笏谷石(しゃくだにいし)雑記帳

 『笏谷石を訪ねて』の HPを管理する
  稲葉デザインルームの笏谷石(しゃくだにいし)雑記帳です。
  笏谷石を通して見えてくる歴史や文化、
  そして福井市の“まちづくり”についていろいろ書いてます。

福井城の石垣のゆくえ

福井城石垣でモニュメント

JR福井駅西口広場に
笏谷石を使ったモニュメントができていました。
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福井中央ライオンズクラブが結成五十周年
記念事業として作られたそうで、
福井城や百間堀の石垣だった笏谷石を
使っているそうです。
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百間堀の解説や絵、
福井城周辺の絵地図などが
取り付けられています。
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福井城の石垣のゆくえ(5)足羽川の堤防

以前、神明神社の鬼瓦や棟石、
玉垣を再利用した壁の記事があったことを覚えていますか?

その記事を、鬼石や棟石、玉垣の再利用の工事に携わった
村上大理石の方が見てくださいました。
そして、笏谷石(しゃくだにいし)に関する情報をいただきました。
ありがとうございました。
神明神社(福井市)の神楽殿の棟石と鬼瓦「笏谷石雑記帳ブログ」
神明神社(福井市)の玉垣石「笏谷石雑記帳ブログ」
村上大理石株式會社「村上大理石株式會社」公式ホームページ

また、村上大理石さんは
笏谷石(しゃくだにいし)の石灯篭も製作されています。(2009年)
その石燈籠がある場所は、
足羽川の堤防で桜橋から幸橋の間です。(「リバーサイドすづや」さんがある側)
笏谷石(しゃくだにいし)の石灯篭と別畑石(福井の石)の石灯篭の
二種類の石灯篭が並んでいます。
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上の写真の手前にある石灯篭が笏谷石(しゃくだにいし)で
遠くに見える茶色い石燈籠が別畑石(福井の石)です。
この灯篭に使われた笏谷石(しゃくだにいし)は
地下駐車場建設時に出てきた、福井城の石垣を再利用したものだそうです。


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福井城の石垣のゆくえ(4)福井市スポーツ公園

福井市の安田町に「福井市スポーツ公園」があります。
屋外専用のスポーツ施設で、サッカー場や
ソフトボール用のグラウンドなどが充実している公園です。
福井市スポーツ公園「福ふくガイド」のホームページ
スポーツ公園の施設案内「福井市」のホームページ

この公園の駐車場にある低木植栽のあるスペースに
笏谷石(しゃくだにいし)が置かれています。
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石をじっと見てみると、石に刻印が刻まれていることがわかります。
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福井城の石垣で使われていた石が、
この様に、福井市スポーツ公園に置かれ再利用されています。
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福井城の石垣のゆくえ(3)佐佳枝廼社

福井市大手3丁目にある「佐佳枝廼社」を訪れたことはありますか。
春には大きな枝垂桜(しだれざくら)が咲き誇る神社で、
福井の方達に「さかえのみやさん」「さかえみやさん」と
呼ばれ、親しまれている神社です。
「福井が栄えるように」という願いを込めて
松平慶永(春嶽)が「佐佳枝廼社」と名付けたそうです。

福井藩祖である松平(結城)秀康、
その父、徳川家康、
福井藩第16代藩主松平慶永(春嶽)を祀っています。



この「佐佳枝廼社」には、福井城の石垣が再利用されている物があります。
それは、本殿の左側の奥にある大きな「御手水鉢」です。101118_01
この御手水鉢を見ると、
石垣に使われていた笏谷石(しゃくだにいし)の大きさに驚かされます。
当時、工事を行っていた人たちは、
どのようにして山からお城まで運んだのでしょう?


「佐佳枝廼社」にはもう1ヶ所、
福井城の石垣の石が使われている場所があります。

その場所は、
「佐佳枝廼社」の駐車場前の生け垣の石です。
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お近くにお寄りの際はこの石垣もよく見てください。
よくよく見ると刻印が刻まれていることがわかります。
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福井城の石垣のゆくえ(2)神明神社の常夜灯

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上の写真の常夜灯は「福井城之石」と書かれているように
福井城の石垣を使って造られた常夜灯で、
神明神社にあります。
以前は神社の正面に立っていましたが、
今は、別の石で造られた常夜灯に変わっていました。
以前の笏谷石(しゃくだにいし)の常夜灯は
神社の裏に並んで立っています

神明神社は、笏谷石(しゃくだにいし)の玉垣を参集殿の壁に再利用していたり、
神楽殿の屋根の棟石や鬼瓦が笏谷石(しゃくだにいし)で造られていたりと、
笏谷石(しゃくだにいし)の見どころポイントが多くあります。
神明神社の(福井市)の玉垣

ぜひ、訪ねてみてください。


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福井城の石垣のゆくえ(1) JR福井駅東口駐車場前

江戸時代の頃の福井市は、福井城を中心に4〜5重のお堀に囲まれた城下町でした。

1871年(明治4年)に廃城になり、本丸のお堀以外は壊されてしまいましたが、
それまでお堀に使われていた笏谷石(しゃくだにいし)たちは、
どこに行ってしまったのでしょう? q|゚Д゚|p
無くなってしまったのでしょうか?

いいえ、完全に無くなったわけではありません( ̄ー ̄)ニヤリッ

昔、福井城の一部であった笏谷石(しゃくだにいし)は、
今でも福井市のいたるところで、見ることができます。

その一つが、JR福井駅東口の駐車場にある石です。
(車の駐車場と道との間にあるので、車が通り危ないので、
見学する時は、車やバスに十分注意しましょう)

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上の写真の中で、3つの大きめの石に模様が彫られているのがわかりますか?
この文様や記号は「刻印」と呼ばれいます。

この刻印には
工事に複数の石工集団が関わっていたため、持ち場の区分を表すためという説や、
石の所有者を表すためという説、
城主への忠誠心を表すためという説、など
さまざまな説がありますが、
刻印が何の目的でつけられたのかは、はっきりと分かっていません。

現在残っている福井城の本丸のお堀にも刻印が刻まれている石があります。
一度、探してみてください
新しい発見があるかもしれません(笑)


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