2019年8月1日


〖プロロ-グ〗

▷中居屋重兵衛の生涯は42歳で幕を閉じた。晩年の2年間(1859年<安政6年6月>~1861年9月<文久元年8月>)は、横浜で“最も輝かしい時”と“最も苦渋の時”を過ごした。当時、重兵衛は黎明期の横浜で生糸貿易取引の大半を行っており、幕末の生糸貿易支え、横浜発展の礎を築いた。以下、中居屋重兵衛の横浜におけるビジネスの実態である。

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〖豪壮な店構え〗

▷中居屋の店は昼夜兼行の突貫工事で行われた。檜造りの本普請で、華麗な造園を備えていた。間口40間、奥行30間、奥行30間の2階建ての屋根は銅瓦葺きで、陽光に映え、人々はこれを見て銅御殿(あかがねごてん)と呼んでいた。粗末な店舗で取引すれば、外国人たちに侮られてしまうからという。使用人は60人を擁していた。

▷反面、多くの店舗は平屋のバッラク建ての粗末な建物であった。運上所経営(税関)を委せられていた“両替商の富豪三井でさえも粗末な建物”であった。当時の状況について、福沢諭吉が『福翁自伝』の中で、「掘立小屋みたいな家が緒方にチョイチョイできて、外国人がそこに住まって店をだいしている」と述べている(注1)。

▷中居屋の庭園は岩亀楼(遊郭)と同様に横浜居留地の名物の双璧と言われた。また、二代目の広重の錦絵には、本町4丁目角、中井と記入されていた図があるように、中居屋だけが一層際立っていた。18畳二間の店の接客室の天井は、ギヤマン(硝子)張りで、水槽の中には真紅の金魚が泳いでいたという。座敷に座って居ながら、上を仰ぎながら眺められ、部屋の各襖は、渡辺崋山の高弟で、画人として名を知られていた岡本秋睴の極彩色絵が張りめぐらされていた。

〖ビジネス概況〗

(取扱商品)

▷中居屋の取扱品目は多種多様で、現在の商社と似ている。主な商品は、➀塗物、蜜柑、陶器、傘、木綿、真綿、白生絹糸、葛粉、紙、織物、人参、石炭、薬種、小麦粉、鉛、松油、煙草、呉服、太物、②荒物、浮世人形、蒔絵物、鉄張日笠、矢立、煙草入れ、金物根付など。③昆布、乾天、水油、屏風、酒中花(ヤマブキの茎の髄)、⑤唐銅器、真鍮器、甲州芋、薩摩芋、銅細工物竝銅線、⑥五か国条約書。

(商   談)

▷代表的な貿易商であるジャ-デンマゼソン商会は「阿片戦争」当時から中国貿易では最も古く、横浜の外国人居留地へ真っ先に木造二層家を建てて移ってきたので、“英一番館”といわれた。その総支配人ケセイッキが中居屋重兵衛の店へやってきて、最初の商談の際、“相手は短銃を手”にもってみせたので、重兵衛は大刀を持ってきて、畳に突き立て、にっこりと笑いながら、“この刀は日本人の魂”である。もし、万一、私に不正があった場合、あなたの短銃で私を撃ちなさい。逆の場合、私はこの刀で、あなたを切るから左様に心得てもらいたい。以後、商談はうまくいったという逸話が残っている(注2)。中居屋重兵衛の店は品揃え、店構えなど他の店と比べ優位な状況にあった。重兵衛は肝の座った男であった。

▷諸資料から推断して、横浜開港当時の生糸貿易の創始者ならびに功労者は中居屋重兵衛が第一の貿易商人であった。その理由として、①幕府出先との関係、各藩大名との取引実態など、②用意周到な規模雄大な貿易進出の下準備、③居留地出店の借地坪数、建築物の壮麗さなどである。後に貿易界の実力者原善三郎(生糸売込問屋亀屋を開業、明治の横浜財界の有力者)は、「生糸貿易の先駆者」は中屋重兵衛と評価している(注3)。

▷次に、甲州屋忠左衛門、芝屋清五郎の2名がいる。➀芝屋清五郎は横浜野毛村の豪農手塚孫右衛門の末弟で神奈川在芝生村に居住していたが、直交易差許し候という幕府の布達を聞いて、代表として、仲間を誘って外国奉行へいち早く願書を提出している。横浜に近いことから熱心な貿易先駆者であった。②甲州屋忠左衛門は山梨県東八代郡油川村の素封家(資産家)篠原忠左衛門で、郷里の豪農を誘いあって、開港前3月に貿易地所借差許しの出願をしているが、後年、甲州財閥の雄といわれた若尾逸平(甲州財閥の一人)らの先蹤をなした人である。

(生糸貿易)

▷幕府は長い間、鎖国政策をとってきたので、外国貿易は未経験であった。そのため、①厳重な布令を出し、武具、金銀、米、武鑑などを輸出禁制品とした。②反面、輸入禁制品として、阿片、武器などである。③外国商人が先ず触手を伸ばしたものは、生糸、茶、水産物などである。

▷横浜が開港し、貿易が始まったのは1859年6月(安政6年)である。その後、わずか数ヶ月の内に生糸は日本有数の輸出品になった。輸出量は開港後の4カ月間で3万5千斤に達したと言われ、各地の生糸商人はこぞって生糸を横浜に出荷した。彼らの多くは生糸とともに横浜を訪れ、みずから活発な商業活動を展開した。

▷次に開港直後の情況を見ることにする。三井横浜店の手代が、1859年10月8日(安政6年)に記したものである。生糸売込商中居屋重兵衛が生糸の全輸出5割を扱う横浜最大の売込商であったことを伝えている。この店には奥州・上州・甲州など、各国の生糸商人が続々と生糸を持ち込み大変な盛況ぶりであった。

▷当時、幕府は売込商以外の商人が外国商館と取引することを禁じており、外国商館に生糸を売却できたのは幕府の許可を受けた中居屋のような売込商だけで、大量の生糸が輸出された(注4)。資料によると、1859年8月18日(安政6年)、中居屋重兵衛がはじめて前橋提糸(さげいと)をフランス商館に売り込んだという(注5)。

(生糸組合設置)

▷1864年8月(文久4年)、横浜の生糸売込業者が中居屋重兵衛・糸屋勘助、小橋屋伝右衛門・吉村屋幸兵衛・大和屋三蔵・徳右衛門を惣代として生糸荷受所を設置し取扱いを一定するため、以下の仲間議定書3カ条を制定した(注6)<生糸組合のはじめ>

(注)
(1)江戸問屋の送券を以って荷受所に入荷し年行事に継代等立合の上名宛ての者へ代金引替に相渡すべく事。

(2)議定書に違う取引を成したる者は行事等より説諭し肯ぜざる者は町役人へ肯ぜざる者は町役人へ申立説諭を受く、尚承伏せざるに於いては其旨江戸問屋へ通知し以後荷受を為さしめざる事。

(3)1ヶ年入港の荷数は6000個但し4個1駄に付き代金500両と見積もり口銭2分5厘若干両内1分を売込口銭として5厘若干両内1分を売込口銭として5厘を町会所へ2厘5毛を仲間一同へ盆暮二期に割当に其餘は荷受所諸費に宛て尚残金もらば三井へ預金とすべき事。

〖繁盛の背景〗

(スタッフ)

▷中居屋の店が充実・繁昌した背景には有能な人材を配していたことが挙げられる。開店当初60人のスタッフ(使用人)がいたが、店の営業が事業拡大するにつれて増加し商家のスタッフは99人までと定められていたので、ほぼ同数のスタッフが働いていたと思われる。重兵衛は重要なことなど指図するだけであった。重要な外国人は直接面談するだけで、めったに人に会わなかったという。

▷幹部連中のスタッフを列記すると、一番番頭重右衛門(元医者の松田玄仲)、その義弟の吉右衛門が総支配人の任に当たり、林蔵というのが役所係、人新平は唐(外国人)の文書係、人事部長役は太兵衛、貿易販売担当主任は啓三郎他2人、重兵衛の影武者の一人が大柄でかっぷくのよい善助、他に手代役スタッフ約10人強が生糸や茶の買い付けに地方に出張していた。重兵衛の店は他の商店と比べ、格段に立派で、何でも必要な品が手に入るので、外国商人は中居屋へ集まって来た。

(賞与支給)

▷中居屋は外国商人との取引が成立すると、スタッフ全員に特別賞与を出していたので、従業員の重兵衛への信頼が厚かった。このことが相乗効果を発揮して、外国商人の信頼を得て、その売込みは他の業者と比肩する相手ではなく、商売は順風満帆で推移し、たちまちのうちに“万両富限”といわれるになった。

▷加えて、大勢の客が泊まりがけで詰めかけていたので、食事時には食堂にあてられた広い座敷に20膳ずつ配膳して、合図の拍子木を打ち鳴らし、幾組に、客人、店の者と集まって箸をとって食べたと伝える。以上は中居屋の繁昌隆盛ぶりの一端をうかがう好例である(注7)。



〖エピロ-グ〗

10425aj2200025417001▷中居屋重兵衛は今風に言えば、オルランドプレイヤ-であった。残念ながら、彼は“42歳で店じまい”をしてしまった。彼の事業への行動規範は明確で、それを支えたのは先見の明があったことである。商売がスタ-トアップし、たちまち“万両富限”となった。重兵衛は豪胆で、肝が据わっていた。前言で、ケセイッキと重兵衛の対話はその象徴的である。

▷重兵衛の最期につては、獄死説、毒殺説などがあり、現在に至っても判然としない。歴史から抹殺されたためである。彼は幕末の黎明期の横浜で華を咲かせたが、後、文明開化の明治の御代まで7年を要した。来年は中居重兵衛の生誕200年を迎える。故郷の三原では記念行事を準備しているという。今こそ、中居屋重兵衛が生きた“混乱・混沌”の時代を学びたい。

(グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹

(注)

(1)斎藤多喜夫著『幕末・明治の横浜』 西洋文化事始め。明石文庫、2017年3月10日、36頁。

(2)佐佐木杜太郎著『中居屋重兵衛』<開国の先覚者>新人物往来社、昭和47年11月25日、130頁。

(3)(注2)と同じ。135頁。

(4)西川武臣論文「横浜開港と<武州系><絹の道>の数量的検討」、「多摩のあゆみ」、平成元年5月15日、多摩信用金庫55号、53~65頁。

(5)「横浜歴史年表」昭和28年3月30日(上下合本)、32頁。

(6)(注5)と同じ。102頁。

(7)(注2)と同じ。148~150頁。

<参考資料>

・横浜開港資料館

・萩原進著『中居屋重兵衛』(炎の生糸商)(株)有隣堂、平成6年6月20日新版発行。

・松本健一著『真贋』(中居屋重兵衛のまぼろし)(株)新潮社、1993年5月15日。

・南原幹雄著『疾風 幕末の豪商中居屋重兵衛来り去る』 人物文庫、1998年11月。

・「人づくり風土記」全国の伝承 江戸時代、農山漁村文化協会、1987年11月24日。