笏谷石(しゃくだにいし)雑記帳

 『笏谷石を訪ねて』の HPを管理する
  稲葉デザインルームの笏谷石(しゃくだにいし)雑記帳です。
  笏谷石を通して見えてくる歴史や文化、
  そして福井市の“まちづくり”についていろいろ書いてます。

2010年10月

笏谷石を訪ねて(三国)

本日、2010年10月29日、
三国に笏谷石を探しに行きました。

自転車を50円で借り、
まずは、「三國湊きたまえ通り」を目指しました。
(えちぜん鉄道を利用した方は、えちぜん鉄道が管理している
レンタサイクルを50円で借りることができます。)

ふくいの伝統的民家認定/国の有形登録文化財である
「旧岸名家」の前に自転車を止めると、
坂井市三国町ボランティア観光ガイドグループ「きたまえ三国」の方が
声をかけてくださり、「旧岸名家」の説明を伺うことができました。

この建物は三国の町屋特有の「かぐら建て」という建物だそうです。
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道沿いの部分はお店になっていたのですが、
そのお店の部分の屋根の向こうから、
後ろにある母屋の三角の屋根が見える構造が特徴だそうです。

中に入ると青い色が目に入ります。
それは笏谷石(しゃくだにいし)で造られた、床です。
母屋の方は、床だけでなく、「流し」や「井戸枠」、
「ごえもん風呂」までも笏谷石(しゃくだにいし)で造られています。

二階に上がり、とても古いガラスが使われている窓をのぞくと、
赤瓦の上に乗る、笏谷石(しゃくだにいし)の棟石を見ることができます。
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その後、「旧岸名家」に別れを告げ、
まちなかを回りました。

三国のまちには、たくさんのお寺や神社があり、
そこでは、必ずと言っていいほど、
笏谷石(しゃくだにいし)に出会うことができます。

古い町並みを見学すると、たくさんの民家に
笏谷石(しゃくだにいし)が使われている様子が見られ、
三国のまちと、笏谷石(しゃくだにいし)の関係の深さを
感じることができました。


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九十九橋の石のゆくえ(1) 黒龍神社

福井市に流れる足羽川にかかる九十九橋は1909年(明治42年)に架け替えられるまで、
戦国時代の武将、柴田勝家が造らせたとされている奇矯の一つでした。

なぜ、奇矯と呼ばれていたのかといいますと
九十九橋は、南半分が石造り、北半分が木造の橋という
少し変わった橋だったからです。

九十九橋が半石半木の橋になった理由は、
「福井の城下町に近い北側を壊し易い木造にすることで、
敵の侵入をしづらくするため、この構造を採用したと言う。
また、後に架け直す際も容易であることから。」
という説や、
「当時、足羽川は河川敷の北側を流れていたため、
石造りにすると橋桁の数が多くなり、川の流れを妨げる虞があった。
そこで、加工のしやすい木材で橋を架けることにより、
橋桁の数を減らすべく、木造にしたとのこと。」
という説があります。
Wikipedia(ウィキペディア) 九十九橋 より

半石半木の頃、橋に使われていた笏谷石(しゃくだにいし)は、
福井のあちこちに残されています。
これから、随時ご紹介していきます。
その一つが毛矢黒龍神社の階段の横にあります。
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看板の説明文には
「福井市内を流れる足羽川に掛かる橋に九十九橋(大橋)がある。
北ノ庄城主柴田勝家が本格的な架橋工事を行った。
橋の構造は北側部分が板橋で、南側部分が石橋であり、
半石半木の奇矯として天下に名高い。
この橋脚は、明治四十二(一九0九)年に、木造橋として
架け替えられた際、取り壊された橋脚の一本である。」
とあります。

説明文には橋脚と書いてあります。
でも、この形は、橋梁ではないのかな、
と思うのですが、どうでしょう?

その他の九十九橋の石のゆくえをご存知の方は
情報をお寄せください!


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福井城の石垣のゆくえ(1) JR福井駅東口駐車場前

江戸時代の頃の福井市は、福井城を中心に4〜5重のお堀に囲まれた城下町でした。

1871年(明治4年)に廃城になり、本丸のお堀以外は壊されてしまいましたが、
それまでお堀に使われていた笏谷石(しゃくだにいし)たちは、
どこに行ってしまったのでしょう? q|゚Д゚|p
無くなってしまったのでしょうか?

いいえ、完全に無くなったわけではありません( ̄ー ̄)ニヤリッ

昔、福井城の一部であった笏谷石(しゃくだにいし)は、
今でも福井市のいたるところで、見ることができます。

その一つが、JR福井駅東口の駐車場にある石です。
(車の駐車場と道との間にあるので、車が通り危ないので、
見学する時は、車やバスに十分注意しましょう)

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上の写真の中で、3つの大きめの石に模様が彫られているのがわかりますか?
この文様や記号は「刻印」と呼ばれいます。

この刻印には
工事に複数の石工集団が関わっていたため、持ち場の区分を表すためという説や、
石の所有者を表すためという説、
城主への忠誠心を表すためという説、など
さまざまな説がありますが、
刻印が何の目的でつけられたのかは、はっきりと分かっていません。

現在残っている福井城の本丸のお堀にも刻印が刻まれている石があります。
一度、探してみてください
新しい発見があるかもしれません(笑)


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笏谷石の井戸枠(5)四ツ井

まちづくり福井株式会社さんが2010年7月21日に発行した
「まちあるきとっておきスポット100選 ふくいまちあるきMAP」
をご覧になりましたか?

インターネット上でもご覧にならます。
ふくいまちあるきMAP
まちづくり福井株式会社「ふくいまちあるきMAP」のホームページ
まちなかとっておきスポット「まち歩きマップ」完成
まちづくり福井株式会社「まちあるき(歩くざふくい)」のホームページ

このMAPは、
まちづくり福井さんが市民の皆さんに、
「あなたがおすすめする まちのとっておきスポット100選」として
とっておきのスポットを募集し、
集まった情報をもとに作られたマップだそうです。

そのマップのスポットの一つに
「笏谷石(しゃくだにいし)でできた井戸」という項目があります。

28番「笏谷石(しゃくだにいし)でできた井戸」です。

私は、この井戸について知らなかったので
是非、見てみようと行って参りました。

印のある付近を「笏谷石(しゃくだにいし)でできた井戸」を求めて
探していたのですが、見当たらず、ぐるぐると回ってしまい、
少し不審者だったかもしれません

分からなかったので、近くにあるお店のご主人に井戸の場所を尋ねて、
ようやく見つかりました。
場所は、民家とマンションの間…
予想もしていなかった場所だったので、気づきませんでした
場所を教えてくださったお店のご主人、ありがとうございました。

ようやくたどり着いた場所にあった
「笏谷石(しゃくだにいし)でできた井戸」がこの写真です。
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「ふくいまちあるきMAP」には
「江戸時代に日之出御門そばにあった井戸。
福井城下の4つの井戸として福の井とともに現存する最後の二つ。」
と説明がありました。
その他にも、四ツ井についての説明をしている記事がありました。

「四ツ井(四ツ居)町の由来は諸説あるが、その1つに福井城付近に「福の井」をはじめ、
良い水の出る井戸が4つあり、4番目の井戸がその地にあったとの説がある。
一方、四ツ井は元は福井城近くの地名で、近辺に4つの井戸があり四ツ井と呼んでいたが、
築城の際、住民を移住させることになり、移った先が今の四ツ井(四ツ居)町になった
ともいわれる。」
という話が「福井新聞」のホームページの福井トリビアのページに載っていました。
福井トリビア「四ツ井のゆかり」福井新聞のホームページ

また、「四ツ井のおこり」というタイトルで、
「福井市に四ツ井(四ッ居)という町があります。市の中心部から少し離れていますが、
元は市の中心、福井城の近くにありました。
福井城には、よい水がたくさん出る福の井という井戸が四つありました。
この四つの井戸のあたりを「四ツ井」と呼んでいました。
ここへ福井城をつくることになったので、ここの住民を別の場所に移しましたが、
それが今の四ツ井(四ッ居)町となったということです。」
という昔話が福井市松本地区青年会「夢∞松」のホームページの「民話の部屋」という
ページに載っていました。
民話の部屋「四ツ井のおこり」
福井市松本地区青年会「夢∞松」のホームページ(おまけのお部屋)

この話に出てくる井戸と今回撮影した「笏谷石(しゃくだにいし)でできた井戸」は
関係があるのでしょうか?


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