2020年12月20日

阿賀町の場所
出典:Open StreetMap
〖プロローグ〗
▹阿賀町(新潟県東蒲原郡)が何処にあるのかご存知でしょうか?多分多くの方はNoかも知れません!著者も最近まで知らなかった。著者の親父は、新潟県北蒲原郡新発田町(現:新発田市)出身で、時々、藩政時代(新発田藩/溝口家)の話になると、新発田藩の参勤交代のル-トは、先ず、新発田城から正装して1里ほど歩み、殿様の別荘の「五十公野茶屋」に入り、旅支度を済ませた後、1日の行程として、先ず、会津街道に入り、山内宿、赤谷宿、綱木宿、会津領内の「津川」に入ったと聞いていた。
▹明治維新(1868年)に入り、津川は1886年(明治19年)まで、町域は福島県に入っており、新潟県に編入されるまで約700年間は会津の配下にあった。2005年4月1日、津川町、鹿瀬町、上川村、三川村が合併して「阿賀町」になった。阿賀町は“神秘溢れる山々”と“壮大な阿賀野川(長さ:210km<静岡の天竜川212km>/源流:福島県、群馬県)の浪々と流れる風景は、“新潟の優しさ”が、心身ともに癒される風景です-“人々を魅了”します。以下、昔のノンビリ感漂う昔の津川と現在の切ない阿賀町物語です。
〖阿賀町の光景〗
▹本年10月中旬、待望の阿賀町へ行くチャンスが訪れた。午前中、所用があって新潟市西蒲区曽根に行き、その足で阿賀町(49号線経由、64.3km)へ向かうことになった。曽根町は弥彦神社が近くにあり、神社の裏側は日本海である。同町の周辺は広大な米作地帯で、車窓を開けると、心地よい風が入ってくる。“此の地が新潟”であった。新潟県の西端から五泉市を通って、東端の阿賀町までは車で、約2時間、約60~70キロの距離です。
▹五泉市を抜けると、車の右を磐越西線(上り郡山方面/下りは新津方面)、五泉駅から猿和田、馬下(まおろし/1910年(明治43年)10月25日開設)駅が右手に見える。珍しい名前である。その由来は、昔、越後から会津に向かう道は次第に険しくなり、馬に乗った人は下りた(馬下)という-場所である。津川方向へ向け49号線をひたすら走る。▹三川の先で、右手に揚川ダム(東北電力揚川発電所<5万3600kwh>/阿賀町谷沢字新瀬)がみえる。この付近は片側1車線、道幅が狭く、急カ-ブが多く、旧規格のトンネルがあります。やがて、坂を上がりきると、平地に近い場所が続き、両側に店があり、左手には阿賀町役場が見えます。この辺りは旅人が一服できる雰囲気が漂う。東京の郊外に住む著者にはこのよう経験は極めて少ない。
〖阿賀町概況〗
(地 勢)
▹阿賀町は新潟県東蒲原郡にある町、町名の由来は地域に流れる阿賀野川からである。町の中央を阿賀野川とその支流の常浪川が流れ、その沿岸の段丘を中心に開けた山間地帯です。面積は952.88平方キロメ-トルで、新潟県面積の約6.8%を占めています。その広さは県内30市町村で、村上市、上越市に次いで3番目です-面積952.89㎢/総人口10327人(推計人口、2019年7月1日)/人口密度10.8人/㎢です。
▹隣接自治体:
新潟県:新発田市/阿賀野市/五泉市
福島県:喜多方市/大沼郡金山町/耶麻郡西会津町/南会津郡只見町

阿賀野川
出典:「写真AC」
<有力鉱山>
▹藩政時代から阿賀町の有力鉱山(草倉/三川/持倉)が点在し、明治維新に入っても、明治政府の“殖産興業、富国強兵”政策もあり、戦略物資(銅など)を生産する立場から生産活動の強化が続いた。以下、主要鉱山の盛衰です。これらの鉱山は資源枯渇に直面し、閉山の途を歩んだ-現在、産業遺産となっています。
・草倉鉱山:江戸時代会津藩随一の山といわれた草倉鉱山(銅採鉱)は明治に入って、古河鉱業の創立者古河市兵衛によって経営されます。銅は有力な戦略物資でもあり、更に新しい技術が導入されて、産出量は飛躍的に伸びます。
・明治の中頃には、最盛期には荒鉱を積んだ帆掛け船16隻が阿賀野川を圧して新潟に下ったといいます。明治末期から産出量が減少し、大正9年に休山となります。その後、次々と鉱山関係者は鉱毒で有名になった足尾鉱山に移ったといわれます。後に鉱山王と呼ばれた“古河市兵衛”の足掛かりとなった草倉鉱山跡は現在、鹿瀬町指定文化財に指定され保護されています。
・三川鉱山:同鉱山は古く、1533(天文2年)に発見されたといます。戦略物資である金・銀・銅・鉛などを産出し、最盛期に400人超が働いていたといわれます-小学校、社宅、医療施設などもあったといわれます。1962年に閉山します。
・持倉鉱山は江戸時代の享保年間(1716~36年)に会津藩主が奉行を派遣し、約100年採鉱したといわれます。明治後期に入り、折しも岩越線(現:磐越西線)の計画と敷設が始まったころで、鉄道で銅の搬出を目論んだ小出氏(五泉財閥)は五十島駅の設置にも投資・尽力し、同線は大正2年に開通します。しかし、同鉱山は次第に枯渇し始め、1920年(大正9年)に閉山。現在は2階建ての事務所跡が残っています。
〖経済概要〗
(人口趨勢)
▹国勢調査による阿賀町の人口推移を見ると、2005年(平成17年)の総人口は1万5448人であっが、年を追うごとに人口は顕著に減少し、2018年(平成30年)には1万1278人となり、減少基調に歯止めがかかりません。同様に世帯数をみると、2005年5333、2018年には4642となった-阿賀町にとって由々しき事態です。
<産業人口>
▹産業人口(平成17年国勢調査)によると、第1次産業は869人、第2次産業2232人第3次産業3558人です。主流はサ-ビス産業主体です。次に第3次産業です。現在、この構成は変わらないと考えます。
▹工業統計によると、2010年(平成22年)は、事業所数25、従業員者数600人、製品出荷額47億9695万円、2013年(平成25年)は事業所数27、従業員者数571人となっています。
〖財政概況〗
(交付税)
▹阿賀町は町村合併後16年迎えます。普通交付税は合併算定替えによる増額交付の最終年度となります。その縮減により町の財政は一層厳しい状況にあると言えます。また令和2年度に実施予定国勢調査では、平成27の調査からの急激な人口減により、本町の主要財源である普通交付税の算定に大きく影響することなり、今後の交付額についても大幅なに減額となることが見込まれます。
(高齢化)
▹反面、高齢化などによる社会保障や福祉施策などに係る経費の伸び、公共施設の老朽化への対応の必要性による維持管理費などの増加は避けられない状況にあります。以上のように歳入は減少し、歳出は増加する厳しい財政状況にある中で、人口減少と超高齢化社会に対応するため、歳入では、より一層財源の確保歳出では事業の見直しによる徹底した縮減が不可欠です。
(主要政策)
▹令和2年度は、「第2次阿賀町総合計画後期基本計画」の初年度となり、重点施策として位置づけた子育て支援や定住支援、学校教育などの施策を着実に実行し、基本理念である「“豊かな自然・かがやく文化・みんなで築く安心のまち”」の実現に向けた予算編成を行います。
▹阿賀町の将来を見据えた政策の根幹は、人口減少を食い止めるための定住促進を推進するための諸策に尽きます。先ずは、観光・交流推進と魅力の発信である。地域の特性を活かした“稼ぐまち”をつくる。その政策の柱の一つである「あがまちファンクラブ運営事業」です-移住定住を最終とした関係人口の増加図るため、町外者を対象としたあがまちファンクラブを設置し、その会員による阿賀町のアピ-ル活動を展開します。
▹学校教育の充実と愛郷心を育む環境づくりです-①阿賀町みらい留学推進事業、②通学環境を整備事業、③阿賀町黎明高校魅力化推進事業(黎明学舎)などです。特に黎明高校を通じての人材教育は特質すべきものだといえます-阿賀町の自然豊かな環境のなかでの教育は今、日本を抱えている学校教育を凌駕するものです。今後の発展に注目したい!
〖観光事業〗
(優位性)
▹阿賀町の特質出来る経済資源としては、“無尽蔵ある観光資源”です。阿賀町の将来を見据えたプラニングが重要です。先ず、最も重要なのは阿賀町の名前を知らしめることです。報告者は東京の郊外に住んでいます。知り合いに阿賀町という名前を知っていますかと聞くと、先ずは知らないという意見が大半です。今後、阿賀町の当局者は、とにかく名前を憶えてもらうことが肝要です。その意味で、既述のように「あがまちファンクラブ運営事業」は大切です。
(歴史文化)
▹阿賀町の特質すべき点は、藩政時代に文化・経済交流を伝播した旧会津街道の存在です。越後でありながら会津藩であった阿賀町は深い歴史があります。同街道は、如何に重要であったかは、当時、歴史的に著名な人-吉田松陰、十返舎一九、山県有朋、明治に入り、イザベラバ-ドが「会津街道」を利用したことです。加えて、阿賀野川の水運を利用した津川河港跡があります。また、川の両岸には麒麟山温泉をはじめとして、阿賀町には8つの温泉があります。

津川の街中風景
出典:「新潟県」
〖エピロ-グ〗
▹町役場や会社の成り合いは人が重要な経済要素です。現在、阿賀町の人口やそのほかの経済指標は、将来に向かって縮小均衡に推移しています。この状況が続きますと、町の財政は成り立って行きません。阿賀町の現状は、瀕死の重傷患者に似ています。現状がこれ以上進めば、大変な事態を招きます。その意味でも、既述の定住のための諸策を発表しており、極めて重要な動きです。
▹本年はコロナで始まり、コロナで終わります。どの市町村もコロナの影響を受け、経済は大きく落ちこんでいます。来年に期待する声も、コロナの感染拡大のために、まったく見通しがつきません。政府はオリンピック開催に執念を燃やしているのが現況です。東京から345.km、車で約5時間あれば行ける距離です。来年はコロナが終息するのを期待し、阿賀町へ数回訪れ、町当局の諸策の現状を見たいと思います。
(グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹
(引用資料)
・「新潟日報」2020年12月9日「鉱山の繁栄想定」阿賀・遺産ツァ-
・令和2年度「阿賀町当初予算の概要」
・「阿賀町」ウィキペディア
・「会津街道」~いにしえから続くみち~