2019年1月3日


〖鯨の文化〗

(保存食材)

・鯨の思い出を紐解いてみよう-戦中派生まれの筆者、1950年代(昭和30年代)に鯨カツや鯨ヤキ肉などの鯨料理が、我家の重要なたんぱく源として食卓に頻繁に上った。両親の話によると、田舎の新潟県(新発田市)や福島県(会津若松市)では、夏や冬の重要なたんぱく源として塩鯨(しおくじら/脂肪部位)を食べていた-今でも塩鯨は町や村の食料品店では売られている。3年前、東京・御徒町鮮魚店「吉池」でも塩鯨を売っていたが、今は見当たらない。当時「吉池」で、今市から大きなリックを背負って来た年配の女性にあった-知り合いにも頼まれ、塩鯨を沢山買って帰るという-戦後の買い出しの人達を思い出す。察するに栃木県北部の今市(現:日光市)は、福島県南会津町(鯨文化圏)とは比較的近く、県境の山王峠(国道121号線/日光街道)を通じて、栃木の人々も塩鯨を食べていた。

(代用獣肉)

・鯨の歴史は、すでに712年(和銅5年)の古事記のなかで、神武天皇に鯨肉が献上されていたという記述がある。歴史は下がり、1832年(天保3年)には、捕鯨の様子を描いた絵物語の付録として鯨料理専門書『鯨肉調味方』が発行されている。鯨の部位の70についての料理方法として「鋤焼き」(スキ)という焼肉風の料理、すき焼きに似た鍋物、揚げ物などが紹介されている。鯨肉普及のための一種の広報誌だったとも言われる。江戸時代から組織的な捕鯨が行われるようになり、これら捕鯨地域の漁村では鯨肉は常食されていた。1934年(昭和9年)、日本は南極海の捕鯨に参入。第二次世界大戦後の食糧難時代以降になると、日本中に鯨肉食が広まった。鯨カツ、鯨ステ-キ、鯨カレ-などの鯨肉料理の大半は、牛肉や豚肉の入手困難だった時代に、鯨肉を代用獣肉という位置づけの食材として使用した物である。
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〖脱退の背景〗

(理  由)

・日本政府は2018年12月26日、国際捕鯨委員会(IWC/加盟国89カ国:反捕鯨国48ヵ国/捕鯨支持国41ヵ国)から脱退すると発表した。脱退方針についは同25日に閣議決定している。捕鯨に反対する国との意見対立が解消できず、現状では商業捕鯨の再開が困難だと判断。日本は2019年6月末にIWCから離脱し、2019年7月から日本の捕鯨は領海や排他的経済水域(EEZ)で、商業目的の捕鯨を再開する。

・脱退への転機となったのは、2018年9月のIWC総会(ブラジル)において「日本は商業捕鯨の一部再開などを提案したが、オ-ストラリアなど反捕鯨国が反発し、反対41、賛成27で否決された」ことが背景にある(注1)。なお、日本が近年、国際機関から脱退した事例は、①2009年「国際コ-ヒ-協会」(ICA)から脱退(2015年に再加盟)、②2012年「一次産品共通基金協定」(CFC)からの脱退である。

〖各国の反応〗

(中  国)

・日本の脱退決定について、中国の見方として(捕鯨支持国)-2018年9月にブラジルで開催されたIWC総会において、日本が提出した「調査捕鯨」継続に関する提案が、反対41票・賛成27票で否決された。日本はIWCに留まれば「クジラの持続可能な利用と保護」が不可能と感じ、当時から脱退を決めていた。日本は今後、IWCが定める範囲に基づき、自国の領海と排対的経済水域での捕鯨行い、南半球や南極での捕鯨は行えなくなる。日本は戦後「国際協調主義」に貫いており、圧倒的多数の問題で国際社会の主流に従ってきた。今や自国の要求が通らなかったからといって、“トランプ大統領の真似”をして強引に脱退した。これは極めて異例であり、国際社会から批判を浴びることになりそうである(注2)。

(豪州など)

・反捕鯨国として、➀豪州のペイン外相は12月26日、プライス環境省と共同で「非常に失望した。優先事項としては日本に復帰を促す」との声明だした。②ニュ-ジランドのピ-タ-ズ外相も同日発表の声明で、捕鯨は「時代遅れで不要な慣行だ」と指摘する。「日本が(脱退を)再考し、海洋生態系保護のため、あらゆる捕鯨を中止することを望み続ける」とした。③米紙ワシントン・ポストは「日本の国際的評価に大きな傷になりかねない」と指摘している。④米CNNは、鯨肉食は日本でまれになっているとし「ほとんどの日本人は捕鯨に関心がない」とする日本国内の反捕鯨団体の話を伝えている。⑤英紙ガ-ディアンのコラムニストは「商業捕鯨を復活させるという日本の考えは恐ろしい」とする記事を掲載した。⑥環境保護団体グリ-ンピ-ス・ジャパンは「日本は2019年の20ヵ国・地域(G20)サミットの議長国として脱退を撤回すべきだ」との声明を出した(注3)。

〖脱退の筋書き〗

(綿密な計画)

・IWCは単なる鯨類の保護機関と化し、本来の役割である鯨類資源持続的管理・利用が今後望めないと判断し、首相官邸側は、今秋頃から脱退の方針を固めていた。このように機能不全状態を受け、これまで国際協調重視の立場からIWC脱退に迷いがあった外務省も舵を切った。秋葉剛男事務次官は昨年7月、ニュ-ヨ-ク総領事に転出する山野内勘二経済局長の後任に、腹心の山上信吾国際情報統括官を充てた。以後、2人が中心となって関係各国の交渉・調整に入った(注4)。

(地域活性化)

・菅義偉官房長は昨年12月26日の記者会見で脱退の狙いの一つに“地域活性化”を挙げている。地場産業として捕鯨(太地町)を抱える和歌山県の仁坂吉伸知事は同日「政府の決定を支持する」とコメント。脱退決定には安倍首相と自民党の二階幹事長(和歌山3区選出<太地町>)という政権幹部の意向が動いた。併せて政府は19年度予算に捕鯨対策として51億円を計上した。その意図は調査捕鯨の山口県下関市は沖合操業を復活させ、同時に和歌山県太地町など全国6カ所にミンククジラなどの沿岸捕鯨をする構想が背景にあった(注5)。

(需  要)

・戦後しばらく、鯨肉は魚肉の練り物製品とともに安価な代用肉の代名詞であり、日本人の重要なたんぱく源として食生活の中で重要な位置を占めていた。生産量は飛躍的に伸び、1958年には13万8千トン、ピ-クの1962年には22万6千トンあった。戦後を生き抜いた人々の間では<鯨肉=代用=安物>といった偏見・嫌悪感もある一方で、当時へのノスタルジ-を惹起する食材でもある。特に鯨の竜田揚げは、戦後の学校給食を代表するメニュ-として語られる。1987年の商業捕鯨中止などで激変した鯨肉の学校給食が徐々に復活し、給食を実施している全国の公立小・中学校約2万9000校のうち、2009年度に一度でも鯨肉の給食を出した学校は、18%に当たる5355校になった。かって、年20万トンを超えた日本の鯨肉の消費量も、ここ数年は年3千~5千トにとどまる。

〖鯨文化継承〗

・日本のIWCからの脱退は当事国の日本としての反応は静かであり、特に国民のセンセーショナルの反応は今のところ見当たらないが、それでも日本が国際社会の批判を浴びるリスクは残るであろう。2019年1月、安倍総理が反捕鯨国の英国を訪英する予定をしており、首相が英国世論の批判浴びかねないと懸念する指摘もある。

・情報によると、日本の鯨料理店は141件あるという。著者はコンロで鯨肉を網の上にのせて焼く匂いは懐かしいが、最近はまったくお目にかからない。ますます鯨肉料理との距離は遠くなってしまった。仕方がない!食生活が余りにも豊かになってしまったためである。政府は和歌県太地町を含む全国6カ所に“鯨の産業継承“(町興し)のために政府は“捕鯨対策”として2019年度予算案として51億円を計上したという。しかし、商業捕鯨の活路を見出すことは難しい。

・中央学院大学の谷川尚哉教授は「IWCは鯨の保護組織としての性格が強まっている」と話す。日本政府がIWCへの復帰はまずのぞめない。明らかに反捕鯨国(48ヵ国)と捕鯨支持国(41ヵ国)との“食文化の違い”が背景にあるからである。日本の鯨文化は鯨の産業継承地や観光地の食事として生き残るかもしれないが・・・・・。

(グロ-バリゼ―ション研究所)所長 五十嵐正樹

(注)

(1)「日本経済新聞」2018年12月27日。

(2)「チャイナネット」2018年12月27日。

(3)「日本経済新聞」2018年12月27日。

(4)「産経新聞」2018年12月30日。

(5)(注3)と同じ。    

(資 料)

(1)「ウイキペディア」。