思い出すことについて、ちょっと整理しておきたい。これはなんだかかなり重要なことのような気がします。
楽しい思い出というけれど、楽しいことを思い出してもあまり楽しくはなりません。たとえば、自分の最初の著書『EBM実践ワークブック』が書店に並んだのを自分で発見した時。たぶんこれはこれまで経験した中でもかなりうれしかったことの一つです。しかし、その時の情景を思い出してみても、その時のうれしさがよみがえってくる感じはしません。たぶんかなりうれしかったんだろうなと想像するくらいが関の山です。思い出した楽しさに何のリアルさもない、という感じです。
それに対してつらかった思い出というのはまったく違います。その時のつらさそのものではないにしろ、かなり不快な気持ちがよみがえってきます。
前の職場で、徹底的に否定されたり、私の部下がいじめとしか言いようのない仕打ちを受けたこと。このことを思い出すと未だに不快な気持ちになります。ある意味、その時にも増して深いのかもしれない。この不快な気持ちは、その場の体験ではない思い出したことについての不快さであっても、未だかなりリアルなもののような気がします。
で、何を思うかというと、楽しい思い出はそれほど重要ではないし、つらい思い出は重要だということです。どう重要かというと、これはなかなかに難しい、のですが。
人間が楽しいことばかりをリアルに思い出すことができたら、いつも楽しいことばかり思い出していて、スキだらけになって、いろいろな災難から逃れることができないような状況に陥りやすいのではないでしょうか。
それに対してつらいことを思い出していると、そうしたつらい思いを繰り返さないために次は、と考え、行動するようになるのかもしれません。
楽しいことは少しでいい。つらいことを基盤に生きていこう。
ジャック・プレヴェールの詩を思い出す。
天にましますわれらの父よ
そちらにおいで願います
地上にはわれらが残りましょう
こちらもときおりすてきです
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