2022年4月25日
▹筆者は、三鷹市生涯学習課連続講座「暮らしの道具の知恵と技~形の謎を探ろう」(2021年10月3日~2022年4月16日)を受講した。江戸時代から水車屋営んできた峯岸家の農家の暮らしを支えた道具類がほぼ完全な形で保存された例は全国的に珍しいという。その道具類(民具)を教材にして、神野善治先生(武蔵野美術大学名誉教授)の広範で、多角的な分析は受講生を魅了した。
▹「新車(しんぐるま)」と呼ばれる峯岸家の水車は江戸後期の文化5年(1808)に創設され、その後、度重なる改造を加えてきた多機能をもつ両袖型の大型水車で、峯岸家は文化14年(1817)以来、5代にわたり水車経営に携わってきた。全国的に見ても製粉精米用の水車としては最大級の規模を誇ってきました。水車とともに母屋、カッテ(台所)、土蔵、製粉小屋などの建物や水車用水路、「さぶた」なども現存している。
▹しかし、野川の河川改修工事に伴い水車は水の引き入れができなくなり、昭和43年に稼働は停止され、約160年の歴史に幕を閉じました。武蔵野地域の水車経営農家の旧態を留める貴重な民族資料であることから、1998年には都有形民俗文化財に指定され、2009年には日本機械学会の機械遺産にも認定された。その後、建物や設備が峯岸家から三鷹市に寄贈され、現在は市が管理している。
野川
出典:「写真AC」
(歴史的背景)
▹八代将軍吉宗の治世は新田開発に力点をおき、武蔵野は新田開発の中心であった。それに即応する様に農産物の加工用の動力として水車が増えたのは、安永3年(1774)頃からである。水車営業人は地元農家の穀類の精白ばかりでなく、小麦を買い集めて製粉し、江戸へ出荷するなど商業活動も行っていた。多摩地域においても作物生産が奨励されたことで水車の需要は急増したといえる。最盛期は明治末から大正期にかけてであり、三鷹市内でも11カ所、そのうちの6カ所が野川沿いに設置された。
(新車の稼働)
▹大沢村の名主箕輪家では、峯岸家よりも早く創設した「宿の大車」と呼ばれた水車が相曽浦(あいそううら)にありました。そため峯岸家の水車は、より新しいということから、「新車(しんぐるま)」と呼ばれたようです。また、明治以降に造られたその他の水車としては、天文台正門からやや下ったあたりには、わさび田の水を使った落下式の「羽沢の車(穴車)」がありました。このほか、「くぼの車」と俗称「まんじゅう車」の5つの野川沿いにあった水車です。残念ながら、新車のほかは現存するものはありません。
(水車の改造)
▹峯岸家の水車は大正8年(1919)に大改造されています。現存する装置(水車)は、搗(つ)き臼14個(杵14本)、挽き臼2台、やっこ篩(ふるい)2台、せりあげ2台を備えた多機能を持つ大型水車である。水輪の直径は約4.6メ-トル、幅約1メ-トルの「胸掛け式」の大型水車である。なお、現在の水輪(みずわ)は国際基督教大学から寄贈を受けた赤松を使用し、クラウドファンディングを活用して、多くの市民から寄せられた寄付金により令和3年3月に設置されたものです。
峯岸家の水車
出典:「ミィね!mitaka」
〖講 座〗
(体験型授業)
▹連続講座は2021年10月3日に始まり、2022年4月16日までの全6回。うち4回は現地(旧峯岸家/三鷹市大沢6丁目)に保管されている1700点余りの道具類(民具)を実際に手に取りながらの体験型学習でした。水車経営にまつわる道具類(民具)から養蚕、農耕、調理などに関するものまで多岐にわたる。事例としてウナギを捕る道具(ウナギドウ)はかって野川で毎日のようにウナギがとれたという。以下、水車および日常生活に必要な民具の分類である。
Ⅰ水車機構と製粉精白の仕事に関するもの
・水車機構とその部品
・精白・製粉の機械類とその部品
・精白・製粉の調整具
・水車管理の用具(保守・修理の用具、型類など)
・経営管理の用具(帳場用具。計量具など)
Ⅱ水車農家のさまざまな生業支えたもの
・農耕・養蚕・製糸紡織・製茶・畜産・漁労
・運搬
Ⅲ水車農家の日常生活を支えたもの
・衣食住の用具
・信仰・儀礼の用具
※以上のほかの分類には、遊戯・競技、印刷業などがある。
〖受講生の研究発表〗
(桝の種類と用途)
▹講座の最後は受講生の研究発表になった。但し、発表日時は当初は22年3月19日(土)を予定していたが、神野先生の都合で1カ月延期になり4月16日(土)になった。発表当日、6人の受講生がそれぞれのテ-マで発表することになった。発表時間は1人につき約10分程であった。神野先生から発表の条件として、同一素材で使用目的が違うものとなった。筆者は桝(枡<マス>:1合桝・5合桝・1升桝)/棹秤(サオバカリ)を選んだ。以下、その違いを報告した。
一升枡
出典:「Wikipedia」
・1合桝:下部に木(サワラ?)と城塚製と記している。精度の面と桝の大きさから言って、1合桝は酒や醤油を入れたものと思われる-具体的には不明である。
・5合桝:「穀用5合」との焼印がある。城塚製と記している。これは明確に穀物を計量する桝であった-「穀物用計量桝」と」記してある。
・1升桝:縁に金属板「穀物1升」、「正」、「城」、「城塚製」の焼印があり、明らかに峯岸家唯一の正式な桝であると推測される。公式な桝であることから精度が欲求されることから素材は正確無比な「檜」であることが推測される。なお、上面に斜めに金具入っている-この金具は不正を防ぐ細工となっている。
▹この桝は峯岸家を経済的に支える重要な計量器であった。不正を防ぐため、予告もなく抜き打ちに警察が入り、桝を調査した-金具の位置を動かし、大きさを調整する有無を確認した(作図は省略)。この桝は峯岸家の“計量原器”であり、当主は使用する以外は神棚に置き、大切に保管していた。
(棹 秤)
▹桝と同様に検量を目的とした棹秤(サオバカリ)があり。木+金属、棒状・端に鉤(カギ)と吊り縄2つ。分銅が付属する。太さ33ミリ(先端径27ミリ)×長さ1395ミリ、吊り縄231ミリ、鉤186、水車の仕事でも養蚕でも、農家でも必需品だった。種々の重さを量る。粉は布袋にいれ、穀類は、昔は俵で、やがて紙袋に入れて量った。
▹これは20貫まで量れる。吊り手が2つあり、天秤棒を通して2人で肩にかけオモリを調節して量った。ちなみに大麦は、戦前は5斗俵であったが、取り扱いがしにくいということで、戦後規則が改正になって4斗俵(ミナガケ=正味12貫)になった。玄米・小麦60キロで取引された。
〖エピロ-グ〗
▹講座は、神野先生の懇切丁寧な指導は、受講生を民具の世界に誘った。民具は使用した手・足が歴史を作った。それを受講生は夫々の思いで触り、昔の人に思いを馳せた。水車の廻る姿は新たな世界をつくり、人々の命を繋なぎ、人々に新たな世界を生み出す機械であったともいえる。民具は地域や暮らしの歴史をたどる貴重な手掛かりとなる。それを使いこなしてきた人々の知恵と技が凝縮されたものである。
▹最近、筆者は多摩の各地の郷土館に足を運び、民具の数々を見る機会を得た。民具は夫々の場所に展示されているが、なにか過去の遺物のように扱われていることを痛感した。破棄することは簡単、維持することは後世の人々の生きた歴史資料として、向後も大切に保管しなければならない。民具は人々の所産であり歴史の所産でもある。
(引用資料)
(1)「水車屋ぐらしを支えた民具」-武蔵野(野川流域)の水車営農家民具調査報告書-平成21年(2009年1月)12月25日(初版第2刷発行)、三鷹市教育委員会
(2)「峯岸水車水輪復元報告書」執筆、小坂克信、上野さだ子、発行新車の水輪をつくる会:小坂克信、神野善治、宮川齋
(3)三鷹市「大沢の里水車経営農家」-東京都指定有形民俗文化財
(4)「東京新聞」2021年9月21日