こんにちは☆

 

最近職場の全体会議で、改めて「聞く力」が大切である、もっと身につけていきたい、という議論がありました。

例えば客先との打合せの場で、社内ミーティングの場で、相手の発する言葉をどれだけ掘り下げて、真の期待に行き着けるか。

そこがつかめるか否かが、成果度を規定する。

 

今日はそのものずばり、「読む力・聴く力」という本から引用させていただきます。

「聴くこと」が「わかる」ことに直結すること、常に「わかろう」「外圧を知ろう」という生物的な切迫感をもって聴こうとしているかどうかが重要なのだと思います。

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河合隼雄・立花隆・谷川俊太郎「読む力・聴く力」より

 

p.46

「わかる」ためには、単に音を聞いて、その音の信号が脳にきただけではだめで、ほかの通路を伝わってきたいろいろな情報、あるいはその人の頭の中にある記憶、そういうものが全部合わさって、初めて「わかる」というものが成立します。(中略)

 

 普通われわれは音がしたときに、その音がした方をパッと向いたりします。それは音と空間の音波の伝わり方の関係がわかっているからで、生まれてからそういうものと隔絶された世界に住んでいた子供はそれがわからないわけです。わからなくて、(人工内耳をいれた後に)信号が突然入ってくるので初めはきょとんとします。(中略)

 あるときその子供が何となく音というものがハッとわかった。ただ音の信号が入るというのではなく、それが「わかった」という感じになった瞬間がきたわけです。それが表情でわかりました。「そうか、わかった」という顔になったのです。(中略)

 それはどういうときであったかというと、太鼓でした。小さい太鼓をばちで叩く子供のおもちゃがよくあるでしょう。その子は耳はちゃんと聞こえないのだけれど、小さいときからそれを使って遊んだことがあるらしくて、それを出された。それは自分の家にあったものではなく、お医者さんのところにいろいろ音をだすものがあるわけですが、それを子供に手渡して最初に先生がドンドンとやって、するとその子にとってはドンドンの音がよくわからないのです。最初に先生が叩いてもきょとんとしている。突然、頭の中に何か信号が入ってきた。

 そのうち先生が子供に太鼓を渡して、子供が自分でそれを叩き始めたのです。トントンと叩くうちに、まさに自分の行動が耳に入ってくる信号と関連している、同期しているというのがわかってくるわけです。それがわかると太鼓叩きをもっと喜んでやり出します。自分の肉体の運動が頭にビンビンとはね返ってくる。まさに音というものはこういうものなのだということが自分の手の運動と耳に入ってくる信号の強さと、そこがフィード・バックする、そういう回路が成立したとたんに「あっ、わかった」ということになるのです。

 

 要するに人間がいろいろなものがわかるためには、すべて何らかの意味でフィード・バック回路が成立して、自分の行動、行為の結果が自分に入ってくるということが必要なんです。自分の外部に対する働きかけの強弱が、自分に入力してくる信号の強弱にそのままつながっているという、そういう即物的な事実関係の確認が音だけでなく、もっと広い意味でそういうことが成立したときに初めて「わかった」ということになるのだろうと思います。

 

 脳の働きをいろいろな方法で調べると、脳のどこがどういう働きをしているかが、特にMRIPETという装置を使うとリアルタイムでわかります。例えば、手を失ってロボット・ハンドを使うようになった人たちを調べてみると、その人の脳の働きがどんどん変化しているのがわかります。(中略)

 最初にロボット・ハンドをつけられたとき、脳の働きを断層撮影した画面で見ると、赤くなっているところが血流が多いところですが、脳全体が真っ赤になっています。ロボット・ハンドを使い慣れてくると、自然とそれが収まってきて、ごく一部しか赤くならない。

 われわれは何でもなく手を使っていますが、実は脳はめちゃくちゃ大変なことをやっているのです。同じことができるようなロボットをつくろうとしたら、それはとても不可能なほど、人間の脳はものすごい働きをしているのです。

 手が一旦無くなって、そこにロボット・ハンドをつけても、そこにいろいろな神経をつなげてやっても直ちには動かないのです。どうやって動かしたらいいかわからない。「どうやるのよ」という感じで頭がウワーッと真っ赤になるわけです。そのうちそれを使い慣れると、自分の手を使うのと同じ部分だけが動くようになるのです。するとまさに手を使う、運動領野という部分の手の運動を司る部分だけが活性化する段階にいくのです。

 それと同じように、実は手話で言葉を獲得した途端に頭の働きがグワーッと変化するのですが、そのとき何が起こるか。人間の頭の中には言葉を使うための基本的な生まれながらの仕掛けがちゃんとあるのです。それが普通の人は普通の成長過程でどんどん外から音が入って、同時に自分で声を出してみて、自分の中の音声出力・音声入力のフィード・バック回路を作ることで言葉をしゃべり合う世界にどんどんスムーズに入っていく。

 ところが耳が聞こえない人は、言葉の連絡路が何らかの原因で断たれている。するとその回路全体がいわば死んだ状態になってしまうわけです。そこで手話をやると、耳から入ってくる音波ではなく手話が、音波で音を聞きそれから言葉を解析するという普通の回路ではない、手話独特の回路ができるのです。それがもともと人間が持っている言葉を操る基本能力を持っている部分と結びつくのです。

 

 手話で言葉を覚えた人たちが、その言葉を覚えた瞬間にその人の頭の中がどう変化したかみたいなことを実はいろんな人が書いています。それが入ったとたん、ほとんど暗い世界に突然、光が差し込んできたみたいに感じる。要するに言葉の世界を操る能力を生まれながらに持っているにもかかわらず、それが死んでいたために見えなかった世界が一挙に見えてきます

 それでものすごく感激したという体験談が非常にたくさんあります。いずれにしても手話を獲得すると、言葉の領域が、普通の人が咽喉と耳とを使って働かすのと同じような部分が同じように働き出すのです。それはまさにさっきのロボット・ハンドを使うときの脳の変化とすごく似ています。もともと自分の手を使うためにあった信号系が断たれていたのに、その結合が戻ったときに同じ部分が働き出したのと、同じような感じで働き出すのです。

 

 もともと持っていた言葉を操る能力が突然昔を思い出したかのように働きだす。そのときが先ほど言った「わかった」の世界に入ったということなのです。本当に「聴く」というのはそこの「わかる、アンダンデュ」の世界に入るかどうかということです。

 

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人類は、『頭がウワーッと真っ赤になる』ぐらいの体験を何度も積み重ねて今にまで進化してきました。そして一人一人も、そういう体験を通して成長していくのだろうと感じます。

 

未知の世界に接して、頭と身体をフル活用してわかっていこうとする。
まずそういう生物的な欠乏を、思い出していきたいですね。

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