「結婚しろ」なんて野次で大変なことになったのをきっかけに考えたこと。
結論はすでに明確。
私は、失言、暴言のない世の中よりも、失言、暴言を言うことが許される世の中に生きたい。
失言そのものよりも、それに対するバッシングのほうが怖い。
もちろん失言、暴言も少なくなるといいが、そうだとすれば、あのような極端なバッシングも少なくなるといいと思う。
考えるくらいなら何を考えてもいいと思う。
これに対しては多くの人に賛成してもらえるだろうか。
言うくらいなら何を言ってもいいと思う。
こうなるとほとんど無理だろうか。
今回の事件を見ていると無理なようだ。
やるくらいなら何をやってもいいと思う。
これは私も無理だ。
気の利いた野次とか皮肉は、世の中で最も素晴らしいものの一つに数えられると思う。
今回の事件だって、議会討論の内容自体には誰も触れないくせに、野次のことばかり取り上げているじゃないか。
それは、興味があるかないかで言えば、みんな議会討論などには全く興味がなく、野次に興味があるということだろう。討論・答弁はすばらしくなりようがないが、野次はすばらしいものにもなりうる。
だから、野次がなくなるようなことだけは避けてほしい。
野次は文化だ、と誰かも言っていたし。