2016年03月

爺さんの寝言(2)

2016年3月28日

〖爺さん達の風景〗

時間を持て余している元気な爺さんたちは、街の中をうろうろ。爺さんこと著者、9時半からの図書館の前で並ぶ一人、列の前も後ろも爺さんだらけ。開館すると、常連の爺さん達は、自分の読む新聞まで脇見もせずに直行し、何時、読み終えるのか、独占状態。次に控える爺さん達はイライラ。この老人達の多くは、団塊の世代。この光景を見た若い人達は“ウザイウザイ”、かも知れない?でも、この風景は日本のあちこちで見られる。長生きをする人達が多くなったのだ!“仕方がねえ”と-若い人達は、俺もいずれは・・・人生様々、人様々です。

〖偉い爺さん達〗

▽昔、貝原益軒(1630~1714年)という偉い人がいた。福岡藩士で、本草学(薬学)、朱子学の専門家、江戸時代前期、85歳まで元気でいた人。おのれを厳しく律し、体調維持を心掛けた人です。1911年10月生まれの日野原重明さん(104歳)という感じ。益軒爺さんが83歳の時に上梓した「養生訓」は現在でも知る人ぞ知る、人生の「健康読本」です。

・曰く、人間には4つの欲があり、これを慎むべし-①あれこれ食べてみたいという食欲、②色欲、③むやみに眠りたがる欲、④徒に喋りたがる欲-。長寿を全うするための身体の養生だけでなく、精神の養生も説いているところに特徴がある-“要は腹八分、適度の運動”が健康の秘訣と自ら実践した偉い爺さん。

▽貝原益軒とほぼ同時代に大久保忠教<おおくぼ ただたか>(1560~1639年)こと、通称大久保彦左衛門という80歳まで生きた爺さんがいた。徳川家康の天下取りに君臨した三河武士―1614年の大阪の陣にも「槍奉行」として従軍、2代将軍徳川秀忠の上洛に従い、3代将軍徳川家光の代わりになって「旗奉行」となった。

・1635年ごろから住まいを常陸国・鹿嶋に300石ほどの地に移し、余生を送りながら徳川氏と大久保氏の歴史と功績を交えて武士の生き方を子孫に残した家訓書である「三河物語」を書き上げる。“煩い爺さん”として3代将軍・徳川家光のご意見番として有名な話だが、実は、講談・講釈の中の話しで、話はふくらみ、TVや映画にも出演した多忙な爺さん。

・反面、自分の出世を顧みず常に多くの浪人達を養って、その”就活に奔走“したといわれ、多くの人達から義侠の士と慕われていた爺さんは事実のようです。「彦左衛門爺さんと一心大助」の物語は、鶴屋南北の弟子・河竹黙阿弥が書いた歌舞伎芝居を脚色してからです。

▽愛称「塩爺」と知られる自民党の塩川正十郎(1921年10月~2015年10月)は天寿を全うし93歳で亡くなった。見ると、いつも泰然自若とし、一時は、TBSの「時事放談」(爺放談?)に出演し、正論を開陳していた。

・「塩爺」は-自民党総務会長、運輸大臣、文部大臣、内閣官房長官、自治大臣、国家公安委員長などの要職を歴任した偉い御仁であった。また、東洋大学総長、毎年11月に日本テレビ系列で放送される『ベスト歌謡祭』では大会実行委員会名誉会長を務めていた。風貌とはことなり、柔らかい面もあり、上方の風情を持ち合わせていた人で、太いまつ毛も白くなり-如何にも今花咲爺さんでした。

・著者は、数十年前、旧パレスホテルの地下のカウンタ-席で、「塩爺」をみたことがある-多忙な束の間を一人でコヒ-を飲む姿はヒ-リングタイムであったのかも・・・・・。視線は真正面を見ている姿は、なかなか近寄りがたい雰囲気を持っていた御仁でした!

〖禍根を残す〗

▽筆者の毎日のルティ-ンは、夕方5時に就寝、翌日の深夜に起床、1時後から仕事を始め、すでに5年目に入る。比叡山の「千日回峰行」には遠く及ばないが、目下、爺さんは行のつもりで仕事をしている。爺さんは40代の後半に体の異変に気づき、急遽、近くの病院に駆け込んだ。結果は不治の病で、爾来、爺さんは“一病息災”が我が信念とし、不治の病と共存共栄を図っている。

・昨今、爺さんをやたら刺激するマスメディア(TVなど)の内容が気になる。まさに飽食の時代に相応しい“旨い所の物語”である。半ばマスメディアにしか掛けられた“食いたい亡者達”の言動が気になってしょうがない。

古い諺に-過ぎたるのは及ばざるごとし&衣食足りて礼節を知るなどである-衣食足りすぎて礼節を知らない-何でそんなに食べるの!

・偉い爺さん達の長寿の秘訣には“貧食時代”に生を受け、一生を過ごしてきた。そこには何の不満もなかった筈である。成人病の対処に既述のように益軒爺さんは“要は腹八分、適度の運動”が健康の秘訣と自ら実践した偉い爺さん-今から300年前の話しである。

〖爺さんの信念〗

・筆者こと爺さんの健康状態はまずまずである。毎日3食の献立は玄米のご飯と半熟卵、青物野菜(ほうれん草や小松菜など)、少々の豚肉のスープ、時にはパン食など。毎日、1万歩以上を歩き、春になったので、ツ-リングー。このメニュ-で身長170Cm、体重61kg台を堅持。“食いたい亡者達”へ―老婆心ながら、早く “禍根を断ちなさい”と、言いたい。

爺さんの寝言シリ-ズ(2)

(グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹

爺さんの寝言

2016年3月22日

〖空腹の中で〗

・爺さんこと筆者は“総領の甚六”。爺さんは終戦(1945年)の4年前に生まれた戦中派である。終戦後の食糧難に遭い、四六時中、空腹に見舞われた。筆者が小学5年生の頃、ランチならぬ昼食時、七輪の炭火でサンマを焼く匂いと煙が近くの家から漂ってきた。威勢のよい春日八郎のお富さん(1953年)がラジオから流れ、今風に言えばBGM。長男以下、実弟4人の目は輝き始めた。交渉上手な弟の一人が、サンマを焼く家が小学校の“ご学友”であったので、図々しく訪問。暫くすると、弟が、満足げにご帰宅し、満面の笑みで、長男以下、弟達に現地報告。

〖良き伴侶は〗

・爺さんは昔、お友達に伴侶を紹介する時、愚妻などとは決して言わず、よき奥様と平気で言ってのけた!それに、筆者にはもう一人の伴侶がいた。戦後、進駐軍(米軍)とともにやってきた本場のジャズ。人生は長いか短いかなどの野暮なことは言わない。ジャズは、筆者の人生の中で、良き伴侶ならぬパ-トナーであった。高校生ころから新宿の歌舞伎町にあったラ・セーヌで、ライブを楽しんだ。当時、日本のジャズは創成期で、当時、今も活躍しているクラリネットの北村英治氏(86歳)などの素晴らしいプレイヤ-の音を聴いていた-明るいキャラと、滅茶に明るいデキシ-ランドジャズやノリノリのスイングジャズを華麗に吹き、聴衆を魅了し、今も変わらずに万年の青年のように、聴衆の人々とコラボ。

・昭和30年代、日本人の生活は少しずつ生活にゆとりができると、多種・多様な趣味の世界がマスメデアなどから入手可能となり、日本人の生活の中で大きな意識の変化をもたらした。1964年10月、新幹線の開通と東京オリンピックが開催された。このビックイベントを機に日本は高度成長期に入り、国民の顔は次第に自信に満ち溢れ、明るい将来が約束された。

〖ジャズと人生〗

・高度成長期に入ると、スイングジャズはフルバンド編成(15人)となり、全盛期を迎える。原信夫とシャ―プ&フラッツや宮間俊之とニュ-ハードのバンドが米国のジャズ巨匠デュ-ク・エリントン、カウント・ベイシ-スタイルの曲を演奏するようになる-それを聴いた若かった頃の爺さんは将来の夢を見る・語る-同好の人々と。

・若きし頃の爺さんは負けず嫌いであった。ジャズに関する情報が入ると、後れをとったら沽券に関ると、あちこちのコンサ-トに出かけた。時には吉祥寺のジャズ喫茶「ファンキ―」へ出かけ、1959年に発表された珍しい5/4拍子のヴル-ベックカルテットのテイク・ファイヴなどを聴きまくり、アナログの世界にハマった。

・当時、NHKのTVやラジオからもジャズバンドのプロ演奏を聴いた。爺さんが特に印象的な人はジャズ評論家油井正一氏(1918年8月~1998年6月)の解説は、親みやすい語り口で講談調、まさにジャズの語り部であった―1950年代から晩年までジャズ評論の第一人者として評される活躍をした。後に、東京芸大、桐朋学園大、東海大などでジャズ論を講義した。同様に大橋巨泉氏(81歳)、いそのてるお氏の評論も良かった。

〖現役を卒業し〗

・爺さんは、3人の孫がおり、年齢的にも爺さん・爺さん!60代最後の歳で事務所を卒業。生来、何でも興味があったので、「晴耕雨読」の生活は性に合わなかった。自ら「グローバリゼ―ション研究所」を立ち上げ(HP)、ブログを書くようになった。毎日、夕方5時に就寝、同日11時半に起床し、真夜中に戦闘開始(仕事)し、明け方まで続く。

・すでに5年目に入り、現在までのところ“無給無休の生活”を続けている。ブログを書くために、爺さんは、見るもの聞くものは何でも興味津々。取材先として、東京の名所旧跡、歴史博物館、時には花街(向島、八王子)などへ出かけ、“現場主義の爺さん”は“雰囲気だけ”を味わった。

〖変心の裏側〗

・連日連夜、人と真逆な生活を楽しんでいる爺さんだが、次第にNHK「ラジオ深夜便」を聴くようになった。その中で、2015年4~6月の「深夜便のうた♪」、歌香西かおり/作詞・作曲:レ-モンド松屋、「とまり木夢灯り」を聴いた時、爺さんの胸はドキドキ-。エルビス・プレスリーが1970年11月に発表した「この胸のときめき」の心境になってしまったのだ!

・この素晴らしい歌唱力のある香西かおりにジャズのスタンド-ナンバを歌わしたいと思っていた爺さん、ところが、新聞紙上に目に入ったのは、2015年12月リリ-スの「うたびと」の中に、「Vaya Con Dios」と「Sentimental Journey」のジャズのナンバ-が入っている!爺さん迷わずにCDを買い、聴いた・聴いた-やはり素晴らしい歌い手。

・収録されている中で、特に「ステ-ジ・シンガ-」は抜群のフィ-リング。こんなわけで爺さんはすっかり“香西かおりさん”に惚れてしまった!追っかけをやるつもりはない-驚いて腰を抜かすかもしれないからだ!でも、移り気癖の多い爺さんの次の一手は?-「生きることは呼吸することではない。行動することだ。」(ジャン­=ジャック・ルソ-

爺さんの寝言シリ-ズ(1)

   (グロ-バリゼーション研究所)所長―五十嵐正樹

積極的な展開をする中国の大陸横断鉄道

 2016年3月16日

〖プロローグ〗

・2013年9月、習近平国家主席(以下、習氏)が、カザフスタンのナザルバエフ大学で演説した際、「ユ-ラシア各国の経済連携をより緊密にし、相互協力をより深め、経済発展を促すために、新しい協力モデルを生かし、共同で「シルクロ-ド経済ベルト」を提唱した。中国の周辺外交の軸として、また、新しい対外開放戦略の一環として、「シルクロ-ド経済ベルト」(中国語:絲綢之路経済帯)と「21世紀海上シルクロ-ド」(中国語:21世紀海上絲綢之路)からなる「一帯一路」構想(以下、構想)を打ち出した。

〖習氏の戦略〗

(経済圏構想)

・習氏の提唱する「構想」は、ユ-ラシア大陸を内包する壮大な経済圏構想で、習氏が永年抱いていた国家戦略である。別の言葉で言い換えると、“すべての道は北京に通ずる”と言っても過言ではない(注1)。中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す「シルクロ-ド」が基調になっている。シルクロ-ド経済ベルトは、ユ-ラシア大陸を横断する貨物鉄道網(新ユ-ラシアランドブッリジ)のことで、2011年3月の「渝新欧鉄道」(四川省重慶→ドイツ西部・デュイスブル)が開業して以来、各所で開発整備が急速に進んでいる(渝:重慶の別称)。

・2016年1月、習氏は今年最初の視察先として重慶の「果園港」を選んだ。同港は国と重慶市が総額100億円(約1700億円)を投じた物流拠点である。習氏は、「果園港」のプロジェクトに貢献した黄奇帆市長の案内で港を見た習氏は、上機嫌で、「この港は大いに期待ができると」と話す(注2)。港内から延びる鉄道は、前述の2011年3月の「渝新欧鉄道」の起点となっており、中国内陸部を習氏指導部のシルクロ-ド経済圏構想に組み込む役割を担う港である。将来的には、重慶から混明(雲南省省都)に延伸させた後、一気に南下して、ラオス、タイ、マレ-シア、シンガポールを貫く路線を構想していることは明らかであろう。つまり、泛亜鉄路中線・南線との統合で、シンガポ―ルからヨ-ロッパへの一気通貫が可能となる(注3)。

(構想とTPP)

・「構想」の戦略の一つは、物流を促進して欧州とアジアの一帯化が進めば、米国抜きの「非米国経済圏」につながる可能性を示している。そもそも習氏が「構想」を提唱したのは2013年9月、折から日本が米国主導のTPP(環太平洋経済連携協定)交渉に正式合流した頃にあたる。「構想」は米国が主導する環太平洋パ-トナ-シップ協定(TPP)と比肩される一大経済圏が形成されるのか。その鍵を握る欧州諸国の姿勢が注目される。このようにTPPに背を向けて西に進む中国、それを好機とみて資金を引き出そうとする欧州、国際通貨基金(IMF)の元高官は「欧州はしたたか」と話す(注4)。
ph2(引用元 mainichi.jp)

〖鉄道運行〗

(大幅赤字)

・現在、中国国内で欧州への貨物列車が運行している都市は重慶など10カ所。運行本数も往路は2015年1~7月に前年同期比221%増の328便と倍増した。問題は欧州から中国への復路である。同時期に78便と往路の2割程度に止まる。各路線の収支は公表されていないが、中国の研究者によると、大部分の路線は大幅な赤字で、主に地方都市が補助金を出して支えているという。

・欧州までは最低2度、レールの幅に合わせて台車を交換する。各国境で通関手続きも必要である。欧州との経済協力を密にするには、物資を運ぶ路線の確保は不可欠である。既述のように習氏の重慶訪問の際、通関手続きが1回で済んだことを習氏に報告したところ、「大変素晴らしい」と称賛したという。

・この鉄道の課題は一方通行になっていることである。現在、5台の車両が欧州へ行く一方、中国に戻るのは1台だけである。残り4台は安価な貨物船に積まれて中国に戻されているという。「中国がさらに市場を開放し、欧州の製品を輸入しないと、一方通行は固定化されるであろう」と、在北京欧州商工会議所のヨルグ・ブットケ会頭は独メディアの取材に答えて、中国市場の開放求めた(注5)。

(コストを度外視)

・採算性を度外視した「見切り発車」も少なくない。典型的なのが貨物列車路線の開設競争である。外交筋によると、「構想」が浮上した2013年以降-①蘇州(江蘇省)-ポ―ランドワルシャワ、②鄭州(河南省)-独・ハンブルグ、③義烏(浙江省)-スペイン・マドリ-ドなど開設路線が「20以上」になる(参照1/参照2)。前述のように「中国から欧州に運ぶ貨物があっても帰りはほぼ空っぽ」という。情報によると、中国の人々の所得が増え、食肉の需要が拡大していることから、同路線に冷蔵・冷凍コンテナを整備して、欧州から中国の内陸への「食の輸入ライフライン構想」(大手商社)が浮上していたが、これに関する情報は、現在未確認である(注6)。

・しかし、多くの路線の開設について、甘粛省社会科学院の劉伯霞副研究員は「交通網を整備しても、産業の支えがなければ、ただの通過地点になる」と警鐘を乱打する。また、単なる看板の付け替えもある。東北部・黒竜江省とロシアと陸路で結ぶ計画は、10年以上前から「東北振興策」の一環としてあったが、結局は、「一帯一路」の名目で後押しされる見通しである(注7)。これに関する情報として、2016年2月27日、47個のコンテナを積んだ貨物列車が黒竜江・ハルピン市を出発し、中ロ国境に近い満州里からロシア領に入り、5889キロを10日間で、ロシアの第4の都市エカテリンブルグ(Yekaterinburg)に到着している(注8)。
ph1


















(引用元 
http://blog.knak.jp/2014/12/post-1485.html)

〖構想と5カ年計画〗

(本格稼働)

・今年の全国人民代表大会(全人代/2016年3月5日~)の主要テ-マである「第13次5カ年計画」では、「構想」の本格稼働をうたう。同計画の「草案」にも「構想」は「東西双方向」に開放されていると強調。現在、「構想」は中国と沿線国が互いの発展計画をマッチさせる「覚書」を締結する形で進められており、2016年3月6日に会見した中国国家発展改革委員会の徐紹史主任は(閣僚級)は「30以上の国と昨年、覚書を交わした」と指摘、輪の広がりを強調。この政策の推進のために中国の程永華大使は、邦字氏の取材に応じ、「構想」について、「日本にもシルクロ-ドの東方の終点は西安(陝西省省都)ではなく、奈良にあるとする説がある。遣唐使、遣隋使のころは両国文化の往来は非常に密接だった」と明言し、理解を求めている。

(直接投資)

・中国商務省発表によると、2014年の中国企業の沿線国への直接投資は前年比18.2%増の148億ドル(約1.6兆円)であった。加えて、政府系金融機関・中国輸出入銀行の「構想」関連の新たな融資契約は倍増の500件、総額は約3000億元(約5.1兆円)に上ったという。

・2014年、中国と両シルクロ-ド関係国・地域との貿易額は7兆元に達し、中国全体の4分の1を占めた。そのうち中国からの輸出が10%増、中国による輸入が1.5%増であった。今後これらの金額は一段と増加すると見られる。現在、世界経済はグロ-バル化とともに地域経済の一体化が進展し、世界経済と貿易構造の枠組みが大きく変わろうとしている。

・ユ-ラシア諸国は、経済のモデルチェンジとグレ-トアップの重要な時期にあり、地域内の成長力と協力関係を大いに高めなければならない。その意味で、陸と海のシルクロ-ド戦略は沿線諸国の共同ニ-ズに叶ったもので、それらの国々における優位性の相互補完と開放的な発展に対して、新たな成長機会をもたらすものである(注9)。

〖構想と外交政策〗

(王毅外相の発言)

・中国の王毅外相(元駐日中国大使)は2016年3月8日の記者会見で、中国が国際秩序を主導する「大国外交」を加速させる方針を示した。アジアから欧州に至る経済圏構想「一帯一路」などを推進し、影響力を広げる。一方で、各地で生じている摩擦には強硬姿勢を貫き。中国の対外政策は、これまで以上の戦略を持続すると明言している。最近の対日関係について、「あちこちで中国の邪魔立てをする」と批判し、日本側が関係改善を阻害していると述べている。

(程永華大使の発言)

・程永華駐日大使は2016年3月6日、「構想」について、日本と共通意識を高め、経済における共同の利益を拡大させることが可能であると述べ、改めて日本に協力を検討するよう求めた。この一連の中国の要人の発言は、AIIB(中国インフラ投資銀行)への加盟を執拗に日本に求めてきた時と類似している。「AIIB」は「構想」実現のための金融機関であることから、今後の動静を注視しなければならない。

〖エピロ-グ〗

・「構想」は、習氏の国家戦略である-沿線諸国は約人口40億人と約60カ国余りで、インフラ建設の整備を急ピッチで進められている。投資総額は6兆ドル(約740兆円)と推計されている。2015年下半期にも「構想」に絡むインフラ建設ラッシュが最高潮を迎える見通しである(注10)。

・「構想」は、中国情勢を分析する際の最も重要なテ-マの一つである。一つの事例として、現在、中国の鉄鋼などの資本財は深刻な過剰生産状態にある。その供給過剰分の受け入れ先として、先ず、中国が、ヒンタ-ランド(後背地)としてのユ-ラシア諸国への開発が不可欠である。

・「構想」は、大陸横断鉄道が重責を担っている。現状は、中国のワンウエイ(一方通行)である。この鉄道の運行を持続するには充分なコスト意識がなければならない。課題として、中国は欧州諸国に対して、自国市場の開放を積極的に推進することが肝要である。これにより双方向で持続可能な運行が維持できる。

・「構想」への日本の意識は希薄である。日本の外交戦略は、日米同盟を基軸として、さらに両国の絆を強くすることに主眼がおかれている。この日米関係の動静を逐一注視するのが中国である。前述のごとく、中国の要人が「構想」への協力を日本政府に求めているが、現今まで日本政府の反応はない。反面、中国へ進出している日本企業及び本土企業の「構想」への認識は、コスト面で大陸横断鉄道は有力な選択肢の一つであるとみている。      

 (グロ-バリゼ―ション研究所)所長 五十嵐正樹

【注】

(1)「フォーリン・アフェ―ズ リポ-ト」2014年11月号。

(2)「朝日新聞」2016年3月2日。

(3)一帯一路構想「動き出した陸と海のシルクロ-ド」樋泉克夫論文、エコノミスト、2015年1
      2月31日。

(4)「毎日新聞」2016年1月8日。

(5)(4)と同じ。

(6)「産経新聞」2014年7月12日。

(7)「読売新聞」2016年3月2日。

(8)「人民日報」(海外版)2016年3月1日。

(9)「チャイナネット」2015年6月15日。

(10)「ロイタ-」2015年6月18日。

【参考資料】

・「中国鉄道コンテナ輸送の発展とユ-ラシアランドブッリジの新展開」福田秀夫論文((株)ジュネック経営企画グル―プ長)、2014年10月25日。

・「中国鉄道総公司」HP。

Newsweek(日本語版)、新シルクロ-ド構想「中国の野望。2015年5月26日。

・みずほリポ-ト 中国シンタンクが明かす「新シルクロ-ド構想」全容、2015年7月22日。

【参照1】 主要路線

⒈渝新欧鉄道(四川省・重慶-ドイツ西部・デュイスブル/1万1千179km/2011年3月19日開業/所要日数:14日)。重慶製造の完成品PC(HP等の米国メカ-)

⒉漢新欧鉄道(武漢-チェコ/2012年10月開業)

⒊青新欧鉄道(靑島-オランダ/2012年12月開業)

⒋蓉欧国際快速鉄道(四川省・成都→ポ-ランド・ウッチ/9826km/2013年4月開業/同10日)。家電/自動車部品/機械・設備/アパレル等(蓉:成都の別称)

⒌義新欧鉄道(浙江省・義烏→スぺイン・マドリ―ド/1万3千km/2014年11月18日開業/同21日)。コンテナ車両82(標準)、復路はハム/赤ワイン/オリ-ブ油等。

⒍中国・イラン横断鉄道(浙江省義烏→テヘラン/10399km/2016年1月28日開業、同14日)。コンテナ車両82:金属製品、建築資材、装飾品等。

【参照2】運行ル-ト

浙江省・義烏→新疆ウイグル自治区・阿拉山口→カザフスタン→ロシア→ベラル-シ→ポ-ランド→ドイツ→フランス→スペイン・マドリ-ド。

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