楽しく生きるために

ファンタジーと聖書のお騒がせ日記。読まれた方には、きっと毒には当たらないと思います。!(^^)!

amazonが映画権を得たと。

https://mainichi.jp/articles/20171114/k00/00e/040/125000c?fm=mnm
「ロードオブリング」のテレビ化版権を取得したとのニュースがあった。

版権債権者は、どなたなのでしょうか?
楽しみができました。
映画は、第1作は、まだ良かったが、2・3作は、大分書き換えられた脚本になっていましたから、どの程度現代的感覚で作られるのか、興味があります。

ダビデ、鉄器を大量に入手する

サムエル記下12章
◆ラバの占領
12:26 ヨアブはアンモン人の町ラバと戦い、この王の町を陥れた。
12:27 ヨアブは使者をダビデに送って言わせた。「わたしはラバと戦い、『水の町』を陥れました。
12:28 直ちに残りの兵士を集結させ、この町に対して陣を敷き、陥れてください。わたしがこの町を陥れると、この町はわたしの名で呼ばれてしまいます。」
12:29 ダビデは兵士全員を集結させ、ラバに出撃して戦い、これを陥れた。
12:30 ダビデはその王の冠を王の頭から奪い取った。それは一キカルの金で作られ、宝石で飾られていた。これはダビデの頭を飾ることになった。ダビデがこの町から奪い去った戦利品はおびただしかった。
12:31 そこにいた人々を引き出し、のこぎり、鉄のつるはし、鉄の斧を持たせて働かせ、れんが作りをさせた。また、アンモン人のほかの町々もすべてこのようにした。それからダビデと兵士は皆、エルサレムに凱旋した。

新共同訳では、1キカルとあるので、すぐに分からないけど。1キカル=34.2Kgです。だからいろんなこと思った想像したけど。一つに重量の単位に拘った王冠。34キロって、凄くない?世界一じゃないかな。そこで使われていた鉄剣、盾、矢じり、槍、つるはし、のこぎり、斧などの鉄加工品も凄いのではないかと想像する。ここで、ユダ王国は、鉄の武器を大量に持つことにあった。私の推測で紀元前990年ごろではないかと。
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麦打ち場

サムエル記下6章6節です。
6:6 一行がナコンの麦打ち場にさしかかったとき、牛がよろめいたので、ウザは神の箱の方に手を伸ばし、箱を押さえた。
6:7 ウザに対して主は怒りを発し、この過失のゆえに神はその場で彼を打たれた。ウザは神の箱の傍らで死んだ。
6:8 ダビデも怒った。主がウザを打ち砕かれたためである。その場所をペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼んで今日に至っている。
6:9 その日、ダビデは主を恐れ、「どうして主の箱をわたしのもとに迎えることができようか」と言って、
6:10 ダビデの町、自分のもとに主の箱を移すことを望まなかった。ダビデは箱をガト人オベド・エドムの家に向かわせた。
6:11 三か月の間、主の箱はガト人オベド・エドムの家にあった。主はオベド・エドムとその家の者一同を祝福された。

When they came to the threshing floor of Nakon, Uzzah reached out and took hold of the ark of God, because the oxen stumbled.(NIV)

But when they arrived at the threshing floor of Nacon, the oxen stumbled and Uzzah put out his hand to steady the Ark.(Living Bible,TLB)

脱穀場って、平らな場所と言うイメージがある。場所によっては、円形の場の周りには、石が置いてあるかもしれない。実がもみ殻が飛んで行かないように。
ここの”麦打ち場”は、平らな場所のイメージが強い。そこを不慣れな荷車とはいえど、牛が踏まずくような誘導は不味いと思いなさいという意味なのではないか。

どじなことを繰り返ししてきた私は悩んだ。ここをどう理解すべきなのかと。
一つの結論は、平らな安全な場所を通過中だったのに、荷馬車を牛をきちんと安全なところ・通路を確保できなかったからこと、これ以上任せられないと、処刑されたのだと。
そうだな。これは新約聖書にある1タラントの原型かなと思った。おっと今はタラントではない。タラントンと新共同訳(マタイによる福音書25章)では、訳されている。
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サウルはぎょりゅうの根元に埋葬された

サムエル記上の最後31章にサウルの最期。ぎょりゅうの根元に埋めたとある。

31:3 サウルに対する攻撃も激しくなり、射手たちがサウルを見つけ、サウルは彼らによって深手を負った。
31:4 サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた。「お前の剣を抜き、わたしを刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない。」だが、従卒は非常に恐れ、そうすることができなかったので、サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した。
31:5 従卒はサウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に倒れ伏してサウルと共に死んだ。
31:6 この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ。
31:7 谷の向こう側と、ヨルダンの向こう側のイスラエル人は、イスラエル兵が逃げ、サウルとその息子たちが死んだのを見ると、町をことごとく捨てて逃げ去ったので、ペリシテ軍が来てそこにとどまった。
31:8 翌日、戦死者からはぎ取ろうとやって来たペリシテ軍は、サウルとその三人の息子がギルボア山上に倒れているのを見つけた。
31:9 彼らはサウルの首を切り落とし、武具を奪った。ペリシテ全土に使者が送られ、彼らの偶像の神殿と民に戦勝が伝えられた。
31:10 彼らはサウルの武具をアシュトレト神殿に納め、その遺体をベト・シャンの城壁にさらした。
31:11 ギレアドのヤベシュの住民は、ペリシテ軍のサウルに対する仕打ちを聞いた。
31:12 戦士たちは皆立って、夜通し歩き、サウルとその息子たちの遺体をベト・シャンの城壁から取り下ろし、ヤベシュに持ち帰って火葬に付し、
31:13 彼らの骨を拾ってヤベシュのぎょりゅうの木の下に葬り、七日間、断食した。

この「ぎょりゅう」が昭和記念公園のハーブ園と川の間にある。
去年5月11日満開の写真が、昭和記念公園のWebサイトにある。
来年は忘れずに行きたいな。


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高山右近は、サムエル記を知っていた?

サムエル記上を今毎日1章づつ読んでいる。サウルとダビデの関係は何だろうか?心理学者の分析が聞きたい。
サウルの嫉妬・警戒心をやわらげるため2度も殺せるのに殺せず、その意思を示したのに、サウルはダビデをつけ狙う(18・21・23・24・26章)。そこで、やになったダビデは、敵のペリシテ人のところに逃げ込む(27章)。似たいようなことをした日本人の武将がいたような気がするが。
歴史小説を読んでいるようで面白い。
25章に出てくるお話。一人の男マオン・ナバルでいいのかな。その妻アビガイル。3節には聡明で美しかったとある。ウィキペディアで検索したら、絵画が1枚あった。聡明な夫の危機を機転で乗り越えようとする妻の姿がある。怒られそうだが、後半部分を感じられないな、その絵からは。で、この妻アビガイルは、貞淑で機転が利き自らの立場を常に一段低いところにおいて素直に対応する、これまでのいや大分以前の良妻賢母的な生き方の見本かなと思いつつ読んだ。
アビガイルの名前は、人気があるようです。http://bit.ly/2vBk4MX
ダビデは、ペリシテ人の保護下に入った後、イスラエル周辺の町に住むゲシュル人、ゲゼル人、モーゼがエジプトから移動してきた時に敵となったアマレク人を撃つ。よっぽど気に食わなかったなんだな。歴史的怨念を感じる。そして飼っていた動物も含め虐殺する。その理由は、ダビデが生きてこのような戦を一切サウルに知られないためにとある。(27章)そうかな?ちょっと疑問。いくら孤立して生活するグループの生活圏にも隊商的な交わりはあったのではないかと思うけどね。

高山右近(カトリック高槻教会)のページ

教皇 ヨハネ・パウロ二世 来日の記録

長崎の原爆被爆者へのメッセージ

1981年2月26日17時05分
恵みの丘長崎原爆ホーム

粉雪が降る中、教皇は長崎市三ツ山にある長崎純心聖母会運営の
原爆ホームを訪れ、お年寄りたちを励ました。
以下はそのときの教皇メッセージの全文。

親愛なる皆さん、

1. 私はこの恵みの丘、神のいつくしみとお恵みの山を訪れることなく、長崎の町を後にすることはできませんでした。私は広島を訪れ、平和記念公園と、学者・文化人の集まりとの二度にわたり、人類の未来を思い、核兵器の恐怖について話しました。私はきょう、あの忘れ得ない劫火の目にうけた破壊のしるしを今なおお身に負っている皆さんに、深い感動をこめて挨拶いたします。皆さんがきょうまで堪えてきた苦悩は、この地球に住むすべての人の心のいたみとなっています。皆さんの生きざまそのものが、総ての善意の人に向けられた最も説得力のあるアピール ― 戦争反対、平和推進のため最も説得力のあるアピールなのです。いま私は、最初の原爆炸裂の目より二年目に、時の広島市長が、「戦争のもたらす苦痛と罪悪性を己が身をもって体験し尽した者こそ、戦争を最悪の悲劇としてどこまでも告発し、最大の情熱を傾けて平和を希求するであろう」と言ったことばを思い出します。皆さんは絶えまなく語りかける生きた平和アピールであり、私たちは皆、皆さんのおかげをこうむっているのです。

2. 私はまた皆さんのため、最善のお世話をしようと努めている医師、看護婦及びその他の従業員を大きく評価していることを特に申上げたいと思います。この方々に敬意を表するとともに、今後とも治療と手助けの尊とい仕事を続けていくよう激励いたします。また、ここでの奉仕を通してキリスト教的愛の業に身を捧げているこの施設のシスター方にも挨拶いたします。また私はこの家を始めから、ついこの二ヶ月前、神に召される日まで、ずっと指導しつづけたこの施設の創立者、故シスターマダレナ江角のことを、感謝の心をこめて記念いたします。愛をこめた日々の奉仕を通して、シスター方は、苦しむ人、病気の人、弱い人に特別の愛を示された神の子、キリストの愛を身近かに体験できるものにしているのです。

3. 心からの祈りをこめて私は皆さん一同にキリストの次のことばをプレゼントいたします。「あわれみ深い人は幸いである。その人はあわれみを受けるであろう」(マタイ5・7)。私は回勅「神のあわれみ」の中で、あわれみの行為が常にもっ深い意味あいを強調して、「私たちから慈しみを受けているその人から、私たち自身も同時に慈しみを受けているのだと確信しているときだけ、私たちの慈しみをこめた愛の行いは本物である」と申しました。私のこの考えが、恵の丘の皆さん一同の奉仕の仕事と、毎目の生活のため、一つのインスピレーションとなり、美しく暖かいお互いの一致をつくりあげ、持続させる力ともなりますよう希望いたします。

 皆さんの上に神の祝福がありますように。

https://www.cbcj.catholic.jp/catholic/pope/johnpaulii/popeinjp/megumi/ から転写

ジェノサイト

虐殺命令、ジェノサイトは、受け入れられない言葉だけど。
この時代には、民族の生き残りの策としては、ある時代は出来たが。

サムエルが、サウルに主の言葉を取り次ぐ。
滅ぼしつくせ。男も女も、子供も乳み子も、牛も羊も、ラクダもろばも打ち殺せ。容赦はしてはならないと。
だが、サウルは、王や最上の羊や牛、動物など値打ちのあるものを残した。

5:22 サムエルは言った。「主が喜ばれるのは/焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことはいけにえにまさり/耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 反逆は占いの罪に/高慢は偶像崇拝に等しい。主の御言葉を退けたあなたは/王位から退けられる。」

サウルはこころ優しい男と言えるのではないか。

サウルの後継者が与えられる。
16:7  しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」
16:12 エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」

ダビデの竪琴による音楽療法が行われている。日野原先生は、これを参考にしたかな。

ミケランジェロのダビデ像が有名だが、彼の晩年だったら男前のダビデ像にはならなかったような気がするが。どこかにデザインが残っていないかな。

ウィキペディアのダビデ像
http://bit.ly/2uZTPQ5 (ドナテッロ)
http://bit.ly/2x2fY1t (ミケランジェロ)

サウルの身の上は、これからどうなる?
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
    人の命の 惜しくもあるかな

ちょっとこの和歌がピッタリかなと思った。
解説はこちら


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