2023年11月21日


 

〖プロロ-グ〗

2023年11月20日、調布市上石原(京王線西調布駅)へ自転車で行った。自宅からの所用時間は約30分(約5km)。近くの新撰組局長近藤勇との関連が深い西光寺(天台宗)、次に調布市内の布田五宿の氏神である調布ケ岡の布多天神社、次に調布市国領にある常性寺(真言宗豊山派)でご朱印を頂く。以下、最近の事情を記した。

 

〖西 光 寺〗

天台宗

西光寺は調布市上石原にある天台宗の寺院である。山名は長谷山山聖天院。本尊は阿弥陀如来三尊(寺は「観音三十三身像と表記」)が有名である。同院の阿修羅像は犯来弓と矢をもつ二が空をささえる表現を取っている。この阿修羅新像は日月を持っているため四臂が空に向かって掌を広げている(残りの二臂が合掌している)。
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西光寺 本堂
出典:「Wikipedia
著作者:Suikotei - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0,


優れた表現美のための調布市ホ-ムぺ-ジではスケッチ画ながらも三十三応現身像の代表として載せている。なお、西光寺の三十三応現身像は「江戸の彫刻の中でも最高級の彫技がみられる」という。旗本の長谷川氏が「天下御泰平国土御安全」のために、1698年(元禄11年)に寄進したという。

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西光寺 山門
出典:「愛する御朱印とスターバックス


(近藤勇故郷)

新選組隊長は武蔵多摩郡上石原村出村辻(現東京都調布市野水)の出身で1868年(慶応4年)に大久保剛と改名(後にさらに大久保大和改めた)甲陽鎮撫隊を編成し、甲州街道を甲府に向けて出陣します。故郷の上石原村では駕籠を降りた。生家に近い、近藤の心境は如何であったのか!

上石原村の鎮守で村人の尊崇を集める石原宮八幡(西光の南に位置し、往時の本殿が現存)に向かって戦勝を祈願し、西光寺で休息した。門前の中村勘六家で歓待を受けた後、村人に送られながら村境まで歩いた。この後、新政府軍が甲州勝沼で甲陽鎮撫隊を撃退し、近藤勇は敗走した。下総流山で捕縛され江戸・板橋で刑死した。
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近藤勇
出典:「Wikipedia


(御朱印)

直書きであり、初穂料は300円。
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西光寺の御朱印
出典:「御朱印めぐり

 

〖布多天神社〗

(参拝客)

調布で由緒ある神社である。式内社で、旧社格布田五宿の総鎮守であり、「五宿天神」の別名がある-京王線調布駅の近くから長い参道(両側に店)があり、甲州街道バイパスを渡ると、鳥居が見え、奥まったところに本堂が見える。
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布多天神社 本殿
出典:「布多天神社


(祭  神)

当初は少彦名神としていたが、移転時に菅原道真公を合祀した。延喜式に布多天神社の名があることから、菅原道真公を祀る以前から「天神社」と呼ばれるひとつである。

(略  史)

創建年代は不明である。社伝ではおよそ1940年前の垂仁天皇の御代の創建。平安時代初年(927年)に編纂された延喜式神名帳の武蔵国多摩郡に記述がある式内古社である。元の社殿は現在の布田5丁目にあったが文明年間に多摩川が大反乱を起こしたことを機に1477年(文明9年)に現在地に遷座し菅原道真公に合祀した。

1590年4月(天正18年)に豊臣秀吉が小田原の北条を攻略する際、人々を安堵;に出した「太閤の制札」が神社所蔵として残る。かっての社殿には「古天神公園」と名付けられた公園が整備されている。この旧社地は『発掘調査によって約1万年の旧石器時代や、約4-5千年前の縄文時代の生活跡が発見された。

(753の賑わい)

本殿前には1家族の方々が記念撮影を取っていた。たまたま家族の祖父と話す機会を得た。11月19日、息子家族のお祝いに山梨県の鰍沢(かじかわざわ)から来たという。現役時代に国分寺の日立中央研究所に勤務したという。話は鰍沢の紅葉が話題になった。本年は夏が大暑であったため紅葉の季節はなく、樹々の葉は落ち葉となったという。家族の方々は本殿へ入って行った。家族の方々の幸福を願った。

(御朱印)

直書きであり、初穂料は500円。御朱印頂いた時、巫女さんからお祓いを受けた。初めての経験であった。

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布多天神社の御朱印
出典:「御朱印神社メモ

〖常性寺〗

(略 史)

調布市国領町にある常性寺は真言宗豊山派の寺院である。開山・開基は不明であるが、鎌倉時代に創建されたと伝えられる。元々は多摩川の畔に位置していたが、慶長年間(1596-1615)に現在地に移転した。成田山新勝寺から勧請した不動明王を安置していたことから、「調布不動尊」と呼ばれていた。

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常性寺 本堂
出典:「常性寺


当時には、本尊の薬師如来と不動明王の他に、調布市の文化財に指定されている馬頭観音も安置している。1824年(文政7年)に造立されたもので、元々は近くの野川の畔(ほとり)に位置していたが、道路拡幅の工事のため、1955年(昭和30年)に当寺に移設された。

(文化財)

小橋の馬頭観音塔(調布市指定有形民俗文化財/昭和44年11月12日指定)

(御朱印)

直書きであり、初穂料は300円
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常性寺の御朱印
出典:「御朱印めぐり


〖エピローグ〗

今回の2寺1社の御朱印は全部直書きであった。2社の窓口からは硯が置いてあるのが見える、乾かないように墨で常時擦っている。しかも、布多天神者社では御朱印を頂いた際にお祓いを受けた。日頃の鬱憤が晴れたような気がする。神社に参拝することは、神力を頂くので、時々、神社へ行ってお祈りをすることは大切である。

加えて、内外情勢の混沌。時には神社に参拝し、困難な時代を乗り越えることが肝心のような気がする。日本の長い歴史の中で人々(農民・町人・武士)の唯一の救いは神社に赴いて神にお願いした-今回の調布の寺社からの御朱印を頂いた小さな旅は貴重な経験をした。

(グローバリゼーション研究所)所長 五十嵐正樹

(資 料)

・寺社からの配布資料

・ウイキペディア

・「日本史小辞典」編者竹内理三、角川書店、昭和54年2月10日発行。