笏谷石(しゃくだにいし)雑記帳

 『笏谷石を訪ねて』の HPを管理する
  稲葉デザインルームの笏谷石(しゃくだにいし)雑記帳です。
  笏谷石を通して見えてくる歴史や文化、
  そして福井市の“まちづくり”についていろいろ書いてます。

半石半木「九十九橋」の石のゆくえ

九十九橋のゆくえ(4)啓蒙小学校

「九十九橋のゆくえ」第4弾は
福井市の啓蒙小学校のシンボル、「不朽の柱」です。
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現在、啓蒙小学校にある橋脚は1本ですが、
説明文によりますと、
橋脚が購入された当時は2本あり、校門として再利用されていたそうです。
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説明文:
「九十九橋の脚柱
天正6年(1578)柴田勝家は足羽川に半石半木の
橋をかけその長さが99間で、九十九橋と名づけら
れた。この豪胆な石柱はその時の橋脚であったが、
明治42年改築の時校下の有志が、この偉容を永久
保存するために、2柱だけ購入され本校の校門とし
て寄贈された。しかし昭和30年福井市の要請によ
り1柱を郷土歴史館に譲渡した。
昭和50年啓蒙小学校開校を記念して、この石柱
を「不朽の柱」と命名!本校のシンボルとした。」

説明文にあるように、
もう片方の橋脚は郷土歴史館(現在は福井市立郷土歴史博物館)に寄贈されました。
福井市立郷土歴史博物館の常設展示で見て触ることができます。
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ぜひ、笏谷石(しゃくだにいし)に触れてみてください。

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九十九橋のゆくえ(3)九十九橋の欄干

九十九橋に使われていた笏谷石(しゃくだにいし)の欄干(手すりの部分)が
現在、どこにあるのかご存知ですか?


答え・・・・
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現在、写真のように福井市の浅水町のとある民家の塀のような形で使われています。
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約100M(55間ほど)残っています。

以前は公共の橋だった九十九橋の欄干が
このような場所に残っていることに驚きます。


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九十九橋の石のゆくえ(2)柴田神社、北の庄城址、柴田公園

柴田神社、北の庄城址、柴田公園がある場所は、
戦国時代、織田信長の家臣であった柴田勝家が建てた
「北の庄城」があったとされているところです。

賤ヶ岳の戦いで、羽柴秀吉に敗れた柴田勝家は、
妻であるお市の方と共に、
ここ、北の庄城で自害したことは、有名です。

この北の庄城址の一角に、九十九橋のレプリカがあり、
笏谷石(しゃくだにいし)の部分と木の部分がある
半石半木の橋の姿を見ることができます。
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このレプリカに使われている笏谷石は(しゃくだにいし)は
実際の九十九橋に使われていた笏谷石(しゃくだにいし)です。
当時の九十九橋の姿が忍ばれますね

九十九橋のレプリカの隣には、北の庄城址資料館があるので、
そちらも立ち寄ってみてください
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資料館の中には、外にある九十九橋のレプリカにはない、
九十九橋の「橋脚」が展示されています。
説明によると、
「橋脚の長さは場所によって異なりますが、2.5m〜2.8mと推定されている」そうです。
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北の庄城址内には柴田勝家とお市の方の「辞世の句」が彫られた
笏谷石(しゃくだにいし)で造られた句碑があります。

「夏の夜の 夢路はかなき跡の名を 雲井に揚げよ 山ほととぎす」柴田勝家
「さらぬだに うちぬる程も夏の夜の 夢路誘う ほととぎすかな」お市の方

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この石の大きさは九十九橋の石に似ていますが、
九十九橋の石とは関係ないのでしょうか?
ご存知の方は教えてください?


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九十九橋の石のゆくえ(1) 黒龍神社

福井市に流れる足羽川にかかる九十九橋は1909年(明治42年)に架け替えられるまで、
戦国時代の武将、柴田勝家が造らせたとされている奇矯の一つでした。

なぜ、奇矯と呼ばれていたのかといいますと
九十九橋は、南半分が石造り、北半分が木造の橋という
少し変わった橋だったからです。

九十九橋が半石半木の橋になった理由は、
「福井の城下町に近い北側を壊し易い木造にすることで、
敵の侵入をしづらくするため、この構造を採用したと言う。
また、後に架け直す際も容易であることから。」
という説や、
「当時、足羽川は河川敷の北側を流れていたため、
石造りにすると橋桁の数が多くなり、川の流れを妨げる虞があった。
そこで、加工のしやすい木材で橋を架けることにより、
橋桁の数を減らすべく、木造にしたとのこと。」
という説があります。
Wikipedia(ウィキペディア) 九十九橋 より

半石半木の頃、橋に使われていた笏谷石(しゃくだにいし)は、
福井のあちこちに残されています。
これから、随時ご紹介していきます。
その一つが毛矢黒龍神社の階段の横にあります。
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看板の説明文には
「福井市内を流れる足羽川に掛かる橋に九十九橋(大橋)がある。
北ノ庄城主柴田勝家が本格的な架橋工事を行った。
橋の構造は北側部分が板橋で、南側部分が石橋であり、
半石半木の奇矯として天下に名高い。
この橋脚は、明治四十二(一九0九)年に、木造橋として
架け替えられた際、取り壊された橋脚の一本である。」
とあります。

説明文には橋脚と書いてあります。
でも、この形は、橋梁ではないのかな、
と思うのですが、どうでしょう?

その他の九十九橋の石のゆくえをご存知の方は
情報をお寄せください!


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