こんにちは

最近、特に「聴く力」「読む力」が大事だと痛感します。
ではその「聴く力」「読む力」とは、どこまで聞ければ、読めれば理解できたことになるのでしょうか。

最近ベストセラーとなった「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」への批判としてかかれたコチラから引用させていただきます。

**************************

前回、人は認知パターンに基づいて行動すると説明しました。
「太郎は花子が好きだ」の場合、「好き」という認知パターンが考えられます。
まずは、「好き」の認知パターンの意味を厳密に定義していきます。

「世界」には、「人」、「物」が存在し、「人」は「心」を持っています。
「心」は認知パターンを抽出すると、それに基づいて行動します。
これが、人の「心」の仕組みで、これと同じ仕組みのシステムを作れば、意味理解できるAIとなります

認知パターンを構成する要素には、少なくとも「快」「不快」があります。
認知パターンに基づいて行動するとは、「不快を避け、快を求める」という行動のことです。

ボールの動きは、投げた時の力と、重力によって決まるように、人の行動を決めるのは、「不快を避け、快を求める」の原則です。
物理の力学と同様に、心の力学は、その人に作用する「快」と「不快」で決まるのです。
「快」「不快」はこれ以上還元できないもので、意味を構成する根源的な要素となります。

 「好き」の意味は、日本語で記述されるわけではありません。
システムが理解するのは、システム内に構築された「世界」なので、意味は、「世界」を構成する要素で記述する必要があります。
「世界」を構成する要素とは、「世界」そのものである3次元空間と時間、「世界」に配置される「人」、「物」、そして、「快」、「不快」です。

それでは、「好き」の認知パターンの意味を定義していきましょう。
「好き」にも、様々な意味がありますが、一番広い意味として、

「主体」が、「対象」に近づくと「快」となる

というのが考えられるでしょう。

「主体」とは、「心」を持つ「人」のことで、「私はあなたが好きだ」の場合、「私」になります。
「対象」とは、「私はあなたが好きだ」の場合、「あなた」で、「私はカレーが好きだ」の場合、「カレー」です。

「好き」のさらに具体的な意味は、対象によって異なり、対象が人の場合、たとえば「抱きしめると『快』」などとなります。
対象が食べ物の場合、「食べると『快』」となります。

「近づく」とは、今より距離が近くなることです。「距離」は「世界」を構成する要素です。
「主体」は「人」で、対象となる「人」も「食べ物」も、いずれも「世界」に配置される物体です。
つまり、意味は、すべて世界を構成する要素によって記述されています。

さて、「『主体』が、『対象』に近づくと『快』」とは、好きが人に近づいてくれば嬉しいという意味です。
当たり前の感情ですよね。
逆に、嫌いなハゲ上司は、近づいてきただけで気分が悪くなります。まして、抱き付かれたら「ギャー!」と叫んで逃げだします。
行動予測ができるので、「好き」の意味が正しく定義できているといえます。

これで、「太郎は花子が好きだ」の意味が理解できました。
花子が遠くニューヨークにいるとすれば、太郎に対して「今すぐ、ニューヨークまで飛んで行って花子に会いたいよね」などと声をかけることもできます。
AIにこう言われたら、このAIは自分の気持ちを分かってくれていると太郎は思うでしょう。
明日の天気や、プロ野球速報ぐらいしか答えてくれないAIスピーカーでは、太郎の気持ちは理解できないのです。

 「机の上にリンゴと鉛筆がある」の場合はどうでしょう。
「ある」とは「『世界』に存在する」と定義できます。
つまり、「机の上にリンゴと鉛筆がある」は、「世界」に「机」を配置し、その上に「リンゴ」と「鉛筆」を置くわけです。
「世界」を、3DCGで描画すれば、上下も定義できますので、「机の上」も定義できます。

「机の上にリンゴと鉛筆がある」の場合、認知パターンは抽出されませんので、それ以上の意味はありません。
つまり、「机の上にリンゴと鉛筆がある」は「文」ではありますが、何らかの言いたいことを含意した文ではありません。
友達に、「机の上にリンゴと鉛筆がある」とだけ言われても、「それがどうしたの?」としか答えようがありません。
これが、特に伝えたいことのない単なる文ということです。 

以上が、コンピュータで文の意味を理解するということです。
「好き」の意味を理解するだけでも、最初に、3次元空間と時間を表現できる「世界」のモデルをシステム内に構築しなければなりません。
それができて初めて、「主体と対象の距離が近づくと、主体は快となる」と「好き」の意味を定義できます。

(中略)

コンピュータに意味を理解をさせるには、世界のモデルを作って、その中で、言葉の意味を一つ一つ定義していかなければなりません。
地道な作業です。

ですが、これをすれば、AIで文の意味が理解できるようになります。
現代のほとんどの仕事は、文書を読むことから始まります。
AIが文の意味を理解できるようになれば、人類は、かなり多くの仕事から解放されます。

AIは、文章を読んで決められた仕事はきちんとできますが、どれも同じです。
個性などありません。
やれと言われたことを黙々とやり続けるだけです。

そんな時代に、AIに代替されない人とは、やれと言われなくても好きだからする人。
何の役に立つかわからないけど、好きで好きでしょうがなくて、夢中になる物がある人。

役に立つものは、AIがやってくれます。
役に立つかどうかでしか行動できないと個性がなくなり、AIと同じになります。

そして、過去に誰かが作った物を組み合わせるだけじゃなく、全く新しいものを0から作り上げられる人。

どれもこれも、今の偏差値教育では全く評価されない人たちです。
読解能力といった指標だけを教育の指針とすることは、個性を奪い、子どもたち全員をAI化するようなものです。
AIに仕事を奪われる人とは、教科書だけ読めて、何の個性もなく、新しいものを作り出すことができない人たちなのです。

**************************

「聴く力」「読む力」とは、相手の言葉や様子から相手の心(期待、課題)を上記のようにシステム化=構造化することではないでしょうか。
そうして、相手の潜在的な心(期待、課題)を、構造化して顕在化させる。
そのためには、現代の社会構造はもちろんのこと、人類史、さらには遡って生物の始まりからの事実の積み重ね=塗り重ね構造を土台としていることが必要なのだと、改めて感じました。


これより先はプライベートモードに設定されています。閲覧するには許可ユーザーでログインが必要です。

  にほんブログ村 OL日記ブログへ