1995年頃からEBMのステップに沿って問題を定式化し、論文を探し、論文を読んで実際の患者にどう役立てるか、というジャーナルクラブ、抄読会を行ってきた。

最初はへき地の診療所の一室で始まり、その後NTTのフェニックスというテレビ電話を利用したテレビ会議となり、最近ではへき地の病院や診療所をつなぐ遠隔医療システムの一部として導入されたテレビ会議システムを使ったり、Skypeを使ったりして行っている。


はじめの頃は、臨床上の疑問をPECO〔Patient(患者)、Exposure(曝露)、Comparison(比較)、Outcome(結果)〕で定式化し、その問題についてMEDLINEを検索し、関連の原著論文の全文を大学図書館にお願いしてコピーを取り寄せ、それを月に1回集まってみんなで読むというものであった。
愛知県の自治医大卒業生でへき地赴任中の者が、山奥の診療所に夜な夜な集い、『JAMA 医学文献の読み方』に沿って論文を読んでいくのである。

 
その頃読んだ論文については、『現代地域医療のパラダイム』という本や『気負わず毎日使える  EBM超実践法』いう本にまとめた。

 
今から思えば無謀な試みであったと思うが、その無謀な試みが、テレビ電話システムの導入までは何とか続けられたというのは一体何だったのだろうか。

これに先立つ自治医大では「エビ固め」と疎んじられた面が強かったが、へき地の現場では、そういう面がなかったとは言わないが、それを超える何かがあった。
 
EBMスタイルジャーナルクラブの始まりは、不十分な研修でへき地の現場に送り出される自治医大のへき地勤務と切り離しては、あり得なかったのではないかと振り返っている。