2006年09月05日

「なんで屋@滋賀」閉鎖のお知らせ。

学生時代に始めて、かれこれ2年ほど続いたこのブログですが、
本日を持ちまして、閉鎖することになりました。

というのも、なんで屋関連のブログはたくさんあるけれど、
ひとつひとつのブログがバラバラで、盛り上がりもいまいち。
ひとりで更新してると頻度も落ちるし、固定客もつきにくい。

ってことで、関西のブログ管理者で協力して、
ひとつのブログを運営していこうじゃないか!!
という提案があって、それに合意する形での閉鎖です。
(いえしまは病気なんじゃないか、なんて噂を流さないように)

今後はどこかのブログを母体にして、
そこの管理者権限を使わせてもらう予定です。
(いまんとこ、男塾のブログかなぁ〜)

決まり次第、この記事を編集する形でお知らせします。
長らく読んでいただいた方などおられるかもしれませんが、
なにとぞ新しいブログのほうをよろしくお願いします!!

*ただ、「るいネット」はじめ、
他ブログへトラックバックしたりしているので、
このブログ自体は残すつもりです。
コメント・トラバ拒否の形で残しますので、
よろしくご了承願います。

  

Posted by ieshimanaoki at 02:00

自民党総裁選がなんでこんなに話題になるねん。

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(←自民党本部。地味やな笑)

 

9月1日に安部官房長官が正式に出馬表明して、
麻生外務大臣、谷垣財務大臣と合わせて3候補が揃った。
今月末には現総理の小泉さんと交代することになる。

生徒の中にも「次の総理は誰になると思いますか?やっぱ安部?
なんて聞いてくる子もいるけど(これぞ社会収束か…笑)、
そんなことよりも(だれが次期総理になるか、よりも)
中学生が興味を持つくらい話題になってるのが凄い

だって自民党の総裁選やで?
衆議院選と勘違いしてる子も絶対たくさんいるはず。
ぼくら一般市民は投票はないし、
そもそも自民党のトップを決めるだけの選挙。
民主党やったらこんだけ騒ぐか??

なんだかマスコミのヒートアップ具合に、
前回の小泉選挙を思い出すのは僕だけだろうか。
恐い、恐い

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Posted by ieshimanaoki at 00:46Comments(0)TrackBack(0)最近のニュースから。 

2006年09月04日

期待を重いと感じるのはなんで??

最近は「期待されるのがイヤ」って人が増えてる感じがする
生徒を見てても思うし、
責任が増えるのがイヤ→だから正社員ではなくバイトという
話をするフリーターを見てても思う。

この事例を切開するのにはいろんな視点があると思うけど、
今回は「」という観点から考えてみたいと思いまっす


普通は、期待されたらやっぱり嬉しい。
(実感でも分かるし、全く期待されない状況が嬉しいなんて人はいない

しかし、それを”重い”と感じてしまうのはなぜなのか?
それは意識が内向きになっているからではないか?と思う。
そもそも人類だけでなく、全ての生物に共通して、
意識(=脳活動)とは外部を認識するためにある。

外敵を察知したり、エサを探索したり、
あるいはそのために気候などの「外部」にアンテナを巡らせている。
つまり、自分の外側を対象化しているとき、
それ(つまり脳のことね)はもっとも活性化するといえる。

人間だって生まれてすぐに外部を認識し始め、
(胎児でも耳=聴覚は作動してるから、生まれる前からとも言える)
その後、どんどん感覚機能・認識機能は鋭敏になる

そして死に近づくと外部認識(外識)機能は低下していく。
これは肉体的な老化現象であると言えるが、
期待を”重い”と感じてしまうのも、
相手の外圧や状況がつかめなくて、脳が活性化しないからでは?

自分の内側に閉じこもる限り、脳は活性化しない。
つまり、期待を感じ取ろうとしない限り、自分の活力すら下がる。

最近は脳の活性化系のアイテムが流行ったりしてますが、
そんなん買ってるヒマがあるなら、
周りの期待を感じ取る訓練をしたほうがいいと思うね
まじでまじで。

  

Posted by ieshimanaoki at 13:25Comments(1)TrackBack(0)「共認」とは? 

2006年09月01日

深呼吸をしてみれば…。

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(←ミスにはまず感謝のトレーニングから)

さてさて、夏の講習も終わってしまいました☆
長かったような、短かったような。
その中で、印象に残ったやりとりがあって、
ここではそのことについてちょっと書きます

さて、その日もいつものように授業前に宿題を集めたんですが、
毎回毎回、赤ペンで直した答えが間違ってる子がいる。
別段、反抗的な子でもなくて、
前回注意した時も、申し訳なさそうに頭をかきながら、
すいません、ちゃんとやったつもりなんですが
って言うから、「おう、次回はちゃんとやれよー
くらいで済ませてたんです。

が、その次の回に宿題を集めると、また違ってる
それも5箇所や6箇所ではきかないくらいの数!
なんでこういうミスが繰り返されるのか、
以前誰かに聞いたのは、「無意識の領域が多いから」というもの。

つまり、人間誰しもミスをしたいなんて思っていない
それでもミスをしてしまうのは、うっかりだったり、勘違いだったり
つまり、自分の意識していない部分で起こる。
では、その無意識の部分で起こるミスをどう防ぐか。
あるいは、どうやって認識するか。

人間には無意識下で判断し、動いていることがたくさんある。
例えば心臓は勝手に動くし、免疫だって勝手に作動する。
じゃあ、心臓の動きは全く制御できないかっていうと、そうではない
一流のスポーツ選手は重要な場面で最大限の力が発揮できるよう、
常に自分の体のコンディションを調整できている。

では、そうすれば無意識の世界を意識できるか。
その2つの領域をつなぐのが、実は「呼吸」。

呼吸というのは無意識下でももちろんできるが、
意図的にコントロールする事だって出来る。

そこで、この呼吸を意識するのが最も効果がある。
つまり、深呼吸ができるかどうか
自分の呼吸を完全にコントロールできれば、
大きく深い呼吸で心拍数を下げることもできるし、
小さく浅く吐くことで緊張感を高め、集中することだってできる

古武術をしている人なんかは、自分がそのように歩いているか、
あるいは自分の歩き方が昨日とどう違うか、認識できるらしい。
イチローなんかも、自分のスウィング・スピードが、
昨日より0.02秒早いとか遅いとか、認識できるらしい。

だからこそ自分のフォームを一定に保つことができるし、
あるいは小さな改良を加えることだって出来る。
まずは自分が「なんとなくやってしまうこと」を意識化に上げる。
そうやって認識する力は、どんな場面でも活きるのではないだろうか?

宿題が出来ない子だけではない。
僕もまた、きっちり呼吸をコントロールできるようになろう。

  

Posted by ieshimanaoki at 02:20Comments(0)TrackBack(0)授業報告 

2006年08月28日

大原御幸

京都に寂光院というお寺がある。
京阪の終点、出町柳からバスでいける。
少しさびれた感じで結構好きだったが、今は改築されたらしい

健礼門院徳子こと、平徳子が隠遁生活を送ったことで有名だが、
ほとんどの人は知らない(京都に寺は山ほどあるし)。
今でこそ市内から車でものの数十分だが、
昔はやはりそれなりの山奥だったろう。


さて、なんでこんな話を持ち出したかというと、
今回、中3の国語のテキストに平家物語が出てきたから。
平家物語といえば、「祇園精舎の鐘の声…」とくだりは有名で、
この冒頭部分を知らない人はいないんじゃないかと思う。

けれど、誰も平家物語の結末部分は知らない。
僕自身、一度だけ平家物語を読んだことがあるが、
(たしか高3の夏休みだった気がする
すっかり忘れてしまっていた

古文の原文が読めてなかったからなのか、
あるいは読めたけど忘れてしまったのか。
ともかく、ダブルプレーのように何も残らなかった笑


で、それを改めて知ったのが(ヘンな表現やなぁ)、
今回のテキストを予習していたときだった。

平清盛の娘として、平家の隆盛と共に栄華を極め、
最終的には天皇の母という最高の位まで上り詰めた平徳子。
しかしその栄華は、平家の凋落と共に失墜して、
壇ノ浦で水泡と化してしまう。

壇ノ浦で入水自殺を試みた徳子だったが、
運良く(というか運悪くというか)、
敵方の源氏の武将に助けられ、一命を取り留める。

そして平家一族のほとんど全てが処断されながらも、
徳子ら女房は京都は大原の寂光院に幽閉される。
そのワンシーンが今回のテキストのくだり。

庭で枯葉を踏みしめる音が聞こえたので、

「没落した自分に手紙を送る人なんていないし、
 ましてや訪れる貴族なんてまったくない。
 だれがやってきたのだろう?」

といぶかしんで、女房に見てもらったところ、
涙を抑えながら女房は次の歌を読む。

「岩根踏み 誰かは訪はん 楢の葉の そよぐは鹿の わたるなりけり」

没落して寂しい身を訪れてくれたのは誰だろうと思ったけど、
それは鹿であった

というストーリー。
そしてこれに続くのが、平家物語のクライマックス
「大原御幸」である。

訪れる人なんて誰もいない、という寂しい和歌は布石で、
そんな山奥の寂光院まで、
わざわざ没落した時子を訪れる人がいたのである。

それはなんと、時の最高権力者・後白河法皇。
時子の変わり果てた姿に驚く法皇に対して、
時子は涙ながらに、これまでの平家の栄華の始終、
そして没落し、壇ノ浦で向かえることになった地獄を語る。

そして別れを惜しみながらも、去っていく法皇。
そんなシーンで平家物語は幕を下ろす。

まさに諸行無常というテーマが一番似合うシーン。
しかしそれも、背景を知らないと全く意味がわからない。

そんな背景をどれだけリアルに伝えられるのか。
国語の授業は、そのあたりで決まる気がする。
生徒の同化能力の貧弱さを嘆くんじゃなくて、
「どうやったら伝わるか?」
そんな工夫をしていきたい。

…しかしやはり、誰かに伝えたいと思うからこそ、
たくさん調べるし、工夫もこらすもんだと実感。
共認欠乏が可能性探索に向かうことで、
実現基盤も生まれてくる!!
そこにまっすぐ向かっていきたいですね☆

 

  

Posted by ieshimanaoki at 23:19Comments(0)TrackBack(0)知識事項(国語) 

2006年08月25日

惑星の数は8個で落着。

今日のニュースより↓

太陽系惑星8個に 冥王星を除外 国際天文学連合が決定

 太陽系の9番目の惑星とされてきた冥王星が“降格”され、太陽系惑星が8個になることが決まった。チェコのプラハで開かれた国際天文学連合(IAU)総会最終日の24日、「太陽系惑星の定義」ついて投票による採択が行われた。採択された新しい定義では、太陽系惑星は水金地火木土天海の8個に限定される。1930年に発見された冥王星が惑星の地位を失ったことで、太陽系の姿は76年ぶりに書き換えられる。
 採択で承認された太陽系惑星の定義は、(1)太陽の周りを回り(2)自己の重力で球形となった天体で(3)軌道上で他の天体(衛星を除く)がないこと−と規定している。
 この条件をすべて満たすのは、太陽に近い方から、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星の8個だけ。(3)を満たしていない冥王星は、小さな惑星を意味する天体として新たに定義された「矮惑星(ドワーフ・プラネット)」の1つとなる。
 冥王星は、細長い軌道の一部が海王星と重なり、他の8惑星の公転面に対して大きく傾いている。このため、多くの研究者が科学的な知見から「惑星とするには無理がある」としていたが、IAUは1999年に「惑星としての地位に変更はない」と発表した。
 しかし、海王星や冥王星より外側のカイパーベルトと呼ばれる太陽系外縁部で、次々と新しい天体が発見され、その1つの「2003UB313」は、冥王星よりも大きいことが判明。米航空宇宙局(NASA)が昨年夏に「第10惑星」と発表したことがきっかけで、惑星の定義がIAUで改めて議論されることになった。
 今月16日には、冥王星を惑星にとどめたうえで3つの天体を新たな惑星とする「太陽系12惑星案」が提示されたが、研究者の反対が続出。IAUは一転して、冥王星を外す「8惑星案」での決着を目指した。
 最終的な決議案には、8惑星を「古典的惑星」として冥王星などを「古典的ではない惑星」と解釈する道も盛り込まれたが、研究者による投票の結果、科学的にも明解で惑星の定義がシンプルな「8惑星案」が、多数の賛同を得た。

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太陽系はシンプルに8個に

受験生は要チェックのニュースですね。

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Posted by ieshimanaoki at 13:10Comments(0)TrackBack(0)最近のニュースから。 

2006年08月22日

イスラエルとキリスト原理主義。

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(←イスラエルの国旗。)

昨夜、ケーブルテレビのニュースを見てたら、
中東での戦闘の様子が映像で流れていた。
こういうニュースで流れる兵士の顔を見ていると、
自分の緊張感のなさを痛感してしまう
(僕はマシンガンを撃つぐらいの覚悟で事にあたってはいない

共認圧力の全てを、対象化できてはいないんだろう。
ニュースに出てくる兵士くらい、圧力を感じないと。。。


しかし、ここ最近の戦闘のニュースはほとんどが中東だ。
そしてその多くに絡んでいるのが、今回の本題・イスラエル。
前回は星の話だったので、今回もその流れで

特に、今話題になっているイスラエルのレバノン侵攻について、
ニュースを振り返って、流れをまとめてみた。
大まかな流れは以下のとおり。

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イスラエルは今年7月12日、
イスラム教・シーア派系武装勢力ヒズボラの攻撃に対する報復として、
隣国のレバノンに大規模な空爆を行った。
1982年のレバノン内戦なみのイスラエルの軍事行動に、
中東諸国は色めき立った。

26日には停戦を監視していたレバノン暫定国連軍の施設が空爆され、
中国人職員4名が死亡した。
中国政府は激しく抗議し、
国連によるイスラエルへの非難決議を提案したが、
アメリカの反対によって実現しなかった。

8月3日、レバノン政府はイスラエルの空爆で
900人以上が死亡、3000人が負傷したと発表した。

8月5日、国連安全保障理事会(国連安保理)で停戦決議を提案。

8月11日、停戦決議案を決議。イスラエルも停戦に合意。

8月19日、イスラエルがヒズボラ拠点を空爆。

8月20日、国連のアナン事務総長がイスラエルに対し、
「国連決議違反だ」と批判。
---------------------------------------------------------------

普通に考えても、国際社会を敵に回して、
なぜこれほどの軍事行動ができるのか疑問が出てくる
さらには、それに対する国連の動きの鈍さ。
停戦の決議までに大きく時間がかかっている。

そこにからんでくるのが、やはり今回もアメリカなわけだ。

現在、政権をとっているブッシュ大統領は共和党だが、
アメリカにおける共和党とはどういう存在なのか?

共和党とはネオコンとか新右翼と呼ばれる、
いわゆる新保守主義を掲げた政党である。
新保守主義とは、
経済面では、自由な企業活動・規制緩和を推進し、
外交面では、軍事力の強化とイスラエル支持を全面に打ち出す
という特徴をもっている。

民主党のリベラルに対抗するかたちで、
共和党がキリスト教的な価値観を重視するようになったのは
1970年代後半以降のことだ。
当時の共和党は、金持ちと軍事産業などから支援されていた

昨年からのイラク戦争では、米占領軍政府が、
キリスト教右派勢力に対するイメージ戦略ではないかと感じられる
いくつかの政策を行っている。
その一つは、今年4月末に制定されたイラクの新国旗である。
この国旗は、白地に青色の三日月が描かれ、
その下に2本の青・黄・青の順番に3本の線が入っているもので、
イラク人たちは「イスラエルの国旗を想起させる」として猛反対した

キリストの再臨とアメリカの政治

↑というように、
キリスト教原理主義→軍産複合体→軍備強化
         →イスラエル擁護(親ユダヤ・反イスラム)

つまり、ユダヤとキリスト原理主義と軍産複合体。
この3つが連結した組織といえる。
(軍産複合体に関しては「軍産主義・アメリカが戦争を欲している」

中東の騒乱の裏に見え隠れするアメリカの存在。
もう少しまとめて、追って投稿します。

(追記のヤフーニュースもぜひ参照を)

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参考投稿:アイゼンハワーの警告:軍産複合体の台頭

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2006年08月18日

靖国神社参拝問題。

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(←東京千代田区・靖国神社)

お盆は久々に滋賀の実家に顔を出しましたが、
(本当に「顔を出した」程度でしたが…
みなさんは墓参りなど済ませられたでしょうか??
墓参りのときに近くから拍手(かしわで)を打つのが聞こえてきて失笑した、
なんて話も聞きましたが笑

さてさて、拍手つながりで今回は神社の話。
お盆で神社といえば、やはり靖国(やすくに)神社の問題でしょう。

靖国神社とは、明治時代に作られて、
日本国を守るために死んだ戦死者を追悼する
施設として、最大級の神社(写真を参照)。

かねてより時の天皇、首相が参拝していたが、
これがアジア各国との重要な外交問題に発展したのは、
太平洋戦争以後である

太平洋戦争での戦死者もまた、
通例どおり靖国神社に祀られているわけだが、
「太平洋戦争で被害にあった」国 -特に中国・韓国・北朝鮮- は、
日本の政治に関わるものが、そういった戦死者を追悼するのは、
戦争を正当化し、侵略を認めるものだとして不快感を示している。

特に今年は、小泉純一郎首相が8月15日(終戦記念日)に
靖国神社を参拝したことから波紋を呼び、
国内でもが分かれて議論になっている。

特に最近の意識潮流として、「愛国心」に向かう流れから、
小泉首相の行為は日本のために戦死した戦没者を悼む、
まっとうな考え方だとする人も多いようだ

しかし、この問題は大きな外交問題であることも忘れてはいけない
つまり、靖国神社参拝は中国を始めとする
アジア各国と距離を取るという姿勢を明示してるし、
それはつまり、アメリカとの友好を深めることを意味する。

もちろん、小泉首相は一貫した親米派
というかアメリカという国と血縁関係でもあるんじゃないか
 ってほどベッタリなのは周知のとおり

であり、自由主義・資本主義の崇拝者である。

という事実まで視野に入れるとすると、
日本のことを想う故に(=戦没者を悼むが故に)参拝する
というより、「アメリカへの忠誠を誓うが故に参拝する」と言える。

このブログでも、
自由主義的な歴史観、及び市場絶対・個人絶対という思想が
いかに様々な問題を呼ぶかは書いてきた通り

となれば、小泉首相の靖国参拝は愛国どころか、
売国であるとすら言えるのではないか。

そんなことを考えながら、
お盆に墓参りをしない僕も、たいがいやなぁ」と、
心の中で手を合わせておきました笑

しかし、本当に死者を悼むってのは、
形が大事なんじゃなくて、忘れない気持ちなんじゃないかなぁ、
なんて思ったりしています。。。


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Posted by ieshimanaoki at 22:11Comments(2)TrackBack(0)最近のニュースから。 

2006年08月17日

レトロ・ウイルスのように。

お盆休みを利用して、いつもは行かないような本屋に行ってみました
露店をやっていた頃から、その場所を知るのに本屋をよく利用した。
趣味でやってるような本屋はともかく、チェーン店などは、
かなり細かいマーケティングで運営してるから、
品揃えから逆算すれば、大体の年齢層や性別、
商業立地か住宅立地か、よく通る人の層などが分かる

さて、今回行った本屋はやけにコミックと受験関連書籍の多い、
明らかな学生メインの本屋さんでした。
そんな中で今回僕が手に取ったのは、
村上 龍 著の「ヒョウガ・ウイルス」という小説。
村上龍の本はなかなかグロいのが多くてあまり好きじゃないけど、
(「限りなく透明に近いブルー」なんて最後まで読めなかった
「希望の国のエクソダス」がなかなかよくて、
それ以降は立ち読みでチェックしている

で、その「ヒョウガ・ウイルス」だが、
舞台は架空の世界で、
第2次世界大戦で本土決戦に挑み、
米・英・露・中に分割統治されることになった日本。
そして地下に潜って国連軍にゲリラ戦を展開する旧・日本国軍。

そんな中、九州で謎のウイルスが流行し、
アメリカは経済封鎖の一部解除と引き換えに、
日本国軍にその「処理」を依頼するというストーリー。

この本が面白かったのは、ウイルス免疫系の知見が深く、
ウイルスの進化の話(危機→進化)や
免疫のシステム(実際の戦争と似ている、という描写が分かり易い)、
あるいは神経系や伝達物質の描写がリアルな点

そしてそれに引き付けて、
このウイルスに感染して生存するためには、
「危機感を日常的にエネルギーにかえていたかどうか」が
問われるというストーリー。

ウイルスが逆境発で進化することと、
人類はそれに耐えれるのか、というメッセージが印象的。
(人が死ぬシーンはやはり刺激が強いが…)


最近のテーマは「進化」。
追求すると面白いテーマです。

参考投稿:
進化史を再考☆
進化=弱肉強食という歪んだ思想

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Posted by ieshimanaoki at 18:09Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月13日

進化史を再考☆

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(←チャールズ・ダーウィン、1809〜1882)

前回投稿の最後に、

進化史を学ぶことは社会の認識の仕方にも関わる、と書いた
今回はその「進化史」と「社会を分析する」ということについて

そもそも、進化論が最初に登場したのは
それまでは全ての生物は神が創ったと真剣に考えられていた−、
1859年にダーウィンが「種の起源」を出版した時である
(もちろん教会側は大反発し、後にダーウィンは
神を追放した3人」に数えられることになる)

そしてそういった生物進化の法則を、
社会考察にも転用できないか、と考えたのがスペンサーである
スペンサーは進化を単純なものから多様なものへと、
定方向に進んでいくものだと解釈し、
それを前提にして、人間の文化も未開→文明へと、
(つまりは下等から高等へと)進化していくものだと考えた

そしてそういった多様性の獲得こそが進化の目指す先だとする考えは、
必然的に自由主義、個人主義(人それぞれ)へと帰結する。
これを、社会進化論と呼ぶ。

その後、2度の世界大戦前後にこれらの思想は隆盛を遂げ、
民族浄化を唱えたゴルドンの優生学や、
適者生存・優勝劣敗・弱肉強食が正当化された。

もちろん現代において、これらの思想に学術的価値はなく、
歴史研究の対象となっているに過ぎない

しかし、これらの社会進化論的言説を唱える、
一部の評論家、政治家、マスコミ関係者はいまだに残っている。
有名なラインでは小泉純一郎や竹中平蔵はその代表だろう。

こういった思想がまかり通れば、
アメリカ的自由主義は進むばかりだし、
なにより事実に基づかない思想を振り回し、
社会を差配していくのは危険な行為である

生物史・進化史を追求し、何が自然の摂理なのかを、
もう一度、真剣に考え直すべきときが来ているのではないだろうか。

参考:ウィキペディア「社会進化論」

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Posted by ieshimanaoki at 00:01Comments(0)TrackBack(0)

2006年08月12日

久々の投稿になりました!

夏の講習は生徒も大変だが、講師も大変…苦笑
お盆を前にして、ようやくの更新です
お盆の間に投稿を書き溜めて、小出しにしようかなぁ、
というのも考え中です笑

さて、先日11日には本格思考を鍛え上げる!「本格コース」の
夏期特別講座
が開催されました
各教室ではなく、本部開催であるにもかかわらず、
広範からたくさんの参加者が来てくれて、大いに盛り上がりました!

内容は「進化史の謎をひもとく!」。
第3回をむかえた今回は、「肺魚」→「両生類」の部分。
みなさんは"肺魚"を知ってるでしょうか??

シーラカンスを思い浮かべてもらえばいいのでは。
いわゆる、生きた化石である。

肉食魚類に追われて海水から淡水へと逃避した淡水魚は、
今度は肉食淡水魚の登場によって危機的な状況に曝される。

そんな中、やむなく水が無くても生きていける機能を特化させたのが、
肺魚を代表とする魚類である
肺やヒフでの呼吸を進化させ、
なんとか肉食淡水魚の来れない浅瀬で生きのびたのである。
ここから、両生類が誕生していく

その詳しい内容については、
子どもたちが類塾ネットに投稿してくれているのでゼヒ!
進化史を読み込むことは、社会考察にも重要ですよ!

進化
肺魚⇒両生類⇒爬虫類
肺魚についてまとめ♪<特長>

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Posted by ieshimanaoki at 20:12Comments(0)TrackBack(0)

2006年07月30日

漢字ることから始めましょうか☆

今回の夏の講習では小学生の国語を教える機会も増えましたが、
小学生が苦労するのは、なんといっても漢字
漢字の読み書きの授業のときなんか、あからさまに嫌そうな顔する
(…というか、もう大声をあげるときだってある

まぁ、たしかに物語や小説は主人公に同化したり、
情景描写を楽しんだり、せりふを感情込めて音読して、
みんなで楽しくやることだってできるけど、
漢字だけはもう、淡々と演習して、
つぎまでに覚えておくんやでー」で終わったりすることもある。

そんなんはやっぱり面白くないし、
「えーっ!?」といわれても仕方がない。

そんな漢字演習の最中、ある男の子が謎の漢字を書いていた
サンズイに欲と書いてある。
「漢字を作ったらアカンで〜笑」と軽くツッコむと、
「うーん、カイスイヨクヨクやろー?
 泳ぐからサンズイにして、ヨクやから欲にしたんやけどなー」
とのこと。

あっ、と思った。
全く同じことを、
僕も(確か)小学生の頃にやったてたことがある笑
(通知簿に「漢字を勝手に作るのはやめましょう」と書かれた)

確かに漢字にも一定の法則がある。
ヘンは例えばカイヘンだと、購・財・賭などなど、
お金に関する漢字が多い。
これは昔は貝がお金の代わりに使われていたからだが、
こういうことを知ってると、漢字を想像できる。
漢字=覚えるもの、決まりきってるもの
だと、考える余地が無いし、工夫なんてしなくなる

でも、漢字にはちゃんと起源があるし、作られた過程がある。
それを逆算してみると、いつもと違った面白みが出る気がする

今回は板書に大きく「」と書いて、
「おっ、見て!走ってるし!!」
って言うたらバカ受けしてた笑

充足イメージや実現イメージって言うように、
イメージするためには潜在思念を豊かに開かねばならないし、
それこそ「想う」という漢字どおりの行為なんじゃないか
って感じる。

まずは、漢字る(=感じる)こと。
そこからはじめよう☆なんてね笑

参考ページ:道草学習のすすめ

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Posted by ieshimanaoki at 03:49Comments(0)TrackBack(0)知識事項(国語) | 授業報告

2006年07月29日

夏の講習が始まりました。

学校が夏休みに入り、塾もいよいよ夏の講習がスタート!
受験はもう始まっている!」のキャッチフレーズと共に、
中3生たちは気合が入っていきました
朝から部活やって、昼〜夜は塾というハードスケジュールにも、
「先生、顔洗ってきていいですか!?」と
「がんばろう!」という気合を見せてくれてます。

私権が崩壊して、いい大学→いい生活に魅力がなくなった今でも、
みんなで一緒に頑張る感や、成長したいって想いを活力源に、
課題に同化している姿には頭が下がる思いだし、
たとえ年下でもかっこいいなと思わされます。

そんな生徒に負けないように、講師も気合入ってます!

しかし、その気合が空回りというか、
先日は授業開始早々、宿題忘れたのにふてぶてしい態度の生徒を
思い切り怒鳴りすぎて、その後の1時間、
異常な沈黙の中で授業するハメになりました…

なんか違ったなぁ、ということで、
いろんな人にアドバイスを受ける中で出てきたのが、
「怒るよりも先に、なんで宿題するの?があるんじゃないか」
ってこと。

そういうアドバイスを聞いてるうちに、
イライラ感もどこかに吹き飛び、
「もしかして転換してもらう可能性やったんかなぁ」
と思うようになり。。。

そんなこんなで、次の宿題を出さない子が多い授業では
「宿題やるのは何で?」を丁寧めに説明してみた。
―里僚病蠅論萓犬澆鵑覆嚢佑─⇔られ、洗練されている。
△海譴鬚笋襪世韻農簑弌点が取れる問題ばかり。
もっと勉強したい人は、その問題が選ばれた理由を考えれば、
 それはそのまま実力になるし、勉強が嫌な子にとっても、
 最小限の時間で最大限の成果が出る宿題は一番のツール!!

↑といった展開をしてみた。
そのトーク中もあまり集中できてる様子ではなかったが…
しかし、今日!
昨日忘れた宿題を持って、見せにきてくれた子が2人に、
自習室で頑張ってやって帰った子が1人。
まだまだこれからですが…
やっぱ課題を共認するって大事やし、
それが命脈だって思い知らされる一件でした

  

Posted by ieshimanaoki at 23:50Comments(0)TrackBack(0)授業報告 

2006年07月21日

「私」って誰??

今日は人称代名詞の授業。
普通の導入にも飽きてきたので、
今回はでかでかと"I love you"と板書してみた。
(面白いことに、みんな注目してヒソヒソ話し出す笑)

で、「○○くん、こんな手紙が机に入ってたら嬉しい?」
→「えっ、そりゃまぁ…(モゴモゴ)」
なんてやりとりに、周りもクスクス。

「嬉しいよなぁ。じゃ、どうする??」
→「まぁ、とりあえず返事するわ

「おう、誰に?」
→「誰にって…あ!分からへんわ

「せやなぁ!『私』って言われても、誰やねんなぁ。」

「ほんまは名前がある女の子なんやけど、
 それが分かりきってる時は、簡単に言い換えられる。
 『』とか、『あなた』とかな。
 英語で言うたら"I"とか"You"やな。」

「これには約束事があって、初めて出てきたときには使えへんねん。
 いきなり使ったら、さっきの手紙みたいになるやろ?」

最終的には「既出のものは代名詞に置き換えるのが普通」という
根概念まで持っていったんやけど、定着したかなぁ?
これを押さえれば、

What is Mr.Ito doing in the park?
He is playing soccer there.

という疑問詞を使った疑問文の答え方も身に付くし、
応用できるようになれば、

I lost my pen. Where did I put it.
I lost my pen. I'll buy a new one,

の違いも理解できる。
(なくしたペンと同じなら既出なので代名詞it、違うならoneを使う)

代名詞は普通にやったら復習単元やから淡々と進んでしまう。
「根概念の確認・定着→新たな気付き、法則性の発見」
ができれば、きっと充足度もアップ

気付きのある授業ができたかなぁ??


生徒からの今日の「なんで?」
the other と another の違いって何?
不定代名詞の説明でOKやった!

付加疑問文の答えかたが意味不明。
→これもポピュラーな質問。次回、投稿します!!

 

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Posted by ieshimanaoki at 02:36Comments(0)TrackBack(0)授業報告 

2006年07月20日

本当の期待は「祈り」につながる。

初期人類は常に飢えの恐怖にさいなまれ、
虫を食べたり、他の動物の骨髄や脳みそを食べていた、
というのはすでに触れた

そして同時に、化石からは同類の骨も砕かれた跡があった
つまり、人類は同類(要は人間ですね)を食べていた、
というのはどうやら事実らしい。
いわゆるカニバリズムである。

とは言っても、仲間を殺して食べていたわけではもちろんない
圧倒的な外圧状況の下で、仲間を殺すなんてできるわけが無い。
生まれたときから一緒であり、充足を与え合う存在であり、
共に戦う仲間であったのだから

食べていたのは、死肉であったと考えられる
現代人の感覚で捉えれば、「気持ち悪い」「かわいそう」という
感覚が生まれてくるように思う

しかし、当時の人類からすれば、
共に苦難を乗り越え、充足を分かち合った仲間に対して、
死してなお役に立てる(自分の肉体が文字通り仲間の命になる)
ということは、何よりの充足感があったのではないだろうか

そこには、本当の意味での期待−応合関係があったように思う


そしてそういった仲間に対する共感・同一視を母体にした
共認回路を、人類は自然に対してもまた使い始める。
自分達だけではどうにもならない自然外圧に対し、
全面的に委ね、期待した。
それは「期待」というよりも
祈り」といった方が伝わりやすいのではないだろうか

現代人にはなかなかそのような感覚は想像できないように思う
しかし、たとえば身内が交通事故にあったときなど、
自分では「どうにもならない」「どうすることもできない」状況で、
ただ「無事でいて欲しい」「生きて欲しい」と祈る。
その期待には自我はまったく含まれないのではないだろうか。
それに似た感覚のように思う

そうやって肯定的に自分たちの置かれた状況を丹念に読み解くとき
その背後に「何か」を見たんだろう。
それは精霊だったかもしれないし、法則性だったかもしれない。

ともかく、その「何か」を唯一の手がかりにし、
皆で共有し、可能性へと収束していった。

なんだか、ようやくリアルに始原人類を感じた気がする。

  

Posted by ieshimanaoki at 01:33Comments(0)TrackBack(0)実現論を読む! 

2006年07月19日

不定代名詞について。

anotherってのは、an other がくっついて一語になったもの。
つまり、the otheran other の違いを抑える必要がある。

the…定冠詞。指差しのthe。「(指差しながら、)この」とか、
   「(ほら、今話していた)その」といった意味がある。
   限定されていることを表す。

a/an…不定冠詞。「ある〜」とか「(なんでもいいから)その」
   といった意味がある。限定していない。

-----------------------------------------------------------------------------------
★「残りひとつ」は特定できる。

だからボールがふたつなら、

○ →     ● 
one → the other

一個目はone「ある」、もう一方はthe other「他の」。

 

で、ボールが二個以上あれば、

○ →   ●      ◎       ○      ●
one → another another  another  the other

一個目はone、二個目はanother、三個目もanother
そして最後の一個はthe other


★特定したいとき、したくないとき。

例えば、デートに誘われたとき。

断りたいとき
→他の日にしようよ「another day」(=ま、いつかね)

行きたいけど、行けない…。
→他の日にしようよ「the other day」(=別の日を設定しよう!)


★決まりそうなとき、迷っているとき

例えば、店員さんと一緒に服を選んでいるとき。

ぜんぜん決まらないな…
→他の服を見せて「Show me another」(=まったく別の服を見たい)

どっちにしようか…
→もう一方を見せて「Show me the other」(=さっきの服が見たい)

  

Posted by ieshimanaoki at 18:05Comments(0)TrackBack(0)知識事項(英語) 

2006年07月18日

洞くつに住むのは過酷な事。

さて、前回の始原人類の話の第2弾

「ヒトは可能性を求めてサバンナに出た」
 →樹上を捨て、直立二足歩行する道を選んだ、というもの。

という進化の定説を紹介したが、
では樹上を捨てたヒトはどういう道を歩むことになった
今回はその始原人類の主要な住処、「洞くつ」から考えてみる

高校なんかで習ったと思うけど、
アルタミララスコーといった洞くつに壁画があることなどから、
人類は洞くつで暮らしていた可能性が非常に高い
ではその洞くつとはどんな場所だったか?

なんとなく「洞くつ」というと、ほら穴のようなものを想像するが、
日本の洞くつでも、
高低差がもっとも大きいもので450m。
(大体、地下に潜るので、地下450mにも及ぶことになる)
総延長23700mの長さを持つ洞くつもある。

ラスコーの壁画でも270m奥の場所に壁画はあるというから、
始原人類たちはかなり洞くつの奥のほうで生活していたらしい

そしてその洞くつの特徴は…
光がない。洞穴の入り口など、ごく一部を除いては光が入らない。
湿度が高い。年間を通じて常に高い湿度を保つのが普通である。
 壁面も濡れていて、底面には水流があることが多い。
温度が一定である。
 温帯地域では例えば15℃程度であり、夏は涼しく、冬は暖かい。
食料に乏しい。植物が存在しないので、生産量はごく少ない。

温度が一定である以外はあまり良くないなぁ〜という印象だが、
次の文章を読んで目がさめた。


洞穴性のコウモリのいくつかの種は、集団で生活し、
数百から数万、時にはそれ以上の個体が集まって特定の洞窟に入り、
その天井で休息、繁殖を行う。

彼らは夜間に洞穴の外に出て餌を漁り、洞内に入って昼は休むので、
コウモリの集団の下の地面はコウモリの糞だらけになる。
洞内は悪臭に満ち、また、糞の発酵による熱によって気温が高くなる

そして、この糞を栄養源とする生物群集が成立し、
非常に動物の密度の高い場所となる。
大抵は洞窟の底の糞の山には、
これを食うハエ類の幼虫やゴキブリなどが無数に繁殖し
場合によっては隙間もなく虫がうごめく、といった状態になる。

また、そうして繁殖した虫を餌とする
オオゲジやアシダカグモなどが壁一面に止まる
コウモリの死体もこれらの動物の餌になる。
(ウィキペディア「洞穴生物」より)


…かなり刺激の強い内容ですが
要は、洞くつの地面は一面にコウモリの糞が堆積し、
ゴキブリだかウジ虫だかが這いまわっていて、
ゲジゲジやらクモやらが壁一面にいるってこと??

とてもじゃないが、住める環境じゃない。。。
死肉漁り、汚物分解の動物が全員集合って感じか。
そして、洞くつには食料がないってことから想像すると…
やはり、食べてた可能性もあるような…。
どんなに過酷か、想像できる。。。

ちなみに、ホライモリのように洞くつで生活する事に
適応するように進化した生物もまれにいるが、
多くは水中(地下水)での生活に適応している。
(コウモリや虫類は通常は他の場で生活している)


そして、洞くつに適応した生物の特徴は、

‖凌Г稜魏酬晃。全体に白っぽくなる。
 光の欠如が原因と考えられる。
眼の退化。眼が小さくなったり、全く無くなったものも知られる。
B里弔の虚弱化。皮膚が薄く、付属肢が細長くなる。
け浜椶頬海靴、温度が低いことから、新陳代謝が低く、
 動きがゆっくりしたものが多い。
 その分成長は遅く、長生きである例もある。

なので、人類が樹上を捨てて、洞くつに進化したとは考えにくい。
洞くつに適応したのではなく、
洞くつでの生活を余儀なくされた、と考えるのが普通だろう。
洞くつに適応したのではない、という視点は重要だろう。
だからこそ、人類は目を失ったりしなかったのだから。

  

Posted by ieshimanaoki at 03:25Comments(4)TrackBack(0)実現論を読む! 

2006年07月16日

単語の覚え方。

最近、物忘れが激しいです。
何かをしにここまで来たはずなのに、
何しに来たかが思い出せない、とか笑
ボケのはじまりかも。

しかししかし、物を覚えられなくて困るのは、生徒も同じ。
テスト前に苦戦してるのは、たいてい決まって「英単語」。

暗記すりゃあいいんだけど、「それだけじゃ続かない」との弁。
まぁ確かに、書いて覚えるのもいいけど、
だんだん飽きてくるし、同じ手法ばかりだと気づきも少ない。
「なんとかして!」という期待に応えて、
今回は「語源で覚えてしまおう」という作戦で。


一番使えるなーと僕が思うのは、have(ハヴ)ですね。
語源はkap(カップ)で、「獲物を捕まえる」という意味のラテン語。
牧畜民族は生きたまま動物を捕まえるのがベストで、
そのために頭をつかむ必要がある。
それがcap(キャップ)「帽子」の意味につながってる。

この「(頭を)つかまえる」という意味から様々に派生して、

・人を強引に捕まえると、
 capture(キャプチャ)「つかまえる、逮捕、獲得」になる。
 戦時中ならもちろん捕虜なんて意味もあるやろうね。

・もちろん、力づくで捕まえるとは限らないわけで、
 captivate(キャプティヴェイト)「魅惑する、誘惑する」だと、
 美貌などで虜にするという意味になる笑

・あるいは"頭"の意味が強まったバージョンだと、
 captain(キャプテン)「指導者、船長、長」とか
 caption(キャプション)「見出し、タイトル、字幕」とか。
 なんか上に立つもの、まとめるもの、みたいなイメージ。

・こういうのが理解できてると、例えば
 capital(キャピタル)「首都 資本、財産」もスッキリ分かる。
 高校の頃、なんで首都と財産が同じ単語なんや?と感じたが、
 語源を見れば簡単で、「頭」の意味から首都が来るし、
 「捕まえたもの」から財産や資本が来ている。

・あるいはその「頭」の容量ってことで、
 capacity(キャパシティー)「能力・才能」もある。

・さらに、「つかまえ」たものが逃げ出せば、
 escape(エスケイプ)「逃げる、逃げ出す」になっちゃう笑

これらのcaphab(ハブ)を通して、haveへと変わった。
だからhaveのもとの意味は「所有している」である。
生徒は良く間違えるけど、「手に持つ」という意味はない。
「手に持つ」と言いたいなら、in my handをつかうべき。

次回はもっと拡大してやっちゃいます☆

  

Posted by ieshimanaoki at 21:21Comments(0)TrackBack(0)勉強あれこれ。 

2006年07月11日

実現論勉強会1

7/9(日)のなんでや劇場は「実現論勉強会
本格コースでも扱っているお題なので、
がっちり勉強させてもらいました!!
内容があまりに盛りだくさんだったので、
何度かに分けて投稿をしようと考えてます。
みなさん、よろしく

さて、まず最初に問題提起があったのが、
ヒトって何?」ということ(漠然としてるなぁ笑)。

しかしそう言われれば、そもそも「ヒト」って何やろう??
ウィキペディアを引くと、「統一的定義は難しい」と断りながらも、
その第一項目として「完全に直立の姿勢を取れる」を挙げている

高校で習うのもおそらくそうだし、
何冊か人類進化の本を読んだが、
直立二足歩行」を人類の最大の特徴に挙げる学者は圧倒的に多い。

それに対する内野のツッコみが「じゃ、ペンギンは??」笑。
まぁ、それは半分ギャグだとしても、
チンパンジーだって直立二足歩行はできるし、
猿回しの猿(ニホンザル)だって器用に立って歩く。
オランウータンが杖をついて川を渡る事例もあるらしいし。

だとすれば、これまでの定説を疑ってかかる必要がある。
なので、まずは定説のおさらいから。

これは中学生でも知っているが、
今でも中心的な学説は「ヒトは可能性を求めてサバンナに出た」
樹上を捨て、直立二足歩行する道を選んだ、というもの。

特に「サバンナ仮説」に到っては、
草原で見晴らしがいいから立ち上がった」としているが、
身体的な武器に乏しい人類が、
見晴らしのいい草原で立ち上がったりしたらどうなるか
冗談では済まないですよ、ホント笑

ではなぜ、こんな仮説が生まれたのか?
それは、最初に発見されたアウストラロピテクスの化石が、
サバンナで、草食動物の化石とともに発見されたから。

その状況証拠から、科学者達は「サバンナ」にとらわれた。
だいたい、今サバンナである場所が、
数百万年前もサバンナだったかどうかはかなり怪しい。
その上、その後の研究では化石の多くは森林で発見された。

となれば、楽園を求めて森林からサバンナに進出した人類は、
二足歩行をするために、足の指の形を進化させた

という元来の人類進化の定説は、
根底から覆ることになるのではないか!

その新説については、また次回の投稿で♪

  

Posted by ieshimanaoki at 02:33Comments(0)TrackBack(0)実現論を読む! 

2006年07月10日

スーパーサイズ・ミーが流行りましたが。

最近、るいネットでは食品に関する新たな問題提起や、
事実の紹介や議論が頻繁に行われています☆

牛乳や塩、砂糖に始まって、マーガリンや野菜などなど…。
ほんと、食べるもんがなくなっていきますね苦笑

しかし、健康や安全が大事だからといって、
例えばマ○ドナルドを廃止したり、タバコを根絶やしにしても、
問題は何も解決に向かわない。
ジョゼ・ボヴェとか「スーパーサイズ・ミー」とかね

「ふるてぃ」のブログより引用するけど、


>じゃあ無農薬野菜はどーなの?って思った人、いません?いくら無農薬でも空気は変えてないですよね?その空気が汚染されている→その空気を取り入れる野菜も・・・ってことなんですよ。

>そう、問題の本質は環境汚染!ではなく市場そのものなんですね。人工物質を使うのは消費者が形や色のいい野菜じゃないと買ってくれないとか(田舎の方では形の悪いものは捨てられてるとか!)、長持ちするものがいいとか、食べ物にそんな幻想価値を期待しちゃってるからなんです。
「逃走から闘争へ」
 

と、言うことだと僕も思う。
究極のところ、消費者の意識が「野菜は安全性より価格」
であるかぎり、なにも変わっていかない。

宝石やアクセや服が1万円でも高いとは思わないが、
一ヶ月の野菜代が1万円だと高いと思う。
その意識構造が、野菜をはじめとする食料品の、
廉価での流通を要求しつづける。

つまり、根本の問題は全ての人が「市場を認めている」、
あるいは「需要があるもの」に価値を置いていることだろう。

みなが欲しがるもの(要求に応えるもの)が大事ではなく、
みなに必要だと考えられるものが大事。
(塾だって、子供のやりたいことではなく、
 子供に必要なことを教えている。)

マ○ドナルドをそういう資本主義・グローバリズムの象徴として
敵視することは、まぁ、あながちズレているとは言い切れないけど、
そういった否定の運動は、いままで何も実現できなかったわけだし。
より根本的には認識の転換=新概念が必要だと思う。

  

Posted by ieshimanaoki at 01:55Comments(2)TrackBack(0)