【偉人録】郷土の偉人

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杉亨二(すぎ・こうじ)・長崎の偉人

肥前国長崎本籠町(長崎県長崎市籠町)生まれ。

文政11年(1828)8月2日−大正6年(1917)12月4日 90歳

統計学者、「日本近代統計の祖」と称される。

10歳で孤児となり、苦学し、緒方洪庵の塾などで蘭学を学んだ。

勝海舟と出会い、彼の勧めで幕府に出仕し、やがて開成所教授となり、ここで西洋の統計学に接し、日本にも統計が必要であると痛感して独習する。

明治維新後は、徳川家に従い静岡に移住、明治2年(1869)同藩の人口調査に着手し「政表」をつくる。
また沼津兵学校教官となる。

翌年から政府に出仕して統計業務に従事、明治5年(1872)太政官正院大主計となり、日本最初の統計年鑑『辛未政表』を編纂。
以降、毎年統計年鑑が刊行されるようになった。

明治6年(1873)国勢調査の必要を建議し、明治12年(1879)日本最初の近代的な人口調査を実施し、明治12年12月31日現在の統計を明治15年(1882)に『甲斐国現在人別調』として刊行した。
1873年(明治6年)には明六社の結成に参加している。

明治14年(1881)杉の建議により、統計院が設置され、大書記官となるが、明治18年(1885)廃止され、杉も官職を辞した。

この間、スタチスチック社(のち統計学社)を設立して『スタチスチック雑誌』を発行し、統計学の研究普及に努めた。
また明治16年(1883)東京九段に共立統計学校を創立し、後進の指導育成にあたるなどしたが、官職を辞すとともに廃校となった。

後年、両眼を失明したが、国勢調査準備委員などとして活躍し、日本の統計学の基礎を築いた。

杉亨二胸像(長崎公園・長崎県長崎市上西山町)
長崎市統計課が杉の命日(12月4日)に献花式を毎年行っている。

杉亨二墓所(染井霊園・東京都豊島区駒込5-5-1)

完全復刻 杉亨二自叙伝

日本の『創造力』〈2〉殖産興業への挑戦






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