「K君、マジックでマメちゃんにいたずら書きしたんですね?」というと、

「そうなのよ。色絵ブックとマジック持参できたんだけど、
目を離したすきにマメちゃんにらく書きしちゃってさ。注意したんだけどね。
あの子のママってなんでもやらせ放題だからね。」

と、いたってのん気なSさん。衛生面や安全面ではかなり几帳面な
Sさんなので、ま、落書きくらい仕方ないか。。。

2歳3ヶ月の頃、教えたわけではないが、自分からおむつを脱いで、
トイレに行きだしたマメちゃんであるが、また託児所通いが始まったら
おむつに戻ってしまった。私と一緒の時は家や、外出先でもトイレでしてくれる。
でも託児所にいるときはまったくトイレに行かないようだ。

Sさんがマメちゃんと共に面倒を見ている姪っ子は4歳半になるのに
まだオムツをつけている!
Sさんに「おしっこと言ったらトイレに連れて行ってください」といっても
全然やる気なし。

3歳半のK君のお母さんも、一週間のヴァケーションでせっかくオムツが取れたのに、
戻ってきたらまたオムツに逆戻りしたと不満。

毎朝、ごていねいに、ドレスを着て、頭にはティアラ、そしてブレスレットと指輪に
ハイヒールシューズをはいて託児所に行くマメちゃん。車の中で

「K君 and A君 will say “Wow! Mamechan is so beautiful! “ 」

などといっている。それをSさんに話すと、

「そうなのよ、マメちゃんがドレスアップして現れると彼らそういうのよ。」

え?3歳のK君も2歳のA君もママが日本人のハーフジャパニーズであるが、
こんな年からもう西洋流ナンパ術を身につけている!

ここ3年童謡ばかり聴かされて疲れていたが、最近は「ミュージック聞く!」
とやっと童謡漬けから解放された。彼女のいうミュージックとは、
アースウィンドファイヤー、マイケルジャクソン、ブロードウェイロックミュージカル、
ジュエル、レディ・ガガなどで、足でリズムを取るマメちゃん。
でもダーリンの車では「バッハ聞く!」とクラッシックのリクエストらしい。

就寝時間は遅いが、やっと6〜7時間はまとめて寝てくれるようになった。
危険なものの区別もつくようになったし、すべてのものが高い場所に置かれて
避難所となっていたが、だいぶ所定の位置に置けるようになった。

楽になったものだ。しかし例の引越し先の広い家を下見に行ったとき、
これは広すぎて親子3人では寂しいなあと思った。そういえば、向こうで出会った
多くの人々は軽く子供4〜5人いますって人が多かった。
田舎で娯楽があまりないからどんどん作るのだろうか。

そんなことを考えていると、なんだかまた赤ちゃんが欲しくなってくるのだった。

しかし考えれば考えるほど、やめといたほうがいいと思う。何しろ私もダーリンも
子供好きではないのだ。これから飛行機で、仕事や用事でいろいろな場所に
飛ぶ可能性もあるが、マメちゃんひとりだとまだ身軽だが、もうひとりとなると、
これはかなり難しくなる。また、最近やっとおしゃれを楽しめるようになってきて、
昔のジーンズも入るようになってきたのに、また体系は崩れる。。。

妊娠、出産は相当な覚悟と努力なくしては成し遂げられない。こんな怠慢な私だが、
今思えば、マメちゃんを授かる為にあらゆる努力をした。
リスクも頭に入れながら子宮筋腫の開腹手術を実行した。事前に自己血も
採血しなきゃならなくて、2度も失格で、ステーキやほうれん草や鉄分も
たっぷりとった。そして面倒な妊娠糖尿病ダイエット。。。
今度も確実に帝王切開になる。

卵も年老いて、妊娠できるかわからないし、継続できるか、健康な子が生まれるかも
定かではない。生理は以前は四日くらいで短かったが、今回は一週間すぎても
なかなか終わってくれない。。。これも更年期障害の兆候だろうか?

去年の12月にアメリカのリアリティーTVに出演している、19人子供がいる
45歳の女性が20人目を妊娠していて、男の子か女の子かが判明する
19週目の健診の日に、医師から心拍が見つかりませんと宣告されたニュースが
あった。

自宅で悲しい産声の聞けないお産をし、名前をつけて葬儀を開いた。

その前の赤ちゃんは2,3年前に誕生した時、予定日より4ヶ月早く
未熟児として誕生した。

とにかく1988年から2009年まで毎年出産してきた多産系の彼女も
45歳と言う卵子の老化には勝てなかったと思うと、死産1、流産1の
自分にまたそんなことが起こる確率が高いのではと不安になるのだ。

といってもこのブログの読者さん達はじめ、他にも45歳で健康な赤ちゃんを
出産したという明るいニュースは結構ある。

3人プラス一人養女を抱える45歳の4児のママの友人は言った。

「子供が1歳くらいまでは妊娠や産後のホルモンで次の子が欲しくなって、
そのあとは子供が3歳になってだいぶ楽になった頃また欲しくてたまらなくなったわ。
もっとも4人目は自分の身体で生む自信がなかったから養子縁組をしたんだけど。」

新しい生活が始まってからどのような心境の変化が起こるのか
自分でも興味深いところである。

え?突然フルタイムの仕事採用って。。。。?(マメちゃん、2歳10ヶ月にしてついに発熱デビュー!)

年が明け、あっという間に半月たってしまった。
年末からお正月にかけて、ダーリンの妹ファミリー、弟ファミリー、両親が
我が家に集まって、笑いあり、ケンカもありの、わいわいがやがやの年越しとなった。

12月29日にまず義妹ファミリー到着。その日は、ダブルシフトで
夜中2時帰りの私。。。ダーリン、ちゃんとマメちゃんがちらかしたあと
片付けて迎え入れてくれるかな〜、もうぐーたら主婦と思われちゃわないか不安だった。
出勤前にやるだけのことはやって家を出たが、シーツが乾いていないので、ダーリンに
ベッドメーキングを頼んでおいたが、案の定、忘れてしまったようだ。。。

大晦日に残りのファミリー到着で、私は年越しそばや、チャーハンおにぎり、餃子、
枝豆を用意し、ピザもオーダー、パスタも作った。

元旦はなんちゃっておせち料理とお雑煮を作り、イタリア系アメリカンである
義妹のダンナは料理が上手で、最高においしいリゾットを作った。
あとは義父母の招待で毎夜おいしいレストランでお食事!

そんなんで、3が日はあわただしく過ぎ、今年の抱負も一日遅れで書き上げた。
できあがったものは17項目! やはりメインは自分がワクワクすることを見つける!
そして去年と同じことは繰り返さない。

失業保険の申請を恐る恐るしたが、なんとかあと4ヶ月は受給できるようである。
そして去年の年収を申告しているうちに、パフォーマー業のフリーランスを
ぼちぼちやって稼いだ年収は、私ができるレベルの普通の仕事をフルタイムで
週五日働いた場合の金額と変らないか、それよりいいくらいであると気付いた。
同じく、レイオフされた役者仲間も同じ事を言っていた。ということは、
やっぱりいやいや自分のしたくない仕事をやっていくより、自分の能力を活かせる、
やりがいのある仕事を得る努力をするべきなのだろう。

去年の夏からあんなに苦労して職探ししたけど、結局ホリデーシーズンが終わったら
どこも暇になってしまい、かばん屋さんからもお声がほとんどかからない。
面倒なのは、オンコールと呼ばれるシフトを週末に入れられていて、
その日を空けておかないといけない。そしてシフトの2時間前に電話をして
自分が必要か尋ねる。お店が忙しかったら来るようにいわれる。
しかしほとんどの場合、こないでいいよと言われる。

なにしろフルタイムの従業員さえも、週五日のうち、三日はこのオンコールシフトなのだ。
他のお店もそうらしい。エンターテイメントカンパニーのほうから代役として
頼まれた場合、お金はずっといいのに、このあてにならないオンコールシフトの為に
断る羽目に。。。

このかばん屋さん、一月からレギュラーで入れてもらいたいと、がんばって
ホリデーシーズンは休日返上で働いたが、一ヶ月の託児所代は日本円にして
8万円くらいかかってしまったし、ホリデー明けはこんな状態。
でもやっぱり頭だけで想像しているより、体験したから納得できるものなのかもしれない。

さて、病気知らずで、突発性発疹にもかからず熱を出したことのない
マメちゃんだったが、このたび見事に発熱デビュー!(ってお祝いしてどうなる?)

その日は朝、エンタテーメントカンパニーから代役を頼まれ、出勤。
帰りにPCで失業保険の申請をしていると託児所のTさんから電話。

「マメちゃん、体がすごく熱いわよ。そういえば今日いつもより大人しかったわよ。
うちの4歳の姪っ子のお薬飲ませましょうか?」

とのこと。

「小児科医の義父に聞いてみますからちょっと待ってください。
今からすぐ迎えに行きます。」

珍しい!マメちゃんが熱?義父に聞くと、38度以上でぐったりしていれば
解熱剤を飲ませるように、でも元気ならそのまま自然治癒させなさいとのこと。

可愛そうなマメちゃん、どんな様子で出てくるのだろうか。。。と思いきや、
Tさん宅のドアが開くと、歌を歌いながら走り出してきたマメちゃん。そして 

“Mamechan can help mama!” 

といって重いマザーズバッグを車まで運んでくれた。確かに体がものすごく熱い。

帰宅して熱を測ろうとしても自分でやるといってきかず、正確な測定は不可能。。。

その夜は15分ごとに起こされた。やれリスの人形もってこい、今度は
別の人形もってこい、水ちょうだい、おむつ替えて、タオルちょうだい。。。
面倒なので、明け方まで起きていた、そして1,2時間だけ寝た。

翌日は念のためお医者さんに連れて行った。ここでも
「イェーイ!ドクターズオフィス!」といってはしゃぐマメちゃん。
待合室でも大人しく椅子に座って待つこと一時間。成長したねー。

そして診察してもらったものの、昨日よりは熱が下がっていたが、
それでも38.4度はあった。のども赤くなっていないし、鼻の中も耳の中も、
肺の音もきれいなので薬も何も処方されず帰ってきた。

その翌日にはすっかり平熱に戻っていたが、数日後今度は私がうつされてしまった! 
マメちゃんは熱とせきがあるだけで元気だったが、私の症状は重くて辛かった。。。

解熱剤を飲んでも熱は38.5度。そのうち全身に蕁麻疹がでてしまい、
赤い地図のような形のつながった発疹。。。体の芯が冷えて寒いし、
でも外側は熱いし、頭痛、関節痛、くしゃみ、鼻水、湿った咳のオンパレード!
幸い、のどの痛みがなかったことが救いだ。

こんな状態じゃあとてもパワフルなマメちゃんの面倒はみられない。
はい、甘ったれの高齢出産ママでございます。
ということで、熱が引いてから日にちも経っているし、元気なマメちゃんなので
託児所(といっても預かってもらっているのはマメちゃんひとりか、
他のハーフの男の子ちゃんのみ)にお願いした。

あ〜、身体はつらいのだが、久しぶりに家でひとりになれた開放感!
二人目をのぞんだ時期もあったが、最近は体力の限界を感じていて、
いよいよ赤ちゃん服を寄付しようと整理中だ。

去年の7月に二人目を生んだママ友は、生後5ヶ月の男の子は
一日14時間寝てくれるそうだし、ベッドにごろんと転がせば勝手に
寝てくれるそうである。図書館の読み聞かせでも静かにしているし、
本当にいい子ちゃんだ。そして上の2歳9ヶ月のお姉ちゃんも赤ちゃんの頃から
良く寝てくれる子だったそうだ。

従妹も3ヶ月前に二人目を産んだが、これもまた兄妹そろってよく寝てくれる子達。
それに比べると、寝てくれないマメちゃん、もうこの2年10ヶ月睡眠不足に
させられている。寝ないし、ごはんもあまり食べてくれないくせに、朝から晩まで
元気でついていくのが大変だ。

去年の秋に、健太郎の妊娠の時に通っていた産婦人科医に久しぶりに健診に行った。
待合室に入ったらあの時の体験がよみがえったりしてどうなることかと思ったが、
幸い涙も出ず、なんだ、もう大丈夫じゃん!とたかをくくっていた。

しかし診察室に入り、看護師さんと再会したとたんに涙が。。。
さらに先生と話しているうちに涙ぼろぼろ。。。もうあの初めての妊娠、
そして死産と言う体験がフラッシュバックされてしまったのだった。
先生が、

「死産の後、次の子はちゃんと産まれたのね、よかったわね。その後また流産。。。?
まあ、心拍まで確認できていたのに?この次妊娠したらすぐ私のところへ来てね。
最初から黄体ホルモン補充療法してあげますから。」

と言った時、最初からこの先生のところに来ていれば妊娠継続できていたのかな?
などと考えてしまったが、時すでに遅し。
そういえばこの先生は4児のママだったんだっけ。

スピリチュアルフレンドのSさんは言った、

「かりりんちゃんにとってマメちゃんはすごいギフトなんです。
すごいもの持って生まれてきましたから、将来大物になりますよ。」

次の子を流産しかかっている時も、

「その子は男の子ですね。マメちゃんが一人っ子か二人姉弟になるかで、
マメちゃんの持っている才能をどれだけ伸ばせるかが変ってきます。」

と、マメちゃん中心のアドバイスをくれたSさん。

子供に夢を託すタイプではないので、将来別に大物にならなくてもいいけど、
心の優しい子にはなってもらいたい。しかし、発熱デビューの後、
なんかいきなりひねくれた3歳児のようになってしまったマメちゃんである。

ほんの一瞬お皿をテーブルに置いたすきに、熱い鍋のとってを持とうとしている
マメちゃんを発見! 最近背が伸びて、なんにでも手が届くようになってしまったので
冷や冷やだ。もう危なくて血相変えて叱った。するといつもなら反省するはずが
にやにやして私の言ったことを真似ている。その後も一人で何度も真似してげらげら。
悪魔のような微笑である。

それから何度も 

"That's it! That's enough! OK?!"

と言って寝室のドアをバタン!と閉じてしまったり、口調も生意気なアメリカ人の
子供のようになった。英語だから、ほんと、この子どこの子?みたいに、
自分の子供でないようなピンとこない感覚。恐ろしい。。。
このまま手のつけられない子供になってしまったらどうしよう!
と今までのただ何もわかっていないだけのチンパンジーの育児とはまた別の悩みが。

熱を出している最中、甘やかしてしまった後遺症で、下の子ができたわけでもないのに
赤ちゃん返りもしているマメちゃん。おしゃぶりなんて赤ちゃんの時さえしたことないのに、人形のおしゃぶりを持ち出して口にくわえ、おくるみで自分をくるめと強要。
そして赤ちゃんになったマメちゃんを抱っこしなければいけないのだ。
言うことを聞かないと叫びだし、物を投げる。犬のようにクンクンした声を出したり、
意味もなくママ、ママ、ママ、ママ、ママと抱っこしていても呼び続けたり。。。
そうかと思うと、生意気なアメリカンキッズの口調になって口ごたえしたり。。。

不安になった私はYOUTUBEでSUPER NANNYを見て育児のおさらい。 
とにかく、一日の時間割をきちんと作り、子供を退屈にさせないこと。
子供が悪さをしたら、しゃがんで目線を子供とあわせて低音の先生口調で

「その行為は受け入れがたい行為です。今度やったらおしおきコーナーに
連れて行きますよ。」

と警告。それでも繰り返すようなら部屋の隅のおしおきコーナーに立たせるか、
座らせる。(子供の年齢が2歳なら2分、3歳なら3分。)
そこを離れようとしても無言で連れ戻す。そうするとどんな悪ガキでも
不思議と観念するようである。時間がきたらまた目線を合わせて、
どうしてそこに立たせたか伝えて謝罪を求める。
子供が謝れば抱きしめてあげる。

犬の飼育と同じで、声のトーンが重要。低音で警告を促すか、おもいっきり高音で
おおげさにほめちぎるかの使い分け。注意すると時、決して感情的にならないことが
ポイントだ。この方法を実践していたら、マメちゃんにも効果があり、
発熱後一週間経った今は元のマメちゃんに戻ってくれた。


でも一人遊びしてくれなくなり、一日中おにんぎょうさん遊びに付き合わされる。
服も、ドレスが好きになり自分で選び、自分で着ると主張。袖が通らないと怒りだし、
癇癪を起こす。靴下も、靴も自分で選ばないと気がすまないので、
恐ろしい色のトータルコーデイネイトで外出するのが恥ずかしい。

なんでもその場で歌にしてしまうというミュージカル気質のマメちゃんでもある。
渋滞に巻き込まれると、“Cars, cars, lots of cars~!” と後ろの席で歌いだす。
風船で遊んでいると、 “Balloon, balloon flying into the sky~” だし、
咳をしていると“Coughing coughing coughing today-----------!”
とメロデイーをつけて歌っている。暇さえあれば何か歌っている。

試しに最後の部分をあげてソプラノ風に歌わせて見せると、ちゃんと
同じ音程で真似るし、低音にすると、それもついてくる。そのままの音で伸ばし、
ビブラートをつけるとそれもできる。と、さりげなく歌唱レッスンをさせる
私なのであった。

先日、病み上がりで頭ぼさぼさでマメちゃんを追い掛け回していると、役者仲間で
仲良しの友人から電話。

「うちの会社でひとり空きが出たんだけどさー、やらない?フルタイムの仕事だよ。
月から金の3時から9時まで、コミッション制。」

この日本語全然しゃべれない日系3世のおじちゃん、このヴァケーションセールスの
仕事しながら頻繁にオーデイション行って仕事ばしばしとって来る。
だから役者にとってはかなり都合の良い仕事なんだろうなあと想像していた。
でもいきなり言われても心の準備が!

「じゃあ今からボスに電話かわるから。」

ちょっと〜〜〜〜!急にボスとお話ですか?

そして女性のボスが電話口に。

「電話でのヴァケーションパッケージのセールスの仕事だけど、経験なくても
私がトレーニングしてあげるから大丈夫よ。これから面接こられる?」

まだ昨日熱が下がったばかりでボロボロの状態なのに。。。
それにフルタイムの仕事なんて本当にやる気あるの?でもまあ、こんなふうに
入ってくる仕事はなんかの意味があるかもしれない。

しかし、マメちゃんを託児所に預けて面接いかないと。。。と懸念していると、
なんとマメちゃんも連れてきてOKとのこと。

それから5分で髪をあらい、スーツを着て、履歴書を持参し、マメちゃんと
そのオフィスに向かった。マメちゃんはそこで働く例の友人がが面倒を
見ていてくれるということで隣の部屋に。

綺麗な女性のボスらしき人が、仕事内容をすらすらっと説明してくれた。

「これはいきなり誰かの家に電話をかけて売り込むってタイプの
テレマーケテイングじゃないのよ。ウェブサイトでヴァケーションのチケットを
購入した人で、他のツアーや宿泊先のオプション希望ボタンをクリックしたら、
あなたが電話で答えるわけ。契約のクロージングは別の係りがやるから、
心配しないで、オプションの説明してセールスに集中すればいいのよ。」

ということで、基本給は払ってもらえるし、売り上げがあれば、コミッションが
もらえる。順調にいけば、かばん屋さんよりずっといい収入になりそうである。
自由な職場の雰囲気、服装も自由、タイムカードもなし、休みも結構
自由にとれるらしいし、医療保険も加入させてもらえる。

「どう?来週から来てもらえる?」


え?即採用ですか。。。。?

去年の夏から2ヶ月毎夜明け方までオンラインで就活しても面接さえも
こぎつけなかったあの日々はなんだったの?というくらいなんの努力もなしに、
風邪で寝てたら入ってきちゃった条件のよいフルタイムの仕事。
仲良し役者仲間が一年以上続けて働いているから環境もよさそうであるし、
信頼できる。時間帯も悪くない。でもなんかあまりに突然の事で、
まだピンとこないのであった。

よくわけがわからないまま、隣の部屋に行ってみると、他のテレマーケターの
社員達にまぎれて、まるで仕事をしているかのようなマメちゃん。 
空いているデスクで静かにお絵かきをしていた。え?目の前に大好きな
コンピューターのキーボードと電話があるのに触れようともしていない? 
おじちゃんが、

「これ、ほんとにマメちゃん?こんな大人しい、いい子になっちゃったの?」

としきりに感心していた。以前会った時は、放し飼いチンパンジー状態であったからだ。

その数日後、今度は去年の秋に友人から紹介してもらった在宅の仕事で、
応募して忘れていたのだが、返事がきて、書類審査にパスしました、
あとは書類に全部サインしたら採用ですなんてメールが来た。


年が明けてこれから暇になるなーと覚悟していたが、結構忙しくなりそうだ。

休みなしのホリデーシーズン!今年を振り返って (マメちゃん2歳9ヶ月)




アメリカでは、サンクスギビングの翌日はブラックフライデーと呼ばれる、
一年で一番お店が忙しい大セールの日。その日にホリデーショーの初日のはずが、
ブランドバッグ屋さんで働くために代役の俳優さんとシフトを替わってもらった。
本当は役者が本業のはずなのに、来年からの仕事維持の為に
かばん屋さん優先。。。

お店の前には長い列ができて、レジでの待ち時間も何十分。。。
ブラックフライデーなんてショッピングさえも行ったことなかった。
あるデイスカウントストアでは、たった1ドルのタオルで取っ組み合いの
ケンカになったり、ペッパースプレーを相手に吹きかけて、先をこされないように
妨害するなどの、醜い奪い合いのニュースが流れた。

翌日の土曜日は、ホリデーショーに出演。そして日曜日はまたお店に戻る。
月ー金はホリデーショー、土曜、日曜はお店、水曜の夜は、昼間のショーの後、
リゾートのカラオケステージの司会を午前一時半まで。。。 
この休みなしが年末まで続くのか。。。
去年のように声がでなくなる風邪を引いて、六日も休むことになったら元も子もない。。。

2週間休みなしで働いたが、身体は元気で、なんだまだいけると思った朝。。。
マメちゃんとの添い寝で隅に押しやられ、寝違いで首と肩が痛い。
運転していて、右の車線を確認しようとしたところ、首がまわらない!
その日は無理して、ショーに出たが、二日たっても治らない!
水を飲むのも首が痛くて一苦労。目薬なんて、仰向けに寝ないと
させないのだった。

仕方なく、翌日は代役に代わってもらって、カイロプラクティックに行った。
三日目は痛みはなくなった。

それからまた働き続けたが、クリスマスは、アメリカのお店はどこもお休みで、
かばん屋さんもオフ。ショーもたまたま日曜ということで、私は珍しく
お休みの日だった。

マメちゃんは11月末から週七日、託児所に通っていた。
私が週七日働いたいるのと、ダーリンが週末は職探しで忙しく、
とてもマメちゃんの面倒は見れないと言う理由である。

そんなわけで、クリスマスくらいはマメちゃんサービスしなければと、
テーマパークに連れて行った。ダーリンは、家でせっせと就職活動であった。

8時間たっぷりサービスというか、追い掛け回して、仕事よりぐったり疲れて
帰ってきた。マメちゃんはサンタのストーリーテラーと写真を撮ったり、
バンドを二つも見て、踊りまくり、ヘビメタヘアーのお兄さん達と写真撮影。
お兄さん達、「この子、俺達の演奏中に後ろ向いて観客に拍手を促して、
かわいかったよなー。」とニコニコ顔。

しかし、、、、これ、たまにだからいいんだけど、一月から毎日サービスの日が
続くと想像しただけで、疲れてきた。 これからは仕事でびっしりの
スケジュール帳ではなく、育児サークルのイベントでびっしりのスケジュールに
逆戻りになるのか。。。

でも先輩ママさん達に言わせると、今が一番可愛い時期だから、楽しむべきだと。
彼女達はテイーンエイジャーのお子さん達に手を焼いている。そういえば、
ダーリンの息子も11歳の夏、たった2ヶ月でいきなり身長が伸び、ダーリンを
越えた。先週12歳になったばかりだが、マメちゃんは彼をすごく
慕っているのに、完全無視で、ずっと音楽ばかり聴いている。
にこりともせず、部屋に閉じこもって明け方まで70年代の音楽を
聞き続けている。ついこのあいだまで、つぶらな瞳で、「かりりん、遊ぼう!」
と私の手をつないで走り回っていた彼の面影はもはやない。

気が付いたらあっという間に年月は過ぎ、マメちゃんもそうなって
いるかもしれない。女の子は男の子よりませているし。

そう考えると、今は可愛いものだ。3歳ほど悪知恵はついていないので、
とにかく単純である。

最近は何々ごっこ遊びが好きで、何十回同じことをやらされる。

ファーストフードのキッズミールのおまけのキテイちゃんの人形を私に手渡し、
「キテイちゃん、YOUTUBE見ゆの。」というので、ブロックをPCと仮定して、
キテイちゃんを座らせる。するともうひとつのキテイちゃん人形をもつ
マメちゃんはたずねる。

“What are you doing over there?”

“I am watching YOUTUBE. Would you like to join me?” 

と答えなければいけない私。

“OK” といって、キテイちゃん座らせるマメちゃん。

しかししばらくすると、PCがこわれるという筋書き。

Oh no! It’s not working!” とマメちゃん、叫ぶ。

“Let me fix it.”  といって、ブロックをがんがんとたたいて
修理しているつもりのマメちゃん。

その後、キテイちゃん達はお風呂に入って、ねんねして、コケコッコーと 
ニワトリが鳴き、託児所へいき、ママお仕事。そしてフクロウが鳴き、
お星様やお月様が出てきて、ママは託児所にキテイちゃん達を迎えに行き、
一日が終わる。というシナリオを何十回も
繰り返さなければいけないのだ!!

あとは風船を持っていて、それが飛んでいてしまったけど、やっとつかめて、
それをベッドにくくりつけるというマイムの連続。

一人遊びしてくれていると、家事もできるが、このごっこ遊びに
つき合わされると、もう逃げることができない。
でもまあ、可愛いといえば、可愛いのだが。。。

道で大きなサンタの人形が飾ってあると、
「サンタさん、VERY BIG!  MUY GRANDE!」と、
日本語、英語、スペイン語で表現するマメちゃん。

どこに行っても、「元気ですねー、足腰強いですね〜!」
と言われるマメちゃん。相変わらず、ムチムチ健康優良児の体系。
ほんと、病気知らずである。

レイオフされてから一年。育児で悩み、職探しに奔走し、自分のこれからの
ゴールを見つめなおしてきた。。。 

2012年も同じことをやっていては進歩がない!

バシャールのいう、自分がもっともワクワクすることをして、
先に進んでいかなければ、レイオフされた事は単なるネガテイブな
意味付けで終わってしまう。

ホリデーシーズンに感じたこと。。。
映像の仕事、ストーリーテリングの仕事などたくさんやってみて、
やはり自分のワクワクはこれ以外にない。
失業後は、家を維持するために自分がやりたくない仕事をやって
暮らしていかなければと思った。でもそれでは家の奴隷だ。
だから、家を売るのを覚悟で、自分が満足する仕事を見つけられるように、
努力をしていくのが2012年の目標である。

さて、最近立て続けに、読者の方、二人から、45歳で無事出産したという
嬉しい報告を頂いた。流産、死産や、子宮筋腫摘出手術を経ての
妊娠、出産である。

自分のことのように嬉しくて、目がうるんだ。
2008年から私のブログを読んでくださっているそうで、
この出産報告には本当に感動した。何があってもあきらめずに、
ずっと努力し続けてきた結果、授かった命である。

私も、昔の記事を読み返すと、どんなにマメちゃんの誕生を
願っていたのか思い出し、育児が疲れるなんて贅沢なこと
言っている場合ではないと反省するのであった。

ご出産、本当におめでとうございます!そして高齢出産、流産、
死産の検索でこのブログにたどりついた方達にも、
ぜひ明るい未来が訪れますよう、心からお祈り申し上げます。

皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

ハードな就活&魔の2歳児子育て!(マメちゃん2歳5ヶ月ー6ヶ月)

気が付いたらもう9月になってしまった。

育児専念の一日はものすごく長く感じるのだけれど、あっという間に一週間たち、
1ヵ月たち、季節もかわっていく。


7月まで結構仕事がはいってきていて、なんとかフリーランスでやってこれた。
しかし8月から急にシーンとなってしまったのだ。
8月はたったの二日しか仕事が入っていなかった!

というわけでマメちゃんと24時間一緒の生活が続いたのだった。
お金がないのでガソリン代節約で、外にも行けず、ずっと家の中。。。
(車社会のアメリカ、近所のスーパーや公園さえも車が必要だ。)
そうするとだんだんと気分が落ち込んできて、マメちゃんを楽しいところへ
連れていってあげられない申し訳なさもあり、涙が出てくる。


失業保険は8月から厳しくなり、一週間に最低5社とコンタクトを取らなければ
受給できないという法律が出来たため、いよいよまじめに職探しを始めたのだが、
厳しい現実に直面するのだった。


最近はどこの会社もオンラインでの応募受付。そして一社につき1時間はかかる
応募用紙と性格診断テストのようなものに答えなければならない。あなたは、
短気ですか?あなたは協力的ですか?環境の変化についていけるほうですか?
商品のチェックをしている時に、お客様から声をかけられました。
あなたならどうしますか?お客様を助けて、また根気の要る作業を1から
やり直しますか?同僚に頼みますか?マネージャーに意見を求めますか?
などから始まって、数学のテストまであることろも!


しかしマメちゃんが起きているときは作業できない。大人と同じ時間に寝て、
同じ時間に起きるマメちゃんのおかげで、パソコンにも迎えない。
いまだに2、3回くらいは夜起きる。水をくれとか、オムツかえろとか、
暗闇の中なのに、絵本を読めと騒ぎ出す。



私がなんとか働けそうな仕事はレストランのお客様案内係とか、コーヒー屋や
洋服屋の店員さん。某巨大コーヒーチェーン店、5店舗に応募したけど、
どこも空きなし。ホテルのレストランも全滅。レストランのウエートレスも
最低一年から3年の経験必要ということでひっかからない。


時給$7−$8、学歴は高卒でOKという仕事に何百と言う履歴書が殺到し、
そのほとんどは、以前の時給も$7−$8で数年の経験ありだという。
あとは、大学時代アルバイトかインターンで経験があり、若くてばりばり
働いてくれそうな子たちも有望だ。

大学卒業してからかなりの年月が経っており、以前働いていた時の給料は
平均時給よりもずっと高く、職歴は役者、司会、翻訳、教員など、畑違いの
私の履歴書は、書類審査ですでに落とされるのだ。
そんな中で2社だけ面接までこぎつけた。

ひとつは今まで働いていたエンターテイメントカンパニーの
キャステイングデイレクターの仕事。

面接官二人とも、ものすごくフレンドリーでリラックスして面接できた。

「きみのパフォーマンスはよく見させてもらったけど、すばらしかったよ。
ぜひ一緒に働きたいね。」

といってもらえたが、最後まで残れなかった。。。
せめて今までやってきたことに関係する仕事に就けないかと思ったが、
それもダメ。。。落ち込んで涙が出てきた。

しかし後で関係者の友人に聞いたら、1000人以上のオンライン応募があり、
その中で面接までこぎつけたのは、私を含めたほんの数人だったという。
そして最終的に採用された人は、すでにカンパニーで役者としてではなく、
裏方として働いていて、組合もすでにマネージメント側の組合員という
ことだった。

俳優組合のメンバーの私では、切り替えも面倒だし、マネージメント側にまわると、
代役でも役者としてこのカンパニーでは働けなくなる。そんなんで、面接まで
こぎつけただけでもありがたかったのだと、後でわかって気持ちが楽になった。

もう一つは、某老舗デパートの化粧品売り場の美容アドバイザー。そこは、結構
大柄な店員さん達が多く、ファンデを買いに行って、「すいませーん、
これくださーい。」と何度呼んでもぺちゃくちゃしゃべっていたり、
おしりをむけて、なんかの作業をしている店員さんが多い。。。

面接官もこれまたオーバーウェイトの20代半ばのアメリカ人のお姉さん。
紙をみながら棒読みで、お店でおこりそうなシチュエーションについての対処を
いくつか、質問してきたので、ばっちりと答えた。
特に紙に記録している様子もなく、

「じゃあー、マネージャーにあなたの履歴書をみせて、
 判断をくだしてもらいますねー。」

と、想像と違ってくだけた雰囲気で面接は終わり、次の日の朝、メールで、
「残念ながら不採用です。就職活動の健闘を祈ります。グッドラック!」
と通知がきた。。。

仕事が見つからず、お金もなく、毎日マメちゃんと二人きりももたないので、
新しく近所の育児サークルにも入ったが、20代、30代のママさん達、
みんなやつれていた。顔が死んでいるのだ!私もふと鏡にうつった自分の顔を
見た時ぎょっとした。やっぱりげっそりしている!
中には双子の赤ちゃん連れもいて、オムツを取り替えるとき、二人とも
びゃーびゃー泣きまくっていた。一人でも大変なのに。。。

待ち合わせのスxバから噴水プールまで移動し、赤ちゃん連れのママさんたちは
赤いギンガムチェックのピクニックシートを敷いて、赤ちゃんを転がせて、
ピースフルな光景。しかし私を含めた一歳以上の子供連れのママ達は噴水プールから
道路に出そうになる子供を追い掛け回すのに大忙し。

マメちゃんは今までは家にいても大人しくしていて、2時ごろから2−3時間
昼寝をしてくれる習慣もついてきて、かなり楽になってきていた。
しかしまた最近、外の味を覚えてしまって、「お外、公園行くう!」と騒ぎ出し、
しまいにはヒステリックに叫んで暴れだすので大変だ。

そして外に連れて行くと、いたずらオンパレードで、止めようとすると、
かんしゃくを起こし、足をばたばたさせ、「ママ、バイバイ、ママ、バイバイ!」
を連発する。こちらも切れそうになるが、ぐっとこらえる。
男の子のママ達はよくたたかれたり、蹴られて困るというが、マメちゃんは私には
攻撃しないが、そのかわり怒りだすと、自分のお腹を何度も叩くのである。


いい子にしている時と、かんしゃくを起こす時の差が激しい。
いい子にしている時は本当におちゃめで可愛らしいのだが、怒り出すと、
しばらくの間、何をやってもおさまらない。それは昼寝から起きた時と、
公園から帰るときに起こる。


最大限の音量で泣きまくり、「麦茶ー!」というので麦茶を与えれば、カップを
投げつける。「DVD−−−!」というのでお気に入りのベイビーアインシュタインを
かければ「NO-----!!!!!」と叫ぶ。 「抱っこーーー!」というので
抱っこすれば、「おんりーーー!」と叫ぶ。


手がつけられない場合は、別室に閉じ込め、クールダウンさせるのが効果的と
2歳の育児法に書いてあるので、そうすると収まる。ただし、5分以上
閉じ込めると、なんでそうなったか理由を忘れるとのことなので、5分限定だ。


とにかく2歳児へのかんしゃく対応法のキーワードは二つの「I」だとこちらの
育児アドバイスに書いてあった。Isolation と Ignore である。向こうの
言うことをいちいち聞いていると、ますます「そうじゃない!」と
フラストレーションがたまり、爆発するらしいので、ある程度の無視も
必要だとか。

そしてかんしゃくを起こして止まらなくなってしまったら、いったん
ひとりにさせ、頭を冷やしてもらう。そうすると本人もなんで泣いているのか
わからなくなり、落ち着く。 いやはや、やっかいな魔の2歳児である。


相変わらず、言葉は3ヶ国語がごちゃごちゃになって発達が遅いが、日本語は
幼児らしくて可愛くなってきた。「これね、きれいきれいする。」
「サンタさん、おっこっちゃった!」「公園、行く。」
「ママ、きれいきれいする。」と言いながら、入浴中は、石鹸で私の背中を洗い、
(これがマッサージみたいで気持ちいいのだ!)手桶で流してくれる
マメちゃん!ちょっと使えるようになってきたかな。


デパートなんて商品をいじくられそうで、ひやひやして連れて行けなかったのが、
最近、店内を歩かせても、自分で「That’s not yours!」といいながら、
さわらずにまっすぐ歩いていくのである。

公衆トイレの中で、いきなり"STOP!"とマメちゃんが壁を指して言うので、
その方向をみたら、STOP!と書いてある注意書きが貼ってあった。
そっかー、読めるのかと驚いた。スーパーの出口に"Thank you!"と書いてあれば
それを指さして "Thank you!"と言うマメちゃん。
黒板にお気に入りの絵本のタイトル、"HOP ON POP"と書いたらそれも読んだ。
読むというか、文字の組み合わせを絵的に覚えているのだ。

絵がなく、文字だけの、100ページ以上ある英語の童謡集を毎日ひとりで
見ていて、絵がないのに、ページをめくってそこに載っている歌を歌いだすので、
それも驚いた。以前、私やダーリンが、ページをめくりながら、歌をうたって
あげていたので、やはり文字を画像のようにに覚えていたのだろう。

トイレトレーニングはそのうちでいいやと、全然やる気なかったが、
2ヶ月前に急に自分でオムツを脱いで、設置してあったオマルにしたので
びっくりした。それから託児所へ行ったらまたオムツに戻ってしまっていた。


しかしまた最近トイレでしたがるようになってきた。おまるでやり、大人用の
トイレでもやり、またオマルでやって、自分でオマルの中身をトイレに流して
空にするのである。おしっこが出た後は「マメちゃん、おしっこ出たー!
じょうずーーー!」と自分で自分をほめるのだ。

そうかと思うと、リビングの真ん中でいきなりオムツを脱いで用を足そうと
しだしたり、うっかり目を離すことができなくなった。

なんでも「自分で!」といって自分でやりたがるようにもなったマメちゃん。
そのくせいつでも「ママ、ここ」とべったりだ。おもちゃの車にのったマメちゃんに
強制的に長い廊下を車を押して何十回も往復させられる。半かがみの体勢で、
腰が痛くなる!


とにかくマメちゃんを産んでからと言うもの、私の思考能力は鈍くなり、
物事を深く考えられなくなった。創作のアイデアも浮かんでこない。
夜になると目がしょぼしょぼして、パソコンに向かったり、読書もできない。
育児疲れで夜はマメちゃんを寝かしつけながらそのまま寝てしまい、
明け方起きてパソコンに向かったりしているけど、いつマメちゃんが起きるかと
ひやひやしながらなので、100%集中できていない。

昔の自分を懐かしんでは、今の私は輝きを失っているのかと、
暗い気持ちになった。マメちゃんをリゾートに連れていくたび、
あー、昔はここでこんな役やったのに。。。とか、また落ち込む。

その帰りにマクxナルドであちこちいたずらしようとしているマメちゃんを
追い掛け回していると、昔、私のパフォーマンスや、優秀社員賞をもらった時に
撮影してくれたカンパニー所属カメラマンのおじちゃんと遭遇。
レイオフされた時、同情してくれたおじさん。哀れな目で

「そんでおまえさん最近何してんの?」と聞かれ

「見てのとおりです。。。」と答える私。

学生時代のバイトや劇団員の時から始まって、どこへいってもなぜか特別扱いして
もらって甘やかされていたのが、今では友人達とも疎遠になり、髪振り乱して、
床に落とされたバナナの皮拾い、2歳児追い掛け回している。。。


自分にも言い聞かせている。気持ちはまだ30代前半だけど、実際は44歳で、
母親なんだから、過去にしがみついていてはいけないのだ!ずっとラッキーで
きた分のツケは大きい。。。

そうは言っても、若くてルンルン専業主婦していま〜す!という方々と違って、
40歳まで仕事、グルメ、エステ三昧で、いきなり体力や気力が落ちてからの
奴隷生活はしんどいのである。

明日の予定は?とダーリンに聞かれるたびに、「予定なんてないわよ。。。」
と無表情で答え、明日はどうやってマメちゃんと一日過ごそうかなーと
憂鬱になる。

食費もかなり削っているが、マメちゃん優先で、たんぱく質のものはほとんど
ダーリンとマメちゃんにあげて、自分は残りの麺類やごはんを食べる。
だからどんどん肉がついてきて、洋服もきつくなり、お腹は妊婦のように
なってきた。

一方でダーリンは毎日ワークアウトし、筋肉をつけるためにたんぱく質を
せっせと摂り、身体はしまり、筋肉もさらについてきた。スーツのサイズも
ゆるくなって、直しに出した。仕事も充実し、読書もばりばりする彼。
一方私は、仕事はない、育児ストレスはたまる、何しろマメちゃんが
寝てくれない子なので、本や雑誌を読む時間もない、身体は崩れてくる、
肌も荒れてきたし、もうネガテイブになりたくなくても、
まっさかさまの方向にいってしまう。

そんな中、新しく日本人のママ友ができた。4月に出演した津波チャリティー
コンサートでボランテイアをやっていた人である。私の名前をフェイスブックで
探して、友達リクエストしてきてくれた。そしてお互い2歳児がいることを知り、
ぜひ遊ばせましょうと言うことになった。

10月で3歳になる女の子、Tちゃんはマメちゃんよりさらに性格も、腕力も
強くて、初対面で引きずりまわされたマメちゃんはたじたじであった。
Tちゃママがマメちゃんをかわいいーーと言って抱こうとしたら
嫉妬したTちゃんに思いっきり突き飛ばされ、地面にしりもちのマメちゃん!

初日に話をしていて驚いたのは、Tちゃんママも実は死産経験者だったのである!

若く見えるが、41歳で、10年前に妊娠7ヶ月で、急な腹痛に襲われ、車で
運転中に赤ちゃんが出かけてきたそうだ。病院についたらすでに赤ちゃんの心拍は
止まっていて、早産ではなく、数日前にすでに子宮内胎児死亡であった可能性が
強いらしい。

Tちゃんママは現在、上にはすでに19歳と16歳の男の子がいる3児の
ママである。31歳の時にどうしても女の子が欲しくて、子作りしたら、
待望の女の子妊娠。しかし死産に終わり、その後も2回初期流産があり、
やっと38歳でTちゃんを授かったのだ。


お互い死産経験者ということで、チャリテイーイベントが縁で出会ったのも
運命だったのかもと驚いたのだった。彼女の44歳の日本人の友人も、先日、
死産してしまったそうで、どう言葉をかけてあげようか悩んだ末、自分の経験を
伝えたそうだ。天使ママと話すと、こうやって2歳児の奴隷生活をさせて
もらえるだけ、どんなにありがたいことかと感謝の気持ちがよみがえる。

別の新しいママ友はブロンドの役者仲間で、私と同い年の44歳。元夫との間に
16歳と11歳の子供がいて、10歳年下の現夫との間に6歳の男の子がいる。
しかし8月に中国まで行って3歳の女の子を孤児院から養女としてひきとって
きたのである!

2年前からずっと彼女はもう一人アジア人の女の子が欲しいと、いろいろな
養子縁組サービスに申し込んで、先月やっとひきとることができたのだ。
養子縁組まで、年齢制限が多く、35歳までというのが多いようで、
40過ぎていた彼女はそこでハードルにひっかかっていた。でも最終的に、
健康上に問題のある子供の養子縁組の団体に申し込んで、少しだけ心臓疾患が
みられた中国人の女の子を引き取ることになった。

新車を買うくらいのお金を払ったと言っていた。アジア人の子供希望の
養親セミナーに通って、アジアの子供は蒙古斑があり、周りから虐待に
間違われるので、気をつけるようにと注意をうけたとか。

その中国の孤児院から連れて来たばかりの女の子、Kちゃんを初めて我が家に
連れて遊びに来たA子。3歳半のKちゃんは、1歳過ぎくらいの身長と体重しかなく、
おびえて新しいブロンドママにしがみついていた。一歳年下のマメちゃんが
よけいにおデブに見える。靴のサイズもかなり小さいので、マメちゃんの
おさがりのドレスや、靴をあげることにした。

引き取ってから、最初の数週間は、おもちゃを渡すと絶対に離そうとしないし、
食事も大人以上にばくばくと必死に食べたそうだ。それは孤児院で鳥のえさの
ような食事しかもらっていなかったし、400人も孤児がいるので、自分の
持ち物はしっかりとベッドの下に隠さないと、いつとられるかわからないという
不安をかかえて暮らしてきたからだ。洗濯物のたたみ方が、プロ並みに
上手いそうだ。それは孤児院での日課だった。

切れ長の目で、さらさら直毛。色白の肌で、中国人形みたいなKちゃん。
北京の町の片隅に、生後9ヶ月で箱に入れられ、捨てられていたという
人生のでだしだったが、これからは暖かいアメリカ人のファミリーに囲まれて、
幸せに成長していくことだろう。

ママ友とは、子供達が気になってあまり会話に集中できないので、大人の会話に
飢えていたところ、久しぶりに役者仲間の女友達と4人で食事をすることになった。

大柄なそばかすブロンドで42歳の独身L子は、私と共にレイオフされた直後、
新しいショーにキャストされ、フルタイムを維持できた。

ゴージャスイギリス人のSは、私と同じくフリーランスで、後妻の為に養育費で
苦労してきたが、最近新しいショーに、レギュラーの役者の産休中、代役として、
週五日入れるようになり、喜んでいた。また、化粧品通販チャンネルのスポークス
パーソンの仕事もゲットでき、頻繁にイギリスに帰れるようにもなるそうだ。

そして一昨年、役者から、ライター、キャステイングにまわったAさん、45歳。
旅先で知り合った28歳のハンサムな彼と婚約し、ものすごくきれいになっていた。

彼女の苦労は並大抵のものではないだろう。躁うつ病のダンナに使い込みされて
自己破産、そして息子さんは自閉症だ。9歳まで、一人でトイレに行けなかったし、
言葉もセンテンスを組み立てられなかった。そして一昨年、ダンナと離婚した。
その後、役者を引退して、就職活動でも苦労し、やっと今のキャステイング
デイレクターの仕事をゲット。そして新たな出会い。。。
その彼女が帰り道、私に言った。

「今、育児に追われてつらいわよね。退屈よね。あなたのエネルギーも
吸い取られて、創造性もなくなっていく危機感に襲われて。でも後になって
いい思い出になるのよ。それに幼稚園行き始めたら、自分の時間、世界が
戻ってくるわよ。大抵のお母さん達は子供が4,5歳くらいになって
時間ができるのよ、でも私の場合はそれが15年かかったけどね。
おととい、初めて15歳になった自閉症の息子をひとり家において、
45分間外出できたのよ。絶対外へでちゃあだめよ。電話を自分の
横においてね。って約束させてね。そしたら、あの子、ちゃんと
お留守番できたの。これは感動したわ。あんなママ、ママっていって、
手がかかった子が、ここ数年は、「ママ自分の部屋行って!僕パソコンする。」
って私をおいやるのよ。今あなたは、フリーランスで忙しい月と、
ゆっくりした月とあって、ちょうどいいバランスじゃない。今のうち、
マメちゃんとの思い出を作っておくのよ。」


一歳しか違わないけど、人生の大先輩のAさん。健太郎が亡くなったときも、
美しい詩を作ってくれたっけ。


息抜きをして、そんなアドバイスももらった私は、久しぶりにダイエットを開始し、
ヘアカットにも行き、ダーリンに夕方や週末に一時間だけ時間をもらい、
頻繁にジムにも通うようになったのだった。

世の中には旦那さんが忙しくて協力をえられない主婦が多いだろうし、
東北の被災者の方々や、放射能汚染で不安な子育てをされている方々の
ことを考えると、自分はなんて甘ったれているのだろうと反省した。


私が感謝の気持ちを思い出し、ハッピーだと、それがマメちゃんにも伝わって、
彼女もハッピーでかんしゃくを起こさない日が続いている。


牛乳断ちしたら、魔の2歳児から天使の2歳児に!(マメちゃん2歳2ヶ月)

母の日に8週間の産休を終えて仕事復帰したのは2年前。。。
今年の母の日はひとりで往復8時間ほど車を運転し、
ストーリーテリングの仕事に行ってきた。


その日は超蒸し暑く、野外ステージで、観客席もかんかん照り。
汗っかきではない私も、数分以内に肌襦袢が汗で
ぐっしょりしてくるのを感じた。
30分の語りを2回。10年以上、外でショーをやってきたのは
無駄ではなかった。暑さも苦にならないし、こんな状況でも
直前に話を変えたり、観客の様子をみながら臨機応変に対応できた。


その前夜は役者仲間の結婚式に参加した。まだ30歳前後の彼女、
ここ数年いろいろな彼氏と付き合っては、傷つき、なかなか本命が
見つからなかったが、やっと人のよさそうな、くまのプーさんに似た
旦那さんをゲットした。彼女もスウィートで、ぽっちゃりしていて
ほのぼのしたお似合いカップルである。


湖の前にある式場では、健太郎の時の妊婦仲間のV子と同席。
バツイチ、子持ちだったV子は職場で10才年下の彼と知り合い、
39歳の時、妊娠を機に再婚。私は死産に終わったが、彼女は妊娠高血圧症
(妊娠中毒症)のため、34週で帝王切開で男の子を産んで、
育児が大変な時は私のことを思い出して、耐えたといっていた。


その彼女は今ではすっかりネガティブになっていた。ワインを飲みながら、
愚痴をこぼす。

V子 「17年働いた職場の人事異動で邪魔者扱いされて自分からパートに
なったけどさー、週二日くらいしか働かないし、3歳の息子と一日二人きりは
つらいわよー。妊娠してなかったらダンナとも結婚していなかったわよ。
結婚してから変わったわよー。
知ってる?今日の新婦、実家が炭鉱持っていて超お金持ちなんだって。
かれらに高級住宅地に一軒家と新車プレゼントしてさー、
新郎はIT関連の仕事だからねー、苦労しないわよ。
ま、子供が出来るまで新鮮な夫婦生活楽しんどくことよね。」


私 「彼女、子供3人欲しいって。そうよね、子供ができたらロマンチックな
デイナーなんてできないわよね。子供のしつけのことで夫婦喧嘩するように
なったりしてさー。私も親の援助なんてなしで家買った後失業だから大ピンチ!」


V子 「あら、うちなんて、マイホーム買って2年以内に銀行差し押さえよ。
あたし、弁護士やとって元夫から養育費もらおうかと思っているの。
だって親権半々なのに、娘の面倒、ほとんど私がみているようなものだもの。」


無事出産することだけに焦点をあてていたあの頃の私達。
今では生活に疲れたおばさん達の井戸端会議みたいになってしまった。
まあ、私はこのところ仕事のことでポジティブになっていたのだが、
そのような明るい話をするとV子はとたんに暗い顔になり、
あたしなんてというので、だまっていた。 



五月半ばは、ダーリンの弟が博士課程を終了し、その卒業式に家族で招待されて、
マメちゃんと3回目の飛行機での旅。あの日本への地獄の
15時間フライトの後は、怖いものなしだった。今回はダーリンと、
彼の息子までついているし、ほんの2時間なんて朝飯前。
義父母が航空券、ホテル、食事、観光ツアーまですべて用意してくれたので、
失業中におもわぬヴァケーションのプレゼントとなった。


機内では、2時間私が手を替え品を替え、あやしていたおかげで、
驚くほどいい子にしていてくれたマメちゃんであった。
しかし、現地についてからの2時間の卒業式でじっとしていられるわけがなく、
わたしはロビーで追い掛け回していなければならなかった。


一方、もうじき3歳になるマメちゃんの従妹はちゃんとおとなしく
義妹のひざに座っていた。この従妹、一歳半から2歳過ぎまで
マメちゃんの倍以上にハイパーでパワフルであったから、
あと数ヶ月でマメちゃんも大人しくなるかもしれない。


ホテルの中でも落ち着かず、夜も何度も起き、早朝から目を覚まし、
いたずらオンパレードのマメちゃん。レストランでも、従妹とおもちゃの
取り合いでワイルドになり、何度も外に抱えていくはめに。
疲れ果てた旅行であった。


最近のマメちゃんは、牛乳を飲む量がさらにエスカレートしていき、
夜中に何度も起きて牛乳を欲しがるのである。2歳11ヶ月の従妹も
牛乳だけはいまだに哺乳瓶でしか飲まないと聞いて、うちだけではないんだと
安心したが、このままではいけないと思っていた。
託児所といってもバングラデッシュの大家族に預かってもらってきたので、
一歳過ぎてから何度か哺乳瓶断ちを協力してもらおうと試みたが、
シッターさんや旦那さん、くじけて断念。


「2歳、哺乳瓶、牛乳」で検索すると、多くの2歳児のお母さんが
この問題について悩んでいることがわかった。そしてその子供達には
共通する特徴があったのだ。

1、哺乳瓶でしか牛乳を飲まない。2、ごはんを食べずに
牛乳ばかり飲んでいる。3、肥満体系、4、ぐずりが多い、5、夜泣きが多い、
6、夜中に何度も牛乳を欲しがる、7、風邪でもないのに、
長期間せきや、鼻水が止まらない。

これってマメちゃん?と思うくらいあてはまっていた。

これらは牛乳の過剰摂取による牛乳アレルギーらしい。2歳をすぎたら
牛乳はそれほど必要ないとのこと。嗜好品として一日200mlくらいまで。
ましてやチーズや、ヨーグルトを食べているのなら全然飲まなくてもいいとか。


お母さん達の体験談は、まるでドラッグ中毒患者がリハビリ施設に入った時の
ようであった。

DAY 1, 哺乳瓶をよこせと泣き喚き、一晩中荒れ狂う。仕方ないので、
哺乳瓶に麦茶を入れるが、それも投げ返される。

Day 2, 少し落ち着いてきたが、まだ牛乳をよこせとしつこい。
そしていやいや麦茶を哺乳瓶で飲み始める。

このお母さんは、とりあえず、哺乳瓶じたいをやめさせるのではなく、
まずは中身を麦茶にかえて、牛乳摂取量を少なくさせたり、虫歯を防ぐという
目的でスタートしたようである。

このケースは寝かしつけの時だけ、麦茶入り哺乳瓶で妥協という形で
三日で終了したそうだが、別の子は哺乳瓶をとりあげてから3ヶ月夜泣きと
暴れまくりが続き、お母さんはあまりの疲労とストレスで
救急車で運ばれたそうである!

そしてマメちゃんにも恐る恐る実行!やはり一日目は牛乳よこせーと
泣きわめき、カップに入れるとたたき返された。哺乳瓶入りの麦茶も
最初は投げつけられたが、そのうちあきらめて飲むようになった。

そして翌日は牛乳をほとんど飲まなくなったのである!同時に
食事もするようになり、機嫌もよくなってきた。一歳10ヶ月頃から
偏食がひどくなり、一日中、心配になるくらい食べ物を口にしない日も
多かった。それがどんどん食べ始めたのだ。

夜泣きも少なくなったし、言う事を聞くようになった。ひとりでパズルや、
ブロックで長時間遊ぶようにもなった。自分からすすんで、おもちゃの
お片づけをするし、大嫌いだったはみがきもするようになった。
ダーリンと、人が変わった!と驚くばかりである。
ドラッグ中毒ならぬ牛乳中毒だったとは!


チーズやヨーグルトなどの乳製品はまだ食べるので、牛乳を
リクエストされたら、ビタミンが配合されている豆乳を
少し与えるようにしている。
とりあえず大豆アレルギーはないようである。



さて、バイリンガルの子供達は言葉の発達が遅れるといわれるように、
マメちゃんも、英語オンリーのアメリカ人やイギリス人のお友達に比べると遅い。
英語、日本語、スペイン語がごちゃ混ぜになっているのだ。
手を見せて、「hand, mano、お手て」といい、空のコップをさして
「ない、empty, 空っぽ」といったりする。

でも彼女なりにセンテンスを組み立てているようだ。ダーリンがすわる椅子を
さして、「This is Papa sit down」自分の椅子を指して
「This is Mamechan chair」(実際はマメちゃんではなく本名でいうが、
ここではマメちゃんとしておこう。)帰宅途中、車の中で「Let’s goお家!」
という。食卓で「もっと 納豆 ほしい」といい、
入浴を満喫後は「お風呂、出る」という。
クモを見ると、「Oh no! Watch out! クモ!」と叫ぶ。


Dr. Seussの絵本はページをめくりながら、そこに書かれている言葉を
暗記していて「ALL TALL, ALL FALL, MOUSE HOUSE, UPSIDE DOWN, STOP!」
などと叫んでいる。 

日本の絵本ではまっているのはだるまさんシリーズ。
寝るときまで抱きしめて寝るくらいだ。だるまさんといちごさんの
動作をまねして、「ぺこ!」っといいながらお辞儀をしたりする。
ノンたんシリーズも好きだ。


一歳8ヶ月で数字やアルファベットを覚えたので、いまはひらがなを
教え始めたが、こちらは覚えるのが遅い。もっと言葉の学習の
日本語DVDを見せるといいのかもしれない。日本滞在中は、父や母との
やりとりをずっと聞いていたので日本語の覚えが早かったが、
ダーリンと私は英語で話すので、それを聞いて英語のセンテンスを
覚えているようだ。

英語は、フォニックスの学習シリーズが好きで、見ながら
「apple, apple a,a,a, banana, banana, bbb, cat, cat ccc……」
と自分で練習している。歌のレパートリーも広い。寝言で
「お手てつないでー」と歌っていることもある。


最近まわりは二人目ラッシュで、39歳の従妹も去年2回の流産を経て
二人目を妊娠中。現在7ヶ月だ。

毎週一緒に遊んでいるマメちゃんの親友Sちゃんにも7月末に弟が生まれる。
Sちゃん出産後の3ヶ月は本当に大変だったそうで、産後はしばらく
お会いできませんと彼女のママから言われた。

Sちゃんとマメちゃんを遊ばせて面倒みますよーと言ったのだが、
いつもきちんとお客様をおもてなしする完璧主義者の彼女なので、
髪(乳も?)振り乱してお世話をしている姿を見られたくないようである。
実家は日本で近くに親戚もいないし、
当分Sちゃんを託児所に預けるかもといっていた。


最近Sちゃんは熱を出したり、風邪を引いたりで、会えないことが多く、
マメちゃんは残念そうだ。しょっちゅう
「Sちゃん、いない。。。Sちゃん、どこ?」というので、
「Sちゃん、お風邪」と教えていたら、それ以来は
「Sちゃん、coughing!」と言うようになった。


育児サークルの集いも、ここのところ皆熱でキャンセルとなっている。
今まで熱を出したことがないマメちゃんは
ひとりぴんぴんしていて、退屈そうである。

生後10ヶ月の頃、特に不快症状はない中耳炎にかかったくらいで、胃腸も強く、
下痢も便秘もほとんど記憶にない。皮膚も丈夫だ。アレルギーで鼻をたらしたり、
咳をしたりはあるが、お医者さんには風邪ではないので抗ヒスタミン剤を
2週間飲ませなさいと言われた。でもこれから大きい保育園や幼稚園などに
行きだしたら、免疫が出来てなくて大きいウイルスを
もらってくるのが心配である。


周りの二人目ラッシュに刺激されて、また二人目がいたらなーと思う
今日この頃であるが、これからフリーランスで1からやり直ししていくのに、
また振り出しに戻っての妊婦生活、荒れ狂う一歳半から3歳まで
二人も面倒みる自信はない。


第一、卵が年老いていて、妊娠できるか、継続できるかは定かではない。
去年流産で散々な目にあったばかりだ。

新生児の頃、ネンネの頃、歩き出した頃、いろいろ経てきたが、
コミュニケーションがとれて、個性が出てきた最近が一番可愛いと思える。
私が咳をしていると、「 Are you OK? Mama coughing!」といって
なでなでしたり、キスしてくれるマメちゃん。

おもちゃの電話を持って、「もしー、Kyle? (託児所仲間の名前)
It‘s Mamechan. Yeah, so…. OK, all right. See you!」
と大人のようにしゃべっている姿は笑える。

だからこのまま一人でいいんだと思いつつ、ベビー服や歩行器など、
まだ処分できずにいる。。。友人達は9年も処分できなかったという
おさがりをやっと私にゆずってくれた。

仕事のほうは、なんだかんだレイオフされた職場に代役を頼まれて
ここ2,3ヶ月、週3−5日も働かせてもらっていた。

夏もこのままよろしくと言われていたのだが、先日マネージメントから
発表があり、このショーには今後女優は使わないとの事!
今までずっと女優もつかってきたのに、新しい演出家の方針で、
これから男優オンリーにするそうな。これで夏の仕事、収入の計画は崩れた。
女優たちからはブーイングの声があがっているが、
これでよかったのかもしれない。


いつまでもふらふらと前の職場に依存していては先にすすめないのだ。
バシャールの予言によると2011年は皆にとって種子の年。
目先の利益にとらわれて目の前の将来性のない仕事に飛びついては
将来のためにならないのだ。2012年が分かれ目だという。

スピリチュアルなことは一切信じないダーリンであるが、
もうすぐ44歳になるという年の変わり目か、彼も最近自分の進路について
深く考えこんでいるようだ。楽な道を選ぶより、もっと自分の可能性に
チャレンジしたい!そういって週末は部屋に閉じこもって
リサーチしたり、執筆活動をしたり、求人広告も眺めている彼である。

====================================
バシャールの予言とは?

◆「大好きなこと」が、人生を劇的に変える。◆運命は決まっているのか?
◆ソウル・メイトを引き寄せる簡単な方法。
◆2012年、いったい何が起こるのか?
◆パラレル・ワールドの仕組み
●自分自身を変えることによって、すでに存在している、自分が好む波動の世界にシフトしていく。
●2012年とは、ある境界地を超えるタイミング。2010年から2015の五年間が、パラレル・ワールドへのシフトと分化にとって非常に重要な時期。
●「2012年急行(2012 EXPRESS)」に乗るもっともよい方法は、怖れを手放して、本当に自分らしく生きること。





そしてマメちゃんお気に入り絵本コーナー


「だるまさんと」BY かがくい ひろし

絵も、文も可愛くて笑えます。0歳児からでもOK!




そしてノンタンシリーズ


「ノンタンいないいなーい」BY キヨノ サチコ

どの赤ちゃんも大好きないないいなーばーです!





「ノンタンあそびましょ」

いろいろなあそびかたをおぼえましょ!

マメちゃんの2歳の誕生日にチワワのユキちゃんが、、、、(マメちゃん2歳、ユキちゃん17歳5ヶ月)

3月は震災のことで心を痛め、被災者の方たちや、原発で働き続ける方々のことを思うと、自分のなんてことない日常生活をブログで綴るのは不謹慎な気がして、更新を控えようかと思っていた。でもどんな境遇でも一生懸命生きている人たちの姿もTVで拝見し、私も自分に活を入れ、自分なりの小さな悩みや出来事も、天から与えられた機会や修行とおもって記録に残していこうと思った。

3月と言えば、3年前、愛犬の15歳になろうとしているチワワのピグニーとお別れした月だ。ユキちゃんはもう17歳半になろうとしていて、なんとなく、ピグニーの命日あたりに天国に行きそうな予感がしていた。

そしてピグニーの命日、私は朝出かけてすぐに帰ってくる予定が、リハーサルが急に入り、夜まで帰れなかった。ユキちゃんはさぞやお腹を空かしていることだろうと心配して家に入ると、玄関まで出迎えてくれた。

さっそく手作りの餌とサプリメントを与え、その後マメちゃんが床にぼろぼろとこぼしたうどんも掃除してくれたユキちゃん。

真夜中になり、2階のユキちゃんの部屋に連れて行って、ベッドに寝かせた。その横で私は一生懸命歌の練習をした。パフォーマンスでソロを歌うことになっていたので、その一週間はプレッシャーと、曲を覚えるので精一杯だった。

そして翌朝はマメちゃんの2歳の誕生日。しかし私は検眼と、リハーサルに行くため、朝からバタバタしていて、出がけにユキちゃんの餌を作りながらダーリンに2階にいかせ、ユキちゃんを連れてきてくれるように頼んだ。

餌はできあがったが、いつまでたってもダーリンがおりてこない。ようやくダーリンは降りてきて、暗い顔でいった。

「たぶん。。。ユキちゃんは逝ってしまったと思う。でもキミは見るべきかな。。。」

「私がみないでどうするの?!」

といって2階に行くと、眠っているようにしか見えないユキちゃんだが、身体は動かず固く、重くなっていた。。。。

しかし、もう出かける時間だ。涙を流しながら、目医者さんと、リハに行って午後は数時間、ユキちゃんと過ごした。死産の後、健太郎と過ごした数時間を思い出した。

ユキちゃんと過ごした17年半のアルバムを見たり、歌を歌ったり。。。そうこうしているうちに業者がユキちゃんを引き取りに来た。看護師さんが健太郎を引き取りに来た時と同じく、これで最後の別れになるのかとおもったら無性に悲しくなり、号泣した。

ダーリンよりずっと長いつきあいだったユキちゃん、失恋したときも、死産したときも、キャリアが上手くいっていたとき、停滞していた時、すべてそばにいて見守ってくれていた。

そしてなんの苦労もかけずに、眠るように天国に行ってくれた、飼い主思いのユキちゃん。マメちゃんが生まれてから、全然かまってあげられなかったのが悔やまれる。

私に家族ができたのを見届けて、安心して旅立っていったユキちゃん。そして新しい命のマメちゃんはその日に2歳の誕生日を迎えた。

義父母がマメちゃんの誕生日を祝う為に、他州からわざわざ駆けつけてくれて、週末はビーチの一泊旅行に招待してくれた。去年、点ちゃんを完全流産で亡くした時も、その週末に行った場所だ。

義父母は、しゃべれるようになり、益々可愛くなっていくマメちゃんにメロメロであった。ABCの歌や、チューリップの歌、日本の子守唄などどんどん歌えるようになっていくマメちゃんである。

そして水を見ると、「水、WATER、AGUA!」と3ヶ国語でいったりするマメちゃん。日本語では、「おんり、お手て、飲む、ちょうだい、どうぞ、おいしい、乗る 取る 脱ぐ、着る」などと、シンプルな単語で要求してきて、英語では"Sit down!" "That's it!" " All right!", "Where are you going?" などセンテンスで言うことが多い。別れ際に、日本人には「また!」と言い、アメリカ人には「See Ya!」と言う。スペイン語は、ダーリンと過ごす時間が短いので、少しの単語しか話さない。


3月は益々キャリアの壁にぶつかり、涙する日々が続くのでありますが、今日はとりあえずユキちゃんの旅立ちとマメちゃんの2歳のお誕生日についてだけ報告させていただきます。

読者の皆様や、皆様のご家族、ご親戚、友人の方々がご無事でいらっしゃることをお祈りいたします。

育児専念シミュレーション、二日で悲鳴!(マメちゃん一歳半)

フルタイム勤務最後の日が近ずき、いろいろと計算した結果、当分失業手当を
もらいながら次の進路を考えることに決めたとたんに、
これからどうしようというモヤモヤはなくなった。

しかし、しばらくパフォーマンスできなくなるし、24時間育児専念の生活を
想像するとだんだんと気分が落ち込んでくるのだった。

死産という悲しみから救ってくれたのは仕事と同僚達だったし、次の流産や
父の脳梗塞で悲しみのどん底にいる時もとりあえずショーをやることで
気分が軽くなったものだった。


これからどうやって悲しみや不満を消化していくのだろうか。


フルタイム勤務の最後の休日、専業主婦シミュレーション体験二日で
すでにギブアップしそうになった。。。

お気に入りのお家を買ったんだからその快適な空間を楽しめばよいのに、
やっぱりお出かけせずにはいられない。親子そろって外出好き。
これではガソリン代を節約する為に仕事を辞めるのに、なんにもならない。

一日目、ママ友に誘われて図書館での赤ちゃんクラス参加。
11時15分のクラスは一歳半以上、11時45分のクラスは一歳半未満。
ちょうど一歳半になったばかりのマメちゃんは両方参加した。


お歌から始まり、手をつないで輪になって回ったり、絵本の読みきかせ、
最後はシャボン玉&ミュージックで終わり。マメちゃん一人で踊っていて
笑いをとっていた。

次のクラスはきたきたー、ネンネやおすわりの赤ちゃん達。
顔より大きな花のヘッドバンドを付けさせられている。
ネンネの赤ちゃんがいるというのに歩き回って指を踏んずけかけてしまい、
親子共々ひんしゅくの目で見られる。。。

クラスを受け持ったアフリカ系アメリカ人のストーリーテラーさんに職業柄、
「XXXXリゾートで拝見したような気がするのですが、パフォーマンス
されてました?」と聞いてしまった。
人違いだったが、このひとは上手だなーと感心した。

その後ママ友宅にてランチ。お昼寝タイムでぐずり出したので、失礼して
車を運転し始めるとこてんと寝始める。その隙を見計らってアジア系食料品店で
マメちゃん大好物の納豆を買う。車からベビーカーに乗せてもそのまま
爆睡状態のマメちゃん。


この調子ならさらに遠出して、タレントエージェントに出来上がった写真を
届けにいける!しかし駐車場に車を止めたとたんに目が覚め、
チャイルドシートからおろせーと泣き叫ぶ。
片手で抱っこし、エージェントに写真を届ける。
身体をそらして抵抗するマメちゃんをなんとかおもちゃでごまかして
チャイルドシートに座らせる。

しかしぐずりが止まらないので、家までの中継地点であるショッピングモールの
子供が走り回れる広場で2時間遊ばせる。。。観光者のトルコ人の2歳の男の子に
気に入られ、愛の告白を受け続ける(?)マメちゃん。日本人のママさんとも
知り合いになり、会話を始める。

帰りの車の中、母と電話で話すと、脳梗塞で倒れた父は将棋までできるくらい回復し、
こちらの言うことは100%理解できるといった。言葉がでにくいので、
週二回リハビリに通っているそうだ。夏は冷房がなくて蒸し風呂だった団地だが
今度は暖房もなく、窓から風がすーすー通って寒いらしい。
医師からは風邪でも引いて肺炎になったら危険ですからなんとか暖かくしてくださいと
警告をうけているそうだ。年取ってからなんでこんな悲惨な生活を
しなければならないのかと思うと、悲しい気持ちになった。

いけない、こうして仕事していないとどんどんと気分が暗い方向にいってしまう! 
夕飯を作っているとダーリンに「なんだか元気ないね、大丈夫?」と言われ、
「別に。」といいつつも、涙が出掛かって気付かれないようにバスルームで
涙をぬぐった。

翌日の用事は、婦人科検診のみ。。。前回の流産の時の看護師さんが診察室へ現れた。

「流産後、生理はもうきました?」

「はい、7月、8月、9月とすでに3回きました。」

「それで、次はトライするの?」

「いえ、経済的にもう無理だと思います。解雇されちゃいまして。」

「あら、それは大変ね。これからどうするの?」

「託児所代やガソリン代を考慮に入れると、失業手当をもらいながら
当分家にいたほうが安くつくようなんです。」

「なるほどね。でも育児より仕事の方が楽かもよ。とにかくプリネイタルビタミンは
飲み続けて、気が変わったら、次の子、トライしてみなさいね。応援してるわ。」

「43歳以上でも問題なく出産した例も見てこられました?」

「もちろん。」

なんて、作るのは無理とわかっていながらこんな質問をしてしまった。

診察中はわりといい子にしていたマメちゃんだが、また走り回りたがって、
近所の公園に連れて行った。湖の周りはお散歩コースになっている。
このチンパンジーを追っかけながらベビーカーを止めたり、押したりするのは至難の業。
もう車に置いていこう。との決断は大間違い!

とにかく一歳半は親の思うとおりのルートは歩いてくれない。反対方向にいってしまうし、
ジグザグに歩いたり、坂をおりて湖につっこんでしまいそうになったり、
お散歩コースの四分の一まで来て、このまま先に進んだらもう戻れなくて
大変なことになると、歩いてきた道を逆戻り。


しかし逆戻りさえもスムーズには行かない。太陽はさんさんと降り注ぎ、
おまけに蒸し暑い!ショーだったら、時間が決まっていて休憩がある。
しかし子育てには休憩なし!汗べっとりで草むらの中にずんずんと入っていく
マメちゃんを追い掛け回し、抱っこしてもとのルートに軌道修正。
しかしその数秒後には森の中に入っていくチンパンジー。。。


ぐったりしながら何十分もかけて入り口に戻る。しかし、車を見るとまた脱走。
そうだ、あの先に子供が遊べる噴水広場があったんだ。リズムに合わせて止まったり、
勢いよく出たりする噴水。


抱っこしてそこに連れて行くと、さっそく水に手をつけて喜ぶマメちゃん。
そしてどんどんと中心に入っていったところ急に噴水の勢いが強くなり、
マメちゃんの顔に直撃。あっけにとられるマメちゃん。

マメちゃんを守らなければと猛スピードで噴水の真ん中まで行き、
マメちゃんを拾い上げる。そこでいよいよ噴水は私の全身を直撃!
頭から下着までびっしょり水浸しの私。あーーーー、ポケットに入っている
携帯やお財布も濡れてしまった。みじめ。。。


「もう帰ろうか。。。」と言うと、マメちゃんも怖い体験をしたので大人しく車の中へ。
マメちゃんはオムツ一丁で着替えのない私はびしょびしょのまま運転。

車の中でしか寝てくれないマメちゃんは家につくとお目めぱっちり。
ひょえーー!家事を済ませようと思ったのに!たたんだ洗濯物は片っ端から床に広げ、
チワワのユキちゃんをひきずりまわし、ブラインドはひっぱり、ほうきで掃いたごみは
ひっかきまわし、麦茶はカーペットにこぼす実験。食器洗浄機や洗濯機のボタンも
勝手に押しまくり温度が変わってしまうし、やめさせようとすれば叫んで
足をバタバタさせて反抗。しかもどうがんばっても11時半まで寝てくれない。
こ、これが毎日続く。。。。?!

って、専業主婦の皆さんはこれをずっとやってこられて、さらにお子さん二人や
三人の面倒も見られてすごすぎる!尊敬してしまう!私は甘すぎた!

今読むと、私だけではないんだとほっとする漫画を発見。題して「あかちゃんのドレイ」。
漫画家の子育て体験を面白おかしく綴っているのだが、一巻は0歳児、2巻は一歳児の巻で
私は2巻にお世話になっている。赤ちゃんの視点からすると、ママ達は彼女らの
奴隷だそう。






作者が仕事するため初めて託児所に預けた時の様子が笑える。家に一人でいる開放感。
でもついつい後ろを気にしてしまう。お菓子の入っているパントリーのドアを
自由に開けられる喜び!確かに棚はマメちゃんの前では開けられません!ほんの
数秒以内に中のものはすべて床に放り出されます。。。
他もファミレスでの赤子軍団vs.ママ軍団の格闘とか、ほんと、頷ける内容で笑える。

そしてもう一冊はおなじみ、横森理香さんの「ママのための自分時間のすすめ」。




「愛しの筋腫ちゃん」「おしゃれマタニティー」の妊娠編、産後編、成長日記などを
読んできたが、今回はウリちゃんも7歳になっていて、明らかに現在の彼女の
プライオリテイーは自分の仕事と健康になっている様子が伺える。

おしゃれマタニテイーまでは、年下の旦那さんは彼女に従順だし、子育てとかも
手伝ってくれていいダンナさんだなーと思っていた。文章から旦那さんへの愛情も
伝わってきた。でも今回の本によれば、もともと男は家ではなにもしないという
家庭環境で育った日本男児の彼は、42歳からぴたりと手伝いをやめてしまったそうだ。
以前は自分はバリバリのキャリアウーマンということを強調していた横森さんだが、
月日が経つうちにダンナの稼ぎのほうがよくなって、今ではそちらに頼っているようだ。
家も「ダンナに買ってもらった家」と付け加えている。

不妊、流産で苦しんだあとやっとアラフォーで授かったウリちゃん。
妊娠、出産、0歳児の育児の時はそれが彼女の一番のプロジェクトのようであったが、
今ではいかにウリちゃんを外で遊ばせたり、習い事をさせて自分の時間を
大切にしようとしているかが大きなゴールになっている様に見える。

やっぱり妊娠、出産、0歳児の時期ってキラキラ輝くスペシャルな時期なんだと思う。
7歳児の女の子を持つ友人は最近、娘さんのお友達が家に遊びに来ている時、
「ママは会話にはいってこないでよ。」と言われ、だんだん可愛いげが
なくなってきたーと嘆いていた。それどころか、しばらくすると
ティーンエージャーという恐ろしい時期も待っている。
やっぱり自分自身の生きがいを見つけておかないと空の巣症候群の道まっしぐらである。


ダーリンは私と週末一緒に過ごせるようになると言って喜んでいる。
それにマメちゃんの世話をしなくて済むので、その分、現在の仕事とは別に、
週末は自分の研究、執筆活動にあてると言っている。今までも、私が働いている
土日両方マメちゃんと過ごすのは無理で、どちらか一日は託児所に預けていた。
ちゅうことで、主婦の鏡は夫のキャリアアップを助けるべく、子育てから家事まで
一切引き受けて夫の仕事しやすい環境を整えてあげるのである。
あーーー、私には向いていない!!

こんな贅沢な時間も最後かもしれないと、仕事帰りに一人でメキシカンレストランに寄り、
チミチャンガをほおばり、サングリア片手に横森さんの本を読んだ夜であった。。。

突然の解雇!これからの生活どうなる?!(マメちゃん一歳半)

それは突然の解雇通告 であった。


日本から帰国して一週間経った休日、私の家には天使ママ達とマメちゃんのBF達が
遊びに来ていた。 


その日は私の勤めるカンパニーが無料で発声クラスを受けさせてくれる日だったが、
天使ママ達やベイビー達と久しぶりに会えるのをを楽しみにしていた私は、
ベイビー・デーの方をとった。


昔だったら積極的にレッスンを受けたり、カンパニーのキャスティング
ディレクターに売り込みをしていたものだが、最近では休みはマメちゃんとの時間や、
ママ友達と会う方が大事になってきていた。
自分もすっかり落ち着いてしまったなーと思いながら、
次の家族旅行の計画が一番の楽しみに変わりつつあった。


その前夜は新しい仕事に就いてかなりのストレスがたまっているダーリンの話を
聞いてあげた後、彼に言ったのだった。


「私もフルタイムのパフォーマーとして毎日同じショーをやっていると
やはり飽きてしまって、このままいっそクビにしてくれたら、再び
ハングリー精神がよみがえって外の世界に出ていけるのになあって思ったことが
何度もあったわ。でも今こうして家族ができてみると、福利厚生が
しっかりしていて、家族のためにお給料をいただいているんだと思うと
本当にありがたいと思うようになったの。」


こんな話をした翌日、急にマネージャーから携帯に電話が入ったのだ。


「かりりん、お休み中ごめんなさい、今から緊急ミーテイングがあるんだけど、
すぐ出てこれるかしら?」

そんなこと言われても家にはママ友と赤ちゃん達が遊びに来ているので
放って出て行けない。断ると、それなら電話で会議の様子を聞かせてあげると
言われた。

約束の時間になってもなかなか電話がこなかった。
そしてそれから2時間近く待たされてやっと電話。
それはキャスティングデイレクターからだった。


「やあ、かりりん。今日は緊急な知らせでカンパニーミーティングを開いたんだが、
キミは休みで出てこられないようなんでこうして電話させてもらったよ。
実はカンパニーの新しいコンセプトということで、リゾート内の数々のショーを
クローズすることになった。それで君のショーも10月2日をもって
クローズする運びとなった。もし他のポジションに興味があったら
マネージャーに相談しなさい。でも毎年恒例のホリデーショーは
今年も計画しているのでそのシーズンは週五日お願いしたいと思っているし、
コンベンションやスペシャルイベントがある時も今までどおり頼むよ。
新しいショーがあったらオーデイションに呼ぶからね。」


妊娠後期で、ある日突然、赤ちゃんの心拍が確認できませんと
医師から宣告を受けたあの瞬間と同じ反応だった。
今聞いていることは夢なのか現実なのか?
ぽかんとしながら、はいわかりましたといって電話を切った。


アメリカの不景気もいよいよ最悪の状態になり、リゾート内でも
ライブエンターテイメントはどんどんと隅においやられ、
その分直接お金につながるマーチャンダイズやレストランの経営に
力を入れる方針となったようだ。

この11年間、何度も危機を乗り越えてきた。最初のショーがクローズする
4ヶ月前に私だけ別のショーにトランスファーしてもらった。
そして9.11のテロの直後どっと解雇者が続出した時も生き残ったし、
ここ数年の契約更新も問題なく通過し、これなら景気の影響は
受けないだろうとマイホームを購入してしまったのだった。
しかしその予測は甘すぎた。
失業者の数は増え続ける一方であるし、観光者は減る一方である。


電話を切ってリビングに戻った私は笑いながら天使ママ達に言った。


「ハハハ、解雇されちゃった!!」


天使ママJさんは驚いて聞き返した。


「うそでしょ?あなたみたいな人が解雇されるはずがないわ!」


すると別の天使ママ友Cさんは、


「これで私達ともっと頻繁に会えるわね!」


と慰めると、Jさんは


「そうよ、そうよ、二人目ももう一回トライできるじゃないの!」


とポジティブにつけたした。


前回の流産の電話宣告のときも我が家にいてくれて一緒にシェアしてくれた彼女達。
運命を感じる。


「ベイビーシアターカンパニーとか作っちゃったら?」


どんどんアイデアを出してくれる彼女達。


「ところでダーリンさんに電話しないの?」

と心配されたが、やはり死産の知らせのときのように、
仕事が忙しい彼には後で話すと答えた私。


その晩私から報告を受けたダーリンは一瞬ショックのようではあったが、
彼の仕事柄、カンパニーの新しい方針も理解できると冷静な反応であった。
今の彼はいってみればアカデミック界のプロデューサー
・キャステイングディレクターなのだ。


「キミの才能とは関係ないから、自信をなくしちゃだめだからね。」


と励ましてくれた。


その晩二人で家計簿を計算してみたが、とにかくきびしい。
今までのアパートに暮らしていたら日本円にして月10万円は浮いていたのだ。
とにかく芝生の手入れやら、水道代やら電気代やら、害虫駆除など、
一軒家はお金がかかる。また、当初の予算の倍の値段の物件を購入してしまったのも
痛かった。ダーリンの息子の養育費、医療費、学費や
習い事の費用も月15万円くらいはかかっている。


私のカンパニーの福利厚生は本当によかった。しかしダーリンの勤め先の医療保険に
変えるとこれまた月額が高くなり、7−8万円はいってしまう。
アメリカでは勤務先の会社を通して医療保険に加入しないと、
個人ではとてつもなく高い保険料になってしまうので、その為に好きでもない仕事に
就いてフルタイムで働き続けている人も多い。オバマ大統領の医療保険改革で
今後どのように変わっていくかが注目されるところである。


ちなみにCOBRAと呼ばれる失業後18ヶ月間そのまま維持できる保険の月額は
なんと15万円!失業してお金が入らないのにどうやって
そんな保険料払えというのか? 


そんなんで、医療保険に加入していないアメリカ人もかなり多いのである。
保険に加入していないフリーランスの役者仲間が屋外のショーの最中、
熱中症で気分が悪くなり、自分で運転して病院に行ったら、一晩
検査入院させられ、請求書が日本円にして約60万円きたというから驚く。

さあ、医療保険というネックもあるし、今後どの方向でいくかに頭を悩ませる。


1、専業主婦になる。すると99週間、そう、約2年近く失業手当が
毎月約12万円入ってくる。 働かなければ託児所代も払わず、ガソリン代、
高速料金なども含め合計8万円くらい浮く。

2.どこでも雇ってくれるところで福利厚生なしで働く。
これはまったくもって赤字。


3.今のカンパニーに福利厚生の為にしがみつく。その場合この州の
最低時給のポジジョンに就く確率が高く、それだと託児所代やガソリン代で赤字!


結論として今のカンパニーで時給が最低でも14ドルで週五日のフルタイムで
働かないともとがとれない。そうでなければ失業手当に頼って専業主婦に
なっていたほうが得なのである。このエリアは物価が安い分、給料も安い。
ホテルの受付も時給9ドルくらいらしいし、お土産屋の販売員は
7ドル45セントから。。。ベテラン秘書でも11ドルしか
もらっていないらしい。今までいかにおいしい仕事をして、
甘やかされてきたのかがわかった。


今のうちにフリーランスでも食べていける道を考えていくのが
ベストなのかもしれない。しかし勤続11年の特権を失うのももったいない。
やっぱり働きたいといって来年戻ったらまた1からやり直しで
有給休暇もなしになってしまう。

スピリチュアルフレンドのSさんは言った。

「かりりんちゃんは運が強いし、なんでもできる人ですから今後のことは
全然心配していません。とにかくマメちゃんはスペシャルな子ですから、
彼女の能力を伸ばす準備を始めないとね。彼女シンガーになりますよ。」


とりあえず10月にオープンするという新しいパフォーマンスのオーディションに
行ってみた。リゾート内に新しくオープンしたイタリアンレストランの客寄せが
目的で、ほとんどしゃべらず、マイムで表現するとか。
体格のよいイタリア系アメリカ人を探しているらしく、私はまったく
反対のタイプだから望みはなかった。

それでもダメもとで、久しぶりにマイムの練習を夜中にしていると、
マメちゃんは寝っころがりながら、きゃーきゃー笑って拍手して
見ていてくれるのである。


最後にオーデイション用に練習したのはいつだったかな。。。
それに売り込み用写真は90年代にとったもので流行遅れの白黒写真。
履歴書も古いまま。これでも私ってプロの役者なの?


当日、白黒写真と履歴書の上に、昔、NYでシアターのマイム役でほめられた
新聞の劇評もくっつけて提出。そしてキャステイングデイレクターと演出家が
座る部屋へ入っていくと、最初から私はタイプでないといった感じで
あまり見てくれる気がなさそう。一応イタリアンアクセントでしゃべり、
マイムも披露したが、彼らは言った。


「本当にきてくれてありがとう。エネルギッシュでユニークなキミに
ぴったりの役がないか一生懸命探しているところなんだ。
そうしたらすぐ連絡するから、とりあえず、11月のホリデーショーから
スタートしてみようよ。」


日本人ということで、ユニークさが売り物になることもあれば、その反面、
典型的西洋人の役にはキャストされないというマイナス面が大きい。


演出家からは、「僕が演出している別のコメディーショーにキミはぴったりなんだ。
来年空きがあったら呼ぶからね。」と言われた。


そういわれたところで保障はないし、毎年契約更新できるかひやひやしながら
生活していくのもきつい。自分で独立して生きていける道を切り開かなければ。


ここで日本滞在中のおみくじの御言葉が思い出される。どのおみくじも、


「古きを捨て新しき事を始めるがよい。くよくよせず、古きものに固執せず、
元気を出して前に進め。時間はかかるが未来は明るい。職業に尽くせ。」


といった内容のものだった。あの時は父の脳梗塞のことかと思っていたが、
今思うとまさに今の自分へのメッセージなのである。


解雇を告知された翌朝目が覚めると、失恋した翌朝と同じフィーリングを感じた。
天井を見ながら


「あー、ふられちゃったんだ。。。これから私はひとり。。。
心のどこかでいつも守ってもらっているという安心感がなくなった。
ひとりで生きていかなければ。」というあの感情。

そういいながら横を見るとすやすやと眠っているマメちゃんがいる。
もう出勤してしまったが、ばりばり働いているダーリンもいたんだった。
そっか、とりあえずひとりではないんだ。


死産後と同じようにその直後は異様にハイになっていてやたらとポジテイブに
考えようと明るくしていた。しかし一ヶ月も経ってみると
そのエネルギーは落ちてくる。

それでも、仕事の後すぐに家に帰って休みたいところ、パーティーには
無理に出席した。そうすると、そこで昔フルタイムだったが、
ある年から契約更新できなくて、自分でイベント用のタレント人材派遣会社を
やっているというシンガーの人とばったり会った。

「わかるよ、君の気持ち。これ、僕の名刺、履歴書送ってね。
なにかあったら派遣するからさ。」


と名刺をもらったし、別の人からは、他のショーのスタッフ募集の情報ももらった。


やっぱり引きこもっていては何も始まらない。


そして広告やCMモデルで活躍しているアジア人男性役者仲間から突然の電話。


「聞いたよ、解雇されたんだって?いいかい、これからまず写真を取り直して、
エージェントに面接にいくんだ。CMや広告モデルのオーディションが忙しい
シーズンになったからね。僕がただで写真を撮ってあげるよ。」

彼は副業でタレントの売り込み写真や結婚式の写真を撮っている。


こうして15年ぶりに写真を撮り直したのである。
そしてアジア人ファミリー写真として彼とマメちゃんと3人でも撮った。
当日マメちゃんは私のひざから降りたがってなかなか撮影がすすまなかったが、
ずっとシャッターを切り続け、結構いい写真ができた。


その数日後、彼は私を彼の所属するエージェントのところに連れて行ってくれて
社長さんに紹介してくれた。


「彼女は11年フルタイムパフォーマーとして生き残ってきたし、
自作自演の一人芝居を公演していたときは毎夜チケットが売り切れだったんですよ。
僕は彼女の大ファンなんです。」

なんて売り込んでくれたので、一発で事務所と契約してくださいと言われた。
そしてマメちゃんの写真も見せると、

「まーーー、なんて可愛い!黒髪にむちむち太もも!
この子も一緒に売り込みましょう!」

と女社長に言われた。

捨てる神あれば拾う神ありだ。。。



それにしても今年はなんでこんなにたて続けに悪いことが起こるのだろう?


新築の家を購入したら3年間は気をつけろといわれるそうな。。。
新築購入後2ヶ月したら親が脳梗塞で倒れたという人もいた。

それプラス私にとって大殺界の最後の年。水星人マイナスで検索してみると、
同じ星の人達の声が出てくる、出てくる。今年に入って離婚、失業、自己破産、
身内の不幸などとみなさん嘆いていらっしゃる。。。


去年の12月28日にこのマイホームの鍵を手にした一時間後、後ろから車を
追突され、正月のイベントは、クライアントから苦情をもらい、
1月、2月は声が出なくなる風邪を引き、三月は食中毒、さらに毎月赤字続き、
流産、ぎっくり腰、父の脳梗塞、そしてとどめは解雇。

水星人マイナス占いによると、今年さえ辛抱すれば、来年から種子で、
だんだんと物事がいい方向に動いてくるそうだ。今年はリセットの年で、
貯金も使い果たしてしまうくらいでいいそう。


何しろ8月からパソコンはとうとう使い物にならなくなり、車も10年経って
修理費のほうがかかるので買い替えた。長年愛用していた電卓も壊れたので
買い替え。先週はバスに乗ろうとしていたらドアを閉められ、肩を痛める。
その翌日前の差し歯が抜けてしまい、仕事早退。


家相も改めて見直してみると、家の心臓部分が階段で凶相。階段の下が物置だが、
引っ越してから物をぶちこんだままでぐちゃぐちゃ。家の中心部分にトイレや
洗濯機が固まっているのもよくない。でも今さら改装工事なんてできないので、
とにかく掃除をしたり、盛り塩、風鈴、水晶をおいたりするしかないのである。

物置を整理してみると、30代の頃書いた目標シートが出てくる。
我ながら結構大きな仕事をしたもんだ。野心もばりばりだったし、
仕事も3つかけもちしていた。

40代になってからは妊娠、出産、子育て、マイホーム購入が
大きな焦点となっていった。

さあ、10月から11月後半までマメちゃんと二人きりで24時間過ごすことに
なるのだろうか? 生後2ヶ月で仕事に戻ってほっとした私に耐えられるかが心配だ。

今でも流産後、生理をすでに3回見送ってこれが二人目(正確には4人目)妊娠の
ラストチャンスと惜しくなることもある。しかし経済的に無理になってしまった。
新しく子供を誕生させるのか、それともキャリアを誕生させるのか?
マメちゃんがいる今、キャリアを誕生させる方が大事になってきた。


マメちゃんは健康で、今まで一度もマメちゃんの病気で欠勤したことはなかった。
次の子もそうなるとは限らないし、一人だけでも託児所代がネックで働くことが
困難なのに、二人分はすごいことになるだろう。それに流産進行中に痛めた腰は
なかなかよくならず,いまだにカイロプラクティックのお世話になっている。
これ以上身体をぼろぼろにしたくはない。それにダーリンはマメちゃんひとりでも
怒りまくりである。 でももうひとりいたら可愛いだろうな。。。


マメちゃんはいまだに健康優良児で太ももはロールパンのように山がいくつもあり、
ふくらはぎから足首までは象のように太い。ヘアーはいつも美容院行ってきたのかと
聞かれるくらいスタイリッシュである。一度もカットに連れて行ったことはないが、
シルクのようなダークブラウンの髪はは艶々輝いていて、かっこよくレイヤーが
入っている。時には外側にはね、時にはフォワードになる。いい加減前髪が
伸びすぎて目に入るのでそれだけは私が切ってあげた。


ダーリンには厳しく叱られるのに、彼に抱っこをせがんだり、甘えたりする。
私といるとごきげんなのに、ダーリンが2階から降りてくると急にウソ泣きして
彼に抱っこをせがむ。私がほとんど怒らないので完全にバカにされているようだ。
ダーリンがNO!というと気をつけをして一歩下がりるのに、私がNO!というと
笑ってNO!と真似していたずらし続ける末恐ろしいオナゴなのである。


最近は家の中でも靴を履きたがり、肩にハンドバッグをかけて玄関までいって
「バイバーィ!」といいながら手を振るのが好きである。


Baby EinsteinシリーズのベイビーマクドナルドDVDが好きで、いつも
スペイン語バージョンで見ているのに、りんごが出てくると“apple!”と
叫ぶのであった。でも桃をみると「ももーーー」!というし、
どのアルファベットを見ても「A!」という。昨日は「チャーハン!」
と何度も言いながら踊っていた。

マメちゃんのシッター、Tさんは私の解雇が決まってからというもの、
毎日のように昼も夜も「仕事探しているの?」と聞いてきていい加減疲れた。
ある日、

「たぶん10月、11月の3週まではマメちゃんと家にいることになると思いますが、
ホリデーシーズンはお世話になりますから。」

といったから大変だ。電話で10分も

「夫も弟もあなたが仕事みつからないのおかしいと言っているわよ。
すぐにみつかるはずよ。」


「だから、私の職種は普通と違っていて。。。」


「ホテルのフロントとか、カーディーラーとか、何でもあるじゃないの。」


「時給が8ドルや9ドルじゃ託児所代、ガソリン代、高速料金で赤字に
なっちゃうんですよ。」


「そんなはずないわ。あー、困った、マメちゃんが来なくなるんじゃ、
私達の生活はどうなるの?私が外に働きに行かなきゃならなくなるじゃないの!」


「あなたの託児所の広告を作成して会社の掲示板に貼ったり、私も努力は
しているんですよ。実際、電話番号、みんな切り取っていってますから
興味があるんですよ。」


「そんなこと言ったって誰もまだ問い合わせないわよ!」


わたしだって好きで失業したわけじゃないし、ここまで協力してあげているのに、
なんで責められなければならないのだろう。

気がついてみればフルタイム勤務最後の日まであと2週間しかないのに、
まだまだ今後の決断ができずに毎日が過ぎていくのであった。

完全流産のその後 (マメちゃん一歳4ヶ月)

悪いことは重なるものだ。先週一週間の出来事とは。。。

父が突然倒れ入院。進行流産、アブに刺された左足は腫れあがり、
車は故障し4日間修理に出した。おかげで外出はできないし、
修理費は日本円にして約12万円。さらにぎっくり腰を3回。
まさにぎくっときて犬のような格好のままでその場を動けないこと2時間。

流産は完全に進み、自宅で小さな点ちゃんを出産。

すべてが流れ出た後は出血も止まった。出血が始まってから
一週間ちょっとだった。出血がなくなると、これで完全に終わったんだ。
点ちゃんともお別れなんだと淋しくなった。

庭の木の下に点ちゃんをピンクの包装紙でくるみ、可愛いリボンをつけて
埋葬した。そしてお花をお供えした。最後まで頑張って、
エコーでその姿を見せてくれ、心臓も動かし、その翌日には誕生して
挨拶してくれた点ちゃん。健気だね。

同じく妊娠初期流産で自宅出産した友人は気持ち悪くてすぐに汚物入れに
処分したものの、病院から持ってきてくださいと言われてひーひー言いながら
持っていったそうだ。私の場合は最初の死産で鍛えられているから
ちゃんと洗浄して、観察してから埋葬した。死産前はもちろん
そんなこと想像もできなかったものだ。埋葬前に病院に染色体などの検査を
してもらえるのかと思って電話をしたら、またあのいい加減な看護師が出て、
それはしませんと断られた。

完全流産した人の体験談をネットで呼んでいたら、私とまったく同じく、
出血がみられ、妊娠中はつわりがなく、お腹を触るといつも冷たかったそうだ。


さて、以前から計画していたビーチ旅行が週末に入っていたので、
癒し旅行も兼ねてマメちゃん、ダーリン、そして今回は彼の息子も連れて
3泊4日の旅行に行ってきた。

マメちゃんを抱っこするとまた腰をぎくっとやってしまいそうなので、
マメちゃんを車から降ろしたり、抱きかかえるのはダーリンにやってもらった。
今回の旅行中はマメちゃんは妙にぐずり、甘えてきて、始終食べ物を欲しがり、
与えないと癇癪を起こして物を投げつけたり、私の肩を噛んだり、
引っ掻いたり。。。部屋の中ではとにかく愚図り、外や浜辺ではご機嫌で
歩き回っていた。

車の中では、たまのCDをかけるとすぐ寝てくれるので楽だった。
そう、ベイビー用の子守唄集や、クラッシックよりなにより、
マメちゃんにはたまが特効薬なのである。それもあの、
ゲゲゲの鬼太郎ちっくなヴォーカルでなくてはダメなのだ。

オリジナルメンバーの4人ともヴォーカルなのだが、
ゲゲゲの鬼太郎の声でないと文句を言うマメちゃんなのである。
だからヒット曲の「さよなら人類」や「オゾンのダンス」では
文句を言い出し、鬼太郎さんのマイナーな「方向音痴」や、
「ロシアのパン」をかければすぐご機嫌になり寝てくれる。
まだ日本にいた頃、私は22,3歳位だったろうか、
イカ天バンドファンで、その頃買ったたまのCDが
今頃重宝するとは思わなかった。

旅行中はひとり朝早く起きてチワワのユキちゃんを連れて
公園で気持ちを整理した。そして浜辺で波の音に癒された。
夜はマメちゃんを寝かしつけた後、ダーリンと息子と3人でトランプをした。

旅から帰ってきて、ダーリンは言った。

「あ〜〜、悲しいなあ。」

なんだか流産した後もあまり悲しそうにみえなかったダーリンに
疑問を感じていた私だったが、あ、やっぱりダーリンも
悲しんでいてくれたんだとほっとした。
しかし、その後に続いた言葉は。。。


「悲しいなあ、ヴァケーションが終わっちゃって。」

え?点ちゃんのことは残念じゃあないの?

そこで思い切って聞いてみた。

「あの。。。今回の流産のこと、悲しいと思わない?」

「それは残念だけど。。。初期だったし、
僕が身ごもっていたわけじゃあないからあまり実感がわかないよ。
それに多分染色体異常かなにかでもともと生きられない命だったんだろうしさ。
それにこんなに可愛いマメちゃんがいるじゃないか。」

これが男女の違いなのである。こうして夫婦の間に悲しみの感じ方の違いが出て、
夫婦仲が怪しくなっていくのだ。

そう思いながら、最初の妊娠が妊娠後期の死産という形で終わった自分は
やはり打たれ強かった。あの時程のトラウマは引きずらず、
普通に生活しているのである。腰を痛めて仕事を休み、
その後ヴァケーションだったので、流産から一週間後に仕事に復帰した。
そしてだんだんとあの妊娠は夢か幻だったのだろうかと
記憶から消えかけていった。。。

今後どうするかははわからなくなってきた。
スピリチュアルフレンドのSさんは言った。

「そうですか。。。残念でしたね、奇跡も期待したんですけどね、
私、一回流産しかかっている人を救ったことがあるんですよ。
シャワーを浴びていたらある霊からお願いされて。。。
私がついているから大丈夫ってこの人に伝えてくれって。
この人っていうのが私の知り合いだったんですけど、
急いで電話したら切迫流産でもうあきらめかけていたそうで。
それまで不妊で苦労していたそうですけど、
メッセージを伝えたら気を取り直して、もちこたえて、
結局無事出産し、その後さらに二人も出産しましたよ。」

今後の事を聞いてみると。。。

「ほら、健ちゃんを亡くした後、それはもうキラキラした子が
空から今か今かと降りてこれるのを待っている言ったでしょ。
それがマメちゃんで生まれてきたらやっぱり本当に
キラキラしている子じゃないですか。
あの個性を伸ばしたかったら一人に集中するのもよいし、
また、お姉さんになってもまた別の個性がでますしね。
かりりんちゃん次第ですね。」

今思い出した。。。マメちゃんが生まれてからも、
「かりりんちゃんが妊娠した夢やヴィジョンを見ました」
って言われていたんだ。その時はまだマメちゃん0歳児で
次の子の事はまだ考えていなかったのに。。。
当たっているな〜。

とりあえず今は子宮を休ませよう。。。

妊娠5週目で鮮血に血の塊!5ヶ月くらいの大きさとお腹の張り。。。(マメちゃん一歳3ヶ月)

生理の予定日前後からおりものに茶色が混ざるようになった。
これは着床出血だろうとたかをくくっていたら、妊娠5週目2日で
トイレットペーパーに真っ赤なさらっとした鮮血の中に赤黒い血の塊が!!

それは一回だけでその後はナプキンに少量つくくらいで出血は止まった。

着床出血、鮮血、血の塊などで検索してみると10代の妊娠掲示板
なるものが出てきた。好奇心からチェックしてみる。

「あたし、16歳で初めて彼氏ができて、一月一日にやっとHしました。
でもコンドームが破れちゃって妊娠が心配です。生理の予定日に
鮮血と血の塊があったんですけど、これって着床出血ってやつですか?」

それに対してのコメント。

「あたしも16歳です。彼氏はすっごく優しくて私が心の準備ができるまで
待ってくれましたよ。でもあたしが生理きたからYさんも絶対大丈夫!」

呆れる。。。ってこんなもの読んでいる場合じゃなかった!


以前の妊娠中は大騒ぎしたものだったが、今回は冷静な自分であった。
その二日後、産婦人科検診があるし、染色体異常の初期流産だとしたら
止めることはできない。中には安静にしたり、黄体ホルモンを促す
注射などしてもちこたえる人もいるようだが、こちらの病院は
よくあることですからでほっとかれるし、自分でもその赤ちゃんの
生命力に任せるしかないと思っている。

経験者として一番避けたいのは妊娠後期での死産だ。
産声の聞けない出産になったとしても、私の場合では帝王切開の可能性が高い。
どうせ失うのならばまだ今のうちのほうが心身ともに負担が軽くて済む。
だから強い生命力の子に生き残ってもらいたくて、
潜在意識のどこかでタフに扱ったりしているのかもしれない。
初期流産の7割は染色体異常によるもので、どんなに安静にしていても
流れるものは流れてしまうという。

だからそのまま蒸し暑い屋外でパフォーマンスを続けたし、翌日も仕事。
その夜マメちゃんに踊ってあげていたらお腹が張る感覚。。。
しかしお医者さんに行っても普通に生活していてくださいと
言われただけなので、(性交だけはタブーとのこと)
休みの日二日間はマメちゃんサービスでテーマパークを歩き回った。

お腹も妊娠前は平らだったのにこの2週間で妊娠5ヶ月くらいぽっこり
してしまった。もしや胞状奇胎では?左の卵管辺りもチクチク。。。
え?子宮外妊娠?早いとこ超音波で見つけてくれないものだろうか。。。
これまたこちらは日本と違って遅いのである。確かに早く診てもらいすぎて
胎嚢が見つからなくて心配するよりはいいかもしれない。
また、心拍確認にも間があきすぎて不安になることもある。

なんていいながらも前回の妊娠と違ってゆったり構えているのだ。
前回のつわり日記によれば2回ともこの頃にはつわりも始まっていたのに、
いまだにやってこない。
ただ胸の張りとちくちく感はあり、高温36.8度が続いている。

そして初めての妊娠確認に産婦人科に行った。前回同様、
まずは助産師さんにしか見てもらえない。超音波検査はなく、
ただの尿検査のみなので、家庭用の妊娠検査薬を使用するのと変わりない。

しばらく待合室で待たされ、やっと診察室に通された。やる気のなさそうな
黒人の看護師さんからちょろりと問診。

「ここに来た理由は?」


「妊娠検査薬で陽性が出ました。」


「最終生理は?」 


「初日が4月29日です。」


「んじゃあここで待ってて。」

そして1時半の予約なのに3時まで待たされる。待合室では親友L子が
マメちゃんと遊んでくれていた。

尿検査だけなのにいつまで待たせんねん!と痺れを切らしたところで
マメちゃんの時の例の助産師さん登場。広告の写真に10歳足して、
体重も10キロ足したといった印象の彼女。
あの時はぴたりと膝をくっつけるくらい顔を近ずけて親身になって
話しかけてくれた彼女。前回は「おめでとうございます、妊娠7週です!」
なんて赤ちゃんの足のプリント付きカード持参で入室してきた彼女であった。

それが今回は愛想なし。カードなし。超ドライ。

「妊娠してるわね。」

「そのようなんですけど、一週間茶色いおりものが続き、ついにおととい
鮮血と血の塊がペーパーについていて。。。
その夜一歳2ヶ月の娘のために踊ってあげていたらお腹の張りもありました。
お腹がぽっこり出てきて、まさか異常妊娠ではないかと心配なんですけど。」

「じゃあホルモン値の検査しときましょう。超音波はまだ早すぎるから
10日後に予約とって。1年2ヶ月前に出産したのね?」

ちょっと〜、一回目40歳で死産、42歳出産、妊娠糖尿病、
今回43歳で妊娠というハイリスクっていうカルテ読んでこなかったの?

そして内診を始めた彼女。手を動かしながら、

「あら、筋腫があるわね。」

「え〜〜?!2年前に開腹手術して摘出したばかりですよ!」

「前回の妊娠でまた育っちゃったわね。」

あ〜〜〜、そういえば小堺先生が、一つか二つ筋腫の芽があって取れないけど、
50歳くらいになったら子宮ごと摘出しちゃえばいいんですよって言ってたっけ。
それがマメちゃんの妊娠で育っちゃったわけだ。ということは今回の妊娠が
継続したらまた大きくなっていくわけ?健太郎の死亡は筋腫が
原因かもしれないという説もあった。。。

内診の結果、出血は見られないそうだが、一応ホルモン値検査の為に採血された。

検査結果は翌日出ると言われたが、毎日電話してもまだですと言われ続けて
一週間。。。

今回なんか前途多難である。まだつわりもないし、着床時期は眠かったものの、
それ以降は眠くもないし疲れないし。。。
本当にお腹の中で生きているのかな。。。?


おまけに十日後に超音波の予約を取るように言われたけれど、仕事の都合で
16日後になった。まあその頃には心拍も確認できるだろうしってことで、
8週目と遅くなるがその方がいいかもしれない。5週目で胎嚢を発見して
喜んでいたが、心音が見つからず、ナーバスになりながら
数週間待ったものの結果的に心音は見つからないまま
繋留流産と診断されたという話もよく聞く。

こんな状態でも冷静なのはマメちゃんがどんどんと
可愛くなっていくからであろう。毎週休みはプールやテーマパーク、
動物園に連れて行ってあげている。あんなに喜んではしゃぐ姿を見ていると
こちらまで嬉しくなって、疲れもふっとびあちこち連れて行きたくなるのだ。
そう、マメちゃん一人でも大満足なのだ。
それにやはり一人はおでかけも楽なのである。

野外コンサートではバンドのリズムに合わせて踊りだし、周りの観客大喜び。
知り合いのミュージシャンパーティーに招かれて70年代風のヒッピーな
ミニのドレスに白いハンドバッグと白い靴、おもちゃの携帯を手に、
サングラスをかけて会場に登場のマメちゃん。
みんなから一斉に写真を撮られても堂々とポーズをとっている。。。
撮影が終わるや否や2匹のボストンテリアにすごい勢いで突撃キッスされ
後ろに倒れるもののむっくり起き上がって二コリ。犬を指差し、
「バウワウ!」と言っている。

寝かしつけも本当に楽になった。ベッドで「げんこつ山のたぬきさん」を歌えば
5分から10分以内で寝てくれる。

好き嫌いもアレルギーもなしで与えられたものはなんでも食べる。
私が料理していると、お鍋を指差して舌を出したり引っ込めたりしながら
「ウ〜〜ン!」とうなるくらい食べるのが好きなのだ。


次回の超音波検診では一体何が見つかるのかわからないが、
まあなりゆきに任せようと思う。

排卵チェッカーでニコちゃんマークあらわる!さてどうする?(マメちゃん一歳2ヶ月で荒れ狂うの巻)

4月末は我が家の新居祝いパーティーを開いた。
当日はトルネード警報が出てひどい天気の為欠席者が多かったが
それでも35人くらい集まってくれた。

皆インテリアを気に入ってくれたようで、モデルホームみたいですねなんて
お世辞まで言ってくれた。

ここ一年のプロジェクトの経過として出産、産後の子育て、マイホーム探し、
そしてインテリアコーディネートであったから、まだまだ完璧には程遠いが、
ここらへんで一区切りつけて次のプロジェクトに移行だ。
だってこれ以上家具やら小物買ったらもう破産の道である。 


家を持つとほんと貧乏になる!芝刈りのサービスに$50、(私もダーリンも
自分でやるタイプではない。)芝生がどんどん枯れてきたので芝生ドクターを
雇って6週間に一回$36、水道代がバカ高い地域に引っ越してしまいどっと
水道代があがってしまった。管理費、ローン、税金などでアップアップである。

日本の家庭の家計簿拝見なんてウェブサイトをのぞくと、4人家族で
食費2〜3万円でやりくりしていますなんて書いてあってすごいと思うが、
我が家はダーリンが10歳との息子と二人での外食費だけで日本円にして
月6万円も使っているのだ。数字を見せたらこれからはもっと
安いレストランに行きますと反省していた。


元妻はリッチな弁護士と再婚して高級住宅地に住んでいる。しかしこちらは
かなり高めの養育費を払い続け、プラスそれ以外の医療費やら学費やら
(私立校)、パーソナルトレーナー代にスピーチセラピー代などを半額払わされ、
マメちゃんはもちろん公立校になるだろうし、習い事もさせて
あげられないかも。。。そんな状態でさらに二人目なんて考えないほうが
よいのだろう。

しかしそれとは裏腹にホルモン的にもう一回妊娠したい病にかかってしまうのが
女のサガ。。。

私の場合、実験的なところもある。まだ排卵はあるのか?
もう一度妊娠できるのか?今度は妊婦生活を楽しみたいし、
子育ても余裕をもって楽しみたい。しかしまた2年も心身ともに
疲労の日々が続くのか。。。?

再び妊娠したい熱は産後一年頃がピークだったような気がする。
産後10ヶ月ではマメちゃんの新生児から今までの服を処分し、
もうこれで終わりと区切りをつけたはずが、今になって、
あ〜、キープしとけばよかったなんて後悔しだしたのである。

いつも愛読している高齢出産ブログがある。マメちゃんと同い年の赤ちゃんを持つ
ワーキングマザーの女性が書かれているブログで、成長の過程を詳しく
記録されているので今までとても参考になった。その方のブログからは
赤ちゃんへの愛情がたっぷりと伝わってくる。仕事復帰後赤ちゃん会いたさに
仕事から飛んで帰るというのは、ぐだぐだ寄り道してから託児所に迎えに行く
私とは正反対である。

そのブログを開けると「妊娠8週」という題の記事が出てきて、
あれ?過去記事に戻ってしまったのかしらと日付けチェックをすると
5月2010年。。。と言うことは、二人目妊娠?40歳で出産され、
現在41歳であろう彼女は二人目出産を41歳か42歳。 
やはり彼女も二人とも40代での高齢出産となる。。。

一方、私の二人目願望も最近はだんだん落ち着いてきて、さらに妊婦さんを見て
もうらやましいと思わず、新生児の声を聞けばあ〜、またあれからやり直しなんて
面倒くさいとまで思うようになってきた。

そして先月は久々の期限切れ排卵チェッカーを試してみたものの、
ニコちゃんマークは出なかった。後でわかったのだが、私の現在の周期は
27日周期なので、最後の生理から数えて10日から毎日チェックしなければ
ならなかったのだ。

だから好奇心から今月は試験的に生理開始日から数えて10日から毎日チェック。
13日になってもニコちゃんマークあらわれず。。。しかしメルマガ、
「妊娠しやすいカラダ作り」で精子が古いのもDNA損傷を起こし、先天異常の
可能性が高くなるとのこと。そうしたら。。。とりあえず避妊して
入れ替えか?と、ダーリンの協力のもと、クリーンアップを決行。


その後タイミング妊娠法を読むと、精子数が正常値に戻るのに三日半かかるので
排卵日の前日くらいから数えて4日前から禁欲しろとな?!
しまった〜〜!さらには排卵チェックは朝と夜しろとのこと。
今まで夜しかやっていなかった。そして翌朝チェックしてみると。。。

あ〜、数年ぶりに出ました、ニコちゃんマーク!とりあえず出るとなんか
嬉しいものだ。すると昨夜は避妊なんかして精子を無駄使いしてしまったか?
でもまだ十分優秀なおたまじゃくしくんは残っているか?
なんて悩みながらもその晩決行。しかし翌朝考え込んでしまったのだ。。。。

なんてことしてしまったんだ!まだ覚悟も決めていないうちから
軽はずみなことをしてしまった。(って、まだ結婚前の若い女性みたいなこと
いってる)もう一人の人生の責任を持つことができるのか?
これから体力的にきつい日々が待っている。。。


こればっかりは天にお任せしよう。何も起こらなければマメちゃんに
たっぷりと時間と愛情を注いで、自分のキャリアもまた新しいゴールを
見つけよう。もう次回はトライしないかもしれない。そしてもしも、
もしも授かったらそれもメッセージと受け取って今度は一から
その瞬間を楽しんでいこうと思った。マメちゃんの時は何が何でも授かって
出産しなければ!とすごい意気込みだったのだが、今回はなりゆき任せである。


さて流産、死産、新生児死を経験した親たちの会で知り合った私たち、
6カップルは全員再妊娠し、無事健康な赤ちゃんを出産した。
最後のMさんからの出産のニュースを聞いた時は今までの辛かった日々を思い出し、
その章がいよいよ終わり、これからは新しい章へと移るのだと思ったら
ノスタルジックな気分に浸り、涙が出てきた。

そのうちの4人がやっと集まることが出来た。いつも3人は出産予定日も
ほぼ同じということで妊娠からずっと支えあってきたが、あらたに
一月に無事出産したDさんを交えての同窓会を開いた。

マメちゃんだけとことこ歩き回り、他の二人はまだハイハイしているが、
ボキャブラリーはマメちゃんより相当なもので、頭といえば頭をさすし、
手話も出来ていた。、いろんな言語に囲まれて育っているマルチリンガルな
子供は言葉の発達が一時的に遅れるというのは本当らしい。私からは日本語、
ダーリンはスペイン語、託児所では英語やベンガル語で話しかけられている
マメちゃん、どうしても英語で同じ単語を繰り返し聞いている他の
赤ちゃんたちより覚えが遅い。チワワのユキちゃんを指差して「ユキ」、
おもちゃのケーキを「ケーキ」、「オーケー」、「ママ〜」
などはよく言っている。

生後5ヶ月の赤ちゃんを抱えるDさんはそわそわして外に出たり、授乳したり、
オムツ替えをしたり、ナーバスそうに赤ちゃんを抱っこしながら動き回り、
わりとすぐに帰ってしまった。あの頃の自分を思い出した。
今では図々しくなったし、マメちゃんも自分で歩き回って
ひとり遊びしてくれるので楽なものだ。もちろんキャビネットはロックし、
コンセントもカバーをして家中を安全な環境にしている。

今では食べ物のレパートリーも広がって好き嫌いななく何でも食べるマメちゃん。
納豆、豆腐、トマトスパゲッティー、鮭、白身魚、鶏肉、すりおろしインゲン、
赤ちゃん用薄味カレー、チーズ、ごはん、ハンバーグ、にんじん。マメちゃんには
もちろん薄味にして、私たち夫婦用に塩やこしょうを入れる前に取り出して
お皿にのっける。

一歳児達を遊ばせておいて、私たち天使ママ達はシャンペンで乾杯した。
悲しみを乗り越えてやっとここまできましたというお祝いである。

ここ三日間マメちゃんは野獣でも乗り移ったかのようにドスのきいた声で
雄たけびを発し、ぐずりまくり、抱っこしろとせがみ、そうしてあげると
降ろせと怒り、降ろせばまた抱っこしろの繰り返し。
あげくの果てに私の顔をするどい爪でひっかき、太ももを噛むという母親虐待!
「顔を引っ掻かないで、あたし女優なんだから」と、
薬師丸ひろ子になってしまった。

いよいよ一歳児、これが噂に聞いていた自我が出ると言うやつか!
(自我が出るで検索するとずらーっと一歳児がでてきましゅ。)
ある専業主婦さんは、今まで本当に手がかからなかったのに、
一日中二人きりでこんなに暴れまくられて、耐えられません。
思わずこちらも虐待してしまいそうですと相談があった。
ほんと、この状態のマメちゃんと来る日も来る日も二人きりだったら
私もどうなっていたかわからない。

しかしこの状態は三日で終わり、またもとの天使のマメちゃんに戻った。。。
今まで午前12時半や一時まで寝てくれなかったマメちゃんが、
最近では11時になると自分で水の入った哺乳瓶をつかみ、寝床へ
とことこと歩いていくのである!そして水を飲み干し、
自分で子守唄のようになんかの歌をくちずさみ、
シーツをすりすりしながら眠りにつくのである。
自分で寝かしつけテクニックを覚えたマメちゃん!
この調子で少しずつ就寝時間が早くなっていってくれればよいのだが。

パーティーでも人見知りせず、いろいろな人に抱かれてニコニコしたり、
真ん中で踊りを披露しているマメちゃん。友人曰く、

「なんかマメちゃんってルックスが可愛いだけでなく、
人を癒すパワーみたいなのがあるんだよね。
娘がマメちゃんみると可愛くて涙が出てきたって言ってたわよ。」

このまま曲がらず育ってくれ、マメちゃん!と祈る私であった。

占い師かりりん誕生!(マメちゃん生後8ヶ月)

またしても一ヶ月はあっという間に過ぎ、もう11月も終わろうとしている。
そしてサンクスギビング、クリスマス、年越し、お正月と
あっという間に2010年になるのであろう。



死産から2年経った。健太郎の誕生日&命日は休みを取ってダーリンと
マメちゃんとお墓参りに行ってきた。健太郎の誕生した11月6日、
午前3時13分にはダーリンと二人で病院で撮った写真を眺め、黙祷した。
お墓ではマメちゃんはじっと墓石を眺めていた。帝王切開の数日前
お参りに来たとき、マメちゃんはお腹の中で
まるでお兄ちゃんに挨拶するかのように動き回っていた。



さて、この一ヶ月は不動産探し、イベントの仕事であわただしかった。
不動産探しをして感じたのは、ネットお見合いと共通点があるということだ。
まずネットで毎週月曜に新しい物件を探し、場所や価格、条件などをチェックし、
どんどんとざるにかけていく。それで毎回期待しながら見に行くのだが、
写真と違ってがっくりとか、見かけがよくても中身がひどいとか、
条件が合わないとか、場所が僻地とか。。。。
それで大抵がくっとして帰ってくるのだ。


もういいかげん疲れた、やめたいと思いながら、まてよ、ネットお見合いで
ダーリンとめぐり合うのにも2,3年かかったんだっけ、それでやっと
疲れたところに清潔感溢れ、一緒にいてほっとする彼と出会った。
最初は大変だったけど、だんだんと落ち着いてきて、
将来性もあるということがわかってきた。


お家もそうなのかもしれない。外観、条件ばっちりでも暮らしていて
落ち着かない場合がある。あと、いくらか欠陥があっても、
重大な欠陥でない限り、ちょっとの修理で見違えるような物件になり、
将来その家や、土地の価値が上がる可能性もある。


そんな話をダーリンにしたら、笑いながら

「キミが疲れているときに出会ったから僕はラッキーだったんだね。
 でもずいぶんな褒め言葉だね。」

と言った。

こんな失礼な例えも受け入れてくれる彼は
やっぱり心が広いのかもしれない。


結局最初にダーリンと一目惚れした物件は、もう一人
申し込みをしている人がいると言われた。それで向こうの提示した金額は
教えてくれずに、いくらまでなら払えるかという事を聞かれた。
まるでポーカーのようである。向こうはツーペアか、フルハウスか?
それともロイヤルストレートフラッシュ?なんていって実は
ブタだったりして?でもあおられてやりくりできない金額を賭けてしまっては
いけないと、売りに出されている通りの数字を出したら、
向こうさんにさらわれてしまった。


2件目は、手に入りかけのところを現金を持ってきた外国人投資家らしき
人物にさらわれてしまった。


そしてまた一からやり直し。。。。

それにしてもアメリカはどうしてこうも風水的に最悪な間取りや屋根の形の家が
多いのであろうか。そんなこと気にしないダーリンは
もういちいち風水的いちゃもんをつける私にうんざりしている様子。
何十軒もマメちゃんと築3〜9年の中古物件を見に行って、最後は
写真は豪華なスパにプール付きの家が、行ってみたら外からでも悪臭の漂う
木材が腐ったような物件でげっそり。。。。


もうやめようと思ったところでこれからは新築の家にしようと決心したのである。
そして見に行ったコミュニテイー。

ゴルフ場の中にあり、レストランや、ジム、滑り台やトンネルなどがついている
子供用プールと競泳用プールがある大きなコミュニティーである。
そこで見つけた来年4月完成予定の分譲住宅が目に留まった。


金額的にもやっていけそうだし、5回も風水コンパス持参で土地と、
モデルハウスを見に行って、間取りも分析し、そこに決めたとたん、
セールスの人が、

「すみません、手違いで。。。。この土地には
 別のモデルが建てられることになっていたそうです。。。」


そのモデルは風水的に最悪な間取り!な、なめとんのか〜〜〜!!

ということでかりりんのお家探しはこれからも続くのであった。。。。


でも、最初の2軒が手に入りかけた時、なぜかむなしい気持ちに襲われた。
イギリス人である不動産屋さんは子豚ちゃんとクマさんを混ぜたような
ルックスの30代くらいのお兄さん。

人が良くていまいち頼りにならないタイプだが、彼の母親がバリバリのやり手で
この道運十年のベテラン。物件を見せてくれるのは子豚ぐま君だが、
(勝手にこう呼ばせてもらおう)契約やローンのチェックは
お母さんが責任もってやってくれる。


この子豚ぐま君と毎日電話で連絡を取り合い、休みの日にマメちゃん連れて
物件を見に行くのが結構楽しみとなっていた。子豚ぐま君には
よくしゃべるアメリカ人の奥さんと、マメちゃんと2ヶ月違いの
女の子の赤ちゃんがいる。たまにこの奥さん&ベイビーちゃんも参加して
みんなで騒ぎながらお家を見に行くのである。


家が決まったらこの楽しみもなくなるし、マイホームゲットという
ゴールもなくなる。。。芥川龍之介の「芋粥」を思い出した。
主人公の五位にとって芋粥を飽きるほど飲んでみたいと夢見ていた頃が
実は一番幸せであった。。。 


なんていってマメちゃんが生まれてからリビングもどんどんおもちゃで
占領されてきているし、レントだってこれから10年、20年とたつうちに
毎月のローンより高くなっていくのは予想がつく。やはり買えるうちに
買っといたほうがお得なのである。


さて、仕事のほうであるが、契約更新ミーティングは毎年一月に行われる
ところを、今年は11月に早まった。この不景気、失業率の増加で、
同僚の役者達は皆どきどきはらはらしていた。不動産購入にあたり、
仕事を万が一失った時の最悪のケースも想定して
毎月のやりくりを計算してみた。仕事がなくなれば、託児所やガソリン代、
高速料金もなくなるし、外食も減る。なんとかやっていけそうだった。


そして結果は。。。。めでたく契約更新できた!
これで2011年の2月まで首は持ったのだ。
これでマメちゃん、ダーリン、ダーリンの息子の医療保険を
カバーし続けることができる。
アメリカはほんと、医療保険問題が厳しいのである。


フルタイムの仕事とは別に、単発のイベントの仕事が入った。
アメリカの某ゴルフ関係の会社の重役とその奥さん達、合計50人を
接待する設定である。会場にミュージシャンは3人ほどいたが、
役者は私ひとりである。


演出家の依頼で、仙人のようなキャラでゲストのひとりひとりに
癒しをあたえてほしいとのこと。。。

J・R・R トールキンの作品解説や、中国のことわざ集を読んで
暗記するようにと言われた。たった三日しかないし、演出家自身も
どんなキャラにしたいのか定かではないようだった。。。。
英文に翻訳された中国のことわざ集を休憩時間に必死で覚え、ついでに
干支占いも暗記、筆ペンと紙も用意。(アメリカ人は名前を日本語で
書いてあげると喜ぶ。)風水コンパス盤も持参。


当日仙人のような格好をさせられ、ヘアーはヨーコ・オノみたいなカツラで
杖を持ってゲストを入り口で歓迎。えっと〜〜、演出家はことわざを詩的に
くちずさめとか言ってたけど。。。。それもなんかこの設定では不自然。


それでディナー会場に、雲の上を歩くような感じでふわふわと登場。
そこで占い師口調になってある女性に

「あなた。。。フランスに縁があります!フランス好きでしょう!」

というと彼女は驚いて

「そうなんです!フランス語を2年間習っているし、
 いつか行ってみたいんです。」

と答えた。


「そうです。いつか訪ねてみてください。あなたの前世に関係しています。」

そしてくるっと後ろを振り返り、別の女性に

「スコットランド!」

というと彼女ははっとして

「はい、祖先はスコットランド人です!」

と反射的に答え、目を潤ませながら

「他に何か見えますか?」

と聞いてきたので、

「今は大変ですが、必ず事態は好転しますから安心しなさい。」

というと手を握って

「ほんとうに。。。ありがとう。」

と涙ぐんだ。そして今度は斜め向こうに立っている女性に


「白い長いドレスを着ている姿が見えます。」


というと、

「え〜〜〜?私2週間後に結婚するんです!」

と驚かれた。その後はあるゴルファーのおじさんに

「明日バーディーを出したいんだが、力を貸してくれ。」

と言われ、手を握って気のエネルギー交換をしてあげた。

どんどんと人が集まってきて4枚の風水カードも引いてもらって、
それプラス天からのメッセージとして浮かんだ言葉を筆ペンで
紙に書いて渡した。

「あなたは人の世話が好きです。昔は看護師でした」といえば、

「実はそうでした!」と言われ、

今年末か来年はじめにはキャリアの大きな転換のチャンス到来といえば、
12月に職を変えることになっていると驚かれたり。。。

産後ボケが悩みだったが、この夜は冴えていて
いろいろヴィジョンが見えた。

こうして占い師かりりんは、最終的にイベントで大ヒットとなったのである!
後日演出家からお礼の電話がかかってきた。

「あの後、別の場所で例のグループと会ったんだけど、みんなあなたの事
 褒めていたわよ。ルックス、雰囲気からしぐさ、しゃべり方にも
 ぐっとひきこまれるし、なにしろ驚く程占いが当たっていて
 ちょっと恐くなっちゃったくらいですって。他の演出家達にも
 報告しておくわね。本当にありがとう。またよろしくね。」

本番前はどうなる事かとひやひやしたが、結果は大成功に終わってほっとした。
その翌週には今度はスペン語しか話せないメキシコ人の団体さんに
スペイン語で占いをしてくれなんて依頼まできたのだ。

結局一人手相を見てあげたりしたが、それより彼女達は踊るほうに興味があり、
一緒に踊ってくれとか、写真をとってくれという依頼のほうが多かった。
明日を心配してくよくよ悩むより、とにかく踊って楽しもう!という
陽気なメキシコ人達である。


仕事やお家探しのことばかり書いたが、マメちゃんは順調に育っている。
託児所のもう一人の赤ちゃんはこのところ気管支炎でせきや鼻水をたらしている。
その赤ちゃんを抱いた手でマメちゃんの顔を撫で回すシッターのTさん!
さらに三つ子ちゃんの一人もゲホゲホせきをしているのにマメちゃんに
何回もキス!また、熱出して寝込んでいたダーリンの息子がまだ完全に
治っていないのに我が家に泊まりに来てひやひや!

そんな環境でも風邪も引かないし、夜は9時間ぶっ通しで寝てくれる
手のかからない子だ。レストランでもおとなしくしてくれるので、
友人からもお誘いがあってありがたい。ハロウィーンは子犬の衣装を着て
レストランでバカ受けされていた。ジャパレスのオーナーさんが、

「このコって、ペコちゃんに似てますね〜!」というと、

ダーリンは帰ってから早速ペコちゃんをググっていた。


ひとりで1時間でも2時間でもおもちゃで遊び、哺乳瓶を自分でつかんで
ごくごくと飲み干しごきげんになるか、そのまま眠ったりしてしまう
自立したマメちゃん。


そんなマメちゃんが七ヶ月の終わりに4日間ほど、人が変わって
しまったかのように不機嫌になり心配した。いつもニコニコのマメちゃんが
まったく笑顔を見せずに、愚図ってばかりいるのだ。あ〜これから
本当の性格が現れてくるのだろうか。。。。今までは何もわからず
笑っていただけなのか。。。と悲しくなったところで、その原因を発見した!


そう、歯が生えてくるのに歯茎がむずむずしていたのだ。
きっと痛かったのだろう。4日したら下の歯茎になにやら固いものを感じた。
そしてその二日後、小さな歯が2本、三角形のような形で生えてきたのだ!
また二日後もっと大きくなり普通の歯の形になった。そして笑うと
何ともいえない愛嬌のある2本の歯が見えるようになった。


お医者さんから、一日2回の歯磨きを始めてくださいと言われたので、
先にブラシがついている指にはめるタイプのもので2本の歯と、
歯茎マッサージをしてあげている。


赤ちゃん用の歯磨き粉もつけているが、中にはサッカリン入りのものもあるので
要注意!それ、毎日赤ちゃんは飲み込むわけなんだから、できるだけ
自然の成分のものにしたい。

8ヶ月に入るとズリ這い&ハイハイで家中移動しまくるようになった。
もう危ないものは全部しまっておかなければならない。八ヵ月半では
つかまり立ちも半分できる様になり、腹ばいの姿勢からからお座りも
できるようになった。去年の今頃はまだ妊娠20週目で出産まで
先は長い〜〜〜!と感じていたのに、生まれてみたらその成長の早さに
驚かされ、毎日があっという間に過ぎ去ってしまって、忘れている間に
自分も年を取っていくのだろう。気が付いたら
アラフィーになっているのだろうか!?ひょえ〜〜〜!


マメちゃんも成長し、自分も年を取っていくのと同時に、
チワワのユキちゃんももう16歳。一ヶ月前の健診では血液検査の数値も
正常で、16歳とは思えないほど健康ですと獣医さんも驚いていた。


しかしここ数日突然餌を食べなくなった。いやな予感がした。
ピグニーも突然餌を食べなくなって腎不全で亡くなった。
ユキちゃんから食欲を取ったら何も残らないと言うほど食べるのが好きだった
ユキちゃんが餌を残すなんて!最近のどが渇くのか、水をごくごく飲んでいるし、
頻尿になったし、口臭もひどくなった。これって腎臓を患っている症状ではないか?


さっそく獣医さんに連れて行って血液検査と尿検査をしてもらうと。。。。
心配していた通り、腎臓が正常に機能してないとのこと。
早速腎臓のサプリ3つを与え始め、点滴バッグに塩水を入れ、
ぶっとい針を背中から皮下注射することになった。
一回5分くらいですむのだが、これを家庭で一日2回。


なかなかうまく針が刺せず、刺してからもユキちゃんが動かないように
片手で抑え、左手でスイッチを入れ、点滴バッグの目盛りを見ながらの
複雑なタスクは自分ひとりではうまくいかず神経が擦り減る。
ユキちゃんが動くと針が抜けて塩水があちこちに飛び散る。

最初の二日間はユキちゃんとの16年の思い出がフラッシュバックしてきて
涙が止まらなかった。車の中や、楽屋でしくしく泣いた。
ピグニーの最期も思い出してさらに悲しみがこみあげてきた。

失恋した時、健太郎を亡くした時、ピグニーとお別れした時、
仕事の壁にぶち当たった時、つわりで苦しかった時。。。
いつでもユキちゃんはそばにいて癒してくれた。
なのにマメちゃんが生まれてからまったくその存在を忘れかけていて、
本当に申し訳ないことをした。飼い主思いのユキちゃん、
マメちゃんが8ヶ月になって手がかからなくなるのを待っていたかにように、
ここにきてやっと病気の症状をみせた。


治療の効果があってか、二日するとユキちゃんは再び
餌を食べてくれるようになった。今までの手作りフードは食べにくいのか、
マメちゃんのベビーフードを好むようである。獣医さんもベビーフードなら
OKといっていたので、すりおろしのニンジン、いんげん、サツマイモ、
オートミール、オリーブ油、りんごと、ほんの少量だけお肉も与えている。
腎臓病の為、たんぱく質は控えるように指示されているからだ。


夜は10種類のサプリを処方されている。心臓、腎臓、肝臓のサポートだ。
西洋医学に頼る、ピグニーの時の獣医さんと違って、ユキちゃんの先生は
ハーブなど自然療法を支持している。


食欲は落ちたが、いまだに子犬のように跳ね回っていて、
外から見ると病気には見えないのが救いだ。

これからどのくらい一緒にいられるかわからないが、
残された時間を大切にしたいと思う。
ユキちゃんをたっぷり可愛がっていい思い出を作ってあげたい。

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いくら手のかからないマメちゃんといえどやっぱり赤ちゃん、夜疲れて
ぐずる時もあります。そんな時のお助けグッズはDVDの
「ベイビー・ベートーベン」と「ベイビー・モーツァルト」。

まるで催眠にかかったかのように画面を見つめたり、笑ったりします。
でもテレビやビデオは一方通行の受身になってしまって
あまり長時間はよくないとのこと。(一緒に見ながらクマさんだよ〜、
とか、赤いね〜とか話しかけたりコミュニケーションをとりながらなら
まだよいそうです。)だからぐずりがひどい時、たまに出勤前の支度で
忙しい時の15分などの最終手段としてとっておきます。

料理したい時はベイビービヨーンでおんぶしていればすぐ寝てくれます。







1年3ヶ月ぶりの生理再開!マメちゃんハイハイ猛特訓!(生後6〜7ヶ月)

ブログの更新がすっかり遅れてしまったが、0歳児のワーキングマザーを
やっているとあっという間に一日、一週間、いや一ヶ月が過ぎ去ってしまう。
もう10月半ばなんて信じられない。と言いつつ、2ヶ月の産休をとって
専業主婦していた時はもっと早かったような気がするので、
外で働いていてもいなくても関係ないのかもしれない。


この一ヶ月の間に起こった事。。。


赤い2ドアのスポーテイーな車を買うと言い張っていたダーリンに
ボイコットして、寝室を別にし始めた私。それでも彼の信念は固く、
決して折れなかった。そこで車なんて最悪の投資であるのに対し、
不動産物件の購入は将来的に良い投資になると説得し始めた。
ここ数年、不動産や、住宅ローンの専門家のラジオ番組を聴いている私は、
その不動産屋に電話し、物件をマメちゃんと一緒に見せてもらいに行った。


その時気に入った物件と、新たな物件を次の週末にダーリンと
たまたま遊びに来ていた義父母も連れて再び見に行った。
そこでダーリンと共にひと目惚れの物件と出会ったのである。


築3年、5ベッドルーム、4バスルーム、ダイニングルーム2つ、
プール付き。。。。こんな物件が、不動産バブルがはじけた後なので、
3年前の3分の一以下で手に入るのである!


2,3年前は、狭くてダサい家も高い値段で売りに出され、
それでも今買わなければ二度と買えないかもなんて、
まるで集団催眠にかかっているかのようだった。
でも健太郎の妊娠が発覚して、出産後落ち着いてからにしようと、
購入を延期したのだ。そして死産、子宮筋腫の手術、子作り開始、
最妊娠、出産と来ているうちに不動産バブルははじけ、
ずっといい条件と安価でマイホームが手に入るようになった。
あの時買っていたら、今頃狭くて古い家の為に、高いローンの支払いで
苦しんでいたのかと思うとぞっとする。


さすがにダーリンもこの家に住む為ならと、車の購入は断念してくれたのである。


と、思いきや、ダーリンの車がとうとう動かなくなってしまった。。。。
仕方なく牽引してもらい、中古のカローラを買った。
住宅ローンを組む前に車など大きいもののローンを組むのは
非常に不利である。だから安くて性能の良い車を選んだ。
ダーリンはネットで車探しを担当、私はお家探し担当となり、
お互いいチームだねと笑った。 


そしてついに私は彼とお財布、口座を一緒にしたのである。
結婚してからも私の主張でお財布は別々にしていた。
しかしマイホームを購入するにあたり、もう別々にしているのは
ややこしくなってきた。私にとってはかなり不安であったが、
彼の収入はぐんぐん上がってきていて、節約にも気をつけるように
なってきたようだし、ここらで一緒にしても大丈夫だろうと提案。
また、ダーリンの元妻がめでたく再婚したのでだいぶ気が楽になった
というのもある。彼女はネットお見合いで知り合った弁護士と3年くらい
付き合った後、この夏に再婚。なかなか結婚に踏み切れないでいたようだが、
マメちゃん誕生を機に、結婚を決意したようである。



今までまともに働いた事もなく、離婚後もダーリンからの仕送りと、
母親からの援助で豪華な家にすむ46歳の彼女であった。
数年前からダーリンは、「彼女の事だからこれからも僕からの養育費、
慰謝料と母親に面倒をみてもらって、その後は金持ちを見つけて
再婚して食べさせてもらい、いつか母親が亡くなったらその遺産で
生きていくんだろうな」といっていた。その通りになった。
再婚相手は写真で見る限り感じの良さそうなバツイチ子持ちで、
ダーリンの息子のことも可愛がってくれるようだし、一安心である。



かくして結婚後2年9ヶ月でやっとお財布を一緒にした私たちであったが、
(アラフォー結婚は複雑なのである。)そうすると、二人の間に
パートナー意識が芽生え、一生懸命働いて自分だけの為にお金を稼ぐより、
家族全体の為に少しでも多くのお金を持ち帰ってあげたいと思うようになり、
なんとなく絆が深まったような気がした。
仕事で嫌な事があっても、これも家族の為だと思うと我慢できるようになった。


そんなんで、この一ヶ月はマイホーム購入の準備と車の買い替えで
大忙しであった。お家はまだ申し込んだばかりで、これから値段の交渉も
待っているし、完全に入手できるかはもう少ししないとわからない。


いろいろ忙しかったが、その合間にマメちゃんを3回コースの
ベビーマッサージクラスに連れて行った。他の赤ちゃんがビービー泣く中で
先生は一生懸命マッサージの重要性を説いていたが、あまりにうるさくて、
なかなか聞き取れなかった。そんな中でマメちゃん一人ニコニコして
周りを見回し、おとなしくマッサージを受けているのだった。
いつも他のママから「おたくの赤ちゃん、泣くことあるんですか?」
と聞かれた。



マメちゃんは5ヶ月の最後から頻繁に寝返りを打つようになり、六ヶ月に
入ったその日から寝返りがえりもできるようになり目が離せなくなった。
さっきまで部屋の真ん中にいたと思ったらもうダイニングテーブルの下に
入り込んでいたりする。ごろごろ転がって部屋中移動するのである。
コブラのような起き上がりのポーズで時計の針のようにぐるぐる回転して、
方向転換する。


六ヶ月の終わりには毎日のようにハイハイの練習が始まった。
誰も教えていないのに、一人で黙々と練習しては、くじけて唸ったり、
泣きかける。すごい根性入っているのか、オヤジのような声で
ふぐふぐいいながらふんばっている。最初はうつ伏せから
空飛ぶスーパーマンの格好で、手を広げて、体をそらし、
お腹だけで身体を支える。その次はひざを曲げ、腰を上げて前後に揺らす。
それからおしりを上げて、つま先だけで身体を支える。
しかしまだハイハイの一歩が出せないのである。
お座りはまだあまり得意でないらしく、しょっちゅうバランスを崩す。


離乳食は一日2回になった。ガーバーのオーガニックにんじん、インゲン、
バナナ、さつまいも、ライスシリアル、オートミール、アップルソースなどを
与えている。こちらの育児書によると、一歳からは手作りの栄養のあるものを
与えるのが好ましいが、離乳食初期は市販のオーガニックのベビーフードが
便利と言うだけでなく、栄養面や食べ心地、消化などの面でも優れていると
書いてあった。高めのオーガニック野菜を買っても、赤ちゃんが嫌いだと
余ってしまったり、すぐに調理したり冷凍しないとビタミンが損なわれる。
調理用具の衛生面にも注意しなければならないし、均等にきめ細かく
すりおろさなければならない。無添加オーガニックベビーフードだと、
きめ細かくなめらかだし、新鮮な野菜をすぐに調理して一回分のパッケージに
入れるので新鮮さが損なわれず、分量もわかる。アレルギー反応もみつけやすい。


また、仕事の後、託児所からマメちゃん
連れて帰ってきて、夕飯の支度もなかなかはかどらないのに、
赤ちゃん用に茹でた(チンした)にんじんとか
すりおろす余裕がない。。。


それでもチワワのユキちゃんのごはんは手作りのままだけど。。。
そのおかげで獣医さんも驚くほど16歳になってもとっても健康なのである。 
マメちゃんはユキちゃんが大好きみたいで、ぐずっている時も
ユキちゃんを見るとにこっと笑って機嫌をなおすのだ。
動くぬいぐるみみたいなのだろう。


相変わらず産後の抜け毛はひどい。。。家中毛だらけになってきた。
ウエストのくびれもなくなってきた。まつ毛が抜けたら困るので、
ビューラーを使わなくなった。。。。頭の中が単純になってきて、
創作意欲がなくなってきた。深い内容の読み物は苦手になり、
書くこともできない。そのわりに、英語で書かれた不動産購入の本や
育児書などの実用書はあっという間に読み上げてしまう。。。


いまだにマメちゃんが自分から生まれてきた実感がわかない。。。
職場でマメちゃんが恋しいと思うこともないし、仕事の後すっとんで
迎えに行くということもない。。。それに比べ、今日から職場復帰した
シンガーの女の子が、


「生まれるまでわからなかったわ、こんなに自分の赤ちゃんが可愛くて
仕方がないって。I love her so much!」 


と言っているのが印象的だった。


彼女は6週間の産休で職場復帰するはずが、延長して3ヶ月は
赤ちゃんと一緒に過ごした。今日は会う人ごとに赤ちゃんの写真を
見せまくっていた。 私ときたら、産後2ヶ月で職場復帰した日が
どんなに嬉しかった事か。写真も2、3週間は持ち歩いていなかった。
これってマメちゃんがしゃべりだしたらもっと情がうつって
くるのだろうか。。。


かといってマメちゃんを放っているわけではなく、一緒にいるときは
めいっぱいサービスしている。いつも大爆笑させている。夜中にぐずって
大泣きしても腹も立てずに優しく接する。
(ダーリンはいらいらするようである。)


母乳ももう汗のしずくくらいしか出なくても、職場では頑張って
3回搾乳している。これからインフルエンザの季節がやってきても、
多少わずかでも母乳で抵抗力強化できないかななんて期待しているからである。


まだ人見知りが始まらず、誰にでも愛想の良いマメちゃん。私がママと
わかっているのかいつも疑問に感じる。Tさんのところにマメちゃんを
迎えに行っても感動する様子もなくにこっと笑うかきょとんとするのみ。
マメちゃんをシートにのせるときょろきょろっと辺りを見回す。
するとTさん、


「ほら、私を探しているのよ。K君(託児所のもう一人の赤ちゃん)が
しゃべり出した時、私のことママって呼んだのよ。K君は生後2ヵ月半から、
マメちゃんは一ヶ月3週から私が育てているからね。」


と、自信たっぷり。 グサ〜〜〜〜〜!!考えてみれば、私と一緒にいるときは
寝ている時間のほうが長い。昼間すっごいご機嫌で、泣く事もなくTさんと一緒に
遊び、夜はぐずりタイムで、それに根気よく付き合う私。そんな私を
ママとわかってくれているのか?マメちゃん〜〜〜〜!


2児の母である友人に話すと、「わかっているに決まっているでしょ。
ずっとママのお腹の中にいたんだから。胎内記憶ってもんがあるんだから。」
と笑われた。


そうこうしているうちに一年三ヶ月ぶりに生理再開。産後の生理は重いと
聞いていたが、生理痛もなく、量も普通で楽なもんだった。健太郎の時は
もちろん授乳できなかったので、産後2ヶ月で再開し、非常に重い上に
下痢もひどく苦しんだ。


友人からとても参考になる本をもらった。「大育児」という本である。
出産、育児経験者にアンケートをとり、体験談をまとめたもの。
産後ハゲるので職場復帰注意されたしとか、生理再開はいつ?睡眠、夫婦間、
姑、実母との関係、役立たなかった育児グッズ、子供は好きですか、
育児サークル、出費、子育てアドバイス他、内容盛りだくさん。
働くママの一日の時間割も職種別に載っていて興味深かった。
皆口を揃えて言うのは、「掃除は週一回。汚くても死にはしない。」 
これ、気が楽になった。


大育児 BY 清水ちなみ

育児には「流行」はあっても「正解」はない。読んでいるうちに
自分も大丈夫と言う気になるから不思議。





大出産 傾向と対策 BY 清水ちなみ


こちらは読んでいないけど、妊娠、出産版もあるそうだ。
きっと今妊娠中の人には、参考になるかもしれない。




大出産 BY 清水ちなみ

マメちゃん生後4ヶ月突入、変わってしまったダーリン。。。 (生後3ヶ月半〜4ヶ月半)

あの恐ろしい産後うつは一週間できれいに消えた。それからは気分爽快で、
マメちゃんもどんどん扱いが楽になってきた。
しかし。。。今度はダーリンの様子に変化が。。。


彼の家族一同がマメちゃんに会いに他州から駆けつけてきてくれた時から
なんだかイライラして、両親に怒鳴ったりするハプニングがあり
おかしいと思った。


そして週末彼が家にいてマメちゃんのお世話担当で、私が仕事から帰ってくると
彼の顔はどんよりと曇り、怒りを押さえつけている様子。まず私が玄関に入ると、
マメちゃんのぐずり声が書斎から。私が「ただいま〜!」 と言うと、
マメちゃん片手に恐い形相のダーリン。


「ったくぐずってばかりで全然寝てくれないんだよ!一時間寝たと思ったら
また泣くし!ミルクを上げてもおむつを替えてもぐずってばかりで、
全然仕事がはかどらないよ!」


「だって昼間なんだから起きてる時間は長いでしょ。あなたのイライラが伝わって
さらにぐずるのよ。だから今日はデイケアのTさんに預けたらって提案したのに、
その必要ないって言うから。。。」


「いや!Tさんに預けてって僕は頼んだよ!それなのに君はそうして
くれなかった。」


「え〜〜!わたしあなたに何十回も本当にいいの?って聞いたし、
Tさんだってお金が必要だから何度も週末みてあげるわよって
言ってくれたのよ。それをあなたに伝えたじゃない。」


「いや!聞いていない!」


「そういうんならいいわよ。」


「まったくShe is goddamn needy! だよ!」


おっと〜〜!穏やかで品のいいはずのダーリンがそんな言葉を吐いたとは!


そこで私は言った。


「まだ生後4ヶ月前後の赤ちゃんなんだからneedyに決まってるじゃない。」


一瞬の沈黙の後、彼は言った。


「それからね。僕らはここ数年、全然ロマンチックじゃない!だたの
ルームメイトみたいじゃないか。休みだって違う日だし、夫婦一緒に
過ごすことがほとんどないじゃないか。」


そら死産後はとてもロマンチックな気分になれなかったし、妊娠中も不安で
それどころではなかった。マメちゃんが生まれてから挨拶のキスどころか
ハグもなくなった。ダーリンが帰宅しても出迎える余裕なしで
マメちゃんのお世話。マメちゃんをデイケアに預けるのが
三日だけですむので、二人とも違う休日で良かったと思っていた。


「仕事は片付けても片付けてもたまる一方、週末も仕事、ヴァケーションも
無し。。。なんだかぐるぐる出口のないワッカの中を回っているみたいだ。
なんか視界にヴェールがかかっているような重い気分。。。なにも楽しく
感じない。短期間のうちに昇進を重ねて、ボスからも将来は必ず
トップの座に就くと太鼓判おされ、可愛い赤ちゃんがいて、
愛する妻もいて、息子もすくすく成長していっているのに、
楽しくない。。。」


男性にも産後鬱はあると聞いた。女性のようにホルモンバランスの変化に
よるものではなく、赤ちゃんが誕生し、環境の変化についていけずに
起こると言う。ダーリンの場合、赤ちゃんだけでなく、仕事環境まで
がらりと変わってしまったのでダブルでストレスが
のしかかってきているのだろう。


鬱と平行して、物質主義を軽蔑していたダーリンが、最近は外見や車を
気にするようにもなってきた。以前は今の車が寿命で乗れなくなったら
2,3年中古のカローラやシビックを買うんだ〜と楽しみにしていた彼が、
なんと2ドアの赤いスポーツカータイプの新車を買うと言い出した!
仕事の合間の休憩はパソコンの画面はクロマニヨン人や北京原人などの
頭蓋骨がいっぱいで、それを見て喜んでいた彼が、今では車のウェブサイト。


友人にいうと、子供ができたというのに今さら2ドアなんてどういうこと?!
と呆れられた。あの重いチャイルドシートをまずシートを倒して
それからよっこいしょと後部座席にのっけなければならない。
でも休日も別だし、毎週家族で出かけると言う事もないからいいのだろうか。
結局マメちゃんを週五日デイケアに連れて行くのも私だし、休日にどこかに
連れて行くのも私だから、私さえ4ドアに乗っていればいいちゅうことか。 


ショッピング嫌いだった彼が今では頻繁に自らスーツやネクタイを買いに
行くようになったし、今度は今使用している携帯が気に食わないから
i-Phoneに買い替えると言い出した。そしてもっと広い所に
引っ越そうとも。。。

昇給したらその分貯蓄にまわさなければいけないのに、アメリカ人は
その分もっといい車、もっと大きい家、もっといい家具などと
消費しまくってローン地獄におちいる。

典型的アメリカ人の浪費癖街道まっしぐらのダーリンに
不安を抱いている一方、この不況で事業に失敗し、お金に困っている
日本の両親からはSOSの電話。というか、なんだか老人詐欺に
あってしまったような気がしてならない。日本で4人に1人の老人が
詐欺にあっていると雑誌に書いてあった。しかし海外に住んでいるので
どうすることもできない。とりあえず今月分の必要な生活費を急いで送金した。
高齢出産は赤ちゃんの世話だけでなく、年老いた親の面倒まで見る事になると
言う話は本当だ。


両親の次は、ダーリンの為にセラピストを探して、セッションを開始させた。
私の会社の保険を使うと、4回までのセッションは無料で、5回から
15回までは1セッション60分で10ドル、16回以降は20ドルと
かなり安い。心理学の博士号を持つ60代くらいのおばあちゃん
カウンセラーだそうだが、相性がぴたりとあったらしく、初回のセッションで
ご機嫌で帰ってきた彼。まあ、ストレスがたまっているのだがら、車くらい
好きなものを乗らせてあげてもよいかと思い始めた。もちろん余裕を持って
払える範囲の身分相応な値段の物に限るが。


ある夜、ふと「千の風になって」の旋律が頭をよぎり、健太郎を亡くした
あの時期を思い出しおセンチになっていた。そうだ、マメちゃんを連れて
お墓参りに行かなくてはと思い、その話をダーリンにしたいたところ、
車のコマーシャルがテレビの画面から流れ、それに釘付けで話を
聞いていない彼。


とうとう私の目からは涙が流れ出した。健太郎を亡くしたあの辛い時期に
デジャヴュしてしまったのもある。そして変わってしまった
ダーリンのこともある。ピュアで読書さえしていれば幸せだった彼は
どこへいってしまったのだろうか?でも彼をしっかりと支えていないと、
壊れてしまうそうで恐い。実家の両親のことも不安だ。そしてマメちゃんとも
十分な時間を過ごせていないようで、罪悪感を感じる。なんかひとりで
全部背負い込んでしまったような気分になった。


と、涙を流したのは一瞬で、その後から不思議とエネルギーが身体の底から
湧き出てきたのである。産後は忙しいのと、疲労で、節約なんてころっと
忘れていた。仕事も早々復帰して外食も重なっていた。しかし、両親の
サポートを始めたからにはまた節約モードに戻らねば。マメちゃんだけでなく
ダーリンにももっと注意を向けてあげて、寂しい思いをさせなければ、
物質主義に走らなくなるかもしれない。スピリチュアルフレンドのSさんは、


「もう空の上からきらきら輝いて、早くかりりんちゃんのところに
降りてきたいっていう子がいますよ。女の子みたいですね。」


って死産の直後に言っていた。それを思い出すと、最高の微笑を向けてくれる
マメちゃんがその子だったのかと、感謝の気持ちで一杯になる。

海はダーリンにとって、いいセラピーになると思い、ダーリン、マメちゃん、
ユキちゃんと家族で一泊旅行に行ってきた。マメちゃんのビーチデビューである。


天使ママ友にもらった水着とサングラスをかけたマメちゃんは海が
気に入っていたようだ。ドッグOKの宿泊所で、ドッグビーチなるものもあり、
もうすぐ16歳になるユキちゃんもヴァケーションを楽しんだようである。

また、毎週金曜は、マメちゃんをデイケアに迎えに行く前に、夫婦タイムを
作って外でワインや食事を楽しもうと提案した。普段節約モードでも、
たまには贅沢をしないとフラストレーションがたまってしまう。

久しぶりに節約生活を始めると、生活の楽しみが増えることに気が付いた。
クーポン券が手に入ると快感。お店をあちこち回って値段の比較をしながら、
最後にクーポンを使って食料品やや粉ミルクなどを買う。そしていくら得したか
確認しただけで幸せな気分になるのだ。社内や、地域の無料で楽しめる
イベントを積極的に探すようになるし、行動範囲も広がる。先日は無料で
2時間のダンスレッスンを受けてきた!数年前ダーリンを助けた時も
そうだったが、結果的に人を助けながら自分の貯金もたまっていくように
なるものだ。

さらに、安くて栄養のある野菜や果物を使って工夫した食事のおかげで
産後甘いものと脂肪分の取りすぎで増えてきた体重が減った。冷蔵庫の
中もみるみるきれいになっていった。物を大事に使うようになった。


正負の法則はいつも心得ている。この不況で失業者が増える一方で
ダーリンはぐんぐんと昇進し、私も仕事を維持、健康な赤ちゃんも生まれた。
だから多少の困難くらいは覚悟していた。幸い私を含め、マメちゃん、
ダーリン、年老いた両親は皆健康である。やはり健康であることが一番だ。


4ヶ月を過ぎ、マメちゃんはとにかくよく笑い、夜はちゃんと長時間
眠ってくれるようになった。8時間から10時間も寝ることもあるくらいだ!
私達夫婦が抱っこしていなくても食事をできるようになったのは大きい。
食事中おもちゃがぶらさがったシートに座らせておくと、ひとりで
遊んでくれている。また、食べている時も横に座らせて、

「これはパイナップルですよ。おいしいね〜〜!」

と説明しながら食べるのを見せるときゃっきゃと声を立てて笑う。
眠っている時も、テレビの音で起きる事もないし、
ぐーぐー寝てくれて助かる。


生後2,3ヶ月までは仕事が休みの日も、休みという感じがしなくて
しんどかった。マメちゃんのお世話は非常に疲れたものだ。
しかし今ではその休日が待ち遠しく感じる。来週の休みを楽しみに
働いているようなものだ。マメちゃんと二日まるまる一緒に過ごせると
思うとわくわくするのだ。


月曜は天使ママ友と赤ちゃん達と植物園でお弁当持参で語り合う。
火曜日はマメちゃん連れて独女フレンドと安くておいしいジャパレスランチの
後、ディスカウントストアで食料品の買出し。おとなしくしていて、
終始ニコニコのマメちゃんに友人達は感心している。銀行にダーリンの車
購入の為のローンの相談に行ったときも、マメちゃんは興味津々の目で
デスクの書類を観察したり、天井を眺めたりしながらニコニコしていた。


なんでも物を掴むようになってきたマメちゃん。掴んだものを舐めては
確認しているようだ。私の髪の毛も強くひっぱるので、抜け毛が増えてきた
私にはきつい。天使ママ友たちも同じく抜け毛がひどいといっていた。

昨日スピリチュアルフレンドのSさんに言われた。

「昨夜マメちゃんとかりりんちゃんの夢を見ました。マメちゃんは7歳
くらいで、かりりんちゃんと一緒に座ってパソコンの前で
オーデイションの為の歌の練習をしているんです。「星に願いを」を
きれいな声で歌っていましたよ。」

「星に願いを」と言えば、マメちゃんが生まれてから子守唄に、
キーボードのカラオケ伴奏と共に毎夜歌ってあげている歌ではないか!
そんなことSさんに話した事はなかった。


私のタレントエージェントは赤ちゃんモデルや子役タレントを
しょっちゅう募集していて、私もすでに妊娠中から写真を送るように
言われていた。しかしプロとして生きていくのがいかに大変か私自身が
一番よくわかっている。アメリカで芝居だけで食べていけている役者は
10%にも満たないというデータが出ている。私はたまたまラッキーで
その中に入れたが、そこまでくるのにやはり14年はかかった。
これからだって毎年カンパニーとの契約を更新していけるか保障はない。


子供をなんとかパフォーマーにしたいと、早くからダンスや歌を習わせたり
する役者仲間も結構いるが、私はマメちゃんに収入の(精神的にも)安定した
職業についてもらいたい。だから本人がやりたいと言わない限り、無理やり
レッスンに送り込むつもりはない。ダーリンの家系の学者、医者系統の
血を引いてもらいたいので、私には似るなよ〜と願っている。 

そういうとSさんはにやりとして言った。


「いや〜、残念ですね。マメちゃん、絶対になりますよ、パフォーマーに!」


ひょえ〜〜〜!まともな職についてくれ、マメちゃん!

って、まだ0歳児なのにすでに進路の心配をする、気が早い母親なのであった。

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最近妊娠、出産の頃をなつかしんで読み返している本

「みんなのハッピー出産日記!」 
ママさんマンガ家10人の仰天ほんわかエピソード。
妊娠出産のあれこれがまるごと一冊コミックに!!






マメちゃん生後3ヶ月!アラフォー世代にとって仕事と育児はどちらが楽?(生後10週〜13週)

マメちゃん生後二ヶ月の、母の日に仕事復帰してあっという間に
一ヶ月が経とうとしている。


妊娠中は週数が進むのが遅く感じてもどかしかった。

「あ〜、まだ妊娠14週2日だよ〜、出産までまだまだ。。。」

なんていっていたのが、気がついたら、マメちゃんもう生後13週なのである。
あれ〜、ついこの間生まれたばっかりでは?なんて思ってしまう。


職場復帰初日は日曜だったのでダーリンが育児担当。週末も家に仕事を持ち込む
ダーリンだが、マメちゃんのお世話をしながらではまったく
はかどらなかったらしい。お腹は空いているようだが、哺乳瓶を手で
はたかれたり、のけぞられたり、泣き叫び、一日中寝ないでぐずっていたと、
げっそりのダーリン。


そして平日となり、初めてプチ託児所(マメちゃん一人だけしかいない。。。)
経営者、Tさんにマメちゃんを預けて仕事に向かった。よく聞くのは、初めて
赤ちゃんを預けた後、車の中で涙を流してしまったというワーキングマザーの話。


私と言えば、涙どころかすっきりした顔で職場へ向かった。そして同僚達から
写真を見せてとせがまれるが、情けないことに一枚も持ち歩いていなかった。
これは3週間続いた。そして一日マメちゃんのことを思い出しもしなかったのだ。

二日たっても三日たってもその調子。。。だんだん自分は愛情が薄いのか?
だとしたらなんて可愛そうなマメちゃんなんだと罪悪感を
感じるようになってきた。


仕事の後、マメちゃんを迎えに行く前には、あちこち寄り道してから
ようやくTさんのお宅へ向かう。


Tさんの預かる時間帯はフレキシブルで、10時間以内なら何時でも良いのだ。
だいたいの時間を教えておいて、引き取りに行く20分くらい前に
電話しておくと、私が到着するまでにオムツを替え、ミルクを
与えておいてくれる。

これで一日たったの25ドル!託児所ライセンスまで持っていて、
三つ子の育児経験者、働き者、きれい好き、責任感の強いの彼女が
この値段とは、ボランティアも同然である!


またこの小学校五年生の三つ子の長女がしっかりしている。私が迎えに行くと、
まず玄関を開けて、

「母は今マメちゃんのオムツを替えておりますので、おかけになって
お待ちください。」


といいながら、マメちゃんのカーシートを運んでくる。そして哺乳瓶も洗って
マザーズバッグに入れて渡してくれる。そしてやっとマメちゃんを抱いた
Tさんが登場。


雨が急に降り出すと、三つ子の長女はさっと自分のシンデレラの絵の傘を
差し出して、「これを使ってください。」と渡してくれる。


三つ子ちゃんはまた、マメちゃん成長レポートまでしてくれるのである。
先日は、


「マメちゃん、笑うようになりましたよ!こう、大きく口を開けて!」


とか、「今日は頻繁に笑いました。」とか教えてくれて、

「マメちゃん、本当に可愛いですね」


と微笑むのだ。まだ小学生なのによくできた子供である。きっとTさんの
しつけが行き届いているのだろう。


あれだけ待ち望んでできたマメちゃん。もっとメロメロで、仕事になんて
戻りたくないし、一秒でも長く一緒にいたいと思うはずなのに、どうして
こんなに淡白なんだろう?それに、マメちゃんが自分から生まれたという実感が
いまだにわかないのだ。一生懸命自分とマメちゃんと鏡に映して
確認しようとする私である。


私は同僚にこの複雑な気持ちを打ち明けた。


「わたしったらマメちゃんの写真も持ち歩いていないし、マメちゃんを迎えに
すっとんで帰るべきなのに、寄り道したり、演劇祭を観にいったり。。。
悪い母親よね。」


そう、年に一回の小劇場フェステイバルの季節がやってきた。
私は常連の出演者だったが、ここ3年、子作り専念で観客側にまわっていた。 
今年は赤ちゃんがいるのでまったく観にいけないだろうと思っていたが、
Tさんのおかげで45分間とかの短いショーを一本だけ帰りがけに
観に行ったりした。


すると先輩ママである皆さんは、「息抜きは必要よ。ママがぴりぴりしていると
赤ちゃんにも伝わってよけいぐずるわよ。それにそんなに安心して預けられる人が
いるから,はらはらしないでリラックスできるのよ。普通のデイケアだったら
可哀想に感じてすっとんでいくでしょうけどね。」

夜は2時、3時までマメちゃんに付き合うので、私はよっしゃ〜、今夜も
マメちゃんに付き合うで〜!それには気分をすっきりさせて、用事を
済ませてから彼女を楽しませるで〜!と、エンタテイナーとしての
使命感みたいなものが出てきてしまうのだ。

しかし中には罪悪感をたっぷりと感じさせてくれる同僚もいる。


「演劇祭行くのももいいけどさあ、赤ちゃんは毎日成長していくんだから、
それを見逃しちゃあだめだよ。ペットとは違うんだから。やっぱり
三つ子の魂百までっていうから本当ならせめて3歳とは言わないから
2歳まではつきっきりでいてあげないとね。XXXXさんと
話していたんだけど、かりりんもそうした方がいいんだけど、
まあ経済的に無理ならしょうがないねっていってたんだ。」


ひょえ〜〜〜!罪悪感。 母乳があまり出ないと言えば、

「赤ちゃんと離れているからだよ。」

とさらに追い討ち。その通りかもしれないんだけど、彼女達が育児を
していたのは20代の頃で体力も気力もバリバリあった頃。
横森理香さんは,おしゃれマタニティーで、わたしら仕事を持つ高齢出産組は
出産育児で身も心もボロボロなので、経済的に余裕があるのなら
シッターさんの手を借りてでもリラックスしないと身体がもたない。
仕事の方が子育てより楽だとおっしゃっていた。


47歳初産だった大学教授の小林千枝子さんも著書「天の恵騒動記」の中で
仕事と育児を比べたら長年やってきた仕事のほうが断然楽であると言っている。


とにかく請求書の支払い、家計簿、メールチェックなどは仕事の後、
カフェテリアや、学習センターで済ませてしまう。家ではとても落ち着いて
パソコンの前に座れない。休憩中は、搾乳しながら今日の優先事項を書き出す。
どれもやろうとすると中途半端に終わってしまうので、もっとも重要な事柄を
上から書き出す。また、ダーリンの協力を得る為に、今夜のスケジュールを
立てることも始めた。


最初は、入浴中マメちゃん見ててくれる?みたいな感じでお願いしていたが、
こうするとダーリンが1時間半ワークアウトし、遅い夕食後は彼の目は眠くて
半分つぶった状態になってしまう。こうなるともう頼めない。アバウトでは
いけない!という事で、細かく、スケジュールを書き出し、それを
ダーリン帰宅時に発表するのである。


例えば、ある夜のスケジュールはこんな感じ。(毎夜違う時間割になる。)


8:15 かりりん帰宅、授乳。ダーリン帰宅。着替え、リラックス。
8:45 かりりん食事の下ごしらえ。ダーリンマメちゃんを見てる。
9:10 ダーリン ワークアウト かりりんマメちゃんと遊ぶ。
10:40 ダーリン シャワー  かりりんマメちゃんをだまし、だまし、
食事の支度。
11:00 夕食
11:30 ダーリン ユキちゃんに餌。マメちゃんにミルク。
かりりん後片付け、洗濯、入浴。
12:00 ダーリン就寝。 かりりんマメちゃんの夜間シフト開始。

こうやってきっちり時間を決めると、ダーリンも時間通りにジムから
戻ってくるし、シャワーも時間内に浴び終わる。私にも入浴の時間をくれる。
やはり男性はゲーム感覚を楽しむ生き物で、
「ほら、時間より5分早く戻ったよ!」と、子供のようにはしゃぐのである。


食事の支度も時間を見ながら、鮭、きのこ類、玉ねぎのホイル焼きとか、
野菜もレンジで短時間で茹でたりほっとけば出来上がるものを選ぶ。


食料品の買出しも、マメちゃんを引き取る前に、シッターTさんの近所の
スーパーで済ませるから便利だ。


Tさんの家は高速に乗って30分かかり、高速料金も一日10ドル
かかってしまうし、ガソリン代もかかる。
それでも断然価値がある。
彼女がいなかったらもっとあわただしい毎日になっていただろう。


もちろん出勤前はばたばたとする。運良くマメちゃんが眠っていれば、
支度はスムーズにいくが、毎日そんなにラッキーなわけでもない。
さらにユキちゃんをトイレの為に外に連れて行ったり、餌を
与えたりという作業もある。

そして自分のかばん、マメちゃん用のマザーズバッグ、搾乳機バッグ3つを
肩からぶらさげ、マメちゃんをカーシートにのせ、それをキャリアーにのっけ、
かけって車まで移動。そこからマメちゃんをのっけ、キャリアーを
おりたたんでトランクに入れ、かばんを座席に。。。

それでも育児に専念よりずっと楽である。4月末、孤独な育児奮闘生活を
送っていた時、マネージャーから電話があった。 そして電話口では
マネージャーが、

「かりりん、おめでとう!今年度の優秀社員賞に選ばれました!」

するとそのバックグラウンドでは同僚達の歓声。

「かりりん、おめでとう〜〜〜〜〜!」


いくら頑張っても、周りから、いや、夫からさえも認めてもらえない育児。
でも職場では努力した分認めてもらえる。そんなことから、40まで仕事を
続けてきた高齢出産ママは育休中、孤独と苦悩の日々が続くのかもしれない。


とにかく、先日その優秀社員賞の祝賀パーティーのディナーに、夫婦で
出席してきた。別に私一人が選ばれたわけではなく、各部署から選出され、
複数の受賞者であった。場所は高級ホテルの宴会場。


ワイン、料理のフルコースが出て、シンガーなどのエンタテーメントあり、
副社長の挨拶、有名な某ニュースキャスターのスピーチ、最後は天井から
花火で仰天!そして記念の銅像を手に、カメラマンが記念撮影で、
ダーリンとツーショット。

久しぶりのワイン、夫婦一緒のファンシーなディナーで幸せ気分であった。


二人で、今夜は楽しかったね〜、さてマメちゃんを迎えに行こうと車の鍵を
探すと。。。。お互い持っていないことに気付く。。。ひょえ〜〜!
車の中に忘れたままロックしてしもうた〜〜〜〜!
10時半。。。。駐車場で立ち尽くす私達。。。。なんでいつもこういう
オチになるのかな〜、トホホ。これからAAAを呼んで鍵を開けてもらって
それからマメちゃんを反対方向に迎えに行く。あ〜〜〜、シッターの
Tさんとこ到着は11時半過ぎるか!そしてがっくりしながらTさんに
電話して事情を説明。しかし彼女は、


「心配しないでいいわよ。待っているわ。」


とリラックスさせてくれる。


AAAのおじさんは思ったよりは早く来てくれて、鍵を開け、
(アジア人フェチおじさんだったので、ひとりじゃなくってよかった!)
それからTさんのところへ向かった。11時半になったが、
にこやかなTさん、マメちゃん抱えてドアを開けてくれた。
初めてマメちゃんをTさんのところへ迎えに行ったダーリンだが、

「マメちゃん、すごく幸せそうな顔して出てきたね〜!」

と感心していた。

やはり気のせいではなかった。なにか不思議なTさんマジックなのかもしれない。


仕事復帰してからあっという間に2,3週間経っていったが、ある日急に
マメちゃんが成長した〜!と感じた。頻繁に笑うようになり、今までは泣くか、
眠っているかで、おっぱい、ミルク以外に興味のない「生き物」だった
マメちゃんが、初めて「人間」に進化したのだ。あちこち興味津々に
見回し、しょっちゅう何かしゃべろうとしている。(赤ちゃん言葉の原型で
なん語と呼ばれる。) そして夜3〜4時間ではあるが、まとめて
寝てくれるようになったのだ!


外見の変化として、生まれた時はふさふさしていた髪が、薄くなってきた。
しかし、眉毛は生えてきて、まつ毛が長く上にカールしてきた。将来は
繊維入りマスカラとビューラー要らずか? ラッキーなやっちゃ。
目は大きくてぱっちり二重だが、目じりはアジアンフレーバーで
つり上がっている。唇はイラストのキスマークみたいにくっきりした形である。


今日絵本を読んであげたら、じいっと各ページの絵を見つめていた。


こうなると人間としてのマメちゃんにどんどん愛情を感じてくる。職場でも
マメちゃんのことを思い出すことが多くなった。やっと写真を
持ち歩くようにもなった。


このところ、ぐずりや、寝てくれない対処法として、キーボードの
リズムボックスが大活躍している。 100種類以上あるリズムだが、
それを1番からかけていって、「はい、70年代ロックです。」とか、
「これはタンゴです。」 なんて言いながらリズムに合わせて
マメちゃんを抱いたままステップを踏むのだ。

4番目のリズムで寝てくれることもあれば、38番までステップを
踏み続けることもある。私にとってもかなりの
エクササイズになっているかもしれない。 

可愛くなってきたマメちゃんだが、それでも休日によそからの単発の仕事を
引き受けてしまったりしている私である。でも達成感を感じながら
マメちゃんを迎えに行った夜は、こちらも気分が良くて、笑顔で
マメちゃんとたっぷり遊んであげるので、マメちゃんも
幸せそうで超ごきげんである。


考えてみれば、職場復帰するマザー達は、赤ちゃんが生後5ヶ月とかで
ママになつき、どんどん可愛くなってきた頃だから、預けた初日に
泣いてしまうのだろう。 今はマメちゃんにとって私は単なる
おっぱいレディーにしかすぎないし、ダーリンは哺乳瓶男である。


さて、私の身体の変化だが、妊娠中の妊娠糖尿病ダイエットで身体が締まり、
さらに産後に2,3キロ痩せて、お腹も妊娠前よりぺったんこになって
喜んでいた私であったが、産後はダイエットのリバウンドで
ハイ炭水化物食生活を続けてしまった。今までこれほど糖分をとったことは
なかったかもしれない。はまったのは、どら焼き、キットカット、
チョコフレーク、オレオミルクシェーク。食事はピザ、パスタ等。。。 
いくら授乳中は結構食べても体重が増えないといっていても、これほど
甘いものや麺類をムチャ食いすれば太るわけだ。 おかげですっかり
お腹がたるんで、ジーンズもトップのシャツもきつくなってきた。
しかしこけた頬はふくらみ、肌はすべすべしてきて、ちりめんジワ症候群も
のびてくれた。40歳すぎたら顔が痩せたらシワという恐怖が待っていて、
困ったもんである。 


しかしいい加減に元の食生活に戻らないと、やばいかもしれない。私の母親は、
彼女によると学生時代はミスxxxx学院だったそうな。
いま元プロレスラーですか?と聞かれる体格からはとても想像できず、
ほら吹きめ〜!と笑いとばしていたが、ある日箱の中から彼女の20代の頃の
写真を発見。それを見て驚いた。 

昭和ヒトケタにしては身長は162cmと高めで、90センチ近くの
豊満なバスト、ウエストは56cmくらい、ヒップもある!おおげさではなく、
Aラインのワンピースを着て、バービーみたいな体系であった。目を疑った。
しかし産後食べまくり、太っていきそのまま元に戻らなくなって
いったとのこと。。。


父方の女性陣は皆ちびデブ系であるし。。。チビの私はどちらに転んでも
やばいではないか!でも産後の今、甘いものはやめられない。今日
日系食料品店で買ったものは。。。黒糖あんみつ、チョコフレーク、揚げせん、
抹茶クッキー、バームクーヘン。。。  


さて、「流産、死産、新生児死で赤ちゃんを無くした親の会」で知り合った
5組のカップルうち、2組は離婚、別居となり、私達を含める残りの4組で
食事をしたり、天使ママさん達とはずっとメール交換を続けていた。
赤ちゃんを2007年の11月に無くして、翌年一月からの7回コースに
参加して知り合った私達であったが、7月に私を含む3人が同時に妊娠。
二人は予定日まで一緒、あとの一人は一週間違いであった。そしてお互い
励ましあいながら妊娠生活を乗り切り、3月に無事、全員出産した。


私と予定日が同じで、さらに予定帝王切開も同じく3月30日と
されていたCさん。私の場合は、女神様のようなハイリスクの女医さんの
おかげで37週で帝王切開してもらえたが、Cさんのドクターは、
お腹の赤ちゃんはマメちゃんよりずっと体重もあって、いつ外に出しても
安全という状態にもかかわらず、頑固にも40週近くの3月30日という
手術予定日を変更しなかった。Cさんはずっと頼み続け、焦りまくりだった。
案の定手術予定日の三日前に陣痛が来てしまい、カメラなどの用意も
できていないまま緊急帝王切開。。。でも元気な男の子が生まれた。
もうひとりのJさんも3月21日に予定帝王切開で男の子出産。


妊娠中は超音波検査の結果とか、不安とかをシェアしあっていたが、
出産後のグループメールは、ぐずりとか、母乳が出ないとか、そんな話題に
変化していった。しかし、ひとりDさんだけは、一年以上たっても
妊娠していなかった。


妊娠の経過をグループメールで話し合うのはDさんの手前、気が引けた
私達であったが、自分を外さずにいてくれというリクエストに応じて、
そのままメール交換をしていた。たまに近況報告をしてくるDさんであったが、
その度に、子供は欲しいが、まだキャリアの為に赤ちゃんは先延ばしにしたいし、
旦那さんとも喧嘩が多くてだんだん関係が怪しくなってきたといっていた。
彼女は38歳である。3人の妊娠初期の頃に一度だけお茶に参加して、
その後はいつも会合には欠席していた。

皆でDさんの幸せを願っていたが、先日Dさんからメールがあった。そして

「おかげさまで妊娠確認しました!6週目です。夫との関係も
上手くいっています!」

との報告!心拍確認まで自分のことのようにドキドキしているが、
とにかく嬉しくて飛び上がって喜んだ私であった。


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プレジデント 2009年、6.29日号の白河桃子さんの記事


今多くの20代女性、しかも高学歴女性でさえも専業主婦希望が多い傾向とか。


「内閣府の意識調査によると「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」
という質問で女性の賛成派は20代が60代についで多いという結果が出た。
ちなみに、反対派が一番多いのは40代である。」


出ました!わたしら40代!


「アラフォー世代にとって、専業主婦とは誰もがなれるものだったから
逆に華々しいキャリアが欲しかった。しかし今や「専業主婦」として
のんびり子育てすることこそが女のステータスで、働くことはただの苦行。
背景には、男女雇用機会均等法施行後20年以上たっても一向に改善されない
女性たちの働く環境への絶望と、理想の「働く女性のモデル」の欠如がある。
先輩世代の働く女性たちが、結婚や出産との両立に苦労している姿を見て、
母親が幸せな専業主婦だった20代女性たちはそちらに理想のモデルを
見てしまうのだ。」  

なるほど。。。でも私にとっては専業主婦のほうが苦行でありまする。。。
こんな母でごめんよ、マメちゃん。。。

予定帝王切開の手術日早まる! (妊娠35&36週目)

とうとう出産予定月に入った。本当に今月マメちゃんに会えるのだろうか?
赤ちゃん用品を揃えても、赤ちゃんなしで帰ってきたらどうしようなどと
いまだに不安になってしまうのだ。


いい加減入院前に必要なグッズを揃えておかねばと、あまり気乗りしないまま
マタニテイー専門店、Motherhood Maternityに向かう。


若い黒人のお姉さんに「May I help you?」と言われ、「帝王切開が決まって
いて、入院に必要な物を探しています。」というと、
自信なさげなお姉さん、奥にいる貫禄のある白人お姉さまを呼んでくる。


お姉さま、胸を張って、


「あたしは二人とも帝王切開だったの。まかして!」


と、ショーツやら乳漏れパッドやらどんどん取り出してくる。


試着室で着替えていると、外では黒人お姉さんが、


「彼女もうちょっとで予定日なのにスリムね〜!あたしも妊娠したら
ああなりたいわ!」

と言っている声が聞こえる。


お会計の段になって頭に「もしものことがあったら返品は可能なのかしら?」
と、またもやネガティブなシナリオが浮かぶ。そこをすかさず貫禄お姉さま、


「これはセール品ですから返品できません。ナイトガウンだけは
10日以内でしたらOKです。」


と言いながら商品を包む。


退院時に必ず用意しなくては退院させてもらえないものがある。それは
車のチャイルドシートである。なので、オンラインで山ほどある
シートからいくつかを厳選し、カスタマーレビューを読んでいるだけで、
休日が一日終わってしまいぐったり。やっと最終的に選び終わって
注文のボタンをクリックすると。。。


「配達予定日は4月7日です。」と出てくる!


何〜〜〜?!それでは間に合わんではないか!こんなことならもっと早くから
オーダーしていればよかった。ベビザラスのウェブサイトへ行くと、
30ドルほど高くなるが、日本円にして一万円ちょっとの同じブランドで
色もピンクと茶色の可愛いシートが在庫ありとのこと。そちらで買い物すると、
ポイントも付くし、ミルクやおしめなど入れられるママ用バッグが
おまけでついてくるとな。それで爪きり、体温計、ブラシなど入っている
救急セットも注文。


あとは友人からもらったギフトカード、10%オフの割引券が使える
お店でオムツやら、乳首軟膏、おしりふき、オムツ用ゴミ箱など購入。
友人から少しずつ、肌着やドレスが送られてくるようにもなった。


と、少しずつ準備モードに入っていた矢先、いつものNST
(ノンストレステスト)に行くと、初めて会う30歳前後の女医さん。
とっても愛想がよい。あれ?この先生婦人科専門だと思っていたけど、
産科も担当なのかしら?


その日は朝寝坊で食事もせずクリニックに駆け込んだ。これが間違いの元である。
いつものように20分検査をしたが、先生は「う〜ん、イマイチねえ。もう20分
続けましょう。」と、私にお水を飲ませ、検査を続けた。


主治医のM先生はのんびり屋さんで、毎回グラフもちらっとみるだけで、
「順調、順調。」で出て行く。帝王切開の日に関しても、



「先生、3月30日って、超音波診断からいくとほとんど40週ですけど、普通
予定帝王切開って、陣痛が始まるのを避けて、38週とかにやりませんか?
大丈夫ですか?」


と聞いても、


「ハイリスクの先生に聞いてきて。彼女の言うとおりにするから。」


なんて調子。。。


でも今回のこの女医さん、K先生は慎重で、私の話も聞いてくれるし、
「もう35週目なんだから、何か異常を感じたらすぐ病院に電話するのよ。」
と言ってくれる。


45分経過した。K先生は「赤ちゃんの元気度がイマイチかもしれません。
隣の総合病院の分娩フロアに行って検査してきてください。その前に食事と
水分をたっぷりとってからね。」


え〜〜〜?!そんな〜〜!さっそく病院のカフェテリアで食事をして、
病院の4階のBABY フロアへ行く。そして連れられた部屋は。。。


あの日健太郎の心拍が確認できないと宣告された部屋!!


あの日も天気がよくて、今からマタニテイースイミングにでも行こうかな〜、
あれ?でもなんか胎動感じない?なんて思って念のためクリニックに
電話したらすぐこの部屋に行くように指示された。


同じベッド、同じ超音波スクリーンの配置。


そしてあの時と同じ質問をされ、同じように答えた。


「ご主人は今どちらにいるの?」


「XXXXです。会議中だと思います。」


悪夢のフラッシュバックがよみがえる!心臓はばくばくし、いきなり声を上げて
泣き始めた。看護師さんは驚いて、「どうしたの?」と聞いてくる。泣きながら、


「すみません、ここで、前回心拍停止を宣告されて。。。思い出してしまって。」


「何週目だったの?」


「28週目に入るところでした。」


「まあ、、、なんてお気の毒な。。。」


看護師さんは私を抱きしめながら優しく言った。


「今から部屋をかえてあげるわよ。」


「いいえ、大丈夫です。」


「なにか飲む?ジュースはどう?」


「妊娠糖尿病なんで、ジュースは禁止です。」


「そう。じゃあお水をもってくるわね。」


看護師さんがお水を取りに言っている間も涙は止まらなくて
困った。


お水をもらってから再びより精密な機械で、NSTは始まった。
ドクッドクッドク。マメちゃんの心臓の音。そう、心音は
聞こえるじゃあないか。あの時とは違うのだ。


気を紛らす為に、届いたばかりの原田真裕美さん著の
「もっとあなたは幸せになれる!−スピリチュアル子育て」を読み始める。
スピリチュアルな観点から、妊娠1ヶ月目から始まり、子育てに至るまで、健康、
ファッション、瞑想法、エクササイズその他いろいろ取り入れた妊娠、産後の
アドバイスが書かれている。


それを読んでいたら、だんだん心が落ち着いてきた。そして20分後、
看護師さんはグラフを見ながら、「赤ちゃん、元気で問題ありません!これなら
超音波で精密検査する必要はありません。」と明るく言った。


一件落着だったが、その日一日体はぐったり疲れ、ひどい頭痛に悩まされた。
泣いた日は頭痛がするものだ。それでも、友人が誕生日で我が家に招待して
いたので、帰宅してから急いで掃除し、料理を準備し、ケーキも作って
大忙しだった。


夜も頭痛で眠れず、翌日は仕事だったが、まだ前日の疲れを引きずっていた。
ここのところすこぶる体調がよかったのに、人間、精神的ストレスには
イチコロなのである。なんとか仕事中はエネルギーレベルを上げ、夜、
別の友人の誕生会にちょろっと顔を出して帰宅。その日はよく眠れた。


そしていよいよ火曜日。ハイリスクドクター検診の日である。今日こそ
帝王切開の手術日を再確認せねば!前回のあのなんちゃらスキーという、
カルテもエコーもチェックしない、冗談ばかり言っている医者だったら
完全アウト!


その朝はダーリンも仕事を遅刻して、検診に付き合ってくれた。
そして名前を呼ばれて廊下に入ると、待っていたのはそこでもっとも不親切な
看護師であった!この不愛想な看護師兼技師さんにあたると、説明もなし、
超音波の画面もこちらに見せてくれない。。。前回のような、マメちゃんの
微笑みショットなんてまったく期待できない。。。廊下を歩きながら
恐る恐る聞いた。


あの、今日はH先生(例の優秀な女医さん)に診て頂けるんでしたよね。


「いいえ、XXXXスキー先生よ。」


が、があ〜〜〜〜〜〜ん!!これはもう絶望的である。H先生またもや
不在か!?このままだとのんびり主治医のいうとおり40週で手術予定日。
その前に陣痛がきてしまって緊急帝王切開とか、マメちゃんの異常に
気がつかぬまま最悪の事態が起こるとか?


がっくりと肩を落としたまま不愛想な彼女に超音波検診してもらう。
マメちゃんの顔が見えないよ〜。マメちゃんの推定体重を聞いても
答えないまま部屋を出ていっちゃった。。。。


ダーリンと暗い表情で部屋に取り残される。そしてドアが急にノックされ、
入ってきたのは。。。


例の女医さん!!


もう彼女が天使に見え、背後からは後光がさしているかのようである。


「もう、あなたのこと心配していたのよ。いったいどうしているのかと
思って。スケジュール担当者のミスであなたを他の先生にまわしちゃって。
さてさて、赤ちゃんの様子は。。。」


と、超音波画面を見始めるにこやかな女医さん。


「よく動いているわね。推定体重は2466グラム。」


「あの、先生。手術予定日は40週に入るところで、3月30日なんですけど、
普通もっと早めに予定帝王切開するものじゃあないですか?」


「その通り。ちょっと待って。。。あら?羊水が少なめになっているかしら。
それから胎盤もえらく場所とって、赤ちゃんは成長してさらにスペースが
なくなってきているし、ほら、見える?赤ちゃんの肺や横隔膜は外で
生活できるようにばっちり機能しているでしょ。37週から正期産ですから
そうなると来週月曜には外に出してあげたほうが安全よ。」


ら、来週月曜日?そんな急な。。。


「私から主治医のM先生に電話で伝えます。もう満期産だし、十分成長して
いるからNICUに入らなくても一緒に退院できると思うわ。
おめでとう!あなたはここを卒業よ!クリスマスカードに赤ちゃんの写真を
貼ってぜひ送ってね。たくさんの患者さんと、お腹の赤ちゃんに出会って
きても生まれた後の元気な姿を見ることができないのは淋しいものよ。
よくここまで頑張ったわ!」


といって女医さんは私をぎゅっと抱きしめてくれた。



「それから、出産後はもう血糖値測定しなくていいですからね!」



そういいながらウィンクする女医さんに心からお礼を言って、
私たちは病院を出た。


ベーグル屋で、ランチを取りながら、私は言った。


「そうだ、名前の候補を考えとかなくちゃ。」


「え?キミ、今回は実際に赤ちゃんを見るまでは考えないって方針
じゃあなかったっけ?」


「でも手術の後、薬でぐったりしていい名前が考えつかなかったら困るよね。」


「そっか〜。」


といっているうちに私がぱっと言った名前をダーリンはすごく気に入った。


二人で「それで行こう!」と、いとも簡単にベーグル屋でマメちゃんの名前は
決定したが、このブログではおなじみのマメちゃんで通そうと思う。


健太郎のお墓によって、お花を取替え、もうすぐ妹が生まれるんだよと
報告し、今度は主治医のM先生に会いに行った。


クリニックの待合室には、知り合いの役者さんがいて、健太郎のことを
知っている彼女は、あの時、温かいメッセージをそえたカードを
送ってくれたし、今回の私の妊婦姿を見てとても喜んでくれた。彼女は言った。


「あたしはもうM先生大好きで何年も診てもらっているのよ。子宮後屈も
あったし、結局妊娠できなかったけど、婦人科検診では彼にすっごくお世話に
なっているの。妹は2回つらい流産だったけど、3回目でやっと可愛い女の子が
産まれたわ。」


そっか、M先生って評判よいのね。


だいぶ待たされ、やっとM先生による検診。


「H先生から電話もらったよ。来週に手術は変更だね。来週の初めは、となりの
総合病院がいっぱいで困っているんだ。部屋の予約が取れ次第、すぐ日にちを
決定するからね。」


そういって子宮底長を測り、(32cm)子宮口の開き具合をチェック。


「子宮口、1cm開いているね。」


そしてGBS(B群溶血性連鎖球菌)検査。


最後に手術についての質問に答えてくれた。


「横切りで、子宮筋腫の時と同じところを切り、粘着テープで貼り付けます。」


「ホチキスではないんですね。」


「とんでもない!それから入院期間は2,3日です。
手術8時間前は飲食禁止です。病院には2時間前に到着してください。
手術開始して、5分くらいで赤ちゃんを取り出しますから。」


そして廊下で数分待たされ、看護師さんから説明を受けた。


「隣の病院があいてなくて、ダウンタウンのXXXX病院で一週間後に
行うことになりました。手術は4時半からですから、病院には2時半に
来てください。前日は血液検査を受けてもらいます。」


え〜〜〜〜?家から15分の、便利で、景色がきれいな病院ではなくなったの?


しかし誰に聞いても、そのダウンタウンの病院はホテル並にきれいで、
ハイリスクドクター、NICUの優秀なチームが揃っていると絶賛されている。
家からは車で約30分。ま、いいか。


それから職場の上司に報告の電話やメールを送り、ユキちゃんの獣医さんの
アポをとり、M先生お勧めの小児科にも電話を入れた。


月曜、火曜日はもともと仕事が休みの日なので、とりあえず日曜にも
休みをとって準備をすることにした。よって今週土曜日まで働く。
そして三日後に出産である。


その夜はダーリンとデパートに行って、最低限必要な赤ちゃんグッズを
カートにぽんぽん入れた。あ〜、たまごクラブに出てくるプレママ達は、
専業主婦か、妊娠4ヶ月とかで退職して、可愛い赤ちゃんグッズのお買い物に
行ってきま〜す!と写真が載っているのに、私たちときたらかなりいい加減。。。
ダーリンが、


「そうだ、赤ちゃんの注意をひくのに音の出るガラガラおもちゃとかもいくつか
あったほうがいいんじゃない?」と提案。


そして床に転がっていた、あまり可愛くない毛虫のガラガラと、握るとモーと
音が出る、牛とフグを足しで2で割ったような不思議な動物のおもちゃを
かごにぽんと入れる。


外食も当分できないねと、ショッピングの帰りにインディアン料理を食べて帰宅。


今までZENモードだった家の中はいきなり赤ちゃんモードに切り替わり、
荷物だらけになった。


本当に一週間後、マメちゃんに会えるのだろうか?まだまだ実感がわかないが、
実際にマメちゃんの姿をこの目で見た瞬間、きっと母性本能スイッチがオンになり
メロメロ過保護な高齢出産母親になるのであろう。。。


ダーリン、胎動に感動!(妊娠21週目)

ついこの間、とうとう20週目に入った!と思ったら一週間はあっという間に
過ぎ、今は21週目。そしてあと二日で22週目に入る。。。

去年の今頃は死産の2,3週間後、辛い子宮収縮の痛みと闘いながら、
ホリデーショーのリハーサルをやっていた。ちょっと気が緩むと
涙が出てしまいそうで、辛いリハであった。今年も同じショーのリハに
参加しながら、去年を振り返る自分がいる。違っているのは、現在、
自分のお腹の中には新しい命が宿っているということである。

マネージャー達には妊娠を伝えたが、いまだに演出家や、同僚の役者達には
伝える気にならない。リハ中、あるシーンで、片足一本で見得を切るところ、
少々バランスを失ってぐらりとしてしまい、寝不足です。。。なんて
言い訳してしまった。

去年よりずっと早くからお腹が出てきてしまっている。私服ではこれ以上
隠すのが難しくなってきた。21週になったとはいえ、健太郎のXデーまで
まだあと7週もあるのだ。胎動も日に日に多く感じるようになってきたが、
急にシーンとすると焦る。入浴中には簡単に胎動を感じやすいが、その間、
20分感じないと、あれ?心臓まだ動いているの?と不安になり、
次は病院に行き、心拍停止を宣告され、あの痛い分娩。。。
と画面が次々に頭に現れる。そんなネガテイブな想像をしている最中
びよん!と胎動。そこでありがとう!といってお腹を叩くとまたびよん!
さらにサンキュー!といってお腹を叩くとまたまたびよん!これを7回
くらい繰り返すのである。これは妊娠本に書いてあるキックゲームと
いうやつである。

先日ダーリンが私のお腹を触っていて、初めてマメちゃんの胎動を彼の手で
感じることが出来た。ダーリンはかなり感動していた。無事に生きていて
くれる証を実際に確認することができたのだ。

さて、ここのところ、知り合いの20代後半、シングルアメリカ人の
女の子が、妊娠したかもと大騒ぎしていた。こちらのギャルは
オープンである。。。無責任な元彼となりゆきで熱い一夜を過ごし、
生理がこないし、気持ちが悪い。市販の妊娠検査薬は購入していないが、
とりあえずクリニックに電話をかけても、まだ早すぎて判定できません、
もう一週間待ってくださいと言われたそうだ。

健康オタクの彼女、子作り目的ではなく、身体のサイクルを知る為に、
私が勧めた基礎体温を夏から付け始めた。はっきり高温層と低温層がわかれて
いる彼女、ばっちり排卵日とわかっていながらその日にドッキング!
生理予定日から三日間軽い出血のようなものがあったと聞いて、私も
妊娠した時まさに生理予定日に三日間、その着床出血があったので、
もしやと思った。

しかしこの彼女に表を描いてみせ、たとえ84%が受精できたとしても
着床に至るのは67%、生理予定日前後の妊娠検査における陽性反応は
60%しかし、月経が一週間遅れる頃には自然流産で38%くらいに
妊娠継続率は落ちているし、クリニックに行く頃にはさらに30%くらいしか
生き残っていないというデータがあると説明した。彼女は
「わ〜、妊娠していないことを祈るけど、もしそうだったら、どうか
自然流産しますように」と言った。

そこで、「じゃあもし本当に妊娠していたらどうするの?」と聞くと、
「仕方ない、産みます。」と答えた。両親も他州に住んでいるし、
相手の男性も結婚どころか、交際を続ける気もなさそうである。アメリカでは
将来をそれほど深く考えず、(宗教的な理由の場合も多いが)
妊娠したらシングルマザーになってもいいから、とりあえず産んでしまうという
女性も多い。

自然流産を願う彼女と子供が欲しい崖っぷち40代の私。
対照的な二人である。。。私は言った。

「子供が欲しくてもなかなか授からない人が多いのよ。授かったって無事
生まれてくるのか保障はないし。あと、パートナーがしっかりサポートして
くれる人でないと妊娠中や子育ても大変よ。あなた、キャリアでもまだ
やりたいことたくさんあるんでしょ?だったらこれからちゃんと
避妊しなさいな。」

彼女は素直に「は〜い。」と微笑んだ。もっとも私だって20代の頃は
あぶなっかしかったので、彼女の行動もわからなくはない。自分も
年取ったんだな〜と、彼女を諭しながら実感した。

結局昨日、「おかげさまでやっと生理がきました〜!もうひどい生理痛で!」と、
彼女から嬉しそうに報告を受けた。本物の生理か、自然流産の出血か
わからないが、ひとまず安心。

妊娠騒動も一件落着で、今日は休日。オーダーしていた本が家に届いた。
子役スターだった間下このみさんと、旦那さんと共同で執筆した本である。
右側から読むと、このみさんの初めての妊娠、死産、難病と闘いながら
無事出産した記録が書かれている。左側から読むと、旦那さんが妻の2回目の
妊娠からの毎日の変化を日記形式で書き残している。

赤ちゃんを亡くしてしばらくしたある日、必死で立ち直ろうと
していたこのみさんが涙を溜めて「もう頑張れないよ。。。」とご主人に
つぶやいたくだりは、こちらもあの頃を思い出してもらい泣きする。

毎日彼の日記で「無事生まれてきてくれるんだろうか?」「もし来年無事に
生まれてきていたらこのクリスマスツリーを一緒に見てみたい、神社に
一緒に行きたい。。。」など、やはり「もし無事に生まれてきていたら」と
仮定法になっているとところも共感する。

ご両親も前回のように早々赤ちゃん用品をそろえるのをためらっていたが、
13週くらいでとうとうこらえきれず、ファーストシューズ(赤ちゃんが
歩くようになって初めて履く靴)をプレゼントしたという。それを見ると
心がすこしほぐれて、このみさんも小さいものなど買い始めてみようかと
思ったそうだ。

それを読んで、昨日、GAPの商品券を持っていたので、私もポジティブな
イメージを作り出そうかと、ベビーセクションに立ち寄ってみた。

えっと〜、マメちゃんは女の子だから左側のコーナー。。。おっと、
みんなピンク! か、可愛い〜〜!!初めてベビー服売り場に行ったが、
私の好きなピンクや赤だらけで心がほんわかした。こんなかわいい
セーターやブーツ、履くわけ〜〜?でもとり合えず0から3ヶ月用という
肌着が必要なのかな?などと目がハート型になっているところで
急に現実に引き戻された。

やっぱまだやめとこ。。。今一番必要なものと言えば。。。自分自身が着る
マタニティー服である。今までのパンツではもういいかげんお腹のあたりが
きつくて入らなくなってきていた。ベビー服売り場の奥にはマタニティー
セクションがあったので、そこでセールになっていたコーデュロイの
パンツを購入。ウエストの周りはスエット生地でお腹の大きさに合わせて
ストレッチ。こりゃ履き心地いいわい!

頂き物の商品券を今まで使わず、ごっそり持っていた私は、モールのあらゆる
お店をまわっった。マメちゃんはやっぱり女の子である。モール内でやたらと
はしゃいで動き回っていた。帰りはスタバまでギフトカードを使って
カフェイン抜きコーヒーでしめ。
不景気というのに、心はリッチな気分であった!

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妊娠六ヶ月目突入!恐怖のxxx騒動!(妊娠20週目)

ちょうど去年、この妊娠20週目から妊婦ブログを書き始めたのだった。
あの時は、わ〜、妊娠期間も半分終わったんだ。このままただ時が
流れていくのはもったいない。記録に残さねば!と書き始めた。
それが途中で予想だにしなかった大どんでん返しになろうとは。。。
しかしこうしてブログを書き続けることによって、
心の整理をし、励まされ、ここまでやってこれたのだ。

さて、とうとう妊娠六ヶ月目に突入した。初期は流産が怖くて毎週日にちを
数える度に気が遠くなりそうだった。それが12週を過ぎたあたりから
だんだんと早く感じるようになって、最近では、あれ?もう一週間過ぎたのかと
驚くほどだ。

そして19週目でちょっとしたXXX騒動があった。(ここで名前を言うと、
種明かしになるので伏せました。)

この週は休みが一日しかなくて、家で昼寝でもしようかなと言う所で、
マネージャーからのメッセージに気がついた。かなり心配した暗い声である。

「キミがやった金曜のイベントの件なんだけど。。。ヘアメイク課の代表から
キミの事で非常に気がかりなことがあると連絡が入った。すぐに電話をしてくれ。」

金曜のイベントといえば。。。クライアント側とプロデューサー側の間の
連絡ミスで、私ともう一人の司会のコは、仕事らしい仕事をしないまま
かえされたっけ。まさかあの時の事をこちらのせいにされるとか?
しかしなぜヘアメイク課から連絡が?

頭は混乱したままマネージャーに電話をかける。すると彼はため息をつきながら
答えた。

「実は。。。金曜日にキミのヘアーを担当したヘアーさんが、彼女の上司に
伝えたところによると、キミの頭皮にシラミの卵を発見したというんだ。
シラミの処置をしないままだと、職場に来ることは許されないし、君の
旦那さんもきっと感染していることだから、治療をして、シーツも
消毒しないと。。。」

シ、シラミ。。。。 戦後の日本人が頭にDDT吹きかけられて真っ白に
なっていた映像を頭に描いた。確かにこちらの小学校などで流行ることもあるが、
大人はヘアオイルや、スプレーなどを使う為、シラミは大人にはあまり
寄り付かないと聞いた。

それにしても、マネージャーったらそんなこと、他のマネージャー達もいる
オフィスからどうどうと電話してきて!それにヘアーさんも世間話を
にこやかにしながら私の髪をセットして、その二日後にヘアメイク課の
ボスにそんな事を伝えるとは!そのボスも今度は私のマネージャーにメールで
伝え、マネージャーは堂々と、他のマネージャーのいる前で私に電話!
いったい個人のプライバシーはどこにあるのん?

エンターテイメント課じゅうにかりりんはシラミ持ち!という噂が広がるのを
想像しただけで、心臓がきゅっと締めつけられる思いだった。それに完治する
まで働くことは許されないなんて。。。!確かシラミ駆除入りシャンプーを
数日間使用し、それから再検査じゃなかったか?そんな殺虫剤入りシャンプー、
お腹の子への影響は!?お先真っ暗の私は急いで車に飛び乗って会社の
ヘルスセンターに向かった。その間も、沖田裕之の「E気持ち」の歌詞が
頭の中をぐるんぐるん。。。「そうさ〜、噂は、光の速さより速いよ〜。
一夜〜明け〜たら〜、みんなのシ〜ラミ〜(ヒーロー)!」

ヘルスセンターで待つこと2時間!まわりはせきしたり、なんか風邪菌
いっぱいの待合室。そこで運の悪いことに日本人の研修員の子と遭遇。
「あら〜、かりりんさん、どうしたんですか?」と聞かれ、まさか
シラミ疑惑があ、ともいえず、「あ、ちょっちょっと、ドーラン焼けによる
皮膚炎で。。」と冷や汗をかきながら答える。彼女は「そうですか〜、
大変ですね。私は風邪で熱があって、喉が痛くて。。。」とリンパ腺を
を押さえる。ひょえ〜、妊婦、インフルエンザでもうつされたら大変!

待合室にいると、去年の今頃、死産の一週間後にここでさんざんな目に
あったことを思い出した。受付や、看護師の融通の利かない、冷たい対応に
涙したっけ。それを思い出して、目が潤んだ。

そして外は真っ暗になり、やっと名前を呼ばれる。。。愛想のいい先生は、
部屋に私を通した後、「で、今日はどうしましたか?」と聞いてきた。
そして事の経緯を説明した。すると先生は信じられないと言う顔をしていった。

「個人のプライバシー侵害です!本来なら、そのヘアーさんは直接あなたと、
ここに連絡を入れるはずなのに、そんな遠まわしに他人から他人に伝えて!
ま、とにかく検査をしてみましょう。」

検査キットを使って頭皮のすみずみまでチェックされている間、
私は神に祈った!どうか、何かの間違いでありますように!
でも。。。去年もこのように、心拍が止まっているというのは間違いで
ありますようにと祈ったのも空しく、健太郎は亡くなっていた。
それを思い出して、また悲しみがこみあげてきた。

そして先生は言った。「これ、ただの頭皮の湿疹です。」

そう、妊娠してから、ホルモンの変化で皮膚炎になる妊婦も多い。7月から
すでに2回ほど皮膚科に行って、指や、頭皮を診てもらった。この間も、
診てもらったばかりで、地肌にやさしいシャンプーに変え、軟膏をぬるように
言われたのだった。その時シラミなどという診断ではなかったではないか。

先生は念のため、他の先生も呼んできて、二人で調べたが、やはりただの
湿疹であった。ヘアーさんはそれを卵と見間違えてしまったのだ。

先生はマネージャー宛の、検査をクリアーしたという証拠のペーパーを
プリントアウトして私に渡した。翌日それをマネージャーに提出しなければ
ならなかったが、マネージャーは非常に恐縮して、「本当にすまなかった。
本来はこのような形で取り扱われるべきではなかった。ヘアメイク課のほうにも、
厳しく注意しておきます。」と謝罪した。

こうしてせっかくの一日だけの休みは、4時間も精神的苦痛を負わされる
はめなり、ヘルスセンターから帰宅しても、カウチに倒れこんだまま
しばらく動けなかった。なしてみんなでこうも妊婦をいじめるのさ!
料理が作れないダーリンであるが、「何か食べたほうがいいよ。」と言って
即席明太スパゲッティーを用意してくれた。

とにかく、もう20週にもなるし、これからお腹が張ったり、具合が悪くて
休みを取りたい場合、解雇される心配をせずに病欠できるFMLAに申し込む
ことにした。この、Family and Medical Leave Actの略であるFMLAは、妊娠、
重病、新生児や病気の家族の世話などの事情持ちの社員に適用される。
私の勤務先では通常は30日以内に4回以上欠勤すると、警告をもらうことに
なっているが、FMLAによって守られるので、4回以上欠勤しても
問題にならない。もちろんそういってほいほい休むつもりはないが、今回こそは
大事をとりたいし、産前、産後などは産休が必要になってくる。だから申し込む
さいに、マネージャー達には妊娠を明かすことになった。

皆、私の結婚式、健太郎のお葬式、悲しみからの旅立ちなど、この一年半の
出来事をずっと見守ってきてくれていた。だから今回の妊娠報告は、みんな私に
抱きついて大喜びしてくれた。できることがあったら何でもいってくれと
言われた。本当は、妊娠初期で、つわりや頭痛が辛い時に、直射日光ぎんぎんに
当たる場所でのパフォーマンスに切り替えてくれと言われた時こそ、妊娠を
打ち明けて、なんとか考え直してもらいたかったが、その暑い時期も乗り越え、
今では気候も、身体も楽になってきた。

さんざんな休日を終え、一週間は始まり、久しぶりに「流産、死産や新生児死で
子を亡くした親たちの会」で出会った3カップルで夕食を共にした。私と
予定日まで一緒のCさん、数日違いのJさんは、やはりお腹が目立ってきていた。
私は今回女の子で、前回女の子だった彼女達は、今回二人とも男の子なのだ。
お腹の赤ちゃん達が

「今回は性別も違うんだよ。魂も違うんだよ。心配しないで、ぼくらを信じて。」

と言っている様である。

帰りがけに3人で横向きになって写真を撮った。感じていることはみんな一緒。
性別はどっちだって構わない、無事に生まれてきてくれさえすれば。。。
そして周りから「今お腹に赤ちゃんいて、とっても幸せ気分でしょ?
だめよ〜、ネガティブになっちゃあ。」と言われるのがつらいのである。
そりゃ、はい、次妊娠しました、めでたし、めでたしとは感じられないのである。
やはり時間がかかるし、だんだん週数が進んで、胎動も大きく感じるように
なってきたらもっと実感が湧くし、不安より喜びの比率が大きくなってくる
かもしれない。でもゆっくりと時間をもらいたいのである。

あんな風邪菌うようよの待合室に2時間も座らされていたおかげで、数日後から
風邪の兆候が!しかし、前回と同じく、しょうが紅茶、瞑想、半身浴のおかげで
一晩ですっきりした。朝起きるとダーリンからの置手紙が食卓の上に。

Akachan,

I love you!
I hope you feel better soon!
Aishiteru


と書いてあった。英語で恋しい人への呼びかけのbabyを直訳して
赤ちゃんだと思い込み、それ以来わたしをアカチャンと呼び続けている
彼である。そんなアカチャンのお腹には本物のアカチャンがいるのである。

この手紙を読んで微笑みながら朝食をとった私であった。

健太郎の命日、そしてマメちゃんの性別判明!(妊娠18週目)

健太郎の誕生死から一年経った。心拍停止の宣告より2,3日前にはすでに
息を引き取っていたと考えられるので、この三日間は気持ちが不安定であった。
天使ママ仲間も皆、去年の今頃辛い事実と対面せねばならず、最近メールで
その頃の心境を伝え合っている。

そんな折、2回目のハイリスク妊娠ドクターによる検診があった。
今回も例のやる気のないとっちゃん坊やドクターだったらどうしようか
不安であった。しかし診察室に現れた先生は若くてきれいな女医さんだった。
とてもフレンドリーでにこにこしながら研修医を連れて入室した。
私と,今回も付き添ってくれたダーリンと握手を交わし、カルテに目を通した。

「前回の子はechogenic bowelでしたね。それが死因かもしれません。」

ここでダーリンと目が点。。。。そんな診断、この一年誰もしてくれなかった。
解剖結果でも母体、胎児、胎盤すべて異常なしとしか言われず、9月の検診時も
とっちゃん坊やドクターも死因がわからず首をひねっているだけであった。

echogenic bowel。。。そんな言葉わたしもダーリンも聞いたことがなく、
先生に訪ねてみた。

「超音波診断の時に腸のあたりの映り具合が明るく見えたり、普通と
違って見えるんです。そこで考えられるのは、トリゾミー13&18、
ダウン症、cystic fibrosisなどの先天異常の可能性か、又は、
発育遅延です。あなたの血液検査の結果から、先天異常は見られなかったし、
胎児のサイズが28週5日であるはずが27週の大きさしかなかったことから、
発育遅延が考えられます。」

そこでもやもやしていたことが解消!

「そうですよね!排卵日、性交日から計算したってどう考えても
28週5日のはずなのに、B先生は解剖結果、胎児は27週でしたと
言い切るのみで。私、しっかり記録をつけていたし、受精のタイミングが
いくらずれたとしても、12日も差が出るはずないと思って
納得できなかったんです。」

「その通りです。生理の日から計算したってどうみても28週には
はいっているはずです。やはり胎児はその週数より小さかったですね。
あなた、去年の妊娠中に2,3kgも痩せましたね。どうしてですか?
つわりで食べられなかったんですか?」

「いえ、妊娠中は甘いものに興味がなくなったので、まったくデザートを
食べなくなり、妊娠糖尿病ダイエットもしていて、炭水化物制限も
あったので、それで痩せていったんです。」

「どこの栄養士のクラスを受けたんですか?うちの病院ではないでしょう。
妊娠糖尿病専門の栄養士でないと、妊婦に必要なカロリーを考慮しなくて、
かえってマイナスになる食事プランを処方されますよ。胎児は栄養不足
だったのでしょう。それに今回の妊娠でもあなた、また体重が
増えていないですね。」

「ブドウ糖負荷検査では正常値が出たんですけど、自分で食後に測定すると、
やはり血糖値が高いんです。だから糖分制限ダイエットをやっているので、
そうすると、体重が減ってしまうんですよ。」

「あなた、アジア人で40歳以上ということは、50%は今回も妊娠糖尿病
でしょうね。でももっと栄養とって血糖値コントロールはインスリンでも
打ちながら13kgは体重増やさないと。いいですか、毎週0.45kgを
目標に一ヶ月1.8kgずつ増やしていってください。それから、
うちの栄養士のクラスも受けてください。」

日本は体重管理にうるさく、妊娠中は8kgまでしか増やしてはいけません
なんていわれるらしいけど、アメリカは逆に13kgは増やせとうるさい。
去年もそう言われ続けた。そんなに増やしたら妊娠糖尿病や妊娠中毒症に
なる危険を高めてしまうではないか。太りやすい体質のアメリカ人と
一緒にされては困る。

そして超音波検査。ここのところ膣の奥のほうが重く痛くなって、まさか
子宮頚管無力症ではないかと心配していた。去年は私の頚部の形から
その心配はあるが、筋腫が岩のように頚部をふさいでくれてかえって
役に立っているといわれた。しかし今回はその筋腫は切除されて
そこにはないのだ。

「心拍153。体重255g。子宮頚管は4cmちょっとありますから
まったく問題ありません。以前そこにあった巨大な筋腫が頚部をストレッチ
してくれて、形までととのえてくれたみたいですね!子宮頚部や
子宮内も手術でいい処置されていて、とってもきれいですよ。」

どの医師が見ても子宮内がきれいだと言う。筋腫の手術を担当してくれた
小堺先生、やはり腕がよいらしい。



「性別知りたいですか?」

と聞かれ、即座にお願いした。

赤ちゃんのお股のあたりをクロースアップすると、亀ではなくハンバーガー。
ということで、

「はい、女の子です!」

と言われる。そう、健太郎妊娠前からおみくじでは「女子生まれる。」
と書いてあり、いつも予感的中の母親からは「あんたの子供は女の子になる。」
と言われた。健太郎妊娠前後は、わたしは流産の夢一回、死産の夢一回見て、
ダーリンは男の子が生まれてくると知っていながらなぜか私にそっくりな
女の赤ちゃんを抱っこしている夢を見て不思議だ〜と言っていた。
5月には占い師さんに、もうすぐ女の子を授かりますと言われていた。
6月にはスピリチュアルフレンドSさんに、「まだですか?もうすぐそこまで
降りてきていますよ。女の子みたいね。」といわれた。
だから女の子になるんだろうな〜とは予測していた。

去年性別判明した時は、がっくりして、45歳くらいにまたトライして
女の子作りたいなんてダーリンにもらしていた。その後も道で女の子を
見かけるたびにため息をついて、なんで女の子じゃないんだろうなんて
落ち込んだ。でも健太郎との出会いで変わった。性別は関係ない。
それぞれ尊い命。だから今回ダーリンと特にはしゃいだわけでもなく、
静かに受け止めた。

先生は"I'm a girl!" "Hand in mouth!"などとタイプしてくれた
エコー写真を手渡してくれた。マメちゃんはむちむち両足を上げ、
おしゃぶりをしているようだった。

天使ママフレンドで、前回女の子だったJさんの赤ちゃんは、
今回男の子と判明。二人とも逆になってしまった。

病院の後、健太郎のお墓参りをした。彼に妹が出来たと報告した。
そこに書かれているKentaro Alexander XXXXX Nov 6 2007
という日にちを見て、この一年分の記憶がどっと蘇ってきた。
ショックな宣告、辛い分娩、産後の痛み、熱、家に届けられた花束の山、
引越し、愛犬ピグニーの失明、介護、& 死、筋腫の手術、静養期間、
スペイン旅行、再妊娠。。。

そこで声をあげて泣いた。ダーリンの胸で泣いた。この一年必死で
頑張ってきたけど、辛かった。その一方、泣きながらも
ありがとうと感謝の言葉も漏らしていた。こんな経験させてもらって、
いろいろ教えてもらって、人と出会わせてもらって、ありがとう
と、天や健太郎に伝えた。

お墓参りからの帰り、車の中でマメちゃんは今までになくポコポコ
動き始めた。きっとお兄ちゃんに挨拶できて嬉しかったのだろう。

夕方、郵便局に行く途中、去年まで住んでいた家に寄ってみた。
すると、、、雑草がぼうぼうに生え、家の半分が見えないくらいに
荒れ果てていた。無人の忘れ去られた家。。。大家さんがローンを
払いきれなくなって、差し押さえにあいかけているとは聞いていたが、
こんな状態になっているなんて。去年の今頃この家で、身体と心の痛み
に襲われていたのだった。

翌日は大統領選挙の開票日。我が家に天使ママフレンド夫妻とワンちゃんを
招待。食事をしながら結果を待った。11pm。オバマ候補が当選した!
初の黒人大統領誕生という記念すべき年に生まれてくる私達の赤ちゃんは
幸せ者だねと乾杯しあった。

そして翌日とうとう誕生死の日を迎えた。その日はやはりとても
センシティブになっていた。時計を見るたび今頃、心拍停止の宣告を
受けたんだとか、今から陣痛促進剤を打ち始めたんだとか。。。

なんとか人を笑わせながらのショーを終え、帰宅途中母親に電話した。
元気ない声だというので、お墓参りしたこと、今日は健太朗と対面した
記念日だと伝えた。すると。。。

「なんでお墓参りなんかいくのよ。だいたいお葬式なんてあげるべきじゃ
なかったのよ。早々名前なんかもつけちゃってさ。死んでいる赤ちゃんと
数時間一緒に過ごすなんて考えられないわよ。」

普段人に怒りを見せない私も初めて声を荒げた。

「電話するたびにそうやって傷つくこと言われるから最近電話しないのよ!
〜〜するべきじゃなかったって言うのやめてもらいたい。私の意思で
したわけだし、それを後になって否定されてもどうもできないでしょ。」

毎回話すたびに、アメリカなんて行くべきじゃなかった。日本にいればもっと
いい仕事できて、いい暮らしができていた。日本にいればもっと条件の
いい人と結婚できていた。などなどここ数年私を批判するばかりである。
その上この悲しい日に、お葬式をあげるべきじゃなかったなどと言われると
もういよいよ我慢ができなくなった。死産の数日後とまったく同じである。
あの時は声を荒げず、冷静に諭した私であったが、今回は切れたのだ。

「もう、あんたには腫れ物に触るように接しないとダメなのね。
あたしだって予定日直前で死産だったんですからね。でもその時はまだ
25歳で、お医者さんにはきっと生まれてきても障害があったからこれで
よかったんですよ。次頑張りましょうって言われて、それで納得して
それほど引きずらなかったもの。赤ちゃんも見せてもらえなかったし。
お父さんとおばあちゃんは見たそうだけど、
珍しくお父さんは涙を見せてたんだってさ。」

「私みたいにキャリア一筋で来て、40代になってようし、いよいよ
子作りって目標立てて、崖っぷちでやっと授かった子供を失うって
どんな気持ちかわかる?」

「悪かったです。もう言いません。」

「私も感情的になってすみませんでした。去年の今頃ベッドで陣痛促進剤
打たれて辛くてうなっていたと思うと、もうやるせなくて。」

「あたしだって辛いこといっぱいあるのよ。でも孫の顔見るまで
死ねない!がんばってやるって力が湧いて来るんだから。」

74歳の母。ちょうど日本のテレビで、南田洋子さん(75歳)が
認知症になり、長門裕之氏が介護をしている日常生活を
レポートしたドキュメンタリーを見たところだった。

私達はずっと仲良し親子で、なかなか親離れ、子離れできなかった。
誰からも好かれ、明るく、優しく頼りがいのある、最高の母親で
大好きだった。でも私が外国に永住を決断し、結婚してから彼女は
その寂しさを私にぶつけてくるようになったのだ。40過ぎると、
こちらの精神年齢も追いついてきて、逆に娘の私の方が母親を
諭すようになってきた。

でも昔はあの知的で美しくしゃきっとしていた南田洋子さんの
現在の変わり果てた姿を見ると、ショックで、今母親が元気なうちに
多少いやなこと言われてもそれを優しく包んであげなければと思った。

電話を切った後、感情は刺激され涙が止まらず、どっと疲れた。
ダーリンも帰宅して、一緒に仏壇の前で、お線香を上げながら、
健太郎の写真を見た。
まるで眠っているかのようにしか見えない健太郎。。。

そして誕生の瞬間であった3:13AM。。。ダーリンは私を起こして、
一緒に黙祷した。

その翌日からは少しずつ調子を取り戻してきている。相変わらず仕事先には
妊娠していることは内緒で、コンベンションの仕事の衣装合わせがあると
いうことで冷や冷やしていたが、なんとかパンツは入り、お腹が目立たない
デザインでほっとした。

日に日に胎動も頻繁に感じるようになってきて、
とうとう19週目に突入した。

妊娠5ヶ月目、やっとこさ安定期突入!(妊娠16週目)

妊娠13週目で妊娠糖尿病の疑いがあると言われ、その一週間後、恐怖の
3時間ブドウ糖負荷検査に行って来た。夜12時以降は絶食。そして
空腹のまま午前10時過ぎに、例の超甘いブドウ糖水溶液を
一気飲みさせられる。

採血してくれる係の女性に、妊娠は何度目かと聞かれ、2度目と答えながら、
さらりと前回は死産でしたと伝えた。眼科でも、歯科医でも、2度目と
答えるたび「赤ちゃん元気?」と聞かれ、いちいち説明し、向こうは
気まずい思いをするのを何度も経験してきたので、最初からさらっと
教えるようにしている。するとこのお姉さんは、「流産を防ぐには、
高いところにあるものとろうとしちゃだめよ。それから重いもの
持っちゃダメよ。」と無邪気に教えてくださった。。。

一時間毎に採血して、やっと午後一時半に終了。空腹に甘〜いシロップを
飲まされるようなものだから途中気持ち悪くなる。。。

そして翌日クリニックから電話。「検査の結果異常なしです。」

え?一週間前の数値は正常値ではなかった。それで翌日から自分で血糖値を
測り、せっせと糖尿病ダイエットして3キロ痩せたのだった。自宅測定でも、
食事にかなり気をつけていないと血糖値はぐわ〜んと上昇してしまう。
何度説明しても看護師さんは、「正常です。」といい続けるのみ。

検査にひっかからなかったので、自宅測定用の針は保険がきかないから、
自宅測定を続けられなくなる。

そして後から知ったのだが、検査の4日前から十分な炭水化物を摂らないと、
血糖値が下がるとの事。だから検査数日前の注意事項として、しっかりと
炭水化物をとってくるように言われるそうである。そんなん先生言って
くれなかった。あ〜、普通に食べていれば良かった〜。でも赤ちゃんが心配で、
一日でも早く血糖値を安定させたかったのだ。

ちゅうことで、それから針はケチって、たまに測定するだけにしている。
やはりそばを一杯食べたら血糖値はかなり上昇してしまう。ごはん3分の一膳、
山掛け、野菜たっぷり味噌汁、韓国ナムルというメニューではかなり低く
抑えられる。

この糖尿病ダイエットのおかげで、身体は軽く、元気になるし、益々妊娠
しているという自覚がなくなってきた。本当にお腹の中に赤ちゃんは
いるのだろうか?と疑ってしまうくらいだ。

そういいつつも、15週目からふくらはぎがつるようになってきたし、
朝と夜は足全体がだるくて痛くなる。耳も飛行機に乗った時のように
つまって聞こえにくくなる時もある。去年の日記を見ると、同じ症状が
書いてある。ただ、つわりは今回12週で完全におわったが、前回は
18週くらいまで続いていたようだ。

妊娠初期はホルモンの大変化で精神的に不安定になるものだが、安定期に
入ると落ち着いて、幸せな気分になる妊婦さんが多いそうだ。私もとうとう
16週目に入り、安定期突入なのだが、最近ほわ〜っと身体の底から
幸せ気分が漂ってくる時がある。初期は女を捨てたかように、おしゃれする
気も失せていたのに、最近はショッピングばかりして、服や帽子、指輪や靴を
買ったり、メイクを変えたりしている。また、毎夜ダーリンが夕食の時に
「あ〜〜、おいしい!」といってむしゃむしゃ食べてくれるのを
見ているだけで幸せだな〜と思ってしまうのである。

だからといって妊娠経過への不安が消えていることはない。安定期に入っても
来年赤ちゃんが生まれている環境が想像できないのだ。ダーリンとも来年の話は
ほとんどしないでいる。少しだけするとしても必ず「もし赤ちゃんが無事
生まれていたら。。。」とifや hopefullyを文頭に持ってくるのが常だ。
計画人間だった頃の前回の妊娠時とは大違いである。生まれて当たり前
ではなく、生まれたら奇跡のように感謝しまくって、赤ちゃんを大事に
すると思う。夜泣きも生きている証として、やつれるより喜びに
変わるかもしれない。

とにかく身体の調子も気分も良いので、しょっちゅうパーティーやら友人の
ライブや、映画に出かけている。ダーリンは十日間も風邪を引いていたし、
同僚数人も風邪にやられている。しかしラッキーなことに私はうつらないままだ。

友人によばれるライブは、いつもは禁煙のBAR & GRILLであるが、
今回いってみたら煙もくもくのライブハウスだった。いくら妊娠の自覚が
ないといっても、こ、こんなところにいたらお腹の赤ちゃんに
悪影響が〜〜〜!口にナプキンの束をあてた。すると、友人の奥さんが
話しかけてきた。「あら、かりりんさん、うちの旦那のライブに来てくれて
ありがとう、あ、この人たち、私のベイビーフレンドです。お産講習で
知り合って以来のフレンドです。この人は今二人目妊娠中。」

彼女と共に3組のカップルがニコニコして立っている。そうなんだよな〜、
普通はお産講習でお友達になるものだ。一方の私は死産や新生児死で子を
亡くした親の会のフレンド達との交流を続けている。しかし、このお腹の
大きい女性、この目が痛くなるような煙もくもくも全然気にしていない様子。
何も問題なく産んだら、きっと神経質にならないですむのだろう。去年
妊婦仲間だったV子は、たまに赤ちゃんを一人で置いて外出しようと
していると聞いてたまげた。その度にL子が他の約束をキャンセルして
赤ちゃんを見てあげるそうだ。

その数日後、一ヶ月半ぶりに死産や新生児死で子を亡くした親の会の
フレンド達と集まった。高齢出産組の私達は話が合い、今でも頻繁に
メールで近況報告をし合っているし、すでに2回ディナーもした。
今までは夫達も含めたカップルでのデイナーだったが、今回は女性だけで
集まろうということになった。夫にはわかってもらえない事だって、女性達
だけなら気軽に話し合える。4人で集まる予定だったが、私と予定日が同じの
妊婦の一人は連鎖球菌性咽頭炎で欠席。抗生物質を投与されるので、お腹の
赤ちゃんに影響はないかと、メールで彼女は心配しまくっていた。

結局3人でカフェに集まった。うち二人は妊娠5ヶ月目、もうひとりは今月から
子作り再開で、私にタイミング妊娠法についていろいろ質問してきた。彼女も
クレージーな前妻問題を抱えているので、話が合う。彼女の夫と前妻の間には
二人の子供がいて、前妻は「いつまでも死んだ赤ん坊の事なんか
気にしてないで、もっと子供達の面倒みなさいよ!」と責めるという。

私達は閉店間際まで、話が尽きることなく失った赤ちゃんの話、妊娠経過、
占い、結婚生活、仕事、夫の話題などで盛り上がった。時には笑ったり、
時には悲しい表情をしながら。。。最後に、前妻問題を抱える彼女は目に
涙を浮かべて言った。「あなた達と知り合えて本当に良かった。出会いの
きっかけは悲しいものだったけど、こんなに何もかも分かち合える人たち
との出会いは貴重だわ。」

来年は赤ちゃんを抱えて談笑できる日を夢見ている私達である。

さあ今週は一ヶ月ぶりの検診である。お腹の中は一体どんな具合に
なっているのかドキドキである。。。

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「おぼえているよ、ママのおなかにいたときのこと」などでおなじみの、
子供達の胎内記憶の研究で有名な産婦人科医、池川明先生が、今回は流産、
死産、中絶などに焦点をあてて、天国の赤ちゃんたちからのメッセージを
レポートされました。


「ママ、さよなら。ありがとう」
BY 池川 明 (池川クリニック院長)









やっとのことで産婦人科医とご対面!(妊娠10週目)

7月の終わりに妊娠検査薬が陽性になってから、新しい産婦人科の先生とのアポは
9月まで待たねばならなかった。クリニックでの妊娠確認は、8月11日まで
待たされ、担当は助産師さんであったし、8月27日の超音波検査では技師さんに
検査してもらっただけだった。

今回の先生は一体どんな先生なのだろうか?優しくて親身になってくれるのか?
経験豊富で頼りがいがあるのか? 

最近、同僚に婦人科の先生を紹介してもらいたいと言われ、健太郎の時お世話に
なったクリニックを紹介した。彼女に、

「あなたってあたしと同い年だけど、若々しくて健康的で、特に筋腫の手術後は、
身体も引き締まって肌まできらきら輝いているじゃないの。そのあなたの推薦する
先生にみてもらいたいのよ。」

と嬉しいことを言われた。(30を過ぎるといきなり超特急でエイジングが
進む白人に囲まれているアジア人の私は、ラッキーなのだった。。。)
当然、妊娠したことは彼女にすぐばれた。

「いつも元気なあなたが突然疲れて、辛そうな顔して、もうすぐにピンと
きたわよ!」

そういう彼女は早速B先生のクリニックで検診してきてもらった。産休中の
B先生のパートナー、S先生にみてもらったのだ。彼女の感想は、

「あたたかくて感じの良いクリニックね。S先生って聞き上手でお母さん
みたいに包容力があって最高。生理が一ヶ月続いて、子宮の一部分が腫れて
痛むから行ったんだけど、どうやら更年期障害らしいわ。当分ピルを飲んで
様子を見ることになったの。B先生の仕事復帰は10月始めだそうよ。」

と、B先生の事を聞いてきてくれた。S先生にも帯状疱疹を発見してもらって
お世話になったっけな。あ〜、益々前のクリニックと先生達が懐かしくなって
きた。。。私のカルテはもう頭に入っているだろうし。。。

しかし、やっぱり悲しい思い出にも襲われるだろうし、気分一新する為にも、
別のクリニックでやり直しだ。

今回ご対面するM先生をクリニックのホームページでチェックした。顔は白人版
西田敏行といった感じで、ひょうきんで優しそうである。患者さんのレビュー
では、聞き上手で、最後まで面倒を見てくれる優しい先生との事。

初診の数日前には、もう、先生に診察してもらう夢を見た。 夢の中では、
なんと待合室も、診察室も仕切りがなく、一つの部屋ですべてが行われている。
私はなぜかチワワのユキちゃんを抱えて、診察台に座る。先生はユキちゃんと、
他の犬たちと一緒に遊んでくれて、あ〜、この先生なら信頼できるかも、
と安心する。しかし、帰宅途中に、あれ?心音もなにもチェックして
くれなかったやん!いい加減だ〜!もうB先生のところに変えてやる〜と
言いながら、迷路に入り込み、トイレが見つからなくて焦るところで目が覚めた。

これほど迷いながらの、M先生による診察の日がとうとうやって来た。

どきどきしながら待合室にて、待つこと一時間!その合間に、いくつかの書類に
サインさせられた。毎回の診察料から、最後の出産までの合計費用が、保険会社が
90%カバーしてくれて、日本円にして23000円。これプラス、検査費などは
別にかかることもあると言われた。そう言えば、今まで診察後にお会計はせず、
次回の予約だけして帰るのであった。妊娠25週目までにこの23000円を
支払うことと書いてある。アメリカでは医療保険に入れず、莫大な医療費で
自己破産するケースが多い中、保険をサポートしてくれる勤務先に感謝。

それにしてもどれだけ待たせるんじゃ〜!としびれを切らしかけたところで、
例の若いお姉さんに名前を呼ばれる。またこのお姉さんかいな! 彼女は廊下を
歩きながら、

「待たせてごめんなさいね。先生、今手術中で、もうすぐ戻ってきますからね。」

と謝る。ふむ、手術中?結構腕がよいのかな〜?

そしてお姉さんから再度問診を受ける。前回は、最終生理の初日を書き
間違えるし、死産を告げても反応なしの彼女だったが、今回はちと違った。

「妊娠は2度目ですね。あ。。。死産だったんですよね。28週でしたか。
原因は何だったんですか?」

「それが、解剖の結果は、母体、胎児共に異常なし、胎盤も問題なかったんです。
ある日突然心臓が止まってしまったんです。まったくの謎のままです。」

「そんな?! そんなことって。。。?!」

彼女の信じられないという表情、同情的な目を見たら、思わず涙が出てきて
しまった。

彼女はティッシュを取り出しながら言った。

「ごめんなさい、辛いこと思い出させて。私の親友も、妊娠六ヶ月で赤ちゃんを
亡くしてしまったから、その悲しみの深さは理解できるわ。彼女、次に健康な
子を出産したけど、心の傷はなかなか癒えないっていってた。とにかく、今回は
先生とみんなで注意深く赤ちゃんを観察していきますからね。安心してね。」

おっと、一ヶ月ぶりに会った彼女は、成長していた。。。

尿検査の後、超音波検査室に通され、手術から戻ってくるM先生を待った。

そしてやっとM先生は部屋に入ってきた。写真よりも小柄である。口の周りに
少々無精ひげが生えていて、目だけギョロっとしていて、カリメロ風の
ヘアースタイル。雰囲気は軽トラの運ちゃんといった感じである。

握手をしながら、「はじめまして、ドクターMです。」といって彼は座った。

「死産だったんですね。今回は細かく超音波検査で赤ちゃんの様子を観察
しながら、最善を尽くしたいと思います。僕はこの土地に開業してから13年、
多くのケースを診て来ています。僕自身3児の父親です。このクリニックには
もう一人、K先生という女医さんもいます。筋腫の手術をされたとのことですが。。。」

「はい、ドクターSB(小堺先生)に担当していただきました。」

「ドクターSB!彼は腕がいいですよね〜。開腹手術をしたということは、
今回は帝王切開ですね。分娩は隣の病院か、ダウンタウンになるのですが、
ハイリスク妊娠の場合はダウンタウンです。」

え〜〜〜?このクリニックに隣接している大病院は、雑誌で特集されるほど、
患者がくつろげるような美しい景色に囲まれ、設備が整っている。健太郎を
出産した時も、ホテルに滞在している気分で、食事もおいしいし、次回は
是非ここで、産声の聞ける出産をしたいと思っていたのに〜〜〜。。。
ハイリスクのため断念か。。。

「何人かの先生に、次回の妊娠時には、抗リン脂質抗体症候群であるかどうか、
血栓症や自己免疫システムなどのテストをするように進められたんですが。。。」

間下このみさんや、一般の死産経験者はそうして、妊娠初期からヘパリン注射
したり、アスピリンを飲んだりして、無事に次の子を出産している。しかし、
M先生は言った。

「その検査は必要ないですね。死産直後にするものであって、
今は気にしないでいいです。」

え?他のエキスパートの先生のアドバイスは却下。。。大丈夫かいな。。。
そういえば、普通の先生は、流産、死産が2、3回続いたところでやっと
その検査をするとも聞いた。あとちょっとで、42歳のわたし。。。
もう時間がないんですけど。

困惑しているところで超音波検査開始。おっと〜、このクリニック売り物の
4Dである。立体画像でムチムチボディーに見えるマメちゃんは、
動き回りながら、目をこすったりしている。しかし、かなり冷静な私である。
先生は、目を細めてはしゃいでいる様子。

「動き回っていますよ〜!これが頭、これがぽっこりお腹。これが背骨。
これが手と足。もう完璧なスタイルですね。頭からお尻までの頭殿長が、
3.75cm。このチカチカしているの、心臓ですね。心拍は、162。
心音を聞かせてあげましょう。」

ドクッドクッドクッと早い心音が聞こえる。

「なにもかも完璧!今後の流産の確立は非常に低いです。」

去年もそう言われたんだっけな。

「でも、もちろん何が起こるかは、人間の手ではコントロールできないんです。
こればかりは神のみぞ知るでして。とにかく来週はハイリスク専門のクリニックで
超音波で詳しく検査してもらって、再来週は、また僕が超音波で赤ちゃんの様子を
見ますね。その時、早いですが、妊娠糖尿病の検査もしましょう。前回赤ちゃんが
亡くなった28週目からは、毎週超音波検査で様子を観察していきましょう。
それから、筋腫は一個もなく、きれいな子宮内ですよ!」

こんな感じで、M先生の初診は終わった。同じ男性の先生でも、小堺先生の方が、
温かくて、面白い印象で、M先生はそれほど温かさは感じず、真面目そうだった。
でも考えてみれば、B先生も初回は冷たい印象だったが、だんだん打ち解けて
きたのだった。これから様子を見ていこうと思う。

帰りにネイルサロンに寄った。SPAで足をマッサージしてもらうのを
わくわくしていた私。妊婦ということで、いつもより、弱めの足つぼ
マッサージであった。ネイルサロンのオーナーが、超音波の写真を見せてと
言うので、例の4D写真を見せたら、彼女の7歳と4歳の子供もきゃーきゃー
言って見たがった。それを二人で取り合いして、破れそうになったので
冷や冷やものだった。

せっかくのマッサージタイムはその子達からの質問攻めで終わった。

「赤ちゃんはあなたが食べた物をそのまま食べるの?赤ちゃんは胃の中にいるの?
赤ちゃんはお腹の中で立ったりするの?いつ眠るの?どのくらい大きくなるの?」

そこで7歳と4歳の子には、口では説明仕切れないので、女性の人体図を書き、
子宮、胎盤、臍帯、胎児も書き込んだ。すると7歳の子はその絵を宝物のように
胸に抱きしめて歩き回った。4歳児もそれが欲しいと泣き喚いたので、同じ絵を
描いてあげると、彼女もそれを抱きしめて持ち歩いた。バービーや、シンデレラの
絵を見慣れている彼女たちには新鮮だったのかもしれない。それともまだ
眠っている母性本能がくすぐられたのだろうか。。。。?

つわりの方だが、妊娠9週前後が、一般的にはピークと言われている。あと
二日で11週に入るが、食べたいものがなくて困っている。私の場合は、吐き
続けて水さえも飲めない吐きづわりでなくてラッキーであった。最初は
食べづわりということで、2時間おきにお腹に物を入れていれば良かった。
それが、だんだん食べられないものも出てきて、食べたいものが何もなくなった。
えびもだめ、チキンもだめ、ねぎもだめ。。。日本食をおいしく感じなくなって、
ホットケーキや、ハンバーガーならなんとか食べられる。チーズをのっけた
クラッカーとりんご、オレンジジュースあたりは無難である。

アマゾンのカスタマーレビューにて、何人かの読者からは、文章が下品、
医学的根拠がない、お店の情報が古いなどと、辛口批評も受けている
横森理香著の「横森式おしゃれマタニティー」だが、私は結構共感して、
楽しく読んでいる。医学的説明、図解たっぷりの正統派の妊娠本を読み
あさった後は、このざっくばらんな妊婦エッセイは新鮮で、軽く読める。
特に、彼女のつわり日記を読んでいると、そうそう!と笑える。
普段健康オタクやグルメでも、つわりの最中はどうやら味覚は子供時代に
戻るらしい。チキンラーメン、ポテトサラダパン、オムライスなど。。。

早くつわりの期間を卒業したいものである。



死産で子を亡くした親達の第2回目同窓会ー妊娠報告はどうすべきか?

死産や新生児死で子を亡くした親の会で知り合った人たちは皆,
素敵な人たちだった。

私達は今でもメールでお互いの心境の変化などを報告しあっているし、
5月の終わりには第一回目の同窓会でイタリアンレストランに集った。
次回はぜひ日本食にしましょうといわれ、幹事を引き受けることになった私。

その第二回目の食事会が今月に決定した。私達は7月からその計画を
立てていた。冬に7回のセラピーセッションに参加したカップルは全部で
6カップルであったが、そのうちの2カップルは子供の死によって離婚の危機に
迫られていた。他の4カップルは夫婦仲がよいので、自然とこの4カップルで
連絡を取り合うようになった。

イギリス人の, 20代にしか見えないけど実際36歳であるJさんは、
赤ちゃんを生後5週間で亡くした。産前産後に欠勤が続き、仕事をクビに
なってしまった。このキャリアのためにわざわざ夫をつれてアメリカに
移住したのに、仕事も赤ちゃんも失ってしまったのである。多くの家族や
友人はイギリスにいて、彼女はアメリカで淋しい思いをしている。
先月のメールでは、今でもポジティブな気持ちになれず、一日中家から
出られない日が続き、セラピーに通っているという。

また、36歳、学校の教師であるCさんは、先天異常により人口死産で赤ちゃんと
お別れするという大変つらい決断の後、すぐに子作りを再開したが、8ヶ月
たっても子を授からなくて悩んでいるという。7月にもし授からなかったら、
子宮卵管造影検査をすることになっており、ナーバスになっていると言った。
8ヶ月も経つのに、いまだにお別れした赤ちゃんの事が忘れられず、
いつになったら立ち直れるのかとつぶやいていた。

セラピストであるDさんはハネムーンベイビーを授かったが、Cさんと同種の
先天異常で子宮内胎児死亡で赤ちゃんとお別れした。産後身体の調子がすぐれず、
また、仕事と子育ての両立を考えると、なかなか次の子作りにふみきれず、
悶々とした生活を送っているとのこと。

こんな心理状況の彼女達に、私の妊娠について報告はとてもできないと
最初思った。しかし、メールでも、ディナーでも、最年長の私の年齢を心配して、
皆,子作りについて聞いてくる。いつまで内緒にしておけるのだろう。何ヶ月も
たってから実は妊娠したこと隠していました、というのも誠実でない気がする。

そこで悩みに悩んだ末、慎重にメールで報告した。皆を傷つけたくないこと、
年齢的に期限が迫ってきているのでトライしてみたこと、いくらテストで陽性が
出ても、まだまだ妊娠継続できるかはわからないこと。そしてしばらく会には
出席しないほうがよいのならそうする旨も述べた。皆どのようにこの報告を
とらえてくれるのか緊張した。

翌朝まずセラピストのDさんから「おめでとう!本当に嬉しいわ。なんだか、
私にも希望を与えてくれました。あなたが妊娠していても、100%あなたに
会いたいし、来月の同窓会を楽しみにしています!」と祝福メールが届いた。

次にイギリス人のJさんからもメール。
「私も夫も心から喜んでいます。夫が赤ちゃんに関して喜ぶ姿が意外で、これは
よい兆しなのかなとも思いました。もちろんこれからも連絡を取り続けたいし、
同窓会であえるのを楽しみにしています。」と返事が来た。

しかし。。。8ヶ月子を授からないといっていた教師のCさんからは三日
たっても返事がない。当然かもしれない。なんて無神経な事をして
しまったんだろう。自分がその立場だったら落ち込んでしまったに
違いない。。。

そんな風に後悔し始めたところ、彼女からやっとメールがあった。
「私も夫も本当にあなたのニュースを喜んでおります。すぐにお返事
できなくてごめんなさい。。。実は。。。。私も妊娠を確認しました。
私もみんなに隠しておこうかと思っていたんですけど、あなたが勇気を出して
報告してくれたので、私も告白することにしました。」

なんと!!! 同時期に妊娠。そして予定日まで一緒!

今度は彼女への祝福メールが飛び交った。JさんもDさんも同じように
喜んでいた。このまま二人妊婦を迎えての同窓会となる予定であったが、
ここでまた大どんでん返しが!

イギリス人Jさんが2週間もたったところで大告白。

「今まで隠していてごめんなさい。。。実は私も同時期に妊娠していました。
やっぱり確認するまで恐くて言えませんでした。」

彼女は私とCさんとたった5日違いの予定日! 冬にセッションでシクシク
泣いていたこの3人が同時に妊娠!?

それからはつわりの話や、どの産婦人科医を選んだかなどの情報交換が
始まった。Jさんの先生は初診で超音波診断をしてくれて、心拍を確認できた
とのこと。

Dさんも私より一週間早く超音波で心拍を確認。やはり私の選んだクリニックは
のろい!

そんなことで盛り上がっていたらセラピストDさんからのメール。

「3人同時に妊娠なんてほんとに嬉しいです。とても嬉しいんだけど。。。
今度は私、すごく孤独な気分になってきました。せっかくおめでたいお話を
壊してしまうようでごめんなさい。私、今回の同窓会に出席しても一人浮いて
しまいそうで。。。やっぱり今回は辞退したほうが良い気がします。」

一人目の妊娠報告、二人目と喜んでいた彼女だが、いい加減3人目となると
今度は取り残された気分になってしまったのは当然かもしれない。今思うと、
彼女の旦那さんはあのセッションで一言も口をきかなかったし、いやいや
出席しているようにみえた。そんなんで、5月の食事会も彼らは欠席していた。
彼女のことは気がかりだが、無理やり出席させることもないので、そっとして
おくことにした。

当日、ダーリンとの初デートの日本食レストランに皆で集合。「私たちネット
お見合いで知り合って、あそこのテーブルで初めてご対面〜〜したんですよ!」
と言うと、皆無邪気に笑った。

皆で「おめでとう!」とハグを交わした。男性陣3人並んで座り、
こちらは妊婦サイドといって女性3人並んで座った。

Cさんは乗り物酔いを止めるリストバンドを手首にはめていた。彼女も
私と同じく食べづわりで、2時間ごとに食べなければ気持ち悪くなるそうだ。
皆でつわり対策の情報交換をした後、ハッピーであると同時にとてつもなく
不安になるという話をした。

それにしてもこの3人が同時に妊娠したと言うのは本当に不思議だね〜と
皆で共感した。8ヶ月トライしてもなかなか授からなかったCさん、
精神的にまだまだ不安定で、子作りに踏み切れなかったJさん、そして
筋腫の手術の予約に4ヶ月待ち、術後さらに4ヶ月避妊のため子作り解禁を
待っていた私。。。その3人がまったく同時に妊娠。。。

もう私だけの為の祈りではなくなった。この3人が手を取り合って、無事に
出産し、生まれた後も健康に成長していってくれることを祈るばかりだ。

話ははずみ、あっという間に4時間経過。来月はまた別のおいしいレストランに
行こうという約束をして解散した。

妊娠中は、お産や子育て講習に参加することを友人から勧められた。なぜなら、
そこでずっと子供を含めて付き合えるカップル達と出会えるからだと。
結果的に悲しい体験を通しての出会いだったが、この人たちとはこれからも
(皆の赤ちゃんが無事である限りは)お付き合いが続きそうである。

他の二人はすでに心拍を確認したが、私は翌週まで待たなければならない。
彼らに良いニュースを伝えられるよう願うばかりだ。

妊娠陽性反応後、初の検診

生理予定日三日前に市販の妊娠検査薬で陽性が出てしまったので、それから
初めての検診までの2週間がかなり長く感じられた。

健太郎の妊娠中にお世話になったB先生は現在産休中だし、悲しい思い出を
払拭する為にも、新しい産婦人科医で一から出直しである。でもその先生の
評判はよくわからない。たまたま近所だし、社内新聞の広告に写真付きで
載っているという単純な理由からである。

やはり今回も食べづわりで、お腹が空いたと思ったらもう手遅れなのである。
そうなる前に、2時間ごとに何かしらお腹に流し込まないと
気持ち悪くなってしまう。それがそうめんだったり意外にもメキシカン
だったりする。

今までなんともなかったタッパーウェアのプラスチック味が耐えられず、
ガラス製のものに変えたり、一年ぶりにグレープフルーツジュースを
飲み始めた。去年はカルピスにはまったっけ。

カレーが食べたくなってせっかく作ったのに一口食べて、もう見たくも
なくなったり、急に喫茶店のドリアが食べたくなって、その味を再現して
みるものの、翌日はもう想像もしたくなくなるのである。

しかし二日間そんなつわり症状がなくなると、今度はお腹の中のコーヒー豆
ちゃん(サイズからそう呼び始めた。)は無事か不安になってくる。

でも愛情を今から注ぎ込むのも、何かあったときに悲しみが大きくなるのが
恐くて、胎児名なんて早々つけるものではないと自分を叱る。

さて、いよいよ初めての検診の日がやってきた。もし信頼できそうもない
クリニックなら、急いで他のクリニックを探さなければならない。
そんなんで、受付の応対から厳しい目でチェックした。

大抵前に通っていたクリニックからの過去のカルテを持参するように
指示されるのだが、ここは、保険証だけ持ってくるように言われる。

あまりさわやかではなく、ちょっと暗い感じのする待合室。
大きいTVスクリーンからはCNNニュースが流れている。
普通過去の病歴や、生活習慣など細かく書き込む表をもらうのだが、
それもなし。。。他には妊婦さん一人と、男性二人、子供連れの女性
が待っている。

待つ事30分。ようやくカラフルなユニフォームを着た看護師さんか、
助手なのかわからないが、20代くらいの若い女性に名前を呼ばれ、
診察室に通される。 奥には事務所があったり、いくつも診察室が
あるようで、なかなか広い。そういえば、ここは4D超音波写真
が売り物だったっけ。途中体重を測り、尿検査のためにトイレに
立ち寄る。

窓のない狭い診察室に通され、このお姉さんから問診を受ける。
「コンピューターに入力していきますからね!」と、
無邪気に電子問診表のようなものを取り出す彼女。

名前や誕生日などを確認した後、

「今日は定期健診ですか?」

と、聞かれたので、

「いえ、妊娠検査薬で陽性が出まして。」

と答える。すると彼女は、

「それはおめでとうございます。最終生理は何日でしたか?」

と聞かれ、「6月28日が一日目でした。」

と教える。さあ、前回の重要な過去、死産について話して、今回は
慎重なる検診をしてもらわねば。彼女は続ける。

「最後のパップテストはいつでしたか?」

「えっと〜、去年からいろいろな検査がありまして。。。妊娠中にも
したし、11月に死産の後もなにやら検査されていたかしら。。。
子宮筋腫の手術の際にもいろいろあったし。。。」

さ〜、ここで重要な過去、死産を口に出した私であった。しかし
彼女は聞き逃したのか、なんなのか、

「じゃあ、いつパップテストしたかおぼえてないんですね。」

とパップテストにこだわる。

「妊娠判明の時にしたのは確実です。」

「そうですか、じゃあ一年前ですね。」

その後家族や親類などの病歴を聞かれた。そしてとうとう彼女は
妊娠について触れた。

「では、今回は初めての妊娠ではないわけですね。」

なんだ〜、わかっていたんじゃん。

「はい、2回目です。」

「死産という事は、予定日近くに起こったんですか?」

そんなんだったらもっと傷は深く、回復に時間がかかっとるわい!

「いえ、28週前後です。」

「子宮筋腫の手術というのは右側ですか、左側ですか?」

卵管や卵巣のお話し。。。?

「いえ、子宮筋腫ですから、子宮内にたくさん大小ありまして、一番
大きいのは子宮頸部に8,9cmのものがありました。」

「それは取ってよかったですね。それではいまから助産師さんを
 呼んできます。」

だんだんとこのクリニックに不信感がわいてくる。。。
妊娠確認では産婦人科医ではなく、助産師さんから診断を受ける。
写真では、とても美人で20代後半くらいの助産師さん。こんなに
若くて頼りになるのかしら。

10分ほど待たされると部屋がノックされた。そこに入ってきたのは
広告に載っていた写真の年齢にプラス10歳、体重にプラス10kg足した
女性であった。でもこのルックスの方が頼りがいがありそうである。

彼女は入ってくるなり私と握手し、膝と膝がくっつきそうなくらい
真近に座った。顔もかなり近ずけてきて、私の目をじっと見つめながら
話し始めた。


「死産だったのね。大変だったわね。これはね、ほんとに、
アットランダムに起こる事で、たまたまそれにあなたが当たってしまったのよ。
あなたの責任じゃないし、染色体の異常とか、自分ではどうにもできない原因が
隠されているのよ。でも前回死産だったからって、今回も必ずそうなるとは
限らないわ。これからハイリスク妊娠の専門家にも診てもらうし、頻繁に
超音波ですみからすみまで赤ちゃんの状態をチェックしていきましょうね。」

彼女は私に赤ちゃんの小さな足がプリントしてある黄色いカードを渡した。
そこには「かりりんファミリーおめでとうございます!妊娠7週、予定日
3月29日」と書いてある。あれ?最終生理日から数えると、まだ6週2日で、
予定日4月4日のはずなのだが。。。まさか、あのお姉さん、日にちを聞き
間違えたかな?

「死産は早産だったの?それとも子宮内胎児死亡で陣痛促進剤を使用したの?」

「突然の心拍停止だったので、陣痛促進剤で分娩しました。」

「子宮筋腫の手術担当医は?」

「このクリニックの廊下を隔てた向かい側のドクターSBです。
(小堺先生と言ってもわかってもらえないだろう。)」

「あら〜、彼に不妊治療してもらって今回授かったの?」

「いいえ、タイミング法で自然妊娠です。」

「排卵誘発剤も使わず?そう、とにかく先生に報告しなさいよ、
喜ぶと思うわよ。」

そうだろうか?小堺先生は体外受精をアートのように感じて、仕事に
情熱をかけていた。「君の卵子は古い〜!術後は即、体外受精しかない〜!」
と狂気の目で脅してきていた彼に、のこのこと鼻をたらして、
「先生〜、4ヶ月子宮を休めてから自然妊娠しました〜。」と言いに
行ったらむっとされそうである。

パップテストをしながら、助産師さんは、

「お仕事は何?ま〜、体力使うわね〜。外で働いているの?う〜ん、
とにかく水分はしっかりとってね。あまりきつくなったら勤務先に手紙を
書いてあげますから言ってね。」

と、手を動かしながら、てきぱきとアドバイスした。

「じゃあ、2週間後に超音波で赤ちゃんの様子を見ましょうね。どんなことでも
いいから、質問があったら電話してね。多少の出血は起こりがちだけど、多めに
鮮血が見られたらすぐに連絡してください。」

そういって助産師さんは部屋を出て行った。
なかなか好感の持てる助産師さんである。

超音波で正常妊娠かわかるまであと2週間もまたなきゃならないの?
前回はもっと早くやってくれたのに。子宮外妊娠だったら手遅れに
なっちゃうじゃないの。

そして産婦人科医の先生に見てもらえるのは9月8日まで待たなければ
ならない。このクリニックちょとプロセスがのろますぎ。もちろん早すぎて
心拍が確認できないと焦ったりするという事もあって、確実な週数までまって
いるんだろうけど。。。

以前通っていたクリニックなら融通がきいただろうし、過去のカルテもすべて
揃っている。。。でもB先生のパートナーのS先生はちょっとそそっかしい
所もあるし、B先生の代わりに研修医が入っていたら実験台にされるのも恐い。

というわけで、このクリニックでしばらく様子をみることにした。

去年使っていた妊娠ダイアリーなるものが今回も役立っている。



妊娠週数と日にちごとに、毎日の赤ちゃんの成長具合の様子、注意する事、
妊娠雑学などがのっていて、その日の体調を記入できるようになっている。

去年の書き込みから、あ〜、今頃はもうつわりが始まっていたんだとか、
超疲れているのに身体に鞭打って夜のアルバイトに行ってたんだとか、
ダーリンの前妻のせいでストレスたまりっぱなしなど、いろいろ
振り返ることができる。

今回はページの上の方に日にちを記入し、日記を付け始めた。

まだ妊娠7週目ということで道のりは長いのであった。。。

テストで陽性!?

子宮筋腫の開腹手術を3月に受けてからというもの、生理である事を忘れて
しまうくらい不快感が皆無である。もちろんトイレに行くと、
「あ、そうか生理だったんだ。」と思い出すのだが、生理痛も、あの下半身の
どよ〜っとした重たさも何もないのである。そんな調子で術後4ヶ月が過ぎた。

日本では術後6ヶ月避妊が一般的だが、アメリカでは3ヶ月。例の不妊治療医の
小堺先生は卵が年寄りだから次の生理を終えたらすぐに体外受精!とせかしていた。

そんなんでいよいよ子作り解禁なのである。でも心の準備はできているのだろうか?
本当に子供が欲しいのか?でもあと半年で42歳という年齢を考えると、
迷っているうちにチャンスを逃していくかもしれない。

去年健太郎の妊娠の時からずばり予言的中させてきたスピリチュアルなSさんは
先月わたしにこう言った。

「もうすぐ次の子、降りてきますよ。それでね、健太郎君を通して学んだことを
忘れちゃうと、また同じことの繰り返しになっちゃいますよ。とにかく、
もうそこまで来ています。女の子みたいね。」

とりあえずプロジェクト好きを活かして、本に従ってタイミング法を実践
することにした。私の場合、28日周期なので、生理の初日から数えて
11日目より排卵日テスターで毎日チェックする。陽性と出たら、
その48時間以内に二日続けてドッキングという計画である。

さて、排卵テスターにもいろいろな値段があり、$15、$29、$49と
ばらつきがある。小堺先生付きの看護師さんによれば、間をとって$29
のものになさいとのこと。

その無名ブランドのものでテスト開始。右側の枠にある赤い線と同じ色か、
濃い色の線が左の枠にでれば排卵日が二日以内に迫っているというしくみである。
11日目は線がまったくなし。12日目はうっすら。13日目もうっすらだが、
同じ色になるにはほど遠いから、まだ排卵日はやってこないのか。あれ?でも
体温がいきなり下がってしまった。この電子体温計もかなり古くてあてに
ならないかもしれない。ということはもう今日が排卵日?いか〜ん、排卵日の
二日前から開始せねばならんのに!それともこの排卵テスターがあてにならない
のだろうか?迷いに迷ったあげく、その晩はもう、ギャンブルのなげやり予測の
ようにミサイル攻撃をしかけてもらう!

翌日$49の有名ブランド、クリアブルーを思い切って購入。そしてテストして
みると、わかりにくい線ではなく、ちゃんとニコちゃんマークが
出てくるではないか!

え〜?ということは今日が排卵日になるのか、明日になるのか、はたまた明後日
なのか。

あんなインチキテスターでテストしたおかげですっかり予定が狂ってしまった。
妊娠目的だけでなく、染色体異常による流産を防ぐ為にも新鮮な卵子と精子が
出会わなければならない!じゃ〜、今日はやめて間を取って明日合体か?

と、あてずっぽうで前回の生理初日から13日目と15日目の二日間トライ。
なんか適当だな〜。最初から高くてもクリアブルーにしとけばよかった(涙)。

2回目合体の翌日から体温は上昇し始めた。ふーむ、ということは、予測は
あながちはずれではなかったかもしれない。

それからまだ三日しか経っていないのに、珍しく便秘をし、毎夜マックのポテト、
バーガー、ストロベリーシェーキが食べたくなった。ダーリンはそのメニューを
食べ続ける私を見て、妊娠するには早すぎるし、なんなんだろうねと不思議
がっていた。

そして筋腫で悩む友人から健太郎の時にお世話になった産婦人科医のB先生を
紹介してくれるように頼まれた。クリニックの電話番号を教えたのだが、
その後、友人によるとB先生は名字が変わり、今産休をとっているとのこと。

え?12月には全然妊娠している兆候も見えなかったし、名前も変わって
いなかった。という事は、授かり婚?患者さんのお世話ばかりしている
うちに自分の事は注意していなかったとか?若くてまだ30歳前後にしか
みえなかったB先生。若いけど知識豊富でさばさばしていて、この先生
子供はいないだろうし、結婚さえもしていないんじゃないかな〜と
思っていた。これからは妊婦の苦しみを分かってくれ、さらに優秀な
産科医に成長していくことだろう。

しかし、これはメッセージなのか?あの健太郎の心拍停止を告げた彼女に今回も
お世話になると、あの時の悲しい思い出が蘇ってきてしまい、ずっと不安なまま
クリニックに通わなければならない。ちょうど産休でよかったのかもしれない。

そんなことで、これから何ヶ月、いや、何年も妊娠できるのに時間がかかるかも
しれないのに、もう新しい産婦人科医の先生を見つけた。

そうこうしているうちに、生理予定日の三日前。その日の明け方、ダーリンと
妊娠検査薬を探しに駆け回る夢から、はっと目が覚めた。そのままトイレに走り、
予定日三日前から判定可能なテスターを袋から取り出す。

待つ事1分。。。

ついにスクリーンには"pregnant"という文字が浮かび上がった!

その文字を目にしても、飛び上がるわけでもなく、テスターを手に持ち、
書斎にいるダーリンのもとへ静かに歩いていく。それを見たダーリンは
微笑みながら、しかし冷静に、「そうか〜。でもこんなにすぐ。
信じられない。」と言った。

私は、

「タイミング妊娠法(市川茂孝著)に載っていた実験結果によると、
排卵がきちんとある既婚者100人中が一ヶ月避妊なしで夫婦生活を続けた
場合、受精成功は84人。2週目に着床できたのは67人。3週で妊娠判定薬で
陽性が出た人は60人に減り、月経が一週間遅れていることに気付く時点では
たった38人しか妊娠を継続できていない。6週までもったのは30人、
そして出産までたどりつけたのは27人。8割以上が受精したのに、出産する
のはたったの27%だそうよ。大抵、生理がこないな〜と思っているうちに
出血して、それが実は自覚のない自然流産だったというのはよくあること。
他のデータを見ても、40代になると流産率は40%というから、
ぬかよろこびできないよね。」

と言った。

もっともこの40%というのは、我々40代は高齢出産と言う事で
かなり慎重であり、生理予定日から妊娠検査薬でチェックしたり、こまめに
お医者さんにいっているから自然流産を発見するので、流産率が
若い世代より高く見えてしまうという説もある。

去年、初めての妊娠でわけがわからぬまま8ヶ月目で突然の死産を迎えた
私達にとって、たとえ安定期に入ろうと、不安はつきまとうだろう。
死産で子供を亡くした親の会で知り合った人たちは、34週での死産の人も
数人いたし、22週で先天異常の為、人口死産を選ばなければならなかった人、
また、生後5週間で呼吸不全、生後5ヶ月で乳幼児突然死症候群で赤ちゃんを
亡くした人もいた。だからここで陽性がでたとしても、まだまだ安心は
できないのである。

もちろんネガティブになりすぎるのもよくないので、油断せず、淡々と
冷静に経過を見守っていきたい。

本来なら安定期に入った頃にブログで公表するものなのだろうが、
安定期後も保障がないということを学んだ私は、あえて、このプロセスも、
これから晩婚や高齢出産を考えている読者の方達の参考になればと思い、
こうしてリアルタイムで報告することにした。

その後3回テストしても陽性で、高温期も続き、生理も10日間遅れている。
使用した検査薬の一つは、なんと有効期限が1996年11月のものであった。
高かったから捨てるに捨てられず、いつか使うと思いつつ歳月が流れたのだ。
あ〜、あの頃はまだ20代後半で、元彼と付き合っていたんだ。妊娠したら
どうしようなんて冷や冷やしながらこんなもん購入していたとは。今では
妊娠できなかったらどうしようと焦っているのだから皮肉なものである。
12年前の物でも、他の新品の結果と同様、陽性が出た。古くても
OKなのね。

頭痛はするし、眠いし、頻繁にお腹がすくので、1時間毎にお腹に
物を入れている。

このお腹の中にいるであろう1mmほどの大きさの生命は果たして
無事に育っているのであろうか?正常妊娠であるかも心配だ。クリニックに
電話をしたが、検診は6週間を過ぎてからにしてくださいと言われた。

ここのところ高齢出産本を読み漁り、飽きてしまったので、数学者、
藤原正彦著の「若き数学者のアメリカ」、「遥かなるケンブリッジ」を読む。
それもあっという間に読み終えてしまったので、なぜか「ヒトラーとナチス」
を読み始めた。(一方でダーリンは「大日本帝国の興亡」を愛読中。
おめでた話の最中にどうゆうカップルやねん?)

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不安な晩婚、高齢出産希望者を励ましてくれる本

人生何が起こるかわからない
BY ジャガー横田



ドラマチックな生い立ち、青春期、挫折、失恋、リストカットから40代で
エリート外科医の旦那さんと知り合って結婚するまでの自伝。面白くて、
読みやすくて、一晩であっという間に読んでしまいました。



ジャガー流人生逆転
BY ジャガー横田



最初の章では不妊治療失敗、子宮筋腫の手術、そして自然妊娠で45歳で
出産するまでのいきさつが書かれていて、次の章では彼女のこれまでの軌跡が
記録されています。生い立ちに関しては「人生何が起こるかわからない」に
書かれてある内容と重複しますが、結婚後の生活、最も親しいライオネス飛鳥や、
旦那さんの証言ものっていて、興味深いです。
そしてとどめはお財布サイズの安産お守りカード付き!

いよいよ子作り再開か?

最近毎日のようにディスカバリーヘルスチャンネルの番組を見ている。

あるシリーズは、何年も身体の不調を訴えながら検査では異常なし、
何人も医師を変えても病気が見つからない患者達のいらだちをレポート。
歳月と検査費をつぎ込んだ後、やっと病名を発見してくれる医師と
出会う。。。

また、別の番組では、障害をもちながら強く生きていく子供達のレポート。

なかでも一番のお気に入りは、3人の産婦人科医のドキュメンタリー、
「Deliver me」。毎回ハラハラドキドキしながら見ている。

ブロンド、ブルネット、そしてアジア系アメリカ人の、まるで
チャーリーズエンジェルのような3人の女医さんたちの日常が
描かれている。

ブロンドの女医さんは35歳で第一子出産、その後第二子を流産。
現在40歳で子作りにとりかかっている。自分が流産を経験したので、
患者にそれを伝えなければならないことを知った時
自分の経験を思い出して涙する彼女。

ブルネットの女医さんは、2児の子を持つシングルマザー。
最近交際していた相手に別れを告げられ落ち込むものの、
いつか出逢った相手と子供を作るために自分の卵子を
凍結保存することを決意。その道の専門医、なんと自分の元夫
に採卵を依頼する。採卵できた卵子は24個と38歳にしては
かなり多く採取することが出来た。

今夜見たエピソードでは、43歳の黒人女性は妊娠30週目というのに
検診をキャンセルしてばかりいて、もう6週間も姿を現さない。
やっと連絡が取れてクリニックに訪れた時はかなりの妊娠高血圧症で
母子共に危険な状態。それでも本人は「今から入院なんてとんでも
ないわよ。あたしは全然大丈夫よ。」などとけろりとしているが、
結局赤ちゃんの状態が危なくなって帝王切開。
無事に元気な赤ちゃんが生まれた。

一方では、アジア系のカップルが妊娠初期の細菌感染がもとで
妊娠30週目を越えようとしているのに死産。女医さんは
「死産の二日後に彼女と話したけど、大丈夫そうだったわ。」
と同僚に話す。でも私にはわかる。お医者さんの前では平気そうな
ふりをするのだが、家に帰ってじりじりと悲しみがこみあげてくるものだ。

人の妊娠、出産エピソードばかり見ている自分であるが、最近擬似妊娠状態
に陥っている。つわりに似た症状がおこったり、妊娠中の頃のように、
甘いものを口にしなくなってきた。もちろん妊娠の可能性は皆無なのだが。

手足にほんの少々だが湿疹が出来たので、皮膚科に行って来た。そこで
「妊娠はしていませんね?」と聞かれる。「いえ、これから計画中です。」
と答えると、「もし妊娠がわかったら、この塗り薬は即座にストップ
してくださいね。」と言われた。

そこで去年の記憶がよみがえる。何をするのも、何を食べるのも、わたしより、
お腹の赤ちゃん優先だった。今最高に身体の調子がいいのに、また毎日心配
しながらの生活に戻るのか。。。今のままの生活は自由で楽しい。
これからまた妊娠、出産、育児と、子どもと共に成長し、
一から人生をやりなおすのか。。。?

などと、今度もすぐに妊娠できるとはわからないのに、そんなことばかり考えて
不安になったり、興奮したりして気持ちは不安定である。

そう、こんどの排卵日から子作り解禁なのである。子宮筋腫の手術の後、
生理を3回済ませた。これで子宮は回復したことになる。

メルマガ、「妊娠しやすいカラダづくり」
http://archive.mag2.com/0000116311/20080629153550000.html
では先週「40代からの子作りを考える」というタイムリーなトピックを
提供してくれた。これに対してかなりの反響があったというので、
やはり40代でこれから子作りを目指している女性が多いということなのだ。
ある読者の感想メールを掲載していたが、彼女はキャリアに専念してきて、
38歳で結婚。それから顕微授精を繰り返し今年43歳になるとのこと。
先週の記事、40代からは、体外受精と自然受精の成功率はそれほど差が
でないというデータが彼女の心を軽くさせたそうである。私もほっとした
一人である。小堺先生に術後すぐに体外受精を勧められたが、経済的に
余裕もないし、どうも心にひっかかるものがあってふみきれないでいた。

そこで去年は「男女産み分け法」なんて本を読んでいたが、今回は
「丈夫でよい子を産むタイミング妊娠法」という本を読んだ。
そう、今となってみれば性別なんて、関係ないのだ。健康に、
ちゃんと生まれてきてくれればそれでいい。




この本では、流産や、先天異常を防ぐ為に、新鮮な卵子と精子が受精できる手順が
書かれている。これにのっとって、基礎体温はもちろん、オギノ式、頸管粘液法、
排卵テスターなどすべてを組み合わせて排卵日をチェックするつもりである。
私の場合、生理の周期が28日なので、生理一日目から数えて11日目より
排卵テスターで毎日テストし始める。それと共に、粘液チェック、基礎体温の
変化も毎朝チェックする。

また、巣作りの兆候か、大原昭子著の「少ないものでゆたかに暮らす」シリーズ
を読んで、家の中を掃除し、大量の洋服や調理器具などを救世軍に寄付して
家の中をすっきりさせている。

これを始めると、気分はすっきり。物事を後回しにせず、その場で処理し、
忘れ物をしなくなった。

今日は古くなったタオルやシーツを雑巾にして、鏡や便器をごしごし磨いた。
冷蔵庫の中も整理。棚の中はIKEAで買ってきたガラス瓶の入れ物に
パスタや塩を入れてきれいに並べ替えた。

そんなんで、子作り再開のプレッシャーを、整理整頓する事によって
軽くしている私なのである。

=====================================
最近読んだ本コーナー


料理研究家の著者が40代の頃、イギリス留学中に学んだ、英国式
シンプルライフ術シリーズ。もちものは少なくシンプルに。かといって
けちけちしろというのではなく、例えば洋服はお気に入りのブティックを数件
見つけること。新しいものを買ったら、その分しばらく袖を通していない服を
処分して、クローゼット内をシンプルにまとめる。美容院も定期的に通って
身だしなみに気をつける。食器は高級なものでも、気に入ったものを普段から
使って楽しむ。オーブンや電子レンジを使った簡単レシピも参考になります。






死産で子供を亡くした親の同窓会

こんにちは〜!(と、妙に明るい出だし)

*いよいよ待望のセックス・アンド・ザ・シティーが公開になり、大笑いしたり、
時折涙を流しながら2時間15分楽しんでまいりました!
30代で独身だった頃は、彼女達のパートナー探しの苦労に共感して
おりましたが、今回は40代のパートナーを見つけた後の彼女達の通って
いく道を、思いっきりうなずきながら見ておりました。私のバイブル!
それにしても、支えになってくれる女友達っていいな〜と思いました。。。

*映画といえば、メルマガでもお話した、代理母がテーマの映画
「BABY MAMA」に出て来る不妊治療医が、小堺先生にそっくりなんで
ぎょっとしてしまいました!

*前回お話したサイキックカウンセラーの原田真裕美さんは、40歳で初産、
そして今回42歳で第二子を御懐妊されたそうです!おめでとうございます!
今回も男の子だとか。出産時はたぶん43歳になられているのではないかしら。
希望を与えてくださいますね!

それでは本文へ。。。


=====================================

スペインから帰ってきてすっかり気分一新した私であった。
翌日から昼間は働き、夜は毎年恒例の小劇場フェスティバルに向かい、
一晩に芝居を3つも4つも観た。

自分もおととしまでは常連の出演者であった。去年から子作りに専念という
ことで数年休みを取ろうとしていたのだ。

もちろん本当なら今頃は子育てで忙しく、芝居など観にいくヒマは
ないはずだったが、赤ちゃんはいないし、ダーリンもまだスペインに
行ったままであるから時間はたっぷりあった。

スペインでは学校側から前もって予定を知らされていなくて、フラメンコを
観にいく計画も立てられなかったが、このフェステイバルに本場スペインから
フラメンコギタリストとダンサーがツアーで参加していた。

ショーが始まると共に、哀しげなギターの音色が耳に入ってきた。
スポットライトと共にギタリストが浮かび上がり時には激しく、時には
メランコリックにギターを弾いた。この時点ですでに私の目には
涙が浮かんでいた。

そして美人で抜群にプロポーションのよい黒髪のダンサーが
バラエティーに富んだステップを披露した。

本場スペインで観られなければ、こうして帰国してからも観られる
チャンスを与えられる。ありがたいことだ。

芝居漬けの一週間は終わり、とうとうダーリンは帰ってきた。
早くも各写真の脇に書き込みを入れたスペイン旅行アルバムを
作成していた私に、ダーリンは感動してお礼を言った。

その週末、2月の卒業式以来初めて死産で子を亡くした親の会の
メンバー達と再会ディナーの約束をした。

一月から二月にかけて全7回あったセッションの6回目のセッションは、
天国に行った赤ちゃんへの手紙を読み上げる課題を渡されていた。

女性達は涙が出て来て読めないので夫達に代わりに読んでもらった。

夫達は皆、

「言いたい事が100個以上あるのに、文章にして表現できないんです。。。」

といって、紙切れに数行書きなぐった、赤ちゃんに対する思いを読みげた。

最後にいよいよ私達の番になって、私は3ページ分の健太郎宛の手紙を
自分で読み上げた。ダーリンは「すみません、プリントアウトできません
でした。」といいながらノートパソコンをかばんから取り出し、10ページ
近くに渡る論文のような手紙を読み上げた。

そこには死産に関するデータや、哲学者の言葉、ギリシャ神話まで含まれていた。

読み終えたあと、他の参加者達は口をあんぐりと開けていた。

皆、さぞや日数をかけて書いたのだろうと聞いてきたが、宿題を出された夜に
ささっと書いていたダーリンであった。

聞いていて健太郎の事を思い出し、悲しくもある一方で、文章の美しさに
感動し、彼に惚れ直してしまった。

最終回はゲストに産婦人科医を招き、質疑応答コーナーを設けた。
それぞれ何が原因だったのか、将来の流産の可能性などを各カップルが
細かく質問していった。

私へのアドバイスとしては、子宮筋腫の手術は正解である事、術後3ヶ月から
子作りを始めること、今のうち、(死産で赤ちゃんを亡くした間下このみさんで
世間一般に知られるようになった)抗リン脂質抗体症候群の検査を前もって受け、
血栓症が見つかったら、その対処をしながらの妊娠生活になるとのアドバイスを
受けた。

次に、この会のOBを招き、そのカップルの体験談を聞いた。
彼らの場合は死産ではなく、生後5ヶ月の時、SIDS(乳幼児突然死症候群)
で赤ちゃんを失っていた。その後無事に男の子が生まれたが、今も安心して
夜眠る事ができないそうである。

ゲストスピーカーが帰った後、赤ちゃん達の名前で小児病棟に絵本を寄贈して、
いくつもの白い風船に赤ちゃんへのメッセージを書き、皆で空に飛ばした。

それが私達の卒業式であった。

あれから3ヶ月、セッション中は涙ばかり流していた私達は、
いったいどんな顔で再会するのかと少々不安でもあり、また楽しみでも
あるデイナーの約束であった。

イタリアンで待ち合わせたが、結局現れたのは、6カップルのうち3カップル
だけだった。そう、現れなかった2カップルは離婚話が持ち上がっていたし、
新婚カップルの夫のほうは、この会にいやいや出席しているような態度が
気にかかった。

女性側は皆ドレスアップして、きれいにメイクもしていた。皆私の術後の
体調、そしていつから子作り再開するのか聞いてきた。他の二人は36歳であり、
40代は私ひとりである。

男性は仕事の話、ガソリン代の高騰などについて話し出し、女性は占いの話で
盛り上がった。

時たま赤ちゃんの話や、将来の話がでた。私の場合はまったく原因不明の
子宮内胎児死亡であり、他の2カップルは何らかの染色体異常による先天異常で
次回同じことが起こるかわからないと言われて悩んでいる最中である。

しかし今回は涙を流すシーンはなく、みな笑顔で語りあった。
来月は日本食を食べようと約束し、別れた。

健太郎は素敵な人たちとの出会いをくれたのである。

スペインから帰ってきて、今まで見ることのできなかった健太郎の写真
を見られるようになったし、お墓参りにもやっと行けるようになった。

そして驚く事に今週はテレビで出産特集を毎日見ている。
昨日のトピックは「I didn't know I was pregnant」
これは妊娠十ヶ月で陣痛がくるまで妊娠と気がつかずに、トイレの便器に
産み落としてしまったり、ヴァケーション中の別荘で陣痛が始まったりした
人々のインタビューと再現フイルムである。

生理が14年ほとんどなくて40歳で初めて妊娠した例や、生理が来なくなって
更年期がやってきたと勘違いした42歳の女性などなど。。。

トイレで激痛に襲われ便器に産み落とした後、お医者さんがかけつけて
彼女を検診したら、なんともうひとり赤ちゃんがお腹の中にいて
双子だったとわかったケース。

アメリカ人は太っている人が多いので、お腹が多少出ても目立たない。
そして子宮後屈などのケースは、胎動も感じにくいらしい。つわりや
腰痛は更年期の症状にも思えるというのも、40代なら自然かもしれない。

それにしても陣痛がくるまでお腹の赤ちゃんの存在に気がつかないなんて。。。

健康オタクでなおかつ毎日のお腹の赤ちゃんの成長記録などを付けてきた
のに、私の赤ちゃんはある日突然いなくなってしまった。一方では妊娠とは
全く気付かなかった彼女達にはちゃんと赤ちゃんが生まれた。

そんなものなのかな〜と思いながら、毎夜出産特集を見ている自分にも驚いた。
出産シーンも涙を流さずに見ることができたし、これは次回に向けての
心のリハビリの最中なのだろうか。。。?


===================================
最近読んだ本コーナー


やっぱり子どもがほしい!
by田口早桐





30代後半不妊治療医が自ら、自分の卵子とご主人の精子を
顕微授精してしまうというとっても興味深い体験談の本!

この体験を通して、患者さん達の肉体的、精神的負担も知り、ご主人との
絆も深まった女医さんのお話で、読み物としてもとても面白いです。
また、医学的な解説も載っているので為になります。


「天の恵」騒動記
by小林千枝子





ご主人と同じく大学教授である著者。40歳で流産して以来、子供に恵まれず
7年の不妊治療をやめたとたん、47歳で自然妊娠。48歳になる50日前に
初産! 仕事を続けながらの妊娠、出産、育児奮闘記です。

自立している彼女は結婚したものの、旧姓を捨てがたく、わざわざ離婚して、
夫婦別姓の事実婚になったそうですが、日本は夫婦別姓が法的に認められないの
ですね。ちなみに私はダーリンと夫婦別姓のままで籍をいれました。


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