ドクターナゴーの「EBM Diary」

  • ブログの紹介
    「求められることに対してお役に立てることが医師としてのやりがい」をモットーに、Evidence-based medicineのあれこれなどを綴っていきます。 2011年6月に東京・西国分寺で開業。開業してから今まさに進行していることも紹介できればと考えています。
  • 著者プロフィール
    名郷直樹(なごう なおき) 1961年名古屋生まれ。86年自治医科大学卒。95年、作手村国保診療所所長、2003年地域医療振興協会地域医療研究所地域医療研修センター長、東京北社会保険病院臨床研修センター長を経て、11年武蔵国分寺公園クリニックを開院。著書に『EBM実践ワークブック よりよい治療をめざして』、『人は死ぬ それでも医師にできること』、『治療をためらうあなたは案外正しい』など。

2012年05月

2度目の転機-別に医者になりたかったわけじゃない

2度目の転機は、大学入学の時だったかもしれない。めでたく医学部に現役合格を果たし、寮生活がこれから始まるという時、それは明確になった。
 
私が入学した自治医科大学は全寮制で、大学敷地内の学生寮で学生全員が生活するのである。自宅から学生寮への引っ越しを終え、明日は入学式という時だっただろうか。
 
自治医大は全寮制といっても、一応個室が与えられ、明日の入学式をその寮の個室で待っていた。その時の気分というのは、本当に何か、すっきりしたものがあったと思う。何がすっきりしたのか、昔はあまり大きな声で言うことはできなかったが、もう医者になって30年近くになると、そう恥ずかしいことでもないような気もして、ここにこうして書いている。
 
仰向けにベッドに寝そべって、その時の気持ちを何となく思い出す。その時の気持ちは、私にしては珍しく、とても明確なものであったと思う。その時ほど自分の気持ちが明確になったことは、それ以前にもそれ以後にもないようなほど明確な気持であった。
 
何が明確になったかと言えば、「自分のしたかったことは、家を離れて、一人で生活するということだった」ということである。
裏を返せば、「医者になりたい」なんて気持ちはほとんどなかったということである。そんなことはどうでもよくて、ただ一人暮らしができればよかったのだ。
 
これからは、目覚まし時計と似ている母に起こしてもらうのではなく、本物の目覚まし時計で自分で起きるのだ。
 
その医学生時代の寮生活を歌った歌が、何とWeb上に公開されていた。ちょっと恥ずかしいけれど、結構いい歌のような気もするので(頭がおかしいと言われそうだ)、ここに公開する。暇な人は聞いてみてください。

自治医科大学医学部同窓会ホームページ
校歌と寮歌のコーナー
http://www.jichi.ac.jp/DOUSOU/song/song.html

最初の転機 ―目覚まし時計と母親は似ている

EBMは自分にとって大きな転機だった。それについてはこのブログの最初に書いた。
 
そんな転機らしきものをさらにさかのぼってみると、一つの歌を思い出した。
 
東へ西へ」、井上陽水の歌である。


 
小学校6年の時だと思う。授業中に、ある生徒がノートの切れ端に書いた歌の歌詞と思われるものが、なぜだか回ってきた。それは今思うに「人生が二度あれば」だったと思う。今もって覚えているので何か印象に残ったのだろう。
 
その後中学生になって、どこでどう知ったのかよく分からないが、「東へ西へ」を聴いた。レコードを買ったり借りたりした記憶はない。当時レコードを買うというようなことはなかったからだ。貸レコード屋というのも覚えがないし。
そうすると、ラジオで聞いたのか、誰かが録音したカセットで聴いたのか、そんなところだと思うのだがはっきりした記憶はない。
 
そのまたその後に、林間学校か何かで、みんなが好きな歌を持ち寄って、歌の本なんてのを作った時のことだと思うが、その時に「東へ西へ」の歌詞を書いたのを覚えている。なぜこの歌を選んだのかは分からない。そして、その原稿が自分の机の上に乗っていたのを、たまたま見つけた母が「あの詩はお前が書いたのか。よく書けている」なんて言ったようなことを覚えている。
 
そんなことを言われて、どう答えたのか忘れてしまったが、そう言われて、改めて詩を読み直してみたときのことだ。おふくろに言われて読んでみたからなのかどうか、「目覚まし時計とおふくろが似ている」という部分がどうにも頭にこびりついて離れない。


 
思えばそれが私の第一の転機だったような気がする。
 
何だ、おふくろは目覚まし時計だったのだ。そういう考えに触れて、何かが動き始めた。この後、何かにつけこのフレーズを思い出す。
大学受験にあたって、とにかく家を出るのだ、というのはこのフレーズから始まったような気がする。そして、それが遠く栃木での一人暮らしの大学生活につながっている。


それから40年近く。息子や娘に対して、自分はどんな親なのだろう。やはり目覚まし時計のようなものだと思われているだろうか。今度、息子や娘とこの歌詞について話してみたい。