私たちの身体には、意識的にする動きと無意識にする動き(活動)があります。
例えば今私は意識してパソコンを打っているわけですが、そちらに集中していても呼吸を忘れることはない。心臓を動かすのを忘れるわけではない。
でも心臓は意識して動かすことはできませんが、呼吸は意識して整えたり深呼吸したり止めたりすることができます。
そう考えると、本能(無意識)と観念(意識)の間にある活動が「息」「呼吸」ということができるのではないでしょうか。
そして呼吸は、一人で整えることもできますが、さらに会話している相手や、さらに拡げて集団でも整えることができます。「せーの!」で何かを持ち上げるなど、普通にしていますよね。
でもその普通のことが、実は人類の生き残り戦略の一つだったのではないでしょうか。
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内田樹・安田登「変調『日本の古典』講義」より
P131〜
投擲と息のコントロール
安田:「射」といえば、少し前に、子どもたちと「ネガティブハンド」のワークショップをやって気づいたことがありました。
内田:「ネガティブハンド」ってなんですか?
(※ネガティブハンドの壁画で有名なのはコチラ)
安田:洞窟壁画の時代に現れる描画技法の一種なのですが、口中に顔料を含んでキャンバスとなる壁の前に手を置き、その手に向かって顔料を吹きかけると、抜き型のように手の形状が空白として表せるのです。洞窟壁画の中でも動物は普通に陽画として書いていますが、なぜ手だけ陰画(ネガ)として表現したのかわかっていません。僕らはただ面白いから子どもたちとわいわいやっていたのですが、そのとき、洞窟壁画を描いた人々が本当に残したかったのは、「手」型ではなかったんじゃないかと思いついた。何を残したかったのかと言えば、恐らく「息」なんです。
内田:おおお、これは面白そうな話ですね。
安田:「息」という漢字は、その最初期の形では「心」が入っていないんです。息という時の上の「自」は鼻の象形ですが、そこから空気を表す三本線が出ているだけ。
これに「心」がついて、今の「息」になるのは紀元前1000年頃で、時代が殷から周に変わったときです。そのとき人は、自分たちが呼吸をコントロールできる特別な存在であるということを意識したんじゃないでしょうか。呼吸のコントロールができる動物って案外少なくて、類でいえば人類と鳥類だけだそうです。他の哺乳類の中にもコントロールできる動物はいますが、しかし犬や猫はできません。哺乳類全部ができるわけではないらしいのです。そして、呼吸がコントロールできる人類と鳥類には「歌」があるという共通点があります。そして歌はやがて言葉に昇華します。
呼吸のコントロールは歌や言葉を生み出すのですが、同時に「息を合わせる」という技法も手に入れることになります。その記念碑があのネガティブハンドではないかと思ったのです。
ウィリアム・オールマン『ネアンデルタールの悩み』(青山出版社)によれば、旧人であるネアンデルタールは動物に噛みつかれた歯形が残る骨が沢山見つかるのだそうですが、現生人類の直接の祖であるクロマニョンになると、それが急に少なくなります。人類はクロマニョンの段階から、猛獣を殺戮できるようになったのです。武器でいえばネアンデルタール人の石器には現代人の技術をもってしても及ばないほどのものがありましたが、しかし彼らは武器を手に持って猛獣に対峙していました。しかし、クロマニョンたちは投槍器や弓矢などの飛び道具を使い、さらには「せーの」で息を合わせることによって同時にそれを獲物に当てることができるようになり、猛獣や大型動物たちを狩ることができるようになりました。
クロマニョン人は、結果的にマンモスなどの絶滅や減少を招いて、自ら滅亡したとされていますが、僕たち現生人類にもその呼吸のコントロールは受け継がれて、それがネガティブハンドというアートになったり、あるいは音楽になったりしたのではないでしょうか。
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ちなみに、上記安田さんのネガティブハンドのワークショップはこちらのブログに載っています☆
ワークショップの中で、ネガティブハンドについて話をして気づいた点を出してもらおうとしてもなかなか出なかったようなのですが、ワークショップで実際にネガティブハンドを作ってみると…
>最初に見せた写真を、最後にまたみんなで見ました。
今度はすごい。いろいろな意見やら疑問点やらたくさん出てきて、終わらせるのが大変。本当にすごい勢いで出てくるのです。<
子どもたちが古代人とともに「息」の不思議と可能性に触れた瞬間となったのでしょうね。
