卒後10年目の1995年、2度目のへき地診療所赴任でした。
EBMを武器にへき地診療所で頑張ろうと、義務というよりも、ある意味、大きな希望をもって赴任しました。
へき地医療の話をすると、未だに「へき地では最新の医療から遅れてしまうのではないか」というような質問をよく受けます。もちろんそういう面はあります。
しかし、逆に、へき地の診療所でこそ最新の医療についていける面があったというのが正直な気持ちです。
1995年、インターネットが普及し始める頃でした。電話回線さえあれば、へき地診療所と世界をつなぐことはそれほど困難なことではなくなっていました。
MEDLINEはTelnet経由で PaperChase(http://www.paperchase.com/)を利用して年間100ドルで検索できましたし、
ACP Journal Club(http://acpjc.acponline.org/)を購読すれば、日本のへき地までちゃんと配達され、最新の論文をA4判1ページの要約で読むことだってわけはありません。
コクランライブラリ(http://www.thecochranelibrary.com/view/0/index.html)もCD-ROMで購入できました。
UpToDate(http://www.uptodate.com/contents/search)はちょっと値段が高かったのですが、
これは自分への投資であると考えて、ちょっと無理して買っていました。
こう書いていて、1つの事件を思い出しました。
へき地診療所でACP Journal Clubを購入してへき地診療所でEBMを実践してもらおうと、ある雑誌にその申込みフォーマットをそのまま使えるように1ページで載せてもらうべく活動報告を投稿した時のことでした。
編集委員の1人から直々に電話があり、「これを1ページで載せる余裕はないし、1ページで載せる意味があるかな(誰も買わないだろう、というような意味でしょう)」と言われたことです。
その時にどんな回答をしたのか今では記憶にありませんが、結果的には、ページの一部に単なる図表として掲載されたことからして、単に「わかりました」という短い返事をしただけかもしれません。
それはさておき、
1995年当時、上記のような情報源を備えていた大学図書館はほとんどなかったのではないかと思います。
未だにUpToDateが検索できない大学もあります。コクランライブラリが導入されている大学はまだ少ないでしょう。
それに対して、ある程度自分の裁量で勝手できるへき地診療所では、今から15年以上も前にこれらの情報源が整備されていたのです。
しかし、へき地診療所のメリットは、何と言っても“勉強する時間がある”ということでした。当時の最新のデータベースを揃え、6時頃に仕事が終われば、後は勉強時間になります。
2度目のへき地診療所のスタートは、何か希望に満ちたものでした。今、そう振り返っています。
EBMを武器にへき地診療所で頑張ろうと、義務というよりも、ある意味、大きな希望をもって赴任しました。
へき地医療の話をすると、未だに「へき地では最新の医療から遅れてしまうのではないか」というような質問をよく受けます。もちろんそういう面はあります。
しかし、逆に、へき地の診療所でこそ最新の医療についていける面があったというのが正直な気持ちです。
1995年、インターネットが普及し始める頃でした。電話回線さえあれば、へき地診療所と世界をつなぐことはそれほど困難なことではなくなっていました。
MEDLINEはTelnet経由で PaperChase(http://www.paperchase.com/)を利用して年間100ドルで検索できましたし、
ACP Journal Club(http://acpjc.acponline.org/)を購読すれば、日本のへき地までちゃんと配達され、最新の論文をA4判1ページの要約で読むことだってわけはありません。
コクランライブラリ(http://www.thecochranelibrary.com/view/0/index.html)もCD-ROMで購入できました。
UpToDate(http://www.uptodate.com/contents/search)はちょっと値段が高かったのですが、
これは自分への投資であると考えて、ちょっと無理して買っていました。
こう書いていて、1つの事件を思い出しました。
へき地診療所でACP Journal Clubを購入してへき地診療所でEBMを実践してもらおうと、ある雑誌にその申込みフォーマットをそのまま使えるように1ページで載せてもらうべく活動報告を投稿した時のことでした。
編集委員の1人から直々に電話があり、「これを1ページで載せる余裕はないし、1ページで載せる意味があるかな(誰も買わないだろう、というような意味でしょう)」と言われたことです。
その時にどんな回答をしたのか今では記憶にありませんが、結果的には、ページの一部に単なる図表として掲載されたことからして、単に「わかりました」という短い返事をしただけかもしれません。
それはさておき、
1995年当時、上記のような情報源を備えていた大学図書館はほとんどなかったのではないかと思います。
未だにUpToDateが検索できない大学もあります。コクランライブラリが導入されている大学はまだ少ないでしょう。
それに対して、ある程度自分の裁量で勝手できるへき地診療所では、今から15年以上も前にこれらの情報源が整備されていたのです。
しかし、へき地診療所のメリットは、何と言っても“勉強する時間がある”ということでした。当時の最新のデータベースを揃え、6時頃に仕事が終われば、後は勉強時間になります。
2度目のへき地診療所のスタートは、何か希望に満ちたものでした。今、そう振り返っています。