『どのような教育が「よい」教育か』(苫野一徳 著)を読んだ。
とてもよい本だった。若々しい記述。決して未熟という意味ではない。
私は絶対的相対主義者であるが、その絶対的ということがどういうことであるか、系統的に考える道筋を具体的に与えてくれる本だ。
いったん相対化されて混乱に陥った教育の世界で、何をどう道しるべにしていけばいいのか、真正面から取り組んだ本である。
『構造構成主義とは何か 次世代人間科学の原理』(西條剛央 著)が兄貴分というのだから、なるほどという気がする。
教育業界と医学業界を重ねてみると、いったん相対化の嵐が吹き荒れた教育学に対し、未だ医学界ではモダン全盛で、医療を相対化しようという動きはほとんどない。
相変わらず、「正しい医療」なんてことがまじめに語られていたりする。特に日本は世界一の長寿を達成し、その先へと進まざるを得ない国の筆頭だと思うのだけど、一番でもだめだという状況。平均寿命が120歳になるまで、あるいはそうなっても今の状況は変わらないかもしれない。
死ぬことはできるだけ避けたい、それを相対するのは困難だ。
そう考えれば不思議でもないのだけど。
しかしそれは、絶対的相対主義者である私でさえ、死を相対化するのは困難だと考えるのはどういうことか、という問いでもある。
基礎医学の世界ではポストモダンそのものがありえない状況で、そういう動きはソーカル事件以後、鳴りを潜めてしまったのかもしれない。
『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫』(アラン・ソーカル、ジャン・プリクモン 共著)
臨床医の研究というと、いまだ基礎研究が王道で、医学界の重鎮たちは基本的には基礎研究者であり、臨床家だという世界で、ポストモダンは決してやってこないのかもしれない。
iPS細胞で、人間は事故や自殺以外では死なない生物になるかもしれず、そういう方向が王道なのは今後も変わらないだろう。
もちろん教育の世界だって、よい教育なんて簡単に語ることはできない、と言いつつ、お受験はさらに過熱を極めている。そして、そういうお受験のチャンピオンが医者になる。
まだまだ考えることは尽きない。
『脱病院化社会 医療の限界』(イヴァン・イリッチ著)や、『監獄の誕生』(ミシェル・フーコー著)(いつも途中で挫折して、全部は読んでないけど…)では、こういう考えもあるという形では語られるが、考え方の基盤として捉えられることはないし、現実感を持って語られることもない。
正規のカリキュラムで取り上げている大学もないだろう。
とりあえず『監獄の誕生』を最後まで読み切りたい。
そういう宿題が明らかになった。
50歳を過ぎても宿題ばかりだ。