2023年2月20日
〖プロロ-グ〗
▹筆者は小学6年頃、武蔵境の自宅から運搬用自転車で荻窪駅南口の都電発着地点まで出て、都電に沿って、約1時間半かけて、中野坂上を下りて、成子坂下から現東京医大病院前の道を大久保駅方向へ約50メ-トル入ったところに親父の兄が住んでいる警察官舎を訪れた。叔父さんはびっくり仰天。昼飯(うどんの煮込み)を頂き、一服したところで「直ぐに家に帰りなさい」といわれ、約2時間半かけて帰宅した。筆者の長距離サイクリングの始まりである。以下、サイクリング歴と最近の状況を記した。
〖長距離走破〗
▹以来、著者は70年のサイクリング歴を持つ。現在。愛用する自転車は20数年前に吉祥寺の井之頭通りにあった「東京サイクリングセンタ-」製作のオ-ダ-メイド「ゼファ-(ZPHER)」である。当時、21万円ほどでした。注文時、メイジャ-で肩幅、股下などを採寸し、組み立てた。
▹これまでの最長サイクリングは60歳頃、3日が連続して240km走った。コ-ス-は自宅から調布経由で多摩川を向かって左岸を狛江へ。右岸を二子玉川まで、橋を渡り左岸を出て、川を離れ、田園調布を通り、右岸には川崎市が見える。キヤノンの高層ビルを左手に見える。暫く行くと、箱根駅伝で有名な六郷橋を渡り、川崎市内に入る。川崎大師、石油プラントが林立する異様な臭気を吸い川崎市工業地帯を通り抜ける。
▹行き止まりの川崎市の管理埠頭まで武蔵境から約40km、往復80km、3日間続けて240km走破した。「ゼファ-(ZPHER)」は長時間乗っても疲れない。人間工学的に造られた。先日、武蔵野市立境南小学校校門(卒業時正門)の前にある田崎自転車店でオ-バ-ホ-ルした(機械のメンテナンス)。早速、67年前に旋盤工として働いていた当時の杉並区堀之内2丁目付近まで走行した(片道約15km)。
〖走行行程〗
(井之頭通り)
▹2023年2月12日、午前10時頃出発、三鷹駅前を通り、玉川上水に沿って万助橋を渡り、井之頭文化園前を通り、右折して坂を下り、公園の池を東に向かい、京王井の頭線の井の頭公園駅手前の坂を上がると、井之頭通りにぶつかり、右折し、東に向かって走る。近くに「東京サイクリングセンタ-」のあった前を通り、直ぐ杉並区松庵の表記が確認できる。さらに東へ向かう。自転車は実に滑らかに走る。前輪・後輪にたっぷりグリスを入れたせいかもしれない。主軸も一回り大きなベアリングが入っている。
▹著者はグ-グルマップを使用しない。不明点があると、昔の記憶と歩いている人に道を尋ねる。やがて、左に高井戸警察署が見える。右側を見ると、府中市が起点の「人見街道」が井之頭通りと交差する。環状8号線(環8)の高架下をくぐる。暫くすると、西永福に入り、左折し東へ向かう。真正面に「高千穂商科大学」が見え、急坂を下りると、善福川にぶつかり、橋を渡って、川沿いにそって東に向かう。5分程走ると、大宮神社の前に着く。大きな鳥居をくぐり本殿まで約200メ-トル歩き、本殿の前で“健康維持を祈願”する。多くの善男善女が訪れる。近くにある「杉並区歴史博物館」の古き門を潜り抜けると、本館がみえ、入場料100円払い約30分見学する。
大宮八幡宮
出典:「大宮八幡宮」
郷土博物館
出典:「杉並区」
(町工場)
▹善福寺川を東に向かうこと約5分環状7号線に突き当たる。左折し、坂を上がると、右手に立正佼成会本部の円形の建物が見える。さらに東に行くと右手に豪壮な「佼成病院」が見える-この左手前あたりに67年前に著者が旋盤工として働いた町工場「久保製作所」があった。今は高層のマンションが建っていた。中学校を卒業して16歳で世間に放り出された心境は特に酷いものでなかった。5人兄弟の長男として、一心にお袋(1920年生まれ<大正9年>)を支援するためである。
佼成病院
出典:「佼成病院」
▹町工場で、8時から5時まで油の沁みついた作業服を着て約半年間無我夢中で仕事をした。経営者は60歳前後で、いつも無精髯で、少し白いものが混じり、歳の割には老けて見えた。家族4人の全員参加の街工場であった。しかし、不器用な筆者は半年で辞めた。今では、当時の町工場がある風景はなくなり、高層のマンションが立ち並ぶ風景となった。“ふと自分を立ち戻る環境”は、ここには今はなくなった。
(堀之内)
▹環七を高円寺方向に走ると堀之内(参照)となり、多くの人々が寺町となった妙法寺(日蓮宗/やくよけ祖師本山)に老若男女の人達が山門くぐり本堂の前でお祈りをしている。考えると、67年前にはこのような雰囲気がなかった。お寺の門前には環7はなく、欅(けやき)の林の中を通り、本堂の屋代があり、筆者も通勤・退勤の折には時々参拝していた。
堀之内妙法寺
祖師堂
出典:「堀之内妙法寺」
▹結局、67年前にあった2つの宗教法人は現在も顕在し、発展を続けている。一時休憩した後、ぺダルに力が入る。メ-タを見ると、時速25kmであった。やがて「蚕糸試験所」跡を見ながら環7と青梅街道が交わる高円寺陸橋の地点を左折し、南阿佐ヶ谷、荻窪方向へ約15分走行する。
(参 照)
・「堀之内」は江戸から近く、町民の参詣場所として名高い。落語の(堀之内)は、古典落語の演目の一つ。ひとりの粗忽もの、自分の粗忽(あわてもの)を直したくて、おかみさんに相談すると、お祖師さまに願掛けをすれば良いと勧められる。そこで、出かけたのは江戸から近い堀之内のお祖本山「妙法寺」である。この粗忽(あわてもの)を主人公とした小咄(こばなし)をいくつもつなげて一つにしたオムニバス形式の落語であるため、噺家によって最後までやらずに途中で下げる(終わる)。
・主人公の慌て者の熊五郎は道中道を間違えたり、自分がどこに行くのかを尋ねたりする。落ち着こうと他人の家に勝手に上がたり、あれこれ騒ぎ起こしながらようやく堀之内にたどり着く。賽銭箱に小銭を投げようとして財布ごと投げ込んだり、風呂敷の弁当を出そうとすると、おかみさんの腰巻に弁当包み、弁当のつもりが枕と、正にハチャメチャ。腹を立てながら帰宅して、かかあを鳴りつけるが、そこは隣の家だった。4代目三遊亭円遊、10代目桂文治、8代目橘家円蔵などが得意とする演目であった。
▹荻窪駅南口の前を通る。昔、都電の発着点があった。著者も数回、新宿淀橋前まで乗車したことがある。やがて、都電は廃止され、1962年(昭和37年)に地下鉄丸の内線が取って代わった。著者は同線を利用して、長い間、赤坂見附まで通勤していた。夏になると、駅も車両も冷房設備がなく、夏季期間はタオルが必需品であった。
▹西荻窪駅手前荻窪よりに「イソップ」というお世辞にも綺麗な店(淡水魚店)とは言えない-多くの水槽の中には淡水魚が生き生きとして、こちらを見ている。著者は当店を訪れた際には数種類のメダカを購入していたが、そのうちには銀鮒、熊本産の大和しまドジョウ/いとモロッコなど)を買うようになった。ドジョウの種類13ある-時々、業者から時々前述のしまドジョウやいとモロッコがとれたという電話が入る。2日間かけてイソップ店に送ってくるという。著者が購入する時には1匹300から350円する-淡水魚は小さくて可愛い。
イソップ
出典:「ワイルド☆スターズ10-2ブログ」
〖エピロ-グ〗
▹今回は67年前の職場跡を見たくて自転車で武蔵境から片道15kmの距離を走行した。至極当然、67年前の職場はなく、高層のマンションになっていた。歳月は-人/もの/環境/風景を変えてしまう-当然と言えば当然である。日本は高度経済成長を果たした結果、バルブの時代が到来、日本人は大変高い月謝を払った。今や10年程のデフレが続く。2月19日付「日本経済新聞」によると、日本のGDPは世界第3位であるが、ドイツが猛追しているという。そのうち、インドにも!
▹自転車は歩き、車と違い、手軽に物見遊山できるという利点がある。加えて、体を鍛錬できるという効用もある。ツ-リング用の自転車なら無理する事はなく、1日30~50km走行できると思う。著者も今年8月には82歳を迎える。今のところ、著しく体力が落ちたという感じはない。できれば、90歳まで自転車で物見遊山をしたい。体力維持には自転車が最高である。
(グロ-バリゼ-ン研究所)所長 五十嵐正樹