しばらく更新しないまま、あっという間に5月の後半に
さしかかってしまった。
とりあえず3月は仕事で一ヶ月間マメちゃんと他州に滞在した。
マメちゃんは4歳の誕生日をむかえ、昔の仲良しのお友達をよんで
お誕生会を開いた。
アメリカでは一歳の頃から結構盛大に子供のお誕生パーティーを開く。
マメちゃんは一歳の時は天使ママ友数人とその赤ちゃん達で
テーマパークやレストランでひっそりと祝った。
その後は義父母や従姉とレストランで祝うくらいだった。
しかし4歳ともなるといろいろわかってくるし、
友人のパーティーに招待されたりして、自分も祝って
もらいたくなるものらしい。
今年はいよいよ会場を借りてのお誕生パーティーデビューである。
Bounce Houseと呼ばれる、巨大ビニールハウスの中で子供たちが
ジャンプしまくる施設をかりて、赤ちゃん時代から
仲良くしてもらっている子供たちを招待した。会場内には
大きなビニールハウスが7つも8つもあり、迷路やビニール製の
柔らかいすべり台やハシゴもついていて
何時間遊んでいても飽きない。
費用は日本円にして1万5千円くらいかかっただろうか。
プライベートルームを一時間半かりて、施設側でピザとドリンクを
用意してくれる。部屋は一時間半の貸切だが、その後も子供たちは
一日中遊び続けることができる。
ケーキはスーパーのベーカリーコーナーで注文。マメちゃんの好きな
アニメキャラ、Dora The Explorer の主人公ドーラがテーマのケーキを
見本の中から選ぶ。ちなみにマメちゃんはみんなから
ドーラに似ているといわれる。不二家のペコちゃん似とも言われる。
前日に注文して、パーテイー当日の朝、日本円にして2800円くらいで、
見事なデザインの大きな長方形ケーキのできあがり。
ビーチでドーラとお猿のブーツがビーチに座っているデザインだが、
鮮やかな色の海と砂浜のデザインの上に、
ドーラとお猿さんのプラスチック製の人形と
ビーチパラソルがのっかっている。
DCから従姉と義父母がかけつけてくれて、マメちゃんも懐かしい
仲間達と再会できてとても幸せそうだった。友達と従姉の間で
マメちゃんの取り合いでケンカまで始まった。自分は姉妹のように
マメちゃんと仲がいいという親友のTちゃん。
それに対して、自分は従姉なのよ、もっと関係が深いのよと
主張する従姉。そのケンカのすきにさっさとマメちゃんは
日本人ハーフのハンサム4歳児君とハグとキス!
みんなに祝ってもらってプレゼントもどっさり頂いたマメちゃん。
今までで一番幸せな誕生パーティとなった。
一歳のお誕生日は「そっかー、生まれてから一年経ったんだ。
でもなんかめずらしく不機嫌で泣いてばっかりいるな〜」
なんて思った。
それが2歳、3歳では振り回され、へとへとで
特に感動もなくお誕生日を迎える。
しかし今回は初めて感慨深いものがあった。嬉しいような、
寂しいような。。。もう完全に赤ちゃんじゃなくなっちゃったんだ。
以前に比べるとずっと聞き分けもよくなったし、こちらの感情も
読めるようになって来た。さみしいなあ。でも楽になったな〜。
親としては複雑な気持ちの4歳の誕生日であった。
ダーリンも3月の前半と後半は一緒にホテルに滞在して過ごしたが、
あまり楽しそうではなかった。いろいろな格安DEALを利用して、
ホテルを二日ごとに変えていたので、落ち着かなかったのであろう。
私はいろいろなホテルを比べてみたい方なので、楽しかったが、
ダーリンとしては一週間移動なしでいたかったようだ。
独身L子と健ちゃん妊娠時に妊婦仲間だったV子からは
マメちゃんを甘やかしすぎとお説教され、へこんだ。
L子は以前V子のこともしつけをちゃんとしていないと批判していたし、
V子も息子君を放ったらかしだった。今はV子の息子は5歳になったので
だいぶ聞き分けがよくなったから、イヤイヤ期の頃のことは
みんな忘れてしまったのだ。
私も子供がいなかった頃はダーリンの元妻に対して育児批判を
していたものだが、実際24時間子育てしてみると、
母親だけにしかわからない事情だってある。
自分も子供を産んでからは、元妻のことも理解できるようになった。
3月は毎日友人と約束し、お食事したり、久しぶりに映画を観たり、
仕事もして、とても楽しい一ヶ月だった。3月末にダーリンが
迎えに来て、家族3人で車で二日間かけて田舎町に戻ることになった。
しかしその帰りの道中、いきなり左側を走っていたSUVが
私達の車に突っ込んできたのだ!私達の車は路肩に押されて
やっとストップできた。運転していたのはダーリンであったが、
助手席に座っていた私は、その瞬間何が起こっているのかわからず
このままどうなっていくのかと怯えた。
幸いマメちゃんも含め3人とも無事だった。
左側のサイドミラーはなくなり、左前方側面がへこんだ。
警察と保険会社に電話した後、40分ほどして
やっと警察官がやってきた。
しかし警察官の話によると、向こうの運転手が
(30代前後の黒人女性)言うには、私達の車はジグザクに
走っていて様子がおかしく、ついに路肩に停車。
そしていきなり発信して彼女の車に追突してきたと
ウソをついたのだ!
なんでそんな真っ赤なウソがつけるのか!結局私とマメちゃんという
身内以外の目撃者がいないため、警察官はニュートラルな立場で
両サイドの話を記述して、ポリスレポートを作成。
それを双方の保険会社に送るとのことだった。
それから一ヶ月半たっても、向こうの保険会社は
100%こちらの落ち度だとして、車の修理代は払わないと主張。
おかげで私の手鏡をテープでぐるぐる巻きにしたサイドミラーと
へこんだ側面の車でダーリンは大学に出勤している。
そして先日私自身もガレージの壁に車をぶつけて、左まぶたの上に
切り傷を作るという軽い事故を起こした。
こんな不注意初めてである!後部座席のマメちゃんに
何か言い聞かせていて、ギアーをパーキングモードに
したつもりがドライブのままになっていたのだ。
でもポジティブに考えれば、2回ともマメちゃんは無事だったし、
私自身にも大きな怪我もなかったので、大難が小難になったと思えば
よいのかもしれない。
4月1日にこの田舎町に帰ってきて、最初の3週間は
掃除しまくったり、リラックスしたり気分は明るかった。
しかし天気も2週間続けて雨とか、気温は低いしだんだんと
気分はどんよりしてきた。
さらに卒業式前でダーリンは超多忙。ストレスが溜まっていて
爆発寸前。
私は花粉症の症状がひどくなり、薬を服用し始めた。
それと同時に不眠症、落ち込み、涙もろくなったのだ。
無気力、身体はだるいし、生きる目的もなくなった。
何事に関しても興味がわかない。
80年代が妙になつかしくなり、30年ぶりにジャーニーなんて
聞き始める。あの頃は高校生でバンド組んで、ボーカルとして
この歌うたっていたっけな。。。青春時代だったな。。。なんて
感傷にふける。
思いっきり腹から声を出して歌ってみると気持ちはすっきりするが、
またしばらくするとどんより。。。
このままではいけないと思い、重い腰をあげて
いよいよお医者さん探し。といっても内科と産婦人科医で、
心療内科というわけではない。妊娠糖尿病経験者は出産後も
糖尿病予防のために3−6ヶ月に一度は血糖値の検査を
したほうがいいらしいし、婦人科検診も乳がん検査も
もう一年半していない。
この土地に来て一年近く経つのにまだ主治医を
探していなかった。それ自体もこの土地にまだ
馴染んでいないということだ。
しかしどの医師も新規の患者は受け付けていないと断られる。
最後に若くてNYの病院から移ってきたばかりという
女医の内科医を見つける。
婦人科はネットでの評価が他の医師より低めの
産婦人科医とやっとアポをとれた。
アメリカは医療費が高いだけでなく、初めて行く医院の場合、
最初の予約をとるだけでもかなりの時間がかかる。2,3ヶ月待ち
なんてよくあることだし、一ヵ月後に予約が取れただけでも
ラッキーだと思った。
昔、肌荒れで皮膚科の予約を取るのに、最初にファミリードクターに
見てもらわなければならず、彼の薬で治らなければ紹介状を
書いてもらい、皮膚科に電話。それから3ヶ月後に予約がとれた
頃には肌荒れは治っていたこともあった!
緊急の場合は予約不要のWalk-in クリニックという手もあるが、
あまり専門的ではないので、長期でお世話になる場所ではない。
この土地だったらとてもハイリスク出産なんて任せられなかった
ことだろう。。。
予約はやっと一ヵ月後にとれた。内科医の先生のことは
受付の事務員さんから看護師さんまでみんなが褒めていた。
まったく待たされず、時間通りに診察室に通された。
部屋に入ってきた女医さんは20代後半くらいだろうか。
イスラム教徒の民族衣装を着ている。
まず先生の自己紹介をしてくれて、それから私の話を
じっくり聞いてくれた。死産の話になったら
涙ぐむ私にテイッシュを渡してくれる先生。
彼女も5歳と2歳半のお子さんがいるそうだが、一人目は
常位胎盤早期剥離で大出血を起こし、まだ33週だったが
緊急帝王切開だったそうだ。
次の妊娠では不安でハイリスクドクターのもとで2週間ごとに
エコー検診を続けたそうだ。
「妊娠、出産ってそう簡単じゃないのよね。私も3人目欲しいけど、
もう2回も帝王切開しているしハイリスクだからあきらめているの。」
お〜、この先生も妊娠、出産の大変さを理解してくれる。
いい先生ではないか!
うつ気分だと伝えると、ひょっとしたら気候のせいで
ビタミンDが足りていないのかもしれないと、
血液検査をすすめてくれた。
結局私ひとりに一時間近くも時間をかけてくれた先生!
今までの先生ときたらドアから顔をのぞかせて忙しそうに
診察。せいぜい5分くらいしかみてくれなかった。
帰りに乳がん検査も受けてきたし、翌朝は空腹のまま
血液検査をしてもらった。その午後にはもう結果を教えてくれて、
やはり血中のビタミンDが基準値に達していないとのことで、
錠剤をとり、毎日30分日光浴するようにとの指示。
(お天気がよければの話だが。。。)
12年間毎日直射日光にさらされてショーをしていたこの私が
引っ越してきて一年以内にこんな診断を受けるとは!
さらに貧血気味らしく、生理の期間だけとっていた鉄分の錠剤も
毎日とることになった。
ビタミンバイブルという本で、役者やエネルギーが欲しい人は
ビタミンB12を飲むように書いてあったので
サプリをとっていたのだが、なんとこれは過剰摂取という結果が
出たのでやめた。このビタミンの場合は特に副作用はないみたいだが、
やはり何事も摂りすぎはよくない。
考えてみればもうフルタイムで体力使う役者を
やっているわけじゃないから不要なわけである。
それ以外は血糖値もコレステロールも問題なく、
健康体ということだった。
翌日の婦人科検診では、ブロンドのさばさばした女医さん登場。
年齢は50歳らしいが、40代前半にしかみえない。
一年前から生理周期が乱れているというと、今度筋腫の検査を
しましょうと言われた。更年期対策のホルモン関係サプリは
まだ必要ないとのこと。
2月、3月は周期が乱れたが、4月と5月はぴったり
28日周期にもどった。やはり旅をしている時は
体が環境変化で落ち着かなかったのかもしれない。
さらにネットで私が飲み始めた花粉症の薬の
口コミを検索してみると驚くべき事実を発見!
なんとうつ状態、無気力、不眠にさせるという
副作用があるそうなのだ。どうりであの薬を飲み始めてから
花粉症の症状は驚くほど消えてありがたかったものの、
うつ状態で涙もろくなっていたのはこの薬に原因があったのだ。
とにかく3時間以上眠れないし、
心臓もバクバクして、常に興奮状態でもあったっけ。
早速この薬を止めて、鉄分の錠剤を毎日取り始め、今まで飲んでいた
マルチビタミンから、先生がすすめる、ビタミンDがより多く
入っているものにかえた。
天気が良い日はすすんでお散歩をして日光浴をこころがけた。
ヨガも始めたら身体がどんどん軽くなっていった。
その結果また幸せ気分が戻ってきたのだ。
さて、マメちゃんは保育園とプリスクールの今学期最後の発表会が
2週続けてあった。さすがに舞台で一生懸命歌ったり
踊ったりしているマメちゃんをみると涙が出そうになった。
さらに問題児の男の子に後ろから突き飛ばされて
床に倒れるというハプニングが2回もあった。
それでもぱっと起き上がって笑顔で踊り続けるマメちゃん。
いつの間にこんなに成長したんだろう。
この男の子には毎日のように髪を引っ張られたり、
突き飛ばされているそうなのだが、マメちゃんだけ
仕返しをしないので、この男の子の的になっているそうだ。
ダーリンも私も決してマメちゃんには手を上げないできたし、
他の子を押したり、たたいたりしてはいけないと教えてきた。
マメちゃんはそれほど気にしているわけでもなく、「Kくんったら
まだまだ赤ちゃんなの」というくらい。
でも毎日のように続くので、いいかげん先生まで
「もうこうなったらあなたも押し返しなさい!」という始末。
後でわかったのだが、この問題児くんは先生の息子であった。。。
でもマメちゃんは仕返しをせず、先生から習った手話の動作と言葉で
その男の子に「止めなさい!」と毎回繰り返した。
その結果とうとうその男の子はマメちゃんに
手を出さなくなったそうだ。
マメちゃんの学校が終わると、今度はダーリンの大学の卒業式。
壇上で今年度の卒業生の名前を読み上げたり、優秀な教授へ
賞を与えたり大忙しのダーリン。でもスムーズにやり遂げ、
学長さんや理事長さんからもお褒めの言葉を頂いた。
教授や職員から提出された副学長としての評価表では
ダーリンへの評価はとても高く、学長さんは契約を更新したいと
言ってくれたそうだ。ということで少なくともあと2年は安泰。
しかしダーリンは近い将来、もっと大きな大学の副学長か、
小さな大学の学長ポストに応募すると、次のステップを考えている。
この一年でダーリンもマメちゃんも新しいことを学び、
驚くほど成長した。私といえば、旅行ばかりして
現実からの逃避を繰り返していたような気がする。
この夏はまた日本や他州に旅行することになるが、
7月から11月まではこの土地に腰を据えて、逃げずに
自分を向上させる方向を見つけなければと思っている。
さしかかってしまった。
とりあえず3月は仕事で一ヶ月間マメちゃんと他州に滞在した。
マメちゃんは4歳の誕生日をむかえ、昔の仲良しのお友達をよんで
お誕生会を開いた。
アメリカでは一歳の頃から結構盛大に子供のお誕生パーティーを開く。
マメちゃんは一歳の時は天使ママ友数人とその赤ちゃん達で
テーマパークやレストランでひっそりと祝った。
その後は義父母や従姉とレストランで祝うくらいだった。
しかし4歳ともなるといろいろわかってくるし、
友人のパーティーに招待されたりして、自分も祝って
もらいたくなるものらしい。
今年はいよいよ会場を借りてのお誕生パーティーデビューである。
Bounce Houseと呼ばれる、巨大ビニールハウスの中で子供たちが
ジャンプしまくる施設をかりて、赤ちゃん時代から
仲良くしてもらっている子供たちを招待した。会場内には
大きなビニールハウスが7つも8つもあり、迷路やビニール製の
柔らかいすべり台やハシゴもついていて
何時間遊んでいても飽きない。
費用は日本円にして1万5千円くらいかかっただろうか。
プライベートルームを一時間半かりて、施設側でピザとドリンクを
用意してくれる。部屋は一時間半の貸切だが、その後も子供たちは
一日中遊び続けることができる。
ケーキはスーパーのベーカリーコーナーで注文。マメちゃんの好きな
アニメキャラ、Dora The Explorer の主人公ドーラがテーマのケーキを
見本の中から選ぶ。ちなみにマメちゃんはみんなから
ドーラに似ているといわれる。不二家のペコちゃん似とも言われる。
前日に注文して、パーテイー当日の朝、日本円にして2800円くらいで、
見事なデザインの大きな長方形ケーキのできあがり。
ビーチでドーラとお猿のブーツがビーチに座っているデザインだが、
鮮やかな色の海と砂浜のデザインの上に、
ドーラとお猿さんのプラスチック製の人形と
ビーチパラソルがのっかっている。
DCから従姉と義父母がかけつけてくれて、マメちゃんも懐かしい
仲間達と再会できてとても幸せそうだった。友達と従姉の間で
マメちゃんの取り合いでケンカまで始まった。自分は姉妹のように
マメちゃんと仲がいいという親友のTちゃん。
それに対して、自分は従姉なのよ、もっと関係が深いのよと
主張する従姉。そのケンカのすきにさっさとマメちゃんは
日本人ハーフのハンサム4歳児君とハグとキス!
みんなに祝ってもらってプレゼントもどっさり頂いたマメちゃん。
今までで一番幸せな誕生パーティとなった。
一歳のお誕生日は「そっかー、生まれてから一年経ったんだ。
でもなんかめずらしく不機嫌で泣いてばっかりいるな〜」
なんて思った。
それが2歳、3歳では振り回され、へとへとで
特に感動もなくお誕生日を迎える。
しかし今回は初めて感慨深いものがあった。嬉しいような、
寂しいような。。。もう完全に赤ちゃんじゃなくなっちゃったんだ。
以前に比べるとずっと聞き分けもよくなったし、こちらの感情も
読めるようになって来た。さみしいなあ。でも楽になったな〜。
親としては複雑な気持ちの4歳の誕生日であった。
ダーリンも3月の前半と後半は一緒にホテルに滞在して過ごしたが、
あまり楽しそうではなかった。いろいろな格安DEALを利用して、
ホテルを二日ごとに変えていたので、落ち着かなかったのであろう。
私はいろいろなホテルを比べてみたい方なので、楽しかったが、
ダーリンとしては一週間移動なしでいたかったようだ。
独身L子と健ちゃん妊娠時に妊婦仲間だったV子からは
マメちゃんを甘やかしすぎとお説教され、へこんだ。
L子は以前V子のこともしつけをちゃんとしていないと批判していたし、
V子も息子君を放ったらかしだった。今はV子の息子は5歳になったので
だいぶ聞き分けがよくなったから、イヤイヤ期の頃のことは
みんな忘れてしまったのだ。
私も子供がいなかった頃はダーリンの元妻に対して育児批判を
していたものだが、実際24時間子育てしてみると、
母親だけにしかわからない事情だってある。
自分も子供を産んでからは、元妻のことも理解できるようになった。
3月は毎日友人と約束し、お食事したり、久しぶりに映画を観たり、
仕事もして、とても楽しい一ヶ月だった。3月末にダーリンが
迎えに来て、家族3人で車で二日間かけて田舎町に戻ることになった。
しかしその帰りの道中、いきなり左側を走っていたSUVが
私達の車に突っ込んできたのだ!私達の車は路肩に押されて
やっとストップできた。運転していたのはダーリンであったが、
助手席に座っていた私は、その瞬間何が起こっているのかわからず
このままどうなっていくのかと怯えた。
幸いマメちゃんも含め3人とも無事だった。
左側のサイドミラーはなくなり、左前方側面がへこんだ。
警察と保険会社に電話した後、40分ほどして
やっと警察官がやってきた。
しかし警察官の話によると、向こうの運転手が
(30代前後の黒人女性)言うには、私達の車はジグザクに
走っていて様子がおかしく、ついに路肩に停車。
そしていきなり発信して彼女の車に追突してきたと
ウソをついたのだ!
なんでそんな真っ赤なウソがつけるのか!結局私とマメちゃんという
身内以外の目撃者がいないため、警察官はニュートラルな立場で
両サイドの話を記述して、ポリスレポートを作成。
それを双方の保険会社に送るとのことだった。
それから一ヶ月半たっても、向こうの保険会社は
100%こちらの落ち度だとして、車の修理代は払わないと主張。
おかげで私の手鏡をテープでぐるぐる巻きにしたサイドミラーと
へこんだ側面の車でダーリンは大学に出勤している。
そして先日私自身もガレージの壁に車をぶつけて、左まぶたの上に
切り傷を作るという軽い事故を起こした。
こんな不注意初めてである!後部座席のマメちゃんに
何か言い聞かせていて、ギアーをパーキングモードに
したつもりがドライブのままになっていたのだ。
でもポジティブに考えれば、2回ともマメちゃんは無事だったし、
私自身にも大きな怪我もなかったので、大難が小難になったと思えば
よいのかもしれない。
4月1日にこの田舎町に帰ってきて、最初の3週間は
掃除しまくったり、リラックスしたり気分は明るかった。
しかし天気も2週間続けて雨とか、気温は低いしだんだんと
気分はどんよりしてきた。
さらに卒業式前でダーリンは超多忙。ストレスが溜まっていて
爆発寸前。
私は花粉症の症状がひどくなり、薬を服用し始めた。
それと同時に不眠症、落ち込み、涙もろくなったのだ。
無気力、身体はだるいし、生きる目的もなくなった。
何事に関しても興味がわかない。
80年代が妙になつかしくなり、30年ぶりにジャーニーなんて
聞き始める。あの頃は高校生でバンド組んで、ボーカルとして
この歌うたっていたっけな。。。青春時代だったな。。。なんて
感傷にふける。
思いっきり腹から声を出して歌ってみると気持ちはすっきりするが、
またしばらくするとどんより。。。
このままではいけないと思い、重い腰をあげて
いよいよお医者さん探し。といっても内科と産婦人科医で、
心療内科というわけではない。妊娠糖尿病経験者は出産後も
糖尿病予防のために3−6ヶ月に一度は血糖値の検査を
したほうがいいらしいし、婦人科検診も乳がん検査も
もう一年半していない。
この土地に来て一年近く経つのにまだ主治医を
探していなかった。それ自体もこの土地にまだ
馴染んでいないということだ。
しかしどの医師も新規の患者は受け付けていないと断られる。
最後に若くてNYの病院から移ってきたばかりという
女医の内科医を見つける。
婦人科はネットでの評価が他の医師より低めの
産婦人科医とやっとアポをとれた。
アメリカは医療費が高いだけでなく、初めて行く医院の場合、
最初の予約をとるだけでもかなりの時間がかかる。2,3ヶ月待ち
なんてよくあることだし、一ヵ月後に予約が取れただけでも
ラッキーだと思った。
昔、肌荒れで皮膚科の予約を取るのに、最初にファミリードクターに
見てもらわなければならず、彼の薬で治らなければ紹介状を
書いてもらい、皮膚科に電話。それから3ヶ月後に予約がとれた
頃には肌荒れは治っていたこともあった!
緊急の場合は予約不要のWalk-in クリニックという手もあるが、
あまり専門的ではないので、長期でお世話になる場所ではない。
この土地だったらとてもハイリスク出産なんて任せられなかった
ことだろう。。。
予約はやっと一ヵ月後にとれた。内科医の先生のことは
受付の事務員さんから看護師さんまでみんなが褒めていた。
まったく待たされず、時間通りに診察室に通された。
部屋に入ってきた女医さんは20代後半くらいだろうか。
イスラム教徒の民族衣装を着ている。
まず先生の自己紹介をしてくれて、それから私の話を
じっくり聞いてくれた。死産の話になったら
涙ぐむ私にテイッシュを渡してくれる先生。
彼女も5歳と2歳半のお子さんがいるそうだが、一人目は
常位胎盤早期剥離で大出血を起こし、まだ33週だったが
緊急帝王切開だったそうだ。
次の妊娠では不安でハイリスクドクターのもとで2週間ごとに
エコー検診を続けたそうだ。
「妊娠、出産ってそう簡単じゃないのよね。私も3人目欲しいけど、
もう2回も帝王切開しているしハイリスクだからあきらめているの。」
お〜、この先生も妊娠、出産の大変さを理解してくれる。
いい先生ではないか!
うつ気分だと伝えると、ひょっとしたら気候のせいで
ビタミンDが足りていないのかもしれないと、
血液検査をすすめてくれた。
結局私ひとりに一時間近くも時間をかけてくれた先生!
今までの先生ときたらドアから顔をのぞかせて忙しそうに
診察。せいぜい5分くらいしかみてくれなかった。
帰りに乳がん検査も受けてきたし、翌朝は空腹のまま
血液検査をしてもらった。その午後にはもう結果を教えてくれて、
やはり血中のビタミンDが基準値に達していないとのことで、
錠剤をとり、毎日30分日光浴するようにとの指示。
(お天気がよければの話だが。。。)
12年間毎日直射日光にさらされてショーをしていたこの私が
引っ越してきて一年以内にこんな診断を受けるとは!
さらに貧血気味らしく、生理の期間だけとっていた鉄分の錠剤も
毎日とることになった。
ビタミンバイブルという本で、役者やエネルギーが欲しい人は
ビタミンB12を飲むように書いてあったので
サプリをとっていたのだが、なんとこれは過剰摂取という結果が
出たのでやめた。このビタミンの場合は特に副作用はないみたいだが、
やはり何事も摂りすぎはよくない。
考えてみればもうフルタイムで体力使う役者を
やっているわけじゃないから不要なわけである。
それ以外は血糖値もコレステロールも問題なく、
健康体ということだった。
翌日の婦人科検診では、ブロンドのさばさばした女医さん登場。
年齢は50歳らしいが、40代前半にしかみえない。
一年前から生理周期が乱れているというと、今度筋腫の検査を
しましょうと言われた。更年期対策のホルモン関係サプリは
まだ必要ないとのこと。
2月、3月は周期が乱れたが、4月と5月はぴったり
28日周期にもどった。やはり旅をしている時は
体が環境変化で落ち着かなかったのかもしれない。
さらにネットで私が飲み始めた花粉症の薬の
口コミを検索してみると驚くべき事実を発見!
なんとうつ状態、無気力、不眠にさせるという
副作用があるそうなのだ。どうりであの薬を飲み始めてから
花粉症の症状は驚くほど消えてありがたかったものの、
うつ状態で涙もろくなっていたのはこの薬に原因があったのだ。
とにかく3時間以上眠れないし、
心臓もバクバクして、常に興奮状態でもあったっけ。
早速この薬を止めて、鉄分の錠剤を毎日取り始め、今まで飲んでいた
マルチビタミンから、先生がすすめる、ビタミンDがより多く
入っているものにかえた。
天気が良い日はすすんでお散歩をして日光浴をこころがけた。
ヨガも始めたら身体がどんどん軽くなっていった。
その結果また幸せ気分が戻ってきたのだ。
さて、マメちゃんは保育園とプリスクールの今学期最後の発表会が
2週続けてあった。さすがに舞台で一生懸命歌ったり
踊ったりしているマメちゃんをみると涙が出そうになった。
さらに問題児の男の子に後ろから突き飛ばされて
床に倒れるというハプニングが2回もあった。
それでもぱっと起き上がって笑顔で踊り続けるマメちゃん。
いつの間にこんなに成長したんだろう。
この男の子には毎日のように髪を引っ張られたり、
突き飛ばされているそうなのだが、マメちゃんだけ
仕返しをしないので、この男の子の的になっているそうだ。
ダーリンも私も決してマメちゃんには手を上げないできたし、
他の子を押したり、たたいたりしてはいけないと教えてきた。
マメちゃんはそれほど気にしているわけでもなく、「Kくんったら
まだまだ赤ちゃんなの」というくらい。
でも毎日のように続くので、いいかげん先生まで
「もうこうなったらあなたも押し返しなさい!」という始末。
後でわかったのだが、この問題児くんは先生の息子であった。。。
でもマメちゃんは仕返しをせず、先生から習った手話の動作と言葉で
その男の子に「止めなさい!」と毎回繰り返した。
その結果とうとうその男の子はマメちゃんに
手を出さなくなったそうだ。
マメちゃんの学校が終わると、今度はダーリンの大学の卒業式。
壇上で今年度の卒業生の名前を読み上げたり、優秀な教授へ
賞を与えたり大忙しのダーリン。でもスムーズにやり遂げ、
学長さんや理事長さんからもお褒めの言葉を頂いた。
教授や職員から提出された副学長としての評価表では
ダーリンへの評価はとても高く、学長さんは契約を更新したいと
言ってくれたそうだ。ということで少なくともあと2年は安泰。
しかしダーリンは近い将来、もっと大きな大学の副学長か、
小さな大学の学長ポストに応募すると、次のステップを考えている。
この一年でダーリンもマメちゃんも新しいことを学び、
驚くほど成長した。私といえば、旅行ばかりして
現実からの逃避を繰り返していたような気がする。
この夏はまた日本や他州に旅行することになるが、
7月から11月まではこの土地に腰を据えて、逃げずに
自分を向上させる方向を見つけなければと思っている。