2013年12月

景気と口紅の流行について

2013年12月26日

【世相の反映】

・最近の世の中は“アベノミクス、アベノミクス“という造語が駆け巡り、気分的に景気が良くなるような心持となり、しかも2020年には東京オリンピックの開催も決まり、国民に一体感と高揚感が漂っている。確かにアベノミクス効果は20年に及ぶ日本経済のデフレのトンネルから抜け出す兆候がある。

ところで、日頃、無頓着な筆者が今年の夏に気付いたことがある-街中や電車の中で、若い女性の口元をみると、赤い紅に気づく-色具合が印象的で、ヴィヴィットな「赤の口紅」は、コレクッションやファッション誌などで多数登場し、若い女性を中心にトレンドの兆しを見せている。

・口紅の訳語としてよく使われる“ル-ジュ(rouge)は、フランス語で赤という意味である。1990年代後半以降、赤色ではない口紅も商品化され、オレンジ系・ベジュ系など様々な色味に分けられる。唇に艶やかさといった質感のみを加える半透明、透明なグロスとも呼ばれるものもある。


【景気と色具合】

・過去の日本経済と口紅の流行色の関係を見ると、消費が伸びる時には明るい色が好まれる傾向がある。若者には新しく、1980年代後半から90年初頭の「バブル景気」時代を経験した人は懐かしい。最先端のパリ・コレクションなどでは1~2年前から見られる変化だが、この秋冬は国内でも化粧品会社が赤系の新商品を投入している。景気が上向くと口もとがカラフルになるとの分析もある(注1)。

景気と口紅との関係をみる指標として(注2)、「口紅指数」(lipstick index)というものがある。2001年秋の米国不況時、他の高級品の売り上げが低下する中、口紅の売り上げは反対に11%増加した。この現象はエスティロ-ダ-の会長レナ-ド・ロ-ダ-によって、「口紅指数」と命名された。同様に不景気時には化粧品産業では求人が増える傾向があり、「口紅効果」ともいわれる。

・銀座や上野のデパ-トの化粧品売り場に出向き、販売員に尋ねると、8月頃から赤系の口紅の新製品を投入したところ好調な売り上げを伸ばしているとのこと。また、流行のクラシックな装いとフィットし、口もとのル-ジュとのコントラストで、肌が白く明るく見えるようである。

各メ-カ-の販売状況をみると、資生堂が本年8月に国内外で発売した新製品「ラッカ-ル-ジュ」は計画比で2ケタ増と好調に売り上げを伸ばしている。同様にコ-セ-の高付加価値ブランド「コスメデコルテ」は1本6300円と、通常の口紅の約2倍の高い商品が売れ筋で(注3)、「近年にない売れ行きで、特に赤系の新色は品不足である」(コセ-化粧品)。

1991年5月に開業した「ジュリアナ東京」(ディスコ)で話題になった“お立ち台„は1993年のことで、ミニスカ-トに扇子を持った若い女性の唇は真紅のシャネルの口紅だったことを思い出す。

・東京に住む20代から50代の女性200名を対象に、「口紅サンプルから最も買いたい色」について質問したところ、2007年には2位であった赤(33.5%)が、2012年には、それまで1位であったロ-ズを抜いて1位(36.9%)となり、口もとに赤みのある色を取り入れたいと感じている女性たちが増えていることがわかった(注4)。

・戦後日本で、ヴィヴィットな赤が流行したのは、1945~49年のフレムレッド、51~54年の赤(シネモ-ド)、59年の紅色(慶祝カラ-)、64~69年のアイビ-レッド(アイビ-カラ-)、65年の赤(トリコロ-ル)、68年~69年のヴィヴィットレッド(サイケデリックカラ-)、68年のメキシカンレッド(メキシカンカラ-)、85年~87年のヴィヴィッド(ボディコンカラ-)など。

印象に残っているのは、1988年に資生堂の口紅のキャンぺ-ン「ライブリップの赤」で、鮮やかな赤の口紅をつけ、快活に笑う歌手今井美樹をモデルに起用した赤い口紅が流行した。溌刺とした表情が日本女性に共感を得た。このことから、社会や景気動向が上向き傾向にある時、ヴィヴィッドな赤のような主張のある色に女性たちが惹かれたようである。


【輝いている人と口紅】

・今、輝いている人-赤い紅を注(さ)している-田中優子さんは江戸文化の権威である。最近の報道によると、東京六大学で初となる女性のトップとして12月4日、法政大学の次期総長への就任が決まった。その際の記者会見で、おしゃれな赤襟と赤の帯揚げの和服(小紋か紬-白地の縦じま)を着ていた。口もとはル-ジュの口紅であった(注5)。

ソチ五輪のフィギュアの代表(日本選手権)に決まった浅田真央選手は真紅の口紅をして、ヴィヴィッドで情熱的な演技は、観客の視線が真央一点に注がれていた。


【口紅の効用】

・男性にとって女性の口紅は魅力的なものである-江戸時代に京都で作られた「京紅」は、またの名を「艶紅」(ひかりべに・つやべに)と呼ばれ、同じ重さの金に匹敵する価値を持つ高級品であったため、男性が意中の人にプレゼントをしたものであったという。この「艶紅」は紅花の色素を梅酢で分離したものである。使用する際、水を含ませた化粧用の細い紅筆で少しずつ紅を溶きながら唇に塗り重ねてゆくか、直接に指で紅をとることもあった。そのため昔は薬指のことを「紅点し指」(紅に差し指)と呼んだこともあった。当時美しい紅をふんだんに使う化粧が女性の憧れであり、大金を稼ぐ遊女は唇に止まらず「爪紅」といって、手足の爪にほんのりと紅を差したり、耳たぶにも薄く紅を差して女らしさを演出したという。

・江戸時代の女性は現代の女性のようにマニキュア「爪紅」をぬっていた。今の化粧方法は、300年前の百花繚乱の元禄時代に端を発している。女性はすでに赤い紅を差していた。女性が美しくなることは古今東西同じである。

・女性が赤い口紅を購入している世代は、10代後半から70代までに及ぶという。景気を見る場合-女性の口紅、特に赤の口紅をさしている否かは判断材料の一つとなりえる基準かもしれない。

“女子力„が注目されている昨今、ヴィヴィッドでパションなル-ジュの口紅をしている女性が社会の各分野で活躍している姿を想像するのは楽しい。女子力の源泉は際限のない“美の追求„である-世の男性にとっても刺激を受けるこの上もない時代がやってきたようである。

(注1)「朝日新聞」(夕)2013年11月2日。

(注2)wikipediaによる。

(注3)「産経新聞」2013年11月26日。

(注4)「2013年、秋冬のファッション&ビュ-ティ-のキ-ワ-ドは、『赤の口紅』」資生堂参考資料。

(注5)「産経新聞」2013年12月7日。

                   (グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹

 

 

 

ドイツの街角にて

2013年12月17日

【成田からドイツまで】

・11月初旬から中旬にかけて昨年に続きドイツ・デユッセルドルフへでかけた。成田(12時発)からフィンエアでフィンランドの首都ヘルシンキへ約7800km、シベリアの上空を飛び10時間20分-乗り継いで目的地へ。ヘルシンキ経由はアジアとヨ-ロッパを最短で結んでいる。

・日本と同日の15時20分ヘルシンキ空港に到着、乗り継ぎが1時間10分と短いうえに同空港は分かりにくい。携行荷物の検査、パスポ-トコントロ-ルと神経を尖らせる。ヘルシンキ発16時30分、デユッセルドルフ国際空港には17時55分に到着。成田から乗り継ぎ時間も入れて約14時間-まさにファ-イスト(極東)からファ-ウエスト(極西)である。


【デユッセルドルフにて】

・デユッセルドルフはドイツ連邦共和国の都市でノルトトライン・ヴェストファ-レン州都。ライン川畔に位置し、ライン・ル-ル大都市圏地域の中核で、ル-ル工業地帯の南西部にあり、金融やファッション、世界的な見本市(メッセ)の中心都市である。同市の人口は59.2万人(2012年現在)。

・日本企業の進出が盛んで、市内には約5000人の日本人駐在員と家族が住んでいるという。中央駅から伸びるインマ-マン通りには日本総領事館ほかにホテル日航、日本料理店、日本人向けの食材店など日本人街のようである(参考)。

(参考)デユッセルドルフの人口は千葉県船橋市(2010年/約61万人)に相当する。

・筆者は日常、カロリ-コントロ-ルをしているため、在ドイツ中はアパ-ト式ホテルに宿泊した。台所には熱源としてIHクッキングヒタ-、電子レンジ、湯沸かし器、調理器具や食器などが揃っている。近くのス-パ-から惣菜を買い、食事をつくった。部屋の壁は白いクロス、清潔なバス・トイレに開放感が漂う。

・朝食は歩いて5分ほどの愛想のよい若いトルコ系の女性がいるパン屋さんにでかけ、コヒ-とパンをとる。店内には多くの出勤途中の人々が立寄り、昼食用のパンを買い、そそくさと店を後にする。店の奥にはテ-ブルがあり、厚着をした高齢者が新聞を読みながら朝食をとる姿は日本と同じ。筆者が英語で女性に話しかけると、“シワの中から素敵な笑顔„で、遠来の私達の話を聞いてくれた。


【ベルリンにて】

・ドイツの気温は10℃前後、時々雨が降り、道路の落ち葉は歩くと滑りやすくなっており、端には落ち葉(プラタナス)が溜り、歩くときには要注意。日本の乾燥した気候とは対照的に日中は雲が低く垂れこみ重苦しい。ドイツではこのような気候がほぼ半年は続くので、保守的であるドイツ人の国民性は多分に気候との関わりがあるに違いない。

・森鴎外もまたこの晴れ間のないドイツで生活をしていたのであろうと、約130年前に思いを馳せる。ドイツの衛生学とドイツ陸軍の衛生制度を学ぶため森鴎外は1884年6月(明治16年)、ドイツ留学を命じられ8月に横浜を出港し約2カ月後、ベルリンの土を踏んでいる。

・鴎外の代表作「舞姫」のモデルであるドイツ人女性(エリス)を知り合ったのもベルリンであった。最近の朝日新聞によると、このエリスとされるドイツ人女性エリ-ゼ・ヴィ-ゲルトの写真が見つかったことが報じられた。エリ-ゼは21歳で来日したが、滞在1カ月で帰国し、38歳の時、ユダヤ系の男性と結婚している(注1)。

・歴史に翻弄され続けてきたベルリンに住む人々は自由闊達である。ドイツ最大の都市、人口320万人(2012年現在)、東京23区の約1.5倍の面積。都市部にも多くの公園、水路、湖があり、東京のような喧騒とした感じがない。

・ホテルから路面電車で約15分、住宅地の中に大きな教会がある。近くに日曜早朝9時から店を開けている古い重厚な建物の1階のレストランに入る。堅めのパン、サラダ、アイスクリ-ム、果物、コヒ-などがでる。窓から見る風景-寒空、人通りも少ない。しばらくすると、2~3人の家族数組が入ってくる。みな清々しいを顔している。教会の帰りかもしれない。天井の高い店の中は、美味しい食事をしながら談笑している声々は店内に響きわたる。この雰囲気は日本にはない。

・ドイツの国会議事堂を見学した。ドイツ在住の知人にインタ-ネットで入館予約をしていた。ベルリンの象徴であるブランデンブルグ門の前、向かって左側の米国大使館の前で見学者が約20名集まり、気温6℃のなかで、ガイドからドイツ国会の歴史、現状などについての説明を約40分受けた。筆者以外はドイツ人である。ドイツ語が分からないこともあり、忍耐強さを自負していた筆者も戦線離脱し、近くの記念品売り場に入った。

ふと、献本と翻る米国大使館の星条旗をみた。直感的にメルケル首相の携帯を米国の情報機関が盗聴していた問題である。この問題はドイツの米国への不信を招いており、寒空はより一層両国の関係の気まずさを増幅しているようである。

・ドイツ国会議事堂の受付に入る。入口には係員が当日の参観者のリストを照らし合わせ、確認すると中に入れる。外国人の場合、パスポ-トを提示し、ボディチェックを受ける。議事堂内は明快で簡素な現代風オフィスである。重厚さや重苦しさ、閉鎖的な印象はなく、美術館を思わせる。市民に開放された今日のドイツ政治-議事堂の建物自体が象徴しており、日本の国会議事堂のような権威の象徴で、閉鎖的な印象は微塵もない。この建物は1992年の建築設計コンペで勝利したイギリス人建築家ノ-マン・フォスタ-の作である。

・中央の巨大なガラス張りのド-ムは19世紀末の議事堂建設時のガラスド-ムの存在を意識している。シンボル的、かつ斬新さも加わり、国会議事堂の見学に訪れるドイツ人、外国人観光客も多い。議事堂の建物にはドイツ国旗が3カ所に献本と翻り、風が強いため3カ月すると、破れてしまうとのこと。

・東西ベルリンを分断していた“壁„が崩壊したのは、1989年11月9日のことである。

あれから24年以上の月日が過ぎ、現在、ベルリンはヨ-ロッパで一番刺激的な街に変貌した。冷戦の象徴の一つであったベルリンの壁を見るため、近くのオスト駅を出て坂を下り、シュプレ-川沿いのミュ-レ通りの壁、約1.3kmがオ-プンギャラリ-となっている。ドイツ内外の画家が描いた壁画部分が保存されているが、痛みが激しい。ブレジネフ(当時のソビエトの最高指導者)とホ-ネッカ-(東ドイツの最高指導者)の『兄弟のキス』は新たに描き直された。日本の富士山と五重の塔をモチ-フにした絵もある。筆者が参観した当日は気温も低く、風も冷たく、世界中から来た観光客は上着の襟を立てて、そぞろにガイドの説明を聞いていた。


【ケルンにて】

・デユッセルドルフ中央駅から特急で約20分、ドイツの西の玄関ケルン中央駅に着く。人口約102万人(2012年現在)、ロ-マ時代からの古い歴史を誇る文化都市ケルンは貴重な文化遺産が溢れている。その代表格が、この町のシンボルである大聖堂-高さ157m、奥行き144m、幅86mもある。1248年に着工し、1880年に完成している。ゴッシク建築のカトッリク教会で、内部見るべきものが多い。大聖堂はドイツで最も訪問者が多く、最も人気が高い観光スッポトである。この大聖堂を完成させるために632年もの歳月を要したことは驚きである。

・印象的であったのは大聖堂に入ると、薄暗さのなかで、その荘厳さに息をのむ。パイプオルガンの音の響きが人々の心を奪う。多くの参観者は夢遊病者のようにさ迷い歩いているようにも見える。ミサが始まると参観者は表に出される。入口近くにはⅠ日の糧を得るため数人の薄着の若い人が冷たいレンガの上で座っているのが気になった。

・ケルンはオ-デコロンで有名である。フランス語「ケルンの水」という意味の香水のことで、1709年にドイツ・ケルンでヨハン・マリア・ファリナによって世界で最初に製造販売されたと伝えられている。その後、ケルンがナポレオン軍に占領された時代に、ナポレオンや兵士達がこの香水を好んで、妻や恋人のためにフランスに持ち帰ったことから人気となったという。「4711」とは、ドイツのオ-デコロンのトップブランドの名前で、ナポレオン占領下の住居表示をそのまま店名にしたというエピソ-ドがある。


【ドイツ人の気質】

・ドイツ人は人の意見も聞くが、自分の意見も述べる。前述の国会議事堂に入る前にガイドが40分を費やして持論を述べる。ガイドの説明をじっと聞いている。時にはにこやかに笑う。また、筆者がデユッセルドルフ市内で道に迷ってしまい、店先で店主の人に地図を見ながら一方的に喋った。店主は筆者の手を祓い「あなたは私に聞いているのであろう。私が教えるから黙って聞け」と言われ、筆者も至極当然と店主の説明を聞いた。

・ドイツ人気質について書くのはおこがましいが、気質を知るうえで、わかりやすいのが金銭感覚である。資料によると-ドイツ人は消費や支出には慎重であり、財布のヒモが非常に固いという。本質的にケチで、筋金入りのケチとか。幼い頃から“倹約教育„を受けていて、本能的に計算をする習慣を見に付け、生活のすべてが損得の原理で動いているように思える。ここまで徹底すると尊敬に値する。倹約は国を豊かにする。ドイツの経済力はEU域内ではダントツである-“倹約は美徳„である。

最近の日本人は倹約(節約)という言葉自体、死語ではないが、あまり使われなくなっている。今や日本人はドイツ人の倹約精神を学んで欲しいと筆者は考える。

・ドイツ人の気質を知るには長所、短所を知ると分かりすい。

長所:約束時間を守る/喧嘩しても、余り根を持たず、さっぱりした性格/清潔好き/日本人が好きなど。

短所:懐疑的/絶対的個人主義/団体行動が不得意など。

・今回の旅行ではドイツ人の気質に思い知らされた。日本人のないものをドイツ人は持っている。国民性の違いは至極当然ではあるが・・・・。

明確に言えるのは絶対的個人主主義がドイツ人自身の人生の羅針盤になっているように思える。デユッセルドルフ中央駅での出勤時の風景をみると、ドイツ人の大人の世界を見たような思いがする。

(注1)「朝日新聞」2013年8月29日。

~街角シリーズ(その6)~

(グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹

 

 

 

 

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