ドクターナゴーの「EBM Diary」

  • ブログの紹介
    「求められることに対してお役に立てることが医師としてのやりがい」をモットーに、Evidence-based medicineのあれこれなどを綴っていきます。 2011年6月に東京・西国分寺で開業。開業してから今まさに進行していることも紹介できればと考えています。
  • 著者プロフィール
    名郷直樹(なごう なおき) 1961年名古屋生まれ。86年自治医科大学卒。95年、作手村国保診療所所長、2003年地域医療振興協会地域医療研究所地域医療研修センター長、東京北社会保険病院臨床研修センター長を経て、11年武蔵国分寺公園クリニックを開院。著書に『EBM実践ワークブック よりよい治療をめざして』、『人は死ぬ それでも医師にできること』、『治療をためらうあなたは案外正しい』など。

診療雑感

白いカラスがいるか?

ベイズがちょっと流行ってます。本屋に行くと山ほどベイズについての本が並んでいます。私のクリニックの電子カルテには,診療支援システム「ドクターベイズ」が搭載されています。私のクリニックも流行に乗っているということでしょうか。



以前,「ベイズ的思考は,帰納法か演繹法か?」と聞かれて不快に思ったことがありましたが,そんなことをちょっと思い出しました。

この時の私の答えは,「演繹法」というものでしたが,ベイズは普通に考えれば帰納法ということになるでしょう。そんなことを俺に聞いてどうするということもあり,一般的でないほうを答えておきました。すると当然質問の主は「ベイズは帰納法ですよ」と私に親切にも教えてくれました。何かむかついた覚えがあります。

話が長くなりそうなので反論はしませんでしたが,ベイズ的な思考はこうした二分法に馴染まないんじゃないかな。そんなことは言ったかもしれません。



唐突ですが,目の前に白い鳥が現れた状況を考えてみましょう。この白い鳥がカラスかどうか考えてみる,というわけです。

カラスは黒い。これまでに見たカラスは全部黒かったし,今日見たカラスも黒かった。だからこの白い鳥はカラスではない。この黒い鳥はカラスかもしれない。臨床は基本的にはそういうことの積み重ねです。帰納法と言ってもいい。

それに対して,ここでちょっと待てという時もあります。

この鳥は,色は白いが,色以外はカラスそのものじゃないか,そんな場合。遺伝子を調べて100%一致したりすれば,これはカラスと言ったほうがいいのではないか。そういう場合もあります。こちらは演繹法ということになるでしょう。これも臨床推論にとって必須の考え方です。




翻って,ベイズ的思考というものを考えてみるに,帰納法で考える限り,診断の確実性はいつまでたっても100%にならない。そうでない確率が常に残っています。いくら帰納法を積み重ねても,白いカラスの存在を否定することはできません。さらにその100%にならない確率というのも,そもそも客観的なデータであるよりも,個別の主観に基づいているというのが現実です。

ベイズ的な思考は,帰納法の限界をむしろ明確にします。それは100%じゃないし,最初のスタートは主観的なものなんだからと。


ベイズ的な思考の特徴は,帰納的/演繹的という枠組みではなく,主観的/客観的という枠組みでとらえたほうがフィットする気がします。常に主観的確率からスタートしている,このことを常に意識することが,最もベイズ的思考の肝である気がします。


しかしどちらの推論をとるにせよ,ベイズ的に思考するにせよ,何が正解かはわからない。すべては仮説にすぎない。




優れた臨床医は,ベイズ的な思考法を用いつつ,帰納法の限界を自覚しながら,常に白いカラスの登場を願っている。帰納法が破られることを期待しながら,帰納的な手続きと演繹的な手続きを,主観的な確率や主観的な仮説を基盤に考えていく,そういう態度が臨床家には必要。

つまり白いカラス探しこそ,臨床医の重要な思考のフレームだと今回気がついたのでした。




連携とコミュニケーション

多くの職種、多くの人と連携が必要な立場にいるが、連携はなかなか難しい。「コミュニケーションが重要」とかいうけど、とればとるほどうまくいかないことも多い。
いっそのこと、コミュニケーションなんかとらないほうがいいような気もする。
 
一番大変なのは、入院が必要となった高齢者の病院への紹介
病院が見つかるまでに半日というのも決して珍しいことではない。時には、病院の先生から突然電話を切られたり、長々と説教を受けたりする。だいたいはなんとなく私よりはるかに若いドクターが相手である。

年長者を敬え、なんて言うつもりはないが、とりあえず相手が誰だかわからない時に守る最低限のマナーや礼儀をわきまえていない気がする。確かに開業医が無責任な患者の送り方をして、病院のドクターに多大な迷惑をかけている面は大きいと思う。
しかし、それはお互い様というもので、我々開業医は大病院で邪険にされた患者の怒りを鎮めるために、結構時間を使っているのである。

こういう状況で、これはお互いの背景が共有できれば解決する問題だという意見もある。ここでも、コミュニケーション不足が原因で、コミュニケーションがとれれば大丈夫というわけだ。
 
 
しかし、現実を考えると、「コミュニケーションなんて不毛だな」という気がする。コミュニケーションと言っても、常に不特定多数の病院の医者が相手で、実際には個別の患者で個別の医者を相手にしなくてはならない。これがコミュニケーションの問題で解決するわけがない。
 
で、何が問題かというと、お互い忙しすぎるということだったりする。
開業医は開業医で、多くの患者を待合で待たせながら、イライラしながら病院を探すし、病院の医者は病院の医者で、多くの救急患者、それも大部分は来なくても大丈夫な患者の対応で疲れ果てている中で、また本当に受診が必要かどうかわからない開業医からの紹介にイライラしている。

 
しばらくは解決不能な問題だ。
お互いイライラを抑えない―というのが最も現実的な解決かもしれない。まったくひどいことだ。
 
100年がかりでやるしかない。