2005年08月25日

目先収束という陥穽。4

日曜日はなんで屋劇場の日!!

テーマは…

「やりたいことが見つからないから目先収束?」

「目先収束が進むと親元収束?」

「本当にやりたいことは答えの供給者になること」

でした!

今回は外野席でしたが、内容も豊富で面白く

さらには、かんちゃんやいずみちゃん、近藤さんが来てくれて楽しかった!!

 

特に近藤さんには「私の大師匠」と名指しで誉めてもらい(期待をかけてもらい)、

活力もぐ〜んとアップです!!

(おかげで久彰さんからは「大師匠」とよばれました…苦笑)

 

かんちゃんのブログ

いづみちゃんのブログ

 

さてさて、内容について。


キーワードは、「今は先が見えない世の中」だということ。

なんで屋では「収束不全」という言葉をつかいますよね。

どうしたらいいのかわからない…という状態は非常に不安で、苦しい。

だからこそ、「なにかにすがりたい」と思うのは人の情。

 

そしてその「なにか」とは、みんなが認めてくれるような、確かなものがいい。

そこで国・制度(結婚、大学)・資格(教職)・家族などに収束していく。

例:ミュージシャンや漫画家まで、「学科卒」の肩書きを欲しがる。

 

それらを「目先収束」と読んでいるのだけど、

それが「目先」たる所以は、全てがとりあえずだということ。

一度は収束するものの、「とりあえず」だから活力は出ない。

 

なぜそれらが「とりあえず」になってしまうのか???

それは、「時代は大転換期を迎えた」から。

豊かになり、私権(金や地位や身分)に強く収束できない今、

私権時代に作られた全ての制度、観念、常識は無効になってしまった。

 

しかし、「先が見えない不安」感から、目先に収束してしまう。

当然のことながら、そこ(既存の枠組み)には可能性は無い。

また不安になり、別の目先に収束する。

そうやって活力衰弱のスパイラルに陥り、急速に活力▼していく。

 

このスパイラルの行き着く先は、親元

目先で破綻(落胆)した人たちは、最後は少ない安心感を求め、

今まで一緒に過ごしてきた親へと収束していく。

しかし、親にも活力再生の「答え」などない。

むしろ親自身も目先のスパイラルから子へと収束しているからだ。

そうなると、最終的には親子ともども共倒れの活力衰弱へと向かう。

 

活力再生の突破口は、この「収束不全」を突破し、

新たな統合軸、活力源を提示していくこと。

 

しかし、それを封鎖するのが「政治家」「マスコミ」という旧制度の番犬。

彼らは古い制度の元で勝ち上がった人たちであり、

いかに閉塞しようとも、その制度(自分のねぐら)を守りたがる。

その結果、これまで誰も「答え」が出せなかった。

 

となれば、答えはひとつ。

政治家・マスコミに代わって万人が、新たな制度作りに参加すること。

その尖兵がなんで屋露店であり、なんでや劇場、そしてるいネット。

 

今回の劇場は外野からの発言も多く、盛り上がりました!

今後もこういうなんで屋劇場を作っていきたい!!

 


この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/ieshimanaoki/50025800
この記事へのコメント
劇場。楽しかったです〜><♪
で。
「私は親元収束なのか?」・・・。
なのかな〜。
ちなみに家島さん。私の名前は
「いづみ」ですっ(笑)
Posted by いづみ at 2005年08月25日 22:34
こんにちはー。囲い込まれそうなかんです☆
昨日は本当にすいません〜。

劇場楽しかったですねぃ。
外野からの発言ばしばしで。盛り上がってて。
私的にもタイムリーな話題だったんで。

親元収束。っていうよりは。
親の子供収束?
でもうまくいかないと子供も。
親の帰ってきなさい。にいっちゃうのは。
親元収束ですよねぇ・・・。
でも、これに可能性はないんでしょうね。

とりあえず。
囲い込まれないように(笑)
共認闘争します。ね。

あ。更新時間が全部一緒なのは。
なんか不思議ですね(笑)
Posted by かん at 2005年08月25日 22:46
3
親元収束って、ビミョーな問題っすよねぇ。
やはり要は「密室家庭→共同体への転換」でしょうか。家庭を単一集団として捉えている限り、それは「親元(目先)収束」な訳ですよね。ただ、生殖・教育(特に共認機能の育成)という課題は人類課題。その課題の下に社会を統合すれば、社会そのものが「収束不全の親子たち」の受け皿に変容していくんじゃないでしょうか?
Posted by トモ(1) at 2005年08月25日 23:59
3
(字数たりませんでした)ちなみに、マオリ(NZ原住民)語のwhanauという単語はfamilyと翻訳されていますが、whanauが表す範囲はfamilyよりかなり広く、村落集団をも超えた血縁集団(狩猟役割も含めた全的な“社会”)でした。こういった視点こそ、教育不全、更には目先の集団(秩序)収束を打破するキーになる気がします。
Posted by トモ(2) at 2005年08月26日 00:10
>いづみちゃん
まぁ、自分が親元収束かどうか、は気にしなくていいと思うよ〜。「自我はなくすものではない、気づくもの」という名言もあるくらいやし(笑)
鹿のカードも取っときまーす。

>かんちゃん
親の囲い込み(子供のペット化)問題も、ハタチを越えると身近な課題。「帰ってきなさい」と言っちゃう心理。子供だけが生きがい、というのもまっとうではない気が…。
また手伝いにきてねぃ。
Posted by いえしま at 2005年08月26日 14:24
>トモ
人類の集団課題は悉く解体されて、
すべてが個的課題(個的な「家族」課題)となってしまった
んやろうねぇ。
ちなみに、マオリ族調べてみました。
マオリ族では、「カヌー(Waka)→部族(Iwi)→亜部族(Hapu)→家族(Whanau)」と集団が"大きく"なっていく。
つまり、家族とは最も大きな集団。
昔の日本と似てる気がします。。。
共同体=家族。
Posted by いえしま at 2005年08月26日 14:30
>いづみちゃん、
名前間違えてごめんなさい〜。
Posted by いえしま at 2005年08月26日 14:36