ことし最後の三連休の最終日、気持ちよく晴れました。

末広町では今日もチャリティ・ブック・フェアを開催しています。



明治を識る
男のエレガンス
Come sta, Tokyo?
この男は実在した!
思い出すひと

と店主のテーマを紹介してきましたが、「思い出すひと」の10冊から、もう少しご紹介します。

小林勇の2冊です。


蝸牛庵訪問記 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

蝸牛庵訪問記 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

  • 作者: 小林 勇
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1991/01/07
  • メディア: 文庫




遠いあし音・人はさびしき―人物回想 (筑摩叢書)

遠いあし音・人はさびしき―人物回想 (筑摩叢書)

  • 作者: 小林 勇
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1987/11
  • メディア: 単行本





小林勇は、17歳のときに岩波書店に小僧として入り、後に会長まで勤めた人です。
23歳のとき初めて幸田露伴を訪れ、以後、親交を深めていきます。
蝸牛庵とは露伴道人の住居のことで、向島のそれが有名です。

山本夏彦は、『私の岩波物語』でこう書いています。

小林は何年もたたないうち一人で著者回りをさせられるようになった。大正十五年幸田露伴(慶応三年生)はすでに六十に近い老大家である。小林勇は二十三歳である。初め門前払いされたが忽ちふところにとびこんで、いつかいりびたりになるまでになった。露伴は一代の碩学ではあっても、今も昔も売れる人ではない。三日にあげず訪ねて許されるのは、著者と編集者の仲ではない。友に似たものになってついに死水までとった。

どうも晩年の露伴が唯一気を許して何でも本音で語った相手が小林ではないかと思われるほど、『蝸牛庵訪問記』には露伴の素顔がありありと描かれています。このことについては、かつてブログにも書きました。



松岡正剛氏は、その書評のなかで、次のように書いています。

本書はその露伴との貴重な出会いの日々を約20年間にわたって綴ったもので、文章はヘタくそだが、なんとも読ませる。露伴のことならなんでも知りたいぼくにとっては、得がたい愛読書のひとつであった。露伴60歳から80歳の日々にあたる。
なぜ、こんなヘタな文章が読ませるのか、その理由をちょっと考えてみると、まずはなんといっても露伴の露伴らしい隠れた一面が赤裸々に伝わってくるからだが、そのようにわれわれを露伴の日々の渦中にすうっと運べるということは、これはわざわざヘタくそに綴ってみせたという“計算”だったかもしないともおもえてきた。書きっぷりがぶっきらぼうになっているのが、かえって露伴の前ではタダの人でしかない男から見た露伴の独自性をむりやり浮かび上がらせているからで、それが幸田文さんらの名文に似てしまったのでは、実は効果が薄いのである。そういう“計算”は小林編集者にはお手のものだったのだろう。
本にするにあたって加飾しなかったのも、よい。おそらくはその日のうちに綴ったメモにもとづいたしわくちゃの訪問メモ日記が、ほぼそのままの木訥で出版されたのだ。そこがかえって読ませるのであった。

さすが松岡氏、上手いこと書きます。
「思い出すひと」の10冊には、幸田文の一冊も出していますが、確かに名文に過ぎる、読んでいて眉間にしわが寄ってくるのです。(とはいえ、娘の書いた露伴の思い出がオススメなのは言うまでもありません。)


父・こんなこと (新潮文庫)

父・こんなこと (新潮文庫)

  • 作者: 幸田 文
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1967/01
  • メディア: 文庫



その点、小林の回顧録は、実に喉のとおりが良い。露伴道人がすぐ側に居るようです。松岡氏や僕のように、「露伴のことならなんでも知りたい」者にとっては必読の書といえるでしょう。

もう一冊の本についても、松岡氏が太鼓判を押してくれています。

小林勇には全集11巻がある。小林勇文集という。出版社の親分としては過ぎて立派だが、大半はロクな作文になっていない。ところが、いくつかの文章はまことに光っている。たとえば「人はさびしき」「遠いあし音」、あるいは柳瀬正夢や野呂栄太郎を送った追悼文だ。

僕が口から泡を飛ばしても説得力に欠けますが、松岡氏が推してくれているこの二冊、まだ店頭にありますので、是非手に取って御覧下さい。



ところで、松岡氏の書評に柳瀬正夢の名前が出てきました。
おや、と思って僕も小林の年表を改めて見ました。

25歳のときに岩波でストライキがあり、要求のひとつに「小林の即時解職」があったため、小林は岩波を辞めて、26歳で自身の出版社鉄塔書院を起こします。その年に出版した本のひとつに、
柳瀬正夢 『無産階級の画家 ゲオルゲ・グロッス』
がありました。

ジョージ・グロス(ゲオルゲ・グロッス)が我が野田英夫の指導者だったことは、前にもブログに書きましたが、柳瀬正夢のことはまだブログに書いていませんでした。

アート音痴の僕が「柳瀬正夢」の名前を初めて知ったのは、お恥ずかしながら、村山槐多の同性愛、少年愛の対象としてです。村山が少年だった柳瀬に送った木版画が『尿する裸僧』だったそうです。

その後、野田英夫を調べるうちに、ジョージ・グロスを知り、ジョージ・グロスに傾倒し彼を初めて本格的に我が国に紹介したのが柳瀬正夢だったことも知りました。

綿貫不二夫さんの10冊で紹介した『銀座モダンと都市意匠』では藤森照信氏が「銀座の都市意匠と建築家たち」の中で、次のように書いています。

こうした混乱期には突如、奇妙な勢力が抬頭しやすい。
”MAVO”と”バラック装飾社”と”考現学”が銀座の街頭にハジケルように飛び出してくる。

柳瀬は、この”MAVO”にも参加しています。或いは、先日紹介した綿貫不二夫さんの福原コレクションに関するエッセイには、次のように書いてあります。

勧奨退職と召集令状で社員は激減し、作る商品さえなく、ついには身売り話がでていた戦争末期にもかかわらず、資生堂は1944年(昭和19年)12月末までギャラリーを閉鎖せず、年間80回もの展覧会を開催している。美術団体は解散させられ、画材とて不足する時代、他にそんな企業、画廊はほとんどなかった。9月には「第3回新人画会展」が開かれている。美術史研究では誰ひとり知らぬ者はない松本竣介、靉光、麻生三郎たち8人の最後のグループ展である。そして12月(敗戦の8ヵ月前)に開催されたのが、弁護士正木ひろし主催の「第7回失明勇士に感謝する素人美術展」である。個人誌『近きより』に拠って反軍、反権力の言論を展開し、特高警察の目の上のたんこぶだった正木だが、華族など上流階級を顧客にもつ銀座の高級店資生堂で開くこの展覧会が「弾圧回避に役立った」のである。
わずか一行の新聞記事から発掘されたこの展覧会の内容は、当初は全く見当もつかなかったのだが、やがて『近きより』復刻版にその全記録が正木自身によって克明に記録されているのを知り、編集者として大きな感動を覚えた。詳しくは同書に譲るが、かつて治安維持法違反で検挙、拷問を受け、1945年5月新宿駅で空襲に遭い悲劇的な死を遂げた柳瀬正夢も出品者のひとりだった。柳瀬が作った帯留めを岩波書店の岩波茂雄が購入したという記録を読むだけで、この展覧会の歴史的意義が想像できよう。



そんな柳瀬正夢と小林勇との間に親交があり、小林の鉄塔書院から柳瀬の『無産階級の画家 ゲオルゲ・グロッス』が出版されていたとは、このブック・フェアをやるまで迂闊にも知りませんでした。(ちなみにこの本は松本竣介の愛読書だったそうです。)

小林と柳瀬の交友について更にお知りになりたい方は、こちらのブログを御覧下さい。



今回のフェアは、本の売上を原則として全額、ミシン・プロジェクトに寄付します。

プロジェクトの様子がNHKで放映されましたので、こちらを御覧下さい。(僕もちょっとだけ喋ってます。)








以下、お店の詳細です。

営業日時:原則毎日13時より19時まで(但し不規則のため、閉めるときはTwitter@ifukanoでお知らせします。)

場所:千代田区外神田3-6-14 (地下鉄銀座線末広町駅より歩いてすぐです。)

ご出品頂いた本につきましては、随時ブログでご紹介します。



皆さん、お誘い合わせのうえ、是非いらして下さい。

(今回も前回同様、ガラス、陶器のほか成田さんの家具・小物、柳本さんのレア・ピースも、若干出品しています。前回来られなかった方は、この機会に是非!)