2013年05月

荻窪の街角にて

2013年5月28日

【荻窪ラ-メン】

筆者と中央線荻窪駅との関わりはおよそ60年前に遡る-中学生時代3年間、北口から徒歩約15分、天沼2丁目にある私立中学校へ通学した時から始まる。駅前には現在と同じようにバス発着所があり、駅から向かって左側には数件のラ-メン店があり、30円で大人や学生の腹を満たしてくれた-戦後約10年、多くの国民は食糧難を経験した時代である。明らかに今の飽食時代とは異なり、人々の顔は食べる事の大切さ知り、滋養を得ることで心は充たされていた。今のラ-メンブ-ムの発祥地の一つである荻窪は、相も変わらず多くのラ-メ店が味を競っている。先日、老舗の「春木屋」を覗くと、カンタ-席は一杯で、客はラ-メンを味わっているふうには見えない、むしろ一心に食っているという印象を受けた。荻窪は多くの可能性を備える街である-食文化の情報発信基地でもあった。



【街頭テレビ】

昭和28年8月(1953年)、「日本テレビ」はテレビの本放送を始めた。翌年の29年頃から30年にかけ東京都内には「街頭テレビ」なるものが出現した。当時、荻窪駅北口-現在の「荻窪銀座通り」を入った一角に台に置かれた街頭テレビの前には数百人の聴衆が集まり、当時全盛時代であった大相撲、プロレス、とくにプロレスラ-力道山が米国のシャ-プ兄弟を空手チョップで倒す雄姿は敗戦国の国民に爽快感と勇気を与えた。筆者も下校時には大人の中に入り込み、背伸びをしながら大人の汗臭さが漂う雰囲気の中で大相撲を観戦していたことを思い出す。因みに新橋駅西口(烏森口)前広場には力道山フアンが集まり、最高1万2千人の観衆が集まったとか・・・。



【井伏鱒二と文士達】

荻窪駅で下車し南口・北口‐どちらでもよい5分ほど歩くと、緑に埋もれた瀟洒な住宅が目に入る。大正から昭和にかけて東京近郊の別荘地として「西の鎌倉、東の荻窪」といわれるようになり、多くの文化人が住むようになった。荻窪に66年間住んだ作家井伏鱒二は昭和2年(1927年)に荻窪に移り住み、平成5年(1993年)、同地で95歳の生涯を閉じている-昭和に入り、満州事変、日中戦争、太平洋戦争、敗戦、戦後の混乱、復興と歴史は変転し、日本人は歴史の渦に巻き込まれ、長い間試練に耐え、苦労することで、自らの生活を築いてきた。

井伏鱒二はこの激しうねりの中で共に悩み、苦しみ、支え合った-往時の文学青年仲間のことや、親交結んだ地元の人々のこと、荻窪界隈の変貌ぶりなどに思いを馳せ、そこに自らの半生を重ねて「豊玉郡井荻村」全17編を綴り、「荻窪風土記」を表した。また、井伏鱒二は太宰治、青柳瑞穂、田端修一郎などと荻窪・阿佐ケ谷(将棋会)界隈を本拠に活躍した“阿佐ヶ谷文士”との交流の息吹は、後に文学史の一角を築いた。荻窪は多くの可能性を備えた街である-若い小説家達の情報発信基地でもあった。



【荻外荘】

荻窪駅南口から歩いてほぼ10分、欅に囲まれた豪邸ある。塀が高いので中の様子は知る由もない。この家の主は政治家近衛文麿であり、明治の元勲西園寺公望は「荻外荘」(てきがいそう)と名付けた。太平洋戦争敗戦後、戦犯として拘引の直前に近衛は服毒自殺(青酸カリ 享年54歳)している。「荻外荘」で過ごした近衛の日々は昭和史の舞台であった-昭和11226日に発生した2.26事件後、近衛は組閣を要請されたが断り、学者・文化人を集め「昭和研究会」をつくり、政策ブレ-ンとしている。翌、昭和12年第一次近衛内閣成立以来、毎日のように「荻外荘」の名が新聞紙上に表れた-昭和161012日、対米講和に関する重大会議が開かれたが結論が出ず、同18日、第3次近衛内閣は総辞職している-荻窪の地名が一躍世に知られるようになり、高級住宅地としても有名になった。荻窪は多くの可能性を備えた街であり-有力政治家の情報発信基地でもあった。



【2.26事件と荻窪】

荻窪には高級軍人の住居も多くあった。荻窪駅南口から徒歩約10分、現在の区立中央図書館辺りがその中心で、通称「中将通り」といわれていた。また、昭和史上重大事件の一つである出来事が荻窪で起こっている。当時上荻窪312番地(現上荻2丁目-7番地)には2.26事件の犠牲者の一人、自由主義的な持ち主であった渡辺錠太郎教育総監(陸軍大将、61歳)の私邸があり、同邸で皇道派の陸軍将校によって殺害されている-当時の資料(写真)をみると、軽機関銃の発砲により玄関のガラスは粉々に飛び散る惨状は、青年将校高橋太郎少尉、安田優少尉の思いつめた意志の固さを物語る。渡辺和子氏(現ノ-トルダム清心女子大学名誉学長およびノ-トルダム清心学園理事長)は当時成蹊小学校3年生・9歳の時、同事件に遭遇している(注)。同氏は「父を目掛け連射する音が部屋中に響きました。父は銃の名手で、3発ほど応戦したようですが、襲撃した青年将校、兵士の命は奪いませんでした。しかし、彼らは父にとどめを刺して引き上げてゆきました。父の体は43発の弾に撃たれて、その血や肉片は天井にまで飛び散っていました」と語っている(原文どおり)。同邸は昭和8年8月6日(1933年)に落成し、平成20年2月(2008年)に取り壊されている。

(注)「2.26事件 憲兵は父を守らなかった」文芸春秋、2012年9月号、320~323頁。



【文化人と住まい】

「荻外荘」から数百メ-トル離れた地点には角川書店(現角川グル-プホ-ルディングス・角川)を創立した角川源義の私邸があり、角川春樹はここで育った。現在は杉並区立「角川庭園・幻戯山房~すぎなみ詩歌館~」となっている。良く手入れされ庭には春夏秋冬時、草花が恥らうように咲いている。同庭園の東側数百メ-トルのところに杉並区立「大田黒公園」がある。以前、大田黒元雄氏の私邸(昭和8年建築 1933年)であった。同氏はこの地で音楽活動を続け晩年を過ごした。とくに大正4年(1915年)にドビュッシ-やストラヴィンスキ-を初めて日本に紹介し、欧米音楽の普及に努めたことで、昭和52年(1977年)に文化功労者に選ばれている。広大な公園の中には樹齢100年を超えるイチョウ並木を始め、ケヤキなどの巨木がうっそうと茂っている。荻窪は多くの可能性を備えた街である-有力文化人の情報発信基地でもあった。



【荻窪文化圏の終わりの始まり】

荻窪は昭和初年から多士済済の若い人々が集まり、荻窪文化圏を形成した-現在も木々の多さ、物価の安さ、庶民の多さ、人を寄せ付けない高邁さ-などの環境は残っている。

井伏鱒二が自由奔放に生きた時代は遠い過去のものとなった。人々の価値観は変わったが、井伏鱒二が生き抜いた荻窪の風情は生き続けている。

                    (グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹


 


 


 


 


 


 

日本経済とパナマ運河

2013年5月13日

【シェ-ルガス革命と米国経済】

近頃、米国経済は「シェ-ルガス革命」で賑わっている-地底の最深部にある頁岩(シェ-ル)から天然ガスや原油を採掘する技術が実用化したことで、その埋蔵量は飛躍的に増えた。とくに米国の天然ガス生産量はロシアを抜いて世界最大となり、IEA(国際エネルギ-機関)の予測では-①あと5年でサウジアラビアを抜いて世界最大の原油生産国となる、②その埋蔵量は在来型の化石燃料の5倍以上で、今後200年以上あるという。

オバマ大統領は今年の一般教書演説で「米国は今後100年分の天然ガスを国内で自給できる」と宣言した。また、シェ-ルガス革命は、世界のエネルギ-にも影響を与えている。ガスの価格が大幅に下がったため、石炭の価格も暴落し、火力発電のコストが下がったため、米国にも「シェ-ルガス革命によって原子力の時代は終わった」といわれている(注1)。

なお、2012年6月に発表された米国エネルギ省-情報局(EIA)の年間エネルギ-予測によると、アラスカ州、ハワイ州を除く全米48州におけるシェ-ルガスの生産量は、2010年の4兆9,9000ガス立方フィ-トから2035年には13兆6,300フィ-トへ拡大する見通しである。年平均4.1%の割合で増加すると予想されている(注2)。

 

【日本経済とシェ-ルガス】

2011年3月11日、東日本震災は未曽有のもであった。定期検査入りした54基の原発のうち53基が再稼働できない状態が長期化し、大飯原子力発電所だけが再稼働している。こうしたなか、代替電源として火力発電の発電量が大幅に増加。発電電力量全体に占める火力発電の割合は、震災前の6割前後から9割近くまで上昇している。これに伴う2013年度の火力発電燃料費は、資源価格の上昇と円安の一段の進行が重なる場合には、2010年度比増加幅が5兆円を上回ることになり(注3)、日本経済の喫緊の課題となっている。

2013年5月3日、訪米中の茂木敏充経済産業相は-ワシントンで米エネルギ-省(DOE)のポネマン長官代行と会談した。同長官代行からシェ-ルガスなど天然ガスの対日輸出の解禁について、「日本にとって最重要で緊急性が高いことは十分理解している」と発言したが、具体的な時期についての言及はなかったと記者団に説明している。また、米国は現在、自由貿易協定(FTA)の締結国以外にはガス輸出を基本的に認めていないのが現状である。このため日本政府は、米国に天然ガスの輸出解禁を再三にわたり要請している。

 

【日本経済とパナマ運河】

茂木経済産業相と同様に資源外交の一環として5月2日、岸田文雄外相はパナマ訪問し、ヌニェス外相、マルティネリ大統領と相次いで会談した。日本が新型天然ガス「シェ-ルガス」を米国東部、南部から輸入する際の経路としてパナマ運河の重要性が増すとし、通航料の値上げ抑制を要請した(参照1)。これに対しヌニェス外相は「パナマ運河の運営を行うことは重要であり、近々、パナマ運河庁と利用者との対話が開催される」と聞いている。

日本の外相がパナマを訪問するのは初めてであり、エネルギ-調達コストの低減を目指すもので、外相自らが折衝に乗り出すことで2国間関係を戦略的に強化するのが狙いだ。一連の会談で岸田外相は、パナマ政府による運河通航料の断続的な値上げに対する海運業界の懸念を伝え、対話と配慮を促した。岸田外相は視察の後、記者団に対し「この運河はシェ-ルガスの運搬でより大きな役割を果たすことになると期待している」と述べている。

(参照1)パナマ運河の通航料は、船種や船舶の積載量、トン数や全長など船舶の大きさに基づきパナマ運河庁が定めている。1トンにつき1ドル39セント、平均で54,000ドル(約490万円)。トン数で通航料が変動するため、近年は船舶の大型化により通航料の史上最高額の上昇が続いている。2010年2月4日現在、2008年2月14日に通航した豪華船『Norwegian Jade』号が31万3000ドル(2844万円)以上に支払ったのが最高である。史上最低額は1928年にパナマ運河を泳いで通過したリチャ-ド・ハリバ-トの36セントで、日本円で33円であった。

 

【パナマ運河の拡張工事】

太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河は、全長80キロメ-トルの海の交通の要衝である。現在のパナマ運河には重大な運航上の制限がある。既存の閘門(こうもん)の船舶最大許容サイズは全長294.1メ-トル、船幅32.3メ-トル、喫水12メ-トルである。パナマ運河を経由する航路では、このサイズを超える船舶を使用することができない。運河は現在フル活動に近い状態で運転されており、効率に影響が出ている。パナマ運河庁は運河の持続可能な最大キャパシティは年間3億3,000万~3億4.000万PCUMSトン(参照2)と推定している。このような実情から2007年同運河の拡張工事を始めた。パナマ運河庁は拡張を実施した場合の年間通航量が2025年に5億800万PCUMSトンとなると予測している。

拡張プロジェクトは-(1)大西洋側と太平洋側にⅠカ所づつ新たな閘門(第3閘門)を建設する、(2)既存水路の幅を拡げ、第3閘門利用のために必要な水路を掘削する、(3)既存の水路を増深し、ガトゥン湖の最高運転水位を引き上げる-3つの部分からなる。総事業費は52億5,000万ドル。

新閘門は全長427メ-トル、水深18.3メ-トルとなる。閘門内でのタグボ-トによる航行支援及び安全マ-ジンのため、船舶最大許容サイズは全長366メ-トル、幅49メ-トル、喫水最大15メ-トルに制限している。同工事は2007年に着工し、同運河設立100周年記念に当たる2014年12月の完工を目指しているが、大規模工事のため2015年2月までにずれ込む可能性がある。同プロジェクトへの資金手当てとして-日本の国際協力銀行8億ドル、欧州投資銀行が5億ドル、米州開発銀行が4億ドル、アンデス開発銀行が3億ドル、国際金融公社(IFC)が3億ドルを融資している(注4)。

(参照2)PCUMS(Panama Universal Measurement Syste m)、パナマ運河庁が通航料計算のために使用している船舶。

 

【パナマ運河の代替案】

・中国資本が太平洋と大西洋を結ぶ、鉄道ル-ト建設への投資意欲を見せている。近隣国のニカラグアでは鉄道による「陸上運河」の建設が具体化しているという。資金面では、同計画を支えるのは香港本社のXinweiTelecomの関連会社で、開発予算は300億ドル(約2.3兆円)の調達、建設工事、プロジェクトマネジメントを全面的に仕切る模様(注5)。ニカラグア政府は同計画にゴ-サインを出し、「パナマ運河」と競合するものではなく、補完的な役割を果たすものだ」と遠慮深い立場をとっている。しかし、輸送能力は年間4億トンと、パナマ運河の3.2億トンを凌駕する計画である。加えて、パナマの南側に位置するコロンビアでも同じく、鉄道による太平洋-大西洋接続ル―ト建設の動きがある。こちらは450kmにわたるル-トで、コロンビア政府によれば「想像以上に中国企業のグル-プが投資意欲を見せている」という。

・代替ル-トが南北に出来れば新しい秩序が生まれる。特にアジア-北米東海岸はサ-ビス編成が大きく変わる可能性があれば、パナマ運河のコストが大幅に下がる可能性もある。船社は荷主にとっては好ましい変化である。しかし、心配なのは10年という建設期間と、投資企業が中国企業という点である。まず、10年という期間の間、ファイナンスを支える中国企業の資金は持つのであろうか。今後長期にわたって事業を支える力を維持できるかが不安定要素となる。建設期間については“15年は必要”という見方もあり、先行きは不透明である。

 

【展  望】

安倍晋三首相は本年5月1日のサウジアラビアの訪問を皮切りに中東歴訪をスタ-トさせた。東日本大震災の原発事故で化石燃料に依存せざるを得ない日本にとって中東の重みは増している。一方、米国のシェ-ルガス革命で、中東諸国にとっても化石燃料の輸出先である日本の重要度は高まる。

日本は原油の8割強を、液化天然ガス(LNG)の3割弱を中東に依存している。特にサウジとアラブ首長国連邦(UAE)を合わせると日本の輸入原油の半分を占める。シェ-ル革命後も日本がLNG輸入やガス価格の低下といった恩恵をどれだけ受けられるかはなお不透明である。しかし、近い将来、シェ-ルガスを米国から輸入せざるをえない状況下にはある。このように日本経済にとって、パナマ運河の拡充による効率的な運航は極めて重要であるとともに日本の生命線でもある。

(注1)「NewsWeek」(日本語版)2013年4月16日。

(注2)「シェ-ルガス革命がもたらす米国産業への影響」、三井物産戦略研究所、2012年9月。

(注3)藤山光雄論文「円安により高まる火力発電燃料費の増加懸念」、日本総研2013年5月2 日。

(注4)「パナマ運河拡張が世界の海運・造船産業に与える影響に関する調査」、日本中小造船工業 会、日本財団助成、2009年3月。

(注5)「Cargonews sia」2012年10月12日。

                                        (グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹

中国経済とマラッカ海峡

2013年5月3日

【中国経済の現状】

中国経済の鈍化が続いている-中国国家統計局が3月15日発表した1~3月のGDP(国内総生産)は前年同期比7.7%増にとどまり、4半期連続で8%を下回った。同統計局の盛来運報道官は4月15日の記者会見で「7.4%から7.9%の間なら、安定成長の範囲だ」と強調する。

IMFの予想によると、中国のGDP成長率は2013年8%、2014年8.2%とみている。習近平政権は始動して間もないが、前政権から引き継いだ多くの問題を解決する処方箋は高成長経済の持続である。

 

【石油の海外依存度】

高い経済成長を維持するには持続的に供給されるエネルギ-(石油、天然ガスなど)が必要である。石油の主要輸入先の現状をみると-1位サウジアラビア、2位アンゴラのランクは不動であるが、イランとス-ダンからの輸入減少を主にアンゴラとロシアが補完している。イラクとベネズエラからの輸入が増えており、初めて日量30万バレルを超えた。2013年の石油輸入量は600万バレルと見込まれ、対外依存度は約6割。中国の石油供給は、国産原油、輸入依存(石油タンカ-、パイプライン)に大別される。

 

【マラッカ海峡と中国の原油輸入】

マラッカ海峡は、マレ-半島とスマトラ島(インドネシア)を隔てる細長い海峡で、太平洋とインド洋を結ぶ海上交通の要衝。全長は約900キロメ-トル、平均水深は約25メ-トルと浅く、岩礁や小さな島、浅瀬が多い。大型船舶の可航幅がわずか数キロメ-トルの箇所もある。

毎年5万隻の船舶が通過し、主な積載物は、中東産の石油および石油製品で、世界の四分の一のタンカ-が輸送に当たっている-そのうち約6割の目的地が中国。中国の輸入原油に占める中東原油は約50%、アフリカ諸国約20%、その他を合わせると80%を占める。因みに日本は原油の9割近くを中東からの輸入に依存しているが、その8割がマラッカ海峡経由である。

 

【輸入路の多ル-ト化】

・マラッカ海峡の現状はすでに機能不全下にある。このため中国当局は代替ル-トとして、ミャンマ-中国間に2本のパイプライン(ガス、石油)を敷設することになった。その基本計画として-バングラディシュに近いベンガル湾に浮かぶミャンマ-・ラカイン州沖チュウピュ-島深海港化(大型船舶の出入が可能)を起点して-同パイプラインはミャンマ-から雲南省昆明を経て、貴州省の安順で分離され、天然ガスパイプラインは広西自治区の南寧へ。石油パイプラインは四川省重慶へ。

・天然ガスパイプライン

起点からミャンマ-第2の都市マンダレ-を経て、国境のナンカンから中国の瑞麗に入り、龍陵を経て保山、大理、昆明まで。将来、曲靖を経て、貴州省に入り、広西自治区の南寧まで延伸。長さはミャンマ-国内が約800km、中国国内部分が約1700km、総延長は2500km。年間120億㎥のガスが中国に輸出される。早ければ、今年6月にも稼働を開始する見込みである。

・石油パイプライン

天然ガスパイプラインと混明まで同様のル-ト。建設費は約20億ドルと見込まれる。中東とアフリカの原油を油送(年間2200万トン)。将来、昆明から安順を経て、四川省重慶まで延伸する計画。この2本のパイプラインは2010年に着工し、2013年5月30日までに敷設する。なお、同パイプラインの他に道路・鉄道の建設も計画されている。

2012年5月のゴ-ルデンウィ-クに雲南省西部の辺境を訪れた際、2本のパイプラインの建設現場の印象について-「峻厳な山河を越えて延々と続く2本のパイプラインは圧巻であった」(注1)。

 

【新しい局面】

2本のパイプラインの敷設による新ル-トで、中国経済の生命線は確保された。これにより、マラッカ海峡の中国の依存度は3割程度引き下げられ、所謂、中国の“マラッカ・ジレンマ„は解消されつつある。

前掲の視察報告の中で-パイプラインが中国側の瑞麗を経て、「インド洋にいちばん近い街」と自称する芒市。この言葉の意味合いには-中国の安全保障上、インド洋は中国の戦略的な重要であるという認識があるように思える。

今回のパイプラインの敷設で中国側のメリットは小さくない。この点について-ミャンマ-政府顧問タン・ミン・ウ氏はこう言う-「中国に欠けているのは、中国のカリフォルニア、つまり遠く離れた内陸部の省に海への出口を提供するもう一つの海岸だ」と。また、同氏はミャンマ-の地政学的重要性に関する著書『Where China meets here(中国がインドと出会う場所)』で、「パイプラインは中国政府の“ツ-・オ-シャン”にとって画期的な出来事」と述べている

(注2)。

(注1)『フォ-サイト』「東南アジアの部屋」2012年11月8日。

(注2)『フィナンシャル・タイムズ紙(英)』2013年1月31日。

          (グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹

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