先週のブログ「男たちには集団本能発の庇護意識⇒庇護規範がある!」に引き続き、お恥ずかしながらのうちの長男の話です。

 

直近の実現塾で「本能次元にある論理整合」の話題になったそうで、参加したベテラン男性が、「それってなんやろ?」という話をランチ時にしていました。

 

その時思いついたのが長男のこと。今年10歳を迎え、語彙力もだいぶついてきましたが、話していてよくびっくりするのはその明快な論理性。とにかく明るくて軽い。「ちゃんと合わせないと!」みたいな、「整合」に対する気負いもない。

上記実現塾で発言する小学生たちにも同じ感覚を覚えます。ストレートで明るい。

それはやはり、私権時代のもはや役に立たない観念群がないゆえの、生命の根幹から来る論理の明るさなのだと感じます。

 

また、彼に「そういうのってどうやって合わせるの?」と聞いてみると、

「まず直観で全体を合わせて(整合させて)から、もう少し細かく考えていくよ」

とのこと。

全体把握→細部検証。生命の論理は、学校で習うような細部の積み上げ思考では全く無いようです。

 

参考になる記事から、気づきを深めていきましょう!

 

**********************************

 

論理整合性ってどうやって身につくの?→もともと備わっているのに封鎖している!

 

先日、教育事業を営んでいる当社の会議で、受験テクニックではない本当の国語力を子どもたちに身につけさせるために、「論理能力って何?どうすれば身につくの?」という根本テーマが扱われました。

 

その内容は、大人にとっても気づきが大きいと思うので、ご紹介します☆

 

********************************************************

生命体とは統合体であり、統合される為には、各因子の秩序化=整合性が絶対的に不可欠である。

 

つまり、論理整合性は、本能以前の生命原理そのものであり、それは誰もに備わっている機能である。

 

従って、こじつけや詭弁etcの論理矛盾(論理不整合)は、一瞬で直感的に分かる=感じるもの。

 

もし論理不整合を感じないとしたら、それは、「教科書やテスト問題に書かれていること(出題文や問題文)は、絶対に正しい」という大前提で教育されてきた(その結果、論理不整合はないものとして捨象してきた)、学校教育の弊害である

**********************************

 

論理は本能以前の生命原理。脳が生まれる前から存在する生命の根幹ということ。

そして生命は外圧に適応する統合体。

生物の持つ論理は統合のためであり、外圧適応のためと言えそうですね!

 

**********************************

 

脳回路を解く(10)〜・人類の思考様式と構造認識・〜 

 

・人類が言葉を話しはじめて、60万年しか経っていないが、音声機能はすでにDNAに刻印されている。従って、それ以前に形成された観念機能(数十億本の神経回路)も、大きな大脳連合野(の神経回路)も、当然、DNAに刻印されている。

・それに対して、二元化や類型化等の把握機能は、DNA変異以前に、細胞質(おそらく中心体)に刻印されていると考えられるが、人類は、感覚機能の把握様式を踏襲しているだけのように見える。換言すれば、感覚機能の二元化や類型化を超えた、観念機能に固有の把握様式やその類型は未だ登場していないように見える。

・しかし、その萌芽はある。感覚機能の類型化を超えた観念機能に固有の類型認識として確立されてゆく可能性が高いと思われるのが、論理整合性に貫かれた構造思考と構造図解である。

 

どうする⇒なんで?を生起させるのは、不整合感や危機感→探求核、および可能性展望→充足核の駆動物質。

◎人類は、未明対象の本質を把握する手法として、感覚機能の二元化と類型化を下敷きにして、根元と先端に二元化する根端思考と共通部がありそうな事象を探索する連想思考を発達させた。(共に感覚機能の応用)

どうする?や何?の探求は、必然的に根端や連想の各項の統合に向かうが、統合するためには各項の因果や関連を明らかにする必要がある。従って連合野は、因果思考や関連思考に先端収束していった。

◎しかし、部分的な因果や関連が分かってその部分が統合できても、全体との関連や位置は不明であり、その部分的認識が誤っている可能性もある。つまり、どうする?の答えになっていない=実現できない可能性がある。従って、因果思考や関連思考は、実現可能性を求めて、際限なく深化し、広域化してゆくことになる。それが実現思考=構造認識である。

**********************************

 

感覚の把握機能としての論理から始まって、生物進化に従ってどんどん対象を拡げていく=適応の機能を拡大していく中で、論理整合=統合する範囲も広がっていったと考えられます。

子どもの発達を見ていても、上記にあるような因果思考や関連思考が言葉の獲得に連れて深まっていき、小学校に上がるような年齢で家庭内等の狭い範囲の対象から社会へと広く対象を拡げていくように思います。

 

直近も、同僚の成果に対しての指摘が論理的に出来ないなあとちょっと悩んでいましたが、実はそんなに難しいことではないのかも。逆に大人は、自分が良く思われたいとか、相手を傷つけないようにとか、生命の論理に外れた余計なことを考えすぎているのかもしれません。

 

生命の持つ論理性をもっと信頼して、旧観念を取り払って思考する。生命の根底から浮かんできた論理性は、きっと誰しもに通じるものなのだと思います☆

 

  にほんブログ村 OL日記ブログへ