2006年03月08日

潜在思念での「勉強の意味」。

「勉強しなきゃいけないのはなんで?」という疑問は、
露店だとほとんどが高校生〜大学生が出してくる。
これは段々、観念機能が発達するにつれて、
実態(現実)と観念のズレ(論理不整合)を感じるからだろう。

こういうケースは事例を出しながら一緒に追求すると、
「追求の面白さ」や「スッキリ感」が味わえるのだが、
小・中学生では(あるいは高校生でも)少し違うケースがある。

最近、勉強活力の無い子供と話すケースが増えてるのだが、
「勉強の意味」の話を展開してもツマラナそうにする

で、そんな中で最近、突破口になったケースは2つ。

ひとつは”下の学年の子に教えさせる”。
これはたまたま、自習室に同じ英語をやってて、
学年・能力が下の子がいたので、
「ちょっと教えたって〜」と無理矢理おしつけたとき

最初はいやいやながらも、段々、熱を帯びてくる。
これは「ドラゴン桜」にも書いてあったように、
かなり効果があると思う


んで、もういっこ。
僕としてはこっちが面白い事例やったんやけど
それは勉強の意味を尋ねたときに、
(先生のような)女に憧れるから」と答えた子。

まだ小学2年生やけど、ハッキリ言い切った
そういえば、生徒に「なんで色んな教科を教えられるん
「どうやったらそういう先生になれるん?」という
問いを受けたことがある

確かに、教科の好き嫌いなんて、ほとんど先生による。
最初に出会った先生がイヤな先生だったら、
勉強する気になれない→できない→嫌い・苦手
という図式が簡単に成立する

ならば、逆もまたアリなんじゃないだろうか。

魅力的な先生→先生のようになりたい→できるようになっていく
→好き

というのも可能では??

だとすれば、小さい子にとっての「勉強の意味」とは、
観念的な論理整合性や将来の可能性ではなくて、
同化対象の有無」なのではないだろうか?

「先生のようになりたい」と思えれば、
相手はどんな勉強・課題にだって向かっていくし、
逆ならやる気がなくなっていく。

そして、子供にとっての「凄い」先生とは、
自分達の知らない世界(社会)を見せてくれる先生だし、
そして何よりも、どんな質問でも「答えてくれる」という
絶対の安心感ではないだろうか。

先生自身が上昇の意思と活力を持っているかどうか。
小さい子供にとっては、それが唯一の尺度なのかもしれない。


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