2021年12月25日


〖プロロ-グ〗

人間の死-前奏は病気・老衰である。そのために家族内で看病、介護が始まる。現代では多くの人々が家族に看取られ、病院で死を向かえる。何れは誰でも通る道となる-死は平等である。しかし、最近、自死を選択する若人が多いと、メディアが報じ、大きな社会現象となっている。日本の将来にとって憂える問題である-この病巣を取り除けなければならない。

近世の農民は日々、畑・水田に出て仕事を終える。日が出ると畑に出て、日が沈むまで続く。農作物を生産することで自らの命をまもる。このライフサイクルの中で、生活が保障される。江戸時代の百姓は年間1石(約150キログラム)以上の米を食べていたと言われ、加えて、穀物(米・麦その他)の消費量は1石5斗程度と、考えられていました(注1)。

江戸時代は265年の長きに渡って続いた。農民は堅固な幕藩体制を支えた-その裏付けなったのが石高制度で、食糧需給体制の基となり、3000万人の食を支えた。農民は生まれてから死ぬまで労働に勤しんだ。しかし、すっかり体を使い込んだ農民は、やがて、家族に看取られ、死を迎える-江戸時代の農民は人間の尊厳を堅く守った。当時の農民は自分自身の死をどのように見ていたのかを、以下に報告する。

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江戸城 二重橋
出典:「写真AC

 

〖農民力の基盤〗

(基層単位)

江戸時代における全国の村数は元禄10年(1697)に6万3275、天保5年(1834)に6万3562でした。現在の全国の地方自治体数は約1700ですから、単純に平均して、1つの地方自治体の区域内で37程度の江戸時代の村が含まれていました。現在の地方自治体としての「村」の多くは、江戸時代の村は複数合併して成立したものです。現在も市町村のなかにある「大字」は江戸代の村を引き継いでいるケースが多くあります。以下、18~19世紀の平均的村は以下のとおり(注2)。

・村高(村全体の石高)400~500石/耕地面積50町歩/戸数60~100軒/人口400人程です。

 

〖長生の願い〗

農民の個々の生活は、経済の基層単位の中にありました。近世の農民も現代と同じく長生きしたいと願っていました。しかし、長生きすることは、老いることである-自明の理です。現代人にとっても若さを失うことは不安であり、恐怖です。しかし、貝原益軒は「長生すれば、楽しみ多く、益多し」と説いています。また、井原西鶴は、「日本永代橋」(元禄元年、1688年)で、「若き時、心を砕き、身を働き、老いの楽しみを早く知るべし」とも言っていました。現代人とは正反対の人生観です。西鶴はまた理想のライフスタイルについて、「人は、13歳迄は弁へなく(わきまえ)、それより24・5までは親の指図を受け、その後は我と世を継ぎ、45迄に一生の家を固め、遊楽することに極まれり」とも言っていました(注3)。

(暮らしのリズム)

江戸時代にはエネルギ-やスピ-ドといった価値や、力や量といった論理はなかったのです。暮らしは自然のリズムにそって流れていたし、人も物もゆっくり動いた。人がその一生で蓄えた知恵や技能がいつまでも役にたちました。そうした社会は“年寄りの役割が厳然”としてあり、また社会そのものが年寄りのゆっくりとした動きをしていました。情報面でも若い人より年寄り老人の方が豊かでした。

(尊崇の対象)

江戸時代に生きていた人は現代とは違って人生の前半より人生の後半に幸福があった。「老いが尊く見られた」江戸時代、現代人の最高の願望である「若返り」という考えはなかった。現代超高齢化社会の日本では「老」という字がなぜか嫌われています。反面、江戸時代は、武家たちは重役のことを、「家老」といい、幕府では「大老」、「老中」などと言っていました。「老」は年老いた高齢者という意味だけでなく、尊崇(そんすう)される対象でした。同様に中国社会も<>は敬うという意味で、「老師」は先生の意味です。

 

〖看取りの現実〗

(清兵衛へ共感)

2002年(平成14年)に公開された映画「たそがれ清兵衛」は、幕末の東北小藩を舞台に下級武士の家族愛と奉公の悲哀を情感豊かに描いて、大きな反響を呼びました。主人公の井口清兵衛は、御蔵役をつとめる下級武士でした。妻は長い闘病の末に亡くし、残された2人の幼い娘と耄碌(もうろく)の進んだ老母の世話をするために、夕刻には城勤めを終えると、酒の付き合いなど一切断って家路を急ぐ。そのため、口さがない(他人の事について、節度なく口悪く言いふらす態度)同僚たちから「たそがれどん」の渾名で呼ばれていました(注4)。

無精ひげをはやし、継ぎはぎだらけの着物をまとい、生活の疲労感のただよう清兵衛は、本家の伯父や同僚たちから冷ややかな視線を浴びることもありました。しかし、清兵衛は貧乏であっても、家族のいる暮らしにしあわせを感じている。娘たちが日々成長していく姿には、親として見守る喜びがある。母の耄碌(もうろく)の進行も、老いの自然な姿として受け容れれば、気にやむほどのことではない。こうした物語の前半は清兵衛が一家の長として、つつましく暮らしを守りながら、子を養い、親の老いを支える穏やかな月日を映し出だす。そこには、ひとのまっとうな生き方とはなにか問いかけるような場面がありました-この映画は多くの現代人の共感をえた作品となりました。

(直面への対応)

老衰や病によって自活しえなくなれば扶養と介護を要します。その担えては家でありました。近世では小家族化と長寿化が家族にとって大きな負担となった。老衰者や病人の介護は女性の役割とする近代の性別役割分担から、近世にもそうであったように考えがちである。

近世では介護の責任者は家長でした。介護の知識や技術は家長がとるべき男性が習得し、家内の者たちが適切に指導して事にあたるべきと考えられており、実態においても家族の共同で介護しており、跡取り息子がその中心となっていたが、柳谷慶子氏によって明らかにされている(注5)。近世の家長は家の構成員を保護・扶養する責任を負っており、老衰者や病人の介護もその一環でした。

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たそがれ清兵衛
出典:「松竹

 

〖終    焉〗

(世代区分)

人間のライフサイクル(一生)は5つに分けられる。10歳代は父母に養われる「生計」、20歳代は身を建てる「身計」、30歳から40歳にいたる年代は家を保つ「家系」、50歳代は子孫のことを考える「老計」、そして、60歳以上は「わが死後の事をいとなみはかる」べきときであるというである。そして、「死後の事を早くいとなまぎれば、死に望んでくやしけれどもかひなし」である(注6)。

(死後の準備)

「死後の事を早くいとなまぎれば、死に望んでくやしけれどかひなし」である。この最後についてはとくに何計と記していないが、「死計」とでいえようか。50歳代の「老計」とでもいえようか。50歳「老計」は自分の老いのためである。わが身のことは60歳になってから考えるが、その時は「わが死後の事」を準備するときであるいうのである。

(棺を準備)

このように、自分の「死計」のことをまで考えていれば、「子をせみ、人をとがめ」たりすることなく、「晩節をたもち、つねに楽みて残年をおくる」ことができるのではないか。益軒はさらに「家道訓」巻之六で、「老人は早く棺をこしらへ、装具をそなへ置くべし」と説いているが、彼自身、生前に自分の棺をつくらせていました。

老人は早く棺をこしらえ、装具をそなえ置くべし。富貴の家もその時に及んで、俄かに調(ととのい)がたき物あり。ことに貧家は早くからそなへざれば、時にのぞみ器物を沽却(こくきゃく/売却)し、銭財をかり求めて用脚(費用)とされども、俄かに礼をそなはらずして、事とゝのひがたし。かねて早く心にかけてそなふべし(注7)

 

〖エピロ-グ〗

人は病を発症し、病気の悪化で、本人の意思で体を動かそうとすると、体は程度の差こそあれ無反応となる-介護の世界に入る。やがて当事者は死を向かえることになる。「ホトケ(仏)」になったとしても戒名が与えられる。農民の間で死者個々人に戒名を付与し、墓碑を建て、位牌・過去帳を作って個別に供養するようになるのは、18世紀前後ころ以降のことで、経済的にも社会的にも自立性を強めた小農民の家が・先祖祭祀(さいし)の主体となったことによる。

現世における死は同時に来世(らいせ)における霊魂の誕生を意味する。戒名は来世での名前であり、その付与は霊魂の個別性が人々に認識されるようになったことを示す。個としての霊魂は個別の法要によって供養され、年忌法要を重ねるに伴いだんだんと個性を失っていき、33年忌をもしくは50年忌で弔い上げとなっている(注8)

報告者は、当年8月に傘寿を迎えた-貝原益軒の称える世界に入った。しかし、死への準備については断捨離をする程度である。貝原益軒や小農民のような死に対する準備万端というわけでなない-現在、仕事をしていることと、体が壮健であることに起因している。目下、毎日午前6時、武蔵境駅南口近くの観音院(曹洞宗)にて、ご住職が打ち鳴らす梵鐘の音を体内に沁み込ませ、当日の安寧を願うこの頃である。
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貝原益軒のお墓
出典:「福岡市の文化財


(グロ-バリゼ-ション研究所)所長 五十嵐正樹

(注)

(1)渡辺尚志著「百姓たちの幕末維新」、2017年4月10日、第1刷発行、草思社、67~68頁

(2)(注1)と同じ、28~29頁

(3)立川昭二著「養生訓」、PHP研究所、2001年1月8日、第1版第1刷、30頁

(4)柳谷慶子著「江戸時代の老いと看取り」、2013年6月30、第1版2刷、1頁

(5)大藤 修著「近世人のライフサイクル」、日本史リブレット、2017年11月30日、第1版6刷、発行、99~100頁

(6)(注3)と同じ、160頁

(7)(注3)と同じ。161頁

(8)(注5)と同じ、102~103頁