制度会計対応現場のオナヤミ

会社側目線で見た、金商法、会社法、税法、内部統制、IFRSなど、制度会計の現場を書いていきます。 ネタがなくなると、読んだ本の感想でしのぎます。 直近の2年ほどは、年イチ更新となっております。

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2014年08月

【読書感想】 『星降る夜は社畜を殴れ』

経理とは関係のない内容ですが、お休みの日用のネタということでお付き合いください。

今回はこちら↓です。

『星降る夜は社畜を殴れ』 高橋祐一著 角川スニーカー文庫

本書は、”ライトノベル”とジャンル分けされる若者向けの小説です。

出版社の読者ターゲット層は中高校生だと思うのですが、だいたい正しいですかね。

そんなターゲット層に対して、「社畜」というものが理解できるのか?とか、組織で働くということがわかるのか?という疑問があります。

例えば、就業時間、定時、残業、36協定、就業規則に労使協定、労働協約といった概念は、サラリーマンになって初めて知るものだと思います。

そして、組織で働いているものの、たぶん監査法人勤務の会計士さんや準会員さんだって知らないでしょう。

公務員も、細かいところを挙げていけば民間企業とは違う制約がありますし…

このように、本書が主題?とした労働法規まわりの概念が効力を及ぼしている対象範囲(組織)は、意外と狭いのではないでしょうか。

出版社が想定するターゲット層と、小説の主題がちっとも重なっていない。

それなのに”ライトノベル”にしてしまったところに、本書のすごいところがあると思います。

さて、本書のちゃんとしたレビューについてはこちら↓をご参照ください。

脱社畜ブログさん 『星降る夜は社畜を殴れ』:"社畜ライトノベル"の誕生

こちらでは、いつものごとく、少々的を外した本書のご紹介をします。

そもそも、本書のタイトル「社畜を殴れ」ですが、こんなことから殴り合いが始まります。

就業時間が終わって主人公が帰ろうとする場面です。

(状況の解説を始めると長くなるので雰囲気だけご理解ください。
 また以下の引用はWEB上で読みやすくするために、引用者が改行しています。)


P.223

それでもオレは、ユイカを助けたいんだ。つきあい残業なんかやってる場合か!

オレはユイカを追って駆け出した。「させるか!」すかさず社畜たちがオレの行く手をふさごうと立ちはだかったが、クールさん(引用者注:社畜ではない主人公の同僚)が彼らとオレとの間に割って入って、オレの退路を作ってくれた。

「ほう、これだけの数を相手に、一人で食い止められるとでも思ったか?」

平社畜の一人が豪語した。じりじりと包囲を狭めてクールさんを追い詰める。

あきらめろ。今夜は楽しく残業だ!

クールさんに向かって、一斉に平社畜たちが飛び掛かる!


かくして、社畜と非社畜のバトル(殴り合い)が始まります。

もし、あなたが普通の会社にお勤めであればご理解いただけると思いますが、職場で物理的暴力はないですよね。

普通は、脅迫や恫喝などの精神的苦痛か、実在するのかどうか分からないニンジンを与えるものです。

ただこんな言葉のやり取りを書いても、中高生には面白くない。

そんなの立派な大人向け小説です。

だからバトルするのですが、その辺はとやかく言わず、「今の若者たちはこういうのを好むのかあ」と楽しむのが大人としてのあるべきなのでしょう。

そして長々とここまで書いてきましたが、私が本書の中で「おおっ」と思ったのがこちら↓


P.174

 最近になってちょっと分かってきたことがある。

オレは、社畜と呼ばれる連中は、人間性はともかく、仕事はできる人ばかりだと思い込んでいた。

仕事ができるから、仕事ができない同僚を見ると「なぜ俺ができることをこいつはできないんだ、このクズ」と思ってしまう。

仕事に強い達成感や充実感を感じているから、夜遅くまで残業していても苦痛を覚えない。そ

れが社畜なんだと思っていた。確かにそういうタイプの社畜もいるだろう。

 だが、社畜みんながそんなタイプではないらしい。

自分のスキルや業績に誇ることがないから、「俺はこんなに残業したぞ!」と意味のないことで威張る。

他人への劣等感が強いから、無駄に他人のあら捜しをしたり攻撃的になる。

しんどい仕事を延々とこなすのがつらいから、他人にもそれを強要する。

幸福になる手段が分からないから、不幸を他人に押し付ける…。

社畜というのは、そんなタイプの方が実は多いのだ。

 何が言いたいのかというと、「田中係長って、実はたいして仕事できなくね?」ということだ。

凄腕の社畜ができる社員とは限らない。それとも社員としての技量を磨かずに社畜としての腕ばかり磨いてきた、というべきか。



まさに業務に埋没しがちなサラリーマンが気をつけねばならないところです。

長い残業時間を言い立てる人がいますが、その時間の長さの原因は何なのか。

本当に仕方がないものなのか、はたまた…

大人の社会は冷たいです。

「長時間やっているけど、あなたのやっていることに意味ないですよ」、なんてわざわざ面と向かっては教えてくれません。

エライ人もいいません。

嫌われたくないから。

やっている本人は「絶対にやらなければならない業務だ」、「組織のためにやっている」と言いますが、実際のところは…

せいぜい残業代が支払われるだけで、じっさいには評価されていないのです。

時間のことに限らず、上記の引用には厳しい指摘が含まれています。

こういう重たい部分も、本書はライトな筆致で教えてくれます。

やはり若い人におススメしておくべき本なのだと思います。

【読書感想】 『外資系金融のExcel作成術』

営業日ですが、本日も読書ネタにおつき合いください。


今週はこちら↓です。


『外資系金融のExcel作成術』 慎 泰俊著 東洋経済新報社


監査チームの会計士さんにおススメされて読みました。


本書はタイトルで抵抗感を持つ方もいらっしゃると思いますが、「ドメスティック」にお仕事をしていても、また「金融業」にお勤めでなかったとしても、ヒントを得るところがたくさんあります。


ここはタイトルに惑わされず、スプレッドシートを作る人は誰でも読んでみる価値のある一冊です。


たとえばここ↓


・エクセルシートの約束事


P.99


なお、モデルの作り方にはある約束事があります。それはインプット欄(すなわち数字をベタ打ちしてよいエリア)の数字は青、アウトプット欄(すなわち数式を組んでいるエリア)の数字は黒にする、ということです。


こうすることにより、初めてモデルを見た人でも、どのエリアはいじってよくて、どのエリアはいじってはいけないのかが理解できるようになるためです。



人からスプレッドシートを引き継ぐようになって、引用したルールの必要性を痛感します。


前任者が十数年抱えてきた秘伝?のスプレッドシート。


元はロータス1-2-3だった模様で、なんか見慣れない計算式の書き方になっています。


また表計算ソフトに、「一つのブックの中に複数のシート」という概念がなかった時代の考え方で作られています。


そのため、「データ」と「計算結果」のエリアを区分する考え方もなく、「紙の帳票を電子化しました」という感じの、1枚の超巨大シートの中でリンクと数式が絡み合った世界が広がっていて、どこが手をつけていいところなのかダメなところなのか、判断がつきません。


こういう悲劇的な代物を再生産しないためにも、本書を読んで約束事の基本を学びましょう。


・どう分解するか?


本書のメインは「財務モデルを組む」という作業です。


損益計算書と貸借対照表、それに各種評価指標を、例題を通じて、どう分解していけばいいのか解説してくれます。


たとえば、「売上」は「店舗あたり売上」×「店舗数」、「店舗あたり売上」は「店舗あたり顧客数」×「客単価」といった具合です。


こうやって決算書の勘定を要素単位へ分解し、要素単位の数字がどう変動すれば、損益や評価指標がどうなるのかをシミュレートする表が「財務モデル」です。


ただ、この「分解」という作業が実は難題で、これを間違えるとまったく役に立たない「財務モデル」ができあがります。


「財務モデル」を作ろうとする対象への理解や、「分解」センスが問われるところです。


また、我々経理部員は、実際の取引を会計仕訳を通じて決算書に積み上げていくという、ある意味「財務モデル」とはまったく逆の作業を日々しています。


ということは、少なくとも「対象への理解」は培っているはずですし、そもそも決算書の各勘定ができあがるまでの流れも知っている。


これらから、決算仕事をしている人は、本書を理解するのに有利な立場にいるのかもしれません。


例題は「決算書と経営」ですが、退職給付債務や賞与引当金、税金計算や税効果の算定といった一定の幅がある見積もり仕事に活かせる部分も多いことでしょう。


・ディテールマニア


予測仕事をしていると出会う困難について、本書にはこういう記述がありました。


P.174


私たちは24時間しか有していません。睡眠その他の時間を含めると、集中して働くことができるのはせいぜい16時間くらいです。


限られた時間でより正確な予測をするためには、モデルを細かく作り込む時間と、インプットの妥当性を検証するための時間の配分を適正なものにするべきでしょう。


情報を足すのは根気があればできますが、要素を絞り込むためにはその事業に対する理解と抽象的な思考能力、ディテールにこだわりすぎない勇気が必要です。


時間が無限と思いこみ、根気に頼ろうとするのではなく、物事の本質に迫ろうとする意気と勇気を持ちたいものです(特に、上司がそのような気質を持つ必要があります)。*12


*12 よくあることですが、いくらシンプルなモデルを作っても上司が「ディテールマニア」である場合、彼(彼女)の指示によりモデルはどんどん複雑化していきます。



「物事の本質に迫ろうとする意気と勇気」を目指したはずが、上司に「手抜き・うかつ・考えが足りない」判定をされてしまうのはよくあること…


冷徹な「財務モデル」だけではなくて、最後には精神論も説いてくれるところに、本書のバランスの良さがあると思います。

【税務】 「所得拡大促進税制」の実務情報不足にオナヤミ中の件

お盆もすぎて、次の四半期決算が視界の片隅にちらつく時期がやってきました。


9月は祝日が2回もあって、うれしいものの、営業日数が足りない…


さて、「所得拡大促進税制」についてオナヤミ中です。


「所得拡大促進税制」と書きましたが、オナヤミの対象は「雇用者給与等支給額が増加した場合の法人税額の特別控除」です。


この税額控除、適用のための要件は3つあるのですが、そのうちの一つに「給与等支給総額が基準年度から5%以上増加」とあり、この時点でまあないな、と思っていたら、平成26年度にハードルを2%に下げてくれました。


しかも、下げたハードルは制度が始まった平成25年度にさかのぼって適用、というやる気です。


担当者としては、適用可能かどうか検討せざるをえない。


ところが、実際にやってみようとすると、制度の細かいところの資料が行政から発行されていない?


YAHOO先生が推薦する経済産業省HPには熱意あふれる制度のご紹介はあるものの、実務ができるようなものでもない。


国税庁HPでは、「平成26年度 法人税関係法令の改正の概要」の中で、「5 雇用者給与等支給額が増加した場合の法人税額の特別控除制度の整備」(PDFの8枚目)として解説はありますが、概要解説ですので過大な期待はよくない。


給与等の定義とか、継続雇用者の取扱いなどなど、いろいろ分からない…


解説パンフやQ&Aがありそうなものですが、見当たらないのです。(2014年8月18日現在)


あとこの制度を適用したときは、別表6(20)を使うそうです。


とはいうものの、この制度が導入されて1年が過ぎているわけで、それでもこれだけしか情報がないということは、もしかすると深く考えなくてもありのままに対応すればそれでできてしまうのかもしれません。


そもそもこの制度、「税額控除」なので節税効果は抜群ですが、冷静に考えれば控除してくれるのは「給与の増えた額のうち10%」。


100万円控除してもらおうと思ったら、1,000万円給与を増やせばよいわけで、1,000人の会社なら12ヶ月で割ると、月額833円。


(この試算が正しいのかどうか、税理士さん他専門家の検証は受けておりません。)


1,000人規模の会社さんが100万円を税額控除してもらったとして、金額ボリューム的にうれしいのかどうか分かりませんが、無視できる金額でもないと思うのですがいかがでしょう?


控除を受けるために給与を増やす経営者はいないと思いますが、賞与を万円単位で増やせば、意外と控除額が大きくなるのかもしれません。


とはいえ、反動で社会保険料とかも増えるし、実際の負担は1,000万円では終わりません。


そして何より、景気が拡大し続ければよいですが、景気が悪くなったときには増やした給与の負担感は大きいものになってきます。


他にも給与等をたくさんもらっている人が基準年度後に退職していた場合、この制度の適用は難しくなるのではないか?と想像したりもします。


人数が少ない会社さんではこの点が、制度適用のネックになるかもしれません。


このように当制度、見込みで四半期決算に織り込む必要があるのかどうかなどなど、考え始めるといろいろオナヤミを増やしてくれること請け合いです。

【ご紹介】 『のれんはなお償却しなくてよいか』 → 「いや、よくない」

夏ですねえ、ということでやる気が出ません。


ということで、今回のエントリーはいつもより長めになっています。


いつもだったら2回に分けるか、無理やり短くまとめるかするところなのですが、だらけきってしまったのでそのままアップします。


おつき合いください。


さて、7月22日付で、ASBJのHPにて『のれんはなお償却しなくてよいか』が公表されていました。


「イタリアの基準設定主体」といっしょに公開していることが新鮮です。


「簿記の生まれた国イタリア」とはいうものの、会計をやるうえでイタリアを意識したことがないのは私だけでしょうか?


ASBJの人とイタリアの人で、意気投合することがあったんですかねえ。


また、「ディスカッション・ペーパー」という位置づけも、日本の会計業界においては新鮮に感じられます。


先の「ショート・ペーパー」と合わせて、シリーズが充実していくことに期待です。


そしてまた今回のペーパーも、タイトルに読ませようという気概を感じます。


当ペーパーが読後に、「のれんはなお償却しなくてよいか」 → 「いや、よくない」、となることを狙っていることは、ネタバレになるので内緒です


真面目に考えを深めたい方は、はみ出し会計士さん 「379.IFRSへ のれん償却再導入? ~ASBJらが意見書公表」からの一連のシリーズをご参照ください。


さて当ディスカッション・ペーパー、素人的には「のれん」という言い方がことを分かりにくくしているような気がするなあ、という程度でツッコミどころがありません。


でも何か書きたい、ということでこちらではいつものごとく、全文を読む時間がない方のために、それらしくニュアンスを感じていただける部分のご紹介をします。


・のれんを償却しない理由


まず、IFRSにおいて「のれん」を償却をしない理由の説明から。



14. しかし、IASB は、主に、のれんの耐用年数及び消費パターンを信頼性をもって決定することは可能でなく、ある特定の期間にわたる償却費は単なる恣意的な見積りとなるという理由により、減損及び償却アプローチを棄却した。



非上場株式でも「公正価値」が分かるというのに、「のれん」の償却期間を見積もるのは「単なる恣意的」と言われると、うーん、となります。


このあたりが、「のれん」の償却を続けてきた日本人と世界の感覚の違いなのでしょう。


もっとも、「償却しない」理由は償却年数を見積もれないことだけではなく、「償却期間が終わったら利益が増えるのはおかしい」(9項(b))といったものもありました。


当ディスカッション・ペーパーでは、こういった過去のいきさつなどを振り返りながら現行制度の課題等を論じて
いきます。


・良い出発点があります!


そして、「減損のみアプローチ」よりも、「償却及び減損アプローチ」を支持することを説明しています。


次の81項が支持の根拠です。



81. リサーチ・グループ(引用者注:ディスカッション・ペーパーを書いた人たちのこと)は、超過収益力が減少する合理的な期間を見積ることができるのかどうかに関する見解を求めるため、利害関係者に対してアウトリーチを行った。議論の中で、リサーチ・グループは以下のコメントを聞いた。


(a) 期間を完全な正確性をもって見積ることは困難であるが、その期間を合理的に見積ることは可能であろう。

企業は通常、投資が回収される期間(又は回収期間)に関して深い議論及び分析を行っておりこれは超過収益力が減少する期間を見積るための良い出発点となるからである。



投資企業による「回収期間」を、「出発点」とするという言い回しに深慮遠謀を感じます。


「回収」と言っても、「キャッシュ」と「損益」で期間が一致しないことへの予防線をしっかり張っているのです。


「償却年数」は、きちんと「損益」ベースで考えろ、と言いたいのでしょう。


・「のれん」を買ってきた本人が減損できるのか?


そもそも、「のれん」は償却した方がいい、という意見の根底には、「あるべき減損処理ができるのか?」という懐疑(たとえば23項(b))があります。


リサーチグループによる、「のれん」についての監査人へのアンケートの結果として、次のようにまとめられています。。



28. 一部の回答者は、経営者の仮定に異議を唱えることは可能であるが、その仮定が過度に楽観的であるように見える場合又は過去の実績により裏付けられていない場合であっても、決定的に反証することは困難であると考えていた。


経営者は事業に直接に関与しており、企業の計画に関して最良かつ最新の関連性のある知識を有していることが明らかだからである。

他の回答者は、減損テストは、財務諸表に含まれている他の種類の見積りよりも異議を唱えることが困難であるわけではないと考えた。(後略)



両論併記にはなっていますが、現実には前者(「決定的な反証は困難」)が優勢なのだと思います。


やっぱりいくら減損テストをするといっても、経営者が「これはかくかくしかじかで大丈夫です」とそれなりに資料を整えて言明すれば、それを覆すのは相当難しいのでしょう。


「のれん」を買ってきた本人が、経営者生命を左右しかねない判断を公正にできるのか、また監査人は適時にクライアントの見解を覆すことができるのか。


だったら最初から一定の金額で償却しておいた方がいいんでないか、と後ろ向きに考える…


この「一定額で償却」にも弊害があることは分かっているんですけどね。


==========================================


このように強い考えを持たない人間が本稿を読んでいけば、自然と「償却及び減損アプローチ」がイイネ、となるように記述されています。


蛇足ながら私の思うところを書いてみると、前期まで利益がたくさん出ていたのに、ある日突然ドカンと減損損失が出てくるのはどうかなあ、と思うのですがいかがでしょう。


世界でIFRSの適用が始まってまだ10年弱。


「のれん」の不祥事が表面に出てくるには、まだ期間が短いのかもしれません。


これからいろんな事例が積み重なる中で、IFRSも見直されることがあるのかもしれません。


米国との兼ね合いに折り合いさえつけば、変わり身も早いと予想します。


最後にもう一つ。


「のれん」という日本語表現も、もう少し適切な名称に変えられないものでしょうか。



明治時代以降、日本人が失ってしまった漢文能力がこういうところに影響を及ぼしています。

23世紀になっても「のれん」でいくのでしょうかね。

『「タガメ女に捕食されても気づかないふりをする』 - カエル男道

経理とは関係のない内容ですが、お休みの日用のネタということでお付き合いください。

今回はこちらです。

『日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体』 深尾葉子著 講談社+α新書


1年以上前に読み終わっていて、感想文を書こうとは思っていたのですが、なんかうまくいかない。

それで後回しになっていたのですが、先日うまくいかない理由に気が付きました。

私が本書の中で引っかかっていたのは、タイトルの「タガメ女」ではなくて、「タガメ女」に捕食されているとされる「カエル男」について論じた部分だったのです。

以下の引用で「カエル男」について紹介しますが、私、「カエル男」の自覚あります。

だから、この「カエル男」に向けられた非難?が、私の自己防衛本能を刺激し続けていたのでしょう。

ところが、どうやって論じたら「カエル男、悪くない」、と主張できるのかさっぱり分からない。

これがちっとも感想文のまとまらない理由だったのです。

私と同様「カエル男」の自覚がある方はもちろん、「カエル男?なんだそれ」という方も以下を読んでいただいて、「カエル迷宮」探検に行きましょう。

※以下の引用ではブラウザ上で読みやすくするために、引用者が句点ごとに改行を入れています。

さて、本書ではまず、「タガメ女」と「カエル男」の関係について、次のように表現しています。


P.5 はじめに

女はガッチリと男を捕まえて、月一万円という小遣いで身動きが取れないようにし、チューチューと夫の収入と社会的なリソースを吸いつくす。

男たちといえば、最初はバタバタともがくも、やがて諦めたようにグッタリとして、ゆっくり収入やリソースを吸い尽され、最後は骨と皮になって死んでいく。


「はじめに」の部分では、「タガメ女」「カエル男」という表現がまだ出てきていないため、「女」「男」としか書いてありませんが、端的にまとまっているのはこの部分だと思い引用しました。

それにしても、なんと恐ろしいことでしょう!

かわいそうな男たち、と私は思うのですが、本書ではこのあと、以下のように「カエル男」にも苦言を呈するのです。


P.41 「カエル男社会」

タガメ女はカエル男を補食し、彼らの血肉を吸って生きるというのはこれまでお話をしたとおりですが、そのカエル男たちが単なる「被害者」かというと、そうではありません。

彼らの多くは、自分の妻がタガメ女であって、喉元に口吻を突き刺されチューチューと吸い尽くされていることに気づいてはいないものの、そうした支配関係の何とも言えない居心地の悪さについては、ぼんやりと自覚はしているのです。

しかし、「これが夫婦というものさ」と現実を見て見ぬふりをして、必死に目を背けています

要するに、現実逃避をしているのです。

みなさんのまわりにもそんなカエル男たちがいないでしょうか?

このような欺瞞性は、カエル男の最大の特徴のひとつといえます。

支配されることに慣れきってしまう。

その醜悪な現実を、「そんなものさ」と受け入れてしまう。このようなカエル男たちが作り出す社会が、現実から目を背けた欺瞞的な社会になるのは当然です。

東日本大震災における東京電力の姿。

なかなか決断することのできない政治。正論や正しいことが通らず、それを主張されると、「きれいごとではないか」とか「現実はそんなものじゃない」とワケ知り顔で煙にまく

当たり前です。

彼らは自分自身の夫婦関係や家族というものの現実を直視することすらできないのですから。



支配されることに慣れきって、ワケ知り顔で煙に巻く、まさに社畜のわれわれを表現しているのではないでしょうか。

でもそれは現実を直視していないだけだ、といわれると途方にくれます。

いままでずっとこれでやってきたのに…

本件、グチグチ書き出すと止まらないので次に進みます。



P.65  「カエル男」たちが築いた閉塞日本

(前略)本書のテーマは、あくまでも日本社会の中にタガメ女やカエル男というものが生息しているという現実を直視するということであって、そこから、私たちが当たり前だと甘受してきた構造を、今一度、客観的にとらえ直し、この社会のやるせないまでの息苦しさの原因を明らかにしようというものです。

結論から言わせていただくと、日本にはみなさんが想像している以上に多くの「カエル男」がいます。

そして、これまでも多く存在してきました。

彼らはタガメ女にカネとリソースを吸われ続け、骨と皮だけになって亡くなっていきましたが、それを是とした方たちでもありました。

妻や子どもたちにコケにされながらも必死に働く企業戦士、一日の小遣い500円で立ち食い蕎麦をすするサラリーマン、そのような「カエル男」たちが今の社会を支えてきたという側面は間違いなくあります。

そのような状況のなかで、カエル男にもカエル男ならではの哲学が生まれます。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」

ではありませんが、

タガメ女に捕食されても気づかないふりをする

という「カエル男道」です。


「タガメ女に捕食されても気づかないふりをする」、「カエル男道」。

たぶん私、驀進中であります。

このブログを読んでるそこの既婚のあなた、自覚ありますか?


「俺結婚してないからセーフ」と思ったそこの独身貴族。

もしかすると母上様が「タ」(自粛)で、その精神的支配下に置かれているのかもしれませんよ。

本書のテーマは「この社会のやるせないまでの息苦しさの原因を明らかにしようというものです。」とあるように、どうしてこんなことになってしまったのか、どうしていくべきなのかをこの後で論じています。

というかこの部分は、ぜひ女性に読んでいただきたい! (∩`・ω・) バンバン

ここまで読まれた皆様におかれましては、ぜひ本書を手に取っていただいて、私と一緒に「カエル男道」がひかれた「カエル迷宮」をさまよいましょう。

出口はきっと…、ない。

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