実はあすから夏休みなのである。今日の午後の外来がすめば、しばらく診療から遠ざかる。
去年3日だった夏休みが今年は1週間。来年は3週間とる予定である。再来年は3カ月、その次は全部休み。まあ冗談である。どこからが冗談かはわかりにくいかもしれないが。

今のところ何の予定もない。ちょっとそれは嘘。対談が一つと、雑誌の編集会議があるから。ただ、仕事以外の予定は本当にない。せっかくの休みなのに、そう思われるかもしれない。しかし、せっかくの休みなのだ。予定を入れたら休めないじゃないか。

休みが待ち遠しい-というのはどういうことか。働きたくないということか。
そういうと身も蓋もないので、「休みにはあれもしたい、これもしたい」と言っているが、本当のところ、休みには何もしたくない人が多いのではないだろうか。

たとえば旅行。あんなの行って疲れるだけじゃないか。だいたい旅が終わって帰ってくると、「ああ、やっぱり家が一番」とか言ったりする。それなら最初から行かなきゃいいのに。まあ家が一番ということを確認するために旅に行くのかもしれないが。

旅というのは、本来は行くあてがない、帰るところがないというものだと思う。だから旅に出るのだ。帰るところがある人は旅になんか出る必要がない。
でも帰るところがある人ってどんな人か。それもよくわからないが。

で、何が言いたいかというと、帰るところなんかないということは明らか、ということだ。土に帰るというのはあるけど。土に帰る以前に、帰るところがあるかどうか。そんなのないよね。だから、旅に出続けるしかない、人生は。

ところが現実はどうか。帰るところなんかないのに、小さな家を建て、そこを帰るところにして、毎日職場まで旅している。当然そんなの旅じゃないんだけど。しかし、休みを利用して旅と言っても、職場を往復するように観光地と家を往復するだけのことで、それも旅じゃない。そういう身も蓋もない話。

そう考えると、休みに旅に出たくないというのは、ごくまっとうな考えだと思う。家を建ててしまって帰るところがあるんだから。
 

旅に出たくない、というのも一つの時代感覚なんだろうか。世の中は徐々に病院で死ぬ時代から、再び在宅死の時代へ。最期まで家で過ごすということに世の中がシフトしていく時代。そういうわけで、私もその時代に沿うように、旅よりも自宅に居続けてみようか。在宅死の前に、在宅休。
 

田舎から出てきて都会で一旗、そして病院で死ぬというのと、最初から都会で過ごし、都会で働き、病院でなく自宅で死ぬというのは、大きな時代の変化に対応しているのかもしれない。前者は人生があてのない旅、最期は病院。帰るところは見つからずという感じか。後者は旅をやめて、人生には帰るところがある。最期は自宅、そういうことか。
 

なんだか話が大きくなったが、実際は2泊3日で近場の温泉なんてのが、今年の私の夏休みだろう。